第3話 いざ、ソドム城へ
貴志は木枠の窓から差し込む木漏れ日に気づき、目を覚ましました。雀のさえずりも耳にして、心地よい目覚めでした。隣のベッドで寝ている山田君はまだ寝息をたててるようです。
ぎっぎっぎっと廊下を誰かが小走りする音が聞こえます。するとドアをこんこんとノックする音がすると、ドアが開かれました。
「おはよう。朝だよ。食事の用意ができたから食堂にきて」ドア開けて、顔をのぞかせたのはヤコブでした。
「おはよう」貴志はよくわからずに寝ぼけた声で答えました。
ヤコブはすっといなくなるともう一部屋の子供たちのドアをノックし、おはようと呼びかけていました。
あらっ、おはようございます、そう澤口さんの声がしました。子供たちはぞろぞろと廊下に出ててくると、おはようとあいさつを交わしながら、食堂へと向かいました。廊下の窓からまぶしく感じる朝日が差し込んでおりました。
食堂の奥でマヤがテーブルに食器を並べ、支度を進めております。
「おはようさん。小さなお客さんたち、よく眠れたかい。朝の食事の前に風呂場で顔を洗う用意をしてあるから、先に手と顔を洗ってから食事だよ」
子供たちはそう言われると、またぞろぞろと風呂場へと向かいました。そして顔を洗い終えた子供たちは食堂へと戻ってきて、席に着きました。テーブルには堅そうなパンと太いソーセージのっているお皿と、湯気が立って温かそうな野菜のスープが並んでおりました。子供たちが食事のあいさつをすると、めいめいに食べ始めました。初夏のような暖かな風が食堂の窓から心地よく吹き込んできました。
「ここの宿の食事は口に合うかい。パンもスープもまだまだあるから、遠慮しないで食べておくれ」マヤがそう子供たちに話しかけました。
「マヤさんとってもおいしいスープですけど、なんのスープなんです」澤口さんが聞き返しました。
「おや、そうかい。他の商人の客にはめったにださないトマトとレンズ豆の入ったスープさ。特別に羊の肉も入れたよ。ほんとはね、あたしが好きなのはヨーグルトの入ったスープさ。でもここじゃ牛乳がなかなか手に入らなくてね」マヤが答えました。
「えーっ、ヨーグルト入り?」澤口さんはつい、大きな声を出してしまいました。
貴志は食堂の窓から街の様子をながめていました。白い石だけでできた街並みは、なんとも不思議な感じです。
「ここは雑草も虫もいないね」富田君が貴志に話しかけてきました。
「あっ、ううん。そうだね。そういわれればぜんぜん、虫なんかもいないね」
「なんでかな。ここは世界が違うのかな」
「ああ、世界が違うか。世界が違うなら、僕らどこにきたの?」貴志は問い返しました。
「死んだわけじゃないもんね。だって、こうして食べながら話してるからね」
「ううん、そうなのかな」
「でも、お日様が出ていて暖かいのはいいよね。安心するね」富田君は不思議な笑顔を見せました。
「そうかもね」貴志も言われてみて、そうなのかとも思いました。陽の光が、冷たい感じの街を暖めてくれているようでした。
「おはよう、マヤさん、おいしそうな朝食だね」ガブリエルがすっと姿をあらわし、マヤに声をかけました。
「おはよう、ガブリエルさん。早く食べないと、特製のスープがなくなっちゃうよ。小さなお客さんたちが、もうすぐお代わりをしそうだからね」マヤが笑顔で答えました。
「うん、マヤさんの特製スープをいただくことにしよう」ガブリエルは貴志の席の横に腰を下ろしました。マヤがガブリエルに朝食を運んできますと、ガブリエルはひとくちスープを口にしました。
「うん、おいしい。トマトの味がスープにちょうどいいよ」そうガブリエルが言うと、マヤはにんまりと笑顔を見せながら炊事場のほうに行きました。すると入れ代わりに炊事場からヤコブがガブリエルのところへ歩み寄ってきました。
「あなたがたも何度か会っていると思うけど、彼の名はヤコブ君です。これから一緒にソドムの城に案内してもらい、ソドム城でも一緒に行動することになったよ」そうガブリエルが紹介すると、ヤコブは軽くお辞儀をしました。
「ヤコブ君は君たちのことを知らないから、一人ずつ紹介してもらおうかな」ガブリエルが子供たちにそううながしました。
「私の名前は澤口裕子と言います、よろしくね」と澤口さんは大きな目で笑いかけながら、ぱさぱさになって跳ねた髪の毛を手で直しながら自己紹介をしました。すると次々に男の子たちがあいさつを始めました。
「僕の名前は山本貴志です。よろしく」貴志が答えました。貴志は卵形の顔をした男の子で、一重のきりっとした眼をぱちぱちさせて、ヤコブにあいさつをしました。
「僕の名前は仲谷康雄と言います。よろしく」仲谷君も続いてあいさつしました。仲谷君は四角い顔をして、まゆ毛が濃いのが目につく、かしこそうな感じの少年です。
「僕は富田秀典です。よろしくお願いします」富田君は小さい声で答えました。富田君は子供たちの中では一番背の高い少年ですが、やせ気味で、頼りがいのある雰囲気はあまり感じられません。
「俺は山田義之。よろしくです」山田君はうるさいくらいの声でヤコブにあいさつしました。山田君は丸い太っちょの顔をして体も太めですが、すばしっこそうに手を動かしていました。
「こんにちは、ヤコブです。よろしくお願いします」
「ヤコブさんはソドム城入ったことがあるの?」澤口さんがそうたずねました。
「えっ。それはちょっと…」
「澤口さん、今ここではソドムの話はしないでおこうね」ガブリエルがそう澤口さんをさとしました。
「ヤコブさんは、この街に友達はいるの?」山田君がたずねました。
「この街じゃなくて、前にいた所にはいたんと思うけど」ヤコブが答えました。
「さて、ヤコブ君も出発の用意があるから、そこらへんにしようか」ガブリエルがそう言うと、ヤコブに手で部屋に行くようにうながしましたので、ヤコブは廊下の方へと行きました。
子供たちはガブリエルから注意されたような気がして、しょんぼりと元気がなくなってしまった感じです。誰もなにも話さなくなりました。
「誰かきておくれ!」突然、炊事場からマヤの叫ぶ声が聞こえてきました。ガブリエルがさっと椅子から立ち上がり炊事場に向かうと、子供たちも後へ続きました。
真っ白い水牛が炊事場の裏口で鼻息を荒く身がまえておりました。よく見ますとその牛は、街の建物の壁に飾られていた、鋭く長い角が生えたあの水牛とよく似ています。石造の水牛とすこし違うのは生きた目でぎょろりとこちらをにらんでいるのです。
「どうしたい。なにかあったんか」急ぎ足なのですが、右足を引きずりながらサイモンがマヤの声に応えるよう炊事場に駆けてきました。そこへヤコブもしぶいくるみ色のマントを身に着けて現れました。
白い水牛はマヤやガブリエルたちを見ても、鼻息を荒くして身じろいでいたのですが、ヤコブを見つけると彼の方へとからだを身構えました。すると前足のひずめで床を一度けって、むおおうっと鳴き声を上げたあと、ヤコブに向かって突進してきたのです。
「うわっ」ヤコブが驚いて身をかわそうとしましたが、体がつんのめってテーブルに寄りかかってしまいました。ガブリエルはすぐさま、ヤコブを守ろうとして、水牛の角を両手でつかむと、頭をぐいっとねじ上げました。子供たちはガブリエルの怪力に眼をみはりました。白い水牛の巨体を両手で押しとどめたからです。白い水牛はガブリエルの手を振りほどこうと、頭を左右に強く振りまわし始めました。しかしガブリエルは角をしっかりとわしづかみにして離しません。
「ヤコブ、君に渡したあのつぶてをもっているかい?」ガブリエルがそうたずねました。
「はい」ヤコブはすぐに返事をしました。
「それを牛の額めがけて投げるんだ」
「でも、ガブリエルさんも危ないです」
「大丈夫。心配ないよ。さあ、早く!」
はいとヤコブが答えると、ふところからくるみ色の革布を取り出しました。その布を数回大きく振り回しだすと勢いがついたところで、水牛にめがけて布の片方を手放しました。さっとなにか黒い小さな影が飛び出すと、ガブリエルの顔をかすめて、水牛の額にみごと命中したのです。
ふううんと水牛は鼻息を一杯にはきだすと、ぐったりと前足を折ってしゃがみ込みました。
するとはじけるように真っ白い塩の砂ようなのがぱっと辺りに飛び散ったかと思うと、白い水牛が消えさってしまいました。
「すごおい。ヤコブさん」澤口さんがヤコブのもとへ駆けよると、そうたたえました。
「まるでピッチャーをやってたことがあるみたいだね」貴志がヤコブに聞きました。
「そうじゃないけど、ガブリエルさんに教えてもらったんだ」子供たちはヤコブのもとによってきて、先ほどの水牛退治の話で盛り上がりました。ヤコブはみんなにもてはやされると、はにかみながらとても嬉しそうに顔をほころばせました。
サイモンはガブリエルに近づいてくると、
「ガブリエルさん、あの水牛は私らもここへきてから初めて目にしたんですわ」と一言いいました。
「そうですか。たぶんサイモンも気がついてる思うけど、牛の主人には察しがつくでしょう」ガブリエルが答えました。
「すると、また狼兵士たちがここへやってくるんじゃ」
「いやいや。そこまでは心配いらないですよ。私と子供たちの力を試しているんでしょう」
「試しているんですかい」
「子供たちへの腕試しですよ」
「腕試しで。するとあの牛に負けるとまずいことになるんじゃ?」
「そうだね、そうなるとその時はみんなあの牛に始末されるか、狼兵士がやって来るとは思うよ」
「ヤコブが牛を倒しちゃ、まずいんじゃないんですか」
「いやあ、大丈夫。分かりはしません。私たちへの単なる腕試しでしょう」ガブリエルはそう言うとサイモンに微笑んでみせました。
ガブリエルは子供たちに食事の後の片付けを手伝うよう勧めました。あの白い水牛が炊事場で暴れたものですから、調理台がひっくり返っているし、木のボウルやなべなんかも散らかしてしまったからです。それに白い水牛が暴れたあたりに散らばった塩のようなものも調理場を汚しています。ヤコブもマヤの後片付けを手伝い始めたので、子供たちも掃除を手伝いました。
「後片付けが終わったら、ソドム城に出発する用意を整えてね。すぐに宿の玄関で集合だよ」ガブリエルはそう言いました。
子供たちはさっそく用意を整えると、宿のロビィに集合しました。
「さっそく出発かあ。こわくてなってきちゃったな」山田君が言いました。
「山田は狼兵士と戦わないとね」仲谷君がはやすように言います。
「うるさいな。変なこというなよ」すねるような声で仲谷君をにらみました。
「もうやめたら、二人とも。いがみあってる場合じゃないのよ」澤口さんが二人をたしなめました。
ガブリエルはその様子を見ながら、貴志に荒縄の紐を手渡しました。
「またこの紐で僕の両手を縛るんだよ。僕が捕虜となって、ベラ王をあざむくために芝居をしないとね」
「わかりました」そう貴志は答えると、ガブリエルの両手を縛り始めました。
「難しいな。うまくできない」貴志がガブリエルの両手を荒縄で縛るのに手こずっていますと「ちょっとやらしてくれる」とヤコブが縄をとって縛り始めました。
「うまいね。よくできるね」貴志が感心しながら言いました。
「サイモンが教えてくれたんだ」
「今度、僕にも教えてくれる」
「いいよ、井戸のバケツに取っ手代わりでロープを使うんだ。その時の縛り方だよ」
「ヤコブ君、上手なのはわかったから、あまり強くは縛らないでくれるかい」ガブリエルは肩越しで後ろ手を縛るヤコブに伝えました。
「あっ、痛かったです?」
「いや、大丈夫。痛くなる前に言わせてもらったんだ。さあ、用意ができたようだから出発しようか。サイモン、お世話になったね。またいつか会う時まで、元気でね」ガブリエルはサイモンにそう別れのあいさつをしました。
「ガブリエルさん、また遊びに来てください。ヤコブをよろしくお頼みしますよ」と言葉を返しました。宿の入り口ではマヤも別れのあいさつをしに来ていました。
「ヤコブ、皆さんのお役に立つようにね。あそこでは食べ物に気をつけるんだよ」
「わかったよ、マヤ」ヤコブは寂しげに答えました。
「さあ、お客さんたち、飲み水もいるからね。持って行っておくれ」マヤは子供たちひとりひとりに、水の入った革袋の水筒を手渡しました。
ガブリエルが宿の扉を肩で押し開けようとしました。サイモンも近寄ってきて、扉を一緒に開けようとしたとき、一人の男が宿の表から、扉を押していました。
「どなたさんです。この宿にご用ですか」
サイモンが扉の外にいる男にたずねました。
「おれだよ、サイモン。ロトだよ」
「おおう、ロトか」サイモンが扉をさっと開けると、歓迎するよう両手を広げて抱き寄せました。男はやせたしわのある顔に高いわし鼻をして、ぎらぎらした大きな目でサイモンを見ました。
背はサイモンより少し高く、頭にターバンのような布を巻き付けて、ラクダ色で上から下までつながった衣服を身にまとい、腰にはつた模様のししゅうの入った帯紐で縛っていました。
「久しぶりじゃないか。何年も音さたがないから心配もしていたぞ。遊びにでも帰ってきたのかね」サイモンがたずねました。
「そうじゃない、商売でこっちへ来たんだ。ベラの王の使いがおれの所へ来て、商談持ちかけてきたんだ。もう品物の羊や牝牛を50頭を港で狼兵士たちに渡したよ」やせ顔の男はそう答えました。
「ソドム城でこれからなにかが始まるのかね」
「明日、バールの神を慰労する宴(うたげ)が行われるらしいな。バールに捧げる豪華な生けにえを買い集めているらしいぞ」
「なんと、そういうことかい」サイモンは驚いたように答えました。
「ひさしぶりに来たんで、何日かやっかいになるよ。おや、そちらはお客さんかい?」
「えっ、ああ、そうなんだ。今、お帰りなさるところだ」
「それなら、ごあいさつをしておこう。サイモン、紹介してくれないかい」
「いいから、いいから、こっちへ」
サイモンはせかすようにロトを宿のロビィへと引き込みました。その間にガブリエルと子供たちは彼らをよけながら、外の大通りへと出ました。驚いたことに、宿の前の大通りには、たくさんの人通りが行きかいしていました。さきほどのロトのように頭にターバンの布を巻き付けて商人のような人たちがたくさん往来しています。
何頭ものラクダに荷を乗せて引っ張っている商人の列もありました。噴水の石垣には男たちが、笑いながら座って休んでおりました。
「どうやら、明日の祭事のために、たくさんの商人が来てくるようだな」ロトがそう言い放ちました。
「これからだいぶ忙しくなるんかな」サイモンはふううとため息をつきました。
ガブリエルを先頭に子供たちは人混みの合い間をぬうようにして、ソドムの城へと出発しました。ヤコブはガブリエルの横に並ぼうと飛び出してきました。
大通りの石畳にしかれている白い石たちが、何か子供たちをにやにやと笑ってうかがっているように見えます。貴志はガブリエルの後ろ手を縛っている縄を持ちながら、後をついていきました。足元の石畳に眼をこらしてみたり、家々の壁の白い水牛の像が、また飛び出てはこないかと気になるようでした。夜、宿の窓からながめた路地裏の闇や、あの自分たちを襲ってきた白い水牛が、ソドム城へおもむく恐怖と重なって、心の底に重く横たわるのです。ですが、今は一変するほどに、お日様の下で大通りのたくさんの人混みを見ると、こんなにも違うものかと感じていました。
「あっ、シモン、待って」澤口さんが急に慌てて呼ぶ声がしました。ふと、左足に何かやわらかいものが当たってきたので、見ると子犬のシモンが子供たちの間をじゃれて走り回り、貴志の足に当たってきたようです。
「おれが捕まえるよ」山田君がシモンを追いかけて、捕まえようとしました。仲谷君は山田君にむかって「やめとけよ。嫌がってるじゃん。よけい逃げるよ」と言葉を投げかけました。
貴志の足もとの近くで、白い尾の長い小鳥が少しの間だけ道端に下りてきて、忙しそうにくちばしを動かしておりました。
「あの小鳥は何」貴志は小鳥を指さして問いました。
「ハクセキレイだよ」富田君が答えると、貴志はへえと感心しました。小鳥はさっと空に舞い上がりました。朝のさえずりは雀じゃなく、ハクセキレイだったのかもしれないと貴志は思いました。
ガブリエルは小声でヤコブに話しかけました。「街を出るまで私には話しかけないようにと、みんなに伝えてくれるかい」ヤコブはうなずくと、後ろの貴志から順番に伝言しに行きました。子供たちはガブリエルの後ろに一列に並び、ゾアルの大通りを声をひそめて行進しました。どのくらい歩いたでしょうか。お昼までにはまだまだ時間がありそうですが、陽は東の空から、青空を見下ろすように高く昇っています。
列の後ろにいる仲谷君や山田君が振り返ると、噴水が小さな点になり、人混みにかくれるほどになる頃、街のはずれに着いたことがわかりました。
大通りの石畳はそこで終わり、建物も大通りと一緒にとぎれてしまいました。そこから続く道は、港から来たときの道と同じ固い荒地となり、その行く先は小高い灰色のはげ山の峰々へとつらなっておりました。
「もうそろそろ大丈夫かな。ゾアルの街を抜けたからね」ガブリエルが子供たちに話しかけました。
「あの山の裏のふもとにソドムの城があるんだ」ヤコブがそっと言いました。
「あの山は火山なのかな」仲谷君が問いました。灰色の一番高い山から、湯気のような薄い一筋の煙が立ち昇っておりました。煙は空高く舞い上がり、消え散っています。
「わからない」ヤコブは答えました。
「火山じゃないはずなんたがね。あの煙は何の煙だろう。さて、これから山道だよ。遅れないでね」ガブリエルはそう子供たちに声をかけました。はげ山に続く一本道をほどなく歩き続けますと、谷あいにさしかかりました。
陽は頭の真上にまできていました。谷あいの山道がだんだんと急な坂道になってきますと、子供たちの行進もおそくなり始めました。
目の前の景色は、はげ山の峠へとえんえん続く山道しかありません。子供たちは少し汗ばみながら、ひいふう肩で息をして登っていきます。
「ガブリエルさん。ちょっと休憩がしたいんです。疲れちゃいました」山田君が後ろの方から、ガブリエルにこうように言いました。
「もうちょっとだ。あそこに峠が見えてきたから、そこで休もう」ガブリエルは答えました。子犬のシモンが勢いよく峠へと走っていきます。
「澤口さんに抱かれていたから、元気だよね」
富田君が言いました。
「山田、遅いぞ。早く歩けよ」山田君が少し遅れ始めたので、仲谷君が急かすように言いました。
ややもすると、先頭のガブリエルと貴志、そしてヤコブも峠へとたどり着きました。
「ここで休んで、お昼にしよう」ガブリエルがそう言いました。ヤコブは背負っていたリュックのような布袋からパンを取り出しました。
「マヤからもらったパンだよ」ヤコブはそう言うと、貴志や仲谷君、少し遅れてきた澤口さんや富田君に、朝食べたのとは違う柔らかそうなパンを配りました。子供たちは思い思いに、道端にある大きめの石を選んで腰かけました。峠は両側に並ぶはげ山の間に挟まれたようなところで、山道の道端には大きめの石がごろごろとありました。
「甘くておいしい、このパン」澤口さんがパンを口にするとそう言いました。
「マヤが特別に作ったって言ってたよ」ヤコブがそう返すように言いました。
「シモンも食べる?」澤口さんがパンをシモンの口元に差し出すと、飛びつくように食べ始めます。
「みんなずるいぞ、さきに食べるなんて」山田君がひがむように言いました。
「山田が歩くのが遅いだけだよ」仲谷君がそう返しました。
「山田君。はい、パンだよ」ヤコブが山田君にみんなより大きめのパンを渡しました。
「あっ、さんきゅう。それと水を余分に持ってない?飲んでてなくなっちゃったんだよね」
「ええっ、ないよ」ヤコブが困った顔をして言いました。
「私の分を彼にあげなさい」ガブリエルがそうヤコブに言いました。ヤコブは、はいと返事をすると、水の入った袋を山田君に渡します。
「ありがと、ガブリエルさん」山田君はそう答えると、ごくごくと飲み始めました。
「山田君、まだソドムの城へ行くのに半分の道のりしか来ていないからね。少しづつ飲んだ方がいいよ」ガブリエルにそう言われた山田君は、目をぐりぐりさせて、すぐに飲むのを止めました。
「でもこの峠まで来たからね。あとはもう下り坂だ。よかったね」ガブリエルは子供たちを安心させるように言います。
「ここからも、ゾアルの街が見えるね」富田君が言いました。
「あの小さくて丸いのが、宿の前の噴水かな」
貴志がゾアルの街を指さして言いました。
「ううん、そうかな。違うようだけど」仲谷君が、眼をぱちぱちさせながら、噴水がどこかみきわめようとします。宿の前の大通りが一番にぎわっていて、商人たちがけし粒のようにたくさんに往来しているので、なかなか見分けがつきません。
「さて、貴志君。これからソドムの城へ行くのだけれど。ソドムの城門にも狼兵士が門番をするのに立っている。港に着いた時はミカエルが狼兵士に私たちの素性を話してくれたけど、今度はそうはいかない。貴志君が話す番になるよ。大丈夫かな」ガブリエルは貴志の眼を見つめて言いました。
「はい、やってみます」貴志はヤコブの勇気に刺激されたのか、自分を奮い立たせるように答えました。
「恐れている様子を見せてはいけない。狼兵士を怖がらずに平静を保たないとね。できるかい?」ガブリエルは貴志に再度、問いました。
「わからないけど、できると思います」貴志は不思議な気分でした。自分が答えた返事が、自分の言葉ではないような、夢心地の気分です。少し興奮しているのかもしれませんが、眼に入ってくる景色も何かゆらいでいるようにも感じます。
「ミカエルはこう狼兵士に話したんだよ。私たちはモアブのバラク王の命令で来ました神官の一行です。これがバラク王から頂いた通行許可証です。続けて、言えるかい」
「えっと、私たちはモアブのバラク王の命令で来ました。これがバラク王から頂いた、通行許可証です」貴志はどぎまぎしながら言いました。
「大事な神官の一行です、が抜けてるよ。もう一度」
「あっ、はい。私たちはモアブのバラク王の命令で来ました。神官の一行、です。えっと、これがバラク王から頂いた、通行許可証です」貴志はなんとか答えました。
「ソドムの城に着くまで練習しておいてよ。みんなは通行許可証を首に下げているかな。ソドム城は狼兵士であふれているから、通行許可証がみんなの命綱だからね。さあ出発しよう」
ガブリエルが子供たちにそう言うと、立ち上がって歩き始めました。貴志とヤコブ、ほかの子供たちも後に続きました。山道の峠を越えると下り坂になります。急に風がびゅううと吹いてきました。坂道を下から風が舞い上がってきて、ガブリエルと子供たちを押しかえそうと当たってきます。空には今まで雲一つなかったのですが、知らぬ間に太陽の回りに白鳥の羽のような雲が現れて薄暗くなってまいりました。一行は風に逆らうよう歩を進めます。坂を駆け上がってくるつむじ風は、両側のはげ山にはさまれた山道をつたって、乾いた砂ぼこりをあちこちで巻き上げました。「うっ」貴志は眼に砂が入り、痛みを感じて声がでました。片目をつぶってこらえると、涙がにじんできて、知らないうちに眼の痛みはなくなってきました。
ヤコブもマントのフードを頭にかぶって、風をさけようとしました。
「谷風かな」富田君は言いました。
「谷風?そんなことよく知ってるね」仲谷君が聞きました。
「田舎のお爺さんが言ってたんだ。谷の下から吹いてくる風だよ」
山道は曲がりくねりながら、下っていきます。
ガブリエルはなぜか川が流るように平然と歩くのですが、子供たちは坂道なのでぎくしゃくと急ぎ足になりがちです。右に左にと折れ曲がる坂道をどんどんどんどん下っていきますと、峠から何回おれまがってここまできたのかも覚えきれなくなってきます。
ときおり砂利などに足をとられ、つまずきそうにもなったりして、息を荒くしながら足を進めました。
貴志はガブリエルから教わった言葉を口の中で言い直しておりました。ガブリエルのゆれない背中を不思議に見ながら、もしできるならあの大きくせまりくる狼の顔から逃げることができたらと願っていました。
貴志はあっと声をだしたのがわからないうちに、転びそうになったのを止めることができませんでした。そしてかなり強く、ヤコブの肩の当たりに自分の顔があたってしまいました。
「だいじょうぶだった?」ヤコブは腕をさっと横へ広げると貴志の体をささえようとしました。貴志もヤコブの腕につかまえると、なんとか転ばずにすんだので安心しました。
「ありがとう」貴志はヤコブに感謝して答えました。ほかの子供たちも貴志が急に転びそうになったのを見て心配しました。
「山本君、だいじょうぶかあ」うしろから誰かが声をかけてきます。
「緊張していたんだね」ヤコブはくりくりした瞳で、ひとなつっこそうに貴志に話しかけました。
「うん、そうかも」貴志はヤコブが親しく話してくれたので、なつかしいような思いに触れました。
そのうちに左へ大きく折れ曲がる道を下っていきますと、はげ山のすそ陰からコロッセオよりも大きな城壁が姿を現わしてきました。それははげ山の背中を囲んでそびえ立つ、巨大な半円状の石壁でした。陽は雲に隠れ、辺りは薄暗くなっていました。山道は城壁の正面へと続いており、城門の両側に狼兵士が二頭、槍を手にして立っておりました。その上には見張り台があって、何頭もの狼兵士がうろうろしております。
「あれは門やぐらっていうんだよね」仲谷君がそういいました。
「そんなの見たらわかるよ、だれだって」山田君が見下すように言いました。
「じゃ、門塔ってしってるか」
「えっ、なんだって」山田君がけげんそうに聞きました。
「知らないだろ。見てもわからないんだし」
「いい加減にしてよ。言い争いしてる場合じゃないでしょ」澤口さんが二人をたしなめました。
貴志はいよいよ、心臓が高鳴るのをおさえることができませんでした。これからあの狼兵士に話そうとするのに、どきどきしてるのが邪魔してどもりそうな自分になることを感じるのです。練習しなくちゃ、と貴志は心の中でつぶやきました。私たちはモアブのバラク、えっとなんだっけ。心臓の鼓動はどんどんと激しさを増してくるのを感じます。
なんだろ、なんだっけ、モアブ王のバラクが。
違う、バラクのモアブ王が。いいんだっけ、あれ、どっちだったんだろう。
「モアブのバラク王だよ、貴志君。モアブのバラク王。あせらないで落ち着いてよ」ガブリエルが肩越しに、笑顔で貴志に話しかけました。
「あっ、はい。どうして…」貴志はなぜガブリエルがわかったのか、あっけにとられました。でも少し気持ちが落ち着いて、気分もらくになりました。
ガブリエルの一行は、槍を持った門番の狼兵士が立っているところから、あと十数歩くらい城門の手前にきた時です。
城門の上の門やぐらにいた狼兵士たちが、うおおん、うおおんといきなり遠吠えを始めたのです。子供たちはあまりの声におののいて、立ち止まってしまいました。うるさいほど城砦に響きわたり、なかなか鳴きやまないものですから、早くやめてほしいと皆が願ったほどでした。すると奥から人一倍、体の大きな兵隊が現れました。現れいでたのは、胸に銀色の鎧をまとい、顔のまわりにふさふさとしたたてがみをはやした獅子の戦士でした。
「がるるる、お前たち吠えるのをやめよ」獅子のうなるような声で、狼兵士たちはぴたっと鳴きやみました。獅子の兵士は門やぐらから、下に向かって雄叫びをあげるように怒鳴りました。
「貴様たちは、このソドム城に何の用で来たのだ?」腹の底に響く、低いしわがれたような声でした。しばらくの間、静かな時が過ぎました。貴志が勇気を振りしぼって話すのをためらっているまで、終わりのない時間のように思われました。
「私たちはモアブのバラク王の命令で来ました神官の一行です。これがバラク王から頂いた通行許可証です。」はっと、言えた。貴志は自分でない自分にしゃべらせてもらったような気もしたのですが、とにかく安心しました。
「ぐるるる、そうか。ベラ様から話はきいている。中にはいられよ」
門番の狼兵士がよけると同時に、ぎぎぎーと城門が左右に開かれました。すると、あの港でくさかったのと同じ臭いがただよってきました。
ガブリエルを先頭に、子供たちがしずしずと城門を通り抜けようとしたときに、子犬のシモンが後ろの方できゃんきゃんと吠え始めました。
「あっ、シモン」澤口さんがシモンを呼び戻そうとしましたが、城壁の横道にそってむやみに走るので、あっという間に見えなくなってしまいました。
「がるる。なんだ、犬を連れてきたのか。ここでは犬はごちそうになるからな、奪い合いになるぞ。わしは食べんが、どうなってもしらんぞ」獅子の兵士は門やぐらから中庭へと続いている石段を下りてきながら、そう言いました。
「俺の名はラザク将軍だ。ベラ様の護衛隊長でもある。
これからベラ様の所へ案内する。その捕虜も一緒に連れて、俺の後へついてくるのだ。」
ラザクは、はげ山の山腹に造られた城へ続く中庭の石畳を歩き出し、アーチ状の入り口へと向かいました。
中庭は競技場ほどの広さがありそうで、たくさんの狼兵士がうじゃうじゃとおります。
中庭の右手奥には柵が立てられていて、何十頭もの羊や牛が押し込められています。その隣には、かますの袋も沢山に山積みされておりました。
柵の近くで二三頭の狼兵士が番をしているのですが、羊たちは怖がってか、狼兵士のところから逃げようと反対側に寄りそいくっつきあっています。
貴志はガブリエルの後に続きながら、足元の石畳に眼をやりました。石畳にはあの白い石が点々とならんでいて、なんだかすまし顔をしています。次々と流れ出る石畳を歩きながら見ていると、暗い影に眼がとまりました。頭を上げるとはげ山のアーチ状の入り口で、要塞のような城に入るところまで来ておりました。ソドム城とは、はげ山そのものを城代わりにして造られてできているのです。その入り口の広さはあまり大きくなく、大人一人が、かがんでなんとか通れるほどの大きさです。
左右に一頭ずつの狼兵士が槍を持って、立っておりました。城の廊下の造りは、白い石が床にも壁にも、ところせましと隙間なく並べられています。廊下の壁には小さなたいまつが、いくらか離れて点々と灯されていました。
足もとがよく見えない廊下を、しばらく進みますと、ガブリエルの体がすっと持ち上がりました。貴志は階段に差しかかったのに気付き、はっと足を上げて転ばないようにと気をつけました。後ろのヤコブも続いて登り、一緒に来る子供たちも息を殺すように静かに後をついてきます。30段ほどの階段を、たいまつを頼りにを登りきると、廊下はふたてに分かれておりました。一方は真っ直ぐに進む廊下と、もう一方は反対に折れて上に続く階段があります。ラザク将軍はさらに上へと登っていきます。
どこまで続くんだろうかと貴志は思いました。先ほど登った階段よりもずっと長く感じられるのでした。すると獅子の将軍はまた踊り場のようなところへでると立ち止まりました。将軍は踊り場の奥にあるドアに向かうと、話しかけはじめました。
「がるる、ラザクだ。バラク様の命令でモアブから来た神官たちを連れてきた。そうベラ様に伝えてくれ」獅子の将軍の話が終わると、ドア真ん中ぐらいで、のぞき窓がぎっと音を立てて開きます。
「くうん。了解しました。今しばらくお待ちください」声の主の雰囲気はなんだか狼兵士とは違うように聞こえます。そうするうちにぎぎっと音がしてドアが開かれました。
「ささ、中へどうぞ」声のする方へと獅子の将軍が進み、ガブリエルも後に続きました。
貴志や子供たちが通されたところは、とても広くて大きそうな部屋でした。その大広間は薄暗くて、四角い部屋なのか、丸い部屋なのかがよくわかりません。ぼんやりとしか見えない高そうな天井からガラス製のランプが数個、光を淡く放っておりました。その薄い光が、部屋の中央にある大きな黒くて四角いテーブルと、いくつも並べられた背の高い椅子を照らしています。
「ベラ王様は、今しばらくしてから来られます。長旅でお疲れでしょう。私はベラ王様の執事担当のものです。そこのテーブルにお茶を用意してますので、休んでお待ちください」
少しかん高い声で話しかけてきた男を見ますと、なんとなく犬というよりは細長いキツネの顔をしていて、背は貴志たちと同じくらいに小柄でした。キツネの執事はそでのない、全身をおおう白い衣装を身にまとっています。キツネの執事は先ほどのドアを閉めると、横からかんぬきをすべらせて、錠をしてしまいました。
子供たちがもじもじとして立っているのを見ながらラザク将軍は「がるる、この捕虜をどうするのか、ベラ様は何んと言ってたのだ」とキツネの執事に問いました。
「はい、一度面会されてからきめるとのことで、待たせておくようにとおっしゃってます」
「がるる、そうか。わかった」ラザク将軍はそう言いながらガブリエルの近くに向かうと、テーブルの椅子を引いて座りました。
「おぬしたちは座らんのか?なにをぼーっと立っているのだ」ラザク将軍が子供たちに言いました。ヤコブは少し顔に笑顔を作りながら、立っている子供たちに、座ろうと声をかけました。子供たちはヤコブにそう言われると、しずしずと椅子向かい、腰かけました。
ラザク将軍がぎろっと、ヤコブをにらみつけると「がるる、おぬしはどこかで見たような顔だが、一度会ったことがないか」そうヤコブに問いかけました。
「えっ、あっ、僕がこちらに来たのは初めてです」ヤコブは答えました。
「そうか、わしの見間違いか」
キツネの執事がささっと貴志のそばに近よってきました。
「では神官様が連れてきた捕虜を預かりますので、縄紐をお渡しください」そう言うと、貴志からガブリエルの両手を縛った紐を受け取ろうとしました。
貴志が少しためらっていると、ガブリエルが振り返り、微笑んでうなずきます。貴志はガブリエルにうながされるまま、紐をキツネの執事に手渡しました。するとキツネは数歩、歩むとラザク将軍のそばにガブリエルを引きよせました。
「がるるる、わしはそなたを知っているのだ。先の、もう古い大戦でモアブ王の軍隊とそなたが戦っていたのを、遠くから勇敢な戦士だと思い見ていた。そなたは今、囚われの身だが、わしも同じように囚われの身なのだ」ラザク将軍がガブリエルに向かって語りましたが、ガブリエルは何も答えませんでした。
貴志は黒いテーブルに近より、ヤコブの隣の席に座りました。椅子の木の固さと、ひんやりとした冷たさをお尻に感じます。ひと呼吸してみると、城の中は外と違って、あの生臭ささがありませんでした。貴志はふうーといっぱい深呼吸ができて、心が落ち着きました。テーブルに用意されたお茶の入れ物を手に持ってみますと、木のおわんのような手ざわりのカップでした。一口飲んでみると、渋い苦みのある冷たいお茶で、あまり口には合わないようです。すると急にお腹がごろごろとなって、ちょっと痛くなってきたような気がします。
「このお茶、おいしい?」
貴志が隣のヤコブに小声で聞きました。
「えっ、いや、あんまりね」ヤコブは少し首を振ると、苦笑いをしました。夜目が少し効くようになったので、貴志は部屋を見回しました。さきほど入ってきたドアのほかに、数えると六つほどのドアが、部屋のあちらこちらにありました。えっと、さっき入ってきたドアは、確かあっちだったと思うんだけど…。どのドアにも同じかんぬきがついていますので、貴志は最初に入ってきたドアがどれだか見分けがつかなくなりました。これは逃げる時に困っちゃうな。大変なことになったなと貴志は一人不安を覚えました。
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