第52話 岩屋城の戦い
(一)
隆信の怒りは収まらない。
陣幕の中で槍を束ねてへし折り、盾を十は並べて踏み割り、それでも収まらぬようで、鉄扇で外の松の木を粉々に砕いた。
「御館様、お気持ちはわかりまんが、物に当たるのんもええ加減にしなはれ!」
見かねた木下昌直が諌めた。
「わかるじゃと…。」
隆信の目がきらりと光った。
「言うてみい…わしの何がわかると言うのじゃ!」
怒りの顔も露わに、ずんずんとこちらへやってくる。
小姓や子供たち、いや武将たちですら怖れおののいたことであろうが、修羅場をくぐってきた昌直は平気な顔をしている。そして、この態度が不思議と隆信を落ち着かすのだ。
隆信はふうと一息つくと床几に深く座った。
「敵も「かかし」やおへん。よう頑張っとるちゅうとこでっしゃろ。問題は力攻めを兵糧攻めに切り替えたところの、わてらの兵糧ですわ。筑前五千のお味方衆の兵糧も賄わねばなりませんしな。」
この時代、助成で参軍した味方の兵糧は、助けられた方が手配することになっている。
「兵糧はいかほど携えてきたのじゃ?」
「今回は、迅速な侵略を第一にするため、岩屋攻略軍含め、最低限の十日分だけ持ってきておりま。お味方衆分も考えますと、残りは六日分ほどでっしゃろ。」
「肥前から取り寄せねばならぬの…。」
「はは、昨年大戦はしとりませんよってに、兵糧は山ほどありますわ。さっそく水之江に早馬を送り、とりあえず一月分手配しましょ。」
兵糧は肥前から筑後を通り筑前へと運ぶ補給路を通って来ることになる。
隆信は顎に手をつけてしばらく考えていたが、おもむろにこう切り出した。
「直茂に岩屋は力攻めで落とせと指示してあるな?」
「へい、わての考えた秘策がありますよってに…。」
「ならば岩屋攻めの軍へは兵糧の手配は良い。代わりに書状を送れ。」
「うへっ…。それはどのような?」
隆信は昌直を手招きし、鉄扇を開いて口元を隠し、悪い顔をしながらうんうん頷く軍師に何事か指示を下した。
(二)
四王寺山の中腹にある山城・岩屋城は南側に開け、他の峰からの侵入は東西に設けられた空堀で防ぐ。北側は断崖絶壁で鹿すらも登れない天然の要害である。
南からの攻め口は主に三つある。
ひとつ目は、麓にある慈悲門寺参道に連結する大手門へと至る道。ここは高橋軍が出撃する際の道路でもある大きめな通りで、大軍でも比較的展開しやすい。
守りはというと、慈悲門寺の下に第一砦、寺の西に第二砦があり、まず二段階の防御が施されている。そこを抜けるとくねくね道の上に椿ヶ峪砦、石橋上砦が待っており、道を行く間に相当の矢の雨に会う覚悟が必要である。そこも抜けると大きく東へ曲がって山王宮に突き当たる。宮から山頂へ向かって真っすぐ上がれば大手門だが、大手門横には水門口があり、門を突破された場合は上の龍神池の水が、真っ直ぐの下り坂に大量に押し寄せることになる。龍神池に突き当たり東に向かえば二の丸、三の丸の挟み撃ち、西に向かえば東砦、本丸、せり上がった馬場が鶴翼に開いて迎え撃つ。
二つ目は椿ヶ峪砦に向かう岩場の西側の急こう配で、当然に砦からの攻撃を一方的に受ける。
三つ目は東側の森を抜ける道で、森には伏兵を隠せる小塁がいくつも設けられ、森を抜けると開けた岩場に出るが、その上の西側三の丸から狙い撃ちしやすい作りになっており、東には手のくぼりと呼ばれる塹壕がいくつも掘られ、これは登って来た者からは見えないので、伏兵を置いて敵を追い落とすに格好の場所である。そこを抜けると空堀の先に搦手門が待っている。
外側がそれほど堅固な造り故、内の本丸から三の丸は二層構造の簡素な造りで、それ単独で殆ど防御能力は無く、本丸下まで敵が押し寄せることは即ち落城を意味していた。
総勢千の高橋勢の配置であるが、まず第一砦、第二砦にそれぞれ百の兵を配し、今村五郎兵衛が指揮を執る。同じように椿ヶ峪砦、石橋上砦にもそれぞれ百ずつ、村山志摩守が率いている。搦手門は三の丸の福田民部少輔が百の兵で守り、岩屋城代・屋山種速は本丸に三百の兵と共に、紹運は統虎を引き連れ二百の兵を指揮して二の丸にいた。城の帰趨を制する大手門の守りは二の丸が担当するからである。
ちなみに、高橋家六重臣のうち北原鎮久、伊藤惣右衛門はそれぞれの城を守っている。
(三)
そびえ立つ岩屋城を見上げて鍋島直茂は言った。
「自分が攻略の責を負うとなると、あらためてこの城の堅固さが目立つのう…。」
小河信俊、鍋島(龍造寺)康房の二人の弟が、呑気そうな兄の言に噛みついた。
「兄者、御館様からこのようなただならぬ書面が来ておるのじゃぞ。のんびりしている場合ではあるまい。」
それは三日のうちに岩屋城を攻略できねば、直茂の首を差し出せというなんとも理不尽な書状だった。
「兵糧攻めはだめだと言うのだろう。御館様らしいわ…。」
相変わらずわしには厳しいことだ。凡くらの子らには甘いがな…。
直茂は今山合戦はじめ、隆信の理不尽な要求を数々こなしてきた。その理不尽さも近年ますます程度を上げている。伯父はおそらく、このわしが邪魔なのじゃろう。凡なる息子たちと比較して、せっかく大きくした龍造寺家が、いずれこのわしに乗っ取られるのではとひやひやしておるのじゃろう。
「その予想…当たりじゃがな…。」
「えっ?」
思わず口にした独り言を信俊に問いなおされ、直茂は何でもないとごまかした。
理不尽な要求でも何とかせねばならぬ。伯父のようにどんな非情なことでもしよう。伯父に命を取られぬように…。龍造寺を我が手にするまでは…。
さいわい、龍造寺の凡くら三兄弟と異なり、直茂を補佐する弟たちは知勇兼備、誰もが認める優秀さを持っていた。
直茂は、龍造寺長信はじめ筑紫広門、有馬晴信など岩屋攻めの諸将を招集した。大軍で城を力攻めにする場合、効率を考えて軍を分けるのが常道だが、直茂は他の二道を捨て全軍で慈悲門寺から攻め上がる戦略をとった。これは一点に圧力を強め一気に城を攻略する方法で、平城など防御の薄い城には取られるが、堅固な山城には取られない策である。攻めを集中することは、敵も防御に集中しやすくなり、堅固な城がますます堅固さを増すからである。
先鋒を命じられた筑紫広門、有馬晴信はこの無謀な策に反対したが、直茂は隆信から全権を預かっていると言い聞く耳を持たなかった。
直茂の合図で総攻撃開始の法螺が吹かれた。
筑紫勢、有馬勢ら先鋒が進軍した後、直茂は密かに百武賢兼、成松信勝の二将を呼んだ。軍師・木下昌直の策を実行に移すためである。二将は改めて策を確認すると、選び抜かれた屈強な武者五十名と共にいずこへか消えた。
(四)
慈悲門寺周辺の二つの砦で、ついに戦闘は始まった。
まず悪源太の異名を持つ勇将・広門率いる筑紫勢二千が火のような激しさで柵が巡らされた砦に攻めかかる。これに対して守将・今村五郎兵衛は、水のように冷静に防御の指揮を執った。各砦百の兵を五十ずつに分け、まず柵から五十が矢を放ち、それでも倒れずに突っ込んで来る敵を、素早く変わった槍隊五十が柵越しに突いた。広いとはいえ所詮山道、一度にはせいぜい二百名ほどしか各砦を攻めることはできない。二倍程度の差では圧倒的に守りが優位である。被害が徐々にひどくなった筑紫勢が後退し、今度は有馬勢五千が攻めかかる。この繰り返しで、最初は優位に戦っていた防御側に半日近くたって疲労がたまり、徐々に討たれる兵が多くなってきた。
「敵は最後のあがきじゃ。一気にうちかかれ!」
広門が吠え、筑紫勢の攻撃が激しくなった。
そのころ、五郎兵衛は紹運の指示を思い出していた。
「半分まで粘るな。被害が四割を超えそうなら撤退じゃ。」
五郎兵衛は各砦に、敵の攻勢を全力で押し返すよう指示を出した。
その後、相手が引いた瞬間に砦を放棄して上へ走れと。
「ぬっ!」
広門が身構えた。
太鼓が打ち鳴らされ、砦から雨のように矢が降り注いで来る。
「死兵にでもなったか…?焼けくその反撃に付き合うことは無い。距離を取れ!」
晴信の指示で兵が少し後退し、あわせて筑紫勢も少し下がった。
「今じゃ!」
その瞬間、各砦から脱兎の如く兵が走り出た。一目散に山道を上がって行く。
「逃がすな!追え追え!!あの将を討ち取れ!」
巴紋の前立てをつけた五郎兵衛は、殿に立って追いつく敵を斬り伏せ、兵を逃がしながら後退している。
寺の鎮護たる森を抜け、灌木がまばらに茂る岩場に出た。ここから上へはくねくねした道が続く。走って逃げる今村五郎兵衛を追いかけ、筑紫軍も岩場に差し掛かった。中空にある陽光が暗がりから出た目を刺す。思わずかざした手に、無数の影が映った。
「な……?!」
しゃしゃしゃしゃしゃしゃ
矢が中空から降り注いだ。逃げる兵を追うのに夢中で、不意をつかれた筑紫の兵は矢に貫かれ次々と倒れていく。
「射て射て!五郎兵衛を死なすな!」
岩場の突堤に石垣で補強した椿ヶ峪砦から村山志摩守が叫ぶ。道から見てはるか高所のこの砦では、長弓兵を思う存分活躍させられる。一段上の石橋上砦含め、二百の弓から間断なく放たれる矢が寄せ手を次々と倒していった。
「こちらも矢を放て!」
広門が命じたが、坂の角度に加えてせり上がった砦の高さでは、いくら下から射ても届くものではない。
「引け引け!」
筑紫勢がいったん後退し有馬勢に代わった。
晴信は自慢の鉄砲隊百で射撃を試みたが、弾は石垣を一分砕くのみだった。
攻めあぐねているうちに日が落ち、寄せ手は攻め取った慈悲門寺の砦まで一旦後退した。
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