Packet 24.役割

 一度おさらいをしよう。

 先の騒動を治める為の対価として彼は今ここにいる。町一つ悩ませる問題を子供一人で解決するべく放り出され、偶然にも事の真相へと辿り着いた。

 そう偶然に、ただ偶然に──彼には解決する術も力もありはしない。捜査能力なら警察と比ぶべくもなく、超常の類では英雄女傑と肩を並べる事すら叶わない。

 彼が今渦中の登場人物として立っていられるのは、子供・学生という立場や町の様態。なにより彼と繋がりを持つ者が此処まで導いたと言ってもよい。


 だからそんな彼は隣で悲痛な叫びをあげる優しき女傑を救う事は出来ない。

 だからそんな彼が満身創痍の英雄にかわり勇んでも意味がない。

 だがそんな彼だからこそ、今この瞬間に一石を投じる事が出来る。


 状況を確認する。彼の周囲には彼女しかおらず阻むものはない。唯一の懸念だった二対の鴉は目標を守護する訳でもなく英雄たちの見せ物に首ったけ。たとえ彼女達に話しかけても接近しなければ阻みはしないだろう。


「南斉さん。本当にこれが貴女の望んだ事なんですか?」


「望んだ事? 冗談じゃないわ、こうする事でしか望んだ答えを得られないのよ。貴方には分からないでしょうけど、あそこに通う子達は選択するという事の権利と幅がどれほど狭く貴重かを知っているわ」


「柊さんをこんな所に閉じ込めてまで得られる答えってなんです。彼女だって本当は、二人でいろんな場所へ行きたいはずでしょう」


「これは二人で居る為に二人で決めた事よ。聞きかじった程度で知った風な口をきかないで!」


 一度目のアプローチは失敗。しかし鴉が動かないのは僥倖。ならばまだ終わりではない。どんな端役であれ舞台に立っている以上、変化を促す事は出来るのだ。

 その為に彼は得ていた情報を整理し思考する。二人の関係・性格・目的。ここに至るまでのおおよその経緯を推察し、鳴り響かんとする雷に待ったを掛けさせるため言葉を選ぶ。


「ならいっそ貴女もここで暮らせばいい。そうすれば彼女に悪さをする天狗も減る」


「どういう意味?」


「だってそうでしょう。契約者である貴女に対してすら人攫いを隠し立てていたんです。柊さんを保護しても手を一切出さない保証なんてない」


「ありえないわ。対価と違って青葉の件は確りと言葉を交わしているもの。今まさに約束は絶対だと体現してる彼らが、何かあればすぐ私に気付かれるような事はしないわ」


「体現? 暇を埋める事しか考えない彼らをよく信用できますね……あぁそれとも他に望んだ答えを得られる方法が思いつかないから、柊さんには生きてさえいてくれればいいという事なんですかね」


「お、お姉様はそんな人じゃないわ!」


 栗の乙女が壇上へと上がる。雷轟が劈く中では消え入りそうな声だったが、おとなしげな様相とは打って変わり。こちらに向けられる強い意志がこもった瞳に踏御は内心ほくそ笑んだ。


「そう言う貴女もこんな場所で一人置き去りのままで本当に納得しているんですか?」


「置き去りになんてされてない。お姉様は私が不自由しないように仕方なく外で生活を続けているの。ちゃんと毎週毎週人の目を掻い潜って会いに来てくれるもの」


「毎週毎週ね。二人で決めた安息の場所なのに、貴女に用意されたのはほんの僅かな時間だけ。一日と一緒にいられないこんな場所を得るために、貴女はどれだけのモノを犠牲にしているんですか?」


「お姉様はいつも私の事を一番に考えてくれているもの。だからきっと、これが私にとって正しい答え」


「南斉さんはただ掴みやすい藁に縋っただけですよ。今多くの問題から逃れても、その先に待つのは破滅だけです」


「貴方いい加減に──」


「違うッ、そんなこと無い! 今は怖くてもいつか、何時かきっとお姉さまなら私の事を──」


 激情に駆られ止め入る声すら遮り。柊はすがる様に視線を南斉へ向けたが、その視線が重なる前に自ら袂を分かってしまう。

 傍から見ればただ視線を落としただけの行為だったが、彼女にとってはそれだけで気付くに十分。南斉が気遣う言葉を投げ掛け近付こうとすると、部屋の揺れと共に柊の足は怯え後ずさっていた。


「危ないッ!」


 踏御が叫びが放心する南斉に正気を取り戻させ、拒絶する柊の手首を強引に引き寄せる。体制を崩した南斉は尻をしたたかに打ち付けて、柊は抱きとめられるように覆いかぶさった。

 家屋の残骸が床を叩き、柊が立ち竦んでいた場所にも古びた梁が墓標の様に突き刺さる。家主が巨体を揺らし笑い声は全てを掻き消そうとするが、少女の背中に出来た傷だけは隠す事も消し去ることも出来なかった。


「これはどういう事よ天狗ッ!」


 途端、怒号と共に天狗の巻いた発条がはじけ飛ぶ。不快が愉悦を絞め殺し、決意は一時の間に糸を緩める。本来彼が想定していた揺さぶりとは違っていたが、過程はどうであれ踏御の投げた言葉は今確かに焦点を変え状況を変化させた。


「はて、どうなされた娘子よ」


「貴方はこの子を預かるときに確かに言ったわよね? この娘には一切の手出しを加えないと」


「いかにも。それがおぬしとの約束事ゆえ」


「冗談じゃないわ。ならどうしてこの子の背中にこんなものが生えているのよッ!」


 南斉がむせび泣く様に柊の体を抱きしめると、彼女は一瞬体を強張らせたが逃げる事無くその身を預ける。

 先の崩落により裂けた背中の傷を気遣う様に腰を強く抱いた南斉の腕には、背中を伝うよりも早く落ちる血液が彼女の腕を濡らしている。それは柊を抱く南斉の涙などではなく、傷口から伸びる黒い血濡れの羽が、ただただ水切れの悪い蛇口の様に雫を等間隔で落としていた。


「対価の事ならいざ知らず、一切の関与を認めていないこの子にすら手を出しておいて一体何が約束よ。ふざけるんじゃないわ!」


「ふざけてなど、現にいまなお娘には手はおろか術の一つもかけてはおらぬとも」


「これを見てもまだそんな虚言が吐けるのね」


「虚言とは実に心外。それは必然からなるもの」


「必然?」


「左様。ここは現世とは切り離された異なる地、住むもの皆が等しくこの地の理に倣っておる。訪れるとき去る時、食べるときや息を吸う時でさえもこの地の理に従う。体もまた然り」


 天狗はその巨体をゆっくりと捻り契約者へと歩み寄ると、その鼻先を南斉の眼前にまで近づける。獣臭い鼻息が彼女の髪をなびかせ血濡れの涙を狂わせるが、その身は今なお二人の体には触れていない。

 いつのまにか責められていた天狗の顔に笑みが戻り。南斉の激昂はなりを潜めて怯えと共に息を吞んだ。


「だけどこの子の体には現に被害がでてる。揚げ足を取るのと約束を守る事は違うわ」


「害と、ふむ。確かに娘の傷は此方の配慮が足らぬ故。詫びが必要であれば頭を下げる。必要とあらば術の一つで傷も癒して進ぜよう。しかしその羽が害と?」


「違わないでしょう」


「いやいや誠すまぬ事だが人の性には疎いものでの。羽一つで娘は娘でなくなるのか?」


「何を言ってるの」


「羽一つ傷一つでおぬしは娘を娘で無いとするのかと聞いている。羽一つで娘を化け物と蔑み、姿一つ変わったところでおぬしの心は変わってしまう。人の恋路とはそういうものなのか?」


 一方的な物言いに遂には南斉もたじろんでしまう。話の論点をずらされた事すら気付かずに、彼女の中での問題点がすげ替わる。

 その胸に抱いた愛しい人に視線を落とすと手は恐る恐る赤黒い羽へと伸びて、触れる間にどちらともわからぬ震えが彼女達の焦点を失わせようとしていた。


「やはり話のすげ替えは上手いの外法坊。それだけならば神にも勝ろうぞ」


「すげ替えなど、私はただ問うたのみ」


「おおかたそちらの娘には真逆の事を吹き込んで黙らせていたのであろう? 羽が生えたのを悟られれば、果たしておぬしの事を愛してくれるだろうか。などとな」


 その問いに天狗は答えず顔を伏した乙女の体がびくりと応える。認め認めてもらえるかで身動きが取れなくなった二人。いつもならばどんな状況であろうとも南斉が手を引き導いていたのだが、その彼女もいま同じ檻に捕らわれている。


 相手に対し真剣であるがゆえ、豹変した姿を想像すればするほど軽々しく愛せると言えなくなってゆく。

 相手に対し絶対の信頼と愛情ゆえ、もし顔をあげて蔑む顔がそこにあればと恐怖で瞳を硬く硬く閉ざしてゆく。


 どちらかが動かなければ決して抜け出せぬ泥沼で、先に手を伸ばしたのは意外にも傷を負った希薄な少女の方だった。


「お姉様。私お姉様が決めた事なら何でも従える。町の人が何人犠牲になっても、あの人たちが天狗に殺されても、お姉様が望むなら私化け物になっても構わない。だってお姉様を愛しているもの。だから、だからお願いお姉様、いつも笑顔を向けてくれるあの頃のお姉様に戻って?」


 震える手で愛しい人の頬をなぞるのも束の間。乙女は再び沼へと沈み、去り際にか細く一言望みを零す。

 捨てないで──南斉だけには確かに聞こえたその一言は彼女を沼から救い出す。いつもの笑顔、彼女の為だけの本当の笑顔。犯行開始から一年と半ば、笑顔を作る事すら忘れていた彼女の頬を涙が伝う。


 二人一緒になる。その望みを叶える為に彼女は奮闘し、いつしか障害となる家柄への反抗心で躍起になり。目的を達成する為だけに外法に手を染め、そして見事達成してみせた。

 そして次はどう出し抜いてやろうと画策し、いつしか相方への思いやりは薄れ。二人で合える日々でさえも次の目的を達成するための過程にすぎなくなった。


 少年の言う通りだと南斉は笑いたくなる。涙が邪魔をして笑い声など出せはしなかったが、胸に顔を埋める伴侶の頭に涙が落ちるにつれて体の力は抜けていった。


「もういいわ」


「何がかな?」


「もう終わりにしましょう、貴方との約束も全部」


「それは願いを叶え終える為に動けという事でよろしいか?」


「いいえ違うわ」


 体の力みは既にとれており。彼女は伴侶を気遣いながら立ち上がると、今度こそ見失わない為に前を向く。そして眼前にかまえる圧倒的強者に対し言い放った。


「私達と彼らを解放して」


「解放とは聞き捨てなりませんな。彼らは良いとしてまるでおぬしらに害をなしている様な──」


「御託はもういいの。鈴はそのまま返すから、あなた達との関係も終わりにして」


 戯れ言はもう沢山だと有無を言わさぬ物言いに、天狗は顔を退かせるとしばし考えた後に口を開く。


「よかろう、では鈴は返していただく。ただし先の約束は別だ」


「先の?」


「御使い殿に我らを嗾けた代償を忘れた訳ではあるまい。そちらの都合で止めはするが、役目を果たそうとした以上。対価は払ってもらわねばならぬ」


「確かに、そうね。対価はちゃんと払うわ」


「その対価、うちが払ってやろう」


 その声に一同が振り向くと、傷だらけの天戸が布津巳の肩を借り不敵な笑みを浮かべていた。

 敵対していたはずの相手が対価を肩代わりすると聞いて驚いたのは南斉たちだったが、その言葉がどれだけ重いものかを知っている布津巳は天戸の提案に異を唱える。だがそんな彼女を押しとどめて天戸は交渉を再開した。


「それで、対価には何を頂けるのですかな。私としては先の続きでも構いませぬが」


「山一つおぬしにくれてやる。それでどうだ」


「山一つとおっしゃると? 風の噂では御使い殿がそのような地を持たぬと聞き及んでおりますが」


「なに、古い付き合いだった山の主が天寿を全うしたのでな。ちょうど持て余しておったのだ」


「ほう、山の主ですか」


「左様。その座があれば肩身の狭い思いはせぬ筈だが?」


「それはなんとも、大層な贄ですな」


「ではどうする?」


「是非とも」


 山の主という言葉だけで踏御と布津巳はどの山なのかを理解する。それは同時に天狗を狐泉市へと招き入れると同義であるのだが、二人が思考を巡らすうちに天戸たちの話は進んで行く。


「そうであろうとも、肩身の狭い人の家に比べれば大層な贄。そこで外法坊、お前さんには一つ決まりを守ってもらう」


「ほう、なんですかな」


「山の麓、その近くに住む者たちに関わる事を一切禁ずる」


「その者たちが自ら関わりを求めてきたとすれば?」


「その時は好きにせい。ただし関わった者以外への手出しは許さぬ」


「成る程、ではそれで手を打ちましょう。では御使い殿これを」


 そういって投げよこされたのは件の鈴。何事かと眉をひそめると天狗は笑みを浮かべたまま天戸の疑問に答えをつける。


「貰いすぎはいけませぬ、後で何をせがまれるやもしれぬ故。ですのでその鈴お譲りしましょう。なに贄は取りませぬとも」


「貰った所でなんの役にもたたんがな」


「それともう一つ。神の真似事ではありませぬが願いを一つだけ聞いて差し上げましょう」


「なんじゃ、後でせがまれるのが嫌だと言うわりに随分寛容な事だの」


「なに、どちらもじき必要になるでしょうからな。山の主という僥倖、そして御使い殿ともこうして縁が出来たのです。我らとしては今後とも良き隣人でありたいのです」


「外法と隣人など御免被る。精々おぬしを縛るのに使わせてもらうわ」


 先の戦いを惜しがる天狗の統領に捨て台詞を残して、天戸達は来た時同様に鼻高天狗に連れられて屋敷の外へ里を出る。

 そしてやはり知っていたのであろう。道中傷だらけの天戸を見せ物の様に嘲笑う烏合たちは、今にも食って掛かりそうな布津巳の挑発によって蜘蛛の子を散らした。


「それにしても随分簡単に帰してくれたね」


「潮時だったのだろうて、かかる贄も減ったと言っておったしな。元よりあやつらとしてはどちらでもよかったろうからの」


「どちらでもってどういう事です?」


「あのまま約束が守られ娘らを食い潰したとしても、ご破算になったとしてもどちらも興になる。終われば次の相手を機会を探すまで、あれらはそういう性よ」


 話し終える頃には霧の外へと到着し、一同はようやく元の森中へと足を付ける。踏御が見張りを掻い潜る為に時間を確認しようと携帯を取り出すと、驚く事に向こうに行ってから数分程しか経過していなかった。


「あの!」


「なんじゃ娘。突然大声あげたりなんぞして」


「なんて言ったらいいかその、ありがとう。あなた達に会わなかったら多分、この子にもっと辛い思いをさせてたと思うから」


「裏切ろうとした者の言葉とはとても思えんな」


「ごめんなさい」


「別に恨んでなぞおらぬよ、人とはそういうものじゃからな。犠牲に悔やみ耽るより、同じ過ちを繰り返さぬよう肝に銘じておいてくれればよい」


「そう、ね。自主……は少し難しいけれど、私なりに責任を取って青葉を幸せにしてみせるわ」


 そういって一度柊を強く抱き寄せると、二人は先に森を抜ける。希薄な少女はついに一言も発しなかったが、姿が見えなくなるまで何度か振り向いては頭を下げる。そんな噂に違わぬ何時もの少女姿に踏御は安堵を覚え笑みを零した。


「うちからも礼を言おう踏御」


「え?」


「おぬしがあそこで動かなければ、おぬしがあそこで娘たちを説得しなければうちも妃奈子も無事ではすまなんだ」


「本当にありがとう踏御君」


 照れくさそうに頭を掻いて踏御はあの時の事を思い返す。


 あのとき南斉をどうにか説得する必要があったのだが、第三者である踏御の声では届かない。ならばどうすべきかなど明白で、当事者に説得させる他なかった。

 全ての決定権が南斉にあるように見えて、そのすべてが柊前提の話。柊だけが依存しているように見えてその実、互いが互いに依存している関係。

 だからこそ踏御は南斉を貶し、南斉に心酔しているといっていい柊を壇上へ引っ張り出し説得する必要があったのだが、結果としてはその間もなく偶然によって救われた。


 偶然に崩落が彼女を傷つけ、偶然によって暴露される。偶然続きで踏御自身なにかしたという実感はなかったが、主演に礼を言われては悪い気持ちはしなかった。


「ところで妃奈子よ、もう大丈夫なのか?」


「へ?」


「いやおぬし、出発前に催しておったではないか。厠はもう引っ込んだのか?」


「──ッ‼」


 聞かれるや否や布津巳の尿意は瞬く間に蘇り、彼女の手は人目を気にせず股座を抑える。その姿に笑う天戸に蹴りをいれて後ろを向かせると、傷だらけの天戸を馬車馬のように走らせて二人は一足先に町の方へと跳んで行った。


 二人を見送った森はじわりじわりと蒸し暑くなり、事件解決の爽快さを蝕む様に踏御を襲う。

 毎年感じる暑さの予兆に一際不安を煽られると、彼はそそくさと森を抜ける。


 約束の期日までは、あと一週間も期間があった。


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