Packet 25-3.牙にかかるは仇か否や

 委員長からの言伝を伝えた後、署の前には人が集まり始めていた。

 どこかしらから漏れた情報は期限切れの事件ニュースとは思えぬほどに記者たちをおびき寄せ続けており。未だ群衆とまではいかないまでも、なお増える続ける事を考えれば今の踏御たちには誘蛾灯が必要なのは明白だった。


「彼の言う通りになりましたね」


「俺たちはこのまま騒動を抑えられないか試してみます。ですから──」


「貴方がたが如何にして学園を抜け出したのかは分かりませんし管理者として問う必要がありますが今は学園の方が気掛かりです。校外での行動を制限しないと約束した以上私に止める権利はありませんが、我が校に傷を付けるような行動だけは慎みなさい」


 此方には目もくれず婦人はつかつかと署の外へ足を進める。ドアを抜けた先では当然の如く報道陣にたかられそうになったが、待ち構えていた警官がそれを許さない。

 記者たちをかき分けるようにして婦人の乗った車が学園へと走ってゆくと、集う彼らもまた各々の移動手段で後を追い、気付けば署の前で閑古鳥が鳴いていた。


 囮を買って出た理事長に感謝しつつ、三人は二手に分かれ行動を開始する。一方は姿をくらませ南斉たちと別れた森林へ、もう一方は老警官の好意に甘え、この町唯一の安全地帯となった集会場へと車で移動を開始する。

 到着早々早速一指しと意気込む老人へ丁寧に詫びを入れると老警官は一笑と共に公務へ戻る。茶化された気恥ずかしさと申し訳なさを隠す様にして家の呼び鈴を鳴らすと、暫くして現れた奥方によって前回と同じように中へと招かれた。


「なるほど、それであの子の家を尋ねに来たわけだ」


「すみません食事中にこんな事」


 少し早い昼食が終わり女性陣が食器を下げる。すっかりご相反にあずかった踏御は不躾にものを尋ねる事が出来ず、結局一連の出来事を話してしまう。先生と慕われている老人はそんな少年の態度に相変わらずだと笑みを返すと、介護士の女性を呼んで車椅子に乗り出掛ける準備を始める。


「そういう事なら私も行こう」


「え、いや流石にそんなことまでして貰わなくても大丈夫です」


「薊の生徒というだけで目の敵にする彼ら相手に、君はどうやって顔を合わせる気だい?」


「それは……」


「なに気にする必要は無い。昼食後は散歩が日課なんだ」


 なし崩し的にハンドルを握らされ、あれよあれよと家の外へ。天戸を利用する手段も考えていた踏御にとって老人を連れ行くことは憚られる事であるはずなのに、少年は握ったハンドルを離せない。技術か天性かを知るものは少ないが、恐らくそれこそ彼が悩みを打ち明け頼るに足る人物であり先生と慕われる理由なのだろう。


 集会場に別れを告げ日差しの強さに老人を労わりながらも慣れないハンドルを強く握る。道中アスファルトの剥がれた道に何度か戦々恐々を繰り返せば永くも短い散歩は終わる。


「少しここで待っていなさい」


 物陰に隠れるように踏御を待たせると、老人は車椅子の主導権を取り戻し慣れた手つきで先へ進む。自分が押すよりも早く進むそれに驚きを隠せずいたが、それよりも彼は刺さる視線が痛くて仕方が無かった。

 白昼堂々物陰から様子を窺う様は確かに奇怪な行動ではあるのだがそれよりも先、道中から受けていた視線はおそらく薊の制服によるものだろう。

 町全体ではないにしろやはり既に幾人かは例の事件を聞き及んでいて相違ないと判断したが既に遅く、踏御は着替えてこなかった自分の判断に肩を落とした。


 数分間続いた拷問の末、お呼びがかかった事に足取りを軽くするもまた地獄。数名の大人たちがたむろする場に顔を出した瞬間。踏御に対して向けられるのは奇異や怪訝というあやふやなものではなく明確な敵意。さもありなん、足元には大きく学園への敵意が文字となって転がっている。


「で、薊の生徒様が何の用だ」


 老師が近くに寄って見守っている。勇気を出すのだろうと送られる視線に踏御は縋りそうになるも大きく息を吸い、ありありとした大人の敵意に立ち向かう。


「昨日の訴えを取り下げては貰えませんか」


「あぁ?」


「昨日うちの生徒にかけた疑いを取り下げて欲しいんです」


「馬鹿かお前、犯罪者が証拠持ってやって来たんだぞ。悪事を働いたら捕まる、そんなことも教えて貰ってねぇのか薊の生徒さんはよ」


「ならせめて騒ぎ立てるのを待って貰えませんか。ちゃんと調べれば彼が犯人じゃ無い事は警察が証明してくれるはずです」


「ハッ、警察なんぞあてにするかよ、どうせ今頃もみ消しに必死なんだろ。それともあれか、今騒がれると困るような事が学校の中にでもあるのか?」


「そんなことッ!」


 わかってはいても挑発的な態度に血が昇り食って掛かりそうになる踏御だったが、隣についていた老人が制すと彼を庇うように前にでる。やはりこの町で老師の威厳は絶大なのか、それだけで食って掛かっていた男は数歩下がった。


「もうやめにしませんか皆さん。過去に遺恨はあれどそれは我々の問題、薊の生徒とはいえこんな年端も行かぬ子供達には背負う罪など無い筈」


「いくら九条くじょうさんの頼みでも今回ばかりは聞けないね。おふくろの手前あんたの顔は立てたいが、こっちも息子や家族がこいつらに攫われてる」


「私もこの町の住人、皆さんのご家族が不運に巻き込まれているのは重々承知しています。当然犯人に恨みもあるでしょうし私も恨むなとは言えません。ですがだからこそ冷静に罪の所在が何処にあるのかを見極めるべき時だと私は思いますがね」


 理路整然とした様。正しく教師といった車椅子の老人に正しく上から物を言っていた大の大人が口ごもる。

 明らかに旗色が悪く男が食い下がる他ないように見えたがそれも束の間。男も仲間達の手前後には引けないのか、下がろうとする足に力を入れて踏ん張った。


「なら九条さん、あんたなら俺達がどういう思いでここに集まっているのか知っているはずだ、当然俺が息子の形見を持って現れた薊の生徒を見た時の気持ちもな」


「ええ分かりますとも」


「なら昨日の今日で同じ制服を着たガキを連れてくるのはどういう了見だい。あまつさえ話をきいてやれ大人しく待ってろと肩を持つ。あんたこそ情に絆され過ぎてないか? 可愛い教え子が作った学校を贔屓したいならおふくろたちを招いて家でやってくれ」


「確かに貴方の気持ちを考えずこの子の願いを優先させてしまったのは事実です。憎らしい犯人を連想させ傷つけた事にはこの場を借りてお詫びしましょう」


「ならさっさと──」


「ただ一つ訂正を」


「訂正?」


「私はあの子がやって来たこと全て。教え学び、壁に苦悩し成功に喜ぶその一つ一度たりとも贔屓目で評価などした事はない」


 轟々と降る言葉の雨に打たれるだけだった老人はもうそこには居ない。車椅子を繰る老師は理路整然とした静けさではなく、圧倒的な熱意をもってその場を静まり返らせる。

 有無を言わせぬ暴力的な熱意にいよいよ余裕がなくなったのか、男は捲し立てるように口を開いた。


「ど、どうしても俺達を止めたいなら息子を、息子をここに連れてこい。そうしたら取り下げでもなんでもしてやる!」


「それは嘘ではあるまいな」


 新たに介入する声に一同が視線をやると、そこには踏御と同じく薊の制服を纏った女子が二人。あっけらかんと手をあげる美麗と情熱を持つ慎ましさは彼が本来待つはずだった天戸と布津巳だった。

 天戸が自分の背に向かって声をかけると、彼女の背に隠れるようにして立っていた少年がとぼとぼと大人たちの前に顔を表す。


幸彦ゆきひこ……」


「親父」


 あまりにもボロボロになりやつれた顔は老師を含め普段から付き合いのある仲間たちまで何者か気付かせるのに時間がかかったが、先程まで食って掛かっていた男だけは開いた口を塞ぎもせずその子の名前を口にした。

 見た目から踏御たちとそう変わりない年頃の少年は思春期であろうにもかかわらず恥ずかしげもなく父親の胸に飛び込み名を呼ぶ。男が震える子の肩にそっと手を乗せ感動の再開にて幕引きなら良かったが、男は天戸たちに目を向けると怒りを露にする。


「やっぱり、やっぱりお前らがうちの息子をッ!」


「ちがう、違うんだよ親父! あの人たちが助けてくれたんだ、俺の名を呼んであの鴉たちから救ってくれたんだよ!」


「カラスぅ? 何言ってんだお前」


 矛先を下ろさぬ父に食い下がる息子。感動の再開なぞどこへやらといった様だったが、老師が間に割って入りその場をおさめる。

 ようやく落ち着いて説明を始める少年だったが、話が進むにつれて大人たちは混乱と疑念に包まれ、話し終える頃には敵意と憎悪に変わっていた。


「お前ら息子に何をしやがった!」


「いまおぬしの倅が語ったではないか」


「うるせぇ! 子供だからといい気になりやがって、鴉だの天狗だの信じるわけねえだろ!」


 我慢ならぬといった形相で男は天戸へ殴り掛かるが、天戸は振り下ろされた拳をたやすく受け止めるとそのまま男の体を持ち上げる。

 長身であれ細身の体で恰幅の良い男の体を持ち上げる様は誰の目からも異様で、彼女が男の体を息子めがけて投げ返すと男の仲間たちから毒気が抜ける。


「信じぬというのであれば構わんが、約束が果たせぬのならおぬしの倅に手を貸せるのもここまでじゃな」


「手を貸すだぁ? なにを偉そうに言ってやがる!」


 激昂を続ける父だがその言葉に青ざめたのは息子の方。その場に置いてあった工具を振りかぶろうとする父を、息子は殴り掛かる勢いで止めにかかる。


「なぁ親父頼むよ信じてくれよぉ。他の捕まってる人には悪いけどようやく助かったんだ、約束を果たせなかったって判断されたら奴らが連れ戻しにやってくる」


「安心しろ、二度とお前をあのガキどもの手には渡さねぇよ」


「だから違うんだよ親父ぃ! あの人たちは本当に命の恩人で、親父を止めるならって俺だけ助けて貰えたんだよぉ」


 涙ながらに説得を続ける少年の表情はさらに青ざめ、遂にはうわごとのように天狗たちの遊びを語っては怯え肩を震わせる。

 それでもなお子を見ない親の姿を哀れに思ったのか、天戸は軽く息を吐き出すと怯える息子に手を差し伸べる。


「幸彦とやら、そんなに天狗の下へ戻るのは嫌か?」


「い、嫌だ! 毎日毎日あいつらの笑い声とずっと聞こえる悲鳴に怯えながら暮らすのはもう嫌だッ!」


「あ奴らは約束を違えぬ限り殺しはせぬぞ」


「い、いやだぁ……片足だけ掴まれて飛びながら口に突っ込んでくる……磔にされてぇ虫にうめられてぇ……あいつら、我慢出来ずに死んだんだ……やめろそれはあいつの指だッ‼」


「そうか」


 惨状を思い出した息子が狂った様に涙を流し、ところかまわず嘔吐する。ようやく父親である男の血の気も引いたのか腕の中で暴れる息子を押さえるようになだめつけようとするが、それでもなお暴れ続ける子の姿に天戸は踏御が最後の手段として考えていた姿へ変化する。


 いつの日か森の中で見た光景、生徒十数名が刮目し言葉を無くしたあの姿。古き大狐の姿がそこにあった。


「幸彦よ、それほど嫌ならば儂がこの場で喰らうてやろう。死ぬよりも嫌ならば痛まぬよう一吞みにしてやろう」


 あるものは情けない声をあげ、またあるものは目を離せず言葉を失う。そして件の息子はその姿に何を思ったのか、大口を開けて待つ天戸に向かいまるで歩き方を覚えたばかりの赤子の様に両手を広げて笑みを浮かべる。

 よたよたと自ら喰われに行く息子を前に、腰の抜けていた父親は飛び掛かって取り押さえた。


「お前らなんなんだ、俺の息子が何したっていうんだ!」


 涙を流しながら母に近づこうとする息子を取り押さえる姿はあまりにも痛ましいが、天戸は未だ姿を戻さない。

 町中での非現実は確実に騒ぎになるだろうと踏御が布津巳に目配せすると、彼女は天戸の前に立ち男を見据える。


「昨日貴方が警察に引き渡した生徒からの伝言です。もし自供してくれれば大事にはしないと、こちらも便宜を図ると。それともう一つ、三年だけ待ってほしいと」


「さ、三年? 三年がどうした」


「薊学園は今期の一年生をもって生徒の受け入れを終えます。つまりは廃園になります」


「出まかせを、そんな話だれも聞いたことないぞ!」


「確かな情報です。それに、嘘か本当かは理事長に聞けばわかることです」


「その話は私が保証しよう」


 既に落ち着きを取り戻した老師が男の前に車椅子を移動させる。未だ暴れる息子を取り押さえるのに必死の男は地面に伏しており、老師はその姿を憐れむ様に見守っている。


「正式発表は夏休みの始まる前日、同時に多くの生徒が学校を去り一部の施設は一般校に明け渡される。君たちが何度役所に赴いても袖にされた祭りや町おこしもその後なら取り合ってくれるだろう」


 安全性だなんだと何度も断られた彼らの願いがようやく叶うと知ると一部の大人たちはにわかに騒めき立つ。

 しかし残りの家族を失った者達はそれだけで納得できず、少年を助けたならばと手の平を返す様に府津巳に家族の救助を懇願する。


「私達は手伝えません。大事にしても約束を違えたと天狗たちは捕まえた人を殺めます」


 布津巳は天狗たちから聞いた条件から外れぬように言葉を選び彼らに伝える。

 場所を教え入り方も教え、取り返したくば各々でここへ訪れよと……そこまで聞いた大人たちの幾人かは迷い、幾人かは魂が抜け落ちたように膝を折る。きっとその姿さえ天狗たちは何処かで見知り、遊びの材料として使うだろう。

 その姿に痛ましさを覚えつつも、府津巳にはどうすることも出来ない。

 再びまみえ相対すればそれは私闘となり、囚われる約束の無い天狗は今度こそ天戸の首をとるだろう。

 自分たちでは天狗を止められない。痛いほど思い知らされた今だからこそ彼女はぐっと堪え彼らを見限る。


「だからお願いします。残り少ない生徒たちの為に、あと三年だけ待って下さい」


「三年、三年間だけだ。それ以上は待たん」


 府津巳の訴えが心に響いたのか、はたまた異常な状況に臆したのか、男はようやく旗を降ろす。

 憐れに壊れかけた少年が正気に戻るのを待つと、彼らは意気消沈といった様子で警察署の方へと歩いていく。


 残されたのは望みが叶った者と未だ家族の帰らぬ者。

 仕方のない事だと割り切り、事件を解決したと豪語するにはあまりにも痛ましい傷をみせられて、自分たちを守ることで手一杯だった少年少女は今更ながらに自身の無力さを思い知った。




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