第6話 雷神の証

(一)

 大友と毛利が激突していたころ、そのはるか北西の肥前筑前国境では、薄暮の中を岩屋城を望む連歌屋辺りに龍造寺軍二万が布陣していた。対する高橋鎮種は、城の守りを家老屋山に委ね、自らは五百程の兵を率いて岩屋城に上る山道の途中に柵を設け、篝火を煌々と焚き、今や遅しと龍造寺軍を待ちかまえている。

「殿、岩屋城へ攻め込む準備は整っております。法螺貝を吹かせますか?」

 側近の老将・鹿江兼明の言上に対し、隆信は壮丁四名に担がせた輿の上で頷いた。勇壮な法螺の音が辺りに響き渡り、先陣を務める諫早勢、鍋島勢併せて五千が鬨の声を上げながら山道を攻め上がっていく。

 細い山道を、ひと塊りになって猛然と攻め上がる敵を、冷然と見下ろしていた鎮種は、ころあいと見るや軍配をさっと斜めに振った。天空に向かって火矢が放たれ、それを合図に、岩屋城側から無数の矢が山道目がけて降り注ぐ。せまい道を押し合いへしあい登ってきた敵は、矢の雨を避けようもなくバタバタと倒れていった。


「さすがは豊後にその人ありと聞こえた高橋鎮種や、毛利の動きが我らの陽動になると悟りよりましたな!しかも、この短い時間に宝満寺城から兵を呼んで山道を塞いどる。城と合わせると二千は下らんやろ。さすがにぬかりなしやが、勝負はここからやで。我に堅牢・岩屋城を落とす策ありや。」

 木下昌直はそう言うと、隆信に頭を下げた。隆信は頷き、鹿江に百武隊と成松隊を呼ぶよう指示した。まさにそのとき


「南方、五條辺りに兵馬の動き!およそ五千ほど。」

 物見が慌てた様子で、隆信の輿に近づいてきた。

「敵か?味方か?」

 鹿江の問いに、物見は声を振り絞って答えた。

「旗は三つ巴、蒲池氏のものと憶ゆ。さらに抱き杏葉に撫子の旗。大友家臣・斎藤鎮実のものに相違ござらん。敵でござる!」

 隆信がギョロリと目を剥いた。

「岩屋城と併せて七千!こちらは精兵二万、野戦なら負けるわけおへん。」

 木下昌直の声に、隆信は頭を横に振った。

「いや、仮に勝てるとしても犠牲が大きすぎるじゃろう。斎藤鎮実は、豊後の趙子龍とも喩えられる名高き戦上手。それに加えて、わが縁者でもある蒲池勢三千は、手錬ぞろいとして、また他に攻め込まぬ義軍として九州一円にその名を轟かしておる。特に我が婿・蒲池鎮漣は、古の項王や呂奉先もかくやと言われ、その一騎当千の武勇は、あまりにも名高い。ここは退却じゃ。高橋鎮種を引きつけただけでも、鷹の子らに十分報いる動きはしたじゃろう。」


(二)

「龍造寺勢が、肥前方向へ避いて行きます!」

伝令の報告に、白髭をたたえた蒲池鑑盛は重々しくうなづいた。

「さすが、隆信殿は軍の進退もお見事ですな。」

隣で馬を進めていた三男の三郎統安が呟くように言う。父と同様に小柄、細身だが、武骨な面相の父と異なり、目元涼しく匂い立つような美男である。

「義父上と槍を合わせんで済んだわ!しかし父上、義理、義理と、この戦国の世にいつまであのうつけの大友に義理立てなさる?」

 父や弟と異なり、いかつい顔に七尺はあろうかという巨躯を、これまた大きな黒馬に委ね、腕組みをしながら悪太郎鎮漣が吠えるように叫ぶ。

 鑑盛は深くため息をつきながら、いつまでたっても腕白坊主のような嫡子を諭した。

「よいか。この戦乱の世なればこそ、義と信を大切に、不義を行わず正義の戦を行うが、わが蒲池家の家訓、生きる道ぞ。」

 父の説教に、鎮漣はため息で返した。

「父上、そのような苔むした家訓をいつまでも守っておればこそ、我が蒲池家は戦はすれど、柳川十二万石から寸土も領地を増やすことあたわず、かえって家の疲弊を招くだけじゃ。戦のたびに大した恩賞もなく、家臣どもも内心辟易しておりますぞ。一方、わが舅どのは、水之江五万石から、いまや肥前一国を手中にし、石高は十倍、率いる兵も二万をゆうに超えるほどじゃ。蒲池家には昔の恩もある。今こそ大友を見限り、龍造寺と手を携え、この筑後全土を蒲池の手にするべきではないのか?」

 そう言って振り向いた鎮漣の前に、青筋を立て、まるで不動明王のような、憤怒の顔をした鑑盛の顔があった。

「今一度言うてみよ!おのれは先祖からの家訓を何と心得るか!おのれがそうじゃから、なかなか家督を譲れぬのじゃ。こうなっては、廃嫡のうえ統安めに家督を継がせてもよいのじゃぞ!」

 それを聞いて、今度は鎮漣の顔が憤怒で真っ赤になった。

「言うたな親父殿!やれるものなら、やってみい!」

 思わず、刀に手をかけたその手を、横から抑える者がいた。

「兄上、戦場で昂ぶっておられる。落ち着き召されよ。父上も。」

「はなせ!はなせ統安!」

 そう言いつつ、思いっきり振りほどこうとするが、刀を抑えた細い手は、兄の筋くれだった太い腕を、万力のようにぐいぐいと締め付け離さない。

「どうかなされたか?」

 静かだが力強いその声に、三人ははっと我に返った。

南蛮鎧を打ち直した、当世風の銀色の甲冑に身を包んだ武者が、芦毛の馬にまたがって近づいてきた。

「これは鎮実殿、なに大事ござらん。いつもの親子喧嘩でござるよ。」

そういう鑑盛に、鎮実はうっすら微笑むことで応えた。

「ご助成かたじけない。急なことで無理を言って申し訳ござらぬ。」

「いやいや、お互い様でござる。」

 今度は鑑盛が微笑んだ。鑑盛は、大友家筑後代官を務めるこの真面目すぎるくらいの忠義者、律儀者を好ましく思っている。

「わしは鎮種殿の所に参るが、どうなさるな?」

 鎮実の言葉に鑑盛は白い歯を見せた。

「我らはこれにて失礼いたそう。それでは!」

 鑑盛が右手を上げると、蒲池勢三千は一斉に踵を返し、南西・柳川へと引き上げていった。その姿をしばらく見送って、斎藤鎮実は岩屋城に軍を向けた。


(三)

「なんなのだ!いったい何がどうしてしまったのだ!!」

 小倉へ向け疾走する馬上で、高橋鑑種はぎりぎりと歯噛みを繰り返した。顔色は青ざめ、滝のような脂汗が額をとめどなく流れる。


 わしは、若いころから大友家中でも無類の戦上手で知られたのだぞ。それが証拠に、大友から放逐されても、すぐ毛利に拾われ、小倉城を与えられて豊前の切り取りを任せられている。そのわしが!


 確かに、味方として道雪の戦ぶりを見たことは幾度となくあるが、敵として、しかも正面からぶつかるのは今回が初めてだった。それにしても、むこうは千五百、こちらは五千あまり、倍以上の兵力差である。しかも、友軍・宍戸隆家は毛利家に聞こえた勇将だ。それが、これほど、こんなに惨敗してしまうのか。頭脳明晰な鑑種は理屈に合わぬことが嫌いで、あらゆることを分析し、理解せねば済まぬたちであった。しかし、たった今まで対峙した敵については全く理解できなかった。


「押し包め!」

 山道を鎬矢の陣形をとって駆け下りてくる立花軍千五百を、麓の犀川で迎え撃った高橋軍、宍戸軍五千は鶴翼に開き左右から包囲する戦術を取った、いや取ろうとした。戦術の定石、教科書通りの戦い方であり、少数で突撃してくる敵を足止めし、せん滅するには最も有効な戦法であるはずだった。しかし、この相手には、この常識的なやり方は通じなかった。


ぐしゃっ


 まるで熟した柿が岩に落ちるように、進撃する立花軍に立ち向かった高橋・宍戸連合軍は、文字通り一瞬で粉砕された。立花軍は何事もなかったかのように南東へ向けて進軍していく。崩れていく自軍をしり目に、今まで感じたことのない恐怖に襲われた鑑種は、小倉へ向けって一目散に逃げ出した。敗戦したこと、宍戸勢を見捨てたことで毛利に対する自分の立場や、自軍を置き捨てたことによる家中の混乱など後先を考える余裕はなかった。理の外、理解できぬこと、この戦い結果はまさにそういうもの。化け物にでもあったかのような恐怖感。鞍に接する腰が冷たい。

いつの間にか小便を漏らしたのか?恐怖のあまり。

思わず口を突いて出た言葉。


「立花道雪、決して人ならざる存在。神か魔か?」


(四)

 立花勢は、毛利本陣目がけ一直線に突っ込んでくる。

「本陣の前に桂隊を!敵を本陣に近づかせてはならん。」

穂井田元清の悲鳴にも似た叫びに反応した桂元澄は、本陣の前に長槍隊を並べ道雪を迎え撃たんとする態勢を取った。そのとき

「なにが雷神じゃ!毛利軍の強さを見せん!」

そう言って、熊谷元直が二千の兵を引き連れ、進撃を続ける立花軍に突っ込んでいった。

「馬鹿め!相手も図らず飛び出しおって。元清、兵を出して元直の救援に向かえ。」

そう言う元春の目の前で、熊谷軍二千は岩に砕かれる水しぶきのように飛散した。

立花軍の陣構えは、鎬矢のようでいて少し違う。道雪率いる五百を中央に、由布惟信を右翼、小野鎮幸を左翼に配した独特の陣形、角隈石宗考案による「三鈷杵(さんこしょ)陣」であり、仏の武具の名を冠した攻めと守り両方に対応できる変幻自在の陣形である。この陣は、立花道雪だけでは達成しようがなく、縦横無尽の指揮が出来る戦巧者の由布惟信と、日本七槍のひとり小野鎮幸がおり、熟練の兵を三者が息を合わせて運用することで初めて活きる高難易度の陣形である。


「立花勢、勢いそのままに真っすぐ本陣に向かってきます。」

「後方、勢いを盛り返した猪突騎が暴れまわり、臼杵勢、吉岡勢、吉弘勢、角隈勢らが立花勢に合わせ、却って我が軍を包囲にかかっております。」

 目をつぶり、本陣の床几に腰掛けてじっと報告を聞いていた元春は、意を決したように立ち上がり、伝令を呼び寄せた。

「よいか、そろそろ左右に分かれて対岸に上陸した粟屋、杉原、渡利、末次の諸隊一万一千がこちらに届くころ合いじゃ。これらに伝令せよ。臼杵勢らの背後を襲い、しばらく留まって殿軍(しんがり)せよと。」

「えっ!兵を退くのでござるか!?」

 元清が驚いて声を上げた。一時的に押されているが、兵力は圧倒的、兵の強さに差はない。多勢を相手にする敵はそのうち疲れてくる。どうみても時は毛利に味方するはずだった。強気の兄らしくもない。

「ここで勝つことに意味はない。我らの役目は十分果たした。これ以上、兵を損じる必要はない。ここは退くぞ。」

 役目を果たしたとはどういうことなのか?元清には兄の思いがわかりかねた。


「後方に一万を超える敵が現れ、橋を渡って一斉にこちらへ突っ込んできます。」

「前方の毛利本軍、陣形を動かしながら、東へ向かって退いて行きます。」

 次々と入る伝令の声に、臼杵の陣では歓声が上がったが、角隈石宗は腕を組み、難しい顔をして黙りこんでしまった。

「どうなされました。見事な御采配、策が次々と当たって我らの勝ちじゃというに。」

 重察が、主人張りの呑気な様子で石宗に尋ねた。

「解せん、どうにも解せん。この毛利の動き、何かがおかしい。何かがある。じゃが、どうしてもわからん。」

「考えすぎではござらんのか?」

 そういう重察をちらっと見て、暗闇迫る中、再び石宗は目を閉じ、深い思考に身をゆだねた。


(五)

 同じころ、松明を付けた千余りの軍勢が立花山城に向かう山道を行軍していた。軍の中ほどには、四名の壮丁に担がせた輿に座り、禿頭巨躯の男が僧服に鎧を纏っている。

 その傍らには、心配そうに辺りを見回しながら、南無阿弥陀仏の文字を前立てにした兜をかぶった若武者がつき従う。

「宗治、そんなにきょろきょろすると敵に不審がられるぞ。」

 後ろからの声に、清水宗治は振り返らずに応えた。

「しかし隆景様、こんな大胆な策、私は初めてゆえ。」

 小早川隆景はハハと笑った。

「兄上や三万あまりの兵を囮にしたのだ。何としても成功させ、立花山城を我が毛利の手に取り戻さねばならん。」

 宗治の声から不安は消えない。

「いくら暗闇とはいえ、気づかれないものでしょうか。」

隆景は一拍置いて静かに応じた。

「ここ一年かけて、世鬼衆を使い道雪の所作を研究し尽くし、体格、骨柄そっくりの男を捜しあてたのだ。旗や装備も立花軍そのまま、闇も手伝って必ずうまくいくさ。」


 立花城留守居の城戸知正(きのへともまさ)は、誾千代の母・仁志姫の実家である豊前豪族城戸氏の一族であり、道雪と仁志姫の婚礼を仲介した功で誾千代の傅役となった老将である。幼くして母を亡くした誾千代を、ときに母のように、ときに父、あるいは祖父のように庇護してきた。その知正にとって、誾千代は我が子、わが孫より愛おしい存在となっていた。

 今回の毛利侵攻にあたり、城の守りを任された知正は、五百の兵と共に明かりを煌々とともし、油断なく周囲に気を配っていた。

「殿の御帰還にござる。」

 その声に、山門の上に設けた楼に駆け上がり、山道をゆっくり上がりくる松明の群れを見た。祇園守の旗、抱き杏葉の旗が松明の明かりに翻る。軍勢の中央に輿が見え、僧形の巨躯を見ても、老練な知正は緊張を解かなかった。軍勢が門の前に着いた。

「開門!」

 軍から声が発せられた。上からしげしげと眺めても、道雪そのひとに間違いないと思えた。小野鎮幸や由布惟信らしい姿も見える。

「よし、門を開けよ。」

 知正のその声を打ち消すように、鋭く甲高い声が辺りに響き渡った。

「門を開けてはならん!」

 見ると、いつの間にか隣に誾千代がいた。

「姫!おかしなことを申されますな。悪戯をしている場合ではござらぬぞ。お父上は戦でさぞやお疲れのこと、はよう門を開け、お休みいただかねば。」

「あれは父上ではない!」

「姫!戯れもたいがいになされよ!」

 知正の声が怒気をはらんだ。

「戯れなどではない。見ていよ!」

 そう言うと、誾千代はいつの間にか手にした弓を引き絞り、軍の中央、輿上の僧形、その巨躯へ向かってひょうと放った。

「!」

 知正は思わず青ざめたが、次の瞬間

「ぎゃっ!」

 輿の上の「道雪」は、矢を首筋に受け、そのまま立ち上がると一回転して地面へ落下していった。

「立ち上がられた…。いや立ち上がった!」

 ここまでくれば、知正も気がついた。

「敵襲!毛利勢じゃ。弓隊前へ!」

 

 立花山城から、わらわらと矢の雨が降り注ぐ。千余りの兵では、五百が籠る山城を力攻めするのは不可能である。隆景は退却を指示した。

「しかし、これほど完璧な扮装を見破るとは。子供のようにも見えたが…。今一度、立花家をよくよく調べねばならん。」


 楼の上では、退却していく毛利勢を見ながら、顔色一つ変えない誾千代を、心配そうに見守る知正がいた。

 まだ九つ、子供にすぎぬのだぞ。それも女子。初めて人を殺めたじゃろうに、なぜこんなに平静でいられるのだ。

 大切に育ててきたこの娘には、人間らしい何かが欠落しているのではないか。あるいは…。


 人にあらぬもの、雷神の娘


 脳裏に浮かんだその考えを、知正は急いで振り払った。



 












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