第13話 非情の罠
(一)
「殿、急報でござる!とのー!」
阿多重国が小柄な体で廊下中を駆け回る。武者溜まりががらりと開いて恒吉為範が、大きな顔を出した。
「重国、やかましかぞ!何を慌てておっとじゃ。」
「おお為範、一大事じゃつど。一大事!なんと大友がこの日向に攻め寄せてきおった。」
「なに、そいは一大事!」
二人はそろって、この佐土原城の主人である家久を探しだした。
「公子(きんご)さぁはどこにいかれたっじゃろう。こげな一大事に。」
「こら!為範よ。家久さまは今は立派な城持ち、公子様ではなく殿と呼ばんか!」
公子とは薩摩における嫡子でない主君の子供の尊称である。島津四兄弟では、義弘以下があたるはずだが、誰も義弘のことは公子と呼ばず、歳久、家久の通称となっている。先祖代々島津家に仕えてきた為範も十分わかっているのだが、昔の呼び方がつい出てしまう。
探していた家久は縁側に座って、庭を眺めながら呑気に小鋏で爪を切っていた。
「殿、ここにござったか!一大事にござる。お、大友が…」
「重国、まずは息を整えんか。大友が侵攻してきたこつなら知っておっ。」
「そいでは、すぐ陣ぶれを!兵どもを集めて、すぐ土持どんの救援と石ノ城の奪回を!」
為範が手をぶんぶん振って訴えた。
ぱちっ
爪を切る音が高く響いた。
「あいたた、為範、わいが大声を出すっで、深爪してしもうたろうが。」
「こいは、あいすみもはん。そいどん…」
「よか!すぐには兵はださん。成行きを十分見極める。以上じゃ。」
「そいなら、土持どんは見殺しごわすか?そげなこつをしたら日向の国人の心が島津から離れてしまいもす。」
重国の問いに答えず、家久は立ち上がりざま膝をはたいて爪を落とすと、奥の間の方へ消えて行った。
(二)
「なんな、島津から援軍は来んちな!」
使い番の言葉は土持親成を激怒させた。
「同盟を結んで早々にこいか!」
「この上は、我らも大友方に!」
老臣・夏田弾左衛門の言葉に、親成は頭を横に振った。
「武士の意地じゃ!大友はともかく、伊東とは先祖代々争ってきた。裏切り者の米良たっや伊東の旧臣なぞに降伏せんど!」
「しかし、ここは敵の本拠・門川城に近すぎもす。山城じゃちゅうても平地の小高い丘に過ぎず、三百程度の敵には耐え得ても門川の大友勢三千が押し寄せたら一溜まりもあいもはん。」
「なんの、我が気合いを見よ。三千が一万でも退けて見すっど!」
頑固な主人は言い出したら聞かぬ。弾左衛門はため息を呑み込むと持ち場の二の曲輪へと向かった。
「あなた…」
小見の方が幼い千住丸の手を引いてやってきた。心配そうなその顔を見て、親成は殊更笑顔を作った。千住を手招いて抱き上げると、顔を曇らせる妻に心配はいらんと言った。
「しかし殿‥」
「大丈夫じゃ、米良ごとき何人来ても敗れはせん。」
「今、門川に数千の敵がと‥」
親成は少し困ったような顔をしたが、再び歯を見せて笑った。
「ちゃんと考えておっ。薩摩の島津本家に援軍を乞う。なーに、土持あらずば北日向の安定はなか。必ず援軍は来っど。」
(三)
「殿が居ないとはどういうことだ!何用でどちらへ行かれた!」
「私に言われましても、何も知らないのです。」
近習の衛藤永四郎が汗を拭いながら釈明する。
「わしは加判集じゃぞ!そのわしにも言えぬか!」
「そう言われても、知らぬものは知らぬのです。」
「大殿は?」
「知りませぬ。」
「えーい、お主では話にならん!田原親賢を呼べ、まさかそれも知らぬとは言うまいな!」
「田原親賢様は登城していらっしゃいません。」
「この大事に後見がか!」
「私に言われましても。」
黙ってやり取りを聞いていた道雪が石宗の肩を叩いた。
「問答を続けてもらちがあきませぬ。お師匠、まずは吉弘鎮信に事情を聞きましょうぞ。」
噂をすれば影、玄関に向かって歩き出した二人の前方から、吉弘鎮信が現れた。
「これはお揃いで。」
「おお鎮信。加判衆筆頭のお主の所へ向かうところじゃった。」
そう言う石宗と道雪に会釈して、鎮信は二人を侍溜まりへと誘った。どういうことか、いつも数十人いる近習の姿が見えない。
「ここなら良いでしょう。お話とは殿がいない件でしょう。」
「そうじゃ、あらかた想像はつくが。」
「その御想像通り、殿、大殿、田原親賢とも八千の兵で日向に出陣してござる。」
「なんじゃと!ご定法に従い加判衆による衆議も開かんでか?」
「そのご定法、殿が独断で兵を動かせるよう最近変えられたようで。」
「定法を変える場合も、加判衆に諮らねばならぬ慣習のはず。」
「カビの生えた古い慣習に従うことはないと言われまして。」
黙ってやり取りを聞いていた道雪が口を挟んだ。
「失礼ながら殿が考え付くような話ではない。大殿じゃな。」
「おそらく。」
そう言う鎮信に、石宗が食って掛かった。
「お主は、こんな出陣を手をこまねいて見ておったのか?」
鎮信は頭を横に振った。
「私にも知らされていなかったのです。兵は府内ではなく、大殿の居城のある臼杵に集められ、私には日向到着を知らせる書状一枚届いただけ。」
ああ
石宗は天を仰いだ。
「歴史ある大友家も、ついに滅ぶか。」
「滅多なことを言われるものではない!」
道雪が師匠を諌めた。
「とにかく、殿に会わんと話になりません。このまま日向へ向かいましょうぞ。」
(四)
「兄上、兄上おわすか!」
廊下をどすどすと重量感ある足音が近づいてくる。
「義弘兄でごわそう。戦場で鍛えた声は遠くからでも良う解いもすな。」
歳久の言葉に義久は苦笑した。単純勁烈というか、愚直正直というべきか、声の調子で何の件かすぐわかる。
がらっと障子をあけて入ってきた二つ下の弟に、義久は問いなしに答えた。
「土持が件であろう?」
義弘は義久の前にどっかと胡坐をかいて言った。
「おわかりなら話は早か。援軍は出さんち言われたとか、そいではせっかくお味方になってくれた土持どんに申し訳なか。また武士の一分が立ちもはんど!」
歳久が話に割って入った。兄たちに比べると小柄だが、冬だと言うに浅黒く日焼けして、節々緊張し膨れ上がっており全身これバネといった体躯だ。
「兄上、縣城を囲んでおっとは、裏切ったとはいえ、北日向の国人たっじゃ。大友の兵は門川城から動いてはおらん。義久兄は兵を出しての無用の刺激は避けるべきと考えておらるっ。それに三百程度の兵で縣城は落ちんよ。」
義弘は歳久の方を向いて言った。
「歳久、お前(おまん)が言うとは道理じゃ。おいは土持どんに信義を示すべきじゃと言うちおる。」
義久が今度は義弘に言った。
「信義は大事じゃが、大友相手は大戦じゃ。信義によって家を危うくはできん!」
義弘は一瞬ぐっと詰まったが、こう言葉を絞り出した。
「家も大事、信義も大事。こうなっては兄上、おいを土持どんの所へやってたもわはんか?何とか城に潜り込み、おい一人でも手助けをしたか。」
義久は頭を強く振った。
「ならん!おまんが行ったら、おまんを慕う二才(にせ、若侍のこと)どんが必ず後に従う。その数、二千はくだらんじゃろう。結局、派兵したのと同じになっど。」
「いけんしても!」
「いけんしてもじゃ。」
歳久がまた口を挟んだ。
「義弘兄、この件は佐土原ん又七郎に任せてあっ。最悪、縣城が落城となっても、土持一家だけはなんとしても助けるようにち。ここは又七郎を信じて見らんな。」
そこまで言われて義弘は不承不承引き下がらざるを得なかった。
義弘が下がった後で、歳久は義久に問うた。
「兄上、義弘兄に打ち明けんで良かったじゃろうか?」
「土持を大友を誘い出す餌にするちう話か。義弘が納得するわけがあろうか、それを聞けば、いきり立って縣城へ向かってしまうわい。」
それでも、歳久は思った。
それでも、非情すぎる策ではないか。
(五)
「あの輿は道雪の親父ではないか?」
千の軍中の田北鎮周がひとりごとのように言い、輿に馬を寄せた。
「おお、猪突騎にも動員がかかったのか?」
道雪の問いに鎮周は頷いた。
「他は誰が出陣しているのじゃ?」
石宗の問いに鎮周は意外そうな顔をした。
「なんじゃ!大軍師が知らんのですかい?」
石宗が嫌そうな顔をしたので、鎮周は尋ねるのを止め問いに答えた。
「田原勢三千と佐伯勢千五百と聞いちょります。門川城に集合で。」
「殿と大殿はどこじゃ?軍を率いてきているはずじゃが。」
「さあ、わしは聞いておらんので何とも。」
石宗と道雪は、猪突騎に同行して門川城に行くことにした。少なくとも、田原親賢に聞けば、義統か宗麟の行方が分かるはずだ。
門川城門前には、城に入りきれないほどの軍勢がひしめいていた。
「わからんじゃと、嘘を言うな!お主が知らんはずはない。」
天幕の外に石宗の怒声が響き渡る。
「老師、冷静にお願いしたい。わしも動員令を受けただけで、殿や大殿がどこにござるか皆目見当がつかんのでござる。」
しらっとした顔で田原親賢が言う。
「それで後見役が務まるか!!」
「わが身へのお叱りならご存分に、とにかく知らぬものは知らぬのです。」
ちっと舌打ちして石宗は親賢に念を押した。
「よし分かった!それでは殿の居場所がわかり、その命令が下るまで、大友軍は動かんのじゃな。」
「いいえ」
「どういうことじゃ!」
「このたびの土持攻め、総大将は身共が務めるよう、殿より仰せつかっておりますゆえ。」
「さっき、ただ動員令を受けたのみと言うておらなんだか?」
「これは失念!その際、総大将も仰せつかっております。」
「……!」
石宗の顔がゆで上がった蛸のように赤くなった。
道雪が袖を引く。
「ここで話してもらちが明きませぬ。五千もの大軍が動いているゆえ、何か痕跡を残しているはず。村々を巡って話を聞きましょうぞ。」
門川城を後にした道雪、石宗は村々で話を聞いたが、天に上ったか地に潜ったか、不思議なことに大友本軍の動きはつかめなかった。
(六)
三月となり、城がなかなか落ちぬのに業を煮やした親賢は、ついに田原勢、佐伯勢、田北勢に縣城への進発を命じた。縣城へ着いた親賢は、搦手門を米良勢ら三百に任せ、自身は三千で大手門を、西に佐伯勢千五百、東に田北勢千を配置し、法螺貝の音と共に一斉に攻めさせた。
「殿、少し前に出たばかりですが、これ以上攻め登らんので?」
鎮周に副将の江副盛周が問うた。
「気がすすまん!」
声が周囲の喚声にかき消され、江副はもう一度確認した。
「気がすすまんといったわ!五十の敵に六千近い味方、これはもう戦ではなく虐めじゃ。」
「しかし、攻めんでおとがめを受けるのでは?」
「賭けてもいい、佐伯の伯父御もおそらく軍を動かしてはおらんはず!」
そのころ、佐伯宗天は陣を動かさず、火鉢を取り寄せて手を温めていた。
「殿、黙って見ておくので、攻めかからんのですかい?」
副将の蒲江統逸が聞いたが、宗天は手を火鉢にあてたまま身じろぎもしない。
「殿!」
いらいらした様子の統逸に、宗天はやれやれと言った様子で応えた。
「放っておけ。我らはただ囲んでおればよい。手柄が欲しい親賢が、黙っていても攻め取るさ。」
「進め、進め!犠牲を恐れるな!命を惜しむな!豊後武士の意地を見せよ!!」
初めての総大将、しかも敵はたった五十ということもあって、親賢は子供がはしゃぐように軍配を振り続けた。
城から次々と射られる矢に、次々と倒れながらも、田原勢は大手門に殺到した。
「殿、大手門はもうすぐ落ちます。」
「そうか…。」
土持親成は力なく笑った。
「えーい悔しや。裏切り者の急襲さえ受けなければ、本来五百の兵を集め、万の敵からも城を守れたじゃろうに。」
「次は勝ってくだされ。」
夏田弾左衛門の言葉
思わず親成は聞き返した。
「どういう意味じゃ?」
「殿、若と奥方様を連れてお引き退きを。隠し井戸から山に、敵の後ろに出られます。そこから耳川を渡り、奥方様の里・行縢の城へとお向かいください。話はつけてござる。我ら五十、力を合わせて時間を稼ぎますゆえ、はよう!」
「弾左…」
「我らの仇は取ってくだされよ!」
土持親成が妻子を連れて井戸に逃げ込んだ後、ほどなくして大手門は敗れた。夏田弾左衛門ら五十の兵は奮戦し、半刻以上戦って全滅した。親成はうまく山に逃れたが、足弱の妻と幼子を連れての逃避行、すぐに山狩りに見つかった。
異例だったのは、山中で見つけた米良勢が、降参した親成家族をその場で惨殺したことだった。
「間に合わなんだか。」
庭を眺めながら家久が呟いた。
「残念なことで。救出に向かった半左衛門も、まさか手向かいせぬ者をその場で斬り捨てるとは思いもせなんだようで。」
背中から国兼が片膝をついて報告した。
「よい。」
家久はそのまま庭に下り、物思いにふけるようにして何処へかと消えた。
「はてさて、本当に救う気がござったか?島津家久は心を操る。こんな犠牲まで出して、今回は誰の心を操ろうとしてござるのか?」
国兼の独り言は夕闇せまる城庭に虚しく消えた。
「この近くに、小さいが歴史ある八幡社がある。神主は古い知り合い故、よって水の一杯でももらおうぞ。」
石宗が、汗をふきふき横で輿に乗る道雪に言った。
「わしはまだまだ平気でござる。」
「お主は大丈夫でも、そのでかい身体を担ぐ壮丁たちの身になって見ぃ。皆、汗だくではないか。」
道雪は大げさに肩をすくめて見せた。和やかな時間が流れたが、次の瞬間、突然鼻をクンクンさせて言った。
「焦げくさくないですか?」
「確かに。」
遠くに黒煙が見えた。
何かを感じた石宗が走り、道雪の輿も後を追った。
煙と火に包まれた瓦礫を前に、焦げた布衣を着た老神官がへたり込んでいた。走りこんだ石宗を感情の無い目で見つめる。
「大野殿、これはいかなる仕儀で?」
老神官は火を見詰めたままぽつりと言った。
「仕儀?どうしたもこうしたもない。」
「?」
「石宗どの、聞きたいのはこっちぞ。いったいどうして!」
「何のことで?」
追いついて道雪が聞いた。
「何のこと。…知らぬのか、ならば教えてしんぜよう。お主らの主君じゃ、宗麟様が軍勢を率いてやってきて、社を打ち壊し、火を放ったのよ!」
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