第29話  すれちがう冬

(一)

 天正七年正月、大友家本拠である府内城大広間には、当主義統に新年の祝賀を述べるために、城主たる家臣、臣従する国人領主たちが集まっていた。各人、座り込んでなにやら話し込む中、一人の若者が立ったまま、周囲を見渡してため息をついていた。六尺軽く超えるすらりとした長身でありながら、女子と見まがう鼻筋の通った上品な顔をしている。熱心な伴天連教徒であり、胸には柘植で作った十字架を掛けている。その美丈夫を喩えて、大友家に縁ある人々はこう呼んだ。


 豊後の大鹿


 志賀親次、大友宗麟の孫(娘の子)にして、豊後大野城主・志賀親度の嫡男である。高橋弥七郎と同年の十三歳だが幼さの片鱗もなく、既に元服・初陣を済ましており、亡くなった角隈石宗から全ての軍学の伝授を受けた麒麟児である。

「どうされたか?」

 後ろから肩を叩かれて振り返ると、墨染の衣に青々と頭を剃りあげた僧形の小男が立っていた。

「鎮種様!一体そのお姿は?」

 高橋鎮種は、亡き石宗を真似てか、頭をつるりと撫でて、珍しく軽口を叩いた。

「似合うてござるか?思うところあって出家いたしました。名を紹雲と改めて。」

 唖然と見つめるのみの親次に、今度は鎮種改め紹雲が問うた。

「何をため息に暮れてござるか?」

 親次は周囲を指差しながら、ご覧あれと言った。

「昨年は大広間に入りきれぬほど人がいたというに、今年はご覧の如くすかすかにて。豊後の国人たちはほぼ出席じゃが、日向、肥後、肥前、筑前、筑後、豊前の者どもの姿がほとんど見えませぬ。たった一度の敗戦でこのような状況になるかと思わば、腹だたしいやら口惜しいやら…。」

 目に涙をためてうつむく姿は年相応か。紹雲は我が子を見る思いで、力強く肩をぽんぽんと叩いた。

「自業自得というものじゃの。」

 そう言いながら、折れ烏帽子に緑の狩衣姿の老人が近づいてきた。

「!」

「入道殿、どうされましたか?その姿は?」

 白髭を伸ばした入田入道は、己のまだ短い髷を触りながら、悪戯っぽく笑った。

「鎮種と真逆じゃ。わしは還俗した。経なぞ読んでいる場合ではないと思うての。心機一転、断絶していた縁戚の朽綱家を再興し、名を朽綱鑑康と改めた。」

 入道改め鑑康は、親次の肩をポンと叩いて言った。

「還俗と再興を認めてもらう代わりに北豊後の久住山野へ国替えになったがな。まあ加増ゆえ文句は言えぬ。ついでに言うと、かってのわしの領地・竹田岡城は、この親次のものになった。これも加増じゃな。」

 紹雲は驚いて言った。

「負け戦、それも大負けで加増ですか?」

「負けとはなっておらぬのじゃ。田原紹忍が日向での戦を記録させておるところじゃが、先鋒が田北勢などの暴走で被害を受けたとはなっているものの、全軍堂々と引き上げたとされておる。ついでを言うと、田原勢がもっとも勇敢であったともな…。つまり負け戦ではない、よって加増じゃ。他ならぬ田原紹忍も安岐をな。」

「紹忍とは誰でござる?」

「ああ、知らんかったか。親賢めが負け戦ではないながらも、田北勢らの暴走の責任を取って、出家隠居したのじゃ。もっとも形ばかりのものでな、相変わらず後見として殿にべったりじゃ。」

 吐き捨てるような鑑康の口ぶりに、紹雲は苦笑した。

 よりにもよって紹忍とは……

 紹忍と紹雲

 まるで示し合わせたようではないか。

 玄関の方から、ごんごんと六角棒の音が近づいてきた。

「道雪も来たか、今の話を聞いたら、目から火を吹く勢いで怒るじゃろうよ。」


(二)

「納得がいかぬ!!」

 野太い声は、まるで獅子の咆哮…万座が静まり返った。

「加増結構!転領大いに結構、しかし、大友家を救うにはこの案しかない!なぜそれがわからぬのじゃ。」

 真っ赤な顔をして肩を震わす道雪に、青い顔をした紹忍がぼそぼそと反論した。

「反対も何もない。そのような大友家の組織のことは加判衆で決めると言っただけじゃ。」

 聞いた道雪の顔がさらに険しくなる。

「加判衆じゃと、斎藤鎮実も吉弘鎮信も、臼杵鎮続や佐伯宗天、石宗師匠までも耳川の戦で死んでしまい、今の加判衆には誰が残っておるというのじゃ!」

 紹忍は、聞き取れぬほどの声でぼそぼそと続ける。

「えー…、吉弘鎮信殿の嫡子・統運殿、吉岡長増殿の御子息・統定殿、志賀親度殿のお三方でござるな。」

 道雪のこめかみに血管が浮いた。

「経験の少ない若者二人に、失礼ながら上手に立ち回るしか能が無いと評判の御人ではないか!田原殿は、まっことこの加判衆に大友家の未来を委ねられるとお考えか?」

 顔を真っ赤にして立ち上がりかけた親度を、息子の親次が押さえた。紹忍はこほんと咳払いをして言った。

「そこは、不肖この紹忍が、殿の後見として見事切り盛りして見せましょうぞ!」

「何を言うておる!!」

 朽綱鑑康が立ちあがった。

「お主は先の敗戦の責任者ではないか!記録を後から作って、いくら事実を曲げようとしても、このことだけは曲げられぬ。じゃから隠居・出家せざるを得なかったのであろう。そのお主に、後見として、実質的に家老より大きな権限を与え、この大友家の未来を託せるわけが無かろうが!」

「困りましたな!」

 紹忍も立ち上がって言った。

「わしは殿と大殿の命に従っておるにすぎぬのですじゃ!」

 睨み合う紹忍と鑑康の間に、割って入るようにして紹雲が言った。

「言い合うても詮無い。例えば斎藤鎮実亡き後の筑後じゃが、一体誰が守っていくのか?」

「それは嫡子・統実殿が道理、斎藤家の問題でござろう。」

 紹忍の言葉を聞いて、紹雲は一瞬顔をしかめたが、気を取り直して尋ねた。

「御存じのように、筑後の情勢は元々複雑、並みの武将では治められぬ。しかも耳川以降は蒲池鎮漣が大友に反旗を翻し、熊めの勢力が強くなっておる。経験も少なく、未知数の統実殿に委ねるのは酷というもの。今回転領もされておるようじゃし、思い切って優秀な武将を配するのはいかが。そして、その将とは、道雪様が言われる通り、若くして政略軍略を極めた志賀親次殿しか考えられぬ。」

 紹忍はにやりと笑った。

「それはわしも考えまいたが、なに分、殿も大殿も反対でな…。」

 親次は宗麟にしてみれば孫、それも優秀さだけでなく、親の意向に逆らってまで伴天連教に改宗した目に入れても痛くない溺愛の孫である。義統にしても、優秀な甥を危険な筑後にはやりたくないのだろうと紹雲は思った。

「それならば、せめて、空席である二つの重要な身分…、家老と軍師に適任者を充て体制を強化されてはいかがか!家老には内政外征外交に功績ある鑑康殿、軍師には石宗殿の直弟子である道雪様をおいて他にござるまい。これに関しては、道雪様の提案に異論のある者は無かろうと存ずる。」

 想定していた意見だったためか、紹忍は下卑た笑いを浮かべながら言った。

「わしも殿もその点は異論ない。しかしな、大殿が強硬に反対なされるじゃろうと思うのじゃ。」

 鑑康には十分思い当たる節があった。かって二階崩れの変の折り、兄である入田親誠は宗麟の傅役であったにもかかわらず、敵となった大友義鑑(宗麟の父)や塩市丸(宗麟の弟)側に立ち誅殺された。そのことは宗麟を擁立した鑑康には関係ない。しかし、謀反人の弟であるという意識を、人々がほとんど忘れてしまっている何十年もたった今日まで、執念深く持ち続けるのもまた宗麟という男なのだ。道雪に関しても直言・諫言を嫌がって加判衆を外した経緯もあり、いまさら軍師として中枢に復帰させる気が無いのだろう。しかし、そんなことを言っている場合だろうか?

「もうよい!」

 激情そのままに、二本の六角棒を引き寄せ、がばっと立ち上がりながら道雪は尋ねた。

「大殿は臼杵か?」

 その雰囲気に圧倒された紹忍は、ただこくこくと首を縦に振った。


(三)

 好天の中、きらきらと光を反射する錦江湾にもうもうと煙を上げる桜島が見える。右手を額に当てて、内城の廊下から眩しそうに眺めていた新納忠元は、刻限の太鼓の音で慌てて大広間に向かった。大広間には入りきれないほどの人がつめかけていた。忠元は、人の間を縫うように広間の真ん中に進んだ。居心地悪そうに座るよれよれの緑の狩衣を見つけたからである。隣に座って背中を叩く。

「水臭いではなかか!せっかく、大口・菱刈と領地が隣同士になったとじゃ、出仕するときは声ぐらいかけんか!」

 梅北国兼はちらりと旧友を見て、「ふん!」と鼻を一発鳴らしただけだった。忠元も慣れたもので、その態度を気にする様子もない。周りを見渡して

「しかし増えたの…わずか一年で倍ほどの国人たつ(達)じゃ。ほとんどが日向衆、伊東家を追うたときでさえ、ここまでは集まらなんだ。やっぱい、大友に勝ったんは大きかったの。」

 忠元は、わいわいがやがやひしめきかえる国人領主たちを見渡して感慨深げだったが、国兼は表情一つ動かさない。忠元はこちらを向いて前に座る義弘、歳久、家久兄弟に目を移して感慨深げに言った。

「こまんか伊作ん一分家に過ぎんかったもんが、三代七十年余りかけて島津本家ん悲願であった三州統一を成し遂げようちしておる。こいも義久さぁを始め、義弘さぁ、歳久さぁ、そして家久さぁ、非凡な四兄弟あればこつじゃ。なぁ国兼!」

 国兼は前を向いたまま微動だにせず言った。

「三州統一だけで終わっもんじゃか。」

 どういうこっじゃと聞き返そうとした忠元を、襖が開く音が遮った。義弘らが一斉に上座に向き直り深々と頭を下げる。少し遅れて、広間の一同も同様に頭を下げた。

「皆みな苦労であっ!」

 島津義久は、腰をおろすなり良く通る声で言った。

「先年の大戦でん勝利は、皆ん骨折りのおかげであっ。強敵大友を叩き、鎌倉以来の悲願であった薩大日三州統一に目途はついた。さて問題は、今後の我が家が何を目指すっかじゃっど。」

 今後?この島津家が? 大戦が終わったばかりの発表に、居並ぶ皆ごくりと固唾をのんだ。次は九州?大友に代わって九州探題をか…。

 義久は全員の顔を見回しておもむろに口を開いた。

「天下じゃ…島津家は天下に号令する!」

「!」

 とてつもない発表にその場が凍りついた。

 無謀?いや想像もできぬ…。わずか三州を得ただけで天下とは、「ぼっけ」というか何というか。

 声も出ない様子の家臣たちを見ている義久はどこか満足そうだ。

「何という荒唐無稽な…そう考えちおっ者もおるじゃろう。しかし織田信長を見よ、元々は尾張の奉行に過ぎなかった家は、たった一代で天下に号令する勢いじゃ。そいを知って俺(おい)は思うた。狙わんと天下は取れん、目標にせんと天下に号令できんとじゃ。」

知恵者の鎌田政近が耐えられぬように叫んだ。

「失礼を承知で申しあげもす!かっての西国探題大内、九州探題大友、大大名では今川義元、武田信玄、上杉謙信、北条氏康らが成し遂げられなかったことを、こん島津家が…無謀ではごわはんか?」

反発されてかえって、義久はうれしそうに首を横に振った。

「無謀ではなか…どげんしたら天下が取るっか?信長がまさに教えてくるっとよ。」

 それは商いに似ていると義久は言った。商いを始めた当初は、元手もなく大きく稼ごうと思えば危険な勝負に出ざるを得ない。それが信長には桶狭間であり、島津にとっては耳川だった。賭けに勝ってある程度大きくなったら、その大きさを活かした勝負をする。つまり、より小さい敵に勝って呑み込み、更に大きくなり、これを繰り返していけば、いずれ天下は手に入る。難しいようでいて根本は極めて単純だと言う。

「もちろん、同じように大きくなぃ(なる)敵もあっ。大きくなぃ途中で失敗すっ敵もおっ。敵よっかできるだけ早く大きくなぃ、どん敵とどん段階で勝負すっか見極めんにゃならん。今んとこい考えらるっ敵は、織田家であり毛利家であり、肥前の龍造寺家であっどな。まずは出来るだけ早う九州を抑えることじゃっ。」

 歳久の目がきらりと光った。

「早うとは?」

「そうじゃな、九州制覇に遅くとも十年…。龍造寺も膨れてきおっで、負けんためには、まず肥後を三年以内に抑えてしまうことじゃろ。」

 座がざわざわとしてきた。困惑の空気ではない、戦を前にした武者ぶるいを伴う熱気。

「まずは相良…。」

義弘の呟きに義久が応じた。

「そうじゃ!ここは歳久に命ず。間違わぬ将として有名な南肥後の智将・相良義陽を見事降して見せよ!」


相良義陽

 難攻不落の盆地肥後人吉に居城を構え、日奈久、佐敷、五木、坂本、五家荘、長島と相良家最大版図を手にした戦巧者。そればかりでなく、古来から薩摩大隅と肥後以北を結ぶ陸の交通の要衝であった人吉で楽市楽座を採用し、商いを盛んにして繁栄させ、矢銭収入で相良家の財政を大いに潤わせた内治にも長けた人物。将来予測や洞察力にも優れ、民事でも軍事でも打つ手が確実でズバズバ当たるため、肥後では「間違わぬ義陽」と言われている。

 その家臣にも名臣多く、外交内治の専門家である家老・深水長智、槍一本で数々の武勲を上げた豪勇・岡本頼氏、九州に広がったタイ捨流の始祖である剣豪・丸目長恵とその弟子である丸目衆、共に一地方の治世、一軍団を委ね得る知勇兼備の将である佐敷城主・赤池長任と水俣城主・犬童頼安など多士済済である。石高は二十二万石、八千の兵を有し、領地は南肥後一円と言う広さだが、商いのためもあって整備した街道が山がちな領地間を結び、兵の離合集散を容易にしている。島津家にとっては、ある意味、大友家より厄介な存在である。

 本拠地人吉は薩摩国境に近く、一方で薩摩国阿久根とわずか一里の海を隔てた肥後国長島を領しているため、山からも海からも島津を脅かしうる存在である。事実、大口村など北薩をめぐっては、永年島津氏と盗った盗られたの攻防を繰り返してきた。義陽が執拗に大口村に拘っているのは、その隣地菱刈にある日の本有数の金山が欲しいためである。

 地勢的にも、人吉にとって大口村を含む伊佐は攻めやすく、一旦盗ったら守りやすい。伊佐からより高地の人吉へは、険しい久七峠を登らねばならないが、降る場合は怒涛の如く攻め寄せられる。そして伊佐自体も北薩の高地に位置するため、攻め取ってしまえば、島津軍には地の利を活かして対抗できるというわけである。この地形こそが、永年、比較小勢力の相良が島津を苦しめ得た理由であり、義陽が伊佐を諦めきれない理由でもあった。


「公子(きんご)様(さぁ)がお出になるまでもごわはん!相良がごとき、こん比志島にお任せあれば、青竹一本で叩き伏せて見せますど!」

 勢い込んで立ち上がった比志島国貞を横目で見て、忠元はちっと舌打ちした。

「あんおべっか使いが、黙っちおけばよかもんを。」

 家中で嫌われ者の比志島は、なぜか太守・義久には気に入られている。義久は冷徹な彼には珍しく、微かに笑みを浮かべてたしなめた。

「天下を取っためには、叩きのめしてはいかんど。相良ん八千はやがて島津の兵になっち思うて、敵も味方もできうだけ兵を損じんような戦をせんといかん。なぁ、歳久!」

 島津歳久は、兄同様に笑みを湛えたまま、少し畏まって応えた。

「はは、我が知恵ん限ぃを尽くし申(も)す!」

 ど……ん!!

 地響きが城中を揺らす。外に目を転じれば、桜島からもうもうたる白煙が青天に向かって伸びていた。


(四)

 臼杵丹生島は北、南、東の三方を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟で陸地につながるのみという天然の要害をなしている。宗麟は自ら縄張りし、この島まるごと城郭化した。その丹生島城は三つの天守と三十一基もの櫓で守られ、さらに国崩し二門を海と街道に向けて配置するという宗麟自慢の近代的な要塞に仕上がっている。

「…、この尋常ならざる知恵を、なぜ政治に活かされんのか。そうすれば、天下をも狙える器であったものを…。」

 城をしげしげ眺めていた道雪は、ひとつ深く嘆息すると、きらきらと海の光が乱反射する干潟を大手門に向かって馬を進めた。


 宗麟は、この一棟だけ朱瓦で飾られた大天守の書院で、宙を見上げ何事かぶつぶつと呟きながら、うろうろと歩きまわっていた。隅の方には、文机の前に胡坐をかいたフロイスが、大きな羽の軸に墨をつけて、長い紙を広げ宗麟の方を見つめて何事か待っている。

「こうじゃ、こう直せ!」

 言われる度に、何事か書き付けた紙をくしゃくしゃに丸めて放り投げ、新しい紙にラテン語でさらさらと文字を連ねている。

「いすぱにあ王ふぇりぺ三世に、日の本は豊後以下八州の王、大友左衛門督が申し上げる。我が国に伴天連教の灯ありといえども、無知蒙昧なる野蛮人の手によって、それ今や風前の存在なり。なにとぞ、そちの大艦隊を持って我が国に来られたし、我と共にこの日の本隅々まで伴天連教の明かりをともして回り、この国を法王様のための聖地となさん。どうじゃ!」

 フロイスは顔をしかめた。そもそも何でポルトガル人たる自分がスペイン王への文を書かねばならぬのか?いや、この身勝手で変わった老人に、スペインとポルトガルの関係を語っても理解はせぬだろう。このフーチュン(馬鹿殿)にとっては、南蛮はどこも同じなのだ。まあ、ヨーロッパの君主にとって、この大和と明は同じようなものだがな。

 フロイスの口からは思いと異なる言葉が出た。

「比喩ガ多スギマス。意訳ハ可能デスガ文ノ格調ガ下ガッテシマウ。モウ少シ表現ヲ工夫クダサレ。」

 今度は宗麟が顔をしかめる番だった。

「何じゃ、難しいことを言うのぉ。他の大名への文はもっと簡単に済むぞ!」

 フロイスは宗麟の方へ向き直って頭を下げた。

「異国ノ王ヘノ初メテノ書状デス。対等二付キ合イタイナラ、伝エタイコトヲ正確二伝達スルダケデナク、コチラノ文化程度モ匂ワスコトガ大切デス。」

 宗麟は一瞬目を剥いたが、視線を宙に戻し、またぶつぶつと独り言を言いながら歩き始めた。


 突然、階段をどどどと駆けあがってくる音がした。

「ど、ど、道雪さま、お出ましにございます!!」

 使い番が、文字通り広間に転がり込んできた。

「何じゃと!お、おらぬと言え。どこか出かけたと…。」

 宗麟がきょろきょろと身を隠す場所を探している。

 どんどんと重い響きが階段を上がってくる。

「危ノウゴザイマス!」

 窓枠に足をかけた宗麟をフロイスが引きとめる。

「えーぃ!放せ、放せと言うに。」

 振り払おうとした時、障子ががらりと開いた。

「何をやっておいでか?」

 廊下に呆れ顔をした道雪が、六角棒を両脇に挟んで立っていた。


「ふーーむ…。」

 道雪の差し出した書状に、ひととおり目を通し、宗麟は天を仰いで嘆息した。

「いかが…、大友の危急を救い、立て直す策はこれしかないと存ずる。」

 さすがに宗麟の反応は義統たちとは違った。

「確かに…、確かに優れた策じゃ。」

「ならば、すぐにでも実行の布令を!」

「まあ待て、今わしの方で、より優れた策を実行に移そうとしておる。」

 言ったとたん、宗麟はしまったと言う顔で口を押さえた。

 それを見逃さなかった道雪が宗麟に詰め寄る。

「お聞かせくだされ。その策とは?」

 ぐっと顔を近づけられ、その射るような目線をそらしながら、宗麟はか細い声で「おいおいな…。」と言った。

「おいおいではわかり申さん。事は急を要するのです。いったいどんな…。」

 そこで初めて、道雪はフロイスの存在に気がついた。

「おい、お主はここで一体何をしておるのじゃ?」

 ぎょろりと睨まれたフロイスの額から一筋の汗が落ちる。

「私ハ何モ…。」

 道雪は部屋の隅に丸められた紙を見つけた。

「あれは何じゃ?拾ってまいれ。」

 使い番が、緊張からか惧れからか、足を取られながら紙を拾い道雪に手渡した。道雪は異国の文字を見詰め、フロイスに向き直ってどういう意味かと尋ねた。

フロイスは宗麟をちらと見て、異国の君主への挨拶状だと応えた。

「ただの挨拶状ではあるまい!真実を語れ。」

気迫に押されて、フロイスは文の内容を逐一説明した。

その隙に、そっと部屋を抜け出そうとする宗麟の襟を、太い腕が掴み引き寄せた。

「ひっ!」

 めらめらと燃えるような眼がそこにあった。

「この国を…、この日の本を南蛮に売り渡されるおつもりか!」

 顔をそらす宗麟の襟口を引き寄せ、ぶんぶんと身体を揺すった。

「お応えあれ!いや、応えよ大友宗麟!」

 宗麟は顔をそむけながら、そうではないというようなことを繰り返した。

 ぎりぎりと歯を食いしばっていた道雪は、しばらくしてふっと力を緩め、宗麟を床に放り投げると部屋を出た。

「何じゃお前!主君に向けてその態度は!!」

 後ろから宗麟の怒鳴り声が追いかけてきたが、道雪は振り向くことはなかった。


(五)

 耳川の戦いから帰った誾千代は、日がな一日廊下に腰かけ、感情の無い目で空を見上げて過ごしていた。飯も食わず、水も飲まず、寝てもいないように思えた。一月近くその状態で、頬はこけ手足はやせ細っている。弥七郎が毎日やってきては、盛んに話しかけるが反応はない。

 ただ、傅役である城戸知正とは、このような問答があった。

「じい…人は皆死ぬのか?」

「そうですじゃ、遅かれ早かれ…。」

「ならば何のために生きる。結局死んでしまうなら何にもならないではないか!」

「それは…、先祖から引き継がれた家や財産を守り、子や孫にまた引き継ぎ…。」

「引き継ぐべき家や財産の無いものはどうする?子や孫の無いものはどうする?幼くして死んだ者は?」

「それは……。」

「それらの生は意味が無いのか?全くの無駄か?応えよ…、いや教えてくれじい!」

「………。」


 返す言葉はなかった。かといって放っておくことも出来ない。朝晩、誾千代の前に膳を運んだ。運んでは下げる、この繰り返し。あとは離れた所から一日中見つめていることしか出来ない。

「!」

 いつの間にか背後に大きな影が立っていた。

「おぎんは変わりないか?」

 いつになく沈んだ道雪の声だ。

「はっ!」

「めしも食わぬか。」

「はは、困りごとで…。」

「困ったままではおれぬ。」

 そういうと道雪はおもむろに誾千代に近づき、か細くなったその身体を肩にかつぐと、六角棒を交互に動かし大手門の方に歩いて行く。

「殿!いったいどちらへ?」

 道雪は無言のまま、唖然とする知正を置いて、門脇に繋いだ馬に跨り何処かへ走り去った。


 立花山城のある立花山の隣に三日月山という険しい山がある。立花山側から山道を登り、三日月湖のあたりから獣道を入りしばらく下ると、伏谷という近隣の者が近づかない谷がある。大蛇がいる、いや物の怪がいるという噂のあるその谷から、なにやら賑やかな笑い声が響いてくる。

 道雪は恐れる風もなく、動かない誾千代を背負って、器用に馬を駆り獣道を降りていく。薄暗がりの木立を抜けると、そこには一面の田畑が開き、その向こうには家並みが見えた。

かんかんかん  かんかんかん

 けたたましい半鐘の音

 手に手に鎌や竹槍を持ち群がりくる人々

 よく見ると老人や子供ばかり

 馬に乗った巨体を見て、皆一瞬ひるんだ様子だったが、それでも囲みは解かない。いや、じりじりと距離を詰めてくる。


「やめな!」

少し甲高い、酒でつぶれたようなガラガラ声。

群衆を押し分けて、数名の若い女が現れた。ひと際大きな女が道雪に声をかける。

「恐れ入ったね。この隠し里、ばればれかい。」

道雪はにやりと笑った。

「お主が金牛か?」

金牛は笑いで返した。

「あんたが雷神様かい?その足で…器用に馬に乗るもんだ。」

道雪は応じず。その代わりのように、担いでいた誾千代を金牛の方へ下ろした。

「おっと…。」

優しく受け止めた金牛は、物言いたげな顔で道雪を見た。

道雪は馬を返しながら頼むぞと言った。男親はこういうとき役に立たんと。

「隠し里を知っていながら、なんで放っておいたんだい?」

ちらと振り返った道雪が言った。

「税を取るだけが政治(まつりごと)ではあるまい。」


たいしたもんだね。まったく…、おそれいったよ。本当さ。

金牛は遠ざかる道雪の背にそう呟いた。


(六)

ぱちぱちと火のはぜる音

父の肩で馬に揺られ、いつのまにか寝ていたらしい。

「起きたかい?」

誾千代は金牛に抱かれているのに気づいた。

ふくよかで柔らかいものに包まれると、遠い昔の記憶がよみがえる気がした。

「ここは?」

大きな焚き火を囲む無数の人影が見える。楽しげに笑い合い、焚き火であぶった餅を頬張り、酒を酌み交わしている。ほとんど老人と子供ばかり。

「隠し里さ。」

「隠し…。」

「税や兵役から逃れるために、山の奥深くに作られた里だよ。もっともあんたの父君には、ばればれだったがね。」

周りを見回して不思議そうな顔をする誾千代に金牛がさらに言った。

「年寄りや子供ばかりが不思議かい。こいつらはね、戦で親を失った子、働き手の子を失った親、口減らしで山に捨てられた年寄り、実の親に間引きされそうになった子、人買いに売られそうになった子、ようするにここでなきゃ生きて行けない連中さ。」

誾千代がぼんやりと言った。

「生きる…なぜそうまでして生きるのじゃ?」

金牛があきれたように言った。

「そりゃ、生きてりゃいいことがあるからに決まってるじゃないか。」

「良いこと。」

「おいしいおまんま、楽しい遊び、気の合う仲間との取りとめない馬鹿話、愛しい人との逢瀬、世の中にゃ楽しいことは山ほどあるんだ。」

「でも、人はいつか死ぬではないか。そうであれば全てが虚しいのではないのか。」

「馬鹿言っちゃいけないよ!だったらなんで人は生まれてくるんだい。人を作ったのが神様だとするなら、そんな無意味なことするもんかい。そして、生まれた以上は、どんな人間だって楽しみたいってのが人情だろう!」

金牛は誾千代の顔をグイッと人々の方へ向けた。

「よく見なよ。ここには病で明日をも知れない年寄りもいる。明日死ぬかも知れなければ楽しむなってかい!逆だね、明日死ぬかも知れないから、今日を存分に楽しむんだ!生きていることの喜びを謳うのさ。」

 誾千代の前に枝に差した餅が付きつけられた。

「お竹婆!」

「食べろ!そんながりがりだから生きてるのが楽しいかわかんねんだ!うめえぞ、食べてみろ。」

恰幅の良い老婆が、湯気の立った餅をぐいぐい押しつけてくる。

誾千代はお竹の顔をじっと見ていたが、ぱくりと餅にかじりついた。久しぶりの食事、じわりと旨みが口中に広がる。喉を通り空腹が満たされていく。うまい、食べるということはこんなに幸せなことだったのか。

「うめぇか?」

誾千代はこくこくと頷いた。不思議と目に涙がにじむ。

「なんだ、うますぎて涙が出るってか!」

お竹婆は、がははと笑った。周囲からもわっと笑いが起きる。

それを見ていただけで、なんか幸せに満たされる気がした。

一緒に笑っていた金牛がぽつりと言った。

「あそこで笑っている子も、この年よりも戦で親や子を失った連中だ。この村だって、明日戦に巻き込まれてみんな死ぬかも知れない。でも、そういうことを心配したってはじまらないんだ。今を楽しむのさ。生きている今を。」

火がぱちっとはぜた。

「ここが平和なのは、道雪様が立花山周辺を守ってくれているからだ。あたしは道雪様の後継ぎの姫さんにも、ここを守ってほしいのさ。みんなのこの笑顔を、ほんのひとときの幸せってやつをさ。誰でもが守れるもんじゃない。誰にでも頼めるもんじゃない。あんただから守れる。あんただから頼める。あたしはそう信じてるよ。」

誾千代は立ち上がって歩いた。火に照らされた村人一人一人の顔。

私が守る?守れるだろうか?いや、守らねばならない。

足取りに力が、目に光が戻った。


そのとき繁みがガサガサと動き、周囲の人々は飛びのいて警戒した。

繁みから現れたのは、誾千代が良く知っている顔だった。

「お仙、いったいどうしてここへ?」

この隠し里の存在は、近くに住む誾千代ですらわからなかったのに。

「そんなことはどうでもいい。あたいには時が無いんだ。お誾、あんたに頼みがある。」


(七)

「本当に出て来んのかい。もう二刻以上こうやって待ってるよ!」

金牛が少しいらいらして言った。

「大丈夫だ。」

 法姫は必ず出てくる。誾千代には不思議な確信があった。

 お仙は法姫にもう会えないと言った。遠くへ行くと。

 そればかりでなく不思議なことも

「仙という人間は、この世のどこにもいなくなるんだ。」

 どういう意味か?聞くことはできなかった。

 これからは、お誾が法姫を守ってくれ。

 とりあえず、自分は肥後に行くとも言った。


 そもそも、仙とは何者だったのか?

 あらためて何も知らないことに、誾千代は愕然とした。

 ともかく今は法姫のことだ。

 大好きな三郎が死んで、たいそう心を痛めているらしい。

 その原因が、大友家の起こした戦にあったので誾千代には会いづらい思いもあった。

 その一方で、三郎を失った悲しみを共有できる数少ない存在で、会いたくもあった。

 いや、会いたい思いがずっと強い。

 柳川に来てみると、その思いがどんどん強くなった。だが、蒲池家が大友家との決別を宣言した以上、表門から堂々と入るわけにはいかなかった。それで、いつもの堀傍で待っているのだ。


「あれ、あそこ!」

 突然金牛が叫んだ。

 表門から駕籠が出てきた。駕籠脇には法姫の侍女のお福の姿も見える。

 誾千代は思わず走り出した。

 会える、やっと。

 話したいことが山ほどあった。

 何より、ふわんとした法姫の雰囲気に今は包まれたかった。


 走ってくる誾千代を見て、駕籠に向かってお福が何やら話しかけているようだ。

 引き戸に付いている窓が開いた。間違いなく法姫だ。

 脚が軽くなったような気がした。

 距離はどんどん縮まって、脚はどんどん速くなる。

 「!」

 窓がぴしゃっと閉められた。

 駕籠はずんずん行ってしまった。

 門の前には、捨てられた子犬のような顔をした誾千代が残された。

「な…なぜ?」

 頭がごちゃごちゃした。上手く考えられない。

 肩にフワッと手が置かれた。

 見たことないくらい優しい顔をした金牛がそこにいた。







































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