第28話 戦のあと…

(一)

 肥前の国嬉野の山中、人知れず作られた湯治場に向けて、栗毛の馬が山道を急いでいる。

「ほんまに…、こないな不便なところに作らんでも、も少し麓の方でも温泉なんかいくらでも出るやろに!」

 まるで、口目がけて突っ込んでくるような虫を片手で払いながら、愚痴の尽きない木下昌直は馬に更に鞭を入れた。

「急いでや、こりゃあ幸運、願ってもない機会到来や!はよ殿にお目にかからなあかん。」

 馬に語りかけるような独り言である。もちろん、現実主義者の昌直は、馬と話せるなどとは一寸たりとも思っていない。ほどなくして、木々の隙間に白い煙が見え、隆信の縄張りによる湯治場が姿を現した。湯治場の入口に、七尺越える大男が槍を片手につっ立ち、辺りを油断なく睥睨している。

「おお、御苦労はんやな…。」

 昌直は大男と顔見知りだ。江里口藤七(信常)、鍋島家に仕えていた足軽より身分の低い小者の家の出だが、巨体と怪力を隆信に見出され護衛に抜擢された男だ。上方から来た昌直には、洒落っ気のない、真面目が取り柄のつまらない田舎男という印象だった。その木偶棒が、入口に立ち塞がり昌直の進入を阻止した。

「なんや、殿に至急の用事やで!通さんかい!」

 藤七はぎょろりと目を剥き、昌直を睨みつけたまま、湯焚き口の方へ顎をしゃくった。

「こっちから話せってか!新参や思て舐めてからに、憶えときや独活の大木!」

 昌直は悪態をつきながら焚き口へ向かうと、湯殿に向かって声をかけた。

「殿、殿、昌直でおま!至急お耳に入れなあかん事があって参上いたしました。」

 中から湯の音がざーっと聞こえてきた。大きな音だ。隆信の巨体が湯に浸かったに違いなかった。

「ここから御注進に及んでもええでっか!」

 昌直は隆信の空気を感じ、とりあえず片膝をついた。

「よい。」

 中から隆信の声が響いてきた。祠の中から聞こえてくるような感じがした。

「耳川での大友と島津の戦でんが、洒落にならん結果、恐ろしくも面白い結果になりましたで!」

「前置きはよい!結果だけ言え!」

 隆信の雷に、昌直は首をすくめた。


(二)

 昌直の報告はこういうことだった。

 耳川で大友と島津が激しく戦い、大友は一万近くの兵を失い、島津も二千近い犠牲を出した。大友は兵数ばかりでなく、国家の柱石たる六名の重臣を失った。

軍師・角隈石宗、文武の要・吉弘鎮信、唯一の機動兵力猪突騎の将・田北鎮周、

豊後水軍の束ねにして日向口の抑え・佐伯宗天、

海に山に、臨機応変な豊前の抑え・臼杵鎮続、

勢力が猫の目の様に変わり、抑えが困難な筑後の守護代を長年務めた・斎藤鎮実。

 たった一日でこれだけの将が失われた戦いは例が無く、九州において大友の凋落と共に島津の威信は高まる一方であるという。

「とくに、…とくに筑後五十万石は、はよ手をうたなあきまへん!斎藤鎮実だけやおへん、小うるさい蒲池の爺も首を取られよったんだす。大友の直轄地は、斎藤家の岸岳城わずか三万石のみ、蒲池家の柳川十二万石、鑑盛の嫁の実家・田尻家の鷹尾城八万石併せて二十万石の協力なくして筑後の平定は保たれぬところでおま。鑑盛の爺は大友家、当家双方との関係を考慮して、その争いには中立の立場をとったんでっしゃろが、その死によって当主となった鎮漣の考えは違いまっしゃろ、大友が動く前に、すぐ手を打って当家の筑後平定への協力を約させるべきだす!」

 隆信が中で身体でも捻ったのか、湯がざっと動く音がした。

「南の島津はどうじゃ?勢いに乗って攻めてこんのか?」

 昌直がにやりと笑った。

「大丈夫にござい!まず日向でありますな、北日向に唯一残った大友の拠点・門川城、このたびの敗戦で打ち捨てられとったんですが、なんとなんと!伊東家の残党たる長倉祐政が占拠し、大友家からの離反を宣言したそうでおま。それもこれも伊東家の忠節がゆえ。ところが世の中は上手くゆかぬもんで、当の主人・伊東義祐は大友家を見限って伊予に落ち、せっかくの祐政の忠誠は宙に浮いたんですが、そこは不屈の男!伊東旧臣二千を集め、北日向を伊東家のものにして義祐を呼びもどさんと奮闘しとるそうだす。」

「長年戦ってきた北日向国人が伊東になびくのか?」

「それそれ!」

 昌直はうれしそうだ。

「そこは簡単ではおへん。大友家の威信で仕方なく味方した国人がほとんど、しかしそれも無鹿とやらを作る際の無茶でぱぁ!大友でなくば伊東ちゅうわけにもいかず、さりとて威信は高まっても土持を見捨てた島津も信用ならず、ここしばらく北日向の混乱は続き、島津は容易に豊後へ侵攻できん事態になりまいた。大友家は一安心というところで。」

「肥後はどうか?」

「肥後でっか!えへん、肥後はもそっと難しいようにて…。」

もったいつけて昌直が言う。

「南肥後の相良義陽、人吉に居城を構える三十万石の領主ですが、これがなかなかの食わせ者で…。自らは八千の兵を有しながら外交謀略にも長け、あるときは日向の伊東、あるときは北肥後の菊地、また北薩摩国人の菱刈氏と手を組み、永年島津と戦い続けてきた男だす。また人吉盆地にある居城ともども、水俣、佐敷の各城は山間に在ってそれぞれ難攻不落、ただでさえ城攻めが苦手と言われる島津が、いくら国力が増したとはいえ簡単に勝てる相手ではございまへん。」


(三)

 飽きっぽい隆信は、はやこの重要話題にすら興味をなくしたようだ。昌直は消沈しかかる意識を鼓舞しつつ湯殿へ語りかけた。

「蒲池家への手立て、早めに講じるに限ると存じま!わてに任せていただけまっか?」

「許す!」

 ばちゃりという湯音に続いて隆信の大声が響いた。

 昌直はぶつぶつ言いながら馬に跨り麓へと駆けだした。

 江里口藤七は、ほっとしたように肩の力を抜き、主人たちが入っている湯殿をちらと見た。


「入ってまいれ!」

 隆信の声に、脱衣所で座っていた仙はびくりとした。

そのままがらりと戸を開ける。

 湯の中で立ちあがっていた隆信が怒鳴った。

「馬鹿もの!着物のまま風呂に入る気か、全部脱いでまいれ!」

 後ろ手に慌てて戸を閉め、すうっと息を吸い込んだ仙は、意を決したように帯を解いた。


「しっかり立て!前を隠すな!」

 湯殿に入った仙は、胸と下腹に当てていた手を外し直立した。

「後ろを向け!」

 そのままくるりと背中を向ける。

「いくつになった?」

 湯の中で立ったまま隆信が尋ねる。

「十と一。」

 今度は遠慮なく全身を見渡しながら呟く。

「ふん…。まだまだ童のような、しかし、身の丈と脚の張りや肩の筋はなかなかじゃ。剣と弓が得意だそうじゃな。」

 仙が後ろ向きのまま頷いた。ざっと湯を上がる音がする。

「背中をこすれ!」

 仙は湯屋の中をきょろきょろした。

「な…何で?」

 隆信はくるりと背中を向けると座りながら呆れたように言った。

「爪じゃ爪!お前も熊の子なら爪でやれ。」

「あ…はい。」

 命じわれて、どこかしら嬉しそうに仙は父の後ろに立った。

 肥満した毛むくじゃらの巨大な背中がそこにあった。

 初めて見る父の背中。


「お母、あたいにお父はいないのか?」

 父なし子と虐められて帰ればいつも母に言った。

 そのたび、母は力なく笑うだけ。

 その母も八つで亡くなり、村で出した粗末な葬式の夜

 しのつく雨の中、あばら家の前に輿が止まった。

 初めて見る父は恐ろしげな顔をしていた。

 肥前の熊

 冷酷非道な暴虐の君主


 汗に塗れながら、ごしごし擦る指に真っ黒な垢が浮く。

 怪物と恐れられる父が、湯気の中、気持ちよさそうに目をつぶっている。

 仙は、なんともいえない幸福な気分に包まれていた。

「仙よ…。」

 突然の問いかけにうっとりした気分は破られた。

「は、はい!」

「お前、女子を捨てよ。」

 雷に打たれた心地がした。いったい、いったいどういうこと?

「肥前に円城寺という有力国人がおる。わが龍造寺と縁戚じゃが、当主が死に絶え跡目もおらぬ。今日からお主は円城寺に行け!」


(四)

 無我夢中で馬を駆り山を降りた。

 追って来る父の言葉から逃げるように。


 名をやろう。


 名などいらぬ。母から貰った名がある。


 信胤、円城寺信胤、わしの若き日の名・胤信をひっくり返した名ぞ。


 あたしは仙、…仙で良い。


 男(おのこ)となり、父の力となれ!


 あたしは女(おなご)じゃ!


 お前は熊の娘、いや熊の子じゃ。


 あたしは人だ。人だ。人だ。ひ…。


 降りだした土砂降りに馬がよろめき、仙は泥のなかに投げ出された。

 泥にまみれて立ち上がる。馬はどこかへ走り去った。

 水たまりに泥塗れの顔が映る。


 は、は…。


 不思議と笑いがこみあげてきた。もはや顔など…どうでもいい。

 足を引きづりながら、雨で回りが見えない中、いずことも知らず歩き続ける。


「近江守様と左近太夫様の御首にございます。」

 雨の中突然訪れた島津の使者・新納旅庵は言った。

 目の前の二つの首桶を見詰めながら、鎮漣は何かを抑えるように押し黙っている。

「蓋を開けよ。」

 たまりかねて家老の鎮久が小姓に命じた。

 静かに蓋が引き上げられると、しわくちゃの白髪頭と艶のある黒髪の白い顔が現れた。

 突然、鎮漣は飛び上がると、二つの首にむしゃぶりついて行った。

「わしが、わしがっ…、あのとき首に縄をつけてでも連れて帰るべきだったのじゃ!父上っ!三郎!許せっ!…許してくれ。」

 獣のように吠え、涙は滝のように流れた。

「なぜだ!父上も三郎も、あんな戦でなぜ死なねばならんかった。…許さぬぞ、絶対に許さぬ!島津も星野も…大友もじゃ!!」

 愛おしそうに首を置き、ゆらりと立ち上がった鎮漣は、床の間につかつかと歩み寄り、飾ってあった大刀をしゃっと抜き放った。旅庵を睨みつけながらじりじりと近づいて行く。

「鎮漣!ならん、ならんぞ。勝敗は戦の常、島津殿は礼を尽くされているのじゃ!」

叔父の田尻鑑種が叫ぶが、鎮漣は殺気を消さない。

抜き身を下げた弟に鎮久が横から抱きついた。

「兄じゃ、離せ!父と三郎の仇を討つのじゃ!離してくれ!」

「叔父上、御使者を早う別室へ!鎮漣、聞きわけよ。お前はもう蒲池の当主なのじゃぞ!」

鑑種が旅庵を伴って広間から出た。

ふぅふぅと獣のような息遣いをしていた鎮漣は座り込むと、再び首にすがって泣きじゃくり始めた。


廊下の端に、青白い顔をした法姫が立っていた。

今聞こえたことが、頭の中で繰り返し響く。

首?誰の?

なぜ父上は泣いているの?

押し寄せる悲しみと喪失感

今まで感じたことのないものだった。

廊下を踏み外し、庭に落ちた。

綺麗な打掛も顔も泥にまみれた。

誰か…誰でもいいから助けて!


打掛がずるりと庭に落ちた。

降りしきる雨の中、法姫は熱に浮かされたように、ふらふらと城外へ歩いて行く。



 ここは…?


 見覚えがあった。いやよく知っている。


 雨の中、目の前に堀に囲まれた巨大な城がある。

 心なしか、色を失ったかのように見える。


 いつの間にか、ここまで来ていたのか。


 足が自然といつもの場所へ向く。


 こんな雨の日に出てはこないか…。


 いつもの城壁から、幻のように艶やかな小袖が走り出る。

 いつもなら、目が見えぬのが嘘のように、堀中の道を上手に渡りくるのに

 まるで風に舞う紅葉のように、くるくると回って堀へ落ちた。


 足を滑らせた!?


 思う間もなく身体が踊る。

 ざんぶと堀へ飛び込むと、底で沈んでいた身体を引っ張って水上へ。

 道に寝かせ、口うつしに息を思いっきり吹き込んだ。

 けほっけほっ

 咳き込みながら水を吐く。

 何も言わない。誰が助けたかわかるようだ。

 閉じた目から涙が溢れた。

 思わず抱きしめ、背中をさすった。

 自分の目からも熱いものが流れた。

 雨が次第に激しくなる。

 激しい雨は全ての音をかき消した。

 二人はいつまでも道に座り込み思いっきり泣いた。












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