Packet 28.澱

 薄暗い通路の真ん中で少年がひとり目を閉じている。

 背後からは断続的に破砕音が響いてい来るが、それらは徐々に少年から離れてゆきいずれ彼の正面へと現れるだろう。


「ちっ」


 久しぶりの為かなかなか潜る事ができていないが想定内。だからこその時間稼ぎではあるのだが、先のやり取りがノイズとなって再び集中することを許さない。

 苛立ちに集中力が途切れ、知らぬ間に舌を鳴らしていた。


 彼は彼の個性定義において無個性だ。彼にとって個性とは個が持ちうるただ一つのものでなければならない。

 だが彼が生まれ持ったそれは彼自身の定義においても確かに個性と呼べるもの。それを畏れ蓋をして、自分らしさが無いと嘆く大きな矛盾。そこを彼は他でもない自分自身によって突きつけられた。


 他の誰かならば幾らでも言い返せただろう、他人の知識や思考だけによって構築された自分などに個性など無いとは彼の言。そう判断したからこそ彼はそれを塞いで自分探しを続けていた──というだけのゆめまぼろし


 彼は確かに塞いだが自分探しなぞしていない。

 彼は自分探しという言い訳を自分の中に用意した。


 彼は個性を見つめ磨くための努力もしてない。

 彼は個性定義を用意して心の平穏を守った。


 彼の個性定義は間違っている。

 故に彼は憤りを抑えられない。


 個性を持たない人などいない。大小さまざまで気付きにくさに差はあるが自分らしさは個における絶対条件である。

 誰かの思想を掠め取り同じ物を作り似た行動をとったとしても、それに共感し選ぶ行為は紛れもなく彼自身の意志なのだ。どれだけ他で構成されようと選んだ彼には確かに個性は存在し恐らくそれに気付いてさえいる。


 なんと醜い妬み嫉み、持ちうる者への劣等感。誰かに相談していればきっとそう罵倒されたかもしれない少年の悩み──では無いのだと彼は気付かされてしまった。


 あの日初めて力に気付いた時、同時に浮かびあがった心の穴を別のモノにすり替えたのは紛れもない自分。本能的に自身で気付く間もなく偽装した彼はそうする事で消せない穴に見切りをつけた。


「……」


 長い沈黙のあと彼は再び潜る準備を開始する。

 体が戻って来ただけ運が良かったが、道づくりから始めなければならないのは些か手間だ。

 天戸の言う通りあれは殺す殺さないの理にはいない為、彼は同じ泥を掬って元の場所へ連れ帰る化け物を創造する方法で対抗する。


「よし」


 野放しにはしておけない、その気持ちだけは布津巳と同じだが行動原理は彼女とは相反する。

 徹頭徹尾自分のためで町への被害や後悔などは二の次にも入っておらず、ただその醜悪極まりない相手を消し去りたい一心で彼はここで迎え撃つことを望んだ。


「精々向こうであいつらに喰われ続けろ」


 ようやく繋がった道を使い、彼は抑えていた感情をぶつける様にして踏御 史を消す為の化け物を創り始めた。





 異形の散歩を始めてからはや数十分、天戸は何事もなく一回り終える事ができそうで安堵する。依然鋼の手綱は破壊と再生を繰り返しているが、綱引きが始まれば勝てる道理は無いし攻撃対象が天戸たちに移ったならばと考えぞっとする。

 何時意志が宿るかわからぬのに時間稼ぎを安請け合いしたことに反省しつつも円状に続いていた通路の終着点が見えて来た。


「踏御、準備はよいか!」


 暗がりに立ち尽くす人影に応えを求めるも声はおろか合図の一つも寄越さない。距離はあれど聞こえていない筈はなく、二度三度険のある物言いで捲し立てると漸くゆらゆらと体を揺らして人影が此方へ近付いてきた。


「──ッ!!」


 一瞬にして伸びた剣を元へと戻し手綱を切ると、すぐさま骨組みだけの部屋に飛び込み両者から距離を取る。

 前方から近付くあの人形からは後方のあれと全く同列の異臭を天戸は感じ取ったからだ。


「まったく」


 苦虫を噛み潰したような顔で悪態をつく、結局こうなったかと。


 少年が目覚めてからずっと異形と近しい臭いを感じ取っていたがその時はまだ薄く、彼ならばと然程気にしなかった。今まで通り上手くやるだろうと軽視していた。


「主殿にはどう説明したものかの」


 手綱が切れて動力を失った暴君に人形は怖れるでもなく幽鬼の如く進み続け、両者の距離がゆっくりと狭まり人形が暴風圏内に入ってしばらく後。偶々、ほんの偶然に暴れていた肉塊の一つが壁に弾かれ人形へと叩き下ろされたその瞬間、人形はその凶暴さを露にした。


 叩き下ろされた肉塊は人型に睨まれただけでスポンジ生地のようにぽろぽろと崩れ分解される。人型の部分だけぽっかり穴を空け地面へ落ちた肉塊には痛みなど存在しないのだろう、再び鎌首をもたげようとしたが今度は見えない力によって押さえつけられてしまう。


 それは無数の手、不可視の手腕。見えざるそれを形容する事など矛盾極まりないが、放つ気配が観測するものに幻覚という実体を持たせている。

 人形から伸びる手は無邪気な子供たちのように押さえていたそれをお菓子の様に奪い合う。崩した欠片を掴んだ手は満足そうに引っ込んで、また新たな手が菓子を求めて伸びてゆく。

 人形の穴という穴から伸びた手全てが成りかけ崩しを楽しんでいた。


「なんとも醜悪、もはやここまでかの」


 主である布津巳を最優先に、天戸は外へと通じる背後の壁を破壊するために担いでいた彼女をそっと下ろす。

 友の事を如何にして諦めさせようかと最後にそうであったものへ一瞥すると奇妙な光景に目が止まった。


 異形の肉塊が逃げている。誰に引っ張られる事もなく崩れる側から反対へずるずると。

 意思を持ったにしてはあまりに稚拙な挙動。おそらくは削り取られた事によって喰らった生物たちが呼び起こされたのだろう。ただ生きるため、寄せ集め達は本能だけで行動している。


 だが人形は緩慢な逃走を許してはくれない。止めどなく崩される体を守るため、ついには千変万化の異能さえの意思をもって放ってくるがまるで意に介さぬといった様子。

 あれほど難儀した相手の一方的な散り様。天戸が呆気にとられていると、ふと何かがちらついた。


 視界の端、異形が逃げようとしている方向の更に向こう。小さなそれは時折耳障りな金切り音をあげながら這う這うの体で逃げおおせようとしている。

 僅かな光を乱反射させるその姿を捉えた時、気付けば天戸の体は跳躍していた。


「おやおや、うちをおいて行くとはつれんではないか」


 主の安否や巻き沿い、その他一切の危険性を置き去りにしてそれに剣を突き立てる。

 硝子質の体はいとも容易く砕かれるも飛び散る事はなく、それが足掻くたびにまるで砂浜に突き立てたかのような感触を剣の持ち主へと伝えてきた。


「なんじゃ、あれが怖いのか? そうかそうか、うちもそう思うとったところでの。もう少し落ち着ける場所で話そうではないか」


 彼女は剣を突き立てたまま、自慢の剛力だけですり潰すように肉片を暴風圏から離してゆく。口調こそ穏やかだがその所業は拷問のそれで、決して善意によって逃亡の手助けをしているわけではないとわかる。


「のうお前様、成りかけとはいえ神である御身には釈迦に説法もよいところなんじゃがそこは年の功、老婆心と思って聞いとくれ」


 適当な建材の山を見つけ荒々しく腰を据えると、天戸は事が終わるまでの間だけでも気が散ってしまわないようその一点にのみ注視する。

 体を貫いた剣で弄られると硝子独特の不快な音でそれは鳴く。


「神とはなんぞやなどと畏れ多いことなど説けぬがの、御身らを殺める事は出来ぬ。それは御使いであったうちも当然ながら御身が写した我が主とて同じこと。封じる・弄る・傷つける、手を出す事はいくらでも出来ようが力で直接殺める事など出来ぬ」


 そこまで言い終えると天戸は剣の柄を両手で確りと握り一呼吸の内に深く深く刺し込んでしまう。剣の形状的にそれの傷口も大きく広がったが、相変わらず不快な音で鳴くばかりでただひたすらに蠢くだけ。

 死ぬわけはないと分かっていてもまだ生きているという安堵が彼女の口端を釣上げさせた。


「だが継げるのだ神は、そうする事で初めて御身らは座を降り現世の環に戻る事が許される」


 力を失い同じ重さを他者に背負わせる行為は善悪関わらず看過出来る事ではない。喜々として行っているのは精々座を持たぬ定命の神々だけで常世の者においては全く意味の無いこと。なによりその資格も容易に持てるものではない。


 今度は一息で剣を抜き去ると、切っ先に肉塊をひっかけて逃げて来た方へと向ける。するとそれは自ら刺されるようにして剣の主へと登ってゆく。


「あれから逃げたいか? 座を捨てれば狙われなくなるかもしれんのう。あぁしかし参った、うちでは座を継ぐ資格が無い。困った、実に困ったのう」


 言葉の端々から笑いが漏れ、怨敵の滑稽さに剣を持つ手が揺れる。天を仰ぐように笑っていると、ふと何かを思い出したのか剣を持つ手の震えが止まった。


「そういえば、その剣には資格があるやもしれん。どうじゃ試してみんか? そうじゃな、両者とも口がきけぬゆえお前様が此方へ逃げ続ける事で同意としよう」


 継ぐには当然同意がいる。だがかたや剣にかたや肉の塊、両者間で同意など得る事叶わず、詐欺まがいの提案は聞く耳も頭も持たぬ肉塊には届いていない。


「受け賜った──鏡面」


 それでも事が成されたのは本能という真摯さ故か座が不安定だったのか、ただの成り損ないとなったそれを宙へと放り投げると、受け継いだ座の力をすぐさま解放し剣の腹を鏡に見立て己を写す。


「天様、まことこれにてけじめとしましょう」


 瞬く間に増えた八人の天戸は各々の太刀筋で小さなそれを細切れにする。硝子質ですらなくなった肉の塊は今度こそ絶命し血の華を咲かす。

 ある意味で怨敵を救った天戸は落ちた華に一言も語らず、血の付いた刀身を払い体を一つに戻すと自分の弱さに一人悔いる。

 降って湧いた好機とはいえ後先考えず行動してしまった自分に渇を入れ、彼女は過ちを繰り返さぬ為にも急ぎ主の元へと走った。


 そうかからぬうちに元の場所へと辿り着くと、暴風は消え去り化け物どもの雌雄は決していた。

 言わずもがな勝者は人型。食い意地が張り過ぎたのか膝をつきまるで病にかかったかのようにひたすらに嘔吐を繰り返している。弱った人型に威圧感は無くあれほど暴れていた手腕も見当たらない。


「────踏御、聞こえておるなら返事をしろ」


 十分な距離をとったまま天戸は人型に知り合いの名を投げ掛ける。些細なものであれ刺激を与えるのは危険だが、できる事なら主の気落ちする姿を見たくは無いのだろう。


「天──ッザま、あいッつは?」


「あれなら喰われてしもうたわ。お前さん一体何をした?」


「あいつと、同じものを用意したんです」


「無茶苦茶しよる、しかしあんなものを呼び出して御せれなければどうするつもりだったのだ」


「呼び出しては、いませんよ。あいつは、こっちに来れないように創ったんです」


 異形を連れ戻すしか能の無い異形。少年の言が間違っていなければ天戸が見た不可視の手腕とは正しく幻覚であり名実ともに不可侵なのであろう。一瞬彼女は手元の剣に目が行くが、先の暴風圏内で反応を示さないのならと距離を保ったままゆっくりと布津巳の下へと歩みを進める。


「まぁようわからんが無事なんじゃな? ならはよう服を──」


「踏御君?」


「先輩? なんでこんな所に」


 指摘し終わる前に先の部屋から目覚めた布津巳がひょっこり顔を出す。気付いた両者は互いに全く違う驚きを顔に浮かべるが、先に動いたのは少年の方で立ち上がり布津巳に近づこうとするが……


「ちょ、やだっだめ、こっち来ないでッ‼」


「え、なんで」


「下をみよ下を」


「下?」


 呆れ顔の天戸に促され下を見るとそこには自身の体がくっきりと──胸板から下の毛一本に至るまではっきりと露になっていた。

 不可侵なのは手腕だけ、穴という穴から出た手が持ち帰った異形の肉片はしっかりと少年の衣服を破き向こう側へと連れ去られたのだ。

 生まれたままに近い姿を異性二人に目視され、どうにかこうにか局部を隠したその姿はまるで男版ヴィーナスの誕生のようになっていた。


「ともかく着替えが必要じゃな、うちと布津巳で町まで取りに行こう」


「あれ、さっきの化け物は?」


「道中話すでな、布津巳は先に行っておれ」


「え、うん。わかった」


 こちらに背を向けたまま布津巳が通路から見えなくなるまで見送り、天戸は少年に向き直る。滑稽な格好を凝視されて彼の顔は更に朱へと染まっていくがそれも束の間。真剣な面持ちの彼女に悪態をつく間もなく体の熱は引いて行く。


「踏御よ、おぬし本当に踏御か?」


「え、なんです急に訳の分からない事」


「初めて会った時お前さんからはまだ人の臭いがした。悪さをする様子もない、じゃから見逃した。しかし今のお前さんからは人の臭いが全くせん、危うくもないと言えば嘘になる──おぬしは本当に踏御 史か?」


 心臓が耳に張り付き熱くも無いのに汗が滲みだす。天戸の問いに対する答えなど知っているにもかかわらず、必死で嘘を貫こうとする子供の様に顔が上がらない。


「俺は俺──踏御 史です」


 数分かかってようやく出た声は水気を無くしたしゃがれ声。からからになった口から無理に出した言葉にむせ返り、踏御は体を丸める様にして咳で耳を塞いでそれ以上相手からの質問を打ち切ろうとする。


「おぬしが誰であろうとうちは構わん。じゃがこれからも布津巳らと友でいたいと願うなら先程の様な事はもうするな。うちとて変わり果てた主の友を切りとうは無い」


 聞いているかどうか確認もせぬまま、それだけ言い残して天戸も消える。ようやく耳を塞ぐことをやめた彼の目には涙が滲み喉はヒリヒリとやけついていた。

 何が原因かもわからぬ涙を腕で拭うと、足元には見覚えのあるボロボロになった万年筆と手帳。


「これ、あいつの」


 寒々しい空間で暖を求める様に手帳を拾いページをめくる。取材で使われていた手帳には殴り書きの文字が所狭しと書き込まれ藤崎が藤崎として生きて来た証が力強く残っている。

 後半部分には踏御との一件もメモとして残されており、それだけで少年は鼻をすすりながら笑みを零す。

 読み進むにつれ書き込まれる文字の数は減っていき、途中何枚かの白紙の後たった一文。少年の心中を代弁する言葉が綴られていた。


「──ッ‼」


 彼は激昂にまかせ手帳を地面へ叩き付けると、ボロボロになった万年筆もろとも踏みつぶして通路の隅めがけて蹴り飛ばした。

 荒い息の中、震える体を抱きすくめて少年の夏は始まろうとしていた。


──僕は僕なのか?


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