Packet 21.謀って、日常で ──強情な姉──

 チョークが黒板を叩く音と抑揚のない教員の声が、四角い部屋に吸い込まれる様にして生徒達の耳へ吸い込まれる。一般的な学校ならばこれだけで数名は陥落しているだろうが、室内で舟を漕ぐ者は見当たらない。

 健全な環境に勤勉な生徒。全く持って模範的な異常だが、うち一名はここ数日でそう見せ掛ける事に注力した張りぼてである。

 極力干渉されない立場を利用して、理解できない映像を書き写して……踏御はだからこそ死角となる自身のスペースを利用して悠々と携帯の画面を確認する。

 そこには昨日登録されたばかりの連絡先が二件寄り添うように並んでいた。


 ふとそのうちの一人に目線が向く。数名の生徒達に守られた彼の上着は、意に介さないといったふうに皺なく真っ直ぐと伸びている。事実彼は朝から一言も踏御と言葉を交わしていないし何かしらの行動も示していない。それは恐らく離れた教室で同じく授業を受けているもう一人も同じであるし、それこそが二人の答えだった。


 まだ協力者に仕立て上げてから一日も経っていない。ここでの情報収集は明日以降だと携帯をしまい力を抜く。踏御は刻々と過ぎる午前中最後の授業に耳を傾けると、この後向かう場所での収穫に期待しながらも待ち構える苦労に胸やけを起こす。


 案の定。彼が目的地へ出向くことが叶ったのは、昼食を犠牲に捧げ午後の鐘が鳴る頃だった。


「やっと着いた……」


 指定された時間を数刻過ぎて漸く、踏御は目的の集会場へと到着する。練り歩いたとはいえ道を尋ねるのも難しい町中を口伝頼りで探し出すのは難しく、民家と変わらぬ一軒家に到着する頃には老人達が玄関前で別れの挨拶を交わしていた。


「あの、親睦会の会場ってここでしょうか?」


「あぁそうだけども、どうしたね?」


 車椅子に乗った老人がそう応えると、挨拶途中だった会員達の視線が一斉に少年へ向けられる。驚きや好奇。時代を跨いだ幾つもの視線が彼へと注がれるが、そのどれもが町のトゲを持っていない。その事に安堵を覚えつつも、踏御は此処へ訪れた目的を口にする。


「ここに来れば色々話が聞けると伺ったのですが」


「若い子が聞いて面白い話なんて、なぁんもしとらんけどねぇ」


「将棋の話なら何でもわしに聞いてくれ。弟子入りも歓迎しとるぞ!」


「あんたさっき先生に負けたでしょうに」


 問いかけを皮切りにお開きの雰囲気は何処へやら、あれよあれよと玄関前で二次会が開かれる。まるで町が無くした活気をこの場所に集めた様な賑やかさに、踏御は面を喰らってしまう。

 切り出す機会を失ったまま話が盛り上がりを始めると、車椅子の老人が皺の多い手の平を合わせて柏手を打つ。


「皆さん、折角訪ねに来てくれた若者が困ってますよ。それで君、こんな爺さん達に何を聞きたい?」


 何をではなく何かを求めてやって来た少年に明確な答えは無く、言葉にならない声をあげるだけ。歯切れの悪さに老人達が怪訝な顔を浮かべるが、事件について率直に伺うべきか悩む踏御にとっては唸り声を強くする以外になかった。


「この辺りじゃ見ない子だが、きみ学校は? どこの学生さんかな」


「あー、えーっと……薊学園の生徒、です」


「なるほど……」


「で、でもちゃんと学校からは許可貰って来ましたし、やましい事なんて何も!」


 偏見がないとは聞いていてもこの町に来てからの印象は根強く、その一言だけで少年の体は勝手に釈明を生む。現状では唯一、会話が成り立つ機会を逃がすわけにはいくまいとあたふたと言葉を探す彼に対して、老人達は神妙な面持ちのまま。ただ一言下らんと若者の動揺を一蹴した。


「こんな子供ですら怯えて会話一つ満足に出来ん。どこもかしこも馬鹿と阿呆しかおらん」


「警察も警察よぉ、事件解決だけじゃなくて町の事にも目を向けて欲しいわぁ」


「わしの隣なんか薊さんとこが引きこもって何もしないもんだから怪しいなんて言っとるぞ。我が子はさっさと他所に逃がしとるのにの」


 堰を切った様にあふれ出す不平不満に少年を責めるものはなく、老人達はまた新たな話題で盛り上がる。

 予想に反した反応に唖然とする踏御は再び話す機会を伺っていると、人中を縫って車椅子を押された老人が安心させるように微笑んだ。


「君達への風当たりが強いのは知っている。ここでは気にしなくていいから、家にあがってゆっくりしていきなさい」


「すみません」


「謝るのは此方の方だとも。事件の影響があるとはいえ大人達のいざこざに巻き込んですまない」


 互いがオジギソウになるのを避ける為か、老人はすぐにヘルパーの女性へ来客の準備を促すと、玄関にたむろする茶飲み仲間を解散させる。残った妻と思しき老婆はヘルパーから車椅子を預かると、先生と呼ばれた老人と共に玄関の奥へ消えてゆく。

 主導権を持っていかれたままの踏御は気配りの間も得られず。促されるままに茶菓子が並んだ居間へと通された。


「敷地だけは無駄に広くてね。知り合いを招いていたら気付いた頃にはああやって集まる様になっていたんだよ」


「なんて言えば良いか、突然お騒がせしてすみません」


「君はよく謝るなぁ。礼節を重んじるのは大事だが、過ぎれば節度を欠いてしまう。君の場合は些か逃げにも使われているようだがね」


「あなた。また悪い癖が出てますよ」


「いかんいかん、若い子を相手にするとついな」


「気になさらないで下さい。こうやって迎え入れて頂いただけでも有り難いです」


「教え子の生徒が訪ねて来たんだ、邪険に扱う者が何処にいる」


「教え子?」


「なんだ、理事長から話は聞いていないのかい?」


 老人が語るには理事長とは師弟の間柄であったらしく、彼が教員研修時代に彼女を受け持って以来からの付き合いとの事だった。昔話に花が咲き熱がこもっていくのに反して、今の学園に対する僻み根性は老人の影を色濃くさせるには十分だった。


「あの子は昔から好意を表に出すのが下手でね、良かれと思った行動が裏目に伝わる事も多かった。学園設立当初も金持ちの横暴だと謗られていたが、あれは彼女なりに町の発展と夢を追い求めた結果なんだよ」


「その割には平然として──あぁいや!」


「そうだろうそうだろう。あの子はそういった声に耳を貸さないというのもある。おかげで今になってもあの子から弱音を聞かされた試しがない」


 そう言って残った茶を飲み干すと老人は家事をするヘルパーに買い物を頼み、老婆は彼女を見送った後に盆を持って引き下がる。数分と待たずして人払いが済んだ静かな居間に男二人だけが取り残された。


「さて、何が聞きたいのかな? 悩み事や聞けなかった事、存分に話してみなさい」





 面倒な手続きを終えて踏御が校内へ戻る頃には校舎の壁は茜色に染まり、施設内からは部活動の声が木霊する。授業からの解放感と抜け出た罪悪感に苛まれると、理事長への報告も手短に彼は隠れる様に寮へ向かう。

 寮内はまだ人通りも少なく部屋までの道中に生徒影は無かったが、部屋の前まで来て見知った顔が彼の帰りを待っていた。


「彼女の方は進展なし、僕の方も使えそうな人に声を掛け終えたところさ」


「有り難う御座います」


「礼なんていらないさ、僕らは君に逆らえないからね。レコーダー、今も持ってるんだろう?」


「えぇまぁ……他に変わった事は?」


「こっちは特に何もなかったよ。まぁ君のお姉さんからは言伝を頼まれたけどね」


「姉、ですか?」


「そう姉。いなかったから閉館まで図書室で待ってるってさ」


 それだけ伝え終えると委員長は部活動の最中だったのか、顔色一つ変える事無く寮の外へと去っていく。そっけない態度に胸が痛むのか、踏御は一度部屋で顔を洗ってから制汗剤の匂いを追うように外へ向かう。

 校舎に入り、かつては常連だった部屋の名前に慣れない足取りで巡り合うと、居る筈の無い家族からの招待状に意を決して扉を開いた。


 部屋の中は蛍光灯の灯りで埋まり、彼が通っていた高校とは違い窓はない。本を傷めない為なのだろうが空調管理もされており、適切な温度は本を読まないにしても涼を求める学生ならば入り浸ること請け合いだろう。

 だがそれらを加味したとしても、部屋の中には人の姿が見当たらなかった。


 放課後であれば誰かが利用する。そうでなくても部活動で扱うか係りの者が居るだろうという踏御の思惑は大きく外れ、平然と音をたてて入室したことに舌打ちをする。出来るだけ背後をとられないように壁沿いを歩き、ゆっくりと周囲を警戒しながら一棚一棚視界を通す。

 三列目、四列目──ようやく最後の列を確認し終えると誰も居ない事に警戒を解いて、彼は背後の柱へ体を預けた。


「誰だよこんな悪戯仕掛けたのは」


「悪戯ではないぞ」


 瞬く間に身の毛がよだち、反射的に声の主へと振り返る。

 四隅の一角。背を預けていた柱の隣に設置された本棚が角の向こう側へと吸い込まれ、空いた空間の向こう側には個室の入り口で仁王立ちする女性が一人。


「誰だよあんた」


「薄情な奴じゃの。ちょっとあわなんだだけで赤の他人か?」


 相手に余地があることを確認すると踏御は肝を冷やした体をほぐし、相手の容姿を再確認する。

 片手を挙げて軽く挨拶を返す女性の背丈は少年より高く、膝まで届こうとする黒髪はただ体を伝うだけで美しい。母性を感じさせる体つきなれど凜然とした出で立ちは確かに姉貴分で相違無いが、向日葵のような陽気さがある笑顔はそのあどけなさに邪を払う。

 しかしどれほど悩もうとも印象深い彼女の名前は浮かばない。


「悪いけど貴女みたいな女性は知らない。俺には姉もいないから人違いだ」


「そうか知らぬ存ぜぬか……ではうちはここで去るが、大事な人ともお別れじゃな」


「どういう意味だ!」


 知らぬのなら仕方ないと、女性はしたり顔をちらつかせながら踏御の脇を通り抜け部屋の出入口へと去っていく。

 身近な者たちの姿を思い浮かべながら問いただす声に返事は無く。悠々と歩く女性に苛立ちを抑えられぬまま、彼は逃がすまいと振り向きざまに腕を伸ばす。


「もう、意地悪し過ぎですよ天戸様!」


 突然、現れたのは踏御の真横。誰も居なかった本棚の合間から霧が晴れる様にして少女の姿が浮かび上がる。

 現れるだけならば彼も風景として見過ごせたのだろうが、その声はあまりにもタイミングよく踏御を不自然な体勢へと追いやり、本棚に衝突した彼には図書室の洗礼が降り注いだ。


「ごめんね踏御君、大丈夫? 天戸様も試すだけっていったじゃないですか、こんなに焦るほど意地悪するなんて聞いてません!」


「ん? あぁまぁ確かに意地が悪かったのは認めるが……一番酷いのはおぬしじゃと思うよ妃奈子」


「なんで、先輩がここに?」


 申し訳なさそうな顔を向ける布津巳に溌剌な天戸。二人は埋もれた踏御を引き起こし、雪崩を片付けながら経緯を語る。阿蓮との話を聞いた事、我妻が助けに行けない事。それからは大急ぎで怪我の治療に励み、両親を騙し説き伏せて後を追いかけて来たのだと楽しそうに言葉を紡ぐ。

 しかし阿蓮邸へ乗り込んだ話を面白可笑しく話す辺りで、踏御は何故と顔を青白くする他なかった。


「という訳で、私達二人が助っ人として参上しましたー!」


「でも、これ先輩は関係ないじゃないですか」


「関係ないなんて酷いなぁ。友達や後輩が困ってたら助けちゃ駄目なの?」


「やっと怪我が治って何時も通りになりそうだったのに……怪我、そんな簡単に治せるはず無いですよね。何、やったんですか?」


 手伝わせて欲しいという申し出に嬉しさよりも恐怖が勝り、病院に担ぎ込んだ時の彼女の惨澹たる姿がフラッシュバックする。

 踏御は無理を通した布津巳に報いるよりも心を安寧を守る為。彼女の肩を掴み震える唇に力を込めて拒絶の一言を告げるようとする。

 だがそれよりも早く少女の指が彼の口をそっと塞いだ。


「私ね、いま凄く楽しいの。誰かと何かしたり色んな事を経験したり、馬鹿やって痛い目あったり……高校三年生でやっとだよ? 今まで生きてきてやっと胸がすくような人生歩んでる。だから踏御君、私の生き方に口出ししないで」


 前向きな拒絶に逃げる方便は喉を下る。力なく崩れ落ちる少年の姿に、布津巳は感謝の言葉を囁くと、天戸は主人の勝利を笑って祝う。


「安心せい、なにも無策で訪れた訳では無い。ちゃんと守る術は用意してある」


「えっ?」


 そう言われ踏御の視線が移った一瞬の合間。天戸が再び指示した場所に、先程までいた布津巳の姿は消えていた。

 立ち上がり辺りを見回しても、天戸が隠れていた個室の奥を覗いても彼女の姿は見当たらず。どういうことかと彼女へ問いただそうと振り向けば、彼の両目は暗闇に覆われる。暖かい手の平を掴んで振り向くと、彼の背後には笑顔の布津巳が立っていた。


「術を解くのは出来んが折角の護身術、上手く扱えんもんかと思っての。妃奈子の意志で強弱は出来るよう鍛えてやった」


「えへへー、凄いでしょ?」


「術そのものが弄れんから原則は破れんがの。見られていないか一度気を逸らす必要はあるが、先の妃奈子を見付けられる者などそういまい」


「確かに凄い。透明になって後ろに?」


「えっとね、見えてるんだけど視認出来ないんだっけかな?」


「すみません、もうちょっと詳しくお願いします」


「見えている・そこに居る。じゃが妃奈子がそこに居ると気付けないのだよ。触れれば気付かれてしまうし、声を聞かれれば術は解ける。脆い代わりに効果は切れぬし、術中の者は術にかかっている事すら気付かん。ようは超が付くほど影の薄い女子高生じゃの」


「天戸様。その例えは、やめてください……」


 膝をついて泣き崩れる布津巳をなんとかあやし、片付けを終えた一同は人払いで貸し切りとなった図書室で今後の事を話し合う。

 結果。踏御が得た情報を元に天戸の六感を使って何か掴めないかという辺りで、犬扱いされた天戸の怒りを鎮める為に、貢ぎ物を求めて売店へと移動させられた。


「夕食前ですから、あまり食べないで下さいね天戸おねーちゃん」


「元はと言えば二人が悪いのだろう。全く姉不孝者どもめ」


「そういえば先輩と天戸様はやっぱり女学院んぐッ──‼」


 咄嗟に口を覆われ売店の隅へと追いやられ、踏御は壁を背に布津巳の手によって沈黙させられる。人気の多い売店の中でこの様な狼藉が見逃されるのは彼女の術によるものだろうと推測できるが、今の彼にとってそれは重要な事ではない。


「ひ・な・こおねーちゃん、だよねふみちゃん。名字で呼び合うと誰だか分かんないでしょう? おねーちゃん達は双子でふみちゃんは末っ子。あとおねーちゃん達は共学生なんだから、特例でふみちゃん達と同じこっち側って説明したじゃない」


 そんな説明聞いていないとは言わせてもらえず、口を塞がれたままの弟はただただ姉の異常な拘りに首を縦に振るしか出来ない。

 ようやく拘束から解放されて新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んでも、姉の目に灯った炎が恐ろしく、叱られた子供の様に踏御は体を硬直させて俯いた。


「それじゃあこのあと寮で一休みしたら食堂に集合ね」


「はい先──妃奈子姉さん」


「妃奈子


「はい、妃奈子おねーちゃん」


「ひなねーちゃん」


「え?」


「ひ・な・ねー・ちゃん」


「ひッ! ひな、ひなねーちゃん」


 同じ一人っ子でも何かを拗らせればこうなるのだという事を実感させられ、踏御はこのあと売店から寮までで五十回、食堂で百回。電話・メール・書き取りと読み上げで二百五十の計三百回。体の隅々まで行き渡る様に調教され、就寝前の我妻との通話中では後遺症をありありと聞かせ涙を流し。夢の中では恍惚とした姉の顔から流れ出る延々と続く姉の名前の海をひたすら泳いで逃げていた。



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