第4話 毛利襲来

(一)

「小倉沖じゃと、博多沖の間違いではないのか。」

 小野鎮幸が不審げに聞いた。小倉・門司の二城を支配下に置き、今や関門海峡を支配している毛利家にとって、海を隔てた九州で興味があるのは、もはや繁栄を見せる博多の町のみといって良い。今までも毛利が大軍で押し寄せるときは、博多を支配する立花山城を目標として、最短距離である新宮の浜に上陸するのが常であった。

「間違いなく小倉沖じゃ。港を使わず、はしけを往復させて、行橋近くの苅田の浜に次々と上陸しているらしい。」

 由布維信の情報は、いつも通り正確で詳細だった。

 道雪は黙って腕組みし、目を閉じて何事か考え込んでいる。

「博多から距離がある苅田にわざわざ上陸したところをみると、毛利の狙いは今までとは違うと考えるべきじゃろう。」

 吉弘鎮信が座ったまま静かに言った。

「それは?」

 鎮幸と維信の喉がごくりと鳴る。汗が耳のそばを滴り落ちた。

「中津しかあるまい。豊前、豊後の間に楔を打ち、大友家を分断して筑前の攻略をしやすくする。遠まわしじゃが、確実な手を打ちに来たと考えるのが最も自然じゃ。」

 豊前中津城は、門司・小倉を失った大友家にとって、豊前最後の重要拠点であるとともに、筑豊街道の抑えとして、最前線筑前と本国豊後を繋ぐ最重要な中継拠点である。

「老鷹が死んで、少しはおとなしくなったと思うたが、やはり鷹の子は鷹、執念深く、しかも今までとガラリと趣向を変えて攻めてきおったということですか。」

 維信の問いに、鎮信は立ち上がりながら頷いて返した。合わせたように鎮種も立ち上がる。

「わしは宝満寺城へ帰ります。急ぎ軍備を整え、豊前出兵の準備をします。兄上もどうぞ一緒に。」

 弟の言葉に、長身の兄は頭を一度静かに横に振った。

「わしは、このまま豊前へ向かう。お主は宝満寺ではなく、急ぎ岩戸山城へ向かえ。」

「なるほど、…熊か。」

 道雪が目を開いて鎮信を見た。鎮信は頷いて鎮種に言った。

「若鷹どもと示し合わせた熊が、今頃は肥前国境に向けて軍を発しておろう。」

 鎮種は、ハッとした顔を一瞬見せたが、ぐっと奥歯をかみしめ、兄に向って力強くうなづいた。

「しかし、ただお一人で!豊前には三万の毛利勢がひしめいておりましょうぞ。」

 驚いた様子の鎮幸の言葉に、鎮信はうっすら浮かべた微笑みで返した。

「ひとりではない。」

 鎮信は、どうしてよいかわからず、立ったり座ったりしている元服前の甥を一瞥すると、弟に向かって言った。

「弥七郎を借り受けるぞ。将来のため、毛利という敵を見せてやりたい。」


(二)

 遠くから見ると、延々と続く地蟻のような長く黒い塊が、筑豊街道を一路中津へ向けて行軍していた。軍勢の中心に、赤銅色の甲冑に水牛の角の前立てをつけた武将が、固太りの長身を窮屈そうに鞍に収め、身じろぎもせずに前方を見詰めたまま悠然と馬を歩かせている。

 こういうときの兄者は、何がしか謀をめぐらせているのだ。うっかり話かけでもしたら、元々気が長くもないその逆鱗に触れてしまう。穂井田元清は、怖々と兄の横顔を見つめながら、隣で馬を歩かせている。それにしても静かだ。ここ豊前は、長らく大友家の領地、大友方の国衆は総勢一万は下らぬだろうに、ただの一勢の抵抗もないのはどういうことか。何か計略にでもはめられているのではと、思わず心配になってしまうほどだ。もうひとりの兄、小早川隆景の調略でも働いているのか?弟とはいえ、すべてを知る身ではない元清には歯がゆいような思いがあった。

 ばばっ、ばばっ

 街道を前方から、土煙を立てながら逆走してくる騎馬がただ一騎。一文字に三ツ星の毛利家の旗指物を背負った騎馬武者は、水牛の前立てをつけた武者の前で、馬を急停止させ、転がり落ちるように道に平伏した。すかさず絞り出すように叫ぶ。

「前方二十里に敵およそ三千!山国川にかかる大橋を挟んで中津側に布陣!紋は大友家の抱き杏葉に丸に二引き両!旗からして臼杵勢とみたり。」

 「水牛」武者は、肩で息をする使い番を横眼でちろと見た。そして、首をかしげながら、長年の戦場ですっかりしわがれた声で問うた。

「敵は橋を落としておらぬのか?」

 使い番は、ハハと地面に頭を摺りつけた。「水牛」武者=吉川元春は、首をひねりひねり、再び前へと向かって馬を歩かせた。


 さてさて、臼杵と言えば、二人の兄・鑑続、鑑速は文武に優れた名将で大友家の柱石であったが、この敵、末弟の鎮続もなかなかに侮れぬ男のようじゃ。


 元春は、豊前の国衆が動かぬことも、臼杵勢が山国川に陣することも想定していたが、ただひとつ橋を落としていないことが意外だった。彼我の戦力差が十倍に及ぶ場合、できるだけ地の利を生かして戦うのが常道である。そして、この場合は、それが山国川の急流であろう。橋がそのままでは、その効果は全く活かしきれない。戦を知らぬ愚か者ならわかるが、鎮続は兄たちとともに何度も戦に出ている練達のはず。いったい何を考えておるのか想像もできぬ。


「敵が何を考えておるかは知らぬが、橋が落ちていないのは好都合。一気に踏みつぶしてしまいましょうぞ!」

 虎髭で荒々しい様子の若武者が、元春に馬を寄せて進言した。

「元直よ、勇ましいのは良いが、敵が常道を外した采配をするときは、謀なきか十分見極めねば命取りになるぞ。」

 強めの言葉に、首をすくめた熊谷元直は、毛利家重臣であり、安芸に一万六千石を領する高直の嫡男で、武勇に優れた将である。元春にとっては、妻の甥であり、幼いころからよく知る我が子同様の存在だった。今回の豊前攻めに際し、二千の軍勢を率いて参加している元直は、若さも手伝って、「伯父」元春の前で、何とか手柄を立てたいと思っているようだった。

 ぷいと不機嫌さを隠さずに引きさがる「甥」を横目に見て、深いため息をつきながらも、元春は敵の思惑を測りかねていた。


(三)

「毛利軍、もはや十五里の地点まで迫っております。」

陣幕の中に転がりいるように入った臼杵重察は、主君の様子にあっけにとられた。臼杵鎮続は床几に腰かけ、目の前に広げられた地形図を見るでもなく、両手で大事そうに湯気の立つ黒い茶碗を抱えている。

「こんなときに茶の湯でござるか?」

「こんなときだからじゃ。」 

 茶人として知られる鎮続は、当世ぶりの黒楽を、目の前に掲げて愛おしそうに眺め、中の煎茶を一気に喉奥に流し込むと、すくっと床几から立ち上がった。

「豊後からの援軍は?」

 のんびりと聞く鎮続に、少しいらいらしたように、一族でもある家臣・重察は答えた。

「未だ!毛利が苅田沖に現れた早朝から、もはや三度援兵を要請しておりますが、我が殿・大友義統様、執政・田原親賢様のどちらからも返答ござらん。いったい、国元はこの事態をどう捉えてござるのか!一万の豊前国衆も全く集まらず、目前に十倍の敵が迫っておるのですぞ。だいたい殿、野戦で大軍と戦うに、なんで大橋を落とさなかったのですか!」

 鎮続は、目を閉じながら右手で耳をほじっている。

「殿!真面目にお聞きか?どういう態度でござるか!」

 重察の剣幕に、鎮続は左手を上下にひらひらと振って応えた。

「まぁ、そう怒るな。耳が痛くなる。それにな、国衆が集まらぬことも、国元からまともに援兵が来ないことも想定済みじゃ。」

 では、この緊急事態をどうなさる。真面目な重察は、こめかみの血管が切れそうに感じた。お兄上たちはこんなことはなかった。周到すぎるくらいの手配りで、どんな危機でも何も心配することはなかった。まったく、このお方は。風雅か何か知らぬが、不真面目にもほどがあるわい。

「橋を落とさなかった理由だけでもお教えくだされ。」

 重察は気持ちを抑えながら尋ねた。

「それはの、落としても意味がないから…じゃ。」

「な…!!」

 怒りや戸惑いや、いろんな感情がごちゃごちゃになって重察の中で吹き荒れた。

このお方、戦の基本中の基本を知らぬのか?


(四)

「橋が見え申した。」

 眉毛の上に片手をかざしながら元清が言った。

「敵は?」

「橋から十間ほど離れた平原に布陣しておるようです。」

 元春は再び首を捻った。それでは橋を狭道として使うこともできず、地の利を完全に放棄したに等しい。

「橋に何か仕掛けがあるのか?」

 毛利家一の老臣・福原貞俊が馬を寄せて心配そうに言った。これほどの劣勢なのに、敵は静まり返ってひそとも動かない。何か謀があると考えるのが正しいだろう。

「とりあえず、法螺貝を。」

 ぶぅうううおー

 元春の指示のもと、勇壮な法螺の音が辺りに響き渡るが、敵陣にはその音が聞こえぬごとくである。

「桂元重、国司元相の三千を先鋒、口羽通良、乃美宗勝五千を次鋒に、右備えは粟屋就方、杉原盛重の六千、左備えは渡利元政、末次元康の五千、本陣はわし、穂井田元清、熊谷元直の八千、後備えは福原貞俊、安国寺恵瓊、児玉元良の三千で鶴翼に陣を張れ。」

 おぉの掛け声と共に、瞬く間に陣が構成されていく。

「兄者、合図とともに、いつでも先鋒三千が大橋に殺到いたしますぞ。」

 元清の声に、元春は右手をひらひらと振って応えた。

「まだだ、敵の仕掛けを慎重に見極めねばならん。」


「おお、さすが毛利の練兵は見事だ。一糸乱れぬとはこのことじゃな。」

主人の気楽な様子に、重察は呆れを通り越して怒りすら込み上げてきた。

「で、どうなさるので。橋を落とさなかった理由も含め、みどもにもちゃんとお教えくだされ。」

ああ、それか

鎮続は大したことでもないといった風に、面倒くさげに口を開いた。

「毛利軍は三万、しかも見てのとおり練達の軍じゃ。たとえ大橋を落とし、我ら三千が対岸で守っても、軍を分けて、攻め手以外の軍で筏橋などが作られ、簡単に突破されてしまうじゃろう。」

「しかし、橋を落とさねば、なお簡単に突破されるのでは?」

「そこよ。」

 鎮続は悪戯っぽく片目を閉じた。

「毛利は先君元就公以来、謀で戦に勝利してきた家だ。こういう軍は相手も謀を使うと考えるものよ。常識から外れた手段に見えれば見えるほどそうで、今回橋を落とさなかったことも、何かの謀にちがいなしと考えておるに相違ない。そして、相手が疑心暗鬼になり、考えていればいるほど、我らは時間を稼ぐことができる。」

 重察はうっと一瞬詰まったが、つまったわが身を恥じるように主君に向けて怒鳴った。

「時間を稼いでも援軍など来ぬではありませんか。また、時間を稼ぐなら野戦ではなく、中津城に籠城すればよい。」

 鎮続は目を閉じ、首を何度も横に振った。

「あんな平城、十倍の敵の前ではひとたまりもないわい。また、籠城では相手を謀るのが難しくなる。結局、わが軍にはこれしか取りようがないのじゃ。それにな。」

 顔をぐっと重察に近付け、鎮続は歯を見せて笑った。

「援軍ならぼちぼち参るぞ。」


(五)

「世鬼衆に調べさせましたが、大橋に仕掛けはないようで。」

 世鬼衆は毛利家お抱えの「素っ破」である。元清の報告に、元春は頷いたが動こうとはしない。戦線が硬直してもはや一刻が経つ、はやくせねば、さすがに豊後や筑前からの援軍が到着するのではないか。しかも、噂に聞くあの雷神が。

「筏橋の準備、できましてございます。」

 元清の後ろから福原貞俊が声をかけた。床几に座り考えにふけっていた風の元春は立ち上がり、元清に使い番を呼ぶように命じた。

「左備え、右備え併せて一万一千は橋の上流、下流に敷いた筏橋を使って対岸に渡り、両側から臼杵勢を挟み撃ちにせよ。先鋒、次鋒併せて八千は臼杵勢反撃の様子を見て、大橋を渡り正面から攻撃せよ。」


「来ますぞ!」

 敵が橋の両側から河原へ降りていく。筏橋の用意をしたようだ。流れがはやい川だが、激流というほどではなく筏橋を用意されれば万事休すだ。重察の声が緊張を帯びた。いったい、援軍とやらはどうしたのだ。その叫びには、主人への非難の響きも含んでいる。聞いてか聞かずか、鎮続は涼しい顔で毛利の本陣あたりを見ている。

「もはや川中ば!殿、全軍にお下知を。」

 それでも鎮続は動かない。しびれをきらした重察は、長槍隊に前進の合図を下そうとした。もはや河原から上がるところで防ぐしかない。

 そのとき、臼杵勢の陣の後方、八幡神社の鎮守の森から無数の火矢が河原目がけて降り注いだ。火矢は毛利軍の筏橋へ着地し、筏橋はみるみる炎に包まれ、毛利の武者たちは山国川の急流に投げ出されていく。


「やはり、謀があったか。左備え右備えとも、いったん川から上がらせよ。」

 冷静に下す命だが、生来短気な元春のこめかみには青筋が立っていた。

よりにもよって焙烙(ほうらく)じゃと。わが毛利得意の戦法を、しゃらくさい。


「殿、これは!?」

 驚いて聞く重察の背後、陣幕を開けて入ってきた者がいる。

「遅かったではないですか。私はこの重察の声で鼓膜が破れるかと思いましたぞ。」

 鎧の上に猩々緋の袍衣を着た小柄な老人は、顔をしかめて応えた。その禿頭からは湯気が立っている。

「そう言うな、朝からあちこち走りまわって大変じゃたんじゃぞ。この気楽者めが。」

 立ち上る湯気を見て、鎮続はにやりと悪戯をした子供のように笑った。

「せ、せ、石宗さま!!」

 重察が驚いたのは無理もない。

 角隈石宗、大友家が信奉する西寒多神社の大宮司にして、この国にある星読みなど陰陽術、四書五経など礼学、六韜三略など軍略の全てを修めた豊後の大碩学。大友家の軍師にして、前主宗麟や立花道雪の師にあたる。その性は温厚篤実にして、ときに洒脱、磊落で、豊後の人々を魅了し、多くの尊敬を集める人物。頭脳明晰ながら、その奔放な性状を危ぶまれた宗麟が、父と争った二階崩れの変の際に、豊後で多数派を構成できたのは、この石宗の支持が大きかったとされている。


「さて、ここまではよいとして、これからどうするかじゃな。」

 対岸を見ながら、石宗は独り言のように呟いた。

「この機をついて、森の援兵と共に、一気に毛利本陣をつきましょうぞ。」

横で勢いづく重察をちらと見て、石宗は首を振った。

「あれを見い、さすがは毛利、さすがは吉川元春。あれほどの混乱を短時間で沈めおった。あの陣、ここから見ても一分の隙もないわ。それに、援軍というて、何人いると思うておるのじゃ。わが手勢が五百、吉弘家の嫡子・初陣を果たしたばかりの統運率いる二千、吉岡長増の遺児・鑑興の千、宇佐城を守る我が弟子・佐田鎮綱の五百、併せて四千しかおらぬ。臼杵勢と合わせても七千じゃ。毛利の軍神・吉川元春率いる三万と正面切って戦うには、だいぶ兵力が足らんわい。」

「大友本隊は、やはり動かぬのですか?」

呑気な調子で、床几に腰かけ、鼻毛を抜きながら鎮続が聞いた。

「わかりきったことを聞くでない。殿、執政の田原親賢ともに、事態を正確にとらえねば動けぬの一点張り。襲来したのが毛利か、ただの野盗どうかも確認せねばわからぬじゃと!自ら動く気など微塵もないわい。」

「それでは、いつまで橋を挟んで、この我慢比べを続ければよいのです!」

 悲鳴にも似た重察の声に、石宗は親指を立てて応えた。

「まぁ、見ておけ。仕掛けは二重、三重じゃ。必ず機は訪れる。潮目が変わる瞬間がの。」


(六)

 臼杵勢と毛利勢が睨み合っているまさにその頃、弥七郎を鞍の前に乗せた吉弘鎮信は、篠栗から九郎原、下伊田、上伊田、行橋へと繋がる山道を疾駆していた。この道は、立花山城から豊前へ抜ける最短路であり、道雪率いる立花勢千五百も後に続いているはずであった。

 峠の頂点を過ぎ、下りに差し掛かったところで、鎮信は急に手綱を引き馬をとめた。馬は少し棹立ち、弥七郎は振り落とされまいと、必死にたて髪にしがみついた。道の傍に平伏している男がいる。土埃に塗れた藍色の直垂を着て、何の飾り気もない漆黒の鞘、木綿を不細工にぐるぐる巻きにした柄を持つ二刀を腰に差している。

「おお、大谷隼人ではないか。」

 鎮信の声に男は顔をあげた。10代後半であろうか、顔はつるりとしてまだ若いようだ。南国の出なのか、日に焼けた浅黒い顔に歯の白さが目立つ。年の割に体躯は小さい方だろうが、腕や足など節くれだっており、尋常ではない体力の持ち主と見てとれた。大谷隼人は、元は鶴田景之と言い、薩摩から追われて豊後へ来た、十三代島津当主勝久の小姓だった男である。勝久が京へ向かった際、ついて行かずに親交のあった鎮信の家臣となった。その際に、新しく生まれ変わるため姓名を捨て、鎮信に大谷の姓と隼人という名を付けてもらった。隼人の名のいわれは、薩摩の古族・隼人族に由来する。この民族はハヤヒト、つまり足が速かったのでこの名で呼ばれたと記録に残るが、景之の足の速さは馬に匹敵するほどだった。

 隼人の知らせは、麓の犀川に布陣する敵に関することだった。数は五千、小倉城の高橋鑑種の二千と毛利重臣・宍戸隆家三千がその内訳である。

「ふん、あの狸か。」

 鎮信が鼻を鳴らして狸と呼んだのは、高橋鑑種のことである。高橋鑑種は、もともと一萬田親宗といい、大友支族一萬田家の出で、宗麟の側近だった。だけでなく、政略知略に優れた鑑種への宗麟の親愛は深く、宗麟が鑑種の兄・鑑相の美貌の妻を横取りし、鑑相と実弟・鑑久を攻め滅ぼしたときも、鑑種には何の咎めもなく、かえって大友に逆らった一萬田姓のままでは都合が悪かろうと、筑前の名族・高橋家を継がせられたほどである。

 鑑種は、能力が高いだけでなく野心的な男で、高橋家を継いだだけでは飽き足らず、大友家から独立して筑前一国を支配しようと企て、筑前の国人たちを調略し、肥前の龍造寺隆信を背かせ、毛利元就と結んで宝満寺城で旗を上げた。宗麟がそれを許すはずもなく、三老や道雪らを中心とした大軍を筑前に送り込み、鑑種の手引きで上陸した毛利軍を巻き込んで、筑前、筑後、肥前、豊前を巻き込んだ戦は十年近く続いた。元就が死去し、鑑種が降伏したことで、一応の終結はみたものの、宗麟は降伏した鑑種を処断できず、大友家から放逐したにとどまった。この甘い処分が新たな火種となる。鑑種は毛利家へと走り、毛利家臣として小倉城を与えられ豊前、筑前への影響力を残した。ことあらば、筑前豊前の国人を調略し、大友家に逆らわせる鑑種は、筑前を差配する道雪、豊前を差配する鎮続にとっては、目の上の瘤である。小太りで人が良さげな見た目と異なり、心の中は何を考えているかわからない。鎮信はそれを喩えて「狸」と評したのだった。


「このまま峠を下ると、狸めらの軍に発見される恐れが強いということか。」

 隼人は頷き、懐中の図面を取りだして、横瀬、犬丸へと迂回する裏道を示した。

「伯父上、この地図は後続の道雪様へも教えないと。」

 弥七郎の意見に、鎮信は珍しく厳しい顔をした。

「弥七郎、意見などは相手をよく考えてするものだ。お前は誰に対して、何を注進しようというのだ。」

 弥七郎は、珍しく怒りを含んだ伯父の言葉に恐縮した。しかし、弥七郎も道雪の采配を直に目にしたことはないから、無理からぬことではあった。

 道雪様の采配は、そんなに凄いのか。

 それは、わずか千五百の軍が、待ち受ける倍以上の五千もの敵を、歯牙にもかけぬ程だというのか?なにやら、わくわくしたような気持が、弥七郎の中に沸き起こっていった。


 


 












 







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