Repack 3.世捨て人

「なーんやけったいなことになったなぁ」


 阿蓮君のぼやきが長い廊下を先走る。廊下に木霊するほどの広さはないが、まっすぐとのびたはずの声は返る気配すらなく見通しのつかない先へと消えていった。


「校舎ってそんなに大きくなかったよな?」


 漆原君の疑問はもっともで用途上一般家屋よりは大きいこの校舎も端から端まで歩くのに五分とかからない。

 それでも私たちの目の前には未だ先の見えぬ木造通路が続いているのは正しく狐や狸に化かされているのだろう。現に入ってきた昇降口が露と消える様を目の当たりにしている。

 勝負が終わるまで出すつもりなど無いのだろう。


「お、なんかここさっきまでとちゃうぞ」


 無造作に開かれた戸から中を覗くと部屋の壁一面には箪笥がずらりと並び、中央に並ぶ長机には見慣れぬ道具の他に古くには使われていた薬研などが置かれている。


「ここは……保健室か?」


 部屋に染み付いた独特の香りが鼻をつく。あまり利用できるものはなさそうだが、これまで見た教室と違いの姿も見えない。

 準備をするにはもってこいだろう。


「相手がどんな勝負事をするかわからない、手分けして使えるものを探そう」


 天狗と名乗ったあの化け物、ここで教師をやっているあれ曰く校内にあるものは何を使っても構わないらしい。私が矢面に立てない以上うかつに勝負を始めずに出来ることをしておくのが得策だ。


 とはいえ場所が場所、軽く見た限りでは使えそうなものが何もない。部屋の大半を占める箪笥には見たことがあるようなないような薬草や何かの内臓を干したと思しき乾物。

 保健室というよりは昔の医療所に近い品ぞろえだが、生憎と私はそちらの方面に明るくはない。一見して使えそうなものは机に置かれた調合器具類だが、武器として扱うにしてはあまりにも原始的だ。


「あーしんど、こんなもんいくら開けてもゲテモンしかでてけえへんで」


「せめて毒かどうかでもわかれば使えそうだけどな」


「あほぬかせ、なんで保健室に毒があんねん」


「漆原君、それ毒」


「うわっ!」


 薊君の指摘に慌てた彼は中身ごと引き出しを落としてしてしまう。放り投げるようにして地面に落ちた小枝はその身についた幾つもの白い殻を割り砕き、流れ出た琥珀色の液体は木製の床を薄黒く塗り替えた。


「薊君、こんなもの何処で見かけたんだい?」


「いえ、私も今初めて見ました」


「ほならなんで毒なんてわかんねん」


「これに書いてあったのよ」


 そう言って掲げたのは一冊の帳面。古びたというより焙られたように煤こけたそれには表紙に大きく文字が書かれていたようだが、焼け跡が酷く読み取ることができなくなっていた。

 注目があつまる中、彼女は得意げに腰に手をあてて私に言い放つ。


「先生、ここって保健室じゃないと思いますよ」





 登校時間が過ぎ誰もいなくなった廊下を一人の少女が歩いている。

 何処まで続くかもわからぬ廊下に不安を感じることもなく歩くその姿は模範的な学生といえるだろう。

 そんな彼女が授業時間にも関わらず廊下を歩いているには訳があり、それは幼い少女の顔を僅かばかりに曇らせていた。


「まったく、今度は誰の仕業かしら」


 今まで幾度もなく行われた行為だが彼女はこれが悪意ある行為であるとは思っていない。

 ここに通う皆は程度の差こそあれこういったが好きでやめられないのだ。だからそこに鼻をふさぐ腐臭はしないし今日はたまたま彼女の番というだけで、足取りは獣のように軽く彼女もまた遊びを楽しんでいた。


 今日は交流学習であまり長く遊んでもいられないので、館のせんせいの助力を借りて目的の場所へと繋いでもらう。

 部屋へと近づくにつれて静かな廊下に物音が混じり始める。まだ隠し終えていないのかとこっそり部屋の様子をうかがうと、そこに学友の姿はなく馴染みのない者が机を囲み話し合っていた。


「あなた達こんなところで何しているの?」


 音無しの来訪者に部屋の四人は体を跳ねさせ一斉に出入口へと視線を向ける。

 一瞬の間固まった場は彼女の姿を確認すると柔らかくなり一番背の高い男性が少女へ向けて言葉を返す。


「驚いたな、君もここに迷い込んだのかい?」


「迷い込んだ? 何を言っているの」


「私たちのようにここへ来たのではないのかい?」


「あなた達のように……と言えば確かにそうだけれど、今はここへ通っている身よ」


「通ってるって、ここは普通の学校ではないだろう。なぜ君みたいな子が通ってるんだい?」


「妖怪学校なのだから妖が通うのは当たり前でしょう」


「妖? だって君は人じゃ──」


 少女は合点がいったのか問答するのが飽きたのか、両手で長いスカートの裾を持ち上げ隠れていた自分の足を披露してみせる。

 陶器のような白い肌も枯れ木の古木も痛々し気な青色もそこにはない。あるのは毛・毛・毛──雄々しいほどに立派な獣の脚が彼女の体を支えていた。


「ご理解いただけて?」


「あ、あぁ……」


「見た目だけで判断するのは人の悪い癖ね」


「ほんで妖様がなにしに来よってん。わざわざ足運ばんでも待っとったらええやろ、そんなに勝負したいんか?」


「出会って早々に野蛮ね。別にあなた達に用があって来たわけじゃないわ」


 向けられる視線なぞどこ吹く風か、獣の少女はすたすたと部屋に入ると散らかった机の上から目的の物へと手を伸ばし──止まる。一呼吸おいて手に取られた帳面は彼女が書き溜めた知識の多くが灰となって隙間から零れ落ちている。


「大人がついていながら随分と酷いことをするのね。化け物の持ち物なんてどうしたって構わないという事かしら」


「何言ってるのよ、そのノートは最初からそんな状態だったわ。私たちのせいじゃない」


「あなた達しかいないのにそれを信じろと?」


「なんでも疑うのは妖の悪い癖じゃないかしら」


「ふーん」


 少女はその場で帳面を開き残された頁の検分を始める。帳面を手にゆっくりとめくるだけならば文学少女に相違ないが、長いスカートに隠された獣の足を四人はすでに知っている。

 天狗の言っていた通りであれば勝負前に危害を加えられることはないのだが、彼らがどういう倫理に基づいているのかわからぬ以上、教師である彼を含め誰もが彼女の次の一手に身構えている。


 そうして一通り確認し終えた獣の少女は煤を払うように帳面を閉じると、垂れた髪で見えなかった顔を上げ強張ったままの四人に対し口を開いた。


「ねぇ、私と勝負しない?」


「お前さっき用ない言うとったやないけ」


「用はなかったけれど勝負をしないとも言ってないわ。それに決めるのはあなた達なのだし、聞くだけなら損はないでしょう?」


「でも何で勝負するかはそっちが決めるんだろ?」


「負けられない以上、私達も慎重に決めたいわ」


 尻込みする三人に少女は首を捻る。先程までの無関心とは打って変わり如何にして自分と勝負をさせるかに執着する。

 ほんの少し前まで関心すら寄せなかったのにこの豹変ぶりは、誰であってもあからさまな罠と思わざる得ないだろう。


「でもあなた達、もとの世に戻りたいんでしょう?」


「そうよ」


「全員無事にそのままの姿で」


「当たり前じゃない」


「ならなおのこと私勝負しておいた方がいいと思うけど」


「どういう意味?」


「私みたいになっちゃうって意味」


 彼女はもう一度自慢の足を晒して見せる。獣の脚、よく見るとそこに荒々しさは無く櫛でとかしたかのように綺麗に整えられている。

 雄々しいと思われていた獣の脚は、確かに少女の足なのだ。


「ここは妖の世。本来居ていいはずの無いあなた達が永くとどまり続ければ私のように体に異変が出始める」


「まってくれ、じゃあ君は元々──」


「ええ、私は望んでこうなったけれど」


「そんな……じゃあ勝負なんてしてる場合じゃないじゃないか」


「安心して、そんなに早く影響は出ないから。でもあんまり悠長に相手を選んでいると体の何処かが変わってしまうかもしれないわね」


 何処までも続く廊下に並ぶ教室、登校時に見受けられた在校生は軽く見積もっても百は超える。

 時間さえかければ有利に運ぶと気にもかけなかった時計は刻一刻と制限時間に向けて時を刻んでいる。そう気付いた瞬間自然と目は各々の体へと向けられていた。


「勝負を受ければ断る事が出来ないのが怖いのよね、ならさっき疑ったお詫びに何で勝負するか教えてあげる。受ける前だから断っても構わないわ」


「──君は何で勝負するんだい?」


「この私のノートに記された範囲内で二つ試験をしてもらうわ。筆記は八十点、実技は私が用意した物と同じ呪具を作れればあなた達の勝ち、それ以下か作れなければ私の勝ち」


「テストかいな、わしは無理やぞ」


「まってくれ、そのノートにということは読めなくなった範囲もということか?」


「いいえ、ちゃんと読める範囲内だけよ。ちゃんと先生が仰った通りあなた達にも勝てる見込みのある勝負しかしないわ」


 勝負は学生にはなじみ深い筆記と実技であり、知識の違いはあれど煤けた帳面の解読範囲は狭い。

 聞く限りでは破格の申し入れだが賭けるのは我が身、阿連を除いた二人はそれでもあと一歩が踏み出せない。


「なんでも疑うのは妖ではなかったかしら。まぁいいわ、なら負けた相手の身の安全も保障してあげる。流石に元の世に戻すことはできないけれど、それくらいなら勝者の自由ですもの」


「どうしてそこまで……妖怪とかお化けって人を襲ったりするのが普通じゃないのか?」


「酷い偏見ね、良い妖もいるとは言わないけど悪意を持った妖はそう多くは無いのよ。私たちに共通しているのは無邪気、善悪は結果として残るだけよ」


「──わかった、じゃあ私がその勝負受けるわ」


 決心した薊は少女と正対し煤だらけの教科書を受け取り試験勉強を開始する。対する少女は残った三人と共に資材と道具を隣の教室へと運び込み試験の準備が開始される事となった。


「一ついいかい?」


「なにかしら」


「さっき君は妖の本質は無邪気だと言ったが、それならなおのこと意図が分からない。善悪が後から来るものだとしても君の言動は明らかに私たちの助けになっている」


「勝負が始まる前から随分お優しいのね。私のこれが罠や嫌がらせじゃない保証があって?」


「無い──が、君の先生が言った決まりは嘘ではないのだろう?」


「そうね、だからちゃんとあなた達が勝てる勝負をしてあげる。ほかの子たちも勝ち目のない勝負は仕掛けないし仮に仕掛けたと判断されれば先生からお咎めが来るわ」


 この学校において先生である天狗の言葉が至上であり絶対。裏を返せば鶴の一声で勝負の規則や条件も勝敗でさえどうとでもなってしまうという事なのだが、今の彼らの境遇ではそこを疑る事は諦める事と同義であった。


「私人間が嫌いなの、だからあなた達には早く帰ってほしい。でも私をここへ連れてきてくれた先生に逆らってまで追い出そうとは思わない。だから先生の決めた範囲で私に出来ることをしようとしているだけよ」


 それきりで会話を区切り彼女は三人を教室の外へと追い出してしまう。

 無邪気が本質だという獣の少女だが、その彼女の言動こそが無邪気だけでは言い表せない人間らしさがあるのだと、彼は最後まで人嫌いの少女に口添え出来なかった。





 資材を運び終えてから試験勉強に一時間ほど、次いで筆記試験の五十分が終わり今は問題を作った彼女自身が採点をしている。人としてはなんとかして薊君の手助けをしてやりたかったが、教師としては生徒の不正を促す行為は憚られた。

 そんなことを気にしている場合ではないのだが、試験中に見えた手書きの答案用紙は本当によく出来ており、あの子がただ悪戯に勝負を挑んできているわけではないのという事が私の愚行を踏みとどまらせるに至った。


「八十五点、筆記試験は合格よ」


 採点が終わり無事峠を越えた事に安堵するが試験はまだ続いている。阿連君は試験開始三十分ほどで既に興味を失い薬箪笥を漁っていたが、漆原君は思うところがあるのか私に付き合って試験の様子をうかがっている。


「じゃあ次は実技試験、あなたに作ってもらう呪具はこれよ」


 彼女のポケットから出されたのは小さな鳴子。一見するだけならただ木片を紐で縛って纏めたものだが、染料次第で六つの用途に分かれる道具でもある。

 そしてもう一つ特徴的なのはどの染料を使っても同じ色であり、見ただけではどの用途の鳴子であるのかわからないという事。


「出来上がったら実際に使ってみて、同じ作用が出れば合格よ」


 本来であれば染料に込められた力の色を見抜いて何の用途であるかを判別できるのだが、残念ながらそんな眼力など薊君も私たちも持ってはいない。

 つまり側だけは作れたとしても、付与する用途に関しては完全に運任せになる──確かにそうの彼女は言っていたのだ。


「出来たわ」


「それじゃあ鳴らしてみましょうか」


 乾いた木片がぶつかり合いカラカラと音を響かせる。試験官であるあの子が作った鳴子には小さな小人のような生き物たちが群がり、あらかじめ汚された机の上をその透けた体を使って掃除し始める。


「次にあなたの番」


 薊君の鳴子が音を鳴らし同じように小人が汚れた机の上に集まりだす。

 ここまでは同じだが小人を呼ぶ用途は六つのうち三つ。彼らが汚れに集まりそれを広げることなく綺麗にすれば成功なのだが──


「あら残念、合格よ」


 無事汚れは拭き取られ、汚れた小人たちは何処かへ消えていった。


「悪運が強いのねあなた」


「悪運? それは違うわ。だって私は先生のお手本通りに作ったんだもの」


 そういって彼女は後ろにいたこちら側へ目を向けると、先ほどまで箪笥を物色していた阿連君がいつの間にか小さな筒状の物を目に当てて笑みを浮かべている。

 あの子が来る前にこの部屋で作った道具の一つ、覗眼鏡しがんきょうと帳面に記されたその筒はその名の通り少し先を覗き見る為の道具だ。

 それを見たあの子は言葉の意味を理解したのか、軽く目を伏せため息をつく。


「呆れた、つまり不正していたのね」


「あら、あなたの先生曰く校内にの物は好きに使って構わないんじゃなかった?」


「ええその通りよ」


 準備する時間も道具も好きにして構わない。そのうえであちら側が出す勝負に挑むことがこの勝負においての勝ち目なのだろう。

 そういった意味では薊君の行為は不正ではなくれっきとした試験対策なのだ。


「こんな事ならもう少し手を抜いて問題作りすればよかったわ」


「勘違いしてるみたいだけど、私がお手本にしたのは実技だけよ」


「どうして? 覗眼鏡を使えば答案用紙も見れたはずだけど」


「あなたのノートのせいかしら」


「ノート?」


「煤だらけで殆ど読めなくなっちゃってたけど内容はすごくわかりやすくまとめられてて、下地のない私でも少ない時間であそこまで出来た。勉強は得意なほうだけど、そのノートがなかったらきっとあんな点数取れなかったと思う」


「悪い気はしないけどそれがどうして繋がるの?」


「個人が勉強する為じゃなくて誰かに教えるためも書かれたノート──もしかしたらあなたも私と同じで教師を目指してるのかもしれないって──そう思ったら見る気がなくなったわ」


 彼女の言う通りあの帳面は要点だけをまとめたものではなく、道具をどう使いどこを注意してどう作るのかが事細かに記されている。そのうえで余分な記載が極力省かれた書き方は部屋の用途を教えてくれたし教師としても学ぶことが多かった。


「……残念だけど教師なんてもう目指していないわ。私はここで自分の為に好きに生きるのが目標なの」


「じゃあ私はあなたが妬むくらい立派な教師になってみせるわ」


「あら、半分とはいえ不正をするあなたが立派な教師なんておかしな話ね」


「そこはほら、何か仕掛けるならそこっていう私の試験対策が当たっただけよ!」


 あの帳面をまとめた人ならきっと無茶な問題は出してこない──薊君の言った通りだったのだろう。あの子もきっと帳面に残った内容を見たうえでああいったものを仕掛けてきたのだ。


「ねえ、私あなたのことが特別に嫌いみたい」


「奇遇ね、私もあなたみたいな意地の悪い人が特別に嫌いよ」


 あの子がなにを思い夢を捨て、人の世を捨ててこの世を選んだのかはわからないが、いま私の生徒が彼女が捨てたはずの何かを拾い上げて担おうとしている光景は未だ教師として半人前の私にはいささか眩しすぎるように感じてしまう。


「なぁ意気投合してるところ悪いねんけど、この筒どうやったら服ん中見れるんや?」


「「死ね‼」」


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