第53話 交錯する秘策

(一)

 七隈にある隆信の本陣には、各所に放った物見によって、曲淵、鷲が岳、岩屋その他の筑前の様子、留守している肥前や筑後の動静が間断なく報告されている。

「曲淵、鷲が岳の様子は?」

「変わりなく、遠巻きにしておるようですわ。どちらも、力攻めの隙を与えんようで…。」

 援軍として入城した道雪の副将・由布惟信、小野鎮幸の指揮能力は攻め守り、攻城野戦、いずれも高く、龍造寺軍では隆信を除くと、鍋島、成松、百武あたりでなければ、とても太刀打ちできない。

「秋月、原田、宗像の各軍はまだ来ぬか?」

「へえ、そろそろ動くと思いま…。」

「鎮漣は動いたか?」

「いまだ…けぶりも見せよらんのですわ。」

「何か妙な考えを起こしておらぬだろうな?」

「ありまへん、ありまへん

「立花山はどうじゃ?」

「こちらも、お通夜並みにしんと静まり返っておりま。」

「兵糧の手配は済んだか?」

「へへ!二、三日うちには届くと思いま!」

 右手に握った鉄扇で、左手のひらを何回も叩いている。

 隆信の癇癖が、またぞろ顔を出しかけているようだ。

 昌直は、話をそらす必要を感じた。

「しかし、あれですな。あの雷親父も意外と度胸のない男でしたな。こちらがわざわざ軍を分け、攻めやすくしてやっているのに乗ってこんとは…。」

 立花山は、岩屋ほどではないにせよ堅固な城である。道雪の戦闘指揮能力は、かの武田信玄も惚れ込んだ折り紙つきのもの、立花山と道雪が一緒のうちは、城の攻略も道雪を倒すことも難しい。なんとか野戦に引っ張り出す必要があった。道雪の野戦指揮能力もずばぬけてはいるが、この日のために兵も将も激しい訓練を繰り返してきたのだ。兵力差も十分にあり、隆信には道雪を倒す十二分な自信があった。しかも敵はなんと、小野鎮幸、由布惟信という道雪の右腕左腕を他城の援軍に向けてしまった。これで野戦無敵の三鈷杵陣は張れないのである。確実に道雪を葬るために、野戦に誘い出すなら今であった。

「あれですわ。やはり筑前国人衆五千が邪魔で仕方ないでんな。ひとつ策を追加しまんが、この際、筑前衆を一旦別の場所に陣を移させまひょ。我が軍五千をむき出しにして、あの雷神の餌にするために…。」

 隆信は頷き、両者は顔を寄せて何事か話しあった。


(二)

 岩屋城下の鍋島本陣、占拠した二つの砦から有馬晴信、筑紫広門も駆け付け、篝火の下で軍議が行われていた。

「このままでは椿ヶ峪、石橋上の両砦の攻略は至難の業だ。やはり、大手門筋ばかりでなく、搦手門筋、砦筋含む三方から攻め上がって圧力をかける定法どおりの戦術を取るべきではないか。」

 有馬晴信が言った。

「それも一理あるが、わしは軍師殿から岩屋攻略の秘策を預かっておる。今しばらく、このままでお願いできぬか…。」

 直茂はにべもない。

「その秘策とは何じゃ!」

 筑紫広門が怒気をはらんで詰め寄ったが、直茂は冷静に受け流した。

「秘策ゆえ明かせぬ。ご承知置きいただきたい。」

 広門は立ち上がって歩きまわりながら言った。

「岩屋攻め岩屋攻めというて、兵を損じるのは我ら肥前国人衆ばかり…。龍造寺軍は兵を温存しておる。秘策とはこうではないのか…つまり、岩屋を落とす気などさらさらなく、真の目的は筑紫家、有馬家を弱らせ、肥前全土を龍造寺家一家支配とすること!」

 怜悧な直茂は焦るそぶりも見せない。

「たまたまでござるよ。そんなことなぞ考えてはおらぬ。先方を国人衆にお願いするのは、どこの大名家でも同じでござろう。」

 広門は口から泡をとばして詰め寄った。

「この岩屋を本気で攻め落とす気があるのじゃな!それならば明朝は鍋島殿が先陣切って攻められよ!」

 承知したと直茂は応えた。

 どうせ明朝には火の手が上がる。

 難しさ極まる任務だが、あの二人ならやってのけるだろう。

 明朝には、

 岩屋の本丸は燃えだし、椿ヶ峪も石橋上も砦の防備どころではなくなるのだ。


(三)

岩屋城本丸の大広間

紹運、統虎、屋山種速、村山志摩守、福田民部少輔、今村五郎兵衛の六名が揃って軍議が開かれていた。

「敵はなぜ大手門筋からしか攻め上がってこんのでしょうな?常道を外した戦いぶり、鍋島直茂と言えば、龍造寺家きっての戦上手のはずじゃが…。」

五郎兵衛が不思議がった。

「この損害を避けるような戦ぶり…、熊めの手前攻めているだけで、実際は落とす気が無いのではないか。あの伯父甥、決してうまくはいっていないという噂があるし…。」

民部少輔が私見を述べ、志摩守が賛同した。

「しかり、もしかすると先鋒の肥前衆を弱らせることにこそ目的があるのかもしれん。深謀遠慮じゃが、あの熊なら、そこまで考えかねん…。」

年嵩の種速がたしなめた。

「希望的観測は危険ぞ。こうであろうという思い込みは油断につながる。敵の思惑が何であろうと、我らは殿に従い、きちんと防備を巡らせておればよいのじゃ。」


 思いこみ 思いこみ

 統虎は宗運の教えを思い出していた。


 よかな 戦場においては、当り前じゃ。常識じゃということこそ

 疑ってかからにゃいかんばい。


 なんでなら、策ちゅうもんはたい。常識の裏ばかくこつから始まるからばい。

 常識じゃと思うた途端、人はそれ以上考えんくなるったい。

 思い込み、こいが一番怖かね!


 特に敵がな、常識に反するこつば仕掛けてきたときや要注意ばい。

 何でちな、そこに策の絡む可能性が高かからたい。


仮に敵に策があるとして、今回どういう仕掛けが考えられるだろう。

南の大手門筋から攻め、他の道からは攻めない。

守り手はなぜ他の道から攻めぬのだろうと当然考える。

策もそこにあるだろうと思ってしまう。

我らの目をそこに引いて、手薄になる場所とは…?

東、西、そして北…その中で最もあり得ない攻め口は…。


「父上!北の絶壁に兵を配置しておくべきではないでしょうか?」

紹運は意表をつかれた顔をした。

「なぜじゃ?」

種速は微笑みを浮かべ、統虎を窘めた。

「若、いくらなんでもそれは考えんでよかです。北側は、獣もよりつかん百五十間もあるほぼ垂直の岩壁ですぞ。あれを兵が登ってくるとは、いくらなんでも…。」

民部少輔も笑いながら言った。

「仮にあれを登れる者がいても、城に着いたころにはへとへと…。とても戦になんぞなりはしませんて。」

志摩守も、ここは教育のつもりで意見を言った。

「若、限られた兵で守備するには、危険の大小を考えて兵の配置をせにゃなりません。今の危険は大手門筋が第一、次考えられるとすれば搦手門筋か砦筋、ほぼ危険のない北側に兵を裂く余裕はないのです。」

一方的にやり込められる統虎を、人の良い五郎兵衛は庇った。

「若は甲斐宗運様のもとで軍学を修められ、あらゆる危険に気を配れと仰っているのじゃ。ね、若!」

紹運も頷いて言った。

「敵の大将・鍋島直茂は知勇兼備、龍造寺軍名うての名将じゃ。何をしてくるか分からんので、四方八方に気を配って各々防備を怠りなく頼む。」

諸将は頷いたが、統虎はなぜか不安が消えなかった。


(四)

 立花山城に蜊が息を切らして飛び込んできた。

誾千代ほか、すでに立花山城に入っていた金牛、美馬らが出迎え、倒れ込み肩で息をする蜊を、道雪らが待つ本丸へと抱えて連れて行った。

「おお、宗運からの返事か?」

 汗まみれの蜊は、ぜえぜえ息をしながら頷いた。

「書状は?なにも無いのか?」

 蜊は頷くと背筋を伸ばした。

「立花道雪殿に申し上げる!」

 道雪は一瞬ぎょっとした。

「ふむ…口上か。」

 蜊は頷いた。そして、宗運から一字一句間違うなと言われ、何度もそらんじた言葉を思い出し思いだし言った。

「この期に及んで策を求めるなど片腹痛し…。」

「なんじゃと!」

 城戸知正が思わず立ち上がりかけるのを道雪が手で制した。

「そのこつは、おまんも十分わかっちおろう。なのになぜおる(俺)に策など求むっとか?迷いばい。弱気ばい。おまんらしくもなか…。」

 まるで宗運が乗り移ったようであった。

「敵は雲霞のごつある。こるに対しち味方はわずか。そるなのに、敵は軍を分けち、こっち来いと誘っておるごたるちか。そげなこつも関係なか…。」

 増時も道雪同様、興味深げに聞いている。

「こん上は、己が身を刃と化して、乾坤一擲、我が死ぬか、敵が死ぬかの勝負を仕掛けるしかなかばい!心配いらんばい、人間いつか必ず死ぬんだけん。」

 道雪は深く頷いた。

「破れかぶれん突撃も、功を奏した例は歴史に多かばい。敵は謀ったと思っちおろうが、そこに必ず油断が出来っ。この一点こそ勝利の鍵ばい!」

 知正がまるでそこに宗運がいるかのように言った。

「しかし、我が方も小野、由布の二将を欠き、兵こそ千を超えるものの、戦力は半減どころではないのですぞ。」

 蜊は気にせず言葉を続けた。

「おまんのこつじゃ。どうせ鎮幸、惟信の副将二人はよそん応援に行かしとっばいな。こんおるにゃお見通しばい。心配すな、乾坤一擲ん勝負がしやすかごっ、おるが手を打ったばい。もうつくじゃろうが…期待して待っとけ!」

 だだだだだ…

 廊下を激しく走る音がし、使い番が転がり込んできた。

「も、も、大手門に…。」

 「何事じゃ!敵襲か…。」

 知正の問いに使い番は頭を横に振った。

「大手門に志賀親次様、朽綱鑑康様、それぞれ三百の兵を引き連れお出ででございます!」


(五)

岩屋城早朝

まだ薄暗い本丸奥、北側の城壁に手がかかった。

ぐいと身体を引き上げる黒い影が次々と城に降り立つ。

「何人だ?」

声を落として信勝が尋ねた。

「二十名弱か…谷底に大分落ちて行ったな。」

賢兼が崖下に向かって手を合わす。

「動けるか?」

信勝が肩を回しながら尋ねた。

「さすがにきつかったが何とかな。お主らはどうだ?」

岩に鉄楔を打ち込みながら、一日以上かけて徐々に上がって来た兵たちは、さすがに息が上がっていたが一斉に頷いた。みな崖を登るために甲冑はもちろんつけず、大刀一本を背中にしょっている。

「この人数でも、城に火をつけ混乱に乗じて大手門を開くのには十分だ。明るくなる前にさっそくかかるぞ!」

信勝の呼びかけで、龍造寺兵たちが四方に散ろうとしたその時

「何者だ!」

鋭い一喝がとんだ。

この絶壁を警戒する者がいたとは!

賢兼も信勝も刀に手をかけた。

「……!」

「!!」

高橋統虎と百武賢兼

戦場で初めて顔を合わせた瞬間であった。



















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