第60話 熊の罠

(一)

「ようし、おっきい子はちっちゃい子を間に挟んでな。しっかり、たてがみをつかんで…大丈夫だ。この馬っこらは特別優しい子らだで…。」

 民部が子供たちを馬に乗せながら言う。

「しかし、甘くねえだか?こんな悪ごろは、殺さねえとまた悪さするんでねえだか?」

 荒くれたちを大木に縛り付ける半左衛門に向けて民部が言う。

「わしは人殺しは好かん。この者たちは、玉も左右の腕の骨も砕いてある。もう女は抱けぬ。仮に腕が治っても不自由さは残る。今までどおりの悪さは出来ないさ。」

 民部は首を捻りながら言う。

「そんなもんだか…。こいつら人殺しだで、殺しても罰はあたらん気がしますけんど…。」

 半左衛門は自嘲気味に笑った。

「侍はみんな人殺しだ。わしだって人殺しさ…。だからこそ、できるだけ殺さぬようにしているのだ。」

「ふーん…。」

 荒くれたちを縛り終えると、馬に乗った子供たちの様子を見渡した。

 みな一様に、ほっとした顔をしている。

「出発できそうじゃの。しめしあわせたとおり、博多の大黒屋へ向かえ。誾千代姫がそこで待っているはずだ。」

「半左衛門様は?」

そう問われて、赤々と燃える南の空を見ながら言った。

「わしには大仕事が残っている…。」

 三途が馬の上からおずおずと聞いた。

「あの…あたいの姉貴は?」

「うん…?お主の姉か…。」

「美馬って言います。」

 半左衛門様は顎に手を当てて考えた。

「誾千代姫と一緒に、風盗賊の女たちがいたが…、ひょっとするとお主の姉はそこにいるかもしれんな。」

 そう聞いて、三途は少し心が軽くなった。

 そうだ…きっと誾千代様と一緒にいる。

 金牛の姐御も別の務めをしていると言ってたじゃないか。

 三途や子供たちは半左衛門に見送られ、民部に先導され馬で筑前へと向かった。


(二)

 屋敷の火事は消し止められつつあった。

 子供たちを逃がすための撹乱だったので、十分役目は果たしたが…


「お前ら、大の男が何人もいて、女一人に何やってんだ!」

 泥亀の檄が飛ぶ。

 金牛は壁を背に、群がる荒くれどもを放りなげ、蹴り飛ばし、殴り倒した。

「えーい!知恵足らずどもよ。矢でも鉄砲でも飛び道具持ってこい。遠巻きにして撃ち込むんだよ!」

 荒くれの一部が飛び道具を取りに走った。

 金牛は、この瞬間を待っていたのだ。

 おもいっきり両手を伸ばし、くるくる前転を繰り返すと、意表をつかれた泥亀の前に立った。

「ひっ!」

 太い腕が亀首を引き寄せる。

 ごりごりっ…

 頸椎が嫌な音を立てた。

「ぐわっ…おごっ…。」

 金牛は鬼の形相で腕に力を込める。

 あまりの気迫に、周りの荒くれは遠巻きにするだけで近寄れない。

「泥…亀っ!ついにてめえも年貢の納め時だ!死にやがれ!!」

 泥亀は苦しそうな口から、切れ切れの言葉を発した。

「き…ん…ぎゅ…て…め…えも、ぶ…じ…では…す…すま…ねえ…ぞっ!」

「はん!もとより命なんざ捨ててかかってるさ!!」

「ご…ご…ご…。」

 泥亀は震えながら右手で宙を掴もうとした。

 やがて、全身の力が抜け、舌をだらりと出したまま、くたりと頭を落とした。

「くたばりやがったか!」

 金牛の力が緩んだのは、ほんの一瞬だった。

 するりと腕を抜けた泥亀は、よつんばいのまましゃかしゃか動いた。

 手足を使って、物凄い速度で屋敷の奥へと逃げていく。

 その姿は、まさに亀そのものだった。


(三)

「お助けを!お助けを!」

 逃げながら泥亀は大声でわめいた。

「待ちやがれ!」

 奥へと追った金牛の前に、ひときわ大きな建物が見えた。

 ここが屋敷の主人の、龍造寺軍師・木下昌直の住まいに違いない。

 がらりと障子が開き、二人の男が出てきた。

 一人は想定内、この家の主人・昌直である。

 もう一人は想定外


 よりによって熊か…。


 隆信と昌直の顔を見て、力づけられた泥亀は、お助けお助けと言いながら近づいていく。

「させるかよ!」

 金牛は勢いよく飛び付いて、泥亀を裏返すと、手刀を思いっきり左胸に突き立てた。

 ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!

 泥亀は断末魔の叫びを上げると、ぴくぴく痙攣して動かなくなった。

 金牛が突き立てた腕をひっこ抜くと、噴水のようにまだ生温かい血が噴き出した。

「うわーっ!何しよんねん。うちの大事な金づるを…!」

 木下昌直が駆け寄るが、泥亀はすでに息絶えていた。

「おまえっ!何してくれてんねん!」

 金牛は昌直を無視し、隆信をじっと睨みつけた。

 この屋敷に忍び込んだときから、どうせこの命は無いものと覚悟している。

 美馬や女たちは助けられなかったが

 子供たちは助けた。

 仇のひとり、泥亀は討ちはたした。

 目の前にいるのは仇の首塊、そして誾千代の敵

 人間離れした力を持ち、勝てるとはとても思っていないが

 目の一つ、腕の一本くらいは…。

 ずいっと熊に向いて立った。

 相手も金牛をぐっと睨む。

「女…。見たことある顔じゃが…面白い技を使うな…。」

「ふん…冥土の土産に、あんたにもお見舞いしてやるさ。」 

 金牛は腰を落とし、最後の力で跳ぼうと身構えた。

「おい!このわてを無視するとは、どういう了見やねん!なめたらあかんでぇ。」

 金牛と隆信の間に昌直が割り込んだ。

「雑魚はすっこんでな!」

「わてを雑魚てかいな…。そう思うならかかってこんかい!」

「ふん!」

 ばっ

 目にもとまらぬ早業

 金牛は右の拳を固めて跳びかかった。

「しゅっ!」

 昌直が短く息を吐いた。

 すぱっ………

「!」 

 金牛の右腕が胴を放れあさっての方向に跳んでいく。どっと血が噴き出した。

「くそっ!」

 歯を食いしばった金牛は、着地するや否や左足で蹴りをみまう。

 大木でもへし折る必殺の蹴り

 受ければ肋骨くらい簡単に折れる蹴りだった。

 昌直は避けもせず、右手を再び一閃させた。

 ぶ…ん!

 左足の腿から先が千切れて飛んでいく。金牛は均衡を失い倒れ込む。どくどくと血が流れた。

「ぺっ!なめるんやないで!」

 昌直は金牛の顔に唾を吐きかけ、仕込杖を抜いて止めを刺そうとした。

 金牛がそっと目を閉じる。

「まて!!」

 割れ鐘のような声が響いた。


「ちっ…間にあわなかったか…。」

 屋敷が一望できる大木の上で半左衛門はそう呟いた。


(四)

 大盗賊・金牛の処刑を行う。


 肥前各地に高札が立ったのはその翌日のことだ。

 期日は三日後七つさがり 場所は水之江城前の広場

 筑肥に災いをなした盗賊の処刑ゆえ

 見物は自由としてあった。


「こりゃあ、どげん見てん罠。そいも、おはんを誘い出す罠じゃち。熊めがないを考えちょっかわからんどん…。」

 梅北国兼が言う。

「ああ、わかっている。だけど、金牛を助けなきゃ…。」

 誾千代の物言いに国兼はからからと笑った。

「こいは、とんだ肝ん太か姫ごじゃ。敵はおはんを捕ゆっち、十重二十重に罠ばしかけちょろうに…。そいでん行くとな?」

 誾千代は頷いた。

「かかか…、女子ん姫でん、恐れんで行くちうなら、おいどんが怖じ気づっわけにはいかんど。なぁ甚兵衛!」

 座敷の片隅に座っている鶴田甚兵衛は、黙ってこくりと頷いた。

「龍造寺と我らの戦力差は熊と虫…ただ攻めるわけにもあかんでしょう。どうなさりますか?」

 川畑喜内の問いに、国兼はにやりと笑った。

「まだ時間はあっで…国許から次右衛門を呼び寄せち…。」

「承りました…。」

「そいとな…、山蜘蛛に、急ぎ知らせを出しちくいやい。」

「鷹を使ってですな…承知…。」

 喜内はそそくさと奥へ消えた。

「三郎…こいがおはんの初陣になっどな…。」

 奥に座って一心に種子島を磨いている少年がこくりと頷いた。

「さあ、我が家総力を挙げた戦じゃっど。敵は肥前の熊じゃ…相手にとって不足なし…。みんな、気ばっちみっかい。」

 まるで、狩りにでも行くような呑気さ。

 誾千代はただただ呆気にとられた。



















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