第51話 鷲が岳城の戦い

(一)

「申し訳ございませぬ!」

平伏する薦野増時に、道雪は勝敗は時の運だというようなことを言った。

「兵もせっかくの鉄砲も約半数を失ってしまい申した。もう少し、私に戦局を見極める力があれば…。」

「しかたなし。戦術の全責任はわしにある。ようやった…。」

道雪は龍造寺政家の軍の行方を尋ねた。

「荒平城を落城させた勢いそのまま、百で守る隣の小田部城を半日で落とし、小田部氏の本拠地・曲淵に向かった様子にございます。」

 小田部氏支配三城のうち残された曲淵城は、嫡子の九郎統興が道魁と共に討ち死にしたため、次男の小田部十郎統房が、母の小田部御料人と共に三百の手兵で守っている。

「小田部勢は主君と九郎殿の復讐に燃えているそうでござる。とくに裏切った大教坊兼光への怒りは相当なもの。しかし、十郎殿は元服したばかり、初陣もまだのはずでござる。龍造寺の大軍を相手にどこまで戦えましょうか…。」

増時の懸念に道雪は即座に応えた。

「曲淵には、既に由布惟信に二百を率いさせ援軍として赴かせておる。敵が城に着く前に十分間に合うはずじゃ。」

「おお、惟信殿が行かれたなら、曲淵の峻険を十分生かした戦いをなさりましょう。万の兵でも簡単には落とせますまい。と、なりますと…残る鷲が岳城へも?」

「うむ…小野鎮幸に百の騎兵を与えて向かわせておる。」

「向かっている龍造寺軍を率いるのは、武勇に優れた熊の二男、三男と聞きましたが…。」

「体格は父ほどではないが、共に六尺をゆうに超える偉丈夫らしいな。蛮勇では聞こえておるが、二人共に少し知恵の足らぬ粗忽な面があるらしい。まぁ熊めのことだ。そこはぬかりなく、かけひきに長けた老練な将を補助で付けているじゃろうがな。」


(二)

 道雪の読み通り、鷲が岳城攻略軍の大将・江上家種には、隆信の信頼厚い老将・鹿江兼明が、副将・後藤家信には経験豊富で慎重な重臣・太田兵衛が補佐としてついていた。家種は二十歳、家信は十七歳だが、戦場の経験は嫡子の政家より多かった。さらに、歳の近いこの弟二人は、体格も気質もよく似かよって幼いころから仲が良く、体格が劣る年の離れた陰湿な兄とは日頃から仲が悪かった。隆信が武勇自慢の息子二人を早々に養子に出したのは、自分がいなくなってからの家督相続争いを懸念したからに他ならない。

 家種、家信のところには、荒平、小田部の二城が兄の手によって早々に攻略された一報は入っている。このことは弟二人をいきり立たせた。

「鷲が岳城が如き、一息に踏みつぶしてくれん!」

 江上家種のこの言葉は、いけすかぬ兄に対するむき出しの対抗意識の表れであった。

 さて、鷲が岳城にも荒平城落つ、小田部道魁死すの報は入っていて、曲淵城同様に復讐の気炎が上がっていた。なぜなら、道魁は大鶴氏から養子に入った者、つまりは一族であったからである。

「道魁の仇は取る。刺し違えてでも龍造寺隆信は倒す!まずは息子たちを血祭りじゃ!」

 援兵で入った小野鎮幸に、大鶴鎮正は目を怒らせながら言った。

 鷲が岳城は、荒平城が立つ荒平山とは比べ物にならぬ峻険な鷲が岳の山上にある。攻め上がる道のうち、大手門に至る西側の道は、森の中の見通しの悪いくねくねした小道で、大軍が一気に攻め上がれぬよう設計されている。この森の中は伏兵を隠すに絶好の場所であり、城内から通じる秘密の抜け道が数多く設けてあった。

 搦手門への東側の道は獣道に近い険しさで、急角度の岩場を登って行く設計であり、寄せ手は城内に設けられた曲輪や矢倉から放たれる矢の良い的になりかねない。

「これは厄介ですぞ…。」

 老将・鹿江兼明は用心を促したが、兄に負けたくない家種、家信は聞く耳を持たなかった。

「荒平は丸二日で落ちたそうじゃ。それならば、この鷲が岳は一日で落とせ!」

 家種五千は西側大手門を、家信五千は東側搦手門を担当し、号令一下火の出るような勢いで攻め上がった。この正攻法というか、何の工夫もない攻め方に大鶴勢は慣れ切っていた。東西の曲輪や矢倉から下に向かって矢の雨を降らす。その激しさに東の岩場ではばたばたと兵が倒れ、西の森からはなかなか上に攻め上がれなかった。

「ええーぃ!情けないぞ!わしに続け!!」

 家種が槍をひっつかんで駆けだそうとするのを、鹿江兼明が必死に抑えた。そのとき、兵の一角が崩れ立つのが見えた。

「伏兵じゃ!」

「慌てるな、敵は小勢じゃぞ!」

「逃げるな!戦え!」

 様々な声が飛ぶ中、伏兵が掲げた旗は江上勢の混乱を更に大きくした。

 立花家の祇園守と小野家の梶の葉の紋

「敵は小野鎮幸じゃ!!」

「日の本七槍じゃ!!!油断すな!」

 誰かが叫び、江上勢の恐慌はさらに激しくなった。

 鎮幸は木漏れ日に満月の前立てをきらめかせつつ、槍一本を手に敵の中へ突撃していく。

 りゃりゃりゃりゃりゃ

 掛け声と共に目にもとまらぬ勢いで繰り出される槍に、ばたばたと江上勢は倒れていった。

 鎮幸に続く手勢も白兵戦に慣れた者ばかりで、わずか百人で圧倒的多数の敵をぐんぐん追い落としていった。

「若、この地は敵に分がありすぎ申す。一旦麓までお引き下されい!」

 鹿江兼明の忠言に家種は首を振った。

「たかが百ほどの小勢を恐れて退却したとあらば部門の名折れ!父上に顔向けできん。わしはここを動かぬぞ!」

 兼明は声を怒らせて言った。

「若は勝手になされ!小野鎮幸の槍にでもかかるがよいわ!したが、隆信公からお預かりした兵たちは無駄に損じるわけには参りませぬぞ!」

 隆信の名は家種に冷水をぶっかけるような効果があった。家種はしぶしぶ退却の命を下し、急坂を攻めあぐねていた東側含め、龍造寺軍は麓まで一旦退却した。


(三)

 所変わって柳川城では、家老の蒲池鎮久が、なかなか腰を上げぬ主君・鎮漣を諌めていた。

「殿、鍋島直茂殿から、はや三度目の督促ですぞ。我が軍が合流せぬゆえ岩屋攻めを始められぬと…。このままでは責任問題となりましょうぞ。今回の戦、筑前の味方は立花、高橋、小田部、大鶴の四家七千のみ。一方で龍造寺軍は国人勢力併せて少なくとも五万。しかも先年と異なり寄せ集めの大軍ではなく、隆信公のもとに束ねられておりまする。たとえ超絶的な武を誇る道雪、紹運あったとしても、大友家にはとても勝ち目はないと存ずる。早う軍を出して岩屋攻めに合流せねば、龍造寺軍は返す刀でこの柳川を攻めて参りましょう。」

 鎮漣は暗い目で鎮久を見上げて言った。

「兄者、そんなことはわかっておる。わかっておるのじゃ!」

 兄と言われた鎮久は口調を変えた。

「わかっているなら鎮漣よ、主君としてとるべき道を決断せねばならん。迷うておる場合ではないぞ…。」

 鎮漣は兄から視線をそらして呟いた。

「いま考えておる。もう少し…もう少しだけ待ってくれ!」

「何を考えることがある…。」

 そう言いかけて、鎮久は「はっ」とした。

「まさか…鎮漣、まさかお主…。」

 鎮漣は、再び暗い目で兄を見つめた。

「このままいっても、蒲池は龍造寺の家臣にしかならぬ…。」

「そうじゃが…どうしようというのじゃ…。いった…。」

 鎮久も思いいたった。

 もし我が家が龍造寺から離反するなら、

 隆信が筑前に全力を注いでいる今がその機会かもしれぬ。

 いま手薄となっている筑後の龍造寺方の各城を攻め取ってしまえば…。

 だが、仮にそうだとしても、我が家単独で離反するには危険度が高すぎる。

「味方か…。味方はおるのじゃ、思いもよらぬような味方が…。」

 鎮久は危ぶんだ。

 この武勇一辺倒の弟は、何者かに謀られているのではないのか?


(四)

 そのころ、曲淵を攻めた政家も敵の手痛い反撃に会っていた。

 曲淵が荒平、小田部の二城とは比較にならぬ堅城であったことと、二城を数日で落城させたことで龍造寺軍が慢心しきっていたこと。主君の復讐に燃える小田部勢の士気は高く、由布惟信の指揮は名人の名を汚さぬものであったことが主な理由である。勢いに任せて力押しに出た龍造寺軍は、数百の犠牲を出して引き下がるしかなかった。翌日も攻め手を見いだせず、犠牲を恐れた政家は父の指示に反する安全策をとった。兵糧攻めである。

それは鷲が岳城攻めも同じことだった。数度力押しして犠牲を出すのみの江上・後藤連合軍は、しかたなく麓を包囲した。

「脳なしどもが…!」

後にこれを知った隆信は、そう言って烈火のごとく怒ったという。







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