第4話 ベラ王登場

いくつかあるドアのひとつから、どんどんとたたく音がします。

「ベラ様が来られた。ドアを開けられよ」か

高い声が、ドアの向こうからしてきました。はいはいっとキツネの執事が返事をしました。するとガブリエルの手を縛っていた紐をラザク将軍にわたしてから、声のしたドアの方へぴょんぴょんと駆けよりました。かんぬきをぎっと音を立てながら抜いてドアを開けますと、なにやらまた一匹のきつね顔をした召使いのような者が出てきて、そのあとつづいてまた一匹のきつね顔の男が出てまいりました。

「ベラ王様、こちらに神官の者たちをを待たせております」キツネの執事がそう報告しますと、ガブリエルたち一行を手で指しました。ラザク将軍は椅子からさっと立ち上がりますと、胸に手をあてました。子供たちは椅子に座ったままじっとしていましたので、きつねの召使いは「お前たち、ベラ王様がこられたのだ。立って敬礼せんのか」と命じるような口調で言いました。

「よいよい、バラク様がわざわざ送ってくださった神官たちだ。そうせきたてるな」

背後から野太い声で、そう話しかける声がしました。暗がりの中に、どっぷりとした岩のような巨体が、ドアの向こう側にのぞいておりました。

「はっ、はい、失礼いたしました」きつねの召使いがそう返事をしますと、ずっずっずっずっと、地面をするような足音をさせながら、その巨体がぬっと部屋の中に入ってきます。子供たちは、はっと息を飲み込みました。人なのか動物なのよくわからなかったのです。髪の毛が額を薄くかくすようにおおって、頭の後ろですだれのように長くたれさがり、平たい顔には鼻があるというよりも、鼻の穴が二つあるのでした。やたらに大きい眼が左右にはなれて付いておりました。口はさらに大きく横に開き、あごと首の見分けがつきません。ふかふかの綿入りの布団のような着物には、金色の尾の長い鳥が二羽、両方の胸に刺しゅうされていました。黒い木靴にも金色のつたの模様で飾られています。

ベラ王はテーブルの席にから立ち上がった子供たちをながめたあとに、ガブリエル見つけるとにやっと笑いました。

「ほほう、ガブリエルではないか。お前には何度も戦場でわが軍をけ散らして、こてんぱんにしてくれたのう。やはりバラク様もお前を見逃すことができなかったようじゃ」

ゆっくりと誇らしげに話すと、ベラ王は二匹のきつねの召使いが運んで用意した特別に大きな椅子に、どっかりと座りました。

「さて、ラザクや。この戦士ガブリエルをどう扱おうかのう」ベラ王はラザク将軍にそうたずねました。

「がっるる。どうすればよいか。へたをすれば、我狼兵士軍だけでは太刀打ちできず、手が付けられなくなります」ラザク将軍は答えました。

「安心せい。そのために捕えた、あのヨナタン王子がいるではないか。ガブリエルは手も足もでんのだ。こうしておとなしくここにいるのが、その証拠ではないか」ベラ王は大きい口の片方を引いて、にやりと笑いました。

「まあよい、ヨナタン王子のとなりの牢屋に最後の別れとして放り込んでおくつもりだったが。ラザクがそのように心配するなら、あの地下の一番奥の極悪人牢にいれておくか。それでよいな」

「がるる。はっ、わかりました。そのように致します」ラザク将軍は返事をすると、さっと立ち上がりました。

「ではガブリエル、残念だがそういうことになった。ヨナタン王子には会えないまま、ここでお別れなのだ。ついてこられよ」ラザク将軍はそう言うと、ガブリエルの肩を押し、大広間の隅の方にあるドアへと導きました。ガブリエルは子供たちに軽く笑みを見せた後、ラザク将軍に引かれるまますうっと歩み始めました。

子供たちはガブリエルがいなくなることを知ると、大きな不安と戸惑いを感じました。本当に自分たちだけで、この巨漢のベラ王からヨナタン王子を救い出すことができるんだろうかという思いにさせられました。ガブリエルとラザク将軍は、子供たちが座っていた席から、テーブルの向こう側に回ると、大広間の奥の暗がりにあるドアへと進みました。

貴志は、ああっガブリエルさんが行ってしまう、と心の中でさみしさを感じました。この後どうなるんだろう。僕たちはうまくやれるのかな?。貴志の心の中に不安がぐるぐると回ります。キツネの執事がぴょんぴょんとガブリエルの前へ進み出ると、ドアのかんぬきを、ぎぎっと音を立てながら抜きます。

「どうぞ、足元にお気をつけください」そう言いながらドアを開きました。ガブリエルは言われるまま、ドアの向こうの暗い廊下へと歩みます。ラザク将軍も後に続くと、二人は口を開けた暗闇へと吸い込まれるように、廊下の奥へ姿を消しました。キツネの執事はどんと、ドアを閉めると、またかんぬきをぎぎっと音を立て錠をしたのです。

ぐうぇっと、ベラ王が大きなげっぷをしながら、子供たちをながめまわしました。

「さて、モアブからこられた神官たちよ。長旅でご苦労だったの。今夜は歓迎の宴をもよおすので、英気をやしなわれるがよい。

バラク様は最近どうされているのだ。しばらくお目にかかっていないのだが」

こうベラ王が話しかけてきたのですが、子供たちはしゅんと大人しくなり、誰も答えようとはしません。

「ううむ、返事がないの。わしになにか不満でもあるのか」ベラ王は少しけげんそうに顔をしかめると、子供たちをにらみ付けました。

「バラク様はとてもお元気そうだとのことです。私たちに、今回の仕事はよくやったと言われていました」

ヤコブが意を決っして、さっと答えました。するとベラ王は、近くの壁に埋まっているあの白い石が、なにかごにょごにょと語りかけてくる声に耳を傾けました。

「うむ、そうか。だがお前はサイモンの下で働いているヤコブだったと聞いているが、そうではないのか」ベラ王は眉をひそめるようにしてヤコブの顔をにらみつけました。貴志はヤコブの機転をきかした勇気に驚いていましたが、ヤコブがなにか危ない雰囲気になったので、自分がヤコブを助けてあげなくてはと思い、勇気をふりしぼりました。

「バラク様は、ベラ王様をとてもたいへん誉められておりました。私たちによくよく伝えるようにおっしゃっていました」貴志は夢中で話すと、なぜそんな言葉が自分の口から出てきたのか不思議でなりません。

「ほほう、そうおっしゃっていたか。それはありがたいお言葉だ。明日はバール神への祭事を行うのでバラク様をお呼びしたのだが。そなたたちを使わしたということは、よくよく考えてのことであろう。一応、礼を言うぞ」

ベラ王は子供たちを険しい顔でながめていたのですが、すっとにおだやかな顔つきに変わりました。

「ところで、おぬしたちはバラク様とどのような間がらなのだ?」ベラ王は子供たちにそう問いました。

「僕たちはバラク様の命令で、東方の国より神官として呼ばれました」貴志はよくわからずにも、なんとか思いだして答えました。

「東方の国?ほほう、バラク様はそこまでも領土を広げられておられたのか。なるほど、おぬしたちはこちらでは見かけぬ顔立ちだ。

明日のバール神への祭事に、バラク様がふさわしい神官をよこされたのかもしれぬな」

すると、たしかガブリエルが出ていったと思われるドアから、こんこんとノックの音がしました。キツネの執事がまたさっとドアへ駆けよりますと、ぎっぎっとかんぬきを抜いてドアを開きます。

「ベラ王様、先ほど申し付けられたとおりに、ラハブ女王をお連れしてまいりました」そう言うと、一匹のきつねの召使いが大広間に姿をあらわしました。ベラ王はにたっと笑みを浮かべた顔をすると、大きな口を開きました。

「おおう、わが姫君よ。よく来られた。こちらへくるがよい」そうラハブ女王を呼びかけました。すると水色のドレスを着た、細身でいくらか背の高い女性が、すっとドアの影から表れました。子供たちは初めて目にするラハブ女王を、じっと見入りました。

テーブルのそばで立ちんぼうになっている子供たちを見つけると、ラハブ女王は美しい顔で優しくほほ笑みました。その笑顔がまるで母親から見守られているような気がして、子供たちは何とも言えない安心といやしを感じさせられました。

「わが姫君よ、もっとわしのそばに来るがよい。見られよ、バラク様がわが国の繁栄を願われて、東方の国より神官たちを遣わして下さったのだ」

ラハブ女王は子供たちの中からヤコブを見つけると、急に驚いたような眼をして、じっと見つめました。

「あなたも東洋の国からきた神官さんなの」ラハブ女王がヤコブにそうたずねますと、ヤコブはきょとんとして、すぐに返事ができずにおりました。女王の声がか細く聞き取りにくかったのです。

「ヤコブよ。わが姫君が東洋の国からきた神官なのかと聞いておられるのだ」ベラ王はそうヤコブに怒鳴りつけるよう言いました。

「あっ、いえ、僕はこの国の町ゾアルから一緒にやってきました」ヤコブはあせりながら、急いでラハブ女王に答えます。

女王は顔に笑みを戻すと、そうなのとまた静かな声で言いました。

「神官たちよ。わが姫君は、わしの妃になると約束されたのだ。今宵の宴で、わしたちを祝福してくれるかのう」ベラ王はそう子供たちに向かって頼むように言いました。

「ベラ王殿、その約束は先に私の息子ヨナタンを牢から解放して下さるのが条件のはずです。いつ牢から出して下さるのですか。その約束が果たされなければ、宴などに私はでません」

ラハブ女王はきっと固い顔をすると、にらみ付けるようにベラ王につめよりました。

「わが姫君よ、そう急かされるな。怒った顔もまた美しいのう。ヨナタンを牢から出すのは、わし一人の独断ではできんでのう。バラク様におうかがいをたてているところなのだ。ところでおぬし達、ヨナタン王子について、バラク様から何かことづてされてはいないか」

ベラ王は子供たちにそう問いました。

貴志は顔を上げると、隣のヤコブと目があいました。ヤコブは首を少しかしげてから、ガブリエルさんはなにか言ってた?と小声で言いました。あっ、貴志はガブリエルに言われたことを思い出し、ベラ王に顔を向けました。

「バラク王はヨナタン王子を生けにえに捧げるのではなく、ガブリエルをバール神に捧げるように伝えよとおっしゃっておりました」貴志は一気に話し終わると、肩が重くなった気がして、ふううと息を吐き出しました。

「おおう、そうか。バラク様はそうおっしゃってたか。あのガブリエルを生けにえに捧げよとな。聞かれたか、わが姫君。バラク様はわしの申し出をよくお聞き下さったのだ。にっくきガブリエルをわしの手に預けられ、生けにえに捧げよとな」ベラ王は眼を細めて、ラハブ女王に言いました。

「では、ヨナタン王子を牢から出して下さるのですか」ラハブ女王は、ふたたびそう問い直しました。

「そうだのう。今宵の宴で王子とともに同じ席にするがよい。そのあとはまた考えるとするわな」

ベラ王はそう話し終わると、にんまりとした顔をして、ラハブ女王に自分の顔を近づけようとしました。女王はとてもいやしいものから遠ざかろうと、顔をさけて身をそらしました。

「ところで、宴の用意はそろそろ終わったのかな」ベラ王はそう言うと椅子から立ち上がり、近くの壁へと歩み寄りました。すると壁に埋まっている白い石に、上の階の食べ物が見えるか、とゆっくりと語りかけました。でも白い石からは何の返事もありません。

「上の階の部屋で食べ物が見えるのかと聞いているのが、分からんか」ベラ王は壁の白い石に、野太い声でどなりつけました。それでも白い石はまったく何もこたえようとはしませんでした。

「もういいわい。おい、お前が様子を見てくるのだ」ベラ王は一匹のきつねの召使にそう言いました。

「はい、ただいまお待ちください」きつねの召使はそう答えると、ラハブ女王を連れてきたドアよりさらに奥のドアへと向かいました。するとキツネの執事も後からぴょんぴょんとそのドアに走りよると、ぎぎっとかんぬきを抜いてドアを開けてあげました。きつねの召使は、すぐ戻るから開けおいておくれと言い残すと、廊下の暗がりに姿を消しました。

しばらくしてから壁に埋まっている白い石がキュッキュッと音をだしたかと思うと、なにかごにょごにょと語り始めました。ベラ王は白い石に耳を傾けると「今頃になってから答えてくるとは、本当に役立たずだわい」といまいましそうに言いました。子供たちはこのやり取りを見ると、おかしくなってくくっと笑いがこみあげてくるのを、がまんしきれずにいました。

「おぬしたちは何がおかしいのだ。笑うのをこらえようとしているのが、わしにはわかるのだぞ」そうベラ王が子供たちをにらむと、子供たちははっとして、静かに口を閉じました。そうするうちにきつねの召使いが戻っててきました。

「ベラ王様、上の階での食事の用意はもうすぐに終わります。これから向かいますと、着くころにはちょうどよいかと思います」きつねの召使はそうベラ王に答えました。

「おう、そうか。それではわが姫君、そなたの息子ヨナタンも呼ぶのであれば、宴の会に出てもらえるのだな」ベラ王がラハブ女王にそう問いますと、ラハブ女王は静かに下を向いてうなづきました。

「おうおう、しょうちしてくれたか。わが姫君もわしにそいとげる決心がついたのだな。うれしい宴になるわ」ぐっぐっぐっぐっ、そうベラ王はでろんとした首をゆすりながら笑いました。

「では行くとするか。小さい神官たちも後に付いてくるがよい。人数が多いほど楽しい宴になるからな」ベラ王は子供たちにそう言うと、先ほどきつねの召使が通ってきたドアへと向かいました。先頭をいくきつねの召使いの後に、ベラ王が暗い廊下へと進んでいきます。ラハブ女王も静かに後に続きますと、もう一匹のきつねの召使いが女王を見張るために後ろに付いてきます。貴志やヤコブと子供たちもそろそろとあとを追いました。皆が大広間のドアから出終わると、だんっとドアが閉まり、ぎぎっとかんぬきのかけられる音が後ろからしました。

岩をくり抜いた洞窟のような廊下をベラ王たちはどんどんと進んでいきます。先ほど通ってきた階段のほうがまだはきれいに造られていたことを、子供たちは知りました。床はごつごつしており、歩くたびに岩の地肌を感じます。壁には所々にあの白い石が埋め込まれておりました。そして壁には間をおいてかけてある小さなたいまつが、暗闇の廊下をちろちろと照らしています。廊下の先は十字路のような分れ道になっておりました。先に進むベラ王たちは左へと折れ曲がりましたので、後ろの子供たちも後を追いました。十字路の左右の通路は少し奥でちらちらと照らすたいまつが見えるだけで、その先は暗闇しか見えません。

洞窟の廊下はスロープのように上り坂になっておりました。壁の両側にはつたって登れるように太めの鉄の鎖がかかっています。そのうちにベラ王はひいふうひいふう息を切らしながら、鎖を手で引いて登っていきます。先頭のきつねの召使いがベラ王に振り返り、腰の紐を両手で引っ張りながら登るのを手助けし始めました。でも後の子供たちは鎖をたよって登りはしませんでした。そんなに急な上り坂ではないからです。

そうしながらもスロープの廊下をベラ王たちが進みますと、また十字路になっている分れ道の所にでました。ベラ王たちはその十字路を、今度もまた左へと折れ曲がりました。洞窟の廊下は坂道から、今度は平らなところとなりました。それでもベラ王は、はあはあと肩で息をしています。ほどなくするときつねの召使いが廊下の突当りに着いたようで、さっとドアを開きました。ドアの向こう側からは、赤々とゆらめく明かりが見られました。

「ふうう、宴の用意はおわったのか」ベラ王はきつねの召使いに話しかけました。

「ははっ、大丈夫かと思われます」きつねの召使いはそう答えると、大食堂の様子を見に行きました。

「どうだね、もうベラ王様が来られたのだ。席についてすぐに食事を始められるのか」

きつねの召使いは料理人にそう声を掛けました。するとベラ王よりさらに体の大きい大男が振り返りました。

「ぐうう、大丈夫。これを運べば終わりだべ」大男はそう言うと「さあ、はやぐに運ぶだ」とまた別の大男たちに声をかけました。すると別の大男たちは「へえい」と答えると、両手で肉のかたまりをのせた大皿を、何皿もかかえて運びました。

大食堂は広くて薄暗いほら穴のようでした。子供たちも大食堂の中に入ってみますと、コの字型に長いテーブルが3つ組まれて並べられており、たくさんの料理がのせられているのを目にしました。真ん中はいろりのようになっていて、太い何本かのまきが寄りかかるように立てられて、ゆらゆらと炎を上げてはぱちんと音を立てて燃えています。先ほどのドアから見えたゆらめく明かりは、この炎でした。広い洞窟の岩かべも、炎の光にゆらゆらと照らされて、なにか暗闇のすみで生き物がうごめいてるような影が見えます。

「神官のかたがたは、こちらの席へお着き下さい」きつねの召使いはそばに寄ってくると、席の方へと案内しました。子供たちはおずおずしながら、きつねの召使いにすすめられた席へと向かいました。テーブルの上には肉のかたまりを焼いた料理や、たくさんのナツメヤシやパパイヤなどの果物がのった皿。ぶどう酒がなみなみと注がれたコップ。何枚も重ねられた皿のように固そうなパンなどがところせましと並べられておりました。それら御ちそうの真ん中にろうそくの台が置かれ、ゆらめくろうそくの炎がテーブルの上を照らしています。

ベラ王はすでに真ん中のテーブルの席に、どっかりと座っておりました。たぶん王だけの座れる席でしょう。背もたれがとても長くて、大きいひじ掛けのついた椅子でした。

「わが姫君よ、ここへ、わしのとなりにすわられよ」ベラ王はそうラハブ女王をうながしました。

「まだ、約束を守られておりません。王子を開放して下さるまでは、席をともにはいたしません」ラハブ女王はそう言うと、入り口のドアから離れようとはしませんでした。

「ううむ、わかった。約束したようにヨナタン王子をここへ呼ぶことにするわい。

おい、ラザク将軍にヨナタン王子をここへ連れてくるように伝えるのだ」ベラ王はそうきつねの召使いに言いわたしました。

「はい、わかりました。では王様のあかしになるものをお借りさせて下さい。でなければ、ラザク将軍が認めてはくれませんので」

「おおう、そうか。ではこれをもっていけ」

ベラ王はきつねの召使いに、木片のカードのようなものを差し出しました。きつねの召使いはそれを受け取ると、ラザク女王のそばを通り抜け、さきほどのドアから姿を消しました。

子供たちはすでに椅子に座っておりましたが、ラザク女王が立ちっぱなしなのを見て、なにか後ろめたさを感じていました。

ふと富田君が隣の仲谷君に話しかけました。

「あのベラ王の椅子の背もたれに、僕たちが持っている通行証と同じピエロの彫刻があしてあるね」

「えっ、ほんとだ。暗くてよくわからなかったけど、なんかそれっぽいね」仲谷君は遠くを見るように眼を細めてベラ王の椅子を見ました。子供たちの座っているテーブルは、ベラ王のテーブルからいくらか離れてますので、小声で話すくらいは大丈夫かと仲谷君は思っていました。

「ぐえっ、神官たちよ、何を小声で話しているのだ。この椅子の背にある紋章がバール神であることが知らなかったというのではあるまいな」ベラ王は、横の方の席についている子供たちをじろりとにらむと、不信そうに問いました。仲谷君は急なベラ王の質問にたじろぎ、何とも答えることができずにおりました。

「どうした。なぜ答えぬのだ」ベラ王がさらに問いつめました。

「ベラ王様、その紋章がバール神であることは知っています。ただその部屋が暗くて、よく見えなかったので…」貴志はこれはまずいと思って、とっさに答えました。

「ぐえっ、そうか暗くてな、眼がなれていなかったか。神官がバール神をわからぬわけがないわな。まあよい、わしも眼はあまりよくないが、耳と鼻はとてもよく利くのだぞ。驚いたか」ベラ王はそう得意そうに話しました。

「ベラ王様のそのすばらしい力には、本当に驚かされます」ヤコブがベラ王をほめました。

「大げさなお世辞はよいわ。わしの本当の力は、死んだ生き物の魂を操って、家来にできるのだぞ。ふううむ」ベラ王は眼を細めて、子供たちをながめました。

すると、もう一匹のきつねの召使いがぴょんぴょんとベラ王に近寄ってきました。

「ベラ王様、報告いたします。モアブより使者の方々が来られました」きつねの召使いはベラ王にそう言いますと、

「なに、モアブよりまた使者がきたというのか。名はなんと申すのだ」ベラ王が問いました。

「アスタロト侯爵と二人の従者を引きつれてまいっております」きつねの召使いが答えました。

「おおう、アスタロト殿か。わかった。すぐにここへ通せ」

「はい、さようにいたします」きつねの召使いはそう答えると、またぴょんぴょんと洞窟の食堂を出ていきます。ほどなくするとかつかつと足音をたて、とても声の大きい男が食堂に現れてきました。

「ベラ王殿、おひさしぶりだ。ちょうどよいときに着いたようだな。今回のお手柄はたいしたものだとバラク王様がおっしゃってましたぞ。国に帰ってベラ王殿のことをよくお伝えするのに、詳しく聞かせてもらいますかな」そう話しだした男は、足首まで隠れる真っ黒いマントをはおり、黒い手袋もしていました。少しやせた細長い顔の後ろに、濡れてるようなぴたっとした長い髪をしています。高い鼻の下に松の葉のような細長いひげを生やし、人の心をのぞき込むようなぎらぎらとした大きな目をして、隣に立っているラハブ女王の顔をのぞき込みました。

「これはこれは、ラハブ女王ではないか。遠くから拝見したことはあるが、こんな近くでお会いできるとは光栄だ」アスタロト侯爵はにやけた顔をして、ラハブ女王に一礼しました。ラハブ女王は何も言わず、体を侯爵からしりぞけようとします。

「どうだ、アスタロト殿。わが姫君は美しいであろう。今宵は余とラハブ女王の婚礼を上げようと思うのだ。祝ってくれるよのう」

ベラ王は口を横に広げ、勝利者のように得意げな笑みを浮かべました。

「さあさあ、アスタロト殿。そちらの席につかれるがよい。おい、食事の準備は大丈夫か」

ベラ王はきつねの召使いにそう言いました。「アスラロト様。こちらへどうぞ」きつねの召使いは、アスタロトのもとへ行くと、席へと案内しました。

「わが部下も二人引き連れてきたのだが。席をともにしてもよいですかな」アスタロトはベラ王にそう言うと、二人の男に手招きをしました。すると食堂のドアからアスタロトよりもいくらか背の低い男たちが、長い杖を手にしながらすたすたと入ってきました。肩と腰には南国の花模様でつづられた布きれを巻き付けておりました。

「お初にお目にかかります、ベラ王様。私の名はリフカ。バラク王から伯爵の称号を与えられました」卵のような丸い顔した男の顔は、てっぺんがはげあがっており、その回りをなでるように薄い髪の毛が生えていました。目が細いものですから、どこを見ているのかうかがえません。

「ベラ王様、私めはタタファと申します。バラク王に男爵の称号を与えられました」こちらは四角い顔にぎょろりとした目をしていて、じゃがいものような頭に短い髪をぴんぴんと立てておりました。二人ともずる賢そうな顔をしながら、ベラ王に礼をしました。

「ほほう、アスタロト殿。そなたがこの二人を選んで、バラク様に爵位を与えるよう進言されたのか?よほど優秀な部下なのだな」ベラ王はアスタロトに言いました。

「二人とも、もとは南国の王につかえる官職についていました。バラク様がそこを領土とするよう命ぜられて、わが軍隊で征服し終わったときの捕虜でした。この者らにわたしの部下になることを誓わせたのです。この二人はなかなかのくせものでして、役に立ちそうでしたからな。こうしてわが国の勢力を見物させるのに連れてまいったのです」アスタロトは笑みを浮かべながら、ベラ王に話しました。

「なるほど。さあ、早く席について宴を楽しもうでないか。おい、酒をもっと用意するのだ」ベラ王は食堂の奥にいる、黒い大男に向かって命じました。

「ぐうう、今お持ちしますだ」ぶどう酒の入ったビンを両手で何本も抱えながら、ずんっずんっと足音をたてて現れた大男は、ヒグマの料理長でした。毛むくじゃらのお腹に長い前掛けをして、頭に白い帽子をかぶっておりました。

「おう、これはかたじけない。さあ、ベラ王殿の婚礼を祝い、乾杯といたそう」アスタロトはそう言うと、ヒグマの料理長の抱えてきたぶどう酒のビンを一本取り上げ、一口ぐいっと飲みました。アスタロトの部下の二人も、ベラ王様の婚礼に乾杯と祝うと、ぶどう酒をぐいと飲みました。

「ベラ王様、ヨナタン王子を連れてまいりました」ラザク将軍が後ろ手で縛られたヨナタン王子を連れて大食堂に表れました。

「ああ、ヨナタン。大丈夫なの。けがはないの?」ラハブ女王はヨナタン王子にそう声をかけると、駆けよって両手で抱きしめました。

「はい、母上。私は大丈夫です」なんとも明るい声で、ヨナタン王子は答えました。

「ヨナタン王子、こちらの席へどうぞ」

きつねの召使いが近寄ってきますと、ヨナタン王子を子供たちの座っているテーブルの方へと案内しました。きつねの召使いが指し示した席はヤコブの席の隣でした。子供たちはあっけにとられて、ヨナタン王子に見入ってしまいました。ヨナタン王子は、ヤコブと顔がうり二つなのです。違うといえば、着ている服くらいでした。上着はさらさらして真っ白な絹の布地で仕上げられており、胸には青くきらめくトルコ石のボタンが並んでいました。貴志はヨナタン王子を初めて眼にしたときに、なんとも言いようのない喜びが胸に湧きあがりました。それは良いことをしたときの満足感にとても似ているのです。

「ヨナタン王子ってすごいね。なんか大切ななものを守りたいって気がするよね」富田君もおもわず貴志のほうへと顔をよせ、そう耳打ちしてきました。貴志も「うん」と深くうなずきながら答えました。

アスタロトはヨナタン王子が席に着くのを見ると、ほほうあの子がヨナタンかと思い、ながめていました。あの少年が良心の基であるシオン王の息子ヨナタンか。ああ、良心とはなんと貧弱でか細いものだ、そうアスタロトは考えながら「ベラ王殿。バラク様から聞いた話では、ヨナタンを祭事で生けにえにするのだとか。それは本当ですな」アスタロトは確かめるようにそう問いました。

「ぐえっ。いや、アスタロト殿。わしは考えを変えておるのだ。ここにいる東方の国から来た神官たちが、ガブリエルを捕えてわしのもとに連れてきたのだ。そして神バールへの祭事ではガブリエルを生けにえに捧げる方がみ心にかなうというので、そう従うことにするわい」ベラ王は答えました。

「なんと、それはまずい。ベラ王殿、私はバラク様にヨナタン王子が生けにえとなることをしっかり見とどけてくるようにとおおせ使っているのですぞ」アスタロトはあせるように大声でベラ王に問いました。

「ぐえっ、そんなはずはなかろう。この東方の国からきた神官は、バラク様の命によりはせ参じたと言っておるのだ。それにわしはラハブ女王とも約束したのだ。わしの妻になるためには、ヨナタン王子を牢からだし、身の安全を守ってあげるとな」ベラ王はそう言い放ちました。

アスタロトは、はたと困り、子供らをにらみながら考えあぐねました。バラク様は私に東方の神官などという話は一言もされなかったぞ。私がモアブを出発した後、南方の国へ軍を進めている間にバラク様が決められたことなのだろうか?あのかたは、私にもすべてを話されない時がたびたびあるのだが。まあよい、今はことをこじらせるより、いったん引き下がるとするか。

「なるほど、そこに並んでいるのが東方の国から来られた神官たちなのですな。ううむ、私も初めてお目にかかるが、ガブリエルを捕えてくるとはなかなかの力量。私も部下の多くを、ガブリエルによりずいぶん失ったのだ。まあ、ガブリエルを祭事の生けにえに捧げるのは、それはそれでよいかもしれぬ」アスタロトは少しあきらめたような顔をして、ベラ王に話しました。

「ぐえっ、わかってもらえたか。さっさっ、飲みなおそうではないか。良いことずくめなのだから、わしの婚礼もはなやかに祝いたいのだ」ベラ王はそう言うと、ぐいっとぶどう酒を飲みました。

「わが姫君、こちらへ来られよ。わしは約束を守ったぞ。こんどはそなたが約束を守る番だ」

ラハブ女王はそう言われると、しずしずとベラ王の隣の席へ向かうと、おとなしく座りました。子供たちはテーブルに並べられた肉の料理に手をつけてみました。料理と言ってもあまり違いのない肉料理ばかりでしたので、澤口さんも目の前のお皿にのった肉のかたまりを手でつまんでみました。にょろっとした半焼けの肉はまだ生ぐさそうで、おせじにもおいしそうには見えません。澤口さんは肉をちぎって、一口食べてみたのですが、なんともひどい味で、口から吐き出してしまいました。

「だめ、あたしには無理」そう言うと澤口さんは、口から出した肉を足元の見えないところへ捨てると、つま先で押し隠しました。

「無理して食べない方がいいよね」

隣にいた仲谷君が心配そうに言いました。

「いま食べないとお腹がすくぞ。うまくないけど、まあいけるかな」山田君はもぐもぐと食べながら、そう食をとるようすすめます。

それで貴志は眼の前にある皿から一切れの肉を手に取り、口に入れてみました。ひどく生臭い味で貴志は顔をしかめてしまいました。これを食べたらもうやめよう、そう思いごくっと無理に肉を飲み込みました。なにか飲み物はないかと、貴志は粘土細工のようなざらざらしたコップを手にして口へと運びました。すっぱくて苦い味で、うっという声が貴志の口からでしまいました。さっき下の階で飲んだお茶のほうがまだいいや、貴志はそう思ってお茶らしきものをさがしましたが、見当たりません。

向こう側の席ではアスタロトの部下、リフカとタタファがむしゃむしゃと美味しそうに肉料理を食べ、ぶどう酒をぐいぐいと飲んでおります。ベラ王がこのリフカとタタファと食べっぷりを見て、大いに満足げでした。

「ぐうっぷ。おうおう、もっと料理を用意せんと間に合わんわ。おいっ、アスタロト殿の食べ物がなくなる前にどんどんと運ぶのだぞ」そうベラ王が命じますと、

「ははあ」きつねの召使いが答えて、奥の調理場へとぴょんぴょんかけてゆきました。

「料理長、ベラ王様が食事をもっと用意して運ぶようにとおっしゃっている。急いでたのみますよ」きつねの召使いがそうヒグマの料理長に伝えますと「ぐうう、わかったわかった」そう答えてきました。

「おうい、お前だち。肉料理の追加だ。急いでとりかかるだ」ヒグマの料理長がそう呼びかけますと、へえいとうなる声が返ってきました。調理場には灰色の毛並みのヒグマの部下たちが何頭もうおうさおうして動いております。2頭のヒグマが一匹の生きた羊を運んでくると、いきなり殴りたおします。それをあっという間に皮をはいでさばいてしまいました。すると、洞窟のすみで岩を重ねて作られた焼き場のあみにのせると、たくさんのまきがくべられて、ばちばちと燃え上がる炎が、羊の肉をどんどんと焼いていきました。

食堂のおくから背が低くて、手も足も短い者がお盆に飲み物をのせてすたすたとやってきました。貴志があれっと思いながら見たのは、いたちの給仕でした。腰に白いエプロンを着けて、丸い頭に白いつやつやな毛をぺたっとさせて、くりっとした丸い眼をきょろきょろさせながら、なんとも忙しそうに見えます。

「すいません。お茶ってもらえます」貴志はいたちの給仕にお願いしました。

「きいい、お茶が欲しいの。持ってくるよ」

いたちの給仕はかん高い声で答えると、くるっと向きをかえて奥の方へと行ってしまいました。そのうちにいたちの給仕は、お盆にいくつかのコップをのせてやってまいりました。

「きゅうう。お茶だよ」そういうと、お盆を貴志の方に差し出します。

「ありがとう」貴志はお盆のお茶を受け取ると、一口飲みました。

「あたしにもください」澤口さんも貴志がお茶を受け取るのを見て、いたちの給仕に呼びかけました。

「きゅうう、どうぞ」いたちの給仕はとことこと澤口さんの方へ近寄ると、お盆を差し出しました。それを見ていた仲谷君や富田君もいたちの給仕にお茶をくださいと言うと、お盆から受け取るのに手をのばしました。

「きゅうう、いいよ」いたちの給仕は、手をだす子供たちの方へとくるっと向きをかえます。

「あれれ、おれのぶんがないじゃん」山田君もお茶をもらおうとしましたが、お盆の上のコップはなくなっていました。

「きゅうう。また持ってくるよ」いたちの給仕はそう言うと、山田君の手をその短い手でなでました。

「へへへ、くすぐったいよ」山田君はにこっと笑って席に座りなおします。

「すいません。おしぼりもあったら欲しいんですけど」澤口さんはいたちの給仕にお願いしました。

「おしぼりってなんのこと」いたちの給仕は聞き返しました。

「手ふきタオルって言えばいいかしら」少しとまどいながら澤口さんは答えました。

「きゅうう。えっとタオルね。わかったよ」いたちの給仕は首を少しかしげて答えます。

「うふ、かわいい。お願いしますね」澤口さんもにこっとして言いました。

「肉だけじゃないよ。こっちにパンもあるよ」ヤコブは子供たちの離れたところに置かれているパンの皿を指しました。

「お願い、こっちへ回して」澤口さんがそう頼むと、ヤコブは立ち上がってパンの皿を手わたしました。貴志も口直しこれがいいやと思い「僕ももらうよ」とパンを一つ手に取りました。子供たちのテーブルには果物が盛ってあるお皿もあるのですが、皮がむかれてませんので、食べかたがよく分かりません。

「あれっ、これはデーツじゃないか」山田君は、暗がりで山のように盛られた黒いかたまりにしか見えなかった皿に、立ち上がって手をのばしました。

「やっぱり、デーツだ。うん、おしいぞ」

えっ、そうなのと仲谷君が手をのばしてデーツを口に運びます。するとほかの子供たちもデーツを奪い合うように食べ始めました。

ベラ王がきつねの召使いに手招きをしました。

「そろそろ、いつものねずを持ってこれるかな」

「はい、見てまいります」きつねの召使いはそう言うと奥の調理場へと姿を消しました。

きつねの召使いは両手で木でできたおりを抱えてやってきました。

「ベラ王様、お持ちしました」

「おお、そこの台に置くように」きつねの召使いは抱えていたおりを、ベラ王の言う通りに、ひじ置きの横に用意された台の上に置きました。

「ぐえっ、ううむ」ベラ王はおりの中から一匹のくろねずみのしっぽをつまんで持ち上げると、きいきいと鳴き声を上げるのもかまわずに、大きな口を上に開けて放り込みました。子供たちはその様子を食い入るように見つめました。その時のベラ王の眼が一瞬ですがやたらと大きな白目をむき、人間ではないなにかの獣のように見えました。

ゆらめくいろりの炎がベラ王を映し出すのが、いっそう怪しくみえます。ベラ王は口に入ったくろねずみをごりごりごりと音を立てて、食べ始めました。そしてあまり口をあけずに「おい、骨入れを持ってきてくれ」そうきつねの召使いに呼びかけました。きつねの召使いはすでに用意していた木の器を、ベラ王のもとへ持ってきました。

「ベラ王様、用意いたしました」

「ううむ、ぐええっ」ベラ王は器に向かって、口の中でくだけた破片をはきだしました。

「ううむ。いつものように、この骨を白い粘土に混ぜてレンガにするのだ」

「はい、そういたします」

あっけにとられて見入っている子供たちに、ベラ王は気づきました。

「ぐえっ、わしの食べっぷりにおどろいたようだのう。いまのねずみの骨は、壁に埋めこまれているのと同じ白いレンガになるのだ。そしてわしの妖術で家来となり、連絡役となる」

そうベラ王は話すと、また一匹のくろねずみを白目をむきながら口の中に放り込みました。

富田君はとなりにいる仲谷君に少し顔をよせると、小声で「まるでウシガエルみたいだね」と耳打ちしました。

「えっ、見たことがないんだよ」仲谷君は答えました。

「どう猛で、ねずみでもなんでも食べちゃうんだ」

「そうなんだ。気色わる」仲谷君は富田君に顔をしかめながら首をふると、気づかれなかったかとベラ王に目をやりました。

「わが姫君よ。こよいの宴を盛り上げるのに、ぜひ踊ってほしいのだ。そなたのはなやかな舞が見てみたい」ベラ王はそうラハブ女王に切り出しました。

「私は踊りなどしたことがありません、ですから踊れはしません」ラハブ女王は眼を閉じたまま、ベラ王から顔をそむけるようにして答えました。

「わが姫君、つれないではないか。なんでもよい。踊らぬなら、ヨナタン王子がどうなるかは知らんぞ」

ラハブ女王はうつむいたまましばらく考えあぐねていましたが、すくっと立ち上がり、いろりの方へと向かいました。すると両手を高く持ち上げると、体をさっとひねってステップを踏んで踊りはじめました。

「ぐえっ、おおわが姫君、見事だのう。美しいわ」ベラ王はにんまりとだらしない笑みを浮かべ、ラハブ女王の踊りに見入りました。ラハブ女王は両手を並べるようにして横へなめらかにふりながら、バレエのステップみたいにすっすっと足を運んで踊っていきます。アスタロトもラハブ女王の踊りをながめながら、思いをめぐらしていました。この怪物ベラのおかげでラハブ女王の踊りとはなかなかの見ものだわい。この音楽のない静けさの中の踊りは、奇異な宴にはぴったりよ。さて、ヨナタン王子をどうするかだが、そうアスタロトは考えておりました。いろりの中のまきがぱちっぱちっとときおり音を立てると炎がゆれて、ラハブ女王を照らす赤い色も踊るかのようにゆれています。そのいろりの回りでラハブ女王はまた両手を上げてから、つぎにはひじを曲げるとゆるやかに降ろし、腰をひねりながら踊り続けます。

ヨナタン王子は初めて女王が踊るのを見ながら、母上どうかもう踊るのはやめてくださいと心の中で祈っておりました。

すると、祈りが通じたのでしょうか。ラハブ女王はぴたっと踊るのをやめて、ベラ王に進言してきました。

「ベラ王様、私は初めての踊りでとても疲れました。気も重く、頭が割れそうに痛く感じております。お部屋に戻って休みたいのです」

「ぐえっ、おおそうか。わが姫君、よく踊ってくれたわ。おい、ラハブ女王を部屋までお送りしろ」ベラ王はきつねの召使いを呼びました。

「ベラ王様、ヨナタン王子も一緒に連れて行きたいのです」ラハブ女王はベラ王にそう哀願しました。

「ぐえっ、そうだのう。わが姫君がそう願うのならば…」

「ベラ王殿、まだ答えをはやまってはなりませぬぞ。女王と王子を一緒にすると、どんな業の力をだすかわからないのです。べつべつに二人は離して閉じ込めておかないといけません」アスタロトはベラ王にそう進言しました。

「おうそうかな、アスタロト殿。やはりそなたはバラク王が見込んだ優秀な宰相であるわ。わが姫君よ、残念だが今はその望みをかなえてあげられないのだ。用心せんとな。おい、女王を部屋にお連れしろ」

きつねの召使いはぴょんとラハブ女王に近寄っておじぎをすると、食堂のドアまで歩いて立ち止まりました。

ラハブ女王はうつむいていた顔を上げると、アスタロトをにらむと、ヨナタン王子にやさしくほほ笑んで見つめました。ほかの子供たちにも一人一人に笑みを分け与えるように目をうつすと、静かに食堂のドアへ向かいました。きつねの召使いが洞窟の廊下へ出ていきますと、ラハブ女王も後から続いてドアから出ていこうとしましたが、顔を肩越しにして振り返り立ち止まりました。でもまた目を閉じますと、お思い直したように洞窟の闇へと進んでいきました。

貴志は本当になぜこんことになってしまうんだろうと思いました。夢の中なのかよくわからないけれど、王女と王子がこんな苦しみを受けるなんて。二人をもとの国に戻してあげなきゃ。どうしてガブリエルさんは正直に行ってしまったのかな。貴志はとめどもない疑問と、二人を助けてあげたいという熱い胸の高まりをおぼえました。

アスタロトはリフカとタタファにある仕事をさせようと考えておりました。「おい、お前たち。宴が終わったらヨナタン王子の牢屋に行くのだ。その前にわしと一緒にひと仕事してからだがな。詳しいことは後で話す」アスタロトはそう二人に耳打ちすると、ベラ王に声をかけました。

「いやああ、ベラ王殿、楽しくゆかいな宴であった。ラハブ女王のもう二度とはみれない踊りも味あわせてもらいましたぞ。ですが、旅の疲れがでたのか、体を休めたいのです。ここらでおいとまさせていただきますぞ」

「ぐえっ、アスタロト殿。わしがカナンの女王らをさらったお手柄をくわしく聞かれるのではなかったのか。まだまだ夜は長い、特別の料理をふるまうぞ」

ベラ王はこい願うようにアスタロトに言いました。

「いやいや。つかれて体が休みたがっているのです。まだ数日はこちらにやっかいになるので、カナンでのベラ王の活躍した話は、またゆっくりと聞きかせてもらいますぞ。ではこれで失礼して」

「ぐおっ、そこまで言うなら仕方がない。では部下に部屋を案内させるぞ」ベラ王は意気が沈んだように言いました。

「大丈夫ですぞ。勝手知ったるベラ王殿の城。前に泊めさせてもらった部屋を二つばかり、お借りしますぞ。今日は最高の宴に呼ばれ、ベラ王殿には感謝いたします。では明日の祭事でお会いいたしましょう」アスタロトはそう言い残すと、二人の部下に目配せして席を立ちました。リフカとタタファも腰を上げ、ベラ王にお辞儀をするとアスタロトの後を追いました。アスタロトはかつかつかつと靴音を残しながら、洞窟の廊下へと三人は姿を消しました。

「ぐわっ、神官たちはどうするのだ。まだわしといくらか宴を楽しむか」ベラ王は子供たちに目を細めながら、あざけるような目つきで問いました。

「いえ、ベラ王さま。もう僕たちも長旅でしたので疲れてしまいました。お休みさせてもらいます」ヤコブはすかさずベラ王に答えました。

「おおう、そうか。そうするがよい。お前たちを相手にしても、まあよいわ。おい、神官たちを案内してくれるか」ベラ王がそう呼ぶと、きゅうという声がして、いたちの給仕がとことことやってまいりました。

「神官たちがお休みだ。部屋へと案内できるか。わしの話がわかるか」ベラ王がそう聞くと、首をくいくいっとふりながら、いたちの給仕は「わかるよ。こっちだよ」と食堂のもう一つ別のドアを丸い手を上げて指さしました。

「ぐえっ、そうか。では神官たちよ、このいたちが部屋へと案内する。明日の祭事にはまた迎えに行かせるから、よく休んでしっかりとバール様への祈とうをたのんだぞ」

子供たちは席を立ち上がり、ひとりひとり礼をしてからいたちの給仕の後を追いました。いたちは先ほど指したドアを通り抜け、洞窟の廊下へと進みました。子供たちも少し安心したのか、気がぬけたような重い足取りで食堂を後に暗い洞窟の廊下へと出て行きました。

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