Repack 2.妖怪学校
「なんや先生その荷物、登山にでも行くんかいな」
集合して第一声、二人から嘲笑を受けてしまう。救急箱に懐中電灯、水筒に非常用の乾パン諸々を持ってこようとすると必然背嚢が必要となったのだが、他三人を見るに私は気合いを入れすぎたらしい。
あれよあれよという間に身ぐるみをはがされた私は、身軽となった体を屈ませ彼らの後に続いて立ち入り禁止の札をくぐり抜けた。
「聞いて驚け、その昔数千人もの命が非業の死を遂げたとされるこここそが──」
「旧校舎じゃない」
「お前な~、せっかく人が盛り上げようとしてんのに察しの悪いやっちゃの」
横たわる木造建築の成れの果て。辛うじて残った体躯には所々に修繕の跡がうかがえ、その殆どが炭化してしまっている。
戦争の傷跡。都会から離れているこの地域でも決して被害がなかった訳ではない。数千は大袈裟だが多くの者がここで命を落とし、まだ息のあった者達もまた彼らと共に埋められてしまった。
今は生活圏に近い我が校も以前は町外れの避難所として建てられ、今はもう解体撤去の予算もなく打ち捨てられていた。
「というかここで肝試しなんか出来るのか? 見晴らしのいいただの広場じゃん」
「わかっとらんな、訳アリいうところが恐怖を掻き立てるんやろうが」
「この辺りに目を引く場所なんてここくらいよね」
「うっさい黙っとれ!」
確かにここならば何か起きても不思議ではない──そう年甲斐もなく胸が高鳴るのを抑え周囲を見渡しながら保護者としての責務を果たす。
元々は教育施設としての敷地であるため漆原君の言う通り辺り一帯はひらけており危険なものは見当たらない。唯一旧校舎跡地の裏に続く森から野生動物が下りてくる危険性はあるが、彼らの騒がしさはそれだけで鈴替わりになるだろう。
私は半壊している旧校舎への立ち入りだけを注意して人生で初めての肝試しに参加した。
「ほならこれ」
「蝋燭? 明かりなら懐中電灯を持参してるが」
「ちゃいますちゃいます、それをこの先にある古っるい祠に置いて戻ってくるんですわ。わしはケンタローと行くんでそっちは先生と委員長の分です」
「この先って森じゃないか」
「ちょっと、私聞いてないし今日スカートなんだけど?」
「スカートでもパンイチでも変わらんやろ」
「あんたがパンイチで行ってこい!」
「許可は出したがあっちに入るのは危険だろう。猪や熊が出ないとも限らない」
「大丈夫、大丈夫ですって先生。わしちゃんと昼間のうちに下見もして祠までの道はなんも出てこわへんの確認してますし距離も大したことありまへんから」
「しかしなぁ……」
「そしたらこうしましょ、先生らが先出発して三十数えたらわしらも後続きます。先生が危険や判断したらその場で引き返してお開きにしましょ」
何かあればすぐに合流する、判断するのはあくまで私──甘言なのは見え見えだったが、その物言いは少々ずるい。それに普段は誤解されがちではあるがこういう時の彼は誠実なのだ、事前確認の件は本当なのだろう。
結局まんまと私はのせられてしまい蝋燭と虫よけを薊君に渡す。彼女の性格上私の決定に異を唱える事はないが閉口するその顔はしっかり私に抗議しており、申し訳なさを感じながらもここまで来たのだからと出発まで彼女の機嫌取りに奮闘した。
「薊君はこういった催しは嫌いかい?」
「嫌いではないですけどあいつ主催なのが我慢なりません。今日だって先生を引き合いに出して無理矢理でした」
おそらく彼らが愚図る彼女を連れてきたのだろう。集合場所にいち早く到着した私だが、なにも浮き足だった私だけが原因ではなかったようだ。
「そんなに嫌なら無理する必要はない。彼らにも私から伝えておこう」
「いえその、大丈夫です。昔からこんな感じで慣れてますから──それに先生も──」
何か伝えようとした彼女を遮るように突然森の奥からおどろおどろしい女性の声が木霊する。咄嗟に薊君を庇い声をあらげて持っていた懐中電灯で周囲を照らすと木々の間──まるで吊るされている様にして長い髪の白装束が──
「きゃあっ!!」
胸元からの悲鳴に肩を強張らせる。彼女の名を呼び視線を下ろすと、頭を抱えられた彼女の首元には灯りに照らされてかてかと光るそれはもう生々しい──新鮮な蒟蒻が吊るされていた。
「先生、首に──首になにかがッ!」
私はそれを彼女の首から離してやると垂れている糸の先を辿って上を向く。照らされた光の先には竿状の物を握りしめた大の
直射を避け握ったままの蒟蒻を二·三度引いて合図を送ってやると、悪餓鬼は一礼して役目を終えた。
「もう大丈夫だ、露に濡れた落ち葉だよ」
そう大丈夫、彼が言ったのは先ほどの彼らとあわせての事なのだ。子供の遊びにとは思ってしまうが、それに参加している私が言えた義理はない。
落ち着きを取り戻した薊君がゆっくりと体を離す。耳まで真っ赤にしているのは彼女の性格上、取り乱した事が恥ずかしかったのだろう。
「薊君はお化けが苦手かい?」
「さっきのは突然首筋にだったので驚いただけです。信じてないですよお化けなんて」
「私はいた方がロマンがあると思うが、確かにその方が薊君らしいな」
「あの」
「なんだい?」
「先生はお化けとか……そういったものを信じて怖がる女性の方が好みなんですか?」
「どちらが好みというものではないんだが、無理に繕おうとするよりも自分に素直な子の方が好感は持てる」
「そうですか」
落ち着きを取り戻した薊君と共に安全である道のりを奥へと進む。彼女は先ほどからしきりに辺りを警戒しているが先ほどの仕掛けでネタ切れだったのか、何事もなく目的地に到着した。
「これを置いたら終わりですね。置いてきます」
そう言って彼女が祠の前に立った瞬間、ぼとぼとと音をたてて上空から黒くて小さな物体が降り注ぎ張り付いた。
「あっはっはっは!!」
それとほぼ同時、硬直した彼女を嘲笑いながらガキ大将がその姿を現した。その隣にいる漆原君が落ち込んだ様子で財布の中を覗いているのは彼との賭け事で負けた直後なのだろう。
「いやー傑作傑作、さっきの悲鳴もよかったが虫の巣になった委員長も中々やな」
「阿蓮君、親しき仲にも礼儀ありだ。やり過ぎは教師として見過ごせないな」
「すんまへんすんまへん、ほなら先生委員長についた虫とってやって下さい。はよせんと服の中まで入りますよってに」
「あーれーんー貴様ぁぁぁ!!」
心配する私の手を払いのけ、硬直していた彼女は虫が張り付いたままの体を武器にしてガキ大将を追いかけ回す。
その形相はまさしく怨念こもった悪鬼そのもの。さしもの彼も身の危険を感じたのか、瞬く間に暗闇の中へ溶けていった。
「あーあー、だから最後のはやめとけって言ったのに」
「漆原君、すまないが二人を落ち着かせてきてくれるかい。危険がないとはいえ夜道は危ない」
「うっす」
私が先ほどと同じように祠の上へ光をあてると、仕掛人である彼らが申し訳なさそうに頭を下げていた。
火の始末を終えた私はちょっとした充足感を感じながら来た道のりを下っていると、先の方から枯れ葉を踏み鳴らす音がする。予想より早く追い付いた事に驚いていたが、その足音はどんどん近く──あっという間に姿を現す。
「なんや先生も道間違えはったんですか?」
「道? ここは一本道だろう」
「そのはずなんですけどね……ちょいうちのもん呼んできます」
そう言って阿蓮君は祠への道をかけ上がる。不審に思った私は顔を曇らせる二人に訪ねるが、見た方が早いと言われ森の入り口へと下っていく。
「これは──」
森を抜けた先には煤けた墓標が横たわる吹き抜けの敷地はなく、視界の先には暖かな木造の壁にしっかり硝子がはまった窓。中には廊下が続いており、時間が時間ならば子供達が走っているだろう。
私が産まれる少し前に確かに学舎として子供達を──多くの人々の死を看取り共に朽ちた校舎が生前の姿を取り戻していた。
「近くにこんな場所なかったと思うんすけど、先生ここ何処かわかります?」
「いや、ここは確かに元の場所だ。私も写真でしか見たことは無いが、焼け落ちる前の旧校舎だよ」
「え、それってどういう事ですか?」
「あっかーん、何べん呼んでも出て来よらへん。あいつら仕事終わったらさっさと帰りよった」
気の抜けた阿蓮君の声が唖然とする私たちを現実に連れ戻す。冷静さを取り戻すべく深く息を吐き出すと大人として、教師として今すべき事を整理する。
突然生き返った校舎の探索に目がいってしまうが、最優先は生徒の安全。後ろ髪を引かれながらも私は彼らをまとめてまずは帰路へと引率する。
しかし行けども行けども立ち入り禁止の札が見当たらない。整備されている道は他にないので道を誤る事はない。
それどころか道を進んでいる気が全くしないのは、吹き出る汗の一因ではないと自分に言い聞かせなければならなかった。
「駄目だ、一度戻ろう」
「先生……」
「大丈夫だ薊君。この辺りは森林地帯が続いてるからね、ちょっと道を間違えただけさ」
「まぁわしらその一つしかない道を歩いてる最中やけどな」
「阿蓮」
「悪い」
口数少なく来た道を戻る。本来なら数十秒で抜ける道、それを数十分往復すると考えるだけで気が滅入るが、そんな陰気な気持ちはものの数十秒で吹き飛ばされた。
「わしら狐か狸に化かされとるんか?」
阿蓮君の軽口を否定出来ない。あれだけ進んだ道は一瞬にして姿を消し、引き返した道は本来の時間で私たちを校舎の前へと連れ戻した。
校舎を探検したいなどと考えていた少し前の私を嗜めてやりたい。
不安げに私を仰ぐ生徒達にかける言葉が見つからず、好奇心を覆う感情に冷たい汗が背筋をなぞろうとしていたその時。彼らの表情が一瞬で変わり三者三様の悲鳴をあげる。
「おやおや、かような場所に人の子とは珍しい」
自分の背後さらに上方、背の丈は高い分類に入る私の頭上から投げ掛けられた声に私は恐る恐る振り返る。
そこには四本の足、猫のような体躯が続きこちらを覗き見るは犬牙をもった巨大な獣が口を裂くようにして嗤っていた。
「おうおうそんなに顔を歪ませて、怯えずともとって食おうとは思いませぬゆえ安心なされ」
「な、だ──誰だお前は!」
「私は天狗。この手習い所で師を勤めておりまする」
「て、天狗? 手習い所ってなんだ!」
「貴方の後ろにあるではありませぬか、今の世ではなんと呼ばれていたか……学校でしたかな?」
普段ならば少し捻れば出る答えだが、その時の私は考えを巡らせる事が出来ない程に怯えていた。荒げる言葉も全て虚勢の元に成り立っており、震えそうになる体を限界まで強張らせて誤魔化している。
端から見れば勇敢な教師で通るかもしれないが、眼前の天狗には見抜かれているのかいやらしい笑みがいっそう深くなる。
「ここには焼け落ちた跡地しかなかったはずだ、あれは何処から現れた!」
「はて焼け落ちた……なるほどなるほど、どうやら道に迷われたらしい」
「迷った?」
「如何にも、ここは
「ならどうすれば帰れる」
「帰れませぬ」
「あほ抜かすな、来たのに帰れんてどういう事じゃ!」
いち早く立ち直った阿蓮君の声が後押しする。私以外の人の声がこれほど頼もしいと思えた事はない。
生徒の手前いつまでも怯えている訳にはいかない。虚勢に意地を上乗せして私はなんとか平静を取り戻し天狗と名乗った獣の目をしっかりと見据えた。
「聞く限り貴方は此方の住人なのでしょう、何か帰る為の手掛かりのようなものはないのか?」
「存じておりますとも」
「教えてくれ!」
平静を取り戻したはずの私は自然と頭を垂れていた。童話のように大きな口でひと呑みされかねない相手であることに違いはない。
意思の疎通が図れることで慢心していたのか、単に異常な状態に慣れてきたのかは不明だが、いつの間にかそうするだけの心の
「私が貴方がたを送り届ければよい」
「は?」
「ちょっとまって、貴方さっき帰れないって」
「確かに、貴方がただけでは帰れませぬよ」
「な、なら元の世界に返してくれ」
「何故?」
「──え?」
漆原君の願いを疑問で返され天狗を除くその場の全員が硬直する。天狗は自分たちだけでは帰れないといい帰る手段を知り有している。
そしてそれを願うと何故と返答──各々が戦慄する様を見て天狗は再び笑みを濃く口を裂いた。
「そう怯えずとも取って食いはせぬと先にお伝えしたではありませぬか、いやはや話を聞かぬお客人だ」
「ですがそういう事でしょう? 私たちがここで野垂れ死のうが構わぬと」
「左様、我らには関係なき事ゆえ」
敵ではないが味方でもないことを示唆──いやどちらかといえば敵よりなのだろう。なにせ私たちは群れから外れた蟻なのだ、そしてその判断が誤りでないことを天狗の顔が物語っている。
ならば天狗に持ち掛けるべきは問いや願いではない。
「どうすれば私たちに手を貸してくれる」
「そうですな……ここは学び舎、人の子同様我らの子たちもまた学ぶためにここへ訪れる。なれば人と妖で学び競って頂きましょう」
そういって天狗は仰々しく一礼すると我々を見て優しく大きな口を裂く。
時を同じくして彼の後ろ、私たちがどれだけ進んでも出ることのできなかった入り口から続々と異形の子供たちが登校し始めた。
「ようこそ、妖怪学校へ」
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