第15話 日向螺鈿(ひゅうがらでん)
(一)
「申し上げます!」
府内城に早馬が到着し、雪崩こむように中庭に走り込んだ伝令が、声の限りに叫んだ。
「石ノ城にて島津七千と籠城軍五百、佐伯宗天様率いる千五百が激突し、お味方勝利にございます!」
「うむ!」
障子がガラリと開いて、田原親賢が満足気に言った。
「さらに!」
伝令は言葉を一気に吐き出した。
「日向中央の上野城主今井、隈城の堺ら国人ばらが我が方に寝返りました!」
「よーし!」
親賢は障子を閉めて振り返りにこにこしながら言った。
「祝着至極にござる。」
義統が珍しく父に提案した。
「父上、とりあえず長倉佑政と佐伯宗天に感状を。」
聞いた宗麟は少し嫌な顔をした。
「宗天は役目を果たしただけであろう。長倉のみで良い。」
広間から下がり、廊下を歩きながら親賢は思った。
大殿は宗天殿に対し過去のわだかまりが抜けていないようじゃ。
過去のわだかまりとは、謀反の疑いをかけられた宗天が、一族郎党を率いてさっさと海に逃げてしまったことに他ならない。毛利との海戦でしれっと戻ってきて手柄を立てたのも小面にくいのであろう。そう考えていると、どこからともなくひそひそ話が聞こえてきた。
…大きな、大きすぎる手柄じゃ…
……は、間違いないところよ…
親賢は思わず聞き耳を立てた。話は宗天に関することのようだ。なに、じきに家老になるのは間違いないだと!
確かに、調略まで含めて日向における宗天の手柄は大きい。いや、このまま門川城においておけば、更に手柄を立ててしまうじゃろう。
踵を返して大広間に向かいかけた親賢は、庭に見慣れぬ老人がいるのに気付いた。
「おい、お主は初めて見るの?」
老人は庭木に鋏を入れるのを止め、とんとんと曲がった腰を伸ばし、すぐに平伏して答えた。
「うへーっ!最近、雇われました庭方にてございやす。」
親賢は少し不審に思ったが、よぼよぼの老人に大したことはできるまい、考えすぎじゃと思いなおして、大広間に向かいがらりと障子を開けた。
「何用じゃ。」
不機嫌に聞く宗麟に、親賢はお話がありますと切り出した。
(二)
「日向国人が次々と大友方へ寝返っておいもす。早く手を打たんと、せっかく伊東を追いやったことが元の木阿弥になりもんど。」
歳久の言葉に、義久は問いで返した。
「再び調略をかけっか?」
「いや、国人どもの心が離れよっとは戦に負けたからごわんど。戦で威信を示さんと、利や言葉で釣ってもなびかんと思いもす。」
「義弘を出すしかなかか。」
「そいについては、是非とも総大将にと言うちきとるもんがおいもす。」
「誰(だい)か?」
「征久で。あやつは、先の戦の総大将に忠長が選ばれたのがよっぽど腹にすえかねているようじゃ。」
島津征久は忠長同様に義久たちの従弟にあたる。その父、忠将は島津家の武神と呼ばれた猛将で、征久も父同様に血の気の多い猛将である。それゆえ、先の戦いでは、分別に長けた忠長の方を大将に選んだのだが、同年の忠長が先に総大将とされたことに、征久は誇りを傷つけられ、今回こそは譲れぬと言ってきているらしい。
「やや短慮なところがあっが大丈夫か?」
「最近は大分、落ち着いてきたごと思いもす。」
義久はしばらく考え込んでいたが、こう結論付けた。
「よし総大将は征久でいく。ただし忠長にも名誉回復の機会を与える。忠長を全軍の副将とせよ。」
頷く歳久に義久は言葉をつづけた。
「今回は必ず勝つ。そのための布陣をする。若い二人の目付として伊集院忠棟をつける。」
島津支族である伊集院家は、代々島津本家の軍配師(戦において吉凶を占う役目)を務める家柄で、代々優秀な当主を輩出し、本家の家老なども務めてきた。忠棟は若いころから「伊集院の麒麟児」と言われた男で、文武に秀でた良将である。現在は鹿屋を中心とした大隅六万石を治めており、一門以外の家来では最高石高、その兵も精鋭ぞろいである。
翌日、征久を大将とする一万の布陣が組まれ、日向鎮圧の命令が下された。
その陣容は
大将:征久 二千、副将:忠長 二千、参軍:伊集院忠棟 三千、肝付 五百、 伊地知 五百、佐多 五百、北郷 五百、猿渡 二百、頴娃 三百、比志島国貞 千
である。征久、忠長の一門衆に、伊集院、比志島といった家老格の武将を加え、兵質的にどうしても劣る日向衆を外した、まさに必勝の布陣であった。
(三)
門川城に義統からの命令が届いたのは、島津軍が内城に参集したまさにその日だった。命令を開いた宗天の顔は一瞬曇ったが、にやりと笑って目を閉じ、書状をポンと蒲江統逸の方へ放り投げた。
「今回の件、お褒めの言葉ではないので?」
統逸が書状を拾いながら言う。
「逆だな。」
宗天が天守窓から南を見つめて言った。
「更迭さ。佐伯へ帰れという。」
吉田敬三郎が目を剥いて怒鳴った。
「我らは他人に出来ぬ手柄をいくつも上げたのに、何をもって更迭されねばならんのですか!」
宗天が剃りあげた頭をつるりと撫でた。
「手柄を上げすぎたのさ。」
「どういうことでござる!」
「出る杭は打たれる。手柄の多さに恐れをなした出世虫が、また大殿や殿に讒言したのであろうよ。」
怒りのあまり立ち上がった敬三郎と逆に、蒲江統逸はへなへなと床に座って言った。
「今後、日向はどうなりましょう?」
「さあな、わしらの代わりに志賀ら側近たちが五千の兵を率いて門川に入るそうじゃ。殿のおおぼえ目出度い奴ばらが、何とかするのではないか。」
佐伯勢は引き継ぎも待たず早々に佐伯へと引き返した。
その翌日、豊後から志賀道輝、朽綱鑑満、一万田鑑実が五千の兵を率いて門川城に入った。入ったその日から彼らが行ったのは、日向の地図を広げての連日の会議である。各々自分こそ優秀な側近との自負があり、口角泡を飛ばしての激論はやむことを知らなかった。宗天がほとんど議論せず、敵であれ味方であれ毎日、日向の国人領主を訪ねて回ったのと対照的だった。
八月になると、島津勢一万来るの報が門川城にもたらされた。側近三人衆は、その報を受けて、競うように別々の書状を義統宛てて送ったが、事実の情報少なく、ほとんど憶測に基づくものだった。
島津勢は征久軍五千と忠長軍五千の二つに分かれ、まるで競うように征久が上野城、忠長が隈城を攻撃し、孤立無援の両城を半月経たずに落城させた。その攻めは、降伏は許さず、国人であろうと伊東家旧臣であろうと、城にいる者は皆殺しにするという苛烈さだった。
その急報が次々ともたらされる間、大友家側近衆は門川城に籠ったままで、相変わらず連日、ああでもないこうでもないと会議を繰り返していた。
(四)
府内城から深刻な顔をした石宗が出てきた。たまたま登城しようとしていた吉弘鎮信はそれを見つけ声をかけた。
「老師、どうなされました。」
「おお鎮信か。どうもこうも…」
義統にも宗麟にも半年来会えていないというのだ。どうも居留守を使われているらしい。
「大友家の危急存亡のときに、軍師たるものが情けない限りじゃ。」
石宗は肩を落とした。傍目にもわかるくらい憔悴している。
「日向の動向でござるか?上野、隈の両城があっさりと落ちたとか。」
両城とも堅固な山城であったのに、その報には鎮信も耳を疑っていた。
「そうじゃ、それなのに門川は全く動いておらぬ。」
「あの三名なら無理からぬことと存ずる。」
「まったく、宗天がいれば、このようなことになっておらぬものを!讒言に踊らされて…。」
鎮信が自分の口に人差し指を当てた。
「声が高うござる。何者が聞いておるかわからぬゆえ。」
「かまわぬ。一方で島津義久は、競い合う武将をひとつ軍勢に入れ、そのいがみ合いまで利用して軍の強さを二倍、三倍にしておる。油断の出来ぬ男じゃが、出来得るならそういう男に仕えたかったのぉ。」
「………。」
天を見上げていた石宗は、はっと思い当ったように言った。
「そればかりではない!もっと大きな危機が迫っておるのじゃ。お主は将軍家が鞆におわすのを知っておるか?」
「は、噂には聞いております。」
将軍・足利義昭は織田信長に追われ毛利家を頼っていた。義昭は安芸・鞆に屋敷を与えられ「御所」と称している。世に言う鞆幕府であるが、実権の無い名ばかりの幕府だった。よって鎮信も気にもしていなかったのだが
「実権を失っても名は失わぬ。将軍家は将軍家と言うことじゃ。ましてや、義昭様は策謀好きで有名な方、信長の擁護を受けながら、武田、上杉、浅井、朝倉、本願寺などに書状を送り、反信長包囲網を完成させ、織田をいっとき窮地に追い込んだお方じゃ。甘く見ることはできぬ。」
「なにか、将軍家に動きがございましたか?」
「上野城が落ちた後、将軍家から島津に使者が赴いたようじゃ。どうやら大友追討令が下されたらしい。」
「!」
義昭は、なかなか腰を上げない毛利家を、織田家に向かわせるため、毛利家の永年の宿敵である大友家を滅ぼしてしまおうと思ったようだった。
「あの将軍家のこと、おそらく、島津だけでなく、四国の長曽我部、九州は龍造寺、甲斐や隈部、赤星など旧菊地家の大名、阿蘇、相良などにも追討令を発しておろう。これを大友家始まって以来の危機と言わずしてなんという!」
鎮信の顔も青ざめている。
「わかり申した。拙者の方でも手を尽くして殿、大殿に伝えるように致しましょう。」
「頼むぞ、今は日向にかまけている場合じゃない。それなのに、入ってくる情報は、大枚の軍資金を使って職工二千名を集めたとかいう話ばかりじゃ。いよいよ神の都とやらを作る気じゃろうが、そんなことをしたら、大友は早晩滅んでしまうぞ。」
(五)
そのころ、臼杵城では伊東義祐が大友宗麟の袖に取りすがっていた。
「お願い申す。一万で良い、なんとか石ノ城救援のため兵を出して下さらぬか!」
宗麟はにべもない。
「お放しあれ。石ノ城のことは、門川の三人衆に任せてある。」
「門川も何度言うても兵を出さぬではありませぬか。大友殿は本気で我らをお救いくださる気があるのか!」
「失礼な!この宗麟、一度言うたことを曲げたことは無い!」
「それでは兵をお出し下され。このままでは今日明日にでも石ノ城は落城してしまいます!」
「しつこい!」
袖を払われて倒れこんだ義祐はきっと宗麟を睨んだ。
「聞いておりますぞ!」
「何をじゃ?」
「我らを救う、義戦じゃという傍らで、北日向の寺院、神社を焼き討ちし、二千人もの職工を集め、建築材料に巨費を投じて、豊後で叶わなかった神の国を、日向に打ちたてようとされていると!」
「らちもない。」
そういうと宗麟は手をポンポンと叩いた。屈強な近習が現れ嫌がる義祐を部屋の外に引きずり出した。
「我らを騙したのか!大友宗麟とはそのような男か!この畜生め!」
義祐の声が遠くになっていく。宗麟は天守窓を開け、足下に広がる海を眺めた。
周囲には死体が転がり、崩れた壁や、ぶすぶすと黒煙を上げる柱が見える。城の外からは攻め上がる喚声が聞こえてくる。矢倉からひとりまたひとりと味方が射落とされてくる。石ノ城は一万の島津勢の猛攻に、五百の兵で十日間持ちこたえた。何度も門川や豊後に救援要請を送ったが、返事もなし、一兵の援軍も来なかった。それでも兵を励まし戦ってきたが、全軍に疲労の色濃く、もはや抵抗も限界と感じられた。
「せっかく、ここまで頑張ったのにのぉ。」
長倉佑政は肩を振るわせながら、誰とも知らずそう言うと伝令を呼んだ。
九月二十九日、ついに石ノ城は落ちた。長倉佑政が全面降伏を申し出て、自らの命と引き換えに城兵の助命を嘆願した。総大将・島津征久は殊勝なりと感激して、長倉含め城兵すべての命を助け解き放った。先の二城の苛烈な処理とは真逆な温情を見せたのだ。長倉らは豊後へ去ったが、日向国人たちはこの戦いで島津の威信に触れ、次々と心服の意を表した。
大友、伊東、島津、螺鈿のように様々な色に散りばめられていた日向は、いま島津一色に塗り替えられようとしていた。
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