Packet 22.おかわりさま

「おかわりさま?」


 名ばかりの看板をすり抜けた森林の中で、布津巳が長い髪をまとめ上げながら聞き慣れない言葉を復唱する。

 先の親睦会で得た情報の性質上。結局天戸頼りの調査へやって来た一行だったが、天戸が森林の調査を終えるまでの間。二人は老師から聞いたその与太話を肴に見張りを続けていた。


「一夜迷えば帰らずの明けにいずるは人にあらず──だそうです」


「所謂神隠しってやつだね。後半の文言から察するに物の怪の類が下りてくるの?」


「そうみたいですよ。ただ下りてくる時は迷い子の姿で、ですが」


「あぁ、だから“おかわりさま”なんだ」


 他の情報はどれも既知のものばかりで、老師も藤崎同様、ニュースなどの方が有益だと語る。

 だがそれはであればという前提であり、この場にやって来た彼らには該当しない。その最たる不可思議が文字通り枝木を渡って着地したからだ。


「どうでした?」


「当たりじゃな。天狗の抜け道が開いた跡があった。まず間違いないじゃろ」


「天狗って、また随分有名どころが出て来たね」


「天戸様。天狗をこらしめるなんて出来るものなんですか?」


「別にあやつらをどうこうする必要は無い。お前さんが妖退治に来たのなら話は別だがの」


 天狗の抜け道。くぐろう者は人にあらず天狗にあらず。外法に届かぬ落ち者なり。


 天狗の道具を扱い正規の手続きを踏まず、対価を支払い外法へ渡る。

 天賦の才も持たず鍛錬も足りぬ愚か者が法から逃れるために用いる苦肉の策。

 外法に辿り着いた者は使わない。だからこその


「灸を据えるべきは道を開いておる者。開いたのが森の中であれば、いずれそのうつけ者もここへ姿を現すじゃろ」


「道具ってどんな物なの? やっぱり団扇とか」


「外法の物であればなんでも構わん──刃・衣・笛──何をどう使おうとも前触れは必ず起きる。それを標に捕えれば無事解決じゃな」


「その、有り難う御座います。結局二人が来なかったら俺──」


「礼なら妃奈子に言うべきじゃな。うちはついて来ただけだからの」


「もう、水を差しちゃ駄目ですよ。天戸様が居なかったらこういう類いは解決出来なかったんですから」


「それ、結局忠犬扱いしとらんか? うちはちゃんとした報酬を所望するぞー、お前さんらの小遣いでたらふく食ってやる」


 諸手をあげるには至らないものの、踏御一人では到底辿り着かなかった答えにとんとん拍子で近づいている。

 友が気にかけ仲間が助けに来てくれた事実に、未だ彼女の無茶には晴れやかな気持ちを持てないまでも彼の心は安堵していた。

 

 言動だけでは御しきる事は出来ないそれらを二人の慣れ合いを眺める事で労わっていると、彼の携帯が一定のリズムで着信を知らせる。協力者とだけ割り振られた宛名からのメールには、もう一方の禁止区域で得られた情報が綴られていた。


「我妻君から?」


「あぁいえ、ちょっと気にしていたもう片方に進展があったというかなんと言うか」


「それよりどうする。このままここで待つのか?」


「そうですね。犯人も“空き時間”を狙って入って来てると思いますし、時間一杯まで張り込みたいというのが本音です。ただその場合俺達も次の空き時間まで出れなくなりますが」


「次の空き時間ってどれくらい?」


「多少前後はありますが、大体二~三時間ってところです」


「二~三時間⁉」


「無理そうならお二人で先に下りて貰っても構いませんけど」


「あーえーっと、無理というか、そこまではちょっと限界というか持たないというか──」


「喜べ妃奈子。どうやら厠の心配はせずともよさそうじゃぞ」


 発狂者が声をあげるよりも早く、天戸は布津巳の口を塞いで木陰へと暴れる体を引きずっていく。咄嗟の出来事に動くのが遅れた踏御だったが、屈んだ天戸の手振りによって漸く意図を察して急いで近くの木陰を探そうとする。

 だが荒れているとはいえ人気も無く視界が通る林道では致命的な間であり。踏御の視界にも来訪者の姿が写り込んでしまっては、不審な行動を慎むほかなかった。


「貴方は──呆れた。これでも後輩として最大限心配してあげたのだけれど」


「教えて貰った所で色々話を聞いてたら、結局ここに行き着いてしまいまして、面目ない」


「本当に面目ないわよ貴方。でもそうね、ここの話が多いのは確かなのだから失念していた私にも非はあるわね」


「先輩は今日も探し物ですか?」


「ええそうよ」


 奇しくも同じ姿。真逆の立ち位置で再び彼女と出会った踏御は見知った顔である事に安堵するも、出会いたくはなかったと残念にも思う。

 確定した訳では無い。だがここがそういう場所として機能していた以上。彼らからすれば彼ら以外の第三者はまみえた時点で容疑者となる。


 そしてその疑念は惜しむ間もなく確証をもって確信へと変わる。


「探し物、というのはこの鈴の事か? それとも背負うとる貢ぎ物を渡す相手かの?」


「──ッ誰⁉」


 何時の間にか彼女の背後へ回っていた天戸は、掠め取った鈴を見せつける様に高らかに掲げて驚く顔を流し見る。形相が変わり怒気を孕んだ顔で彼女は鈴を取り返さんと喰らい付くが、天戸は片腕と足さばきだけでその全てをいなしてしまう。

 返してと声を荒げなりふり構わない抵抗に、遂には彼女自身が振り回されて、大きすぎるザック共々崩れ落ちてしまった。


「こんなものまで用いて人攫いなど、お前さん一体何を考えておる」


「人攫い? 何のことかしら。大事な人から貰った鈴なの、返して!」


「知らぬか。なれば腹いせにこの鈴、この場で握り潰してしまおうか」


「──まってッ!!」


 天戸の拳の中でころりと最後の音が殺されたところで彼女は荷物を置き去りに天戸の足へしがみつく。犯罪者というよりも懇願する乙女の様な痛々しい抵抗は、俯いた彼女の口からぽつぽつと言葉を零れさせた。


「私達はただ一緒に居たいだけなのに、そんな事さえ許されないならしかないじゃない。私は、私達はあいつらに都合の良い道具じゃないわ!」


「私達? あいつら? いったいなんの話をしておる」


「──南斉なんざい 冬華とうかさん。ですよね?」


 偶然にも間に合った情報と彼女のこれまでの言動。そしてあの時吐いた詭弁の理由が確かなものとなって彼女の名前を言い当てる。

 頷く彼女がそうした理由、彼女達が欺いた理由。動機を理解すると同時に浮かびあがる疑問を残し話は続く。


「貴方達を雇ったのはあの子の両親、それともうちの者かしら?」


「どちらも違います。貴女達の関係だってついさっき知ったところです」


「なら私達の事は見逃して貰えないかしら。別口の依頼だというのなら報酬の倍額を私が払うわ」


「残念ながら……でも見逃して欲しいのなら、どうして町の人まで攫っているんですか」


「私が町の人を襲っている? ちょっとまって、確かにあの子──青葉は私が連れ去ったけれど、町で起こっている誘拐事件なら無関係よ」


 浮上していた疑問には否定をもって解消とされた。二人の関係に不純物である他者は不要ではあるのだが、そうなってしまうのならば解決の糸口はここで途切れる事となる。

 二の句が出ない踏御は何時の間にか顔を出していた布津巳と顔を見合わせる。二人はどうすべきかを相談すべく伺いの視線を年長者へと向けるが、そこには険しい顔をした天戸がまだ話は終わっていないとばかりに南斉を睨み付けていた。


「娘、贄はなんぞ」


「贄?」


「この鈴を貰い受けた時、天狗どもが何か言っておらんかったか? お前さんがこれを使う代わりに差し出すものがある筈じゃ」


「何かを差し出せとは言われなかったわ。ただ確か近しい者が不運に見舞われるやもと──もしかしてそれのこと?」


「であろうな」


「それこそおかしいわ、だって町の人との接点なんて殆ど無いもの。近しい者なんて言い方、親族や親しい友人に対して言う言葉だわ」


「親族と友達ならよかったの?」


「親しい友人なんて青葉しかいないわ。親族連中が不運に見舞われるなら願ったりかなったりね」


 目線を合わせていた天戸が立ち上がり膝をついたままの南斉を立ち上がらせると、彼女は大きく息を吸って空を見上げる。渦中にいる厄介者がどういう手合いの者なのかをよく知る天戸は、古傷ともいえる思い出だけで気が滅入り目を覆った。


「どちらにせよ真偽は確かめねばならん。叶うならば遠慮したいところじゃが、一度里に出向くほかあるまいて」


「天狗ってそんなに質が悪いの?」


「元が外法に転じた者の集まりだからの。よく言えば天荒を破らんとする者達だが、総じて癖のあるものばかりでの。挙げ句、童の様に悪戯好きじゃ。往々にして厄介事しか持ってこん」


「よくそんなので里なんて出来ますね……」


「剛をもって制しておるからの。力ある者には話の通じる者も多いが、礼を尊ぶ者なぞ座を退いた翁か怯えた童くらいじゃよ」


「それなら私も同行させて。彼らと取引してる私がいれば無下には出来ないはずよ」


「当然じゃ、お前さんが来ねば手切れの話なんぞ出来はせん。嫌と言おうが連れて行く。ついてこい」


「まって」


 そのまま奥へ向かおうとする天戸たちだったが、南斉に足を止められる。見つかる危険性を考慮しなければと、彼女は天戸の手の中にある鈴に視線を向けて鳴らすように促した。

 彼女曰く鈴は森の中ならどこからでも使えるらしく、ほどなくして異界の門は開かれる。天戸が言っていた通り兆候である鈴の音が森林の中を駆け巡り、一陣の風と共に四人の姿は書き消える。突風に目を塞いでいた踏御と布津巳が次に目を開ける頃には周囲の景色は一変し、雪景色と見紛う如く白い白い霧の世界が広がっていた。


「ここってなんか見覚えがあるような」


「私も見覚えが……そうだ祟り神の時と同じだ。天戸様、ここって大丈夫なの?」


「安心せい、順を追って入った者に害はない。術者の力量次第ではその限りではないが、どうやら今のところうちらは歓迎されとるようだしの」


 言うが早いか霧がうねり舞い踊ると、天戸の前に一対の鴉が折り敷いては頭を垂れる。御伽噺そのままの鴉天狗がかしずく様な姿勢はひとえに天戸へと向けられていたが、当の本人は気分を良くするどころか顔色一つ変えはしない。


「天戸ノ岩様に御足労頂けるなど、我らが統領も恐悦至極と存じましょう」


「世事はよい。早速頭に会わせて貰おう」


「御意に」


 一対はそのままの姿勢から羽を広げ後方へ飛び去ると、何もない霧の中で二手に別れてそびえ立つ。門番の様に構えた対は手に持った錫杖で地面を叩くと鈴の音と共に霧が晴れ、姿を現した幾つもの家屋は彼らを正しく番人とした。


「身近過ぎると実感湧きませんけど、やっぱり天戸様って位の高い神様なんですね」


「そうだとも。じゃから貢ぎ物として菓子を献上しても構わんぞ?」


「じゃあ貰った分、天戸様のご飯減らしますね」


「ひ~な~こ~」


 門番から引き継いで里から鼻の高い天狗が案内役として前を歩む。道すがら案内役は天戸を口説き落とすかの如くおべんちゃらを並べていたが、里の者から感じる印象はそれとはまったく異なるもの。姿形も様々なれど、先の鴉天狗とは明らかに違う不躾な視線に聞こえてくる失笑。烏合の衆と聞かされてはいたものの、あまりにも違う態度に後ろを歩く踏御と布津巳は恐怖を感じずにはいられなかった。


「ささ、この先に御座います」


 通されたのは一際大きい瓦屋敷の一等大きな襖障子。先の門番同じく対の鴉が同時に引けば、部屋に横たわるは巨大な体。四足の犬とも猫ともとれるような獣は、屋敷の主として君臨していた。


「かような地に足を運んで頂き感謝いたしますぞ御使い殿。御付きの方々にもご不便をかけておらねばよいのだが」


「御託は不要。外法坊よ、おぬしが交わした約束事について訊きたい」


 姿とは裏腹に穏やかな声で語りかける里の主に安堵の表情を見せる御付きだが、一言で切り伏せた天戸の表情は未だ硬い。主から目を離さぬように南斉を自分の隣へ並ばせると、天戸は続けて主へ問うた。


「この娘に外法を授けた代わりに受け取っておるもの。贄はなんだ」


「はて、その娘からは聞いていないのですかな? 近しい者の不運を──」


「何者かと聞いている」


「あの地に住む者達」


 息を飲む者をおいて場の雰囲気が一変する。心臓は早鐘の如く脈打ち、そのくせ時間だけは間延びする。体は時間が止まったと錯覚しているのに、触れる空気は肌を刺す。心なしか晴れた霧さえ迫ってきているようで、踏御は霧に呑まれた感覚を思い出して眩暈を覚えた。

 延々と続く無音。されど一瞬の間はようやく終わり、不動の御山は動き出す。


「そうか──ではこの鈴は返そう。互いに不徳が無いのなら、約束事はこれにて手打ちじゃ」


「こちらは構いませんとも、最近は掛かる人もとんと減った」


「ちょ、ちょっと待って下さい。天戸様も、連れ去られた人達はどうするんですか⁉」


「約束は絶対。娘が外法を扱った以上、迷い込んだ者はこやつらの取り分じゃ」


「じゃあここに連れてこられた人はもう──」


「ご安心なされよ御付きの娘、なにもとって食う訳では無い。少々姿形は変わるやもしれぬが、皆我らの里で暮らすだけの事」


「それじゃあ結局、人として戻れないじゃないですか!」


「踏御。止めよ」


 異界の地では尚の事、踏御の憤りは意味をなさない。行き詰っていた彼を助け功を成した相手だが、そう易々と人を切り捨てる様を見せられては、やはり人では無い故かと愚考が頭を過り自身の醜さに唇を噛む。

 どうする事も出来ず葛藤を続ける少年が再び爆発する前に、天戸は手に持った鈴を天狗の主めがけて放り投げた。


「ではこれにて──あぁそうだ忘れるところであった。娘よ、おぬしがここへ匿っていた伴侶も返さねばならんの」


「え、えぇそうね」


「しかし何とも不憫な事だ。現世に戻ればおぬしらはまた引き裂かれてしまうのだろう? 世知辛いのぉ──少し目を瞑れば共にずっといられたであろうに」


「戯れ言が過ぎるぞ狗!」


「これは失礼した。何時の間にやら若者の逢瀬にあてられたようだ」


 畜生と罵られても気にした風もなく、穏やかな声でからからと笑う四本足は配下一人に命じると、そう待たずして一人の少女が広間に現れる。

 この場に居る誰よりも小柄で栗色の髪を携えたその姿は、踏御が学園で見た写真と全く変わっておらず、その儚さは出会った当初の布津巳に勝る。

 その姿を見た途端、今まで大人しかった南斉は荷物をなげうち柊の下へと駆けて行く。気丈だった彼女が瞬く間に少女へ変わり、孤独に耐えていたであろう柊よりも涙を流しそうだった。


「では今度こそこれにて」


「──まって」


 二人の幸せに和んでいた空気が止まる。それを止めたのは紛れもなく彼女達で、伴侶の手を握り締めた南斉自身。

 たった一言だけの停止が次に続く言葉を連想させ。踏御の背筋を伝う嫌な汗は、葛藤と共に露と消えた。


「この人達から私達を守って」


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