第6話 祭事の朝

 貴志やほかのこどもたちは、眠らずにヤコブの帰りを待つつもりでした。ヤコブが連れ出されてから、子供たちはみなふさぎ込んで、話をしようともしません。そのうち山道での疲れからか、うつらうつらとしてしまったようです。たいまつの灯りが洞窟の部屋をちらちらと照らしていて、今が朝なのか、まだ夜なのかもわかりません。子供たちは皆、いつの間にかうたた寝をしていたのでした。

貴志はふと目がさめて、富田君のとなりのベッドを見ました。

「ヤコブ君はベッドに戻っていなんだ」貴志はひとり言を口にしました。

「うん、いないね」富田君も目がさめていたのか、そう言いました。貴志はその言葉を耳にすると、いっそう気落ちしました。するとドアがぎぎっと開いて、あのいたちの給仕が部屋へ顔をのぞきこんできました。

「朝だよ。たべものを持ってきたよ」いたちの給仕はそう言うと、ドアをまたぐっと開きました。

「熊さんたち、運んで」いたちの言葉にしたがって、5頭のヒグマたちが、両手に食事のおぼんを抱えて運んできました。

「パンとミルクだよ。肉も食べるなら持ってくるよ」いたちは言いました。ヒグマたちは体をゆらゆらさせながら、子供たちがそれぞれいるベッドに食事を置きます。

「ありがとう」澤口さんは食事を置いたヒグマに礼を言いました。山田君がミルクの入ったコップを手に取り、一口飲みますと「なんだかこのミルク。おれには臭くて飲めない」と声にしました。

「ヤギのミルクだよ。しぼったばかりなんだよ」そういたちは答えました。

貴志もコップを持ち上げて口つけますと、なにか牧草がまじってるような味がします。

「いたちさん、お茶が飲みたいんですけど、いいですか」貴志はいたちの給仕にそうお願いしました。

「いいよ、またお茶なんだね。お茶が好きだね。持ってくるよ」いたちはそう言うと、くるりと背を向けてヒグマたちに呼びかけました。

「熊さんたち、かえるよ」いたちがドアから出て行くと、ヒグマたちもぞろぞろと、部屋から立ち去っていきました。

「山田君の顔、すごい。ベッドのしましまのあとがついて赤くなってる」澤口さんが面白そう言いました。「そういう澤口さんだって顔にあとが残ってるよ」山田君がすぐに言い返します。

「むしろの編み目のあとだね」仲谷君が笑い顔で言いました。子供たちはヒグマに運んでもらった食事を食べ始めました。

「あまりお腹、すいてないの」澤口さんがそう言います。「これってきのうも食べたデーツね。これなら私も食べれるわ」そう言うと澤口さんはデーツをひとつ口にいれました。

ぎいっとドアが開き、いたちの給仕が両手でおぼんを抱えて入ってまいりました。

「お茶だよ」いたちの給仕はそう言うと、コップがのったおぼんを、ベッドの間をまわりながら子供たちに差し出しました。

「きみの分もあるよ」いたちは山田君の前に行くと、そう言いました。

「あったりまえだよ。なかったら怒っちゃうからな」山田君は口をへの字にしながら、おぼんにのったコップを取り上げました。

「ありがとうでしょ。少しずうずうしいわよ」澤口さんが山田君をいさめました。

「食事が終わったらね、聖殿に連れてくるようベラ様に言われてるから」いたちの給仕が言います。

「いたちさん、顔を洗いたいし、口もゆすぎたいんだけど。水のある場所はないの」澤口さんが聞きました。

「あるよ。聖殿の入り口で水を貯めているところで手を洗うんだよ」

「それって、ちょっと違う気がするな」富田君が言いました。「よく神社の境内にあって、手を清める水でしょ」

「そうね、お顔を洗えるところがいいんだけど」澤口さんがもう一度、いたちにたずねました。

「水の出るところは調理場にあるけど、ちょろちょろとしか出てないよ。おいらや、みんなは顔なんか洗わないよ」

「そうなの。それじゃしかたないわね。聖殿の入り口の水を使うわ」澤口さんんはあきらめるようにいいました。

「いたちさん、ヤコブ君を見なかった」貴志がふと思い出したように聞きました。

「ヤコブ?どんな子?」

「ヨナタン王子とよく似ている男の子なんだけどね」

「みてないよ。アスタロトは夜遅くに見たよ。ベラ様ところに来た。ベラ様に頼まれてお酒を持っていったよ」

「えっ、アスタロト。アスタロトがひとりで。どういうことなんだろ?」貴志はアスタロトの名前を聞くと、とまどいました。

ううん、アスタロトはヤコブ君を一緒に連れていってるはずなんだけどな。貴志は寝ぼけているのか、頭がよくまわらないようです。

「ヤコブ君は今どうしてるんだろ」貴志はとても心配になり、そうに言いました。

「やっぱり、あのアスタロトは信用できないね。でも僕たちはあの時、なにもできなかったよ」仲谷君は貴志になぐさめるように言いました。

「あの男がどんな力をもってるかも知らないし、狼兵士さえも、簡単にやっつけてしまいそうだった。祭事が終わったらさ、ガブリエルさんに頼んで助け出しにいこうよ」仲谷君は言い訳をするかのように、貴志を元気づけようとしました。「ううん」と貴志はふにおちないような空返事をしました。

「みなさん、おはようございます。入ってもよろしいですかね」そう声がすると、半分開いたドアからきつねの召使いが姿をあらわしました。

「ベラ様から食事の終わるころを見計らって、皆さんをお連れするようにとことづかってきました。もうみなさん、食事はお済ですか?」きつねの召使いは目を細めながら子供たちを見わたしました。

「不思議なベッドの置き方ですね。どうしたんでしょうか。まっ、それはいいとして。そろそろ皆さん、聖殿へ行けそうとお見受けしましたがよろしいですか」きつねの召使いはそういい終わると、黙って子供たちの返事を待ちました。

「きつねさん、ヤコブ君を見ませんでした。アスタロトさんと一緒だったと思うんですけど」貴志はわざと思い出したように聞いてみました。

「ヤコブ、はて、ヤコブは見ませんですね。アスタロト様はもう聖殿にみえられますが、一人でこられましたよ」きつねの召使いがけげんそうに答えました。

「えっ、アスタロトさんはもう聖殿に着いてるのに、ヤコブ君はいないんですか。やっぱり、ヤコブ君の身になにかあったんだ。はやく行こうよ」貴志はすっと立ち上がると、そう子供たちに言いました。

「うん、わかった。そうしよう」仲谷君も貴志の思いを気づかうように立ち上がりました。

「きつねさん。食事は終わりました。早く聖殿に行きましょう」貴志はきつねの召使いを急かしました。

「おや、急にどうされたんです。よくはわかりませんが、そうおっしゃるなら行きましょうか。いたちくん、あとの片づけはよろしく頼みましたよ」

「きゅう、いいよ」いたちの給仕が答えます。

「では、あとについてきてください」きつねの召使いはそう言うと、洞窟の廊下へ振り向きました。つられて子供たちもベッドから飛び出すかのように、後を追いました。部屋を出ると、きつねの召使いは暗い坂道の上へと登っていきます。暗がりの廊下では、来る時には枝分かれになって通ったはずの場所もわからないまま、子供たちはきつねの召使いについて行きました。きつねの召使いは意外に早足ですので、子供たちも遅れまいと大変です。先に進むきつねは廊下が急な右曲がりになってるものですから、さっと姿を消しました。子供たちも右に曲がり追いつこうとしますが、きつねの姿が見当たりません。うろうろしていると子供たちは足もとに不思議なものがあることに気づきました。とびとびに石畳の上に並んでいるのは、横に寝ている木の柱でした。その上に2本の鉄のレールが敷いてあります。

「これって線路じゃないかな」うしろから仲谷君の声がします。

「きつねさん、どこです」貴志がかぼそい声でたずねますと「こちらですよ」ときつねの声が頭の上から聞こえてきました。振り向くと真っ直ぐに続いているだけの廊下だと思っていたのが、壁づたいにもせまい階段が造られていて、きつねはそちらの方へと登っていたのです。子供たちはあわてて戻ると、石段を登り始めました。石段は足もとが暗く分かりにくいものですから、きつねの後を追うよりも石段から落ちてはしまわないかと、子供たちはこわごわ片方の手で石壁をさわりながら登っていきます。

しばらく登りつづけていきますと、踊り場にたどり着きます。そこから石段は左に折れ曲がって、岩壁に開いた穴の階段へと続いておりました。そこできつねはそちらの石段へと曲がっていきます。左に曲がって続く石段は、今度は両側に壁もありますので、子供たちもさっさと速くきつねを追いかけていけるのでした。石段を登り終わりますと、少し広い踊り場にでました。踊り場というよりは、もっと広めの部屋のようです。

「それではみなさん、この向こうが聖殿の広間になっています。そちらに洗盤がありますので、どうぞお使いください」

「ああ、さっきいたちさんが言っていたのは、この洗盤のことね」澤口さんが言いました。

「へえ、洗盤て言うんだ」富田君が感心しながらうなずきました。

洗盤は小さな石がきを積まれた四角い浴槽のような造りでした。水がなみなみと張られて、ふちからしたたり落ちていました。

「この水は、谷底の泉がここでも湧きだすよう、ベラ様の魔力でこの洗盤に導かれているのです」きつねの召使いはそう説明をしました。

「じゃあ、洗盤を使わせてもらいますね」澤口さんはそう言うと、手を洗い口をゆすぎ始めました。他の子供たちも洗盤に手を入れると、じゃぼじゃぼと顔を洗い始めます。

「きつねさん、タオルあります」富田君がぬれた顔を手でぬぐいながら、きつねに聞きました。

「はいはい、タオルですか。ここにはタオルがね、しかたありません。あのテーブルクロスをお持ちしましょう」きつねの召使いは部屋のすみから、白くてごわごわした布地を持ちだして言いました。「さあ、どうぞ」

富田君は差し出された布地を受け取ると顔にあててみましたが、あまりタオルの役になりませんので、ちょっとしぶい顔になりました。

「ほかにタオルはありません」澤口さんが聞きますと、「そのテーブルクロスを広げて使ってくださいよ」きつねの召使いはもう知らないといった感じで答えました。

子供たちはしぶしぶ、固いテーブルクロスで顔をふきますが、前髪がぬれたままです。

「どうですか、支度はととのいました?では、聖殿へご案内します」きつねの召使いはそう言うと、洗盤の向こうにあるドアの前に行くと、取っ手に手をのばしました。

うっと貴志は声をだすと、まぶしさのあまり目を細め、手のひらで光をさえぎりました。ドアのすきまから差し込む陽の光がとても強かったので、子供たちがみなまぶしがって陽の光から顔をそむけました。

「まぶしい」山田君も顔をしかめながら、そうさけぶびました。

「どうしました、まだねぼけまなこですね。ベラ様方はもうお待ちしているんですよ」きつねの召使いはそう言うと、ドアをぐいっと開けて聖殿の方へと歩みました。

「ベラ様、神官たちをお連れしました」

「おう、ぐえっ。そうか、待っていたぞ。さあ、席に案内しろ」正面の台座から右手の一段下がったところが、王の高座のようでした。

ベラ王とアスタロトはすでに、背もたれの高い大きな椅子にどっかりかまえて座っておりました。「ベラ王殿、ラハブ女王は呼ばれはしませんでしたか」アスタロトはそうベラ王にひそひそ声で聞きました。

「うぐっ、姫君はのう、私はバールとは関係ないからと言って、わしの願いを受けいれてくれんのだ」ベラ王は思い出すかのように、ぶぜんと答えます。

「ふん、なるほど。カナン国ではバールは目のかたきかもしれませんからな。それはしかたがない」アスタロトは作り笑いをして言いました。

貴志はアスタロトの姿を見た時、ヤコブ君を帰さないなんて、なんてひどいやつなんだろうと、そのふてぶてしい顔つきに、いきどおりをおぼえました。

演芸場のような広場の正面に、丸い大きな台座があり、そこには2階建てバスよりも背の高い石像が立てられておりました。それはあのピエロの帽子をかぶって、たかだかと右手をあげ、おどけるように立っているバールの石像でした。その右手の手のひらから、一筋の白い煙がもくもくと空高く舞い上がっております。

ベラ王の座っている高座とそのとなりの一段高くなっているバールの台座の上には、はげ山の石壁がのびて、ひさしのように飛び出ています。でも聖殿の広場は山のいただきなのか、空が丸見えなのです。そして広場の反対側は見晴らし台みたいな岩壁で、一面に海が広がっているのでした。陽もすでに高く昇り、さんさんとかがやいて見えました。なんとなく潮のにおいのする風が、ほほをなでていきます。

「みなさんの席はこちらになりますよ」きつねの召使いは、正面のバールの台座まで石段を登っていきました。石段の途中に石造りの水牛の頭のついた長方形の祭壇があり、壇のの下は水牛の4本足の形になっていました。祭壇は真ん中をあけて、左右にはきのう見たご馳走と同じようで、肉が山盛りになったり、果物も積み重ねられて並んでいます。

バールの石像のとなりには何席かの椅子が並べられていました。きつねの召使いは水牛の台の横に立つと、「あちらの席にどうぞお座りください」と手招きしました。子供たちは言われるままに石段を登っていきます。

貴志はバールの台座に向かいながら、あせり始めました。自分が祭事のなにから始めたらよいのかが分からくなったものですから、緊張しだしたのです。子供たちはきつねに案内された、石造りに椅子にそれぞれ座りました。

「さて、神官たちもそろったので、祭物を用意しないとな。ベラ王殿、手はずはととのっておられるか」アスタロトはほくそ笑んで、ひげを指でなぜました。

「ぐえっ、うむ、ラザクに言いわたしておる。今にガブリエルを連れてくるわ」ベラ王は話すたびに体をゆすり、自慢げに言いました。

「おい、神官たち。祭物がととのうまで、なにか祭事の準備はせんのか」ベラ王はそう子供たちに問いました。うわっ、きたぞ、どうしようか。貴志は心があせりだし、どぎまぎします。

富田君がきつねに向かって聞きました。

「きよめのお塩ってないんですか」

きつねはぎょっとしたようで、小さな目をまん丸くして富田君を見つめました。

「そんなものはありません。塩をそんなことに使うなんてとんでもないです」

「おう、そうだぞ。おまえはなんて不吉なことを口にするんだ。東洋の国でどんなことをするかは知らんが、バール神の祭壇では塩などは使わんぞ」ベラ王は急に富田君をののしるように怒鳴りました。

「そうですか。では洗盤の水で清めをします。きつねさん。水を入れる器はないんですか」

富田君はへいぜんとして答えるものですから貴志は勇気があるなあと、感心して見つめてしまいました。

「お皿でしたらあります。持ってきましょう」

きつねの召使いは石段を下りて、洗盤のある部屋に向かいました。ほどなくして果物を盛れる大きな皿をきつねはかかえてきました。きつねは石段をあがると、きょろきょろして大皿の置き場所に困ってたようですが、水牛の台座へと近づいて、その上へと置きました。

「では、お清めをします」富田君は水牛の台座へ歩みよると、すうっと指を大皿の水にひたして、左右にぱっぱっと水滴を飛ばしました。

「おもしろい、おれもやるよ」山田君はそう言うと、水牛の台座に走りよってきて、富田君と同じように水滴をさっさっとふりまきます。澤口さんは山田君が喜びながら水をふりまくの見て、あらぬ方を横目して、見下すような顔をしました。

洗盤のある部屋のドアが急に開くと、なかからラザク将軍があらわれてきました。

「ベラ王殿、牢の中にはガブリエルがおらず、なぜかリフカ殿がいるのみなのです」

ラザク将軍の後から、リフカとそしてタタファが恥ずかし気に姿をあらわしました。

「ぐえっ、なにがどうなったんだ」

ベラ王があっけにとられたように大声をだします。

「どっ、どういうことだ、リフカ。説明しろ」アスタロトが怒鳴るように聞き返しました。

リフカは下を向いたまま、だまったきりでなにも話そうとはしません。

「アスタロト様。リフカは何もわからんのですよ。リフカは牢の中で気絶していたようなんですわ」タタファがリフカをかばうように答えました。貴志や子供たちもタタファの言葉を耳にして、何が起きたのか分からず気が抜けたようになりました。富田君や山田君もあっけにとられて、手が止まったままになりました。

「ラザク将軍、すべての牢を調べたのか。あの牢は特別の暗黒牢だからな、見落としはしておらんのか」ベラ王が問いただしてきました。

「ベラ王様、部下で夜目のきく狼兵士を10名ほどもちいて探したのです。ガブリエルのいた牢には、リフカ殿しかおられませんでした」

「ぐえっ、ラザクは真面目ひとすじの将軍だからの。疑うよちもないわ」ベラ王は苦虫をかむように言います。

「リフカっ、なんでおまえが、ガブリエルの牢にいたんだ。何も知らんのか」アスタロトが再度、問いただしました。

「へい、王子を、あっ、なんですかね。アスタロト様の命じるとおりにしてたんですが、その後、知らないうちにあの牢に入ってたことも、なにも覚えていないんで。面目ありません」リフカはおずおずして、頭をかきながら答えました。

「ううむっ、もうよいわ。かくなるうえはヨナタン王子を祭物の生けにえとして捧げるほかあるまい。ラザク将軍、ヨナタン王子を連れてくるのだ」ベラ王がラザク将軍にそう命じますと「わかりました。ヨナタン王子をここへ連れてまいります」そうきびすをかえして、ラザク将軍は洗盤の部屋へと姿を消しました。

アスタロトは、さて、なんだかおかしなことになったわいと、あごに手をあてベラ王を横目でちらりと見ました。もともとヨナタン王子を生けにえとしてささげることが、吾輩の目的とするところだ。が、今連れられてくるヨナタン王子というのはヤコブのはず。ううむ、ちょっと、しっかりと確かめるとするか。

「おい、リフカにタタファ。ちょっと話がある」アスタロトはそう言って、二人のもとに進み、洗盤のある部屋へと入っていきました。

「リフカよ。ヨナタン王子はどうなってる。わたしが指示したとおりの部屋に閉じ込めたのだな」

「へい、アスタロト様のおっしゃる通り、れいの隠し部屋に閉じ込めています」リフカは、アスタロトに心を見透かされないよう、はきはきと返事をしました。

「うむ、ではこれから隠し部屋に行っても大丈夫なんだな」

リフカは答えるのにちょととまどってから、「あっ、ええ、大丈夫ですよ」そうやっと答えたのでした。

「では、行くとするか」アスタロトはかつっかつっ、と靴音をたてながら洞窟の廊下へと進んでゆきます。三人はせまい階段を下りて行きますと、線路のある洞窟を横切り、三差路から別の階段をさらに下って行きました。途中でキツネの執事のいる部屋に出ると、キツネにドアを開けさせて通り抜けます。そしてまた下の階へと石段を降りて行きました。階段のとちゅうにある踊り場で止まると、アスタロトは、

「打ち合わせどおりに、ここの隠し部屋に入れたんだろうな」とリフカをにらみつけます。リフカはアスタロトのするどい目を見つめて、しずかにうなずきました。

「タタファ、鍵をあけてくれるか」アスタロトに命じられて、タタファは踊り場の石壁にある小さくくぼんだ穴に鍵を差し込みました。タタファが鍵をぐりっと回すと、なにもなかった石壁におおきな扉のようなへこみがでてきました。アスタロトがそのへこんでいる石壁をぐいっと奥へ押しますと、石壁が回転扉のようにぐるんとまわって開きます。

「どれ、ヨナタン王子はおられるかな」アスタロトは部屋の中へと足を踏み入れました。

「ううむ、リフカ!」アスタロトは怒りをあらわす思いで怒鳴って呼びました。

「王子はどこだ」

「いませんかね。いるなずなんですが」

「どこにるかと聞いているんだ」

リフカとタタファも隠し部屋に入って、あたりを見回しました。「いやあ、へんですね。王子をこの部屋に入れて鍵をかけたはずなのに、姿がないなんてなあ」リフカは何食わぬ顔をして、とぼけたように言いました。

「リフカ、お前はわしをあざむいたな。王子を逃がしたんだろう」アスタロトは押さえ切れない怒りを、リフカにぶつけました。

「アスタロト様。なにを言ってるんです。ぬれぎぬです」

「いいや、言いわけは聞かん。思い知らせてくれるわ」アスタロトはリフカのえりくびを、恐ろしいほどの力でぐいっとつかんで引きよせると、その胸に右手をあてがいました。

「ぐっぐっぐっ、げえっ」リフカが息をできないで苦しむと、宙に浮いた足をばたばたとゆらしました。するとまるくてふわふわした白い玉のようなものが、口から糸をひいて浮かび上がってきました。

「ああっ、リフカ」タタファは驚きのあまり、立ちつくしました。

「おっと、逃がさんぞ」アスタロトは白い玉を手のひらで包み込むと、灰色のきんちゃくのような革袋に入れてしまい込みます。するとリフカは糸の切れたあやつり人形みたいに、その場にどでんと倒れこんでしまいました。

「この隠し部屋が、お前の墓場だ。そしてこれからリフカは永遠に私の僕となるのだ。体はなににしようか。ラザク将軍のように立派な獅子というわけにはいかん。熊でさえお前にはもったいないわ。夢を食らうバクにでもするか」アスタロトは灰色のきんちゃくを目の高さまであげて、にんまりとした顔で言いました。

「なんてひどい。ころすんなら、わしもはよころしてくれ」タタファはアスタロトをにらみつけました。

「タタファよ、かん違いしちゃいかん。リフカは死んではいないぞ。体から少しの間、離れただけのことだ。それで、お前はそうはしない。リフカが人質だからな。お前の働きしだいでは、リフカが助かるかもしれんぞ。今回のような失敗がないよう、よく心しておくことだな。さあ、鍵をよこすんだ」アスタロトはさすような鋭い眼をして、タタファの手から鍵を取り上げると、石壁の隠し扉の錠をかけてしました。

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