第59話 しいたげられた者たちの怒り

(一)

「わからんことをおっしゃいますなあ…。」

大黒屋が本当に困った顔をして言った。

「そこを曲げて頼むのだ。どうか力を貸してくれ!前は助けてくれたじゃろうが…。」

誾千代は必死の面持ちで言った。

「わてらは商人だっせ…。確かに、拐しはあきまへん。わても許せない思います。ええ、以前確かに、ならず者たちの船からお助けいたしました。けど、お大名家が絡んでいるんやったら話は別です…。」

「どう別なのだ?」

「かなんなぁ…。わてらが出ばる問題ちゃう…もう、わてらの領分じゃ収まらんいうことですわ。」

「龍造寺家を恐れるのか!」

大黒屋喜内は、あくまで口の端に微笑みを湛えながら、不敵な目をして言った。

「いや、恐れなど…。この社会には侍は侍の、商人は商人の領分ちゅうもんがあるちゅう話ですわ。」

「では言おう…。お主は実は侍ではないのか?各地に店を持つ大黒屋…その正体は島津家臣のそのまた家臣…。噂になっておるぞ。」

大黒屋は、ふうと小さなため息をついた。

「姫様は商人の大黒屋に頼みに来られたのでしょう。仮に私が島津家中の者だとして、大友家の敵に何を頼まれますのや?」

「大友家の敵じゃが…龍造寺の味方というわけではあるまい。わが立花家に鉄砲を安く売ったは、龍造寺の力が伸びるのを防ぐためではなかったか…。」

大黒屋は下を、しばらく畳を見つめた。そしておもむろに口を開いた。

「ここまでしつこく言われるとは…。金牛いう盗賊は姫様の何ですか?ただの家来ちゅうわけでもないようや…。」

思ってもみない質問だった。

金牛はわしにとって?

家来…違う…友…いや…金牛は…

いろいろな場面が蘇る。

考えているうちに自然と涙があふれた。

「どないなさりました?」

誾千代は両手を畳につき、深々と頭を下げた。

「金牛は我が姉…いや、我が母じゃ!姫、姫と大切に育てられ、本当になにも知らなかったわしに…金牛は人として、女子として必要ないろんなことを教えてくれた。立花を継ぐ者として民とどう接するか、どう生きるかを考えさせてくれた。金牛は大切だ。どんなことがあっても助けたい!」

大黒屋はほとほと困り果てた。

「どうかはしてやりとおすけど…どうにもならんですわ。悪いけど…。」

そのとき

がらり!!

勢いよく大黒屋の後ろの障子が開いた。

鶴のように痩せた背の高い老人が立っている。

ぎょろりとした目、高い鷲鼻、がっしりした顎、白い髪

鼻下の白髭は、頬を超え左右にぴんと張っている。

「殿!」

喜内の声が聞こえたかどうか…

梅北国兼は誾千代をじろりと見詰め、にかっと笑うとこう言った。

「盗賊が母ちな…おもしとか姫じゃ。…気にいった!気にいったど!どこまじでくっかぁわからんどん。おいが助けてやっ…助けてやっど!」


(二)

 金牛は美馬の遺骸をそっと横たえると、忍び足で隣の蔵へ向かった。微かにしくしくとすすり泣く子供たちの声が聞こえてくる。

 見張りは荒くれ者一人

 影からそっと近づいて、一気に後ろから口をふさいで、万力のような腕で首をぐいぐい締めあげる。

 しゃーっ。

 荒くれ者は下帯の上から小便を漏らすと、舌を出してぐったりと息絶えた。帯から鍵束を外し蔵を開ける。そっと扉を開け、指を口に当ててしっと言いながら牢に近付いた。静かに子供たちの歓声が上がった。女たちはいない、…別の蔵か。

 子供だけ五十人ほどいる。隠し谷の子はこれで全員だ。その中に三途の姿を見つけ、金牛は手招きした。


「お頭!…お姉は?」

 金牛の顔が一瞬ひきつった。

「別のところで準備してるよ…。」

 初めて嘘をついた。それを隠すように一気にまくしたてる。

「…三途よ、子供たちの中じゃあ、どうやらあんたが一番年嵩だ。風盗賊の一員として、五飛将・美馬の妹として存分の働きをしてくれないかい?」

 三途はこくりと頷いた。

「いい子だ!」

 金牛は、くしゃくしゃつと三途の頭を撫でる。

「いいかい、これからあたしが屋敷中に火をつけて回る。忍びこむとき北側のくぐり戸を開けておいたから、火事騒ぎに紛れてそこから逃げるんだ。外へ出たらすぐ街道だから、筑前の方、北東の山の方へ走れ!後ろは振り返っちゃいけないよ。ただ真っすぐ、みんなで心を一つにして走るんだ。」

 三途はこくりと頷いた。

「金牛の姐御は?」

 別の子が心配そうに聞いた。

 金牛はにっこりと笑う。

「あたしには、まだ野暮用が残ってる。そいつがすんだらすぐ追いかけるさ!安心して走りな!」


(三)

 隠し谷の若い女は二十人ほどいたはずだ。いずれも、体力が無かったり、病気持ちのため風盗賊にはなれなかった女たちだ。再び闇を忍び足で探す。隣の蔵から、鼻をつく酷い匂いが漂ってきた。聞き覚えのある怒鳴り声がする。

「ばか!あほ!この低能の猿どもめ、血に狂いおって!さんざん楽しむのは良しとしても、殺しちまったら銭にならんだろうが…。」

 でっぷり肥った小男が、自分より二回りは大きいならず者を殴りつけている。周りのならず者は、ぽりぽりと申し訳なさそうに頭を掻いている。蔵の戸は開け放たれ、遠目に写る中の闇に、折り重なった白い肉の塊が見える。床には血だまりが出来、ぴくりとも動かないその物体に、命の灯は感じられなかった。


 おそかったか…


 金牛はそっと手を合わせ、再び闇に消えた。


「うん…?おい、この臭いはなんだ?」

「へぇ、血の臭いで…。」

「馬鹿!もっとよく嗅いでみろ…。なんだぁ、いったいこりゃあ?」

 泥亀が動物のように鼻をひくひくさせた。

 なんだろう…甘い臭い…油のような…。


 ぼしゅっ ぼしゅっ ぼしゅっ


 屋敷の中の木々や建物から、一斉に紅蓮の火柱が上がる。

「火事だ!」

 誰かが叫んだ。

「なんだこりゃ、どっかの夜盗が奇襲でもかけてきやがったのか?」

 右往左往する荒くれの中で泥亀が叫んだ。

「餓鬼どもが逃げたぞ!」

 荒くれどもは一斉に声の方へ走った。

「ちぃい!」

 金牛が影から飛び出し、荒くれどもをなぎ倒した。

「へっ!てめえか金牛…。」

 火に照らされた黄金の髪を見ながら泥亀が言う。

「泥亀!金山の穴ん中で暮らすのがお似合いだったろうに…、逃げて出てろくなことはしないね!」

 金牛は、泥亀の名の通り泥にまみれた顔を睨みつけた。

「ふん!この世はしょせん強いもんが勝つ。強いもんは弱いもんを食いもんにして生きるのがこの戦乱の決まりよ!ははん笑っちまうな金牛、義賊義賊って恰好つけてりゃこのざまだ。弱い者の味方だと!踏みつけられて口惜しけりゃ、このおれを食ってみろよ!」

「おおさ!谷のみんなの、女どもの、そして美馬の仇だ!踏みつけられ、しいたげられてきた者たちの怒りってやつを思い知らせてやるよ!」


 泥亀の隣の、巨体の荒くれが舌なめずりをしながら言った。

「泥亀の旦那!この女、がたいはすげえが、なかなかいい女じゃねえか。この身体なら、牢の中の女どものように俺ら全員の相手したくらいじゃ死ぬめえ…。へへ、後で暴れ込んできたあの美人くらいは楽しませてくれんじゃねえか…。なあ、どうせあのがたいじゃ売りもんにゃならねえだろう。たまにゃ俺らも存分に楽しませてくれよ。」

 泥亀は呆れた態で言った。

「別に構わん。どうせ殺さにゃならん女だ。好きにしていいぞ。」

「うっひょー!」

 どん

 金牛に跳びかかった巨体の荒くれは、よだれを流したまま前につんのめった。

 急所を一瞬で握りつぶされ絶命している。

「ふん!とことんやる気か…いいだろう。手前ら相手してやんな!」

 薄笑いを浮かべた荒くれどもが金牛を取り囲んだ。


(四)

「走るんだ!筑前の国境まで…。」

 三途はみんな叱咤した。金牛から筑前の国境に着いたら、すぐ北にある岩屋城に逃げ込むように言われた。

 しかし、小さい子はまだ三歳だ。歩みは思うように進まなかった。

「あそこにいたぞ!」

 後ろから無数の足音が走ってくるのが聞こえる。

 ああ、追いつかれる。どうしたら…。

 走ってきた荒くれ数名が回り込んだ。

 ひとりが薄笑いを浮かべながら言う。

「あーあ、良い子ちゃんたち、どうして逃げるようなまねをしたのかな?こりゃあ、厳しいおしおきが必要だねぇ。」

 息の荒いひとりが、目を血走らせ興奮した様子で言った。

「そうそう、おじさんたちが優しく厳しく、この世の道理ってやつを教えてあげようねえ…。」

 横の一人があきれたように言う。

「お前ら趣味が悪いのもいい加減にしろよ。年端の行かない童をおもちゃにして何が楽しいんだか…。」

 興奮冷めやらぬ一人が言う。

「お前はあの尻の味を知らないんだ。白くてぱんぱんで、年頃の娘っ子より、よっぽどいいもんだぞ!」

「ああ、おれにはわからねえ…もう、勝手にしてくれ。」

「言われなくてもそうするさ!」

 前に回り込んだ二人が下帯を外しだす。

「おいおい、ここでかよ!」

「屋敷に帰ったら泥亀様にしかられちまう。ばれねえようにやんないとよ…。」

 そう言うと、それぞれ女の子と男の子の手を引っ張り叢の中へ連れ込もうとする。引っ張られた子も、取り囲まれた子らも火がついたように泣きだした。

「だいじょうぶ、だーいじょうぶ!痛いのは最初だけだから…。」

「そうだ!この世の極楽をおじさんたちが味あわせてやるぜぇ!」

 よだれを垂らしながら手を引っ張る。

 三途は何とかしなきゃと思ったが、恐怖で身体が動かない。


 姐御…金牛の姐御、助けて!


「おい、ちょっと待て!!」

「なんだぁ、いいとこに…。」

「何か…聞こえねえか…。」

「あん…?」

 どどどどどどど…

 闇の中を北東の方向から何かが迫ってくる。

 荒くれの一人が、地面に耳をつけて言った。

「こりゃ、馬だな。…少なくとも…数十頭…。」

「おい、ここいらで戦でも始まんのかよ!」

「そんな話は聞いちゃいねえ!」

「とにかく…餓鬼どもをどこか隠さねえと…。」

「いや…まて…、戦じゃねえようだ…。」

 姿が見えた。走ってくるのは裸馬、野生馬の一団である。

「なんでこんなところに…?阿蘇や日向の山の中じゃあるまいし…。」

「怪我するぞ!とにかく、餓鬼どもを道からよけさせろ!」

 荒くれどもは右往左往した。子供たちも悲鳴を上げて左右へ散らばる。

 通り過ぎるかと思われた馬群は、

 荒くれと子供たちのところで一斉に脚を止めた。

 まるで、誰かの指示に従うように。

「!」

 馬群の中央に、ふたつの人影が見える。

「半左衛門様、半左衛門様、つきましただ。起きてくだせえ!」

 徳利を左手に馬の背中で眠りこけていた伊地知半左衛門は、大きく伸びをした。

「なんだ民部…もう着いたのか?」

「今ついてよかったくらいだ!やっと間にあった感じだよ。」

 周囲を見回しながら牛丸民部は言う。

「そうか…。」

 半左衛門は背中を掻きながら槍を片手に馬を降りた。

「てめえ、何者だ!」

 落ち着きを取り戻した荒くれどもが叫ぶ。

 荒くれと子供たちを交互に見比べた半左衛門は、泣いている子供たちに、歯を見せてにっと笑いかけた。そして荒くれどもの方をねめつけるとこう言った。

「お前ら…俺がこの世で何が一番嫌いか知っているか?」

「なんだって!」

「舐めたようなこと言いやがって!」

「相手は一人だ。畳んじまえ!」

三人同時に襲って来る荒くれどもを、瞬時に槍で叩き伏せた。

「なんだ…。」

「槍の動きが…。」

「見えねえ…。」

半左衛門はゆっくり槍を回しながらこう言った。

「それはな……弱い者いじめだ…。」

ごっと…

つむじ風が巻き起こった。























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