第3話 雷と岩壁

「とにかく今日のところは岩屋城に戻って休もう。わしは疲れた。」

月夜の街道を進む馬上で、弥七郎は馬首に項垂れかかりながら言った。誾千代は少し口の端を歪めながら黙ってうなづく。

 筑前岩屋城は、肥前口対龍造寺の備えとして国境近くの岩屋山に、弥七郎の祖父である吉弘鑑理が築いた山城である。大友家三家老のひとりで、宗麟の信頼が最も厚かった鑑理は、筑前の仕置き一切を委ねられた知勇兼備の名将であり、その縄張りした岩屋城は、度重なる龍造寺の激しい攻勢にビクともしなかった堅城である。今では次男である父の鎮種が、主城である宝満城の支城として収めており、高橋家家老である屋山種速が城代を務めている。弥七郎は、昨日から誾千代と二人で、馬の遠乗り訓練を理由に、この城に遊びに来ており、多少帰りが遅くなっても、忠心篤実のみが特徴の老臣・種速は笑って許してくれるはずだった。

 二つの騎影は、並んで城へ続く山道を登っていく。いかにも堅固な石垣を積み上げた城壁と、分厚い柱を巡らした大手門が見えたとき、珍しいことに夜半だというのに門が開かれ、煌々たる篝火の元、おろおろと所在なく動き回る影が一つ見えた。

「じいではないか。どうかしたのか?」

 弥七郎の問いかけに、影はとしたように胸に手を置いて言った。

「ああ若、ご無事でよろしゅうございました。」

 何だ、遅くなるのはいつものことではないかと思ったが、種速の様子がただ事ではない。

「お父上が、鎮種様がお出ましでございます。」

「!」

 度肝を抜かれたような弥七郎の顔を、すーっと一筋の汗が伝った。


 父上が来ている。何でまたこんなときに。

弥七郎は、己の間の悪さを呪った。こうなっては覚悟を決めるしかない。城内を歩く弥七郎の足取りは決心の強さに応じて確かなものになっていった。隣では、誾千代が呑気な風で欠伸を噛み殺しながら歩いている。

 弥七郎の父、高橋鎮種は、その父鑑理に似た気質で、謹厳実直であり、大友家への忠節一途である一方で、まだ二十九歳の年齢に似合わず、敵である龍造寺隆信に「てこでも動かぬ。」と評された鑑理以上の頑固者で、言いだしたら聞かないところがある。その父が最も嫌うのが、無謀や野放図である。今回の肥前での行動は、誾千代につき合わされたとはいえ危険極まりなく、その無謀を責められても仕方がなかった。

 弥七郎と誾千代は、梯子を上がり天守に向かった。天守にある小広間では、四方に燭台が煌々と輝き、部屋の中央に何やら図面を広げて、男二人が難しい顔をして話をしている様子だった。

 ひとりは、中肉中背ながら、衣から除く浅黒い地肌は筋骨隆々として、いかにも逞しい様子の若い男だった。黒々とした太いくせ髪に折れ烏帽子を被り、太い眉に切れ長の目、髭の剃り跡のみ青々とした顔に、むしろ不似合の鼻筋のすっと通った端正な顔。しきりに図面を指しながら、目の前の男に熱弁をふるっている。これが弥七郎の父、大友家の武の双璧のひとりと呼ばれる高橋鎮種である。双璧のもう一人は誾千代の父・道雪である。鎮種は攻撃では道雪に一歩及ばぬが、守城では道雪を遥かに凌ぐと言われ、その戦ぶりは、道雪の雷神に対して、どんな攻撃も及ばぬ岩壁に喩えられる。

 もうひとりは、やや細身乍ら六尺を超える長身で、鎮種以上に肌が黒い、と言うより赤銅色の肌をした中年の男。黒々とした直毛を茶筅に結わえ、どこか鎮種の面差しに似た、太い眉、切れ長鵬眼の端正な顔には、へそ辺りまである艶のある見事な美髭を蓄えている。鎮種の熱弁に、時折頷きながら静かな表情でじっと聞き入っている。この男は、父鑑理の後を継ぎ、今や大友宗麟の側近として重臣に列する吉弘鎮信であり、鎮種より十五歳年長の兄である。

 「田北鎮周が張飛なら、お主はさしずめ関羽であろう。」と、鎮信が軍師・角隈石宗に称されたのは、その容貌からばかりではない。十五年ほど前、安芸の一豪族からじわじわと勢力を伸ばし、今や大内、尼子の旧領を我が物とした中国の毛利勢が筑前・豊前に矛先を向け、豊前門司城、筑前立花城を攻め落とし豊前筑前攻略の拠点としていた。大内家の縁者でもある大友宗麟は、大内家相続をめぐってもしばしば毛利元就と戦ってきたが、勢力圏である豊前筑前を侵されたままではおけず、その家臣団に大号令をかけて毛利勢との戦いに及んだ。毛利勢に与した龍造寺隆信を巻き込んで、豊前、筑前、周防の各地で激戦が繰り広げられたが、一進一退の攻防は今も続いている。その戦いの中で、鎮信が名を轟かしたのは八年前の立花城攻略戦においてである。立花城を囲んだ宗麟率いる大友軍三万に対し、元就は自ら防長芸の兵四万を率いて九州に上陸した。両軍激しい野戦となったが、立花道雪、高橋鎮種、田北鎮周らの諸将が敵を押しまくり、毛利軍は三千余の犠牲を出して撤退した。大友軍の中でも、毛利軍主力の軍神・吉川元春隊五千と対峙した吉弘鎮信隊二千の活躍は凄まじく、吉川隊を圧倒し数百の首をあげただけでなく、一時、元春自身が死を覚悟するほどに追い詰めた。船で引き上げる元就が、「吉弘鎮信と言う名は忘れてはならぬ。」と家臣たちに異例の通達を出したほどである。能吏でもあった鎮信は、一方で戦術に長け、勇猛そのものの武将でもあった。まさに、”関羽”と称されるに相応しい男だったのである。

「伯父上、お出ででしたか!」

 弥七郎は知勇兼備の名将乍ら、平素は穏やかな人柄のこの伯父が大好きだった。そのため、伯父の姿を見た途端、自分の状況もわきまえず大声を上げてしまったのだ。その声に伯父は微笑で応えたが、その奥でに青筋を立てた父が立ち上がるのを見て、弥七郎はしまったと後悔した。

「弥七郎!いま何刻じゃと思っておる。こんな時刻まで何をしておった!」

 割れ鐘のような鎮種の怒声が城中に響き渡った。


 高橋家、いや戦国の家内において、隠し事は一切許されない。親兄弟でも裏切り合い、殺しあうのが当然の世であるからだ。弥七郎ならずとも、問いつめられれば、真実を話さざるを得ない。たとえ、目前でそれを聞く父の顔が、憤怒のあまり歪んで見えてもだ。父の重圧に耐えながら、弥七郎は、今日あったことを、記憶の限り詳細に話した。

 「以上か。」

 聞き終えた鎮種は、己が怒りを鎮めるように、静かに目を閉じポツリと言った。弥七郎が頷く。それを確認したのかどうか、鎮種は目を閉じたまま深く考えに沈んでいる。永劫かにも感じられる静寂は、今の弥七郎には地獄の責苦に等しい。横では、誾千代が、呑気にもコクリコクリと舟を漕いでいる。

 まったく、こやつは、こんなときに。

 この奔放さが、羨ましくも、憎憎しげでもある。そもそも、誰のせいでこうなったと思っているのか。

「弥七郎。」

 父の一際厳しい声が、弥七郎の思いを吹き飛ばした。

「はっ!」

 平伏した弥七郎の頭上から、感情を無くしたような鎮種の声が振りかかる。

「腹を切れ。」

 弥七郎の肩が一瞬びくりと動いた。すーと息を深く吸って、動揺を抑える。幼子の頃から、武士というものは、いついかなるときでも、死ぬ覚悟が必要と、この厳父から繰り返し教えられてきた弥七郎である。嫌だとも、何故かとも聞かない。頭を上げ、父の目をじっと見て大きくひとつ頷いた。

「種速。」

 老臣は鎮種の前に走り出て平伏した。顔は上げずとも、何か言いたげな様子がよく分かる。

しかし、その種速の思いを断ち切るように、鎮種は厳粛に言い放った。

「切腹の準備をせよ。」

「まあ待て。」

「兄上は黙っていて下され。これは高橋家中のことじゃ。」

 思わず鎮信はため息を漏らした。

我が弟ながら、父をも凌ぐ謹厳さ、それ以上にこの頑固さ。この性のため、大友家の武の双璧と認められながら、未だこの肥前国境の守備隊長に過ぎぬのだ。領地は父のものを継いだとはいえ、父・鑑理は、大友家家老に加え筑前の守護代を任されていた。

 確かに、いたずらに敵本拠に乗り込み、あまつさえ敵の大将に斬りかかる勝手を行い、しかも年端のいかぬ立花の姫を命の危険に晒したのだ。重罪と言われてもしかたないが、弥七郎が元服前で、二人とも無事に戻ったのだ、罪一等を減じても良いのではないか。大友家家老格の自分ならそうする。再び開きかけた口を、意外な声が遮った。

「その仕置、納得行かぬ!」


(四)

 誾千代が両手を広げ、弥七郎と鎮種の間に立ちはだかっている。その発する気は鎮種ですら目を見張るほど、とても九歳の女子のものではない。

「お誾、お前には関係ない。引っ込んでおれ!」

 弥七郎の叫びが悲鳴のように響く。お前の気持ちはありがたいが、父上はそのような心根が通じる方ではない。その声を聞いて、誾千代は何を感じたのかうっすらと微笑んだ。

「姫よ、これは高橋家の問題じゃ。口出し無用に願おう。」

 九歳の子供に対しても大人同様の言葉遣い。これは高橋鎮種の信条であり、ある意味当然のこと、美点と言われるほどのものではない。

「いや、これは我の問題じゃ。黙っていることなどできぬ!」

 その言葉の圧力は、さしもの鎮種をも一瞬たじろがせるほど、そして横で見ていた鎮信を思わず感心させた。

 この大人びた物言い、鎮種を前に一歩も引かぬこの胆力、なるほど怪物の子は怪物ということか。

「どういうことでござるかな?」

 こうまで言われては、鎮種も聞かぬわけにはいかない。

「簡単なこと。肥前水之江へ弥七郎を無理矢理連れていったのは我じゃ。龍造寺隆信へ刃を投げたのも我じゃ。弥七郎は隣で見ており、一緒に逃げたに過ぎず。これ全て我の問題じゃ。そこに罪ありと言うなら、我を裁くが良い。」

 筋の通った物言い、それにこの腹の座り方、とても十に満たぬ童とは思えぬ。さしもの鎮種も感嘆を禁じ得ない。しかし、道理は別の話だ。

「敵本拠に勝手に潜入し、敵の大将と接触するだけでも大罪。隣におっただけという言い訳は通らぬ。」

「そうじゃとしても、主たる咎人は我じゃ。まず、我を裁くがよいと言っておる。」 

 鎮種は誾千代から目を離さず、静かに言い放った。

「姫に咎あるか否か、決めるのはわしではない、お父上・道雪殿じゃ。姫の問題は立花家の問題、弥七郎の問題が高橋家のそれであるのと同様じゃ。」

 誾千代は、鎮種につかつかと詰め寄って行った。

「先程から、高橋の立花のと言われるが、仮にこれが罪じゃとすると、大友家に対するものとするのが道理じゃろう。はたして、家内で済ませる話か?」

 鎮種はグッと詰まった。明らかに誾千代の言い分に歩がある。その様子を見て、鎮信は笑い出した。

「わはは、これは参った。鎮種よ、そちの負けじゃ。とはいえ、このままではスッキリせぬであろう。大友家の問題という姫の言い分にも理がある。ここはひとつ、大友家としての裁きを受けに参ろうぞ。」

 思ったより大事になってしまったと、弥七郎は考えた。

「豊後へ出向くのでござるか?」

 鎮種の問いに、鎮信は大きく頭を振った。

「わざわざご主君を煩わす必要は無い。今の筑前守護代の裁可を受けに行くのだ。」

 今度は誾千代がグッと詰まる番だった。現・筑前守護代は、誾千代の父・立花道雪が務める。


(五)

 道雪の居城である立花山城は、岩屋城の北東四十里、九州北部一の商業地・博多の南方、立花山に位置し、鎌倉以来の豪族立花氏が治めてきた。それを、博多を領せんと欲した安芸の老鷹・毛利元就が立花氏を調略し、大友家に背かせた。

 しかし、重要な拠点を奪われた大友家が黙っているわけもなく、数年に渡る攻防の末に、やっと立花山城と博多の支配を取り戻した大友家は、一族の雄・戸次鑑連に伝統ある立花家を継がせた。この戸次鑑連こそ、今の立花道雪である。

その武名は、九州・中国は言うに及ばず、近畿・東海・関東まで轟き、あの武田信玄が家臣に欲しがったほどの武将であった。立花山城に筑前守護代として入城した道雪は、毛利軍の度重なる侵攻を撥ねのけ、まさに筑前の要として存在している。

 馬を駆って、鎮種、鎮信、弥七郎、誾千代の四名が立花山城に至ったとき、夜は白々と明けようとしていた。

「はて面妖な。夜も明けようとするのに、夥しい篝火じゃ。戦でも始まるのか。」

 鎮信の呟きを、隣で馬を駆る鎮種は即座に否定した。

「戦なら岩屋城にも報せが走るはず、城を出た後で報せが届いたにせよ、屋山が早馬をよこすはずでござる。」

 城門に近づくと、一際背の高い武将が、その身に似つかわしい長大な槍を片手に、しきりに辺りを警戒している様子である。鎧から覗く腕や足、首筋や顔にまで無数の傷跡がある。道雪の臣であるらしいその武将は、鎮種らに気づくと軽く会釈をした。鎮種や鎮信との身分の差を考えると不遜とも思える態度だが、その人となりをよく知る鎮種らは、別に気にとめる様子もない。

「鎮幸、この様子は何事じゃ。」

 鎮信から問われたその武将の名は小野和泉守鎮幸、立花家の家老のひとりである。槍一本を持って主家を転々とした、典型的な戦国武将であるこの男は、道雪の戦ぶりや人間性に惚れ込んで立花家の臣となった。その槍の腕は天下に名高く、後に戦国七本槍に数えられることになる。

「いや、大したことはござらん。」

 尊大にも聞こえる物言いだが、この男にそんな気がないことを鎮種は知っている。

「その説明は、この物々しさに似つかわぬ。我等に隠し事は無用じゃ。」

 鎮種の問いに、鎮幸はしぶしぶといった風で説明した。

「なに、曲者が二名侵入したのでござる。それらは討ち取り申したが、他におる可能性もあり、こうやって警戒しておる次第。」

 今度は鎮信が問うた。

「曲者が二名も侵入し、城に大事が無かったてか。」

 鎮幸は顔色も変えず答える。

「なーに、主君道雪は少々手傷を負い申したが、城に大事はござらぬ。」

「!」

「あっ、おぎん!」

 小野鎮幸の言葉を聞いた誾千代は、物も言わず、馬を降りると城内へと駆け行っていった。


(六)

「父上、ちちうえー!」

 城内に入った誾千代は、狂ったように走り回り、声を限りに道雪の名を呼んだ。その声に答えるように、奥広間の障子が開き、ぬっと長身、禿頭の男が現れた。

「維信、父上はどこじゃ!」

 禿頭の大男は肩を竦めながら、誾千代を諭すように言った。

「こちらにござる。姫、少し落ち着かれませ。」

 立花家家老・由布維信は、大友有力支族由布氏の出身で、れっきとした大友家直臣であったが、道雪に心酔し、太守大友宗麟に願い出て立花家臣となった変わり者である。道雪の名に恥じぬ知勇兼備の名将で、数々の戦場で手柄を立て、小野鎮幸と共に道雪の片腕である。

 その維信を押しのけるようにして、誾千代は奥広間に駆け入った。座敷中央に僧体の大男が上半身裸でうつぶせに寝ている。筋骨隆々とした体躯に、ツヤツヤと油の乗った肌は、とても六十五になる老将とは思えない。

「父上!」

 少女の悲痛な叫びに、大男は振り向きもせず、寝たまま右手を振って応えた。

「大事ござらぬよ。我が殿には、年甲斐もなく刺客と大立ち回りをされ、腰を少しばかり痛められたのでござる。」

 維信はそう言うと、道雪の腰に膏薬をピシャリと貼った。

「あいてててて、これ維信、もそっと柔らかく貼らぬか!」

 維信は素知らぬ顔で、ごしごしと道雪の腰に膏薬を貼り付ける。唐辛子の入った膏薬は、擦り付けられてヒリヒリと響く。一瞬、道雪の腰は宙に浮き、声にならない悲鳴が上がった。

「殿、我慢にござる。」

 道雪が恨めしげに維信を振り返ったとき、広間に鎮種、鎮信、弥七郎の三名が入ってきた。

「おおこれは、珍しく兄弟揃って。弥七郎も来たか。済まぬな、こんな格好で。」

 三名は、亡き鑑理の旧き友でもある道雪の前に胡座をかいた。道雪は両腕を屈伸させ、上半身の力だけで、ぴょんと飛び上がると、三名に向かって胡座の状態で座った。下半身不随の故である。

 猛将の名を恣にした若い頃、大木の根元で雨宿りしていた道雪は、激しい雷の直撃を受けた。命は取り留めたが、下半身の感覚を失った。さしもの道雪も、これで終わりかと思われたが、この超人は、上半身を鍛え抜き、戦場に復帰してみせた。

 大将である道雪は、通常は壮丁四名に担がせた輿の上で采配を振るうが、乱戦ともなれば、輿に備えた己の背丈ほどもある二つの六角棒を振り回して敵を倒す。その武勇は、五体満足の頃に倍するものがあり、一時大友家中では、道雪に雷神が宿ったと、まことしやかに囁かれた。

 平素は、中でも外でも、この二つの六角棒を脇に挟み、まるで己の足のように、交互に動かして歩いてみせた。その自然な姿に、近臣ですら時々道雪の不具を忘れるほどだった。

「刺客とか?」

 鎮信の問いに、道雪は微笑みで応えた。

「どこから入り込んだものか、厠から出たところを狙ってきおった。二名とも中々の腕前じゃったわ。捕らえれば、どこの家中か吐かせられたものを。」

「取り逃がされたか。」

 驚きと共に鎮種が問うた。なるほど、それならあの警戒ぶりも納得がいく。

「あははは。」

 維信が、堪えられぬといったように爆笑した。道雪は、悪戯を見つかった子供のようにばつの悪い顔をしている。

「いや失礼、我が殿にその様な可愛気があらば、我等家臣はもっと楽ができるのですが。」

 どうやら、六角棒を使い、一瞬で二名の刺客を殴り殺してしまったらしい。その激しさは、判別出来ぬほど破壊された刺客の頭部が物語った。外の警戒は、あくまで他に刺客がいた場合に備えるためだ。

「何か、手掛かりでも残っておりませぬのか?」

 弥七郎の問いに、道雪は何やら嬉しげに答えた。

「そうさの、襲ってきたのは、二人ともどうやら忍びの者、この辺りで忍びを使っておるのは・・・。」

「龍造寺隆信、その軍師である木下昌直が飼っておる根来者。」

 鎮信の答えに、満足気に道雪は頷いた。そのやり取りを聞いて、誾千代の顔が蒼白となり、ブルブルと震えだした。

 我のせいじゃ、全て我の。

「どうしたのじゃ、お誾。」

 道雪は、この曾孫ほどに歳の離れた一人娘を、文字通り目の中に入れても痛くないほど慈しんでいる。誾千代にしても、幼くして母を亡くし、男手一つで育ててくれた父を、何者にも代えがたいほど慕っている。その父の命を、己の軽率な振る舞いで危うくさせてしまったという後悔と、優しい父の言葉に、誾千代の目からボロボロと大粒の涙が溢れた。

「困ったの、何があったのじゃお誾よ。」


(七)

 肥前での一切を、シャクリ上げる誾千代の口から聞いた道雪は、こんな楽しいことはないという顔で、感覚の無い膝を叩いた。

「聞いたか維信、わずか九つにして、さすがは我が娘、それでこそ立花家の跡取りよ。」

「まことに、まことに。」

 由布維信も嬉しそうである。

「しかし、勝手に敵地に入り、敵の首魁に刃を向けるをどうお考えか。」

 止めようとする鎮信の手を振り切り、己の信条に忠実であろうとする鎮種が、道雪に食い下がった。

「相変わらず固いことを申すの。それでこそ高橋鎮種と言えるが、たまには思いっきりふざけて考えることも大事ぞ。」

 鎮種の前では、道雪は生真面目な弟子を諭す師匠のようになる。道雪は、この生真面目さも含めて、亡き友・吉弘鑑理に似た鎮種を好ましく思っている。ただ、信条の前では一歩も引かぬ鎮種の前でこの議論は、際限なき平行線となる恐れの強いものである。

 道雪殿も人が悪い、そう話を持っていけば弟が止まらぬ。下手をすると、三日三晩話が続く。どうかして話を終わらせねば。そう考える吉弘鎮信の横では、泣き疲れた誾千代と、立て続けの緊張に精魂尽き果てた弥七郎が、折り重なってスースー寝息を立てながら休んでいる。

思案に暮れる鎮信に、思いもかけぬ助け舟?が現れた。

 慌ただしく広間に駆け込んできた小野鎮幸によって、驚くべき報せがもたらされたのだ。

「臼杵鎮続様より急使にござる!」

「読め!」

 書状を手に、一応辺りを伺う鎮幸を、道雪は手で急かしつつ言った。臼杵鎮続は、先年没した大友三家老最後の一人・鑑速の末弟、豊前の代官である。豊前は、ある事情から政情不安な場所になってしまった。危急の事態に違いない。急ぐ気持ちに乗せて、ぴらりと書状が開かれる。

「小倉沖に毛利の軍船、およそ五千隻ほど、夥しい兵を乗せ、まさに上陸しつつあり。筑前、豊前の諸将は急ぎ対処を。」

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