第30話 四竜の治める地
(一)
ここのところ高橋紹雲は忙しく動き回っている。突然、筑前守護代に任じられたからだ。それは、道雪の更迭をも意味したが、何が理由なのかは明らかにされなかった。年始会議の席での発言は、いつものことなので、それが原因ではないだろう。紹雲にとっては、道雪更迭の理由はともかく、国境警備に加えて、明らかにしないまでも、大友家から離反しかかっている筑前国人の管理という困難な職務が加わり、身体が二つほしいくらいであった。
今日も弥七郎を連れ、宗像大社の宮司でもある宗像氏貞を訪ね、ここ蔦ヶ岳城に来ていた。海沿いの山に立つこの城には、独特の潮の香りが漂っており、耳を澄ますと波の音も聞こえる、筑前北西の要地に似つかわしくないのどかな場所だった。宮司でもある氏貞の容姿は、侍と言うよりむしろ貴族に近く、小柄色白で三十四という年齢もあってか、腹が出てぷっくりと小太りしている。常に微笑みを絶やさないその姿は、弥七郎には、逆に油断のならない商人的にも見えた。
「いや、此度はまったくご愁傷さまで、兄上を失われさぞやお辛かろう。あのように豪勇無双であられたのに、人と言うのはわからぬものでございますな。」
儀礼に沿った挨拶に紹雲は深く首を垂れることで返した。
「勝敗は時の運、武家としては常に覚悟をせねばならぬことでござる。」
氏貞は紹雲の心根を探るように話を続けた。
「しかし、蛮族に過ぎぬと思っていた島津にやられてしまうとは。にわかには信じられんところでござる。いったい何があったのでござろうか?」
暗に北日向における大友家の蛮行と噂されることなどを聞き出したいのであろうと紹雲は感じた。
「さて、戦に参加しておらぬそれがしにはわかりかねる。」
少しきつめの物言いに、紹雲の怒りをかってしまったかと恐れた氏貞は、あからさまに話題を変えた。
「このたびは守護代ご就任とか。お父上はご立派な守護代であられた。紹雲様も立派な守護代になられるでありましょう。さてもおめでたきこと。」
「ありがとうござる。非才の身、筑前の皆さまのお力沿いを頂きたく、斯うしてご挨拶に回っているので。」
「もうあらかた回られたのではないか?」
これも探りだなと紹雲は思ったが、誤魔化す必要はないので正直に答えた。
「いや、まだ肝心な方々、有力な国人の原田隆種様、秋月種実様とお会いできておりませぬ。何度かお尋ね申したが折悪しく。」
「ほほう…。」
人のよさげな氏貞の目が、一瞬しゅっと細くなったのを紹雲は見逃さなかった。それに気づいてか、氏貞は紹雲に与えた印象をも打ち消すように、ぶんぶんと片手を振りながら言った。
「いやいや、己(み)が思うに、お二方とも長年大友家に忠節をつくされた方々。仰る通り時期が合わぬだけでござろう。」
馬に跨り城門を出ていく紹雲と弥七郎の背中を、天守から見送りながら、氏貞は緊張から解放されたのか、ふぅと大きな息を吐いた。
背中に二つの人影が見える。
「帰ったか。やはり大友家・武の二柱の一人だけあって油断できぬわ。まるで我らがここにいるのを嗅ぎつけたようにやって来おった。」
胡麻塩頭、固太りの老人が、突き出た腹を揺らして笑った。
「いや、うすうす勘付いていたのやも知れませぬ。」
口ひげをたくわえた中背の中年男が言った。
「なんと、そうであれば何故黙って去ったのだ?」
戦上手の老将・原田隆種の問いに、油断ならぬ策謀家と恐れられるこの優男は、その端正な顔をにこりと歪ませ、「わかりませぬ。」と一言呟いた。
秋月種実
筑前南部の古処山城主で秋月家十六代当主。
若き日、父・文種、兄・晴種が大友宗麟に敗れ、本拠古処山は落城したが、種実は毛利氏を頼り周防に落ちのびた。二年の雌伏ののち、毛利が筑前に勢力をのばすと、帰国し旧臣深江美濃守と共に大友軍を打ち破って旧領を回復した。
そして、毛利が道雪らに敗れ、庇護者が筑前からいなくなると、父と兄の仇である宗麟にあっさり降伏し、その後は大友家に忠節を尽くしているように見える。
しかし、たとえば龍造寺隆信と接近したり、毛利家と連絡を取り合ったり、鞆の将軍家に近づいたり、尻尾こそ出さないが、裏で様々な画策をしているとの噂が絶えない男である。
「どうであった?」
帰り際、めずらしく紹雲が、背丈ではすっかり抜かれた息子に話しかけてきた。
「うーん、ただの弱腰にも見え申したが、裏で何やら企みをしている気がした。」
頭を捻り、腕組みをして言う息子の答えに、紹雲は「そうか。」と一言放った。どこか満足げに。
(二)
がちゃがちゃと重そうな金属音が、どかどかという無遠慮な足音と共に近づいてくる。玉鶴の方は徳姫を連れて、自室から悠然と廊下へ出て床に座った。
鎮漣が近づいてくると、娘と共に三つ指を突いて頭を下げる。
「法、法姫はおらんか!法!」
夫の大声に、玉鶴は伏せた顔の下でちっと舌打ちをしたが、何食わぬ顔で頭を上げた。
「殿…、無事の御帰りおめでとうございまする。」
「おめでとうございまする。」
徳姫も日ごろのしつけ通り声を合わせる。
「おお玉か。それに徳も。今帰ったぞ!」
玉鶴はにこりと微笑み言葉をつづけた。
「この度は、大勝利おめでとうございます。父君も三郎様も泉下できっとお喜びでしょう。」
「星野鑑泰の白石城を落としたが、父や三郎の仇・鑑泰には逃げられてしもうた!代わりに捕えた一族郎党、女子供まで皆殺しにしてくれたがの!」
凄惨な話に徳姫の顔は青ざめたが、玉鶴は笑みを湛えたまま、顔色一つ変えない。こういうところは、さすがに肥前の熊の娘である。
「それは重畳。勇猛なる殿のこと、仇の首塊も時をおかずして討ち取られましょう。」
「言うまでも無きこと!」
そう言いながら、鎮漣はきょろきょろとあたりを見回している。
「どうかなされましたか?」
鎮漣は上の空で応えた。
「いやな…、法姫、法姫はいずこじゃ?」
たったったっと、廊下の向こうから軽やかな足音が近づいてくる。
「父上様!」
見えぬ目で法姫が懸命に駆けてくる。
「おお、いたか法姫!」
鎮漣は走ってくる姫を、まるで幼子のように両手を広げて抱き上げた。
「息災でおったか?わしは戦場においても、片時も姫のことを忘れたことなど無いぞ。」
むちゅむちゅと白い頬に口づけをしながら言う。
「父上、くすぐっとうございます。」
「なにがくすぐったいものか…。わしはな…。」
鎮漣はそう言いながら、法姫を抱いたまま廊下の奥へと歩いていった。
もしそこに誰かいれば
残された玉鶴の方の背中に、ゆらりと蒼い炎が揺らめいたように見えたろう。
あさましや。
玉鶴は思った。
実の親子じゃと言うに、あれではまるで思い思われた仲のようではないか。
「母上…。」
呼びかけた徳姫は声を失った。母の顔が般若の面のように見えたからだ。
玉鶴はうつろな目をして徳姫を見た。細長い顔に薄い唇、ややつり上がった目。
玉鶴と同じ龍造寺家の血の濃い顔
一方、法姫は丸顔でぽってりとした唇をしている。
あの顔、姑にそっくりだ。いまいましや。
玉鶴の姑、つまり鎮漣の母である乙鶴の方は筑後の名族である田尻家の出で
一時、蒲池家の庇護下にあった隆信の娘である玉鶴を、嫁に来たときから一等低く見ていた。直接馬鹿にされたり嫌がらせをされた回数を数え上げたらきりがないほどだ。
玉鶴にとって、それ以上に我慢ならないのは、夫が義母にべったりで、何かと言うと玉鶴より義母を優先したことだ。それだけではない。夫と義母のべったりさも異常なほどで、とっくに元服した夫の着替えを手伝ったり、手ずから食事を食べさせたり、夫婦はどちらかと言いたくなるほどの蜜月ぶりだった。
その義母が死んだ時は叫び出したいほどうれしかったが、こともあろうに我が娘が姑そっくりに生まれてしまい。しかも年を経るごとにどんどん似てくる。まるで姑が息子を放っておけず生まれ変わったように。
はやく法をどこかにやらねばならない。
玉鶴の心の炎は暗くゆらめいていた。
(三)
「それでですな、この肥後と言う地は、九州の他の国とは大きく違いましてな…。」
元々、話し好きなのだろう。父に付けられた円城寺家の家老・岡本善右衛門が盛んに喋っている。名は体を表すというとおり、にこにこと人のよさそうな小柄な老人である。善右衛門も旅装、仙は若侍の恰好で、長い髪を頭の後ろに括って旅装させられている。肥後は人吉への道すがら、隆信の命である目的は、タイ捨流の創始者である丸目長恵に剣術を教わることだ。
仙は長い話にうんざりしながら道を歩いている。善右衛門の話によると、朝廷をまつろわぬ者・熊襲を祖に持つ肥後は、住む人の気質も独特、独立心が旺盛で、ために肥後は統一された例が無い。殆ど平野が無く、森の国といわれるその地も独特。なんと四竜の治める地であると言う。
まずは、肥後の信仰を集める阿蘇神社。その主神である「健磐龍命」は、火の山・阿蘇山の化身だが、文字通り「竜」であり、それも四竜のうち唯一、人の味方である赤き「火の竜」であるという。
その兄であり、菊地川の水底に潜む蒼き「水の竜」。滅亡した菊地氏の守り神とも伝わるこの竜は、一説には川を大氾濫させぬよう弘法大師に封じ込められているとも言う。
次に阿蘇神社の裏手の風宮神社に封じられている「風の竜」。一つ目と伝えられる黒き竜は、暴風を吹かせて人々を脅かしたため、「火の竜」の力で封じられたと伝わる。
最後は肥後の地中深く眠る巨大な「土の竜」。肥後を覆い尽くすほど大きいこの白き竜が目覚めると、九州一円に大地震が起こると言われている。
善右衛門が言うのは、仙にはまるでおとぎ話のようで、眠くなるばかりで何ら刺激の無い話だった。
もしかして、あたいのことを子供だと思っているのかな。そう思った時
「おぅ、話をしているうちに人吉郷に入りましたぞ。」
長き道程だった。肥前から肥後佐敷までは船を使った。海を行くのは初めてで、これはこれで楽しかった。佐敷に上陸してからは、ひたすら人家の無い山道を進んだ。剣を学ぶのにそんなに山の中へ入らねばならぬのかと感じた。途中で二晩野宿して、やっと人吉郷についたのだが、ここから目的地の丸目の里へは、さらに一日山の中を歩かねばならない。その前に善右衛門の甥、相良家に仕える岡本頼氏のところへ寄って休んでいこうというわけである。
「うわぁーっ。」
人吉の町に入った仙は、初めてその街に入る人々と同じように感嘆の声を上げた。こんな山の中に、こんな町が。
碁盤の目のように整然と並んだ町と街路。道には細かな白い石が敷き詰められ、阿蘇神社の分社はじめ、歴史がありそうな寺社も多い。炊煙や鐘太鼓、甘い匂い、町の中心には出店や商店が連なり、人々も道にあふれて賑やかな様子である。歩いているだけで気分が浮きたつ。水之江も柳川も相当な街だが、ここ人吉は負けぬどころか凌ぐ勢いすらあった。
「たいした町でござろう。ここ人吉は小京都と申して、京の都を模して作られておるのでござる。」
話にしか聞いたことのない京の都とはこんな場所なのか。仙は少しだけ京へ行ってみたくなった。
「模しただけではない。水路や街道など都に負けぬものを作っておるぞ。」
小柄な中年の武士が話しかけてきた。白い長ら顔に大きな鼻が座っている。目が垂れているのは人が好さげな印象だが、奥底に油断の無い光がある。ちりめん素材の直垂を着ており身分の高さをうかがわせた。
「これは失礼仕った。お見受けするところ、相良家中の方でござるかな。」
善右衛門が一礼した。相手は困ったように言った。
「家中と言えば家中じゃが…。」
その会話を、割れた大声が遮った。
「叔父上、叔父上ではござらぬか!」
赤銅色の肌をして、口ひげを蓄えた大男が走ってくる。
「おお、頼久ではないか。久しいのお!」
それを聞いて、件の武士はほっとしたように言った。
「なんじゃ岡本の身内か。」
その武士に気づいて、頼久は慌てた様子で片膝をついた。
「頼久よ、このお方は?」
善右衛門の問いに頼久は平伏したまま答えた。
「ここにおわすは、我が主にして南肥後の国主・修理大夫相良義陽様にございまする!」
(四)
元気を取り戻した誾千代は、すっかり隠し里が気に入ったようで、毎日のように訪れては、お竹婆と一緒に畑を耕したり、子供たちの世話をしたりしている。金牛には何か言いたいことがあるようだったが、とりあえず放っておいて様子見をしているようだった。
そんなある日、柳川に潜ませていた蜊が泡食った様子で戻って来た。
「た、た、大変だ!一大事、一大事!!」
何の一大事か?
血相を変えたその様子に、誾千代はじめ風盗賊の面々が集まって来た。
「法、法姫様一大事!」
お椀で水を一気に飲み干して蜊が言った。
「なんだ、何があった?!」
問い詰める誾千代は、思わず蜊の襟もとをギュッとつかんだ。
「姫様!く、苦しい…!!」
誾千代は慌てて放し、蜊は咳き込みながら説明した。
それは昨日のこと。
柳川城の床下に潜んでいた蜊は、ただならぬ話に聞き耳を立てた。
場所は法姫の母である玉鶴の方の部屋
「だからのお福、その霊験あらたかなる阿蘇の巫女の話を法姫様にして、阿蘇へと姫様を誘い出すのじゃ。」
この声は、玉鶴の方付きの老女・幾島のものだ。
「そりゃ、死なさった三郎様ともう一度話が出来るつなら、姫様もお行きくださいまっしょが、何のためにそげなことをせなならんとでしょうか?」
福の返事に幾島がいらいらした様子で応えた。
「こなおばばが、何度も言わすものかな。よいかえ、姫と阿蘇へ行き、いずこかなる深き森で、姫と別れてお前は帰ってくる。これだけじゃ。」
「できまっしぇん。それは目の見えん姫を殺せと言わるるに同じかことですじゃ。」
「出来ぬと言うか!」
玉鶴の声が響いた。
「お福よ。お前の実家は白石村、我が家の敵である星野の領地じゃ。それを殿が知ったらどうなさるかのう。お前にも星野一族への仕置きは聞こえておろう。えっ、実家には息子も孫もおるのじゃろう…。」
福の顔がさっと青ざめた。
「それで姫様は阿蘇に行くことになったのかい!」
金牛の問いに蜊はこくこくと頷いた。
「そう。死人とも会話できるっていう阿蘇の巫女様に会いに。」
美馬が口を挟む。
「だが、本当は森に捨てられに…。実の親だってのに何でだい?」
蜊は、わからないと言うようにぶんぶんと首を振った。
「そいで、姫はもう出立したのかい。」
「うん、今日早くに。」
どうするよと金牛が聞く前に、誾千代は南へ向けて走り出していた。
「そうこなくっちゃ!」
金牛、蜊らが後を追って走る。
四竜の治める地、肥後へ向かって
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