光の御国
吾輩は猫
第1話 出会い
貴志は窓から外の夜をのぞいていました。隣の家にはまだ明かりがこうこうとついて消えそうにもありません。その隣の家も同じでした。空を見上げると薄い墨汁をたらしたようにすきとおっていて、星空さえ見えません。
ただときおり強い風が電線にひゅうひゅうとこすれて、今にも雨が降り出しそうでした。もう小さな庭の芝も、いくらか濡れているように見えます。
「貴志、もう寝たの」とお母さんの声がしてくると、階段を昇ってくる足音が近づいてきます。
「今、寝るとこだよ」そう貴志は答えると、布団の中へすべり込みました。部屋のドアがすうと開かれ、お母さんが部屋の様子をうかがいました。「貴志、もう寝なさい、電気消すわよ」
貴志はいいよと眼をつぶったふりをして答えました。部屋の灯りが消され、小さなだいだいの電球に変わります。お母さんがおやすみなさいというと部屋を出て行きました。
目覚まし時計が11時を過ぎようと、こちこちこちこちとぶっきらぼうに針を進めています。夜の闇が彼を包み始めました。
貴志は不思議な夢を見ていました。その不思議な夢はまるで起きているときと区別ができませんでした。彼はその夢の中で眼がさめてしまっているんだと思っていたのです。彼はうろうろとあたりを見わたしました。どうもひっそりとして、自分の家にいるような気がしません。
部屋の空気はなぜかしっとりと冷たく感ぜられて、窓のカーテンもなんとなくゆらゆらとゆらいでいるように思えます。でも不思議にも、自分の体はなにか軽くて心地よいのです。
部屋のドアはいつもの見なれたドアでした。彼はドアのノブを回して部屋から出てみました。貴志は家の中に誰もいないように思われました。しんと静まり返って、ひとりぼっちのときによく感じた耳鳴りがするのです。
カーテンのすきまからはゆるやかな光が差し込み、貴志はもう朝なのかなと思いました。
「へんだな、お母さんたちはどうしたんだろ。誰もいないのかな?」
貴志は階段を降りて、1階の居間から寝室の方をのぞきこんでみました。お母さんの姿はありません。今度は2階の妹の部屋まで行きましたが、やはり姿がありません
貴志は家のすみずみを家族がいないか探しまわりましたが誰もおりませんでした。
「誰もいない。いったいみんなどこに行ったんだろ」
貴志はそう思うと玄関から外へ出てみました
驚いたことに外はまだ夜でした。月明りがまぶしいくらいに闇夜を照らしています。まわりにはうっそうと生い茂った野原があり、すすきの穂が風でゆらいでいます。耳にはやかましいくらいに鈴虫かなにかが歌声を夜空に響かせておりました。貴志の前には今まで見たことのない一本の小道が続いており、小道の両側には貴志の背くらいの草むらが広がっています。
彼が景色をながめていると、いきなり『かあんかあん』と鐘の音が聞こえてきました。音の方を振り返ると、道わきの草むらの中で月に照らされて、大木みたいなこげ茶色の柱時計がぼうっと立っているのでした。時計の針を見ると12時を指していて、柱の中には金色の振り子がゆっくり右へかっきん、左へかっきんと音を立てゆれているのです。その大きな柱時計はなにか貴志を上から見下ろしているようにも感じられました。
とにかく貴志は気を取り直してこわごわと道を歩き始めました。道は見覚えのない砂利道で少し歩きにくいのですが、道の片側に規則正しく並ぶ外燈が夜道を照らしていたので、貴志はなんとなく安心しました。
しばらくすると道は下り坂になり、貴志が下り坂にさしかかると、夜空がほんのりと薄紅色に明るくなってきました。さらに彼が坂道を下って行くと、夜空に浮かぶわた雲のおなかが、しだいに白光色に照らされて、小鳥たちも朝のあいさつをさえずりはじめました。
道が折れ曲がると今まで続いていた草むらがなくなり、貴志の目の前に広い海原が輝いているのが見えました。
「へんだな。街にはこんな海はなかったはずなのに?」
さらに進むと、空はすっかり明るくなり、お日様が海から顔をのぞかせて光の帯を海岸にまでたなびかせていました。
貴志はすっかり興奮してしまいました。いったい自分は夢でも見ているんだろうとか思ったのです。でも足の裏の小石はしっかりと感じているし、風がそよそよと頬をなぜるのでどう考えても夢とも思えません。振り向くと今まで歩いてきた草むらの小道もすっかり明るくなり外燈の灯りも消えていました。
「おっかしいなあ、いったいどこを歩いてんんだろ」
貴志は家に戻ろうかどうしようか考えあぐねました。朝なら学校に行かねばなりませんし、家族も家に戻っているかも知れません。しかし、学校といっても家のまわりの様子が全然おかしいんですから、学校など行けるはずもありません。とにかく貴志はまずひさしぶりに海を見てみようと思いました。いつもなら自分の家から海へ行くとしたら電車で2時間くらいはかかりますから、簡単に海には行けないのです。
坂道はいくぶん急になって、彼がいく度か転びそうになると、彼の後ろには砂利の白い粉が舞い上がり、突風がそのえんまくを、時おり彼を追い越させていきます。坂道が次第にゆるやかになり、貴志は自分が港に向かっていることに気づきました。
港といってもコンクリートでできている立派な港ではありません。木製の使い古されたいくつか桟橋があるだけです。気がつくと打ちよせる波がざばん、ざばんと桟橋にあたり、汐の香りが眼や鼻中にいやおうなしに入り込みます。船が停泊しているのは、真ん中の桟橋にある帆船だけでした。その帆船はいくらか空中にふわふわと浮かんでいるようで、巨大な鯨のお腹のような白い船底を見せていました。
マストが三本空高く潮が噴くようにそびえたち、たくさんの紺青の帆が綺麗に折りたたんでありました。船体は真っ黒で、すべすべと磨かれていて、船首から突きでた一本柱のバウスプリットは、一角獣の角のように茶色でつんと突き出しています。
貴志はその帆船の後ろの影に、いく人かの子供たちが集まっているのに気がつきました。砂浜のあたりには誰もいなく、人の気配も感じません。まったく静かなものです。ときおり、カモメがああう、ああう、と鳴いて貴志の頭の上を飛んでいきます。
貴志は桟橋の入り口のところでちらっとお日様の方を見ました。太陽はもう結構高く上がっており、頭や肩に日の光がかんかんと照りつけられそうでしたが、風がさらさらとなびくものですから気持ち良いものでした。
貴志はそのうちに子供たちを見ていると、なんとなく見覚えがあることに気づきました。それはいつもの学校で見慣れた顔ぶれだったのです。貴志は思い切って子供たちのところへ駆けよりました。
「ねえ、みんなこんなところでで何しているの?」
「あれっ、山本も来たんだ。なにしてるのかって、みんなで話し合ってどうするか決めるんだよ」
山田義之君という男の子がそう答えました。
「どうしてここにいるの?」
「それがわかれば、苦労なんかしないわ」
澤口裕子さんという女の子がそう言いました。
貴志はふうとため息をつくと、何も言う気がなくなりました。すると仲谷康雄君という貴志と一番仲のいい子が答えました。
「みんなで今まで話し合って分かったのは、だいたい同じことなんだよ。学校が終わってから塾に行ったよね、みんな夜遅くに家に帰ってきたんだ」
「そう、僕も塾の帰りは一緒だった」
「それで朝になって起きてみると、家の中には誰もいないんだ。それで外へ出てみるとまだ全然夜でさ、家のまわりがいつもと全然違っているんだよ」
「僕もおんなじだ。この船の中に入っってみた?」
「いや、まだだよ。興味あるけど、ちょっと怖いからね。誰も入りたがらないんだよ」
貴志はその言葉を聞いて、建物好きな仲谷君の代わりに船の中がどうなってるのか見てこようと思いました。
「じゃあさ、僕が最初に入っていって、見てきてあげるよ」
「本気?やめときなよ。中に誰かいるはずだよ」
「大丈夫。そんときは素直にあやまればいいんだから」
貴志はいつもより不思議な心持でした。なぜそんな言葉が自分の口から出でてきたのか分からなかったのです。なにか夢の中で気持ちが浮いていて、楽しささえ感じていました。
大きな太鼓腹のような船体の真ん中あたりに、縄ばしごが手の届くところまで垂れ下がっています。その手すりは純金のように光っていて、縄ばしごがなにか話しかけてきてるようにも感じるのです。人をさそってるような不思議な力に貴志はみせられました。
貴志はその縄ばしごに近づくと、手すりをひとつひとつ握っては昇り始めました。貴志が縄ばしごを昇り切きると、デッキの上が見えるようにのぞいてみました。
船体が黒く彩られているのとは反対に、甲板は純白で眼にまぶしいほどでした。デッキには人のいる気配もありません。
船室の窓に使われている桟などの横木は、焦げ茶色に施され、そのはしっこにはシャコガイがくっついてるように彫刻されてありました。貴志はそれを軽くなぜると、なんとなく不思議な感触がしました。
船室の中はとても豪華に見えました。ドアのない小さめのアーチ状の入り口をくぐると室内はとても広く、どこかの宮殿の舞踏会場を思わせるようです。
あかね色のやわらかなビロウドの壁飾りには金色の雫が降り落ちてくるようにいっぱいにまぶしてあり、まるで金の雨が降っているようです。床のえんじ色の絨毯には銀色のしま模様が湖水の波紋のようにいくつもの輪になって織られており、水面に浮く水草の上でも歩いているように思われました。
天井はだ円の黒水晶の宮を内側からのぞいたようで、闇夜にきらめく星々が描かれておりました。壁のあちこちには巻貝になった金色のろうそく台が備えられています。
部屋の左手の壁の真ん中に、大きなこげ茶色の柱時計が居座っておりました。時計の針は1時を指していました。
船室の奥側には一段床が下がったフロアにゆったりとして、月のような真っ白い毛皮でできた大きなソファーが置かれていました。貴志はそのソファーに恐る恐る腰をおろしてみました。毛皮の起毛がとても柔らかく、手が滑りそうな感じがして、そして腰を少し飛び跳ねさせてその座り心地を確かめたのです。
「うわっ、最高かも!」
ソファーの座り心地がとてもよくて、しばらく離れがたい気がしました。
次の部屋をのぞいてみると、真っ白でさわやかな食堂でした。部屋の中央には木目の鮮やかなテーブルに椅子が並べられており、白い刺しゅうのほどこされたクロスが掛けられてあります。奥のたっぷりとした広いキッチンからは、まるですぐにでもご馳走がでてきそうです。キッチンの向こう側には船尾へと続くバルコニーがあり、お日様の光が抱えきれないほどに厚く差しこんでおりました。奥のバルコニーの横には下の階へ降りられる階段があるようでした。
貴志は先ほどの黒水晶の美しい部屋に戻りました。心地よい寝床に帰るように、心が魅かれるままにそのソファーに座りました。彼はちょっと疲れたのか知らぬ間にうとうとして、知らないうちに寝入ったようです。
「大野貴志君、この船は気に入りました?」
夢の中で透き通る軽やかな声を耳にして貴志は眼が覚めました。気がつくと1人の若い男の人が微笑みを浮かべてすっと立っています。
「はい、とても…」貴志はなんと答えてよいか戸惑いました。
「驚かなくて大丈夫。君を怒ったりはしませんよ。ここへ君達を招いたのは私ですからね」
若者はそう言うとやさしい眼で貴志を見つめました。焦げ茶色の澄んでいる瞳の上には、細長のまゆ毛がきりっとしていて、口もとは美しくとても気品がありそうに見えました。上から下まで真っ白なブレザーとズボンをまとい、白いシャツに帆と同じように鮮やかな紺色のネクタイを着けていました。
「さあ、友達を迎えにいって、みんなで船出する準備をしなくてはなりません」
若い人はそう言うと貴志とともに桟橋の方へと向かいました。
子供たちはみな、貴志がいつ降りてくるんだろうとか上をながめながら縄梯子のまわりに集まり待ちかねていました。そこへ若い人と貴志がひょっこり顔を出して現れると、縄梯子をつたって船上から降りてきました。
「みなさん、全員ここにいますね」
若い人は子供たちにそう呼びかけてから、ゆっくりと話し始めました。
「みなさんはこれから私とともにこの船に乗り、航海にでます。そしてこれから目指すソドムという国へ向かいます」
「ソドムってどこにあるんですか」仲谷君が若い人にききました。
「ソドムはここから1万2千キロ程さきのところにあります」
「そんな遠いところ何ヶ月もかかるんじゃない」山田君がぼやくように言いました。
「大丈夫、この帆船でなら3日ほどで着きます」
「あの、お名前を教えて下さい」澤口さんが聞きたくてたまらず言いました。
「私はミカエルといいます。聞きなれない名前と思いますが、すぐになれますよ。
さあ、みなさん、船に乗って下さい。準備が整いしだい出発します」
子供たち5人はそう言われると、早速船に乗り込みました。貴志をのぞいた4人は、船の甲板にある装備の美しさにしきりにみとれて、しばらく声もださずながめていました。
「美術館みたいな船だよね」仲谷君がそう言いました。
「ううん、どこの国の船なんだろう」山田君がそれに答えました。
富田秀典君という子がいましたが、彼は甲板の先端の方へ行くと海の白波をじっとながめていました。
富田君のほかの子供たちは、あの広い船室に入ると驚きの声をあげました。山田君は自分声がよく響くものですから、得意になって思わず一度、うわあっと声を出して響くのに聞き耳を立てています。澤口さんは壁の綺麗なビロウドによりそうと、そっと手でなでて感触を確かめていました。仲谷君は部屋の中に何か面白いものはないだろうかとでもいった感じでぐるぐると歩きながら、興味のあるものに見入っていました。
貴志はすぐにあのゆったりとしたソファーに座り、船がいつ出発するんだろうかと待ちかねていました。
しばらくしてあの若い男の人が姿を現しました。
「さあ、出発します。おや、富田君がいませんね。貴志君、呼んできてくれますか」
すぐに貴志は富田君を船室に連れてきました。
「みなさん、船が動き出すのに少しゆれますから気をつけてください」若い人がそう言いました。
船がすうっと海面に降りると、ばしゃん、ばしゃんと波を押しのけ静かに着水しました。すると甲板の真ん中に立っている太いマストの帆がするすると上がると、ばんっと音を立てて順風を帆に受けました。
帆船は勢いよく進み始め、大海へ身を乗り出そうとしたそのゆれで、子供たちは転びそうになりました。貴志は海が見たくなってたまらなくなりました。
「ねえ、ミカエルさん、甲板に出てもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
貴志は甲板の方へと急いで向かいました。海の波がざっざっざあと音を立てながら船首にかき分けられ、白い波が立ちあがるのに、胸がすく思いがし、それがこれからなにか自分の新しい出発の時を迎えてるような思いがしました。
澤口さんはキッチンの部屋を通り過ぎ、船尾の方のデッキにでるとみんなに聞こえるような歓声を上げました。「わぁあ、すごくきれいよ」その声を聞いて子供たちはみんな急いで船尾のデッキへ駆けよりました。船尾から八の字になって連なる小さな波頭に陽の光がきらきら反射して、なにやら夏休みでバカンスにでも出かけるような気分です。
「ねえ、わたしたちがいた港ってどこだったのかしら」澤口さんが山々のつらなる陸地から、港のあったあたりの岸をながめて言いました。
「どこだろうね。もう見えなくなっちゃったね」貴志が答えました。
「帆船に乗るのが初めてだから、嬉しいよ」仲谷君が言いました。
「あの三羽のカモメはなんだろうな。さっきからついてくるんだよな」山田君がカモメが空高く飛び上がり、次には海にもぐって泳いだりしてついてくるのをながめていました。
「カモメになにか餌をあげたいね」富田君がそう言いました。
「海で泳いでいる時は、イワシでも食べてるんじゃない」仲谷君は海面に泳ぐカモメを指さしました。
海はとてもおだやかで船出には最高でした。太陽の陽射しがデッキや手すり、船室の壁、そして子供たちの背中にもにぶあつくあたって、フライパンの底をじわじわと焦がすような陽気でした。
しばらくの間、彼らは大海の景色をながめていました。遠方に広がる青波と白波がいくつも重なって、模様ができたり消えたりするのを見ていてもなぜか飽きないのは、海がとても神秘すぎるからかも知れません。
船は力強く進み、速度を落としませんでした。
「みなさん、食事の用意ができましたよ。こちらへどうぞ」ミカエルが子供たちに呼びかけました。
テーブルには食事が並んでおりました。子供たちが思い思いの席に着いた眼の前には、高くつまれたホットケーキとココアの入ったコップが並んでおり、太くて大きいソーセージやサラダもそえられていました。
「君達の口にあうものと思って用意したのですが、どうでしょう。お代わりもありますので、遠慮しないで食べてください」
ミカエルの話を聞いて子供たちは食事を取り始めました。みんな朝から何も食べていないものですから、とてもおなかが空いていたので、テーブルに並んでいた食事はほとんどぺろりと平らげてしまいました。子供たちはお腹が満足するまでお代わりをしました。そしてお腹が一杯になると先ほどのデッキへまた戻って、海の景色をながめたりしました。
空が少し曇りだし、潮風がしだいに強くなってきました。船が大きくゆれ始め、そのゆれに耐えながら体を支えるのがやっとでした。それで子供たちはあきらめるようにデッキから船室へと戻りました。
船が大きくゆれても若い人は何事もないような顔で、あの豪華な黒水晶の部屋で子供たちを待っていました。この部屋にくると子供たちはみな足が浮いている感じがして、夢でも見ている気分になり、なにか力が湧いてくるのです。
「さあ、みなさん椅子に着いて下さい。これからカナンという国ついてあなたがたにお話ししたいことがあります」
子供たちはめいめいソファーに座り、若者の声に耳をそばだてました。
「カナンという国は良心をつかさどる大切な国なのです。そのため国民の多くが善良で温和な人達ばかりです。そしてカナンの国は軍隊を所有しようとはしません。
私の国ベテルはカナンと条約を結んでいます。それは私の国がカナンを守ることによって、良心を守ることになるからです。
カナンから少しへだたった所にモアブという国があります。この国の領主はいつもカナンの国を自分の領土にしようとねらっています。
なぜなら義の国であるカナンの国王は良心の基なので、この国王を捕えて良心を滅亡させてしまおうと考えているのです。
皆さんには基という言葉は難しかもしれません。私たちの世界はカナンの国王がいることによって良心の心が芽生えるようになっているのです。今まで何度もモアブの軍隊がカナンに攻め入ろうしたのですが、私の国の軍隊が阻止してきました。
カナンの国王シオンは勤勉でとても真面目な王なので国民から深く信頼されています。また、私の国民からも非常に尊敬されています。ところで今、新たな問題が起こってしまいました。今度はソドムという国の軍隊に、シオンの息子ヨナタン王子が生捕りにされてしまったのです」
さきほどから船は大きくゆれ、風の音もびゅうびゅうと鳴っているのですが、雨だけはまだ降ってはいないようでした。ミカエルは一息つくとまた話を続けました。
「国王シオンは私の国ベテルに親善のため、妃のラハブ女王とヨナタン王子を連れ立って年に一度、来られることになっていたのです。今年の春ごろ、シオン王は急用で来られず、ラハブ女王とヨナタン王子だけが訪問してくることになりましたが、旅中にソドムの軍隊に奇襲され、女王と王子が連れ去られてしまいました。
その時はカナンの宮中の者が数名、ヨナタン王子を護衛するためにお供をしていたのですが、武器もささいなものしかないために全員が殺されてしまいました。
ソドム国の王はベラとういうのですが、なぜこのようなことをしてきたのか。それはベラ王がモアブの王バラクの家来のような立場なのです。バラク王を喜ばせたいがために、ベラ王はカナン国の世継ぎである王子ヨナタンを亡き者にしようと考えたのです。それがベラ王とって、この世界の未来から良心を消してしまおうとするバラク王への忠誠なのです。
厳しい冬を迎える時期に、私の国ベテルとモアブとの間で大きな戦争がありました。その戦で、私たちはソドムのベラ王の軍隊からカナン国を守るのが手薄になってしまいました。ソドム国は遠方でしたので、今まではソドムの軍隊がカナンに攻めて来ることはなかったのです」
船窓から見える空はすっかり曇り、薄墨で塗られたようにどんよりとしています。
「私の国の王オグはラハブ女王とヨナタン王子をどう救おうか考えあぐねたすえに、私を使わしてあなたがたをここへ導いたわけです」
澤口さんがたまらず聞きました。
「ミカエルさん、私たちにその女王様と王子を救えと言っているんですか」
「そうではないのですが、手助けをしてほしいということです、私たちの国の兵士ではソドムの国に侵入するには、すぐに怪しまれるので困難です。みなさんたちでしたら、ソドムの国へ入っても怪しまれることのない方法があります」
「ぼくたちは子供だし、力もないし。その王子を救えるようなことなんてなんにもできっこないよ」山田君が不きげんそうに言いました。
「どうしたらその王子を救える方法があるんですか。それに、お妃や王子のいる場所も一緒かどうかもわかってないんですよね」仲谷君はどうしたものかと考えながら、ミカエルそう聞きました。
貴志はなんともしれず胸が高鳴るのを感じました。王子を助けることが自分の使命のように思えたからです。
「皆さんがどうやってヨナタン王子とラハブ女王を救えばいいのかと思うのも無理はありません。でもこれからは私の教える通りに行えば救うことができます」
ミカエルは自分の椅子の横から、いつの間にか用意した布製の地図をテーブルの上に広げました。
「この地図はソドム国の地図です。東の方には海が広がっており、少し内陸にソドムの城さいがあります。ソドムの城さいは回りを高いはげ山で囲まれています。皆さんはソドムに入国する時、港の兵士に何者かと聞かれるので、モアブから来た神官だと答えてください。
ソドム国の住民はほとんどが兵士です。ソドムに訪れる人々や普通の住民は首都の外側にあるゾアルという街にわずかしか住んでいません。そしてこの国ソドムを支配しているのがモアブという国なのです。皆さんはモアブの王バラクに使わされた神官の特使として来たと言えばなんとか入国することができるでしょう」
「でも、僕たちのような子供の姿をみて、そう信じるんですか」貴志がけげんそうに聞きました。
「それに神官って、どんなことをするのかも知らないんだし」仲谷君もちょっとためらいがちに質問しました。
「大丈夫。モアブの君主バラクの命により、東方の国から来た預言者だと言えばいいでしょう。ソドムの王ベラは満月になる前日の夜にモアブの神官を招いて祭事をするのです。ですからモアブから使わされた神官は厚くもてなされるのです。
ソドムに入国できたら、まず商人が住むゾアルの町に行くことになるでしょう。ゾアルには侵略で領土をうばわれた国の商人たちが、品物を納めるためにこの町にやって来ます。町には何軒かの宿がありますから、そこに泊まるといいでしょう。
翌日はソドム城に行くことにななります。そしてこの子犬も一緒に連れていくといいかもしれません」
ミカエルは薄茶色に白いぶちの子犬を抱えていました。
「この子犬はヨナタン王子がいつも身近において可愛がっていたペットです。城に入ったあと、君達が会ったことのないヨナタン王子を、この子犬が教えてくれるかもしれません」
ミカエルはあの大きな柱時計の方を振り向き、2時を指している針をながめながら子犬の頭をやさしくなでました。
「さて、だいぶ話が長くなってしまいました。みなさんも少し疲れたでしょう。続きはまた明日にして、休んでください」
ミカエルはそう言って立ち上がると、食堂の方へと言ってしまいました。
山田君は貴志の方に近づくと、眼をぎょろりとさせて「山本はあの人の言うように、王子を助けれると思えるのか」と言い出しました。
「えっ、たぶんなんとかなるんじゃないかな」
「なるわけないだろ。死ぬかもしんないんだぞ」山田君がせきをきったように言い返します。
「そんな風に言わなくてもいいでしょ。なんか可哀そうだし、やっぱ助けなきゃ」
澤口さんが貴志をかばうように言いました。「でも、城に入ったからってどうすればいいんだ?ミカエルさんは何も言ってなかっただろ」
「そうだよね、どうすればいいんだろ」富田君が仲谷君の顔をちらっと見ながらため息をつきました。
「大丈夫じゃない。ミカエルさんも一緒だし。なんとかなるんじゃないかな。うまく助けれると思うんだけど」貴志は船室の丸い窓から、大きくうねる波をながめながら答えました。
日も暮れ、子供たちはミカエルとともに夕食をとりました。夕食はとても美味しいスープや、チキンの丸焼きのご馳走だったのですが、あまりみな食がすすまないようでした。そこでミカエルは子供たちに向かって話し始めました。
「みなさん、だいぶ悩んでいるようですね。もしみなさんがヨナタン王子とラハブ女王を救いに行くのにあまり気が進まないのでしたら、今からでも船の進路を変えて、もときたあの港へ帰ってもいいんですよ」
貴志や子供たちはミカエルの急な話に戸惑いました。そんな言葉がでてくるとは思わなかったので、頭の中が白くなったようでした。それからみな、ミカエルの問いに答えることもできなく、なんとなく重い気分で食事を続けました。
子供たちが食事が済むのを待ち終わると、ミカエルは立ち上がって彼らを船尾の方にあるバルコニーの階段へと招きました。その船底へと続く階段を降りて、途中の廊下から寝室へと向かいます。海面はもうすでに暗くて見えず、夜空と海の切れ間にも星がいくつか輝いてるのですが、天の川がまるでシャンデリアの帯ように空に張り付いて、しっ黒の天空でらんらんとしているのです。子供たちはこの夜空の照明を見上げて歓声を上げると、あわててミカエルの後へとついて行きました。
船内に下りて行きますと長い廊下があり、階段はさらに折り返って下へと続いていきます。
廊下の両側にはいくつもの部屋が並んでいました。廊下の天井からはランプが3個ほど間を置きながら吊下がってゆらめいていて、子供たちを招いているようです。
「山本君と富田君はこちらの部屋を使って下さい。山田君と仲谷君はその隣の部屋を。澤口さんはむこうの部屋で寝て下さい。洗面所はこの廊下の奥ですよ」
ミカエルはそう説明すると「みなさんがここで私と出会い、この船に乗っていることはとても意義あることです。でも皆さんがもし帰りたいと言うなら、引き止めはしません。カナンのシオン王は私に子供たちが来ることを嫌がるのであれば、無理強いしないようにとおっしゃられました。王子と王女が犠牲となっても、カナンやベテルの国民の安全が大事であると言われたのです。ですから皆さんが帰るのであれば、もう二度と私と会えることもありませんし、この船に乗れる時がくることもないでしょう。みなさんには勇気をもって良心を救うために力をかして欲しいのです。それではおやすみなさい」
子供たちはミカエルにそう言われると、なにかしょんぼりした雰囲気で寝室へと入りました。貴志と富田君も教えられた部屋に入ります。
部屋の雰囲気は貴志が初めて見るものでした。経験したことはないのですが、立派なホテルの部屋ってこんなだろうかと貴志は感じていました。とても大きなベッドが二つ並んでいて、床は厚めのじゅうたんで、裸足でもとても気持ちがよさそうでした。貴志はすぐに靴を脱いでみました。足の裏でじゅうたんのふかふかした心地よさに、今日の疲れが飛んでいく感じです。
「ねえ、あのさ。家で起きた時のこと覚えているかな」貴志は富田君に聞きました。
「うん、覚えてる。起きた時は、家に誰もいなかった。外へ出たらまだ夜だったよ。家の回りが草ぼうぼうでね。そしたら大きな柱時計が道に立っていたんだ。あんまり不思議だから、僕かなりのあいだずうっと見ていたんだよね」
「へええ、僕も見たよ。大きくて、古そうなやつだよね。いったい、あれなんだろうね」
「そう、貴志君も見たんだ」
「僕、今でも夢をみてるような気分なんだよ。なんでだかよくわかんないんだけど」
「ほんと、まるで夢の中だよね。でも、王子様を助けに行くっていいよね。やっぱ、助けに行かなくっちゃね」
「えっ、うん。そうだね」
富田君はすっとロッカーのところへ行くと、扉を開けました。中にハンガーがかかっていたようで、富田君は服を脱ぎ始めました。ハンガーに脱いだ服をかけると奥の方から空色のパジャマを取りだして、それに着替え始めました。
「山本君も着替えたら、パジャマあるよ」
「ううん、そうする」
貴志はパジャマに着替えている間に、富田君にもう寝ようかと聞こうとしました。富田君はすでベッドに入り込み、静かに寝入ったようでした。貴志は船窓のある壁側のベッドにもぐりこむと、おやすみと富田君に小声で言いました。
貴志は丸い窓の外をながめ、暗闇が広がりながらも、なんとなく海面と闇が分かれているのが見えるような気がしまました。海の水平線と空の境目はまったくわからないのですが、眼の下の海面は月の薄い明かりが波間に時々反射して、闇に吸いこまれそうな気分になります。貴志は体の向きをなおすと、早く寝ようかなと思い、眼をつぶりました。
朝、お日様の光りが丸い窓から二人が寝ている部屋に厚く差し込んでいました。からん、からんと呼び鈴が何度か鳴ると、こんこんとノックの音がしました。ドアが開かれると
「おはよう、起きて下さいね。顔を洗って支度をしてください」ミカエルがドアのすき間から顔をのぞかせて、二人に呼びかけました。
二人が起きて廊下に出ると、他の子供たちもそろそろと廊下に出てきていました。子供たちはおはようとあいさつしあうと、洗面所で顔を洗いました。
そして子供たちは寝ぼけ顔で食堂へと向かいました。デッキの上にでると、あまりにもお日様がまぶしく輝いていたので、子供たちはみな眼を細めました。太陽の光はどの方向にも反射してうるさいくらいです。澄み切った青い空にも、広く晴れ渡る青い海のどこにでも陽の光が満ちあふれています。さらに光りの魚の群れが子供たちに体当たりしてくるのです。それで子供たちの眼には、まつ毛がいくらか濡れていたのか、光りの鱗がたくさんついているように見えて。虹色にきらきらと輝いて見えます。
富田君はデッキの手すりによりかかると、しばらくのあいだ海をながめていました。聞きなれた船に当たる波音も、なぜかすがすがしい朝のせいか新鮮に聞こえます。
「富田君、みんなはもう席に着いて、君が来るのを待ってますよ。さあ、食事にしましょうか」
富田君はミカエルにそう呼びかけられると、後につづいて食堂へ行きました。
富田君が席に着くのをみんなは待ちかねていました。子供たちは朝食を済ませると、船のデッキに集まり、さんさんと輝く太陽の陽を浴びる海をなんともなしにながめておりました。お日様の光がときどき波間をきらめかせてるとき、海が子供たちになにかを語りかけてでもいるかのようです。
「山本君、さっきから海がね、僕に気をつけて行ってきなさいって話しかけてくるんだよ」
「えっ、ほんとに」貴志には波の音しかしないのに、富田君はいつもだけど、ちょっと変わってると思いました。でもそのままにしておいたほうがいいやと、貴志は気づかいました。
船はゆるやかに上下にゆれるので、子供たちはそのゆれに体を合わせるのも、なんだかとても楽しいのです。
「さあ、みなさん。船首の向こうにソドムの国が見えてきましたよ」
ミカエルがそう子供たちに呼び掛けました。
子供たちは船首の方へと急いで駆けよりました。はるか彼方にぼうっとした陸地が連なって見えます。それはしんきろうのように灰色にくすんだ大地が、無表情に子供たちを待ちかまえているようでした。ぽつっと何か黒い点が動いているように見えます。
「向こうに小さく黒く見えてるのは貨物船でしょう。その貨物船の奥のほうにソドムの港があるんです」
港はまだ全然見えそうにはありませんでした。カモメが数羽、この帆船の後ろに集まって飛んでいます。
お日様は真上というよりも少し西にかたむきかけてるようでした。デッキの手すりの影が少しななめになってきたのです。その陽の光と水平線とで隠れて見えなかった一隻の帆船が、南の方から現れてきました。
その黒くて小さな点だった帆船がこちらに向かってだんだんとせまってくると、ついには眼の前までやってきました。現れた帆船は貴志たちの乗っている帆船の二倍くらいはあって、白色にぬられた船体は立派なものでした。大きなかますの荷をいくつも沢山に積み込み、ゆうゆうと進んできました。白い帆船がこちらの船の横へ近づいてきた時、何人か仕事をしていた船員が手を休めると、こちらに向かって歓声を上げました。すると奥から一人かっぷくがよく、えんび服をきた男が現れました。
「やあ、お久しぶりだねミカエル。今日はとてもいい天気だ」
「こんにちはアリエル。ぴったり約束の時間通りだね」ミカエルが大声で答えました。
「ベンジャミン、ロープをミカエルの船に渡してやってくれ」
「了解。船長」そう言うと一人の船員が太いロープをこちらの船に投げ込みました。ミカエルがそのロープをボラード(靴を逆さまにしたような柱)に巻きつけると、二隻の船は静かに寄りそうようにくっ付き始めました。さらに奥から、また一人の若者が現れてきました。
「さあ、ガブリエル。早くこちらの船に乗りたまえ」そうミカエルにうながされた青年は、頭巾のついた焦げ茶色のマントをはおっていました。そのマントは麻の荒くて硬い感じの服でした。彼はミカエルより背が高くがっしりとした体格でした。
「大丈夫、ミカエル。今すぐそっちに行くよ」
そう言うとその青年は大またでこちらの船へと乗り込んできました。
「アリエル、ありがとう。今度会うときは、美味しい食事をご馳走するよ」
「ああ、楽しみにしているよ、ガブリエル。神のご加護がありますように。お気をつけて」
ガブリエルはアリエルに笑顔で応えるようにうなずきました。
「ミカエル、子供たちを紹介してくれるかい。早く名前を覚えて、それから練習もしないとね」
「わかった。その前にこのロープを解くのを手伝ってくれないか。ちょっと大変なのがわかるだろ。今にも海に引きずりこまれそうだ」
ガブリエルはミカエルのそばへ近よると力強くロープを引き、貿易船の甲板へと投げ込みました。
「ありがとう、ガブリエル。君がいると助かるよ」
「いえいえ、おやすい御用さ」
ガブリエルはくるりと子供たちの方に振り向くと、「さあ、子供たちを紹介してくれるかい、ミカエル」
「そうだね、じゃあ皆さん、こちらに来てくれますか。ガブリエルを紹介します。彼は見ての通り、私より体も大きく力持ちの青年です。私の幼なじみでもあり、良き親友です。今回私の代わりに皆さんに付きそってソドムに行ってくれます。ガブリエルはソドムのことを熟知しているので、皆さんの良き案内役になるでしょう」
ミカエルは子供たち一人一人に手を差しながら紹介を始めました。
「じゃ順番に紹介しましょう。山本君。山田君。仲谷君。富田君。澤口さんです。私の見たところでは、皆さんとても賢そうですよ」
「おおっ。それは頼もしい。やっぱりミカエルが選んだだけのことはあるね」
「私じゃない、オグ王が選任されたんだからね。さて、ガブリエルが来たところでソドムに入国してからの詳しいお話をしましょう。奥の船室でゆっくりしながらね。お菓子と紅茶を用意していますよ」
ミカエルを始めみんなは船室の方へ入って行きました。船室に用意された長いテーブルに全員が席に着くと、そこにはお菓子やケーキに紅茶などが一人一人に用意されておりました。
「さて、どこからお話したらいいでしょうね。
まずはソドム国へは、ガブリエルが皆さんと一緒に行きます。しかしそれは、皆さんがソドムの兵士たちに怪しまれないためです。ガブリエルを皆さんの捕虜として連れて行くのです」
「そんなことをしてガブリエルさんの身は大丈夫なんですか」澤口さんが心配そうにミカエルに聞きました。ミカエルは笑みを浮かべると、ガブリエルに答えるよう目配せをしました。
「心配はいらない。僕が捕虜の立場で君達と行けば、僕の身も安全だからね。
それで、これから渡すものはあなた方の身分を守ってくれるソドムへの通行証だよ」
そう言うとガブリエルは立ち上がり、子供たち一人一人にトランプよりひと回り大きく少し厚めの木片を手渡しました。その古びた木片には、頭にとがった三角帽子をかぶったピエロのような人形のデザインが真ん中にほどこされ、見たことのない文字が木片の上下に刻印されていました。
「その通行証はソドムとモアブの友好の証であることを表わしているんだ。この通行証は勝手に作られて粗末なように見えるけど、本物なんだよ。これはモアブの神官にのみ与えられる特別な力のある通行証だ。ソドムの国の兵士は凶暴で自国の民や兵隊でないとわかると、容赦なく襲ってくるのだけど、この通行証は凶暴な兵士を大人しくさせる魔力があるんだ」
「ええっ、凶暴ってどういうこと。噛みついてくるんですか」山田君がとっさにガブリエルにたずねました。
「噛みつかれてしまうかもね。それというのもソドムの兵士とは、亡くなった狼の亡骸を、モアブの王が魔術で兵士に変えたものだ。狼はその魂が安らかなところへ行けないのにいら立ち、凶暴になっているんだ。だからこの通行証をなくすと、すぐに襲われてしまうよ」
そう聞かされて、山田君は納得できないよという顔をして首を傾けました。
ガブリエルは続けて話しだしました。
「さて、ここからが肝心なところだ。君達はソドム王のベラに会ってこう予言するんだ。ヨナタン王子をここで生けにえにささげると悪運が訪れるかもしれませんと。それは神、バールのみ心にかなわないからです、と言うんだ」
「バールって何なんですか?」仲谷君が興味深い眼をして、ガブリエルに問いました。
「バールと言うのはソドムの人々が信仰する神のことだよ。ソドムが相手国を侵略する前に神官に祭礼させるのだけど、このバールと言う神に勝利の神託を受けてから戦争するんだ。
それで、君達は神官としてベラ王に、ヨナタン王子をモアブに連れて行き、そこでとり行う祭祀により、神バールにいけにえとして捧げることをバラク王も望んでいると進言するんだ」
「ガブリエルさん。僕らが神官になって王子をモアブに連れていく話をしたら、余計になんだっけ、ベラ、ベラ王を怒らせてしまうんじゃないか思うんですど」
そう富田君はガブリエルに真意を聞こうとしました。
「そこが僕らの眼のつけたところなんだ。バールの祭事を行う前の日に、僕を生けにえにささげるようベラ王に進言するんだ。僕とヨナタン王子を交換条件にして、モアブの王のもとにヨナタン王子を連れて行くようにとバール神からお告げを受けているとベラ王に話すんだ。君達の預言を受け入れたさせることができたら、君達が神官として信頼されいる証拠だ。そこにすきが出て、ヨナタン王子とラハブ女王を助ける道が開ける。僕の話を信じて欲しいんだ」
子供たちからの返事はありませんでした。
たぶん、ガブリエルの突拍子な話が難しかったのでしょうか、困惑した感じです。
「じゃあ、これから神官の練習をしようか」ガブリエルが、そう子供たちに呼びかけました。
「さっそく、神官の衣装に着替えて雰囲気になれておこうか。ミカエル、子供たちの神官の衣装はあるよね」
「ああっ、用意してある。今持ってくる」
しばらくするとミカエルは、ガブリエルが着ているのと同じようなフードのついた衣装を持ってきたのですが、色が少し違っていました。胡桃(くるみ)のようなしぶい、でも愛らしい雰囲気の色でした。
「それじゃみんな、これを上にはおって神官の気分になれるよう練習するよ」
「あの、神官の練習をするには時間が足りなくて、上手くいかないように思うんです」仲谷君が、不安げに聞きました。
「さっ、そんな弱気な考えはもう終わりにしよう。僕たちはもう後には戻れないところに来ている。時は待っていないよ。
さあみんなでやるよ、両手を上げて、こうするんだ。神バールをあがめ祭るんだよ。そうしてこう叫ぶんだ。偉大なるかな神バールよ。栄光なる力で天地と我々を支配する神バールよ。私たちの声を受け入れたまえ」
子供たちは恐る恐る後に続いて声を出しました。「偉大なるかな神バールよ。栄光なる力で天地と我々を支配する神バールよ。わっ、私たちの声を受け入れたまえ」子供たちは後に続いてなんとか言ようとしているのですが、ごにょごにょとして聞き取れません。蚊の鳴くような声でした。みんな友達の顔をうかがいながら、ばつが悪そうにしています。
「それじゃだめだよね。とてもソドムのベラ王を納得させられないよ。
さあ、もう一度僕の後に続いて。偉大なるかな神バールよ。栄光なる力で天地と我々を支配する神バールよ。私たちの声を受け入れたまえ。この祭壇に供えたガブリエルを。
んっ?そうだね、神バールにお捧げします。ソドムとベラ王に栄光をお与えください」
ガブリエルにはげまされながら、子供たちは祭事で神官の行うべき内容を、何度も何度も声を上げて練習しました。帆船がおだやかな海にただよいながらソドムの国へ向かうその日は、日の沈むころまで子供たちは練習を続けたのです。
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