第2話 ソドムの町、ゾアル

 翌日、帆船は、はっきり目にうつる島へと近づいておりました。それは下にはかっ色の陸地が海の上に盛られていて、上には薄い緑の草原を帽子のようにかぶっているのでした。それが二層になってぶ厚く見えながら、えんえんと左右に広がっていくのを目の当たりにして、貴志は飲み込まれたように見入ってました。

「すごいね。なんだか怖いね」富田君が静かにそう言葉をもらしました。

「初めて見るよね、こんな島」貴志も思わずそんな言葉を口からこぼれました。何かこちらへ異国の大地がせまってくるようで、そんな匂いがしてきそうです。異国だ、貴志はそう感じました。

どうやら人が動いているように見えました。港でいくにんかの人たちが働いているのです。

そして、黒い装束を着た男たちもそばに立っていましたが、動くこともなく黙って見ているようでした。貴志はその静かに立っている者たちが、ソドムの兵士たちだろうと感じました。

そのとおり、彼らは港で働いている人たちを監視している狼兵士でした。

ガブリエルが子供たちのそばによってきました。「みんな、もう気づいているかもしれないけど、あのソドムの港に立っている黒い男たちが狼兵士だよ。彼らにあまり恐れた素ぶりを見せてはならない。恐怖に自分が負けたら通行証の威力も減ってしまうからね。彼らにそんな目を見せたら、心を見透かされてしまうよ。」ガブリエルは港の方を見入っている子供たちにそう話しました。

「ガブリエルさん、この通行証が僕たちを必ず守ってくれるんでしょ。奴ら、襲ってこないんですよね」山田君が不安をおさえきれず、ガブリエルに聞きました。

「大丈夫だよ!。さあ、勇気が出るようたっぷり朝食を取って、力をたくわえよう」

そうガブリエル言われると、子供たちは食堂へとついて行きました。

ミカエルは港にいくつかある石造りの船着き場の、どこに船を着けるか選んでいました。

がっしりとした岩が縦横に積み上げられてできている港は、ソドムの軍用船のためのものです。その真黒な軍用船が数隻、港に停泊しています。甲板には狼兵士達が何人か立っていました。彼らは黒い革よろいをまとっておりました。

ミカエルは少し小さめな軍用船の隣の船着き場に船を向けました。帆船はゆっくりと速度を落として、石造りの船着き場により添うように近づきました。

船が静かに船着き場に横づけされると、彼は船から降り、もやい綱を波止場の太いボラードに縛りつけました。それから波止場に下りる渡し板を取り付けました。そのミカエルの様子を目にした3人の狼兵士が、静かに唸りながら帆船の方にやってきました。ミカエルは物怖じもせず、彼らが来るのを待っていました。

子供たちは食事が終わると、ミカエルのいないことに気づいて甲板へ出て行きました。

港に着いて初めて見るソドムの国、そこは異様な臭いに満ちていました。鼻をつまみたくなるほどな嫌な臭いです。動物園の檻の中の臭いにも似ています。そして周りにはなにやら色々とごみが散らばっているのです。脱ぎ捨てられた泥まみれの衣類や靴。壊れた家具の残がい。食べかけの骨付き肉も捨てられていました。船のまわりにもごみがまとわりつくように浮かんでいます。港はまわりがごつごつとした岩だらけの海岸に造られています。港からは小高い丘が見えました。丘の上には先ほど船から見た草原がつらなっており、港から一本の道が続いています。初めての異国で、なんとなく殺風景な景色に貴志は残念がりました。港のまわりには一軒の家も、建物もないのです。ただ港から少し離れた左手の奥に灰色の高い見張り台があり、狼兵士が一人立ってこちらをうかがっておりました。

「ぐあっ。お前たちはどこの国から来たのだ」

一人の狼兵士がミカエルをいぶかしそうにたずねました。

「モアブ国のバラク王の命によって来ました神官の一行です。ここに通行許可証を持参しています」ミカエルはふところからあの古びた木片の許可証を狼兵士に見せました。

「ぐえっ、わかった、わかった。早くしまってくれ」狼男の兵士は気分を悪くしたのか、いやそうな顔をしました。甲板の上ではガブリエルが子供たちに呼びかけました。

「さあ、船を降りる準備をしようか」

見るとガブリエルの両手は、背中の後ろで荒縄で縛られておりました。

「ガブリエルさん、その両手は?」澤口さんが聞きました。

「これは昨日にも話した通り、私が捕虜となって君たちに引かれていくための準備だよ。」

「ええっ、すこし痛そうですけど大丈夫ですか」

「大丈夫。痛くないようにしている。痛そうに見えるなら上出来だ。それでは君たちも神官の衣装に着替えてくれるかい。通行許可証も紐を通して、首から下げるようにした方がいいよ。ちゃんと紐も用意してある。

そうだ、澤口さんはヨナタン王子の子犬も連れてきてくれるかな」

子供たちは下の船室に戻り、衣装を着替えると、言われたとおりに通行許可証を首からさげてきました。澤口さんは薄茶色の子犬を胸に抱いて上がってきました。

「お世話も頼むね」ガブリエルは澤口さんにそう言いました。

「ガブリエルさん、子犬の名前はなんて言うんです」

「そうだったね。王子はその子犬の名ををシモンと呼んでいたよ」

「シモンですね。分かりました」

「それからシモンが暴れると困るからね、そこの麻袋にいれて狼兵士から隠すことにしよう」

「えっ、あさぶくろ。ええっと、これかしら。どうしよか、仲谷さん、手伝ってえ」

「あっ、いいよ」仲谷君は部屋のすみにあった麻袋を取り上げて、口を開きました。それから澤口さんは抱いていたシモンを袋の中にそっと隠すようにいれました。

「それじゃ貴志君。私が先頭に行くから、君はこの縛っている紐を持って後についてきてくれるかい。そしてみんなは貴志君のあとに続いてくるんだよ」

貴志君はガブリエルに言われたとおり手を縛っている紐を持ち、後に続きました。ガブリエルを先頭に子供たちは渡し板で波止場へと下りてきました。

子供たちが波止場に立って目にとまったのは、二つほど離れた船着き場に沢山の積み荷を載せた帆船が停泊していたのです。その荷物は大きなかますが何十体も積み重なっていて、何人かのターバンを巻いた男たちがそのかますを肩にかついで、渡り板をゆすりながら荷降ろしをしておりました。

「ヤッラー、ヤッラー」と男たちは声を上げて、かますを波止場に並べている車輪のついた荷車の上に積んでおりました。

ミカエルはガブリエルが降りてきたのを見ると、狼兵士に話し始めました。

「この度は、ベラ王の神バールに捧げる祭事に我がモアブ国が最大の敬意のあかしとして、ベテル国の将軍を一人捕虜として連れてきました」

「ぐうっ、ベテルの将軍だと。おお、モアブはたいしたものだ。ベテルの将軍を捕えるとはな」

「では、ベラ王を待たせないよう早めに出発いたします。今回は特別の神官をベラ王が送られてきました。ベテルの将軍の後ろにいるのが祭司長です」

子供たちは狼兵士を間近で初めて見ると、体が固まってしまうほどたじろぎました。思っていたよりも大きな顔の中から飛び出した真っ赤な口と、黒と茶色が混ざって逆立った毛がいっそう恐ろしく見えました。さらに水晶のような青い眼には、威圧的な気品さえもありました。

「があっ、ずいぶんちいさい神官様たちだ。ベテルの将軍を捕えたからには余程の魔力の持ち主だな」狼兵士がそう言うと、ミカエルの前でひざまずきました。

「誉れ高きモアブ国の神官殿。今わしらは囚われの身ですだ。わしらの魂は幽閉されて苦しみの中なんで。いつかわしらの魂を解き放っておくんださい」

貴志は狼兵士の言葉聞いて可哀そうな立場でいることを感じました。

モアブの神官だと思っている狼兵士は、ミカエルにひざまずいて哀願しているのです。貴志がミカエルを見ると、彼は微笑みを浮かべていました。

「さあ、祭司長。出発して下さい」ミカエルが貴志をうながしました。貴志は「はい」と答えると、こわごわ歩き始めました。するとガブリエルもすっと歩き出し、あとから子供たちもついてきます。

貴志は速く船着き場から離れたいと思いました。狼兵士たちや港がとても臭くて息ができないからです。

子供たちは丘の上に続く一本道を進んでいきました。道は大きめの石も転がっており歩きにくいのです。歩くたびに足の裏に感じる砂利が異国の地を踏んでいることを思わせられます。

丘の上の方まで来るとあの嫌なにおいもなくなりました。やっと普通に息ができるようになることで貴志はほっとしました。丘の上から見える景色はアフリカのサバンナのようでした。地面は堅いのですが、歩くたびに砂ぼこりがたくさん舞いました。こういう大地を土漠(どばく)と言うのを貴志は思い出しました。それを教えてくれたのは貴志のお父さんです。アフリカへの出張の仕事から帰ってきたときに、貴志は話を聞かされました。貴志のお父さんは機械技師でした。政府の援助で新しい機械が運転できるように貴志のお父さんが派遣されていたのです。そんなお父さんを貴志は尊敬していました。このおかしな国に来る前の夜も、貴志のお父さんは出張で家にはおりませんでした。お母さんと妹と三人だけの夜だったのです。

「僕は土漠を歩いているんだ」と貴志は思わずひとり言を口にしました。貴志が考え事をして歩いていたからでしょうか、何かに足がつまづいたかのようにつんのめり、転びかけてしまいした。そして手に持っていた荒縄を力一杯引っ張ってしまいました。ガブリエルは後ろ手の荒縄をぎゅいっといきなり引っ張られたものですから、背中が弓なりに反ってしまいました。

「いたたたっ、どうしたんだい貴志君。大丈夫かい」ガブリエルが後ろに顔を向けて、問いかけてきました。

「あっ、ごめんないさい。ガブリエルさん」と貴志がこたえるとガブリエルは、そうという返事を目で返しました。

「山本はおっちょこちょいだからなあ。前にもそんなんでへましてなかったっけ?」山田君がにやにやと、はやすように言います。貴志は山田君の言葉にとても嫌みを感じました。

「さあ、ここまで来れば大丈夫だ。あの狼兵士は僕たちの話を信用しているだろうからね。

さて、あの丘の向こうにゾアルという街があるよ。お昼過ぎにはそこに着く予定だ。

今日はそこの旅館に泊まるからね。さあ、もう少しで休めるから、元気をだして行こうか」

進む道は砂漠のような、でもときおり岩肌も見せる荒れた土地です。それでも砂漠と少し違うのは、草やぶがところどころに生えているので、何もないよりはましのようでした。

ガブリエルが言った丘というのは、よく言えば丘のようですが、横に長く平べったい岩山でした。その岩山が前方の景色を全ておおい隠しているので、ゾアルの街が向こう側にあるのをさえぎって見せません。

「ガブリエルさん、その手首を縛っている紐をほどいたらどうですか」

澤口さんが心配そうにガブリエルに聞きました。

「あっ、そうだね。そうしよう」カブリエルは手首の紐を解き、貴志から紐を受け取って、ふところにしまいました。

「いやあ、驚いたよね。あの狼兵士。顔がほんとうの狼だった。でかい口から牙が見えたもんね。青い目でこっちをにらんできたときは、噛みつかれるかとおもったよ」山田君が中谷君にせきを切ったように話しだしました。

「ガブリエルさん。この通行許可証の威力はほんとですね。あの狼兵士が僕たちに一度も襲ってはこなかったんだから」中谷君もすこし興奮ぎみのようでした。

貴志はガブリエルのゆれる背中ごしに原野をぼうっと見ながら、何か自分は夢の中でも歩いてるみたいだと感じていました。たぶん少し疲れたせいなんだと思い、そのうちによくなるんだと自分に言い聞かせました。

「貴志君、元気かい!」軽くぽんと背中を叩かれたので振り返ると、富田君がにこにこと笑っていました。

「うん、少しね」と貴志は自分でもよく意味もわからずに答えたのと、富田君が声をかけてきて嬉しいのとで、笑顔になりました。

子供たちはめいめいにつまんない景色だねとか、だだっ広いだけだねとかいろいろと話してるうちに岩山の丘までたどり着きました。丘の頂に上る道はなさそうです。

いきなり鏡もちのような岩が地面から飛び出だしていて、行く手をはばんでいます。あれを上るのは大変だと貴志は思いました。子供たちが見上げるほどに高くつるっとした壁のような岩山です。子供の背より少し高いところに足場のある岩棚があって、その後ろにある小高い岩山へと道が続いています。段の隠れたところから、さびた鎖が一本垂れさがっているのが見えました。子犬のシモンはその鎖の先っぽをくんくんと嗅いでいました。

ガブリエルが「これはベラの岩と呼ばれているんだよ。ここは僕が最初に上って君たちを引き上げないとだめそうだね」と言うと、鎖をつかんで、鏡もちのような岩の棚にぐいっと飛び乗りました。

「ゾアルの街に行く商人たちは大人が多いから、この鎖につかまってやすやすと岩の上へと登れるんだけどね。君たちには少し無理なようだ。さっ、手をだして」そこで子供たちは最初に澤口さんから登るように勧めたので、彼女がガブリエルに手を引っ張ってもらうことになりました。澤口さんは子犬のシモンを大事に抱きかかえながら、ガブリエルの力強い腕にぐいっと岩の上へと引き上げられました。

「さっ、次はだれ?」とガブリエルの問いかけに子供たちは戸惑っていると、山田君が

「じゃあ、次は俺だね」と言って、中谷君と貴志の間を割るように出ていきました。

「なんだよ。山田!」と中谷君が不機嫌そうに呼びましたが、ガブリエルが山田君の手をぎゅうっと引っ張ると、岩の上へと持ち上げられました。

貴志が「中谷君、次いいよ」と言うと、中谷君は「えっ、いいの?」と返すと、彼はガブリエルに体を引き上げられました。

その次は富田君が引き上げられ、最後に貴志がガブリエルに引き上げられました。

岩の上に登ると、そこからさらに小高い山を越えなければなりません。でも先ほど登った鏡もちの岩に比べると、岩山に階段のようなのが続いているので、子供たちでも登っていくことができました。ガブリエルを先頭に子供たちは岩山を昇り始めました。

小高い岩山の頂上に立つと、隠れて見えなかったゾアルの街並みが目の前に表れてきました。

ゾアルの街は登ってきた岩山と、周りに連なっている丘りょうとに囲まれて、くぼんだ盆地に築かれておりました。ゾアルが商人の街だと云われていたのですが、実際に目にするその街の大きさに子供たちは驚きました。

縦横に連なって格子に並ぶ石畳の通り沿いに、石造りの建物がぎっしりと詰まって建てられているからです。よく見たことがないのでわかりませんが、ローマの街並みに似てるようにも思えます。でも、人の姿がほとんで見当たりません。

「ほら、あれはまるでコロッセオのようだよ」中谷君が街の中央にある巨大な円形の競技場に指をさしました。

「中谷君、よく知ってるんだね」貴志がそうたずねました。

「ああ、僕の父さんは建築家だから、コロッセオの資料を見せてくれたことがあるんだ」

「あそこで何をするのかな」山田君が何気なくそう言いました。

「あそこは狼兵士が、祭りの余興として戦わされることがあるんだよ」ガブリエルがそう答えました。

「余興ってなんです」山田君が聞きました。

「余興というのはソドムのベラ王が気まぐれで、狼兵士達を戦わせて楽しむときがあるということだよ」

「うわっ、すごいな。戦うところ、見てみたいな!」

「山田が戦いに出れば」中谷君が嫌味っぽく言いました。

「それも、さっきの狼兵士の隊長とタッグを組めばいいんじゃん」

「嫌だよ。殺されちゃうよ。中谷、なんか俺に文句があるんか」

中谷君苦笑いして何も答えません。

ガブリエルは岩山を下る道を進み始めました。岩山を下りると街の中心部に向かう広い通りに出ます。大通りの石畳の道には大型バスが4、5台は並んで通れるほどでした。

通りの床はいくつかの大きめな円形に白い地肌の石たちが飾り付けで並べられ、なかなか手の込んだ造りになっています。

白い地肌の石たちには何か文字らしきものが書かれているのですが、子供たちには読めませんでした。でもその石たちは、何かを教えたくて話しかけているようにも見えます。

「さっきの岩山はこのゾアルの街の関門になっているんだ」ガブリエルは子供たちにそう教えました。

「関門って、関所の役割かな?」中谷君が聞き返しました。

「でも、関所にしては狼兵士がいないですね」

貴志があたりを見渡しながら言いました。

「この街はベラ王にとって、そんなに大切な街じゃないかもね。たぶん」

「こんな人も住んでいない大きな街を造ったのはどうしてなんだろうね」富田君がささやくように言いました。

「何か意味でもあるのかな?」

「ベラ王の威厳と権力の象徴なんだよ」ガブリエルは答えました。

「ええ~、なんか嫌だわ。王様の都合なんでしょ。それとも意固地なのかしら?」澤口さんが言いました。

「商人たちへの権力の誇示なんだろうね」ガブリエルは微笑みながら答えました。

「こじって何?学校で習ってないよ。確か」

山田君がまた人一倍大きな声で言い出しました。

「山田!もうちょっと静かに話せよ。困った奴だよな」中谷君がそう小言を言いました。

「なんだよ中谷。さっきからしつこいぞ」

山田君が文句を言いました。

「さあさあっ、もう口喧嘩は終わりにして、そんなことでいがみ合っている場合じゃないよ」そうガブリエルがたしなめました。

ゾアルの街並みはローマの古い映画を見せられているようです。建物にはさまれてくすけた石たちが、つまらんと言いたげな顔をしながら、むすっとしています。それは一辺の手抜きも許されないような雰囲気で、街が形造られているからです。ですから何となく違和感もあって、あたたかい雰囲気が少しも感じられません。

道には街路樹さえ見当たりません。でも長い角で異様な怖さをした水牛の頭の石像が、左右の壁にあちらこちらとほどこされています。石畳の広い道は広々としていますが、造りがとても悪く、でこぼこして歩きにくいのです。大通りの彼方に噴水のようなものが見えました。

「あの噴水のわきに、今日泊まる旅館がありんだ。あと少し頑張れば、旅館に着いてゆっくりと休めるよ」ガブリエルが子供たちをはげまして言いました。子供たちはガブリエルの言葉に元気づけられたので、さっそく宿へと急ぎ足で向かいました。その宿は石造りのホテルといった建物です。でもまわりの建物よりは雰囲気は良い感じでした。壁にあしらわれている石が、立派な大理石のタイルで飾られておりました。

その大理石の石たちの模様を見ますと、ひとつひとつに顔があるように思われます。その石たちがにやにやと笑って彼らを迎えているようでした。

宿の壁の何本かの茶色い木の柱が、部屋の隅から石たちをはさむようにじっと立っておりました。石たちがまた何か悪さをするのではと、上目づかいで腕を組んでるようです。

「ご主人はいますか」とガブリエルが呼びました。

「はいはい、どちら様です」ドアが開き、小太りの背の小さめな男が出てきました。男の後ろから続いて、やせっぽっちで眼の大きな男の子がドアにかくれながら現れました。

「私はガブリエル、あと連れで五人の子供たちが一緒で、一晩泊まりたいんだけども。部屋は空いているかい。」

「おうや、子連れのお客さんとは、これは珍しい。ああっ、いい部屋がありますよ。一部屋ですか?それとも二部屋おいりですか」

「ああ、ご主人。子供たちは私のお客でもあるから大切にお願いするよ。それで四部屋頼みたいんだが」

「おっ、四部屋もおいりですか?まっ部屋は今いくらでも空いているから大丈夫だがね。それでは宿帳に名前を書いてください。それから案内しますよ」

ガブリエルが宿帳にサインをすると、宿の主人は一行を部屋へと案内しはじめました。床は板の間で、宿の主人が歩くたびにぎしぎしと音が響きます。でも、ガブリエルが歩く足元からは音は聞こえませんし、子供たちが歩いても音はでません。貴志は不思議に思いながらガブリエルの足元を見ていました。

「小さなお客さんがきたよ」そんな声を貴志には聞こえた気がするのです。

「あの親爺、また気取って歩いてるよ」

「足音がうるさいのはなおってないね」

貴志は、はっとして壁の石に目をやりました。

でも、壁の石には目と口の影のような模様があるようですが、動いて話をしている様子はありませんでした。

「黙ってるんだ、まったく客が来るとすぐ調子にのるんだから。お客が驚いて逃げてしまうだろ」

そう主人が言い放つと、壁の石達にきっとにらみつけました。壁の石達はすっと静かに黙ったようです。

宿の主人に「部屋はこちらですよ」とそう案内さた4部屋の前で子供たちが部屋の様子を見ていると、ガブリエルは子供たちに呼びかけました。

「それじゃ君たちの部屋の割り当てをするよ。

山本君と山田君がこちらの部屋。中谷君と富田君が向こうの部屋。澤口さんは一人になるけど、そこの反対の部屋で休むことにするよ」

貴志はガブリエルの言葉を聞くと、少しがっかりしました。ああっ、山田君と一緒なんだ。少しやだなと感じていました。

「山本っ、部屋に入ろうぜ」そう山田君に言われて、貴志はよけいにげんなりしました。

なんでガブリエルさんは、山田と一緒の部屋にしたのかな。なんとなく貴志は気が滅入ってしまいました。

「わかったよ」貴志はそう答えると、山田君の後について部屋に入ることにしました。

中谷君と富田君はいそいそとガブリエルから教えられた部屋へと入っていきました。貴志はその二人を少しうらやましそうに肩ごしで見ていました。

中谷君たちは部屋に入ると、木製の両開きの窓の開きかかったすき間から見える、路地裏の街並みに興味をみせました。

「この街は思っていたほど危なさそうじゃないね」そう富田君に切り出しました。

「うん、でも壁に並んでいる石がね、僕たちをよく見てたよ」

「えっ、よく見てる。やっぱりそう思った?

生きてるのかな」

「うん、なんか生きてるみたいな感じだよね。町中の壁の石たちがひそひそ話をしてたよね」

「なんなんだろ。すごいよね。石なのに。なんで生きてるのかな?」

「不思議だね。この部屋の壁は木の板だけだから、たぶん大丈夫そうだよね」

「スパイなんじゃないかな。壁の石はスパイなんだよ。やっぱ怖いとこだよね、この街は」

「ううん、僕たちのこと、すべてお見通しなのかな。ガブリエルさんは、とっくに知ってると思うんだけど。どうなんだろうね。うまくいくのかな」

「なんだっけ、この街。ゾアルだったかな。もうここにまで来てしまったんだからね。やばいかも」そう中谷君は言うと、部屋を見わたしました。古いこげ茶色の板の間の部屋でした。二つのベッドがあり、丸いテーブルに二つの椅子が置かれていました。後は何もありません。壁にはいくつかの洋服がかけられるフックが取り付けられていました。両開きの扉になってる窓の片側を、中谷君はゆっくりと開けてみました。外はたくさんの陽の光が差していて、まだ日が沈むまでには時間がありそうでした。

ドアをノックする音がしました。

「中谷君、開けて入ってもていい?」ドアの向こうから聞こえたのは澤口さんの声でした。

「ああ、ちょっと待って。今あけるよ」中谷君はドアを開けると、子犬を抱いた澤口さんを部屋の中に入れてあげました。

「ガブリエルさんに教えられた部屋に入って、片付けていたんだけど。一人でいるのがちょっと怖くて、こっちへ来ちゃった」

「そうだよね。女の子ひとりだもんね」富田君がそっと言いました。

「ねえ、この街は商人が集まる街だとミカエルさんが言ってたと思うんだけど、一人も姿が見えないのは変だと思わない」

「ああ、そうだね。全然人を見ないよね。この旅館に入る時も誰もいなかった」そう中谷君が答えると、テーブルの横の椅子に腰かけました。

「変だね、この街の入り口?から入って来て、この宿にたどり着く間も、誰も歩いているのを見なかったもんね。こんなことってあるかな」富田君はゆっくりとベッドに腰を下ろしました。澤口さんは部屋の窓から外を見ながら、

「見て、外の通り。誰も歩いていないのよ。薄気味悪いわ」

「ほんとだよね。なにかあるのかな。急に捕まったりしたりして」富田君がちょっと苦笑いして答えました。

「えっ、捕まる?ベラたちに」中谷君がすぐに聞き返しました。

「ううん、よく知らいけど、あの狼兵士かな」

「狼兵士はこの通行証があるから、なんとか大丈夫なんでしょ」澤口さんが心配そうに聞いてきました。

「そうなんだろうけどね。でもよくわかんないよね」富田君が思わせぶりに言いました。

「私たちも何か対策を考えましょうよ」急に陽気な声で澤口さんが言いだしました。

「えっ、対策。面白そうだね。僕、対策や作戦は大好きだ」

「中谷君はそういうのが好きそうだよね」富田君がにこにこ笑いながら言いました。

「そっ、大事だよ、僕としては。そこで、やっぱりチームプレーが必要だと思うんだ。

それぞれの役割を分担するのがいいんじゃないかな」

「えっ、役割?でたっ。僕は何をするの」

「んっ。富田君。そうだな、富田君はなにがいいかな?」

「富田さんはそのまま、神官でいいんじゃない。いつも神秘的な雰囲気だもん」と澤口さんが答えました。

「えっ、みんな神官なんじゃない?」

「そうじゃないわよ。みんな神官なんてやったことないじゃない。だから相手にもしばれちゃうかもしれないじゃない。富田君が一番神官らしくしてなきゃ信用されないわ」

「へええ、結構奥深いんだね。でも、僕だってわかんないよ」

「もう、決まりよ」

「えっ、強引だよ。なんでそうなるの」

「それで中谷君は」

「僕はね、こうめいって知っている?。僕のお父さんが好きな中国の歴史に出てくる人で教えてもらったんだけどさ。その孔明がやってた軍師ってのを僕はやってみたいんだ」

「軍師って?」

「戦争で計画を立てる仕事さ」中谷君が答えました。

「でたっ、中谷君、軍師をやるつもりなんだ」

「軍師とかそういうことを考えるのは、ガブリエルさんの仕事なんじゃないの」澤口さんが噛みつくように言いました。

「そうじゃなくて、影の軍師だよね。何か困った時のために考えておくんだよ、次の作戦なんかを」

「作戦なんてどうするの。なにかできることってあるのかな?」富田君は少し笑いながら聞きました。

「そういうことは、みんなが集まってから話し合えばいいんじゃない。ここで決めても誰もわからいと思うわ」澤口さんがそう言いました。

「そうかな。でもなかなかみんなが集まって話し合える時間がないと思うんだよね」中谷君が言います。

彼らが思い思いに好きなことを話してるところへ、ドアにノックの音がしました。

「中谷君、富田君、食事の時間だよ。ドアを開けていいかな」ガブリエルの声がしました。

「あっ、待ってください」中谷君がドアを開けに行こうとしましたが、ガブリエルが先に開けて入ってきました。

「やあ、悪いね。お腹も空いてたころじゃないかな。食堂へ行こうか。おっ、澤口さんも一緒だったんだね」

廊下には貴志と山田君もそろって待っていました。子供たちはガブリエルの後について食堂へと向かいました。

食堂には一列に十人ほど座れる木製のテーブルが三つ並んでいました。その真ん中のテーブルに子供たちの食事が並んでおりました。食事の準備をしている一人のおばさんが忙しそうに、お皿にシチューを盛っていました。

「お客さんたち、待たせたね。ここんとこ泊り客がいなくてね。急に食事を支度をするのが遅れてしまったんだよ。さあ好きな席に座っておくれ」そのかっぷくの良いおばさんは白い大きなエプロンをして、頭にも白い布巾で髪の毛をまとめておりました。りんごのような頬と大きな目で子供たちに座るようにうながしました。

「泊り客がいないと言うのは何か訳でもあるのかい」ガブリエルがおばさんに尋ねました。

「冬に行われた大きな戦で負けてから、王様が怒ってね…」

「おいっ、マヤ。そこまでにするんだ!」

食堂の入り口で、宿の主人がおばさんに向かって大声で怒鳴りました。子供たちは宿の主人の大声にびっくりして動きが止まってしまいました。

「おいおい、主人。そんな大きな声をだしたから、私の友人たちが驚いてしまってるじゃないか」ガブリエルが宿の主人をなだめるように言いましたが、宿の主人は何も答えず、胸に大きな籠を抱えながら廊下の向こうへと歩いて行きました。

「悪いねえ。あたしが余計なことを口にしたから、サイモンンを怒らせちゃったよ」

「いやあ、おばさん。私が聞こうとした話がまずかったんだね。謝らなくっちゃいけない」

「おばさんと言うのはよしとくれ。マヤと言う名があるんだよ」かっぷくのいいおばさんは、ガブリエルをにらみながらそう答えました。

ガブリエルはまゆををあげながら、なるほどとうなずきました。

「おや、子犬がいるのかい。子犬の餌も用意しようか?」

「はいっ。お願いします」澤口さんがすかさず答えました。

子供たちがテーブルに着くと、食事のあいさつをして食べ始めました。食堂の窓からは夕陽が差しているのですが、外に大きな太いヤシの木が一本立っていて、空に向かってほうきのように伸びる葉が、ちょうどよい日よけになっていました。

ガブリエルもヤシの葉の間からさす夕陽をのぞきながら、一緒に子供たちと食事を取りました。食堂の壁には例の石たちが大人しく並んでおりました。貴志もみんなと一緒に食事を取りながら、壁の石がまた何か話し出すんじゃないかとうかがっていました。

「貴志、何で壁ばっかり見てるんだ」山田君が不思議そうに聞きました。

「ああと、気づかなかった?あの壁の石」

「えっ壁の石?何か変か」

「ああ、大丈夫そう?。さっき変だったのは気のせいかな」貴志は話をごまかしながら、ゆっくりと木のスプーンでスープを飲みました。

「疲れているんじゃないか」山田君はにやにやしながら答えました。

「そうかもね。もう陽が沈むね」貴志は石造りの屋根で半分隠れた夕陽を、そして建物の間から差し込んで壁をそめる陽の光を見ながら、家ではお母さんが心配しているんだろうな。大丈夫かなと思いました。

マヤが子供たちに向かって

「今日は昼食の用意が遅くなったからね、悪いけど夕食まで手が回らないんだよ。今のが夕食の代わりと思っておくれ。お代りはたんとあるからね」と話しかけました。

子供たちはその言葉を聞くと、急いでお皿の料理を口に押し込むと、お代りをしにマヤの所へ行きました。

「みんなずいぶんとお腹が空いていたんだね」ガブリエルが笑いながら言いました。

「そこの皿にデーツもたくさんもってあるから、食べておくれ」そうマヤが言います。

「これってどうやって食べるの。ガブリエルさん」山田君が不思議そうに聞きました。

「食べたことないのかい。そのまま食べれるんだよ」ガブリエルの代わりに、マヤが答えました。山田君がおそるおそる小さな茶色い実を手に取り、かじってみました。「ううん、まあまあかな。けっこう、甘いや」そう言いうと、何個かもぐもぐと食べ始めました。

「外にナツメヤシの木があるだろ。一年中実をつけているんだから、いくらでもあるんだよ」マヤはそう言いました。

「ええっ、あの木にこれがなってるの。ヤシの木にこんなのができるんだ」仲谷君がしげしげとナツメヤシの実を一つとってみると、ぽんと口に入れて食べてみました。

「なんかとろっとして、あまいね」

「ガブリエルさん。私、自分の家族に連絡がとりたいんですけど。なにか方法はあるんですか」澤口さんがガブリエルに質問しました。

「あっと、そうだね。ミカエルが君たちのことを家の人に心配しないよう話をしておくと言ってたよ。だから大丈夫だと思う」

「ミカエルさんは家の人に会ったこともないのに、どうやって信用してもらうんです?」

貴志がガブリエルに質問しました。

「前もって君たちの家の人に、塾での宿泊講習があると言ってるんだ。それでミカエルが塾からのお話として説明しているから、大丈夫だと思うよ」そうガブリエルは話しました。

「どうなのかな。そんな話はなかったと思ううんだけど、それで分かってもらえるかな?」中谷君が不安そうに聞きましたが、ガブリエルは笑顔を見せるだけでなにも答えません。

子供たちは夕食がないこと知ったものですから、たっぷり満足するまで食事をとりました。

食事が終わるころに陽もすっかり沈み、夜のとばりが下りるころでした。

「さて、みんな食事が終わって疲れたろうから、ゆっくりと休むのに早めに部屋に戻ったほうがいいと思うよ」ガブリエルが子供たちにそううながしました。

「ガブリエルさん、昼間あんな砂漠みたいなところを歩いてきたので、体が汚れてとてもゆっくりとは休めないです。お風呂に入りたいんですけど」澤口さんがガブリエルにそう願い出ました。

「ああ、そうか。お風呂だね。マヤさん、お風呂には入れるかい」

「はい、どうかしらね。今、サイモンに用意させるよ。少し、待っておくれ」マヤはそう言うと食堂をでて行きました。しばらくすると、ひとりの男の子が駆けてきました。

「みなさん、お風呂の用意ができました。一緒にこちらに来てください」昼間、宿に到着した時にサイモンの後ろに隠れていた少年です。

「ありがとう。あなたはあの宿の主人さんの子供なの」澤口さんが男の子に声をかけました。男の子はちょっと驚いた様子で、澤口さんをその大きな目で見つめました。

「えっ、どうかな。違うとは思うんだけど」

「そうよね。あなた、肌の色も髪の毛も宿のご主人さんとは全然違うもの。あのご主人さんとおばさんは夫婦なの?」澤口さんが尋ねました。

「ああ、どうなんだろ。僕はわかんないんだ」

「えっ、なんで?。あなた、どうしてここにいるの」

「澤口さん、もうその辺でやめておくんだよ。彼が困っているよ」ガブリエルがそう助言しました。宿で初めて見かけた時はサイモンの後ろに隠れて分からなかったのですが、やせっぽちの男の子はフードがついてる灰色のパーカーを着て、ジーンズみたいなズボンをはいていました。背丈からすると同じ学年の年頃のようです。自分たちと同じように思えるのですが、眼が大きくて顔が少し浅黒い印象もしますので戸惑います。でもサイモンとマヤは彼のお父さんとお母さんではなさそうでした。彼ら二人は少年とは明らかに違っていて、アラビア人のようで顔の彫が深いのです。

貴志は以前、あの男の子を見たことがあるような気がしていました。どこかで会ったようなのですが思い出せません。名前を聞けば思い出すかもしれない。貴志は少年に話しかけてみました。

「僕は山本って言うんだけど。君の名前は?」

「僕はヤコブだよ」

「ヤコブ?本当に。それが君の名前なの?」

「そうだよ。たぶん、そう呼ばれている」

ガブリエルは少々困った顔をしながら、

「貴志君もそのくらいして。お風呂に入る時間がなくなるよ」と子供たちを急かせました。

やせっぽちの少年が廊下の出てお風呂場の案内をはじめましたので、子供たちが後から続きました。廊下をしばらく歩くと、一番奥の部屋にお風呂場があります。

「こっちだよ。一人用の浴槽だから、順番に入ってください」ヤコブが子供たちにそう言うと、逃げるように去って行きました。

「じゃあ、澤口さんが一番先に入って。後の男の子たちはじゃんけんでもして順番を決めたらいいね」ガブリエルが子供たちにそう言いました。

ヤコブに案内された最初の部屋は待合室のようでした。その奥の部屋がお風呂場になっているようです。澤口さんはみんなにごめんね、先にはいるねと言うと、奥のお風呂場へとドアを開け入って行きました。

残った男の子たちは待合室の椅子に腰を下ろし、順番を待つことにしました。

「私は明日の準備があるので部屋に戻ることにするよ。君たちもお風呂が終わったら早く休むようにね」ガブリエルはそう言うと子供たちを後にし、部屋の方へ戻って行きました。

「この部屋の壁は木でできているから落ち着くよね」富田君がそう言いました。

「落ち着くって?この部屋が。なんか古くてにおわないか」山田君が答えました。

「山田はわかってないよな。建物の壁に並んでる石。あれはスパイなんだよ」

「スパイ?壁の石が?証拠あるのか」

「中谷君は影の軍師になるんだって」富田君がにこっと笑いながら教えました。

「ぐんしってなんだよ」山田君が聞き返しました。

「指揮官さ」中谷君が答えました。

「なんか嫌だよな。中谷の言うことを聞くぐらいなら、俺が軍師をやるよ」

「山田の頭じゃ無理なんだよ」

「成績なんか関係ないじゃん」

「中谷君が軍師をやるってどういうこと?」

貴志は興味しんしんで聞きました。

「そうだね、なんて言うかな。準備も何もなしで王子を助けに行くのはちょっと危ないだろ?。それで、みんなでチームプレーでまとまれば少しは上手くやれるよね」

「何となくはわかるけど、それでどうやって上手くやるの?」

「そうだろ、山本。中谷が自分の頭がいいってところを見せようとしているだけなんだよ」

山田君がすかさず、やり返すように話してきました。

「そんなことはないんじゃない」貴志が中谷君をかばうように言いました。

「山本は中谷が軍師でもいいのか」

「それは別にかまわないと思うけど。それで僕はどうするの?」

「隊長なんてどう」中谷君が提案しました。

「えっ、隊長?僕って全然強くないよ」貴志が答えました。

「僕は神官のままなんだって」富田君がにこにこしながら言いました。

「おっと、山本が隊長ってなんでだよ。俺が隊長をやる」山田君がそう切り替えしました。

「山田はだめだよ。ほんとうに危ない時はチームが乱れるよ」

「なんだよ中谷。軍師より隊長の方が偉いんだろ」

「隊長より、軍師の方が偉いんじゃない」

貴志はすぐにそう言い返しました。

子供たちの終わりそうもない話を聞きながら貴志は木枠の大きな片開きの窓から、裏道りと思える外の景色に眼をやりました。何か見えないかと眼をこらしてみたのですが、すべて真っ暗でなんとも怖いくらいでした。夜の暗闇が満ちている感じで、暗い色の中に包みこまれているような不思議な気分です。

「お待たせしました」そう言いながら澤口さんが奥の部屋から出てきました。

「湯船には入らないで体だけを洗ったから、お風呂には入れるわよ。ゆっくりどうぞ」

そう言われてから、男の子たちはそろそろと奥の部屋へと入って行きました。お風呂場には木製の大きめな丸い樽が二つ置かれておりました。一つの樽にはお湯が並々と入っていましたが、片方は半分ぐらいになっていました。たぶん、澤口さんが片方の樽だけのお湯で体を洗ったのでしょう。床は石畳になっていて、お湯の流れた跡がありました。浴場は古い木造の公民館にも似ている感じがしました。壁と天井のかどすみの暗がりが、何か気分を重くさせました。男の子四人が無理をすれば一つの樽になんとか入れそうでしたが、みんなちょっと戸惑い気味です。

「二人づつではいる?」貴志がそう切り出しました。

「そうだね。そうしようか」中谷君も賛成したようです。

「それじゃ、俺、はいっちゃうよ」と山田君が樽の湯船へとさっとつかりました。山田君は少々太めの体ですから、樽のお湯がざっざあと勢いよくこぼれました。

しばらくして「あれ、一緒に誰か入らないの。山本入れば」山田君が風呂に入るよう貴志をまねくのですが、貴志はなんとなく踏ん切りがつかずにおりました。

ちょっといやだな、貴志はそう感じていました。なんでだろ、あの態度。いつもそんなに遊ぶ仲じゃないのにな。さっきまで一緒にいた部屋でも、ほとんど話をしないようにしてたのが分からなかったのかな。そう貴志は思いをめぐらせていました。

「山本、入らないのか」山田君が急かしてきました。

「えっ、わかったよ」貴志はしぶしぶ湯船に入りました。

「あっ、いいかも。疲れが飛んでいきそうな気分」貴志がほころんだ顔で答えました。

「そうだろ、今日は歩きすぎてへとへとだもんな」

しばらくして、中谷君と富田君はもう一つの樽の湯で体を洗い終わったころに、貴志の方によってきました。

「お風呂、交代する?」中谷君が話しかけてきました。

「あっ、いいよ」貴志がなにか喜ぶように、すぐ樽から外へ出ました。

「なんだあ、もう交替。早くない?」今度は山田君がしぶしぶながら答えました。

「早くお風呂を上がらないと、ガブリエルさんに怒られちゃうかもね」富田君が山田君に何気なく話しました。

「わかったよ」そう山田君が答えると樽から上がりました。男の子たちは体を洗い終わると、先ほどの待合室へと戻りました。そこには澤口さんが子犬のシモンを抱いて、椅子に座わって待っておりました。

「みんなのんびりね。待ち疲れたわ」

「あれっ、待っていたの?」中谷君が声をかけました。

「暗いし、怖いし、あの部屋に一人で入れないわ」

「そうかもね」富田君がやさしく答えました。

「それじゃ、今晩はどうするんだ」山田君が問いました。

「中谷君と富田君の部屋に泊まるわ」

「それがいいかも。安心だよね」貴志が賛成するように言いました。

「大丈夫かぁ。中谷の部屋が安心なんだ」山田君がけげんそうに聞きました。

「富田君も一緒だし、何も問題ないよ。山田は頭がおかしいんだよ」中谷君がそう言い放ちました。

「うるさいな!。いちいち余計なんだよ」山田君が文句を言います。

「なに喧嘩してるの?。早く部屋に行きましょ」澤口さんが二人をさとすように言いました。

子供たちは先ほどの廊下を歩き、自分たちの部屋へ向かいました。廊下の壁に掛けてある四角いガラスがはめ込まれているランプに火が灯されて、壁と床をほの暗く照らしていました。壁の石たちは目を閉じて寝てるように見えます。窓から外の景色を見たのですが、真っ暗で何もうかがえません。街の中にいるとは思えないほど物音もなく、静まり返っています。子供たちはなんとなく不安な思いをしながら部屋へと急ぎました。

「ガブリエルさんは、もう休んだのかしら」

澤口さんが不安を払うように、そう口にました。

「明日からどうするのか何も話がなかったよね」貴志が思い出すように言います。

「もう寝ようよ。心配しても疲れるだけだから」中谷君がそう言いました。

「澤口さんの寝る場所はどうするんだ?」部屋の前に着くと、そう山田君が問いました。富田君が自分たちの部屋をのぞき込んで、良い方法がないかと探していますと、「あっ、奥の方にソファーがあるよ」と言い出します。

「えっ、ほんと?あれっ不思議だ、ソファーなんかあったかな」中谷君も部屋の中をのぞき込んでソファーを見つけると、納得がいかないようでした。古びた木製の脚と背もたれですが、草色の台座は柔らかそうなクッションでした。

「ちょうどよかった。私そのソファーで休むわ」澤口さんがすぐに決めました。

「そんなソファーでよく寝れる?」貴志が心配そうにたずねます。

「大丈夫、平気よ。すぐなれるわ。それじゃ、おやすみなさい」澤口さんがそう言うと、部屋の中へ入っていきました。


子供たちの寝静まった部屋から、食堂を出て分かれる廊下のずっと奥まったある一室で、ランプの灯りを真ん中にして二つの顔が向き合っていました。

ガブリエルは静かに話しを始めます。

「ヤコブ君はサイモンたちの話を耳にして、ヨナタン王子の今の状況はおおよそ分かっていると思うんだけど。どうだろうね」

「はい…、サイモンさんとマヤさんが小声で王子がさらわれてきたと話してるのを聞きました。ヨナタン王子って、どこの国の王子なんですか?」ヤコブはそう聞き返しました。

「カナンという国の王子だよ。カナンは義をつかさどる国なんだ。ソドムのベラ王はヨナタン王子を、モアブの王バラクに捧げようとしている」

「話が色々多くてよくわからないんです。それに、なぜ僕がここにいるのかも知らないですし」

ガブリエルが口を一文字にして、微笑みを浮かべてから、息をゆっくりと吸いました。

「君がなぜここにるのかも分からないんだから不安だよね。君の本当の名は哲也君だ。高田哲也」ガブリエルはゆっくりと話しました。

「えっ、哲也」ヤコブが聞き返しました。

「そう、何か思い出したかい」

「僕は確か病気で、歩けなかったんじゃないかと思いました」

「それは覚えていたんだ。君は病気で入院していたからね」

「僕はたぶん急に体の具合が悪くなって、寝てばかりでいた気がしてたんです」

ガブリエルはヤコブの顔をじっと見つめて、落ち着くよう静かに言いました。

「君は白血病だったんだね。それで体がきつくなり、歩くのも大変になった。でもある日、気がついたらこの国に来ていたんだからね」

ヤコブは静かにガブリエルの話に耳を傾けていました。

「今、君が安全でいるためにはサイモンとマヤの子供として振る舞っていることが大事だよ。ベラ王には、サイモンが自分たちに子供ができたと報告しているからね」ヤコブはガブリエルの話を聞くとはい、と答えました。

「あしたから、僕と子供たちの道案内をしてほしいんだ」

「道案内ですか」ヤコブが言いました。

「ソドムの城には哲也君が行ったことがないのは知っている。それに、この街から城まで続いてる道も一つしかないとわかってはいるんだけどね」

「道は知ってますけど、城に行ったことがありません」

「そうだね。それで今回、僕たちの頼みごとが終わったら、お家にも帰れるようになるよ」

「お母さんが僕がいなくなって心配していると思います。もっと早く帰れる方法はないんですか」ヤコブは助けを求めるような眼でガブリエルを見つめました。

「哲也君、この宿に私と一緒にきた子供たちも君と同じなんだ。自分たちが来たくてこの国に来たんじゃない。分かってもらえるか難しいけど、これは神が導いたと思ってほしいんだよ。さっきも話したけど、僕たちはヨナタン王子を助けるためにこの国にきたんだ」

「はい」静かにヤコブは答えました。

「哲也君はこの街で会うことはなかっただろうけど、ソドム城には狼兵士が護衛として城の周りに沢山いるんだ。見たことはあるかい」

「いえ、会ってません」

「サイモンとマヤはベラ王により何か秘密の魔力で狼兵士から守られている。でも哲也君は狼兵士の攻撃から逃げられない。それでこれを君に渡しておくよ」ガブリエルは子供たちに渡したのと同じ一枚の通行証を取り出しました。

「この通行証を誰にも見せてはいけない。君が持っていることを、特にベラ王やその部下たちに見られることもね。だから僕と一緒にきた子供たちにも知られてはならない。君はサイモンの子供の立場としてソドム城に入ることが大事なんだよ。大丈夫かな」ガブリエルは言葉に力がこもるのをおさえながら、ヤコブに語りました。

「はい。」聞き取れないほどのか細い声で、ヤコブは答えました。そのヤコブをガブリエルはやさしい眼差しで見ながら、

「それとこの石投げの道具も君にあげよう。何かの時にとても役に立つからね」ガブリエルはくるみ色の革布と、その上にのせてある黒いつぶてをヤコブに渡しました。ヤコブは黒く光るつぶてを、物めずらしそうに顔に近づけて見つめます。

「ガブリエルさん、これ使い方が分からないんですけど」

「君はダビデの物語を知っているかい。そこでダビデが巨人のゴリアテを石投げで倒したお話しなんだけどね」

「はい、教会で聞いたことがあります」

「そうそれと同じだよ。後でまた使い方を教えてあげるね。それから通行証はサイモンやマヤに見せないようにね。彼らはベラ王の眼をとても気にしているからね。この街の壁という壁に埋め込んであるベラ王の魔法にかかった石たちはいたずらが大好きな性格だから、気が向いた時にベラ王に告げ口をしている。私がこの街に来たことをベラ王にきちんと報告されているかどうかはわからない。あまのじゃくな石たちだからね。それでサイモンはいつもベラ王に疑われ、投獄されはしないかと気を使っている。彼らは危うい立場で生かされているからね。

じゃあ、明日から哲也君も子供たちと一緒に手伝ってくれるかな。そうすることで君が家に帰ることができるようになるよ」

はい、とヤコブは小さい声で返事をしました。

「遅くなったね。明日からのために、もう早めに寝よう」そうガブリエルは言うと、ヤコブにやさしく笑顔を見せながら、ランプの炎を消しました。

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