第56話 勝ちをおさめし者
(一)
それは戦いの最中にもかかわらず、その場にいる者が全て目を奪われ、自らの歩みを止めて見入ってしまうような光景だった。
実際にそこにいた者
誾千代も、信胤も、金牛も、昌直も、親次も、鑑康も
誰もが皆
戦うことを忘れ、この荘厳なる絵巻に見入ってしまったのだ。
それはまるで
伝説の神々の戦いのようであった。
ご………っ!!
風を巻いて襲いかかった道雪は、一本二十貫目はある六角棒を軽々と振るい隆信に打ちかかる。
が………っ!!
隆信は真っ直ぐ打ち下ろされる左の六角棒を、横から右手に持った鉄扇で払った。六角棒は真っ二つに折れ、道雪は均衡を失うが、すかさず右の六角棒で激しく地面を叩き、再び宙に舞うと今度は両腕で六角棒を打ち下ろす。隆信も再び鉄扇で払おうとし、六角棒も折れたが今度は鉄扇も砕けてしまった。
「父上!」
地面に叩きつけられた道雪へ飛びかかった隆信は、馬乗りになって両の拳で交互に顔を殴りつける。道雪の顔がみるみる腫れあがり、歯が折れた口からは血が流れた。隆信が血を見て一瞬ニヤリとした隙に、道雪は折れた奥歯を隆信の右目に向けてしゅっと吹き出した。奥歯は強かに隆信の目を打ち、ひるんだ隆信と体を入れ替えた道雪が、今度は拳で何度も殴りつけた。隆信の顔も血ぶくれし、面相がみるみる変わった。
朝始まった戦いが、もはや陽は西に傾きかけている。
凄惨な戦いが、永劫続くかと思われたとき、
戦場に大きく法螺の音が響き渡った。
大勢の人馬の声、甲冑のすれ合う音、無数にはためく旗
その紋どころは三つ撫子、十六菊、一つ柏
秋月、原田、宗像の家紋
いや、そればかりでなく、二里先に控えていたはずの麻生・杉ら含め、筑前国人衆がこちらに向けて行軍してくる。その数、軽く二万を超えよう。
「やっと来たんかいな…。これでわいらの勝ちや。」
ほぼ一日かけた激戦で、敵も味方もボロボロである。
ここに来ての参戦は、勝負を決定づけるものと言っていい。
呆然としている道雪を押しのけ、立ち上がりかけたが、よろけて尻もちをついた隆信が言った。
「ふん…。あ奴らの顔をちゃんと見ぬか。どうやら援軍に駆け付けたわけではないようじゃぞ。」
(二)
並んで座り込んでいる道雪と隆信の前に、騎馬のまま現れたのは秋月種実である。
「我ら筑前国人衆、立花殿と龍造寺殿のこの争いを止め、和議をまとめるためにまかりこしまいた。」
「龍造寺殿やて!御館様と呼ばんかい!」
怒鳴りつける昌直をちらっと見て種実は言葉を続けた。
「我ら筑前に根差す者として、豊後の立花殿、肥前の龍造寺殿が、この地を荒らして争われるは座視できぬ次第。これをもって争いを止め、そっこく自領へお帰りいただきたい。さもなくば…。」
「さもなくば、なんやねん!」
調略をまとめてきた昌直は本当に怒っていた。
こん食わせ者が…ついに正体を表しよったか…。
体力が残っていれば、すぐにでも近寄って切り刻んでくれたいほどであったが。
「我ら筑前国人衆がお相手いたそう。」
隆信が睨みつけた。
「ただで済むと思っているのか…。」
種実は薄く笑って頭を横に振った。
「いいえ、もちろん思っておりませんよ。ただ隆信殿、御存じないのですか?」
ちょうどそのとき、南から早馬が走って来た。
鍋島直茂からの急報である。
「なんやて!」
知らせに顔が蒼くなったのは木下昌直である。
急いで隆信に耳打ちする。
ぎりり…
隆信の歯が鳴った。
蒲池鎮漣裏切り
急報はこれであった。
昨夜、軍を発した鎮漣は
筑後の龍造寺方の城を次々と攻め落としているらしい。
城を盗られるだけではない。
筑後を失うことは、補給路と帰還路を失うこと
即刻滅亡につながりかねない一大事であった。
「これもお前の仕業か?」
隆信は種実を睨みつけて言った。
これは、鎮漣ごとき低能に考えられる陰謀では無かった。
「はてさて、なんのことやら…。」
横顔でうっすら笑いながら種実は言った。
道雪は呆けたように呆然と座り続けていた。
(三)
「和議」は成った。
だが、果たしてこれが和議といえるものなのか?
筑前の大友領は立花山、岩屋、宝満、鷲が岳(およびその支城)のみとされた。
龍造寺家は小田部家の旧領、小田部、荒平、曲淵を得た。
小田部統房は、その母と共に親族・大鶴氏預かりとなった。
そのほかの領地は、筑前国人衆に残された。
筑前国人衆は、昨年龍造寺家に臣従を誓っているので、筑前の大半が龍造寺家のものになったと言えなくはない。
ただ、龍造寺家の誰がそのことを信じるだろう。
筑前は実質的には、大内家や大友家が支配する前の、混沌状態に近くなったのだ。
「ふん!荒平や曲淵など、筑前の中央部のわずかな土地をいくら得ても意味があるものか!肥前とはなれ、管理が難しい支城を三つ得たに過ぎぬ。こんなもの勝ちでも何でもない。これだけの兵を動員してこの結果、負けたに等しいわ!」
隆信は肥前へ引き上げる間じゅう罵り続け、昌直は耳が痛かった。
いやそれ以上に、策士として秋月種実に負けたという屈辱が強い。
あんのぼけ…人を舐めくさって!憶えときや、必ず仕返しするよってにな…
蒲池鎮漣としては、筑後を完全に封鎖し、このさい龍造寺家の息の根を止めてしまいたかった。
しかし、いちはやく情報を仕入れた鍋島直茂ら二万を、どう封鎖するか迷っているうちにまず取り逃がし、隆信の本隊三万弱が通過する際は、それと戦う態勢が整っていなかった。
「脳なしめ…。だが、今回はこれくらい働けばまずまずか…。」
古処山城の天守から南を見つめ、秋月種実は呟いた。
「さて、これからが筑前国人同士の血で血を洗う戦いだ。まずはどの城から攻めとってくれるか…。」
(四)
死力を尽くしたこの戦いの後、道雪は六角棒を使っても立ち上がることが出来ないほど消耗した。
いや、むしろ心配なのは身体より心で
まるで、「ふ抜け」になってしまったように見えた。
気力すら失った感じの道雪を、金牛が担いで立花山まで連れていった。
金牛らは、父を心配する誾千代に一旦別れを告げ、隠し谷へと帰っていった。
「道雪の旦那は大丈夫かねえ…。」
美馬が立花山を振り返りながら言った。
「ま、鍛え方が違うだろう。すぐに回復するさ。身体も…心もな。」
美馬がしみじみと言った。
「負けちまったねえ。」
金牛が鼻の下を掻きながら言った。
「しょうがないだろう。不幸中の幸いは道雪様が所領を失わなかったことさ。その中にある隠し谷も、とりあえずは安心ってこった。」
「おっ!」
美馬が道端の花を摘んだ。
「そうか…今日は。」
「ああ、三途の誕生の日さ。あいつも七歳になるんだ。早いもんさね。」
くんくん…
蝙蝠が鼻をひくつかせた。
「どうかしたのかい。腹でも減ったんだろう!」
美馬の呼びかけに珍しく応じない。
「どうした?」
金牛に蝙蝠は変なにおいがすると言った。
肉の焼けるような
それにしては嫌な…
「そういや、何かこのあたり曇っていないか?」
周囲に薄い煙のようなもやがかかっている。
金牛は、何か不吉なものを感じた。
谷が見える峠に出て、いやな予感が当たったのを知った。
谷からもうもうたる煙が上がっている。
金牛たちは谷に向かって走り出した。
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