Packet 30.報酬【平穏】

 マンションから離れた踏御たちは、そのままの足で繁華街のとある一角へと足を運ぶ。現代風の商店が立ち並ぶ中でポツンと建った木造の店舗は、悪く言えば浮いていて、よく言えばコテージやロッジのようで趣が感じられる。

 そんな人の目をひくことに成功している店の看板には、厳格という言葉が思い浮かぶほどに達筆な『龍神』という感じ二文字が幻想的な絵に囲まれて更に異彩を放っていた。


「改めて見ると凄いですね」


「なにが?」


「店ってこんなにイメージが出るんだなって。デザインは蛍さんっぽいし、店名だけでなんていうか冬治さんっぽいのが伝わってきます」


「確かに力説する蛍さんと店名に悩む冬治さんが容易に思い浮かぶね。お店の人と知り合う経験ってあまりなかったから、こういう見方が出来るのは新鮮。あの絵は以前は無かったけど、蛍さんが描き足したのかな?」


「蛍さんが描いたにしては少しファンシー過ぎるような気も──」


「あの絵はアイラが描いたのよ」


 背後から突然の声に二人は肩を跳ね上げる。声の主はそれに悪びれた様子もなく、元気に手を上げて挨拶をする少女の隣で呆れた素振りを見せていた。


「いちゃつくなら店の中にしてくれないかしら?」





 前回二人が来店した時と打って変わり、店内は様変わりしていた。

 あれだけあったカップル席はその垣根を失い、家族や学生グループがエアコンの効いた室内でくつろいでいる。注文された品々も昼食として食べられているものが大半で、春先に店内を埋め尽くしていた甘い香りはなりを潜めていた。

 そんな変化に目を泳がせていた二人も焼き飯や冷やし中華を頼んでおり、今の今まで口を開かなかった天戸は、待ってましたと言わんばかりに焼きそばを平らげ、デザートの一皿目として氷菓子を口に運んでいる。


「えっと、こちらの方が以前助けたっていう人?」


「そういえば直接会うのは初めてでしたっけ」


「カルエでいいわ、年の近い相手に堅苦しいのは嫌でしょう?」


「そういえば蛍さんは?」


「今日はお祭り関係で此方には顔を出せないそうよ」


「次はこれを頼む」


 着ていたノースリーブから赤い給仕服へと着替え、先ほどからカルエは店員として踏御たちの注文を受けている。くだんの件で阿連たちの世話になっている二人は、彼女たちなりに受けた恩義を返していた。ここでの仕事も実益を兼ねたその一つだろう。


「アイラちゃん、だっけ。あの子はウェイトレスじゃないの?」


「あの子は喋れないから別の仕事」


「ごめんなさい」


「どうして謝る必要があるのかわからないけど──そうね、折角だしステージでも見ていけばいいんじゃないかしら」


「ステージって、あれ?」


 布津巳が指さしたその先には、ピアノが置かれた小さなステージが一つ。まるでゲームや中世の酒場で演目を披露する場所は以前の店内には存在せず。明らかに改装したひらけたスペースは、喫茶店には不釣り合いな場所だった。


 暫くすると店の奥から青い給仕服に着替えたアイラが顔を出す。それだけで察した常連が拍手を始め、彼女は照れた様子で彼らに会釈を返してステージに上がる。

 踏御たちを含む事情を知らない客たちも拍手を向けられた先に目を向け、ピアノに向かう彼女の演奏に興味が集まる。


 そうして演奏が始まると──


「すごい……」


 ふと零れ出たその一言が全てを物語っていた。


 仮に評論家がこの場にいたとすれば、この演奏を正確に評価する言葉が出ていたのかもしれない。専門的な知識や経験を元に下される評価は、称賛か批難のどちらなのかは凡人にはわからない。

 ただこの店内という小さな世界において、何も知らない客たちは口を閉ざし耳を傾ける事しか出来ないほどに、彼女の演奏は卓越したものだった。


「どうかしら?」


 追加の注文を持ってきたカルエの問いに答えるように、演奏を聴き終えた客たちから拍手が沸きおこる。それが答えと受け取った彼女は満足した面持ちで料理をテーブルへと並べていった。


「看板の絵もそうだけど、あの子は芸術的センスが人より優れてるの。今じゃこうやって注文取ってる私より稼いでるわよ」


「そうみたいだね」


 二人の気は合うのか、今日会ったばかりにも関わらず慣れ親しんだ友のように笑顔を交わす。

 そうして追加注文とアイラの乱入により両者は親睦を深め、連絡先の交換と終えた辺りでカルエの口からため息がこぼれた。


「アイラの臨時収入には助かってるけど、今月は出費が酷くて……日用品とか安く買える場所知らない?」


「あの時のお金ってもう使っちゃったのか?」


「そんなの使ってるわけないじゃない」


「じゃあそこから使えばいいじゃないか。アイラちゃんがオッケー出したんだろ?」


「あんた本気で言ってるの?」


 踏御の問いに呆れ果てたと言わんばかりにカルエは仕事そっちのけで布津巳の隣に腰を下ろす。席を譲ってくれた布津巳に礼を告げつつ、彼女が持ってきた天戸の五度目の注文品であるフライドポテトを齧りだした。


「いい、あのお金はあいつの口座に入ってる。ここまではOK?」


「ああ、それで勝負に勝ったから自由に使ってよくなったんだろ?」


「ええそうね。じゃあどうして現金の引き落としは一日に一万までなんて制限がついてるのかしら?」


「……無駄遣いしないように?」


「そんな訳ないでしょ、こっちの行動を把握するためよ」


「でも、勝てば自由にするっていうのは嘘じゃないって……」


 踏御は隣に座るアイラへ目を向けると、彼女は間違いはないと言わんばかりに首を上下に振っている。

 彼女の前で嘘をつくことは難しい。それはカルエが一番よく理解しているし、彼女もそれを疑ってはいない。


「じゃあここで質問、あいつの仕事はなに?」


「仕事──人を攫って人体実験?」


「研究よ研究、あいつは能力の研究と開発を行ってる研究員よ。本当なんであのハゲタカ野郎はこんな鈍いやつの友人なんてやってるのかしら」


「ハゲタカ?」


「あいつも言ってたと思うけど、人攫って人体実験なんて一介の研究員が秘匿できるものじゃない。上に大きな支援者パトロンが居るわ」


「つまり支援者に逆らえずやむなくって事?」


「そう、そうよ妃奈子! あんた以外皆察しがいいじゃない」


「悪かったな」


 研究員が本心で彼女たちを解放しようとしても、雇い主が認めなければ再び追われる身となってしまう。その時のことを考えて行動ルートや不審なお金の動きを見せないようにしているとカルエは語った。


「ただ、どういう方法でなのかは分からないけど、あいつらは私たちみたいなのがいる区間を特定する方法を持ってる。だから不用意にここを離れて条件を破る訳にもいかない。アイラもそれを望んでないしね」


「この都市を離れられないなら、使ってもいいんじゃないのか?」


「だからもしもの時だよ踏御君。もう一度追われる時になったとき逃げやすくするために普段の行動を見せないんだよ」


「流石ね妃奈子。付け足すなら不用意なお金の動きを見せないことで、“私たちはここで呑気に暮らしてます”ってアピールする為でもあるわ」


 真の意味で彼女たちが解放されるには、結局のところ支援者が消えてくれるか研究者がいなくなるかしなければならない。

 それが再び浮き彫りとなり、場の空気が落ち込もうとしているところをカルエは手を叩いて話を戻した。


「だからお金の節約のために何かいい方法ないかしら?」


「んー、私もそこまで詳しくないかな。踏御君はどう?」


「俺も節約に関してはなんとも──ただ稼ぐならやりようはあるんじゃないか?」


「バイトの掛け持ちしろとか言わないでね。これでも結構色々やってるんだから」


 疑いの眼差しを向けたままのカルエに心外だといった表情で返しつつも、踏御は思い付いた事をそのまま口にする。


「さっきの演奏みた感じだけど、例えばアイラちゃんなら有料でリクエスト受けて希望の演奏したり、お客さんの希望で絵を描いたりとかどうかな」


「あら、案外悪くないわね。アイラはどう?」


「うっ!」


 元気一杯に片手をあげて応えるアイラに満足げなカルエ。疑いの目が消えた事を確認すると、踏御はそのまま次の案を続ける。


「カルエは折角だし能力を活かした事で稼いでみたらどうかな。失くし物や迷子探しとか……あぁ上手く使えば手品とかでも稼げるんじゃないか?」


 悪くない提案だと思ったが、そこまで聞いたカルエの表情がみるみる曇る。何か言いたげなにぶつぶつと動く口に失敗したかと彼は構えたが、上り詰めていた言葉は口から吐く息へと変わり、憤りは彼女自身の中で諦めとして顔に浮き出ていた。


「まぁそうなるわね。いいわ、あとはこっちで考えてみる」


「あー、気分悪くさせたなら謝る」


「そういうのじゃないから気にしないで、割りのいい仕事で考えると私もそう考えたから」


 割りきれない気持ちに整理をつけつつ、カルエは踏御に感謝を告げて席を立つ。仕事に戻ろうとする彼女につられて踏御たちも店を出ようかと思ったが、そこへ話が終わるのを待っていた者から声がかかる。


「次はカツサンドとコーラを頼む。あと土産にチョコクッキーも」


「──天戸様」


「なんじゃ妃奈子」


「これ以上食べるなら天戸様にも何かしらで働いて貰わないといけなくなりますけど?」


 布津巳の声は物静かではあったが、彼女を知る者からは般若の面が背後に見える。

 さしもの食欲魔神もその気迫に胃袋が縮み上がったのか、我先にと店の外に逃れていった。


「お仕事の邪魔してごめんなさい」


「その分稼がせてもらったから気にしないでまた来て頂戴。奢るのはちょっと無理だけど、リップサービスなら喜んでするから」


「カルエ」


「なに?」


「さっきの話、日用品買うくらいなら別にカードを使っても大丈夫というか逆に胡麻化すのに使えないか?」


 どうしても気にかかり、踏御はもう一度だけ問いただすと


「そんなの私があいつの金で生活するのが嫌なだけに決まってるじゃない」


 さも当然といった顔で彼女はそう言い放った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Snatch/Packet ―Aの住人― 夢渡 @yumewatari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ