Repack 4.糸のまにまに
薊君が勝利を収め、私たちは再び果てのない廊下を闊歩する。先ほどと同じようにだが今度は明確に相手を意識して教室の引き戸を開けてゆく。
あの子はちょっとした脅しだと言っていたが彼女自身正確な時間が分からない以上、あまり悠長にはしていられない。
開いては閉めて開いてはまた閉めて──安易に決めてはいけない、こちらは一度でも負けることが許されないのだ。
「こっちの部屋のにーちゃん、わし見るなりガン飛ばしてきよったわ。話しかけたら呪い殺されるんとちゃうか」
「こっちも会話が成立しないわ、先生の方はどうですか?」
落胆ともとれる声に後押しされて私は教室内で書き取りを行っている生徒に視線を注ぐ。垂れた黒髪で顔は見えないが見目は年端もいかぬ少女のようだ。着物姿で体躯には合っていない机にかじりつく姿は先の彼女を思い浮かばせる。
少女もまた訳あって人の世を捨てたのだろうか、人を導く立場として慚愧の念に堪えない。
せめてもと私はその子に相手になってもらえるよう声をかけてみるが反応がない。余程集中しているのだと感心に思い、勉強風景をうかがうべく足音を殺して席へ近づく。
──悲鳴のような怖気が背筋に流し込まれた。
「ぁ──ッ‼」
声を出してしまったこと、後ずさってしまったことを後悔する。か細い叫びが少女の手からメスを奪い、机が床をこする音が彼女の興味をひいてしまう。
愛くるしくも人形のような瞳が
「おいでませ大きなお人、うちに何か御用?」
屈託のない笑顔をたたえるそれに言葉が消え、酷く中性的な声は安易な決めつけを掠れさせてゆく。
見た目では早いかもしれないが授業の一環としてそうした事を行っていたのだろう、学びの場としてさほど珍しいものではない。乾く喉をひきつらせながらどうにか深く息を通し、眼前の相手に対し私の方が異常であり失礼だと言い聞かせる。
そうしてなお私の本能が、未だ己が憎悪を晴らさんと手に喰らいついている半身の百足が警報を鳴らして止まない。
「どうされました、うちに御用があって訪ねてこられたのでしょう?」
「いや──ない、違うんだ」
「あらそうなのですね」
少し曇る相手の顔をみて良心はわずかばかり痛みを覚えたが、それを感じさせぬほどに今の私は与えられる安息に飢えていた。
急いでこの場を離れようと硬くなった体を動かし出入口へと足を運ぶ──運ぶ運ぶ、数歩の距離。入ってきた時と同じわずかな時間をかけて出入口を抜ける──抜けない。
足は確かに動いているはずなのに遠い、まるで扉にたどり着かない。
「でしたらうちとお話をして下さらない?」
何のことは無い、私の体は竦んだまま動けず気持ちだけが前へと進んでいたのだろう。そうでなければ先ほどと同じ場所に立っている相手に手首をつかまれるわけがない。
「わ、私たちには危害を加えないんじゃないのか⁉」
「え?」
「勝負以外で私たちには手を出さない決まりだろう。そうあなた方の先生が取り決めたはずだ!」
ましてや私は傍観者、勝負をするのはあの三人で私はただの観客に過ぎない。だというのにそれは私の心臓に喰らいついて離さない。
「うちはただお話をしましょうとお伝えしただけなのに」
「はな──し?」
「そうお話。だってお外の人なんて珍しいから、たくさんお話が聞きたいわ」
いったい何を恐れていたのだろうか、話す程度なら何も恐ろしい事ではないし、上手くすれば有益な情報を得ることもできるかもしれない。
これは未知との遭遇なのだ、怯えてばかりでは確かに話は進まない。
相手の提案に乗るために私は振り返る。日本人形のように整った出で立ちは怪談の定番に相違ないが、目の前のそれは生きて柔和な笑顔を向けている。
先ほどまでは知らず場の雰囲気にでも呑まれていたのだろう──ちくりと私の手に痛みが走った。
咄嗟に引いた手の甲には先ほどの百足が嚙みついており、心なしか私の目をじっと見つめている。まるで何かを伝えたいようで目を離すことができないでいると、まるで私自身が百足と一体化したような感覚に陥り気付けば自分の手の甲に足をつけていた。
半身をもがれ息も絶え絶えな私は、まるで目的地があるかのように必死で手の甲を駆け上ろうとする。瀕死の体に足りぬ足、そんな状態では満足に進むことも時間もなく、私は手首を少し上ったあたりで息絶える。
かすむ目の先で最後にとらえたのは小さな痣、まるで腐食したかのような毒々しい色で強調された小さな痣を最後に私はようやく視界を取り戻した。
白昼夢を見ていた私は先ほどの感覚が抜け去らぬまま、百足の軌跡を辿るように相手の手から私の手の甲、そして最後に見た手首へと視線を向ける。
「三人でお話しようと思っていたのに、残念」
私は吹き出るような汗を流しながら逃げるように体を翻す。
今すぐここから出なければ、今すぐあれから逃げなければ。
今度こそ確かに動いた体は生きるために出口へ向かう。歩いて走って脱兎の如く──這う這うの体になって目指した出入口。数百歩か数千歩か、いう事を聞かなくなった足はもつれ床へと倒れこみ、息を切らしのたうつ体は先ほどの百足を連想させた。
「そんなに息を切らしてはお話なんてできないわ、椅子に座って落ち着きましょう?」
「ま、まってくれ──私は勝負に参加出来ない、ただ観戦するだけの人間だ。つまりはどうあっても私に危害を加える事は出来ないし、それを君の先生は許さないだろう」
なんの確証もない口約束、私はそれに縋り目の前のそれをけん制する。
だがそれは倒れた私を何食わぬ顔で見下ろしながら首を傾げ笑って見せた。
「うちはあなたとお話したいだけよ?」
ようやく悟った、わかってしまった。
最初の出会いが幸運であった事。
対話という言葉が薄氷のように脆く千の意味を持つという事。
そしてここが人の世ではないという事。
私を引き起こさんと優しく差し伸べられたその手の持ち主は人形のような瞳で、変わらぬ笑顔でその手をつかむのを待っている。
わずかに屈んだ体は着物を蠢かせ、膝ではないどこかが着物を突き破らんと突き出ている。
変色した手首の痛さも忘れ、意識さえも消え入りそうなその時、ようやく外から声が聞こえた。
「先生、そんな恰好でどうしたんです?」
あれほど焦がれた入り口に見知った顔が見えた。私は恥も外聞もかなぐり捨てて大きく口を開け──
「あぁ、少し転んでしまってね。どうかしたのかい?」
「えっと、漆原君が相手を見つけたそうなんで呼びに来たんですけど」
「わかった、すぐに向かうよ」
きっとあの場で叫んでしまっては残りの三人も話し相手となるだろう。
えもいわれぬ化け物相手に生徒を危険に晒す事などできはしない。すんでのところで教師としての私が思いとどまらせ、同時に冷静さを取り戻すことも出来た。
「あいにく次の相手が決まったそうだ。私は君の先生が決めた勝負の行方を見守らければならなくてね、すまないが話をしている時間はなさそうだ」
これにまともな会話は成立しない。だが先ほどの問答からあの天狗の決め事に準じているのは間違いないだろう。
それは伸ばした腕を下ろし姿勢を正すと、乱れた着物を整えながら残念ねと予想通りの反応を示した。
「悪いがこれで失礼するよ」
平静を装いつつ未だ力の入らない足に喝を入れ何とか立ち上がることが出来た私は振り返ることなく出入口へと足を進める。
あれほど遠かった木製の引き戸にはものの数秒で私の手が届き足のかわりに戸をつかんだ手に力を込めて押し出すように体を教室の外へ追いやった。
ようやく出ることが出来た喜びと安堵感に感じていた息苦しさは霧散し、大きく息を吸い込んで戸から手を放そうとした。
「お待ちになって」
その一声で拭い去った怖気が舞い戻り、掴まれた右手は私の体を強制的に後ろへと振り向かせる。
そこには二度と見たくはない相手が先ほどと同じ表情で私のことを見上げていた。
「ご用事が終わったらまた是非来てくださいね」
「保証は、出来ないな」
「今日出会ったのも何かのご縁でしょうから、きっと大丈夫です」
「一期一会とも言うだろう」
「ふふ、うち蜘蛛ともよくお話するんです。だからきっとこのご縁は糸で結ばれておりますわ」
きっとその蜘蛛はもう生きてはいないだろうと思い、掴まれている手を引くがびくともしない。どちらかと言えば両の手で優しく包まれている程度にも関わらず、まるで壁に埋められたように掴まれた先が抜ける事はなく、次第に焦りを感じ始めた私は気付けば近くの壁に空いた手を置いて足に力を入れて引き抜こうと必死になっていた。
「きっとまた来てください。うちはここでずっと、ずっとずっともう一度戸を開けて下さるのをお待ちしております」
祈祷の姿にのせて紡がれた
痛みによって私は体の制御を失い、体についた火を消すようにして廊下の上を跳ね踊る。
一体どれほどの間そうしていたのだろうか、気付けば私の周りには見知った生徒たちが私を抑え込むようにして現実へと呼び戻してくれていた。
「あんまり遅いから迎えに来たんですけど、いったい何があったんですか先生」
「手、手がッ!」
「手?」
「手ぇなんかどないしたんです。別に何ともなってないみたいですけど?」
「えっ?」
言われてようやく私は腐り落ちたであろう手に視線を落とす。そこには確かに両の手が並んでおり、百足の目で見た痣の代わりによく知る古傷が自身の歳月を物語っている。
ぽっかりと空いた思考の穴に咄嗟に正面を見上げるが、そこには先ほどまで開いていた教室への入り口はなく、使われていない掲示板が廊下の壁を埋めていた。
「薊君、さっき確かに君は私を呼びに来てくれたよね」
「はい」
「あの教室は一体どこに──」
「あの教室ならあっちですよ」
彼女が指し示す方向は廊下を少し進んだあたり、確かに見える戸はどの教室も同じにみえる。
ともすれば私は悶絶躄地のまま知らずにこれだけの距離を移動していたのだろう。
「二人ともあの教室には近づかないように、あれは間違いなく化け物だよ」
「先生あの部屋で何かに会ったんですか?」
「何かって、君も見ただろうあの子供のような化け物を」
「私は床に転んだ先生しか見てませんよ?」
「今日は一際暇ねぇ」
彼女は今日何度目かのため息を零す。
普段からさぼる事で退屈を紛らわせていた彼女だが、今日はちょっとした催しのため教室の中で待機を命ぜられている。催し自体は諸手を挙げて歓迎したい彼女だが、来るかもわからぬ相手をじっと待つというのはどうにも性に合わないのだ。
出来る事なら自分から会いに行きたい。しかし命ぜられている以上ここで待つこと以外許されない。悶々とした感情は膨らみ続けるばかりで気付けば部屋中を歩いてしまっている。
「通い始めた頃は新鮮でよかったんだけどなー」
彼女は人の世に憧れていた。お上が学校を開くと聞いたときは大いに喜んだ。
結果として彼女が望むような場所ではなかったが、それは結局人の世ではないからだろうと焦がれる思いを強くするだけだった。
「昔は都によらば切るって感じだったらしいけど、今ならちゃんと化ければ大丈夫よ」
未だにあちらの世との関りを律している事に不満を抱きつつ、彼女はこの機会に人の世への進出を画策する。
あれやこれやと考えているうちに足はまた教室内を勝手に歩き出し、白髪が逆さに垂れ下がったあたりで部屋の戸が開いた音と獲物がかかった声が響く。かかった獲物が自分好みだと気づいた彼女は嬉しさを体全体で表現して獲物を捕獲した。
「で、これは一体どういう状況なんだい?」
集まった三人は簀巻きにされた漆原とそれに抱きつく相手を交互に見比べる。抱きついている彼女は満面の笑みで上半身を預けているが、そんな彼女にもはや抵抗をする意欲なく彼は口を開いた。
「えーっと、どうやら彼女俺たちの世界に興味があるみたいで──」
「私彼に嫁ぎます!」
焦れた彼女の突然の告白に沈黙する一同。ここに揃うまでに慣れてしまったのか、説明を遮られた本人は諦めの境地にいる。
「ケンタローどうしよ、わし今日ほどお前のことうらやましくないって思ったことないわ」
「俺も今お前がうらやましく感じるよ」
「すまないが状況が呑み込めない。順を追って説明してもらえないか?」
年長者の一声で渋々語りだした彼女の話はいたって単純な取引で、勝負で負けを認める代わりに対戦相手である漆原を後見人として人の世界へ連れ出して欲しいとの事だった。
「それでどうして結婚になるのさ」
「ずっと一緒にいるんだからそうした方が自然じゃない?」
「ずっとって言っても限度があるわ、それに私たちはまだ未成年だから結婚なんてまだ無理よ」
「めんどくさいわねぇ」
「大体ずっと一緒て肩凝るっちゅうねん」
「もう、じゃあ彼の家に住むってことで納得してあげる」
見た目だけならば妖らしさも相まって成人女性に見えるのだが、彼女の言動は幼子のそれに他ならない。
無条件で勝ちを得られる代価としては悪くはない条件ではあるが、その不相応な幼稚さが今の彼には引っかかってならなかった。
「少しいいかい?」
「なに」
「君は私たちの世界に憧れている。だから先生の言いつけを破ってでも私たちに連れて行ってもらいたい、そういう事だね?」
「先生の言いつけは守るわ、簡単な勝負をしてわざと負ければいいもの」
「なるほど、では仮に連れて行くとしよう。君は本当に人の世界で生きていけるのかい?」
「まかせて、これでも変化は得意なの。絶対にばれたりなんかしないわ」
「それだけかい?」
「え?」
「人の世界で生きていくということは人が定めた法を守るということだ。こちらの世界では許されていたことが許されなかったり、君が今持つ価値観が大きく食い違うことだって当然ある」
「そ、そんなの実際に住めば自然と慣れるものよ!」
「慣れるまでに君は一体どれだけ罪を犯す? それに今持っている強い憧れだって実情を知れば落胆に変わるかもしれない。その時君はおとなしく引き下がれるのかい?」
相違もなく爆発もしない、先ほど感じた怖気もない。子供を窘めるように着実に説き伏せて、ずれがないかを確認する。対話ができるから安全だという考えはすでに彼の頭にはない。
「私たちに連れて行ってほしいと乞うという事は君の先生たちは許可していないか難しい問題という事じゃないのかい? 先人たちを説き伏せるだけの理由がないのなら、君はまだこちらに来るべきじゃない」
「なによ、なによもう皆して大人はいっつもそればっかり! 行きたいって理由だけじゃだめなの⁉ やってみて初めてわかることだってあるじゃない! 正解だけしか許されないならあんた達は今まで一度も失敗しなかったって言うの⁉」
いよいよ我慢の限界だったのか彼女は手元に置いていた漆原を投げ出して思いのたけをぶちまける。
暴走する彼女の大きな下半身は暴れるだけで脅威となるが、その姿にはやはり怖気を感じえない。
どちらかといえば子を見守る親の心境で彼は彼女が落ち着くのをじっと待っていた。
「──もういいわ、それなら私と勝負して」
「こっちも勝てる勝負、だよな?」
「あんた達に決めさせてあげる。それであんた達が勝ったら素直に諦めてあげる」
「負けたら?」
「負けたら私を連れてって。どっちにしてもここで玩具として飼われるよりましでしょ」
校舎の裏手に到着した一同は早速勝負の為の準備を始める。生い茂る木々の枝に縄で吊るした幾つもの板きれ、大きさの違うそれらにはそれぞれ数字が書かれていた。
「さっきまで外に出れなかったのに」
「勝負や相手によっては中じゃ狭いことがあるから、私たちの許可さえあれば校舎の外には出られるわ」
「おーい、準備できたでー」
離れた位置に並ぶ板、対戦相手の手に握られた球。それは漆原が得意とする球を的に当てるという簡単な球技だった。
「彼らしいといえばそうだが」
「誰でも出来る競技だけあってちょっと不安ですね」
「ケンタローらしいっちゃらしいけど、まぁ捻りも小細工もないな」
最初の一投が投げられ大きめの板に当たる。当たった板に書かれた点数が漆原の点数として加算され、次に相手の手番へとまわる。
「まぁあいつの腕やったらそうそう負ける事はないやろ。相手は今日初めてやる言うてたし」
阿蓮が口にした矢先、小気味よい音をたてて板が揺らぐ。一番離れた小さな的、感覚をつかむための手慣らしもなく彼女の一投はそれを貫いた。
「本当に大丈夫よね?」
「こ、これからやこれから!」
そこからは続くに続く怒涛の投球。一投目で揺さぶられた漆原も持ち前の勝負強さですぐに持ち直し互いに最高得点を一転狙い。十を超える投球も外れる事はなく、互いに譲らぬ緊張感。
このまま終わることがないのではと思われた投球だったが、次第に息を荒げ始めた漆原の失敗が見え始め、一投目に開いた点数差はさらに広がり彼の精神を次第に追い詰めていく。
いよいよ失敗が許されなくなった彼の手番には誰一人、余裕の色が無くなっていた。
「ねぇ」
「なんや」
「彼あれ持ってるわよね」
「ポケットに突っ込んどるはずや、さっきから何回か手突っ込んどるから使うてはおるやろ」
「効いてないの?」
「知らんわい」
そうこうしているうちに投げられた彼の一投は気付けば的から大きく外れ木の幹に跳ね返って森の奥へ消えていった。
「私の勝ちでいいの?」
「──あぁ、俺の負けだ」
肉体よりも精神的に疲弊した彼の顔は一回り年老いたように疲れ果て、長距離を走り終えた選手のように大きく肩で息をしている。
初心者に得意としていた事で負けたのが相当堪えたのだろう、負けを認めた直後彼の体は大地へと投げ出された。
「勝ちは譲ってくれるんだったね」
「ええ、先生にはそう伝えとく。じゃないと外に出られないし」
そう答えた彼女の表情はどうも晴れない。何か不都合があったのかと彼らが訪ねようとする前に、彼女の口から意外な問いが漆原へと投げかけられた。
「どうして使わなかったの、持ってるんでしょ呪具」
「ばれてたのか」
「私見るのも得意なの」
彼は寝ころんだ姿勢のままポケットをまさぐり中に忍ばせた小さな鋏を投げ捨てる。
一見するとその鋏はただの糸切狭だが、断ち切るのは縁という名の運命の糸。効果こそ不安定でちょっとした悪戯にしか使えないものの、ひとたび効果が発揮されればそうなるはずのモノがそうならなくなってしまう。
くじが当たりならはずれを、出会いなら別れを、必ず当たるはずのモノにはそうならない可能性を……一撃必殺ではない道具だが、数をこなせる今回の勝負では確かに逆転の一手になりえたかもしれない道具。
「それを使えば勝てたかもしれないのに」
「インチキして勝っても嬉しくないからな」
「私たちの世界じゃインチキでもなんでもないわ、使えるものは使って勝つのは悪い事じゃないもの」
「俺たちの間じゃインチキなんだよ」
「ここは人の世じゃないわ」
「じゃあ君はなんでこっちのやり方で勝負したんだ?」
「何かする必要があった? 人はひ弱だもの、体を使った勝負なら小細工なんていらない」
「小細工なんて言ってる時点で君はこっち側で挑んでたんだよ」
道具を使った絡め手が正攻法ならば小細工などとは言わない。そう言った彼は鼻で笑うと大きく伸びをしてようやく大地から体を起こす。
立ち上がった彼の顔は勝者である彼女よりも晴れやかだった。
「もし私が勝ったらここであなたを飼うって言ってたらどうしたの?」
「変わんないかな、もともと俺勝負事で詐欺はしたくないし。君がよっぽど卑怯な手を使わない限りは変わんないよ」
「でもそうしたらあなたはずっとここで飼われるのよ? こんな人の子もいない化け物ばっかりの場所で……酷い扱いだって受けるかもしれない」
「そうしたらまた勝負するさ」
「勝てないのに?」
「勝てるように努力するんだよ。勝てるまで、帰してくれるまで頑張る」
「そんな理屈こっちじゃ通りっこないわ」
「そこはまぁ、創意工夫だな」
妖の世で生きていれば現実味のない彼の答えに彼女は年相応の麗しい笑みを見せる。人の世で暮らしたい彼女だからこそ人と接することで今この瞬間成長することが出来たのだろう。姿こそ違えどそんな風に笑う彼女の姿はこの妖の世において最も異端であり最も人に近いのかもしれない。
「あなたの名前、教えて」
「漆原 健太郎」
「私は女郎蜘蛛の
言われるままに右手を差し出すと白羅と名乗った女郎蜘蛛は蜘蛛の足で手の周りに器用に円を描いていく。ようやく終わったかと思えば、今度は自分の人型の手にも同じ動作を繰り返していた。
「なんかの儀式?」
「儀式と言えば儀式かな、私と健太郎を繋ぐ赤い糸って儀式」
詳細を求める漆原に彼女は意地悪な笑みを浮かべたまま背を向けると一人で校舎へと戻っていく。
「私ももう少しこっちで頑張ってみるよ」
「いや、頑張るのはいいけどさっきの何なんだよ」
「だから健太郎、ちゃんとそっちに行けたときは仲良くしてね?」
「仲良くって……俺はいいけど他の人とも仲良くしろよ」
「ん~、そっちの女の子とは一緒に買い物行きたい! そっちの男の子は……顔が変だから嫌ー」
「おっま、ふざけんなよ蜘蛛女!」
哀れ異端となった彼女は四人を背にその背を追うことを誓った。
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