第14話 双頭の蛇
(一)
軍勢の先頭で、金地に赤い日の丸をあしらった扇がひらひら揺れている。
「ちっ、この程度の勝利で浮かれおって、臆病もんがぁ!」
田北鎮周が馬上から道に唾を吐いた。
「まぁ、そう言うな。今山合戦以来、戦場に出るのが怖くて怖くて、臆病者と影で言われていたのを、やっと払拭できたとでも思っているのじゃろう。こういうときは喜ばせておけ。」
佐伯宗天が馬を寄せて言った。
今山合戦とは、元亀元年、佐賀城に千で籠城した龍造寺隆信を、大友軍が三千で攻めた戦いである。大友方は、宗麟の弟・親貞を総大将に、立花道雪、高橋鎮種、角隈石宗、田北鎮周などそうそうたる武将たちが従軍したが、龍造寺側の守り堅くなかなか佐賀城を落とせなかった。
上手くいかない城攻めに、さすがに落ちていく士気を高めるため、ある夜、親貞は酒宴を開いた。ところが、それを狙ったかのように、鍋島直茂率いる龍造寺軍五百が奇襲をかけてきた。龍造寺軍と大友軍が乱戦となる中、田原親賢は軍監として親貞と共に本陣天幕の中にいた。そこへ騎馬のまま単騎踊りこんできた成松信勝の槍によって、親貞は一瞬で串刺しにされてしまった。
親賢はその後、夢でうなされることが多くなった。何度も今山の夢を見た。踊りこんできた黒い馬、伸ばされる槍、串刺しにされた親貞、悲鳴を上げながら天幕を転がり出る自分。そのうち、戦に出ること自体が怖くなった。臆病者とどれだけ批判されても、奥向きにのみ従事し、決して戦場には出なかった。そして妹のおかげもあって加判衆にまで出世し、家老まであと一歩というところまで来た。しかし、さすがに家老となると武功を問題とせぬわけにはいかず、親賢は嫌々ながらも戦場に出ざるを得ないことになった。
出る以上は、極力安全で確実に功を上げられる戦いを。
縣城の戦いは、そういう親賢にとってうってつけの戦いだった。
「おお抱き杏葉の旗。殿がお出でか?」
出迎えに出た側近の志賀道輝に親賢が馬を下りながら聞いた。
「はは、大殿もいらっしゃいます。」
「そうか!」
親賢は上機嫌で門川城大広間へ向かった。これで家老は間違いなかろう。
大広間上座には義統、宗麟が並んで座っていた。勇んで戦勝報告をしたが、義統はともかく、宗麟はそっけない。実権を未だ宗麟が握っている以上、今回の功を何としても認めてもらわねばならなかった。しつこく戦の経過を語る親賢だったが、宗麟はあからさまにそっぽを向きだした。そこへどかどかと使い番がやって来た。
「首尾よういったか?」
「はっ、ことごとく!」
「結構!」
そう言うと宗麟は立ち上がり、続けて義統も立ち上がった。
「大殿、殿、いずこへ?」
「豊後に引き上げる。お主も同道せい。」
「はっ!それでは門川城の守りは?」
宗麟は立ち止まってしばらく考え言った。
「佐伯宗天を残せ。あやつならどんなことがあっても、何とか出来るじゃろう。」
(二)
「どこまでついて来るんじゃ!」
馬上の誾千代が振り返って叫んだ。
「金牛の姉御につかず離れずお守りするよう言われているんで!」
馬の後ろを疾走しながら蜊(あさり)が叫んだ。
「勝手にしろ!」
そう言うと誾千代は府内の城下へと馬を跳ばした。
宗麟を探して、思いつく限りの所を駆け回ったが、ついに会えずじまいで、さすがにとぼとぼと帰る途中、見覚えのある猩々緋の羽織を見かけた。
「石宗様!」
呼びかけると角隈石宗は、うれしそうに手を振った。
「おぎん、どうした?」
「大殿さまを探しているんだけど…」
「ああ大殿か…日向からこちらへ向かっていると連絡は受けておる。」
石宗の顔が露骨に曇った。
「おぎんは、大殿と仲良しか?」
「うん!大殿は面白いのじゃ。」
「面白いか…」
石宗は遠い目をした。若き日の宗麟様は聡明さが目立ち、確かに面白いお方じゃったが、今は。
宗麟率いる大友軍が、北日向じゅうの神社仏閣全てを破壊して回ったという知らせは豊後にも届いていた。歴史ある古刹にも容赦が無かったという。さすがに僧侶や神官の命は奪っていないが、大友の悪名は北日向に響き渡っているらしい。
「こんなことで、本当に北日向を手にできるとお思いなのじゃろうか…」
誾千代は考えに沈みこんだ石宗の顔を、にこりと覗きこんだ。
「石宗様どうした?」
「ああ、いや何でもないぞ。」
「大殿は日向から軍を退いたのか?」
「一応な。」
「それでは島津に取り戻されてしまうんではないか?」
「大丈夫じゃ、佐伯宗天が残っておるそうじゃ。」
「佐伯宗天とは強いのか?」
「ああ、強い。」
「父上よりか。」
石宗はしばし考えて答えた。
「そうさのぉ。守りに関しては、道雪の”三鈷杵陣”より、宗天の”双頭の蛇”が強いかもしれん。」
双頭の蛇は、水軍の大将である宗天が、水上の戦いを陸上でも再現したいと依頼し、石宗が考案した陣である。一方の頭を佐伯軍千、もう一方の頭を蒲江軍五百が務め、蛇がのたくるように変幻自在、ぬえのように捉えどころのない陣である。その変則的な動きで相手を疲れさせ、止めをさす姿はまさに蛇が獲物をなぶるが如し。宗天の卓越した指揮もあって、道雪の軍とどちらが強いと聞かれても、石宗でさえ即答できぬ程だった。
(三)
義弘が兄・義久から呼び出されたのは、雨季の六月になってからだった。
「もはや大友との決戦は避けられんところじゃが、そのためには日向中央にある石ノ城の長倉勢五百が邪魔じゃ。」
地図を広げて言う義久に、義弘は石ノ城のあたりを閉じた扇子で示しながら言った。
「この城、守りは堅か。少なくとも敵の十倍の兵が必要でごわす。また、攻め手は城攻めに練達しとかないきもはん。おいが行きもそ。」
義久は義弘の目をじっと見て行った。
「いや、わいが出っとはまだ早か!こん城は、大隅勢を中心とした七千に攻めさす。総大将は島津忠長じゃ。」
忠長は義久たちの父・貴久の末弟・尚久の嫡子であり、従弟に当たる。父・尚久は兄弟の中で目立たなかったが、少しおとなしいきらいはあるものの、忠長は文武に秀でた将であり、その明晰な頭脳で義弘から金瘡術(軍医術の一種)の伝授を受けたりしている。二十七歳で総大将の経験はないものの、家柄的にも、能力的にも総大将に不足なしと思われた。
「しかし、初の総大将で大友勢攻めとは荷が重かっじゃなかろうか?」
義弘の心配に義久はきっぱりと言った。
「何事も経験じゃ。それに大友勢とはいえ実質は伊東家の旧臣ども、しかも日向中央にある城で、敵の勢力圏から離れておっ。その上、宗麟は引き上げ、門川城には千五百の佐伯勢が残っておっだけじゃ、千五百では耳川を越えてまで救援に来んじゃろ。心配は無か。」
翌日、島津忠長は内城に呼ばれ、石ノ城攻略の総大将に任じられた。
「今回の主力は大隅勢、日向勢じゃが、寄騎として二人、お主に薩摩の将をつける。」
義久が手を叩くと、後戸ががらりと開いて、大広間に二人の男が入ってきて平伏した。
小柄な男と六尺近い痩せた大柄な男
「猿渡信光と頴娃久虎じゃ。信光は山岳や森林での奇襲の名手、久虎は騎馬部隊を率いれば薩摩一、頴娃衆の機動力を使った奇襲の名手じゃ。ともに薩摩の軍法・釣り野伏りには役立つ軍勢、お主は釣り野伏りは使うたことはまだ無いじゃろうが、この二人、将として存分に使うてみたらよか。」
「かたじけなく!」
同日、忠長は二千の兵を率い、猿渡勢二百、頴娃騎馬衆三百と共に、その日のうちに日向庄内(現在の都城)へ至った。そこで北郷時久が率いる五百、肝付兼護、伊地知重興、佐多忠増も各五百、併せて四千五百で七月に日向佐土原へ入り、そこで南日向、日向中央の国人衆二千五百が合流し、総勢は七千となった。
石ノ城は新納院(現在の都農町、高鍋町一帯)にあり、山田有信守る高城からも、家久守る佐土原城からも目と鼻の先にあると言って良い。日向の島津の本拠地に楔のように打ち込まれた石ノ城は、なんとしても攻略しなければならない城だった。忠長は全軍に進発を命じ、七月七日に石ノ城に至り包囲した。
(四)
「石ノ城が包囲されたか。」
天守に立つ佐伯宗天は、 見えもしないのに手をかざしながら南方を眺めて言った。
「はは、長倉佑政から救援依頼が来ております。」
近習の吉田敬三郎が、ずんぐりむっくりな体に似合った大きな目をぎょろぎょろさせながら言う。
「助けに行くか。」
「敵は七千、我らは千五百ですぜ!」
副将の蒲江統逸が大仰に驚いて見せた。
「本気で言っておるんか?」
そう言って主従は顔を見合わせて笑い合った。
「面白いなぁ、縣城のときと似た状況、島津家久も同じ千五百の兵を持つが、土持親成の救援要請を無視した。じゃからこそ、わしらはあえて耳川を渡って助けに行くんじゃ。」
「殿のやることはいつも痛快ですな。」
「短い人生じゃ。面白う生きねばのぉ。」
間もなく佐伯軍は進発した。その装備は驚くほど軽装で、兜を被っていない者も多い。基本的に水軍である佐伯軍の兵は、百姓ではなく漁師がほとんどで、その命知らずの戦いぶりは、豊後のみならず九州北部中を震え上がらせていた。
「援軍です!」
「宗天殿が来てくれたか!」
石ノ城で歓声が上がった。
壮絶な抵抗に石ノ城を攻めあぐねていた島津軍にも、佐伯軍接近の報はもたらされた。ここで忠長は凡庸ではない指揮を見せる。
「全軍、急いで城攻めを中断し、城から距離をとれ、佐伯軍に向かって鶴翼の陣を張る。」
城側と佐伯軍の挟み撃ちを避け、まず佐伯軍を全力で破る策だった。
鶴翼は大軍が寡勢に向かう正攻法で、鶴の胴体に当たる本陣に敵を誘い込み、左右の翼で包囲殲滅する戦法である。中央先陣を日向衆二千五百、本陣を忠長軍二千、左翼は肝付軍、佐多軍、伊地知軍千五百、右翼は北郷軍、猿渡軍、頴娃軍千である。
「良いか、敵を押し包みつつ前に押し出すことを意識せよ。下がって城に近づけば、城との挟み撃ちにあうぞ!」
(五)
「ほう、敵将島津忠長、若いとは聞くが、なかなか良将じゃな。」
佐伯宗天はそう言って、さっさっと軍配を振った。
真っすぐ本陣を目指すと見せた先鋒五百の蒲江軍が、突如左翼に転進した。通り過ぎた佐伯軍全体を包囲に動いていた肝付軍ら大隅の千五百の軍勢は、蒲江軍に腹背を突かれる形になり混乱した。そこへ宗天率いる佐伯本軍が突っ込む。
「右翼に佐伯軍の後ろを突かせよ!このままでは左翼は全滅じゃ。」
号令一下、右翼は頴娃騎馬隊を中心に佐伯軍の背後へ殺到していった。
「反転!」
宗天は右翼の突撃を読んでいたかのように、佐伯軍を反転させると迫ってくる島津軍に対して一斉に矢を放った。頴娃騎馬隊が次々と矢を受けて倒れる中、それを掻い潜って抜刀した一団が迫る。
「ほう、馬なみに足が速いな。」
宗天は感心しながら弓隊を後ろに下がらせ、長槍隊を前に出した。
「隊列を崩すな。隙間から入り込んで乱されるぞ。わしの声に合わせ、一斉に槍を突き出せ、それ!!」
密集陣形から繰り出される槍に、猿渡衆は燈火に飛び込む蛾のように次々と串刺しになった。
左翼は下がって態勢を立て直そうとするが、蒲江勢がしつこくへばり付いて離れない。
「このままでは、右翼左翼ともに深刻な打撃を受けます。乱戦に巻き込まれるっとは百も承知ですが、救援のため日向勢を前方へ!」
軍監・清水康興の進言に、忠長が指令を下そうとしたとき、頭上から矢の雨が降り注いだ。
「しまった!前方の動きに気を取られている間に、徐々に城付近まで押しこまれていたのか。」
「射よ、射よ!今が勝機ぞ!!」
石ノ城では長倉佑政が声を限りに叫んでいた。
その段階では、前に佐伯軍、後ろに石ノ城の挟み撃ちが成立し、島津軍は前進も後退もままならぬ窮地に追い込まれていた。
ここで忠長はしばし考え、全軍撤退の指示を出した。忠長の指揮への評価は分かれるところだが、島津方の死傷者は五百名以上と伝えられる。
佐伯軍と城から勝ち鬨が上がった。
宗天は感慨の無い目で、撤退していく島津軍を眺めていた。
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