第2話 ミミズ
ミ ミ ズ
賑やかな島である。
朝も夕も昼も夜も、そして地中も地上も空、山も海も。
その日は、特に賑やかだった。
周囲を歩く者たちも長年の夢が叶ったと日の丸の小旗を振り、君が代を唱い橋を歩いていた。
「本土復帰と準ずる歴史的な出来事だ」
「それ以上の出来事だ」
「車でも本土に行ける」
「橋の上を列車も走るようになる」
人々は口々に自分の希望や夢を語った。
島中が祝賀行事で沸き上がっていた。
妻の二人でざわつく群衆の中で、一緒に本土と沖縄の間に架けられた長大な橋を鹿児島の方に歩いていた。
島と本土の間に橋を架ける。
台湾から沖縄本島、奄美の島々、種子島に橋脚を構築し橋を架ける。ついに沖縄本島と鹿児島の間の橋が完成したのである。
太古の昔に大きな地核変動で大陸と日本本土を結んでいた陸橋が沈んでしまい、小さな島々に悲痛な慟哭とともに大洋に取り残されてしまった人々が長年待ち望んだ真剣な願いだった。
ついに長年の夢が叶い、今日だけは本土に橋を徒歩で渡り行ける記念すべき日のである。
見上げると米軍の最新式の戦闘機が上空を北の方に白い飛行機雲を引き、音もなく飛んでいった。
すぐ後ろからはミサイルを装填した戦闘ヘリが橋に沿いエンジン音を轟かせ低空で飛び去って行った。
群衆が渡る橋を霞のような雲が横切った。
見下ろすと、目も眩む遙か下の橋脚で波が砕け、白い渦巻きが出来ていた。
最近、不機嫌な日が続いていた妻も素直に喜んでいた。妻の機嫌を伺い、ポケットの中でモゾモゾと動くミミズを触った。この記念すべき日にやり遂げたい夢があった。この巨大な橋の上から釣りをすることである。密かに昨日のうちに家の庭先で掘り出したミミズをポケットに忍ばせていた。
この行動に気付いた妻が急に不機嫌になって、空を飛ぶ飛行機に八つ当たりをした。
「うるさいわね。あの飛行機の音」
妻は苛立っていた。
「基地がなくなれば血なまぐさい話もなくなり、静かになるわ。子供も安心して学校に行けるようになるわ」
とんでもないことを口走る。基地のアルバイトで生計を立てていると妻を窘めた。
「他に仕事を作ればいいのよ」
妻の意見を無視し、ポケットの中からミミズを掴みだした。
今日のミミズは生きがよかった。島中の地表にミミズが湧き出していた。
沖縄のミミズは沖縄戦で死んだ兵士や住民の顔をしている。ミミズたちが戦争で死んだ者たちの血や肉を喰ったせいで遺伝子が変質してしまったと大学でミミズの研究をしている教授が主張していた。まさにそのとおりだと信じた。
ポケットからミミズを一匹を摘み出し、顔の部分に釣り針を刺し通し、橋の上から遙か下の海面に投げ落とした。
「残酷だ」
妻はミミズに針を刺すたびに顔をしかめた。
「君も釣った魚を食べている」
「ミミズ以外の他の餌を使えばいいでしょう」
「ミミズでなければ駄目なんだ」
最近、例の大学教授が人の顔を持つ沖縄のミミズを本土のミミズと同じにしようと運動を繰り広げ始めた。この運動は県民の間で広く支持され、マスコミも連日のように取り上げていた。それを実現する方法の一つがミミズを釣餌にしてタンパク質を広く海に撒くという方法である。大学教授の言葉を借りて行動の正当性を妻に理解させようとしたが、無理である。
橋の上から海面までは遠すぎて、釣り糸が短すぎて、ミミズの餌は海面に届かずに空中でブラリブラリと彷徨った。釣にならないのでポケットの中のミミズを全部、掴みだし、海に放り捨てた。
ミミズは「ヒェイ」という黄色い悲鳴を上げて海面に落ちていった。
かなり長い時間が経過して、小さなポチャンと言う音がして、はるか遠い海面に小さな波紋が描かれた。
開聞岳の三角錐の姿が水平線にくっきりと姿を現した。
橋は開聞岳の麓に架かっていた。
山の麓には橙色の花が咲き乱れていた。
本土の方から歩いて帰る人が次第に増えてきた。理由を聞いても、誰も死人のように口を閉ざし、答えなかった。
麓のだいだい色の花畑で特攻隊が着たシャレコウベたちが操り人形になり、細い紐でぶら下げれてカタンカタンと音を立てて踊っている。
「上陸をさせるな。このまま追い返せ。これ以上の失業者は要らない」
群衆の前に立つ警察官は、必死に群衆を制止をしているように見えるが、背を向けると背中が裂け、大口を開け群衆と同じことを叫んでいた。
警察官に見えるのに妻は迷彩服を着た兵士たちだと言い張った。
「日本はどうなった。情けない」と漏らすと、妻は平然と応えた。
「日本はこんな国よ。それに今月は十月で神無月よ。天皇陛下も出雲に御隠れになっている」
群衆の数では叶わない。鹿児島に上陸するのを諦めるしかない。
周囲の者達も、悔しそうに唇を噛みしめ、次々と南の方に引き返し始めた。橋を渡り、実家に帰るのを楽しみにしていたのにと妻が、ひどく落胆した。
その日のうちに沖縄本島に戻った僕たちは砂糖黍を刈っていた。
背丈より高い黍の葉を落とす仕事は骨が折れた。白い軍手から剥き出しになった腕の部分にはミミズばれが出来、血が染み出していた。妻に内緒でサトウキビ畑の狭い空き地で休憩をしようと腰を下ろすと、空き地の片隅から歓声がした。耳を澄まして聞くとミミズ特有のテープを早送りしたような例の黄色い声がした。畑の片隅に穴の開いた古い鉄兜が転がっていて、その中から歓声がわき起こっているのである。
恐る恐る鉄兜に近づいた。
昔は白いシャレコウベの主がいたにちがいないが、過ぎ去った長い年月で、彼らも自らの思いとともに風化して白い粉になり、風に舞い宙に飛び去ってしまった。そして穴の空いた鉄兜は主を失い、空になってしまったのである。
上から鉄兜の中をを覗き込むと黒人、白人、黄色人種など僕の知るあらゆる人種の顔をしたミミズが鉄兜の中で踊り狂っているのである。
二十万匹はいると直感した。
「あちっち、あちっち」と言うリズムにあわせて、頭上から照りつける南国の太陽と足下の鉄兜の熱で汗だくになりながら、ミミズたちはガニ股気味の足を激しく上下し、橋の開通を祝いカチヤシという沖縄独自の踊りを踊っている。
悲鳴を上げている。今日の祝賀行事で戦争を思い出したんだ。死ぬ直前の苦しみも思い出したんだ。可愛そうにと、突然、背中で妻が声がした。
急に現れた妻に驚きながら反論した。
「小さな鉄兜の中で窮屈な思いをしないですむことで彼らも喜んでいる。戦争のことなど、はるか昔に忘れている」
「何を言うの。みんな必死の形相をしているわ。赤く焼けたフライパンの中ではじける豆のようだわ」
遠くで祝砲がした。
ミミズたちの踊るカチヤシのリズムが急に早くなった。
「祝砲にも怯えた。今日の祝賀行事もミミズたちにとって戦争を思い出させる残酷な催しものよ」
と妻は悲鳴を上げた。
「違う。喜んでいる」
すべてが食い違うことで妻が僕に絶望し、背を向けた。
別れることになるかも知れない。そんな予感を感じた。
けたたましいジェットエンジンの音で目を覚ました。
一陣の風が砂糖黍畑の撫でた。
砂糖黍の葉が擦れて、ザワワザワワと一斉に音を立てた。
人の背の高さ越えるサトウキビ畑の中を巨大な鳥竜のような影が走った。
影を追うように米軍の輸送機が銀色のジュラルミンの腹を見せ、地上を掠め、飛行場に着陸しようとしていた。
砂糖黍の葉が微かな風にザワワザワワと音を発てた。
目覚めた時、切なさで涙ぐんでいた。
縁を青い空に喰われた月が、か細く空に浮かんでいる。
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