Packet 29.報酬【日常】

 とあるマンションの部屋前にて──


「本当にここであってるんだよね?」


「蛍さんが言うにはおそらく」


「おぬしら仲が良いのではなかったのか?」


 踏御は蛍から渡された案内図に書き込まれた部屋の番号をもう一度確認する。あの見た目に反しては可愛らしい丸文字を不慣れながらに部屋番と見比べているが、その番号に間違いは無い様だ。本日五度目の呼び鈴を鳴らし、インターホンからは馴染んだ電子音だけが哀しく響く。


 早朝ではないにしろまだ午前中。寝ているのだろうと三人は出直そうとするが、ようやく拡声器の向こう側から女性の声が漏れ出した。やはりまだ寝ていたようで、眠たげな声に謝辞を述べ我妻の友人であることを伝える。

 向こう側の女性は軽い返事で承諾し、三人を迎え入れてくれるようだ。


「お姉さんいたんだね。チャイム何回も鳴らして悪いことしちゃったかな」


「俺も知りませんでした。あとで謝りましょう」


「はーい、おまたせちゃ~ん」


 扉を開けて三人を迎えた女性はやはり寝起きだった様子で、明るい色に染められた髪が朝特有の乱れ方をしていた。

 条件反射で謝罪と挨拶のお辞儀をしようとした二人だったが、とある事に気づき思考が停止する。


「わぁお三人も、友樹ともきちゃんも本当好きねぇ……あ、二回戦はちょっとまってね、こっちは今起きたところだから朝ごはんまだなの」


 固まったままの二人を置き去りに意味深な試合予告を告げた女性は、豊満なを揺らしながら翻すと、扉をあけ放ったまま部屋の奥へと戻っていった。

 健全な男としては眼福であるはずの光景ではあったが、全くの想定外から来る衝撃は認識を得るのに時間が必要だった。


「どうした二人とも、入らんのか」


 一人だけ平然としている天戸の声が正しく『下』着だけの女性に言葉を失っていた二人の思考を呼び戻そうとする。

 片方にのみ賞品がある再起レースは、みごと布津巳の勝利に終わり。敗者となった踏御には顔面平手打ちが授与される事となった。





「いやもう本当にごめん」


 先程までの喧噪は何処へやら、物静かなリビングに我妻の声が床に反響する。友人の土下座にいたたまれなくなった踏御は、赤くなった顔をさすりながら彼の勢い余る行為を諭した。


「こっちこそ突然来て悪かったよ。携帯繋がらなかったから直接報告しようと思ってさ」


「は? そんなはず無い筈だけど──」


 顔を上げた我妻の顔色が一瞬にして蒼白になる。慌てて寝室へと携帯を取りに走った彼が落胆にも似た悲鳴声を上げるのにそう時間はかからなかった。


「電池切れか?」


「いや、多分あの二人のどっちかに切られたんだと思う」


 彼の手によって強制退去させられた二人の女性。うち一人は踏御達を出迎えてくれた女性だが、どうやら家族ではないらしい。その事について我妻は深く語らなかったが、寝室から出てきたもう一人とその恰好を見た彼らは大体の事情を察してしまった。


「最近忙しくてさ、多分働き詰めだったの見かねてだと思う」


「そわりにはやる事はやっとったと」


「いやもうほんっとぉぉぉにすんません──って聞こえてますよね先輩?」


 彼の視線は言葉を発した天戸へではなく何もない中空を彷徨う。被害者であるもう一人の姿はここにはなく、天戸の姿がなければ帰ったと言われても疑わないだろう。


「別に責めとらんが、うちの主様には少々刺激が強すぎたの」


「返す言葉もない」


 春頃の出来事で受けた心的外傷トラウマは浅いものの、直接的な場面はやはり過敏になってしまうのだろう。我妻の度を越した謝罪もどちらかと言えば布津巳個人へと向けられていた。

 それが分かっているからこそ彼女もまだここに留まっているのだが、現在覚えたての技をもって潜伏を続けている。


 行き所の無くなった視線と場の雰囲気に耐えかねた我妻は、助けを求めるようにばつの悪そうな顔を友へを向けて助けを乞うた。


「とりあえず阿蓮さんとの一件は片が付いたよ」


「冬治さんから大体話は聞いてる。先輩とフミフミが無事でよかったよ」


「先輩と天戸様が来てくれなきゃ詰んでたけどな。てか阿蓮さんに報告した時も思ったんだけど、あんな突拍子もない話をよく信じてくれたよ」


「そりゃそうだろ」


「どういうことだよ」


「恨みつらみが身近にあるからだよ。俺たちみたいな一般人なんかよりよっぽど信心深いし、そうじゃなきゃ天戸様の話なんて信じてもらえないでしょうに」


 布津巳と天戸が隣町で踏御と合流する前、そして事件解決後の報告に行った際にも阿蓮邸で天戸は確かに注目を浴びていた。当初踏御は見目が良いからだと思っていたが、そう言われると天戸に対する阿蓮の態度には威厳を崩さないまでも一定の礼節が感じられた。だからこそ事件の原因解決に対しても、そうかの一言で終わったのだと彼はようやく納得を得た。


「とはいえあくまで人の世優先、事件解決出来てなかったら天戸様がどういった存在であれあの人は容赦しないけどね」


「今後安請け合いには気を付けるよ」


「本当だよ全く。今回みたいなのはこれっきりにしてくれないと、いつか我妻ちゃん泣いちゃうわ」


「悪かったよ」


 男の友情を確かめ合っていると突然人影が二人の間に割って入る。姿を隠していた布津巳が不貞腐れた顔で敷かれたカーペットの上で鎮座していた。


「それで、やることヤってた我妻君のお仕事は順調ですか?」


「いやぁハハハ──概ね順調ではありますハイ」


ね」


「あーいや、ほぼ完璧・大体OK・多分大丈夫!」


「珍しく歯切れが悪いな」


「実際後はもう交渉次第なんだけど、納得してもらえる案を考え中だったの」


「交渉?」


 我妻はおもむろに席を立つと、寝室から折り畳まれた用紙を持ち出し机の上で広げて見せた。綺麗に折り目のついた厚手の用紙には狐泉市の地図が載っており、なじみ深いそれには都市外周へと続く幾つものルートが赤い線で書き込まれていた。


「外周でなにかするのか?」


「いやいや、フミフミはもう見たでしょうに。隣町行く前に」


「見てるって、もしかしてあの時色々建ててたやつか」


「そそ、あれ実はうちと懇意にしてる企業さん達でさ、出店は都市外周を予定してんのよ」


「あれ、企業出店なら都市部の方が人も集まりやすいし良いと思うんだけどダメなの?」


「商店街との軋轢かなんかか」


「ふえん、フミフミやっぱ嫌い!」


 我妻によると今回の龍神祭は大規模なものにしたいらしく、普段ならスポンサーに回るだけの企業組を出店側へと呼び込んだ。

 そこまでは良かったのだが、いざ出店場所の話になったところで一般枠──つまりは商店街側の市民から待ったの声が掛かってしまった。


「商店街からは大手企業に参入されると稼ぎを持っていかれて面白くないと」


「んで企業側としては旨味がないなら参加する意義は無いってわけ」


 商店街側の本音としては今まで自分たちが商いを回してきたにも関わらず、新参者に大きい顔をされるのが面白くないのだろう。隣町ほどではないにしろ似たような状況になっているのは村社会故か人の性故か──だが彼らを尊重してきたからこそ今の狐泉市があると言っても過言ではない。


「それで企業の人はなんて言ってるの?」


「外周に設営するのは何とか呑んでもらいました。ただやっぱり祭りの中心部から離れすぎてるので、集客の見込める案がなければって難色を示されてますね」


「神輿の進行ルートに組み込むとか……そだスタンプラリーとかどうかな?」


「その辺りはもうやってますね。それでもまだ良い返事は貰ってません」


 飛躍的に発展しているとはいえ、外周部は未だ田舎の名残を色濃く残すほどに閑散としている。大手企業としてのネームバリューがあるため一定の集客は見込めるが、人の集まる祭りの場でその程度の集客だけなら納得などはしないだろう。


 先程まで蛇と蛙だった布津巳と我妻が肩を並べて頭を捻っていると、踏御は地図の上の赤いラインを指でなぞり口を開いた。


「これ、バスとか移動手段は出るんだよな?」


「ああ当然、そんなの決定当初には手配済みよ」


「じゃあさ、昼の部と夜の部を分けるのはどうだ」


 踏御の出した提案は昼と夜でその役割を入れ替えるというもので、龍神祭としての行事が昼に集中しているのを利用して、昼は都市部で商店街側が通常通りの運営を行い、その間外周部の企業側は祭りに疲れた人が休めるようなスペース造りを重視して昼夜でそれを入れ替えるというものだった。


「昼は龍神祭としてのイベントで夜は企業が力を入れたイベントを外周部で開催する。当然主となる側はお客にもう片方の優待チケットなんかを配布して移動を促すようにしてもいいし、互いが納得するなら主となる方に出店スペース用意してもらったって構わない」


「悪くないんじゃないかな、むしろ夜は夜で普段と違うイベントがあるなんて楽しそう!」


「どうかな──我妻?」


 楽し気に提案する踏御を余所に我妻は心ここにあらずといった様子で友の顔を見つめている。

 何度目かの呼びかけでようやく我に返った我妻は何事もなかったかのように踏御の提案を快諾した。


「多少手直しとかは必要かもだけど、これならいけると思う」


「これでやっと安眠の目途が立ったな」


「フミフミ?」


「ん?」


「──いや、そうやって積極的に意見出してくれて助かったよ」


「なんだよ改まって」


「いやいや本当、このままだったら漫画みたいに目の下に立派なクマ携えるところだったから友の優しさにドライアイも完治しそうな勢いよ?」


 いつもの調子に戻った我妻を交えた四人はひとしきり会話を楽しんだ後、気付けば太陽が真上に昇り天戸の腹の虫が鳴ったことでお開きとなった。


「このあと蛍さんところの喫茶店でお昼食べる予定だけど、我妻君はどうする?」


「すみません先輩、今回は遠慮しときます。この後この案持って相手さんと話し合わないと」


「そっか、あんまり無理して倒れないでね?」


「ご心配痛み入ります」


体を休めてね?」


「ハイワカリマシタ!」


 あってそう間もないうちにすっかり彼女に頭があがらなくなった男二人はそんなやり取りに苦笑いを浮かべつつもその関係に何処か嬉しさのようなものを感じていた。

 夏の一大イベントを四人で回る約束をした後、踏御たちは我妻の家を後にする。


「フミフミ」


「ん?」


「今年の龍神祭、楽しみにしとけよ?」




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