Resend.想起

Repack 1.夢見櫓

 温気漂う大暑の候、私は手についた白墨の粉を汗とともにズボンで拭い取る。

 小一時間ほど書き連ねていた内容に誤りがないことをざっと確認すると、教壇へと向き直り聞き手である生徒二人へと視線を向けた。


 男子生徒の方は完全に参ってしまっている様子で、椅子に体を預けて開け放たれた窓からくる風をまるで雛鳥のように口を開けて待っている。教師としてその姿勢を注意したが、大人の私ですらここに立っていなければ彼を責める事は出来なかっただろう。


「先生いい加減学校にも扇風機置こうや、こんな暑いと勉強にもならんて」


「だらしないわね、私も先生もしゃんとしてるじゃない。大体あんたが赤点とらなきゃこんな思いしなくてもよかったんでしょう?」


 方や女生徒はというと流れる汗は隠せてはいないが、まっすぐに伸びた背筋と熱心な態度は私のほうが倣うべき立場だ。絵に描いた優等生である彼女が彼に付き合う理由は無いのだが、教員志望として少しでも本職の仕事を見ておきたいというのは彼女の言。以前彼の事を心配しているのかと聞いたときは酷い顔を向けられてしまったので本当に他意は無いのだろう。


「あーあっつ、なんか急に暑なったわ。この部屋で湯でも沸かしとるんか?」


「あ゙?」


「おーおー湯気が立っとる立っとる」


「まぁまぁ、今日の補習はこれで終わり。あと一日だけだから辛抱しなさい」


 私は教材をまとめ締めの号令をかけようとすると、誰もいないはずの廊下の方から軽快な足音とともに勢いよく教室の戸が音を立てる。遅刻間際の生徒が如く登場した男子は息も絶え絶えにこちら側に向けて握りこぶしを掲げて見せた。


「嘘やろ~、氷華の君ならいけると思うとったのに!」


「明日隣町までデートだ」


「ほんまやってられんわ」


 椅子に体を投げ出していた男子生徒は面倒そうに制服のポケットをまさぐると、取り出した財布から一枚の紙幣を取り出してしたり顔をする青年の手のひらへと叩きつける。

 溌剌とした青年はいかにもな笑顔で仰々しくそれを受け取ると同じくポケットの中に突っ込み、その様子を見ていた女生徒は蔑んだ目で彼らを批難していた。


「最ッ低」


「可愛い女の子に声かけて何が悪いんだよ」


「あんたたちのやってるそれが悪いって言ってるのよ! 大体この前付き合ってた子はどうしたの」


「別れた」


「じゃあその前は、その前の前は?」


「それはほら、付き合って初めてわかる価値観の違いってやつだよ」


「こんな奴のどこがいいのかしら」


「顔がよくて野球上手いから?」


「自分で言うな!」


 青年の飄々とした態度に青筋をたて立ち上がる女生徒の背後にはいつの間にか椅子で伸びていた男子生徒がしゃがみ込んで何食わぬ顔でそれをまくり上げていた。


「うわ、色気のない下着」


 その一言と吹きかけられた吐息にようやく気付いた女生徒が怒りの矛先を変える。彼女の怒りは俗にいう肩を震わせたりなどの予備動作は無く、振り返ると即座に自分の椅子を持ち上げて男子生徒へと振り下ろした。

 流石に止めるべきだと判断し彼女の蛮行を咎めると、ようやく室内温度は二度ほど下がり、女生徒らしい態度で私へと泣きついた。


「まったく君たちは、もう少し加減を学びなさい」


「いや十分加減してますって、餓鬼ん頃なら下着おろしてましたもん」


「あのねぇ」


 傍から見ればただのいじめだが、彼らの場合はその関係を私が赴任するより前から続けている。加害者である彼もさることながら、今も胸元に顔をうずめている彼女でさえ数十秒後には何食わぬ顔で彼らに食ってかかるのだ。


「そやケンタロー、今週末空いとるか」


「今のところ予定はないけど何処か遊びに行くのか?」


「そや、こんなに暑いねん肝試しでも行こう思うてな」


「取り憑かれて死ねばいいのに」


「何言うてんねん、お前も行くんやぞ」


「はぁ⁉ なんで私が行くことになってんのよ」


「別に来んかってもええけど今見た下着の色、全校生徒に言いふらすぞ」


「もう嫌! 先生、私ヤクザに犯されてしまう!」


 表情筋がころころと変わる彼女をなだめながら私はふと口が滑ってしまう。


「なら私も同行しよう」


「えぇ! 先生まで何言ってるんですか」


「いや、私がついていけば彼らも悪いことはできないだろう?」


「いやいや、大人がついてきたら肝試しにならへんやん」


「肝試しということは人気のない場所に行くんだろう? 君らを預かる身としてはそんな危ない事を容認できないな」


「先生がいるのに喋るお前が悪いな、諦めろ」


 痛いところを突かれた彼は胡坐をかいていた膝を叩いて不本意ながら私の条件たてまえを呑んでくれる。全くもって大人げないとはこの事、しかし機会を与えてくれた彼らには本当に感謝しなければならない。


 ひとしきり教師としての職務を全うして帰宅すると、当日に思いを馳せながら大人として彼らの身を案じながら準備をする。今の姿を彼らに目撃されようものなら笑い者にされ幻滅されてしまうだろう。

 だがそうして阿蓮・薊・漆原うるしはらと私。四人の少年少女が短くも刺激的な夏を迎えることとなる。


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