第50話 荒平城の戦い

(一)

 若杉山の峠に立つと、筑前平野が一望できる。博多や門司やら肥前のそれとは比べようもなく発展した町々がここからでも分かった。隆信は峠で一旦軍を止め、壮丁六人がかりで担いでいる輿から降りると、崖から眼下を一望し、おもむろに袴をずらすと崖下に向かって小便をした。隆信にとって国境以外の初めての筑前に、隆信流の挨拶をしたのかもしれなかった。小便が終わった隆信は後ろを振り返ると兵たちに言った。

「ここに肥前とは比べものにならぬ豊穣の地がある。さあ熊の将たちよ、攻め取れば領地は切り取り次第じゃ。そして熊の兵たちよ、奪え犯せ暴れまわれ!龍造寺の軍が来るとはこういうことじゃと、筑前の隅々まで思い知らせよ!」

 巨獣の叫びのような鬨の声が若杉山じゅうに響き渡った。

隆信は輿に乗ると軍配代わりの鉄扇を振った。

それを合図に、龍造寺軍二万五千は山麓目がけて駆けだしていった。


「抱き杏葉の旗が若杉山から現れました!その数、二万を超えると思われます。」

 立花山城とほぼ同時に、同じ報告が筑前の国人たちに走った。

 いまや少数派となった大友方の国人である小田部道魁、大鶴鎮正は急ぎ兵を招集して自城の守りを固めた。

 その他、表面上は再び大友家に臣従を誓った国人たちの対応は様々である。とりあえず静観を決め込む者、急ぎ兵を集め龍造寺軍に合流しようとする者が殆どを占める中、隆信が本陣を構えた七隈原に近い居城・荒平城に三百の兵を入れ、防備を進めていた道魁のもとに意外な人物が援軍として訪れた。

 昨年、秋月方として大友家に敵対した大教坊兼光が、二百の兵を率いて駆け付けたのだ。武勇名高い大教坊の加勢に、道魁はとまどいながらも感謝の意思を示した。

「いやいや、あの熊めに筑前を好きにさせるわけにはまいらん。昨年は筑前衆として立ちましたが、肥前の者どもとはわしは相容れぬ!」

 この言葉をすっかり信用した道魁は、西の室見川から水の手を引きこんだ要地・搦手門に隣接する二の丸の防備を大教坊に委ねた。

 

 一方で、やはり七隈に近い高祖山城の原田隆種は、周囲の見方と異なり不気味な沈黙を保っていた。さすがに、本陣陣幕内で猜疑心深い隆信が昌直に尋ねた。

「おい、秋月、原田、宗像の三軍がまだ着陣せぬが?」

 昌直は胸を叩いて言った。

「大丈夫でおま!あの三家に限って大友方につくことは、天地がひっくりかえってもありまへん!」

 頷いた隆信は軍議を招集し、まず南西三里の室見川沿いにある小田部氏の荒平城と、南に五里下った山中にある大鶴氏の鷲が岳城を同時に攻めることを決定した。


(二)

 七隈から見て北東にある立花山城

誾千代が若杉山から戻ったとき

道雪はひっきりなしに物見を放って、龍造寺軍の情報を収集していた。

立花山に集められた兵は二千

今年はそれに二百丁の鉄砲も加わった。

 それでも、龍造寺軍二万五千、その味方に駆け付けた筑前国人・麻生、杉らを加えて約三万の兵に比すれば十五分の一以下である。豊後、豊前からの援軍は期待できず、筑前の味方は高橋紹運、小田部道魁、大鶴鎮正の三名であるが、紹運も二万の敵に囲まれ、小田部、大鶴は、まず龍造寺軍の標的となっている。

 つまり、大友側で比較的自由に動けるのは道雪の軍のみであり、その数はわずか二千に過ぎないのだ。将棋に喩えると、こちらは飛車、角と歩兵二枚で筑前と言う王を守り、敵は数えきれない駒を持ち圧倒的に有利な情勢である。とるべき戦術は大まかに言うと二つ。籠城か野戦かである。立花山に籠っての野戦は、圧倒的な数の敵と互角に戦う方法ではあるが、小田部、大鶴、場合によっては紹運をも見捨ててしまう可能性がある。かといって、野戦に持ち込むには、龍造寺軍が精強であることも考えると兵力差がありすぎる。熊を相手にする戦は、昨年の筑前国人衆を相手にした戦とはわけが違うのだ。それは紹運も同じことだろう。

 放っておいて大丈夫と信頼できるのは紹運のみと考えると、ことは小田部、大鶴を見捨てるか否かの問題となる。しかし、この圧倒的に不利な状況でも大友家に忠誠を尽くしてくれる国人を見捨てることは忍びない。

 どこかの段階で野戦に踏み切るしかないが、機を見損なうと自らの滅びにつながる。道雪はこれまでにない難しい選択を迫られていた。


「お誾!」

 突如、道雪が誾千代を呼んだ。

「たしか、風盗賊に凄まじく足の速いのがいたな…。」

 蜊のことだろう…誾千代は頷いた。

「あやつには悪いが、困ったときの宗運頼みだ。あの糞坊主にこの書状を届けさせてくれぬか…。」


(三)

隆信は軍を三つに分けた。

一万を嫡男政家が大将、弟信周を副将として荒平城攻略に向かう。

一万を次男江上家種が大将、三男後藤家信を副将として鷲が岳城攻略に向かう。

隆信自身は、国人含めた一万でここ七隈に滞在する。

 今年で五十一になる隆信は、そろそろ家督を息子に譲ろうと考えていたが、今年で二十四になる嫡男は体格に優れず、武勇はからっきしで隆信のような威厳に欠けた。それでも嫡男から降ろさなかったのは、冷酷で策謀好きなところがあったからだ。一方で次男、三男は体格に恵まれ武勇こそ優れていたが、性格的に策謀に向かぬところがあった。一長一短、どちらにも譲る決断が出来ないままこの歳になってしまったが、正直、龍造寺家の行く末が心配になる。特に甥の鍋島直茂が、武勇に長じ、策謀にも政治外交にも耐えうるのでなおのことである。このままでは、いずれ龍造寺は鍋島にとって代わられるのではないかとも感じていた。せめて自分が龍造寺をまとめている間に、できるだけ息子たちに経験を積ませ、熊の子としての目覚めに期待するしかない。そういうことも考えての陣割りである。

「五百で守る城なぞ、ひと思いに呑み込むつもりでかかれ!」

 武勇に自信が無い政家に対する指示はこれだけである。

 隆信強気の裏付けは、嫡男の補助として送った信周である。弟の信周は戦の駆け引きに優れた将として知られていた。

 一方で千の敵が籠る鷲が岳城に向かう共に武勇自慢の息子達にはこう言った。

「どちらが大将、副将に関係なく、互いに競争のつもりで落とせ!」


「熊め、軍を三つに割りよりましたな…。」

城戸知正の呟きに道雪が応えた。

「第一に効率…兵糧のことも考えねばならぬしな。第二にはおそらく…。」

「我が方を誘い出そうという腹ですかな…。」

由布惟信がそう言い、道雪は頷いた。

「熊の奴、軍の錬度に絶対の自信を持っておるのですな…。」

小野鎮幸が窓の外を見ながら言う。筑前国人含む一万で道雪軍を迎えても、十分打ち勝つ自信があるのだろう。

「いかがなさいますか?」

薦野増時が問うた。

「いっそ、我が軍も三つに割るか…。」

道雪の言葉を、家臣皆、思わず本気だろうかと考えたほどだった。


(四)

荒平城は歓喜につつまれていた。

もはや勝ったかのような大騒ぎである。

龍造寺軍一万の到着に先んじ

立花道雪配下・薦野増時が百の鉄砲隊含む二百名で援軍として入城してきたからである。小田部道魁は、増時の手を千切れんばかりに握りしめた。

「立花家中きっての戦上手として知られるおことと、百の鉄砲隊がおれば、文字通り百人力じゃ!」

そう言うと、増時に大手門に隣接する三の丸の防備を委ねた。この戦国の世に、同じ大友方とは言え他家の人間である。増時は道魁の人の良さを危ぶんだ。


 まるで増時が配置に着くのを見計らったかのように、荒平城下に龍造寺軍一万が到着した。政家は信周の助言に従い、定石通り大手門、搦手門に五千ずつを配置し、父の言葉通り、この小城を一気に攻め落とそうと力攻めを指示した。

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

 大手門、搦手門併せて一万の兵は、鬨の声を上げながら勢い込んで山道を上がって行く。

 だだだだだだだだだだだだだだだだだだ

 大手門に殺到した肥前兵たちがばたばたと倒れていく。

 増時は三層の三の丸の窓に各階三十余名の鉄砲兵を配置し、おのおの十名づつ交代で、高所から大手門の敵に向かい間断なく銃撃させた。併せて道魁の家来も大手門横の矢倉から矢を放ったので、攻め寄せた龍造寺勢はみるみる屍の山を築いた。

「敵は小勢じゃ!銃撃何するものぞ、一気に攻め落とせ!!」

 政家は声をからして命令するが、その指示はいたずらに犠牲を増やすだけだった。ついには搦手門担当の信周が馬で駆け付け、政家のこの無謀な攻めを止めさせた。荒平攻め緒戦は、龍造寺勢の一方的な負けで終わった。


 蜊が誾千代の依頼で肥後御船を目指して駆けて行ったあと、すぐに立花山城を目指して引き返した誾千代を追っていこうとする金牛を北斗が止めた。

「姐さん、どこへ行こうっていうんだい。まさか、侍の手助けで戦に出るってんじゃないだろうね?いいかい、この風盗賊は侍に手は貸さない。戦なんかには関わらない。こりゃあ姐さん、あんたが決めたことだよ!」

 金牛は眉を曇らせて苦しげに言った。

「ああ、そうだ。だがね、恩ある姫さんの家が滅ぶかどうかの瀬戸際に、そんなことは言っていられない。あたしは、あたしの出来ることをやってやりたいんだ!」

 北斗は目を剥いて言った。

「姐さん…あんた変わったねぇ。あの義賊金牛はどこいったんだい!侍なんかの手下になり下がりやがって…。」

 金牛は決心したように言った。

「いい機会だ。みんなに聞いておこう。あたしは立花家の庇護で、この隠し谷は成り立っていると思っている。その立花家の危機は救いたいとも思っている。もし、拐しに関与している龍造寺が支配するようになったら、ここも安泰というわけにゃいかないだろうからさ。どうだい…あたしと一緒に立花山城に向かってくれる者はいないかい?」

 ぺっ!

 北斗は金牛に顔を近づけ唾を吐きかけた。

「あんた落ちたねえ…。もはや頭に頂くわけにはいかねえ。おいみんな!こんな奴の言うことなんざ聞く必要ねえぞ!」

 美馬は金牛の方へと歩み寄った。北斗が毒づく。

「へっ!姐さんの腰巾着が!」

「好きに言いな!」

飛天は北斗の方へ行った。

「悪く思わないでおくれ…、あたしも侍は嫌いなんだ。」

続いて紅猿も北斗につく。

「すまねえ…。」

最後に金牛と北斗をきょろきょろ見比べていた蝙蝠は

「天神様の言う通り…っと!」

交互に指差した揚句、金牛の方へとやって来た。

「…五飛将が分かれたね…。長い付き合いもこれまでかい!」

北斗が金牛に向かって吐き捨てた。

「谷を頼む…。」

「言われなくても…守って見せらあ!」

金牛、美馬、蝙蝠、それとその部下三十名は、隠し谷を離れ立花山城へと向かった。


(五)

 夜になって、夜襲を警戒した龍造寺軍は一里ほど後退し、一方の荒平城では勝った勝ったと歓喜の声がこだましていた。気を緩めてはならないので、小田部道魁は兵たちを半分づつ交代で休息させることにした。休息の際は少しばかり酒も出した。

 三の丸で振舞われた酒を飲みながら、薦野増時はある懸念について考えていた。搦手門の防御が何かおかしいのである。大教坊兼光は、兵に間断なく矢を撃たせて敵を寄せ付けなかったが、その矢は敵の足元ばかりを狙い出足をくじくのみに思えた。死体の数から大手門での龍造寺軍の死者は五百名を下らぬが、搦手門の状況から敵は一人も死んでいないのではないか?増時はその疑問を密かに道魁に話したが、人の良い城主は敵の資質であろうと相手にしなかった。つまり、大手門の龍造寺政家と、搦手門の信周の戦の技量の問題であろうと。そうかもしれないが、何か気になった。昨年、大友の敵となった人物なので、先入観に過ぎぬかもしれないとも思ったが、懸念が払しょくできない増時であった。


 そのころ、龍造寺軍の陣屋では、敗北を父から叱責されることを恐れた政家が,いらいらした感じで歩きまわりながら、居並ぶ諸将にどなり散らしていた。

「こんな情けない仕儀になったは、お前たちのせいだぞ!」

「どいつもこいつも不景気な面を並べおって!何か策をだしてみい!」

「いいか…、わしが、わしが、わしがっ!…肥前の熊・龍造寺隆信公の嫡子であるこのわしが!お前らの下手な戦で恥をかかされたのだぞ!」

 諸将が下を向いて黙りこむ中、突然、伝令の武者が入ってきて政家はどきっとした。

「なんじゃ!父上からか…?」

 敗戦に対する何らかの叱責かと恐れた。

「いえ、このようなものが搦手側の矢に括りつけてあったそうです。」

「文のようじゃな…どれ。」

 信周は確認して驚き、すぐさま政家に見せた。

「…罠ではあるまいな?」

「その可能性もありますが…、今の状況と大教坊兼光の人となりを考えますと…。」

「よし、明朝さっそく叔父上が試してくれ…。」

 信周は内心舌打した。冷酷で用心深い性格は兄に似ていると言われるが、信周に言わせるとただ姑息でずるく、思いやりに欠け臆病なだけ、これが君主になったら龍造寺は立ちゆくのか?


(六)

 翌早朝、龍造寺軍は再び荒平城に攻め寄せた。大手門は政家、搦手は信周が大将なのも同じである。

「懲りぬ奴らじゃ!また撃退してやろうず。」

 前日にもまして道魁の鼻息は荒い。

 今日の龍造寺軍は、昨日のようにやみくもに突っ込んでこない。山道をじわじわ登る。だが、それだと鉄砲にせよ弓にせよ、守備する射手に余裕を与えるだけで有効な攻めとは言えない。

「なんじゃ怖じ気づきおって!」

 小田部勢は笑いはやし立てたが、その動きは増時の不安を増大させた。

 

 何かある…何か謀事が…一体なんだ?


「ぎりぎりまで引きよせよ!」

 鉄砲隊に指示を出したが、大手門側の龍造寺は射程に踏み込んでこない。

 二の丸の方へ目をやると、搦手への歩みを敵は止めないようだが、守備側から放たれる矢が大分少なく映った。


 矢倉からのみ、二の丸から全く矢が放たれないではないか…。おかしい。


 そう思っていると、大教坊の手勢がするすると矢倉へ登って行くのが見えた。

 なにをする気だ?

 後ろから忍び寄った大教坊の兵は、脇差で弓手の首を掻き切った。

 矢倉で血が噴き出すのと、搦手門が明け放たれるのは同時だった。

「しまった!」


「ははははは、この大教坊兼光!龍造寺隆信殿への返り忠を示さん!」

 引き入れた五千の龍造寺軍の先頭に立って、槍を振りまわした兼光が本丸目がけて突っ込んで来る。

「おのれ!裏切り者めが!」

小田部道魁が血刀を引っ提げて本丸から走り出た。

憤怒の表情も明らかに、兼光目がけて斬りかかり、二、三合斬り結んだ。


ず…………ん!!!


彼我の実力差には抗えず、甲冑の上から胸を貫かれた道魁は、膝を屈して後ろ向きにどうと倒れた。


うわあああああああああああ


搦手から入城した部隊により大手門も開け放たれ、龍造寺兵が続々と侵入してくる。


「もはや、これまでか…。」

薦野増時は配下に撤退の命令を下した。


荒平城はわずか二日にして、龍造寺軍のもと落城した。






























  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る