第54話 激闘 果てしなく

(一)

「来よりましたでぇ!あの雷。ついに立花山を立ちよりましたわ!やはり筑前国人衆五千を離したのが効きましたな。」

木下昌直が陣幕に飛び込んできた。

もろ肌を出し、汗流れる背中を円城寺信胤に拭わせていた隆信はにやりとした。

「来たか!何千でじゃ?」

「千二百でおま!」

「城兵全部出撃させたのか?」

「いや城にも五百近く残っておるようです…。」

「それならば、どこからか援軍が入ったのか?それとも、百姓町人を無理やり集めたのか?」

「それは今調べさせております…。」

「ふん…。」

隆信は信胤を押しやると、着衣を整えた。

「北東に向けて陣を整えよ!立花道雪最後の出撃だ。盛大に出迎えの準備をしてやろうではないか!」


龍造寺本軍五千は、五段の縦深陣を取った。

第一段は、野戦に長じた西牟田家周率いる六百

第二段は、慎重で堅実な戦をする諫早通孝率いる八百

第三段は、不屈の勇士・深堀大膳率いる千

第四段は、護りの戦では龍造寺一と言われる神代貴蔵率いる千二百

最終第五段は、隆信自ら率いる千六百。近侍の円城寺信胤、江里口藤七、親衛隊長山本重信率いる二百の精鋭もここにいる。

 筑前国人衆五千は、七隈から南へ五里ほど下った森に伏せさせており、予備隊として何かあったら狼煙一発で駆け付ける手はず。

 この布陣は先陣から徐々に盾を厚くし、一点突破を狙って突撃してくるであろう寡勢の立花勢や道雪を十分疲れさせて、最後に隆信が止めを刺すためのものである。筑前国人衆を決戦から外したのは、乱戦を想定して足手まといになる可能性があったからだ。乱戦は何が起きるか分からず、足手まといがいるため、隆信が討ち取られるようなことになっては元も子もない。

「小野鎮幸や由布惟信がおれへんさかい、得意の三鈷杵陣もとれへんのや。あの雷にできるのはせいぜい、嚆矢陣を取っていちかばちか御館様の首を狙うことだけですわ!」

 隆信は応えず、右手の鉄扇をばしばし左手のひらに叩きつけながら、床几に座って北東の空を睨んでいた。


(二)

だん!

敵を見定めた瞬間、信勝の身体は勝手に動いていた。

隠密行動がばれぬよう即座に命を奪う。…それが誰であれ。

戦場で体に染みついている。

背中の刀を抜いて跳びかかり一瞬で斬り下げる…。

敵はあっという間もなく絶命するはずだった。

「!」

分厚い背中が行く手を遮る。

「賢兼、お主…。」

それには答えず、百武賢兼は静かに刀を抜いた。

「わしは龍造寺家侍大将・百武賢兼、…若武者よ、名を聞いておこう。」

統虎も刀を抜いて青眼に構えた。

「高橋…高橋統虎!」

ほう…統虎、統虎というのか…良き名をもらったな。

「そうか…高橋統虎。戦場で出会うたのも何かの縁…。いざ、参る!」

賢兼も刀を青眼に構える。

両者は、もはや遠くなったあの日のように向き合った。


賢兼よ。なぜじゃ…なぜ攻撃しない。

そう思いながらも、信勝は兵に散れと合図を出した。

手はず通り、早急に本丸に火をかけなばならない。

「ぐわっ!」

兵の一人が血しぶいて倒れた。

「弥七郎!」

「若!」

高橋紹運と屋山種速が駆けこんできた。

紹運か…飛んで火にいる夏の虫!

ごっと風が動いた。

「ぬっ!」

き………ん!

激しく金属がぶつかり合い火花が散る。

高橋紹運と成松信勝も刀を抜いて向かい合った。

「しもうた!」

種速が叫んだ。

本丸のあちこちで火の手が上がる。


「申し上げます!」

岩屋攻め本陣の外で物見が呼ばわった。

「何じゃ!」

そう言いながら、眠い目をこすりつつ陣幕から出てきた鍋島直茂は、敵の本丸に炎が上がるのを見た。

「よし!陣太鼓を打ちならせ。全軍、城に向かって突撃じゃ!」


(三)

七隈に向かう大友勢

両脇に翻る朽綱家の三つ巴、志賀家の抱き杏葉の紋を見ながら道雪は、改めて宗運に感心していた。

「黙って豊後を抜けてきたのか?」

そう尋ねる道雪に、悪戯っぽくにっと笑った鑑康はこう言った。

「いんや、殿の直筆の命令書がある。花押もちゃんとあるぞ…。」

そうやって示した書状は、確かに大友義統の直筆で筑前への出陣を命じるものであった。

「よう説得したものじゃ。殿はともかく、あの大殿がよく親次の出兵を許したの…。」

くくく…

親次もたまらぬといった様子で笑いを抑えている。

何じゃ…一体何が…。

そこで急に思い当った。

「ああ…あの糞坊主めか!」

ははは、と鑑康は笑った。

この男、笑うと「豊後の護り蛙」というあだ名の由来がわかる。

「そういえばこの書状…なぜか肥後から届いたがの…。なあ親次、殿の直筆に間違いはない以上、そんな細かいことはどうでも良いの!」

親次も笑って頷いた。

「お主らはまあ、…これは大逆じゃぞ!」

そう言いながら道雪も笑った。

ふっと真顔になって鑑康は言う。

「大友家の長年の宿敵である熊を討ち取るいい機会じゃ。わしらが参加せんでどうする!」

親次が頷く。

「もちろんです。此度こそ、必ずあの熊めの首を!」

圧倒的不利な状況にあってこの会話

なんという男たちだと道雪は思った。

こやつらと一緒に戦えば、必ず熊を討ち取れる。

なぜかそういう確信が、むくむくとわき上がってくる。


「わしもついて行く。」

その流れで誾千代がそう言った時、さしもの道雪も最初は迷った。

「雷神の宿命を受け継ぐ者として、父上と熊の決戦を目に焼き付けておきたい!」

「あたしが姫様を、この命に代えてもお守りするさ!」

金牛もそう言い、誾千代は何を言っても諦めそうにないので、しぶしぶ許した。

誾千代は、金牛とその手下に守られ、軍の後ろを馬でついて来る。


決戦の地・七隈原はもうすぐそこだった。


(四)

朝もやに炎がちらちらと影をつくるなか

見つめ合ったまま、時がどれだけすぎたかわからない。

統虎と賢兼

両者ともに、思いは万感胸に迫るものがあった。

紹運と激しく打ち合いながら信勝が叫ぶ。

「賢兼!なぜ攻撃せぬ!」

よもや本当に、討たれてやる気なのか…?

そう思いつつも、意識は大手門に跳ぶ。

もはや大手門は開け放たれたか?

陣太鼓は先ほど聞こえてきたが

麓の軍はどこまで攻め込んでおるのだ。

目の前の紹運はさすがに強い。

槍…槍さえあれば…。

どちらかと言えば不得手の刀を振るいながら思った。


「敵が見え申した!」

伝令が叫ぶ。

「貝を吹きや!」

昌直の合図で法螺貝が吹かれた。

北東に目を転じれば

ひと塊りになった黒点がどんどん大きくなる。

「旗は?」

隆信が確認した。

「真ん中、祇園守に…右は…これは大友家の抱き杏葉?そして左に…三つ巴!」

物見の驚愕が伝わる。

「朽綱鑑康に…志賀親次でっか…。予測はできましたけんど、我が方にとっては最悪の援兵でんな。こちらも、成松や百武がおらへんのに…。」

軽い口調だが、昌直の緊張は伝わってくる。

「なあに、朽綱も志賀も、いずれは決着をつけねばならぬ相手に違いは無い。あの雷と一緒にここで葬るまでじゃ!」

ぱしっ……!

隆信は、弱気を払うように鉄扇で床几を叩いた。

勢いよく立ちあがると

のっしのっしと陣幕を出た。

「ものどもーっ!」

おうと兵たちが叫ぶ。

「長年の宿敵・立花道雪が迫っておる!豊後の大鹿と護り蛙を連れてな。」

ごくり

兵たちに緊張が走る。

「よいか!うぬたちは熊の兵…この龍造寺隆信が手塩にかけた精兵どもよ。熊の兵は誰にも負けぬ!敵を倒せ、食らい尽くせ!龍造寺の恐ろしさを大友の者どもに見せつけてやれ!」

おう!!!

大風のような轟音が辺りに木霊した。


(五)

「全軍、岩屋へ向けて進撃じゃ!」

馬に跨った直茂が叫ぶ。

ぶうぉおおおおおおお

法螺貝が勇ましく吹かれ、二万の大軍が動き出そうとしたまさにそのとき

「急報!肥前の直房様より急報にござる!!」

直茂の馬の前に伝令が走り込んで遮った。

鍋島直房は、肥前の留守を預かる直茂たちの兄である。

「何事か!」

いらいらした様子の直茂の顔は、伝令の耳打ちを受けて真っ青に変わった。

「なんと…!」

「どうされました?」

小河信俊が馬を寄せた。直茂が今度は信俊に耳打ちする。

「えっ!筑後が…。」

信俊の顔も色を失った。

「とにかく、御館様に急を告げねばならん。」

「城攻めは?」

「それどころではない!」


「!」

麓から聞こえる二度目の法螺貝の音

信勝はそれを信じられぬものとして聞いた。


あれは…引き上げの…


何か想定外の重大事が起こったに相違なかった。

「賢兼!」

百武賢兼も、それはわかったようだ。

「引くか?」

「むろんだ!」

成松信勝は塀に向かって飛び上がった。

賢兼もそれに続いたが、振り返り

「また戦場で…お目にかかろう!」

統虎に向かってそう言うと、塀を乗り越えて消えた。

「殿っ!若っ!」

屋山種速が駆けつけてきた。

「火は…?」

紹運が刀を納めながら聞く。

「全て消し止めました。乱波どももあらかた仕留めました!」

紹運は塀から下、引いて行く大軍を見下ろした。

「何が起こったのでござろう…?」

種速の問いに、黙って首を横に振り、茫然としている統虎に声をかけた。

「知り人か?」

「いえ…。」

統虎は、なぜか熱いものがこみあげるのを感じ、父に後ろを向けた。


そのころ七隈原では、立花軍を真ん中に右に志賀軍、左に朽綱軍の三軍千二百が

龍造寺軍第一陣六百に突撃していた。

まさに鎧袖一触

百戦錬磨の西牟田家周であったが相手が悪すぎた。

兵同士が激突した結果、西牟田勢は風の前の塵芥のように崩れさった。















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