Packet 25-2.牙にかかるは仇か否や

「貴方までどうしてここに」


 署の正面ホールに入って早々、踏御は驚きの声に足を止める。理事長との対面は覚悟していたものだが、手段を講じる事ばかりに気をとられてあしらう口上の準備不足にたじろいでしまう。

 しかしその状況を助け舟と捉えたのは警官たち。彼らは踏御をだしに婦人を帰そうと説得を始めるが、それでも頑として動かぬ婦人に晴れ間を覗かせた顔は皆一様に元へと戻る。


「君も学園の生徒さんだったね。向こうでジュースでも飲むかい?」


 状況を飲み込めない踏御に声を掛けた老警官はゆったりとした歩調で先導する。ホールを抜けた先の職員用通路は歯抜けの蛍光灯が床を照らし幾つもの扉が並んでいるが、そのどれもに気配はなく活気がない。

 そもそも部外者がこんな所まで入って良いのかと踏御が口走る前に彼らは職員用の休憩室へと到着してしまう。警官は着くや否やヤニ臭い自販機に小銭を入れてボタンを押しやすいように脇へ逸れた。


「君はあの子の友達かい?」


「え?」


「連れてこられた男の子だよ。ここに来たって事はそうじゃないのかい?」


 老警官の質問に正直に答える訳にもいかず、踏御が適当な相槌でその場を凌ぐと何が嬉しいのか顔を綻ばせてボタンを押す。曲がっていない背を折り取り出し口から二本の缶を取り出すと、その一方を皺だらけの手で差し出した。


「なら大丈夫だから安心しなさい」


「でも捕まったんですよね。そもそもなんで捕まったんですか?」


「公にはまぁ話せんのだけども、ある事件の参考人として身柄を預かっとるね」


「誘拐事件の犯人として、ですか?」


 険を含んだ物言いに動じることなく老警官は少年を見据えると、思い出したかのように一笑して手に持った缶のプルタブに指をかける。カチカチと数回音を鳴らした後に開かれた飲み口へ口を付けると、老警官は溜まっていた疲れを吐き出すように肺から息を吐き出した。


「だとすると年端もいかない少年にわしら警察は一年以上振り回されとった事になるな」


「茶化さないで下さい。話を振って来たのはそちらじゃないですか」


「茶化しちゃいないさ、被害者は老若男女問わずガタイの良い兄ちゃんまでいる。警察が血眼になって捜索するなか仮にあの子一人でそんな事が出来たのなら、ここに集まった大人達は全員揃って手帳を返上しなきゃならん」


「それは……じゃあどうしてこんな事に?」


 老警官はもう一度だけ缶に口を付けると何かを探す様にポケットをまさぐるが、その仕草にもう意味が無い事を思い出したのか両手で缶を掴むと指先を使ってそれを回す。口さみしさを紛らわす為に二度三度それを繰り返した後、ようやく老警官は語り出した。


「君のところの理事長先生な、聴取はもうとっくに終わってるんだがなかなか帰ってくれなくてね」


「はぁ」


「生徒さんには数日の内にお帰り願えるからと伝えても、不正に拘束するのは許さないと逆におかんむりだ」


「帰せるって、犯人として捕まったんじゃないんですか? それに不正ってどういう……」


「さて、この町に住んでいるなら何か思い当たらないかい?」





「嵌められた、ですか」


「そう言って差し支えないね」


 羽虫から警官へと転じた天戸が外を見張り、室内には監視用のカメラも無い。聞き耳を立てられる心配などないのだが、術を使う際の習慣づけなのだろう布津巳の声はか細く消え、つられるようにもう一方も声を潜める。

 踏御をドアマンにして署内へ侵入した布津巳は捕まった委員長から事の経緯を聞きに来ていた。


「その時拾ったものは行方不明になったお子さんの品なんですよね」


「その人はそう言っていたね。本当かどうかはわからないけど、まだこの署内にはあるとは思うよ。件の事件で設備はあるだろうからね」


「拾っただけで難癖つけるなんて無茶苦茶です。必ず助けてみせますから」


「ありがとう、でも僕の事は何も心配いらないんだ」


「え?」


 犯人に仕立て上げられたはずの青年はただ申し訳なさそうな笑顔で助けを拒絶する。厄災を受けているはずの人物は心配そうな面持ちで遠方へ目を向けると、不要な蜘蛛の糸を断ち切るべく口を開く。


「お願いがある。これから言う事を町の人、できれば騒ぎを起こそうとしてる人に伝えてくれ。それと理事長先生にも学園へ戻るよう伝えて欲しい。あの人は今ここに居るべきじゃない」


 まるで自分は渦中の一端でしかないと言う様に伝言を頼む彼に布津巳は何も言えず言伝を頭に叩き込む。そうして短く重い言葉を聞き終えると、彼は額に手をあて何処に向けるともなく片肘をついた。


「最初は彼女の気分転換に丁度良いと思ったんだ、僕自身も少し楽しんでいた。でもそんな軽率さが学園側を窮地に追い込んでしまった。事件なんて関係ない、理事長は僕らが外に出ればどうなるかを把握した上で外出を認めなかったんだ」


「……」


「立場が危うい以上下手な嘘はつけず彼女の事を説明する他なかった。そういう事を気にするのは知っていたはずなのに、庇いきれなかったんだ……」


「貴方のその気持ち伝えます、必ず」


「ごめん」


 誰に向けた謝罪なのか問う者はいない。一度も顔を合わせる事無く気配を消した布津巳は、羽虫に戻ろうとする天戸を引き留まらせるとリスク覚悟で署の奥へと足を進めた。





「そんな無茶苦茶な」


「結局、あの子が外で目を付けられた時点でもう丸くは収まらないんだよ」


 罪の所在に関わらずどちらに転ぼうとも過激派は許可なく外出していた事実をもって学園側の非を責める。

 今でこそ隔離され事件と無関係という体で学園は存続出来ていたが、仮にこの話が広まれば瓦解する。なによりも情報の流布に敏感な親たちならば、この煙が子供を連れ戻すに足り得てしまうのだ。

 老警官の言う通りもはや丸くは収まらず、どちらに転んでも学園側の痛手は避けられないものだった。


「じゃあ何のためにあの人をここに留めているんですか」


「親御さん待ち──という建前での時間稼ぎでしかないねぇ」


「時間稼ぎ?」


「事態が好転する切っ掛けを見つける時間か、はたまた良心の呵責を願ってか……今の薊さんに抑え込む力はもうないだろうしねぇ」


「抑え込むってどうやってですか?」


「そりゃああの手この手さ」


 楽しむ様に老警官は身振り手振りで警官隊が警備をしていた事や親族向けの避暑地があったと語り出す。

 当時も反発はあれ町は今よりも賑わいがあったらしく、汚い話であれ金の巡りは火種が大きくなるのを防いでいた。


「ここも昔は結構な人数が使ってたんだけどねぇ、今じゃほらこの有り様。建て替えるのにだって金がかかる」


「今回のこれも学園からの援助が減ったからですか?」


「それも無いとはいえないけど、二十点」


「じゃあやっぱり最初の因縁か何かが原因で?」


「あまり使われてないとはいえ町唯一の社は移すし、当時あがってた町興しの案も建設でおじゃんになったけど、おしいねぇ足して四十点だ」


 他に何があるのかと踏御は思考を巡らせるが、彼の持つ情報からはこれ以上の答えが出ない。

 仕方なく両手をあげると老警官はその子供らしさが可笑しかったのか、それとも答えに辿り着けない純粋さが嬉しかったのか、憂いのある笑みを携えながら少年から手元の缶へと視線を移した。


「もうね、収まりがつかないんだろうねぇ。最初はみんな郷土愛とか大層なお題目があったんだろうけどね、年重ねる毎に落ち着いちゃって……わけわかんない気持ちだけが残っちゃって意固地になってんだろうねぇ」


 そう語る老人も以前はそうだったのかと少年は思い馳せて口を噤んだ。

 当時を知らない彼には老人が何を思いなにをもって今ここで語っているのか分るはずもなく、当事者たる彼らでしか表せないそれらは当事者同士でしか解決し得ないものなのだと皺だらけの横顔から感じ取ったからだ。

 しばし無言の中、手元の缶だけがくるくると回り。それが何度か続いた後でようやく老警官の目が現実へと戻る。


「だから安心しなさい、あの子はなーんも関係ないから。そこんとこ理事長先生にもよーく言っといて貰えると助かるねぇ」


 それで仕舞いと老警官は手の平で温まった缶をごみ箱へと投げ入れて、踏御もそれに続いて缶を捨てる。振り返れば少年より低い背丈は歯抜けの蛍光灯へと進み、彼は着た時と同じようにその背の後を追う。


「色々聞かせて貰ってありがとう御座いました」


「礼ならまた先生の所に遊びにおいで。若い子と将棋を打つのなんて久し振りだ」


「先生の所で将棋って……もしかして!」


 笑い声で返事をされ得も言われぬむず痒さから踏御の歩調は老警官を追い抜く。前に出た彼は日の浅い友を任せるべく一礼を捧げ、そんな彼に老警官は破顔する。

 元来た道を戻りホールで布津巳たちと合流すると、三人はまず難攻不落となった婦人を落とすべく警官たちの加勢に向かう。度重なる説得に疲弊していた警官たちはやむ無しといったふうに子供たちの要望を受け入れるが、その足取りは軽く瞬く間にホールの奥へと消えていった。


 学生三人が加勢に来たところで古城が落ちる訳も無し──そう子供たちを軽視していた彼らだったが、休憩から戻った彼らに婦警が落城の報せを素っ気なく告げると、彼らの開いた口はしばらく塞がらなかった。


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