第32話 剣豪の里

(一)

 目指す丸目の里は、人吉城を出て球磨川上流の方へ五里ほど西へと進み、支流原田川に差し掛かったら南へと折れ、三里ほど歩いたところにある忠ヶ原という原田川と浜川に挟まれた中州に位置する小さな村である。

 ここの領主である丸目長恵は今年で三十九の壮年。相良家の家臣でありながら、剣聖・上泉信綱の四高弟の一人であり、自らタイ捨流を開き、九州各地に多数の門人をもつ剣豪である。タイ捨流の特徴は、定まった形の無い「無形の剣」であることである。剣術でありながら、足技、投げ技なんでもあり、戦場でいかに勝ち、生き残るかを第一とした実戦剣法である。師である信綱はこれを嫌って「邪道の剣」と呼んだが、長恵はどこ吹く風で、自然と師弟の関係は疎遠となった。


 仙は頼氏と善右衛門に連れられ、貧しげな里へと足を踏み入れた。貧しさの理由は、仙にもなんとなく分かった。川の中州にある割には土が痩せこけ、岩がごろごろした荒れ地であり、作物が良く育たない様子であるからだ。

「この辺の土はシラスを含んでおる。シラスは水はけが良い反面、水持ちが悪い。じゃから、この土地は荒れ果てておるのだ。」

 仙がきょろきょろしているのを察して岡本頼氏が説明した。

「しかし、一目でわかるこの貧しさ。この地の領主殿はどうお考えか。」

 叔父がため息交じりに言うのにも、頼氏は興味なさげに素っ気なく答えた。

「さぁ…、これも一目見ればわかる変わった男ですからの。」

 仙たちは村中央にある大きな屋敷に案内された。

この屋敷、大きいばかりでぼろぼろだ。藁ぶきの大屋根は下から見ても所々穴が開いているのがわかる。漆喰の外壁は所々崩れ、庭は草茫々で虫が飛びまわり野原のようだった。門は開きっぱなしで、家人の姿が見当たらないので、頼氏について勝手に中に入ると、家の中は埃を被っており、壁や天井を覆う黴が原因か所々異臭を放っている。

「これは…長く人が住んでおらんのではないか?」

 善右衛門の問いに、頼氏は頭を横に振った。

 家じゅうをあちこち動き回って探しているようだったが、諦めた様子でこちらへ歩いてきた。

「外出しておるようですな。その辺を探してみましょう。」

 屋敷の横に畑があり、野良着を着た男が作業をしていた。頬被りをし、顔まで泥まみれで雑草を抜いているようだ。場所柄、丸目家の家人であるかもしれなかった。

「おい、卒爾ながらものを尋ねるが…。」

 善右衛門が話しかけるが、件の男は聞こえぬ様子で何度話しても顔も上げない。

「おい!」

 さすがに腹を立てた善右衛門が背中から肩を掴んだ。同時にその身体がぽんと宙に跳ね上がり、どうと畑に叩きつけられた。それを見て頼氏があっという顔をする。

「叔父上、大事ござらぬか?」

「あいててて、どうなっておるのじゃ。」

「本当に…、お師匠、人が悪すぎますぞ!」

男が立ちあがり、頬被りを外して膝の泥をぱっぱと払った。

「何が悪いか。突然、肩を掴む方が悪い。な!」

そう言って、初対面の仙に同意を求めるように、泥で真っ黒な顔で片目をつぶった。

「そうすると、この男、いやお方は…。」

 善右衛門が尻の泥を落としながら立ち上がった。頼氏が助け起こしながら言う。

「そう、このお方こそ、タイ捨流の開祖にして、相良家の剣術指南、丸目蔵人頭長恵様でござる。」


(二)

 親泰は大広間に正座して座っている誾千代を、上座から無遠慮にじろじろと見詰めた。

「ふーん、これが道雪殿の…。まだ幼い娘がおると聞いたことはあるが、はてさて…。お前が道雪殿の子であるという証は無いのか?」

 にわかには信じられないといった様子である。

「子である証なんて!親でも一緒じゃなきゃ無理じゃないか!」

 金牛の怒鳴り声は親泰には聞こえぬ風である。

「証か…。」

 誾千代は、しばらく考え、はっと思いついたように言った。

「目じゃ。わしの目を見よ。」

 言われた親泰は呆気にとられた様子である。

「目じゃと…。面妖なことを申す餓鬼じゃ。」

「餓鬼だと!」

 殴りかかろうとする金牛を手で制して、誾千代は再び言った。

「目を…目を見ればわかるはずじゃ。」

「目…?目なあ…。」

 親泰は頭をかしげながら顔を近づけ、誾千代の目を覗き込んだ。

「どうといって…?…!」

 親泰の顔が一瞬で青くなった。

「殿、殿、どうなさいました?」

 一法師が揺するも、まるで蛇に睨まれた蛙のように親㤗は誾千代の目から視線を離せない。

 汗が滝のように流れた。

 目の奥にあるのは、蛇の舌のようにチロチロと動く光。赤くゆらゆら揺らめいて翩々極まりなく、大きくなったり小さくなったりする。


 この光は見たことがある。

 忘れようもない恐怖と畏怖。

 人でないもの。

 神か魔か。


 二十年ほど昔のこと。肥後征伐に大挙して乗り込んできた大友軍四万に対し、元服間も無い親泰は父・親永と共に一万の菊池一族を率いて立ち塞がった。年若ではあったが、既に「肥後の熊」と呼ばれ、勇猛果敢ぶりが国じゅうに鳴り響いていた親泰は、斎藤鎮実、田北鎮周など大友方の武将を次々と破り、宗麟の本陣目がけて突撃した。

 その眼の前に現れたのが四名の壮丁に担がれた輿である。輿の上には、墨染の衣の上から鎧を纏った僧形の大男が座っていた。

「気をつけよ!あの姿、雷神の化身と言われる立花道雪に違いなし!」

 疾走する馬上からの父の必死の警告も、怖いもの知らずの親泰には響かなかった。

「へっ!噂に聞く脚萎えか…。雷神などっ言われて良か気ぃなっとっばいな!本当の強さちなんか、おるが教えてやっばい!」

 丸太ん棒のような右腕で、握りの太い馬上槍を振りまわしながら、親泰は道雪目がけて突撃した。それ以降のことは、何とも不思議なことだがよく憶えていない。かろうじて、突きつけられた槍を前にした道雪の顔が、一瞬にっと笑ったのは確かに憶えている。

 その瞬間、親泰の身体は地面に激しく叩きつけられた。

 自慢の太槍は真っ二つにへし折れ、地面に突き刺さっている。

 愛馬龍髭は、その黒い巨体を横倒しにし、白い泡を吹いている。

 まるで、全身の筋肉がばらばらにされるような激痛に唸った。

 これは何じゃ。何が起こった。これはまるで…


 話には聞いたことがある。雷に射たれた男の話。それじゃあ…あの話は本当に?

 身体を黒い影が覆った。

 夏の強い逆光で道雪の顔は良く分からなかったが、その眼は忘れようがない。

 赤く暗い光、炎のように二つの光が目の中で揺らめいて見えた。

「降るか…それとも死か?」

 静かな問いに震え上がった親泰は、必死に身体を起こすと、偉大なる神に帰依するように平伏した。


「殿、殿!」

 親泰はやっと身体が揺すられているのに気づいた。全身が汗でびっしょり濡れている。

「わかったか?」

 誾千代の問いに、ぶんぶんと頭を縦に振った。

「わかった!いや恐れ入ったど。その眼は道雪殿と瓜二つ…。間違いなかばい、お主は雷神殿の御子!」

 目を覗いただけで、すっかり変わった主人の態度に、一法師は首をかしげた。


(三)

いやあぁぁぁ!

とぅおぉぉぉ!!

肥前と筑前の国境にある石谷山中で、裂帛の気合が交差する。

木霊する木と木が、かんかんと激しく打ち合う音

半刻程も続いたそれは、前触れもなく静かになった。


「いやぁ、うまい!毎度毎度、この握り飯が楽しみで楽しみで!」

握り飯を両手に持って、ばくばくと食いつく弥七郎を賢兼は眩しそうに見つめた。

「塩のみの素朴な握り飯じゃが…何が違うのか?家で食べるのとは格段の差!やはり、奥方様の料理の腕でしょうか?」

不思議そうに米粒を見つめる顔に、思わず笑みがこぼれる。

「あまり褒めるな。小鶴に聞こえたらいい気になる。」

肩袖を脱いで、手拭で全身の汗を拭っている賢兼を見詰めて弥七郎は更に言葉をつづけた。

「それか…、塩が違うのでしょうか?有明海の塩は別物じゃ、海苔も魚も別格のうまさと噂に聞いています。」

賢兼はニッと笑った。

「そう一瞬で宗旨替えをするものでない。小鶴の立場が無いではないか。」

弥七郎は慌てて、米粒だらけの両掌を顔の前でぶんぶんと振った。

「そんなつもりは…。とにかく、この握り飯は天下逸品です。」

賢兼も地面に腰をおろして握り飯をほおばった。

「うん…確かに旨いな。ところで…」

顔を見つめる弥七郎を見つめ返し、賢兼は神妙な顔になった。

「伯父上は残念じゃったな。」

弥七郎の顔が急に曇った。

「お師匠は伯父をご存知ですか?」

「いや、噂で知った程度じゃ。目立ちはしないが、おそらく大友家中で最強は吉弘鎮信であろうとな。首は島津が返してよこしたのか?」

「いえ、伯父の家人で大谷隼人という者が取り戻してまいりました。」

「島津の陣中からか!忠であるばかりでなく、なかなかの豪の者じゃな。吉弘家にとって大事な家臣じゃ。」

「ところが、その隼人は首を届けると吉弘家を去りました。」

「そりゃまたどうしてじゃ。そこまでの忠義を示しながら。」

「元々は島津勝久の小姓であった者。伯父上が亡くなったのを機に、旧主を訪ねて京へ上るとのことで。」

 大谷隼人のその後について、史書によると勝久に会えたかは不明である。ただその後浪人して全国を渡り歩き、最後は関ヶ原において石田三成の軍に参加し、そこで散ったと伝えられる。


「お主も日向へ、戦場へ行ったとか言っていたの。」

人の良い賢兼は、どんどん暗くなる弥七郎の顔を見て話題を変えようとした。弥七郎が頷く。

「初陣もまだであろうが、戦場へ行ってみてどう思った?」

日向を思い出し、その悔しさが蘇った弥七郎は、歯を食いしばりながら言った。

「早う元服し、初陣したいと思いました。もし、わしが参加していたら、結果は違うたろうとも。」

賢兼は苦笑いした。若いにありがちな慢心だが、初陣も済まぬに大言が過ぎる。師匠としては窘めるべきだろう。

「どう違って、いや、どう勝つつもりじゃった?」

弥七郎から返った答えは意外なものだった。

「勝ちはしません。負けねばよいのです。」

「どういうことじゃ?」

「あの戦いでの島津の兵力は根白坂に一万五千、高城に二千、併せて一万七千でした。一方、我が大友は無鹿の兵を除いても二万八千。根白坂のある丘を城に見立てて、麓を包囲し敵がしびれを切らして下りてくるのを万全の構えで待てばよかった。敵はどう見てもこっちを誘っていたのですから。」

「高城の敵はどうするのだ?」

「うち捨てておけばよろしい。二千の敵が日中単独で攻めてくることはありません。もし攻めるなら夜陰に紛れてか早朝ですが、城を出ねばならぬ以上、警戒を怠らねば意表をつかれることはありません。これは根白坂の敵と気脈を通じていようがいなかろうが同じです。」

 賢兼は目を見張った。戦術として申し分なく、敵味方の分析も確か。しっかりと軍学を習ったわけではないと聞いている。それが本当なら、血筋か天分というべきだ。やはり、立花道雪と並ぶ大友の武の双璧のひとつ、高橋紹雲の嫡子だということだろう。そう思ってあらためて弥七郎を見ると、この短期間で背は自分と並びそうなほどに成長し、顔も体格もしっかりとしてきた。自分が父親なら今年中には元服、初陣さすだろう。そしてその相手は…。

「うむ。」

 賢兼は弥七郎の肩をぽんぽんと叩いた。

「もう剣術はよかろう。三本に一本はわしが負けるくらいになった。もう教えることはなくなった。」

 弥七郎が情けない顔をした。

「そんな顔をするな。お主は高橋家の惣領だぞ。良き将になるには剣だけでなく学ぶことは数多くある。」

「それでは、今度は軍学を教えてくだされ!」

「わしには無理、むしろ苦手な方じゃ。それによく考えてみぃ、わしは龍造寺四天王、お主の父、そしてお主の敵なのだ。」

「そんな…。」

 泣きそうな顔の弥七郎をたまらず賢兼は抱き寄せた。

「これで別れじゃ。楽しかったぞ。次会うときは戦場じゃ。高橋弥七郎がどれほど強き武将となるか、遠くから見守っておる。」


 馬に乗った弥七郎がとぼとぼと峠を下っていく。それを見送りながら呟く百武賢兼の目には光るものがあった。

「さらばじゃ、わが息子よ。良き武将となれよ。」


(四)

「なぜじゃ!なぜわたせぬ。」

 詰め寄る誾千代の燃えるような眼を、極力見ないように努めて親㤗は応えた。

「山で拾うた物は拾い主の物、いけな道雪殿の御子でも、こる(これ)は当たり前ん理ばってん。崩せんばい。」

理屈はどうあれ、せっかくの拾いものを、はいどうぞと渡せるわけがない。法姫を人質とすれば、あの筑後の金狼でも手が出せぬのだ。いや、人質によって言うことをきかせることも可能かもしれない。

「法姫は道に迷うていただけ、それに物ではない!」

「人でん何でん、拾うたことに変わりなかばい。そるにここは菊池が領地、天子様でもほう、菊池ん法に従ってもらうとばい。」

食い下がろうとする誾千代を、金牛がそっと抑えて前に出た。

「その法、猟師の法と同じか?」

 親泰は、あらためて見た金色の髪に少し驚いたようだったが、頷きながら答えた。

「ああ、似たようなもんばい。」

 金牛は親泰の目を睨みつけて言った。

「だったら、奪い盗るのも有りだね。」

 親泰はすこし驚いたようだったが、不敵にも自分を睨んで来る大女を負けずに睨み返した。

「よかよ、盗れるもんなら盗ってみらんね。」

 周りをぐるりと取り囲んだ親泰の郎党たちが刀に手をかけ殺気が渦巻いた。

「あーあぁ、みっともないね。こっちは五人、それも女子ばかりだと言うのに菊池の武士は大勢でかかるのかい!」

 色めき立つ武士たちを、親泰は手で制した。

「ほいなら、どがん奪いとっとね?」

「あんたとあたいの一体一でどうだい?」

 親泰の目が光った。それは怒りゆえだったかもしれない。

「なんちな…、俺(おる)と一体一でな…?」

「そうさ!怖いのかい?」

親泰は郎党どもの手前極めて平静を装いながら言った。

「よか度胸ばい。よかたい、相手してやろうたい!」

ぬっと目の前に立った固太り、六尺七寸の親泰の姿は、五尺九寸の金牛より二回りは大きく見えた。

「得物は何(なん)な?」

「あたいかい?あたいはこれで十分だ。」

 金牛は両の拳を胸の前で打ち合わせた。

「そるなら、おるも素手でよかばい!」

 親泰は大木のような腕で力瘤を作って見せた。


(五)

「そいでな、その熊の子がここに何をしに来たんだい?」

畑の横に座り込んだ長恵は、煙管に煙草を詰めながら聞いた。

「隆信さまからの書状が届いておるはずじゃが…、剣の習得に関して…。」

煙管に火口を近づけ、口の端から煙を吹きながら長恵は善右衛門にぴしゃりと言った。

「爺様にゃ聞いちゃいねえよ。そこの娘っ子に聞いているんだ。」

言われて善右衛門が焦った。男の恰好をさせてある仙が、実は娘だと言うのは龍造寺家中でも秘中の秘、なぜこんな田舎侍が知っているのか。

「どうしてわかったんだと言う顔だな。臭いさ、男と女は臭いが違う。しかも月のものが近いとなりゃあなおさらだ。」

慌てた仙は、自らの下腹部に手を伸ばしかけ、ハッと気づいて手を後ろに組んだ。

「叔父御、これは?」

頼氏が首を捻りながら聞いた。もはや誤魔化せぬと堪忍した善右衛門は地べたに平伏した。

「失礼仕った!確かにこのお方は隆信公の娘御でござるが、わけあって男として生きねばならぬ。そのため是非にでも剣術をご教授いただきたいのじゃ!」

仙も善右衛門の隣に平伏した。

「ふぅーん…。」

ぷかぷかと煙を吐きながら、長恵はじろじろと仙の身体を見回した。

「娘っ子、女を捨てる覚悟はあんのかい?」

仙は顔を上げてじっと長恵を見ながら答えた。

「ありまする。」

「剣術はやったことあるのかい?」

その問いに、仙は首を縦に振った。生まれ育った村では、木刀を拵えて男の子と遊んで育った。血筋のためか、剣も弓もみるみる上達し誰もかなわなかった。

長恵は仙をじろじろ見続け、その後ろに回って煙管で尻のあたりをポンと叩いた。

「きゃっ!!」

 仙の甲高い声に一瞬顔をしかめたが、頷きながら前に歩いてきた。

「悲鳴はいただけんが、筋はしっかりしており、反応も速い。ものになるかもしれんな。」

 それではと前に出掛けた善右衛門を制して、長恵は言った。

「覚悟が無いものに教えても甲斐が無い。怪我をするだけだしな。いろいろ試させてもらうぜえ。」


























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