第55話 熊と 雷神と

(一)

「こんな…わちゃくちゃやないかい!何のために激しい訓練を積んで来たんや!」

軍師・木下昌直自慢の兵

さらに自慢の龍造寺本軍の縦深陣が、まるで薄い板を重ねた如くはじけ飛ぶ。

中央の道雪隊の突破力もさることながら、右翼の志賀親次、左翼の朽綱鑑康とも凄まじい。

 志賀隊三百の動きは、しなやかで変幻極まりなく、鹿角の前立てを被った親次の降る軍配に併せて、ときに縦長、ときに横広、とくに方円と敵の態勢に併せて瞬時に変化し、攻めどころなく先手先手を取られて、立ち塞がった相手は、何も出来ないまま敗走した。

 朽綱隊三百の動きは、打ち寄せる波にも似て、激しく襲い、素早く引き、守りを固める敵を、まさに侵食する如く削り取る。味方を叱咤する海老頭の兜を被った鑑康の大声が、割れ鐘のように戦場に響き渡った。

 道雪の隊六百は、まさに無人の野を行くがごとく、立ち塞がるものを跳ねとばして進む。白頭巾を被った僧形の道雪は、陣の中央で輿に乗り、時々大筒を放って正面の敵を撃ち倒しながら悠々と進んでいた。

 第二陣の諫早隊、第三陣の深堀隊もあっという間に崩れたち、一刻も経たぬうち、残るは第四、第五陣のみとなっている。


慢心やったんかい…この木下昌直ともあろうもんが…。


あり得ない光景を前に、昌直は氷水を浴びせられたような寒気を感じていた。


とにかく時や、時を稼がなあかん…。


 敗走した第一陣から第三陣が態勢を立て直せば、前に突出した敵を挟み撃ちに出来る。さらに、筑前国人衆に後詰めさせれば包囲の厚みは増す。まだ負けたわけではないのだ。

 昌直は狼煙を上げさすと、敗走した味方に向かって伝令を出した。


(二)

「肥前武士の意地を見せよ!」

第四陣・神代貴蔵の気迫に味方が奮起した。

神代は中央をやや下げた鶴翼の陣形を張り、道雪ら三軍の攻め手を柔らかく受け止めた。敵の動きに逆らわず、最低限の動きで押し引きする。攻めでも守りでもなく、ふわふわと現状にたゆたうような戦術に、道雪らの兵は一瞬戸惑った。そこをすかさず、昌直の指令で立て直しを図った第一陣から第三陣が殺到し、包囲にかかった。

「世間は広い。筑前に聞こえた名前ではないが、龍造寺家にはまだまだ埋もれた戦上手がいるようじゃ。」

 道雪が輿の上で感嘆の声を上げる。

「しかし、寡勢のこちらは囲まれぬように動き続ける分消耗が早い。第五陣に抜けて勝負をつけねば、このままでは、じわじわ兵の数を減らすのみですぞ。」

 馬上で槍を振るいながら、親次が道雪に向かって叫ぶ。

「後ろの囲みが厚くなってきた!抜けるなら今しかないぞ!」

 右へ左へ采配を振るいながら鑑康も叫んだ。

「わかった!」

 輿の上で胡坐をかいた形の道雪は大筒を構え、前方水平方向へずどんと発射した。大筒を見て前方の敵兵が逃げまどう。

「今じゃ!第四陣に穿った穴に目がけ突撃せい!」

 道雪の声に鑑康が応える。

「我らは第四陣の敵を出来るだけ左右に引きつけるのじゃ!」

「おう!」

 親次が単騎で龍造寺軍第四陣に突っ込んだ。

「腕に憶えのある者はかかってまいれ!志賀親次はここにおるぞ!」

 次々と殺到する肥前兵を、槍で突き伏せながら叫ぶ。

「豊後の大鹿じゃ!」

「討ち取って手柄に!」

 龍造寺兵が取り囲もうとするが、親次は巧みに馬を操って脚をとめない。

 左翼の鑑康軍は前方の敵を勢いよく攻めた後でさっと踵を返し、包囲しようとする後ろへ攻めかかった。不意をつかれた後陣の混乱に拘らず、こんどはさっと転回して再び前へ向かう。その姿はまるで渦潮の如し、敵を倒すのではなく、引きつける護り蛙の囮戦術であり、亡くなった友・角隈石宗直伝である。


(三)

「まだか!まだ道雪を討ち取れぬか!」

陣幕の中の隆信は、左手のひらが腫れあがるくらい鉄扇を叩きつけている。

「包囲を徐々に厚くしておりま。化け物でもない限り、やがて疲れて討ち取られまひょ!」

昌直は呑気な感じで応えた。

「筑前国人衆五千はどうした?合図をして一刻は経つぞ!」

「ほんまに…どないしたんでっしゃろ。横着なこっちゃが、見逃しておるかもしれまへんな。も一回あげてみまひょ!」

気楽な感じの軍師に隆信は舌打ちで応えた。

「申し上げます!」

物見が滑り込むように入って来た。

「なんや!」

「立花道雪が…。」

「やっと、やっと討ち取ったか!」

「いえ…。」

「なんや!はよ言え!」

「第四陣を抜けて…。」

「なんやて!」

木下昌直は平伏する物見を突き倒すようにして陣幕から飛び出した。

整然と並ぶ千六百の第五陣の前に、僧形の偉丈夫を乗せた輿を真ん中に、祇園守りの旗が対峙する。その数わずか二百ほど

「ふん!来たか…。」

 後ろからのっそりと隆信が出てきた。

 視線はただ一点、敵中央の墨染の衣を睨んでいる。


「久しいな熊よ…。これは挨拶代わりじゃ。」

 道雪は大筒を構えた。

 視線の先には甲冑もつけぬ平服の巨人がいる。

 ずどん

 筒から硝煙がもわっと上がる。

 必死にしがみつき避けさそうとする昌直を一顧だにせず。

 隆信は、その場を動かず、道雪を睨みつけたまま、頭をひょいと動かした。

 大筒からは放たれた弾は、隆信の頬をかすめて後ろの陣幕を吹き飛ばした。

 立花軍から歓声が上がる。

 隆信の頬から一筋の血が流れた。

 道雪を見つめたまま、

 長い舌を伸ばして血をぺろりと舐めた隆信はニヤリと笑った。

 道雪もその姿を見てにやりと笑う。

 そして目線を外さぬまま、隣に立つ薦野増時に向かってこう言った。

「全軍突撃じゃ!熊を討ち取るのは今ぞ!」


(四)

「第一鉄砲隊、前へ!」

 増時の指示で、ばらばらと前に出た五十の鉄砲隊が片膝を突く。

「盾じゃ!盾を前へ!」

 山本重信が慌てて指示を出した。

「もう遅い!」

 一斉に轟音が上がった。辺りをもうもうたる硝煙が包む。

 盾を手にした龍造寺兵が次々と倒れた。

「第二鉄砲隊、前へ!」

 第二隊は第一隊の前へ出て片膝をついた。

「放て!」

 再び乾いた轟音が響く。

 本陣前の龍造寺兵たちに混乱が見えた。

「今だ、龍造寺本陣目がけて全軍突撃!龍造寺隆信を討ち取るのじゃ!」

 槍隊を先頭に、喚声を上げながら立花軍二百は本陣目がけて突っ込んで行く。

「槍隊前へ!敵の突撃を防ぐのじゃ。殿をお守りせよ!」

 山本重信が親衛隊を必死に立て直した。

 ずどん!!

 道雪の大筒が再び火を噴き、本陣前の親衛隊士二、三名を吹き飛ばした。

 無謀とも思える寡勢での急襲に、第五陣全体での対応は遅れた。

 千六百の兵のうち、立花軍にまともに対応できているのは親衛隊含む中央の五百のみで、残りは混乱の中、右往左往しているに等しかった。道雪が間断なく放つ大筒は、その混乱を激しくさせた一つの理由である。

 混乱を大きくしたもう一つの原因は、立花軍に紛れこんだ風盗賊三十名の活躍である。甲冑をつけぬ女たちが、身軽に戦場を駆け回り馬鹿に出来ぬ損害を与えていった。金牛や蝙蝠は辺り構わず敵兵を殴りつけ、美馬は生足をちらちらさせて男どもを幻惑し、小刀で喉を掻き切って回った。なかでも龍造寺軍を大いに恐れさせたのは…。

「金牛!」

 金牛が背中の刀を外して鞘を持つ、誾千代によって引き抜かれた太刀からは妖しい青い光が舞った。握る束から激痛が伝わる。

「雷斬りの太刀!」

 一振りぶんと振れば、辺りに稲妻がほとばしる。

 ありえない不思議の太刀の存在は、龍造寺軍の心胆を寒からしめた。

「隆信の本陣はそこだ!」

「姫さん!その太刀ならやれる!あんたが熊を倒すんだ!」

 一振りすれば相当の体力が奪われる。振れてあと二、三回か…。

 誾千代は金牛に肩で息をしながら頷いた。

 破壊された陣幕の前に立つ七尺を軽く超える巨人の姿が目に映った。

 水之江以来、忘れもしない。熊だ!

 うぉおおおおおおおお!

 気合いと共に駆けだした。

 熊がこちらを向く。

 おう あのときの娘か…。

 そんな顔でこちらを見ているように思えた。

 杖をついた小男が立ちはだかる。

「なんや!」

 誾千代の後方から飛びかかった金牛が、小男と一緒にごろごろ転がった。

 風盗賊の手下二人・纏と鼫の姉妹が、誾千代を追い抜いて隆信に迫った。

「あっばか!」

 美馬が叫ぶ。

「こいつは拐しの首塊!あたしらの弟や妹の仇なんだ!姐さんにゃ悪いが、あたしらで倒す。」

 纏と鼫は走りながら大刀を抜いた。

 隆信の眉が少し動いた。

 あと二間!

 そこまで迫った二人の前に、小柄な赤い甲冑が立ち塞がった。

「そこをどきな!邪魔すんじゃねぇよ!」

 どしゅ!ばしゃ!

 美馬には、刀がいつ抜かれたかも見えなかった。ただ、血しぶく手下二人の首が宙に舞い上がり、無残に地面に叩きつけられるのを見た。


(五)

おぎん…

仮面の裏で信胤は思った。

戦場であるとか、敵味方であるとかその瞬間は思わなかった。

ただひたすら懐かしく

会えたことがうれしかった。

おぎん…

あたしだ。仙だと仮面を取ってしまいたかった。


「姫さん!気をつけな!そいつは噂の龍造寺の赤武者に違いねえ。」

昌直ともみ合いながら金牛が叫んだ。

「そいつは熊の子で、残忍な剣の手練れだ!戦場で名のある武将が何人もそいつに首をはねられているんだ!」


熊の子

残忍な剣の…


頭がぼうっとした。

誾千代が太刀を振りかぶって斬りつけてきた。

青い稲妻と共に、剣で受け止める。

つ…。

身体が痺れる。気を失うくらいの激痛が走った。


なんだその太刀…。

激痛を避けるため刀で跳ね返した。

跳ねとばされた誾千代が地面に転がる。


あ…

もう立ち上がらないでくれ。


誾千代がよろよろ立ち上がる。


もう来ないでくれ…

でないと…


気合いと共に斬りかかってくる。青い光がほとばしる。


でないと、あたしはお前を殺してしまう。


再び剣で受け止めた。壮絶な痛みが身体に走る。

声も出さずに耐えた。

声を出したら、おぎんにわかってしまう。

熊の子…あたしが残忍な人殺しだとわかってしまう。


「ふん!いつまで茶番を見せおるか…。」

誾千代たちの戦いをつまらなそうに見ていた隆信は、何気なく正面を向いた。

「御館様、危のうござる!」

山本重信の叫び

だだだだだ

輿が猛然と隆信に向かって来る。

「おお!」

隆信は輿の上に道雪を認め、鉄扇を右手に身構えた。

道雪は輿の上で両手に六角棒を握り身構えている。

「!」

残り一間となったとき

道雪は六角棒を支点として隆信目がけ宙に跳び上がった!






























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