Packet 20.藪から出るは鬼かロミオか
「はは、なんともそれは災難だったね」
夕暮れのワンルームで食卓を囲む男二人。踏御は出来立ての野菜炒めを口へと放り込み、藤崎は料理の出来栄えを彼の愚痴と共に咀嚼していた。
「しかも消灯時間なんて九時ですよ九時! 今時小学生だって寝るかどうか怪しいもんです」
「全寮制なんてそんなもんさ、元がお嬢様学校なら尚更ね。大人達にとってあそこは青春を謳歌させる場所じゃないのさ」
慣れぬ生活に耐え再びボロアパートの扉を潜る頃には、踏御は酔いもせず管を巻く。品行方正な生徒達、不干渉だからこそ粗の目立たない教員。世間的には非の打ち所がない環境に囲まれてはいるが、それは順応できる性能と規格であればの話。万人に最適な環境で無い事は他でもない彼自身が身をもって証明していた。
「今でこそ過去の栄華にすがっちゃいるが、財閥や政治家。そんなお歴々の御息女がこぞって集まったのがあの学園なんだ。同じ敷地内であっても彼女達は別世界の住人だろうね」
「クラスメイトにも念を押されましたよ。ばれたならタダじゃすまないって」
「そのおかげもあって生徒の被害はゼロなんだろうけど、こうも辺りが騒がしいなら彼女達が学園を離れるのも時間の問題だ。阿蓮さんが言う夏休みまでの期間、それが学園側の区切りでもあるんだろう」
ならば尚の事だと堂々巡りを始めだす。子供だからと行動に制限をかけ依頼完遂から遠のけるのは、依頼主自身の首を絞める行為に他ならない。
すぐさま追い払わなかったのには僅かなりとも期待があるはずなのだが、老婦人の言動が苦渋となって踏御の喉を夕食と共に流れていった。
「校外までは言及されなかったんだろう? なら存分に町の調査を進めてやればいい」
「状況わかってて言ってますよね、それ」
「子供ならもう少し緩くなると思ったんだがなぁ」
そう笑う藤崎自身、町での調査が如何に困難なのかは骨身に染みていた。事件当初ならまだ協力を仰ぐことは出来ただろうが、今や町中が抜身の刃を握っている。
町の体を保てているだけでもマシな状況に、子供とはいえ後発の踏御が調査など行える筈など無かった。
「まぁ無駄でも続けますよ。その為にここに来たんですし」
「おや、僕はてっきり強行手段に出るんじゃないかと思ってたんだけどな」
「問題起こしたら火炙りだって言ったのは藤崎さんじゃないですか」
「確かにそうだが、君ぐらいの若い子ならやりかねないと思ってね……どうやら君は記者に向いてるらしい」
「それ、どういう意味です?」
「褒めてるのさ、記者が嫌なら探偵や研究者だって構わない。黒と白の見わけもつかない灰色の道を歩む者には必要な気質だよ」
最後の一箸を口に咥え込んだまま、気怠い相槌を返しては肩を落として片付けを始める。貴重で自由な一日を散歩だけで費やした彼の体は想像以上に疲れ果て、動いていなければ直ぐにでも惰眠を貪ろうとする。
あまりにも急速な老いを少年の背中に感じながら風呂の準備をしていると、気付けば藤崎の顔は崩れていた。
「今日まわったのは町中かい?」
「ええそうですよ。機械みたいな対応しかしない店員と露骨に避ける子供達。ついでに舌打ちのセットまで頂きました」
「良い塩梅だ」
そう言うと藤崎は簡単な地図を描いて片付け中の踏御に見せる。事件の影響で森へ入る事は禁止されても、限られた人員で捜索活動を続けていれば必ず何処かに綻びが発生する。彼の描いた地図にはその綻びが時刻と共に記されていた。
「僕も何度か足を運んでるが、めぼしいものは見つからなかった。それでも良ければ出向いてみるといい」
「いえその、気を遣って頂いて有り難う御座います」
「これでも報酬は貰ってるからね。これぐらいの情報提供はさせて貰うさ」
取り付く島も無くなった空虚の町並みを歩くのならば、もの言わぬ木々たちの居城も変わりはしない。そうあっさりと踏御は提案を受け入れると藤崎の顔は崩れ、二度目の太鼓判と共に少年の肩を何度も叩いた。
翌日出掛ける藤崎を見送った後。踏御は目立たぬ程度に町の散歩を済ませると、指定された時間に森林地帯へと歩みを進める。厄介者のレッテルを貼られた者だからこそ町中よりも調査は容易だと藤崎は語っていたが、二人が被告人である事に変わりはない。
彼は出来るだけ前日と同じ調査の段階を踏んだ後、已む無く町はずれの観光へと向かわされる。
禁止区域とは名ばかりの看板横をすり抜け、整備されなくなった林道を進み。踏御は落とし物を探す様に靴の先を視界の端に収めながら辺りの散策を開始する。
大人数が捜索を終えた場所で手掛かりが落ちている保証も無いのだが、少なすぎる手札と婦人の発言から彼だけに分かる何かを見付けようと目を凝らしていた。
緑・茶・黄色。変わり映えのしない情報だけが脳へと送られ、気付けば時間だけが過ぎ去っては残りの利用時間に肩を落とす。
腰かけた杭は彼の落胆に大きく軋み、さざめく風はからかうだけで事態は一向に変化しない。
無音には程遠い息づく静寂に船酔いの様な錯覚を振り払う様に仰いだ視線を元へと戻すと、彼の前には目を点にした女性が立ち竦んでいた。
「ええと……ここって立ち入り禁止、ですよね?」
「貴方こそ、どうしてこんな所に?」
咄嗟の対応に後悔する間もなく。踏御は余地がある切り返しに感謝をしつつ、使い捨てカメラを取り出して用意していたプランを決行する。
住民からの疑いをそらし子供の好奇心を盾に魔女裁判を逃れる弁明は、かくして彼女から興味の色を失わせた。
「心霊写真ね。確かにこの辺りにはいわくつきが多いけど」
「折角現地に来れたからつい……貴方は? 警察関係者にも見えないですけど」
「貴方と似たようなものよ。公安の目が無いうちに探し物をね」
「でも良かった。校外の人はみんな聞く耳持たない人ばっかりだと思ってたので」
「校外って、貴方もしかして薊学園の生徒?」
「はい。最近転入してきたばかりですけど」
興味の失せていた眉が動き瞳孔が開く。大きさのわりに重さを感じさせない登山用ザックは、肩からするりと地面へ下ろされると、彼女はそうねと一言踏御を見据える。
「なら悪いことは言わないわ、卒業まで学園の中で大人しくしてなさい。これは助言よ」
「それってやっぱり事件に巻き込まれるからですか?」
「そんなことを気にする人がこんな場所に来るわけ無いでしょう? あそこの人間は何かと目の敵にされるからよ」
「目の敵って、ただの学校なのに?」
「学園側からは町へ援助金が出ているの。ここはそれで成り立っているのだけれど、建設前からの因縁もあって快く思われていないのよ」
不満はあれど生かされているから言い返すことも出来はしない。
舌打ちの理由に合点がいくと同時に、踏御は抜けている助っ人への恩義を憤りをもって帳消しとした。
「でも貴女みたいな人もいるんですね」
「残念ながら私は貴方と同じよ。もう卒業してしまったけれど」
「え、じゃあ先輩だったんですか?」
「貴方は共学でしょう、私は女学院生──そろそろ時間ね。見つかりたく無かったら貴方もそろそろ籠の中へお帰りなさい」
腕時計で時間を確認した彼女はいそいそと下ろしたザックを担ぎ直すと、礼を述べる間もなく踏御の傍らを過ぎ去って行く。
宙を舞う長髪は香水の匂いを振り撒いて、鼻腔をくすぐられた踏御の手は、気付けば彼女の腕へと伸びていた。
「──なに?」
「あぁいやその、やっぱりこのまま収穫ゼロなのはちょっと……何か良いスポットとか知りませんか?」
「呆れた。貴方さっきまでの話を聞いてたの?」
「そこを何とか、お願いします先輩!」
引き下がる様子の無い後輩に深い深い溜め息を落とし、彼女は町のとある場所と日時を踏御へ伝える。
それでもなお離れぬ手に業を煮やした彼女は、荒々しくその手を振りほどくと、無礼者を睨め付けた。
「そこに集まる年長者達は学園の生徒にも偏見を持たないわ。どうしてもそういう場所や話が聞きたいなら後はお好きに」
「すみません。有り難う御座いました」
「精々取って食われない事ね」
捨て台詞を残して彼女はずかずかと森の出口へ向かって行く。折角の情報提供者からの印象も最悪に、しかし踏御は胸を撫で下ろし困惑していた。
それは彼女が何者なのかという見当に対する行動に対して、己が吐いた詭弁の理由が理解出来なかったから。詭弁によって得られた安堵に体は反応しても、能は何から回避出来たのか突き止めることが出来ないから。
謎は謎のままに彼の思考を阻み。残り香も追えぬほど彼女が離れて漸くに、踏御は体の制御もままならぬままに遅れて森を後にした。
『それは悪かった。だが生徒である事を隠したところで結果はそう変わらないさ』
男子寮の一室で、踏御は藤崎へ抗議の電話を掛けていた。流石と言うべきか生徒の数だけ並ぶ小さな個室では、電話越しの会話を盗み聞き出来る者はいない。
「偏見を持たない年長者が居るって情報もありました。もしかして知ってました?」
『この町で唯一の情報源だから当然知ってるさ。とはいえそれは僕だからであって、あのご老人連中が君の望む情報を持ってるとは思えないな』
「あの……今朝の話は信じて良いんですよね?」
『そりゃもう存分に信じてくれ。君に必要だと判断した情報は提供するし、なにより信じるだけなら
電話越しに劈く軽快な笑い声に踏御は頭痛と苛立ちを感じながら、彼のあまりに陽気な対応に少しばかり不安を感じる。
「もしかして酔ってます?」
『いや? 今も絶賛仕事中さ。まぁ出来る事ならビルの片隅でキーボードなんて叩いてないで、居酒屋で一杯やりたいけどね』
「そう、ですか」
人は見掛けによらないと納得できても、突拍子の無い百面相には、出会って間もない踏御でさえも彼の心情を案じてしまう。普段の落ち着きある彼と比較すると、拡声器の向こう側には別人が居るのではと疑ってしまう。
『それにしても驚いたよ。まさか本当にあんな場所で進展が得られるとはね。やっぱり君はそういう仕事に向いている。どうだい今からでも──』
「すみません、一旦切ります」
返事を待たず狂言を切り捨て、部屋の窓からグラウンドを注視する。
施設の内面に位置するそこには巡回する警備員すら稀なのに、影は月明かりだけを頼りに誰も居ないグラウンドを我が物顔で横断していた。
消灯時間からは二時間以上も経過しており、稼働している施設はおろか起きている者すら数えるほど。この一週間で切り札の為に集めた情報を総動員し、彼は意を決して二階の窓から飛び降りた。
「──ってぇ!」
網に掛からない為とはいえ、人ひとり分以上の高さによる衝撃は草地といえど緩和しきれず。痺れにも似た痛みは足裏から脳天目掛けてかけ上がる。
幸い一階の住人が起きる様な音は響かなかったが、寮を巡回する警備を恐れ。踏御は足に伸びる手をぐっと堪えて影の後を追う。
広いグラウンドは見渡しが良く。月明かりだけでも発見される危険性は大いにあったが、未踏の地へ向かう先達を見失うわけにも行かず。警戒する様子も見せない不審者の自信を信用して付かず離れず。ついには反対側まで渡りきってしまう。
眼前に広がるは隔てるような並木道。その先は同じ施設にあって違う名を持ち、藤崎が予想し踏御が最終手段として準備していた女学院の領土だった。
落ち着きも束の間。ようやく警戒しだした不審者は並木道の奥へと消えて、踏御は悟られぬ様に再び追跡を開始する。
何も無いところでしゃがんでは跨ぎ、急に立ち止まったと思いきや、短い感覚を小刻みに走る。
ただの不審者ならば捕まえて人を呼べばよい話だったが、その何かを避ける慣れた動きに、己の目的達成と好奇心が勝り、しるべ通りに追従ずる。
紆余曲折の末に薄暗い藪を抜けた先には、不可侵であるはずの女子寮が、一人の少女と共に影の訪れを待っていた。
「あぁ良かった。警備の方は問題なかった?」
「大丈夫、増員と増設だけなら何とかなるさ。番犬の話が出た時は焦ったけどね」
「何か問題があるなら何時でも連絡して。理由を作って取り下げさせるから」
「委員長?」
暗がりから月光のあたる裏庭へと馳せ参じたのは少女の手を握る王子様。見知った顔に踏御が間の抜けた声を出すと、二人の熱い視線は邪魔者へと注がれる。
隠れる必要が無いと判断した踏御はそれでも申し訳なさそうに藪から顔を出すと、劇中の二人は揃って森で出会った卒業生と同じ表情で彼を凝視した。
「君がどうしてこんなところに──いや、僕の後をつけて来たのか。警備に対する警戒ばかりで失念してたよ」
「委員長こそなんでこんな無茶を? 彼女に会うだけなら校外で待ち合わせした方が安全なのに」
敵ではないと判断したのか、開演前のロミオは溜め息一つ。ジュリエットは視線を低く影を落とす。
「以前君にも話した通り女学院には著名人の御息女が多い、彼女も例に漏れずね。そんな彼女達が今も事件で騒がしい町に出れると思うかい?」
「それは……」
「共学側も余程の理由が無いと許可は下りない筈よ。ここ最近じゃ特別待遇の貴方か親が引き取りに来た子達くらい……本当に息が詰まりそう」
悲痛な叫びをあげる彼女を気遣い、委員長は空いた手で彼女の肩に手をおいて引き寄せると、自分の胸元へと顔を埋めさせる。
「それに僕達の両親は肩書きこそ同じでも別世界の住人でね。彼女の御両親は大手グループの頂点。かたや僕の親は彼女の御両親からすれば下請けの下請け。名も知らない末端でしかないんだよ」
この学園に通わせる多くの親が繋がりを求め、この学園に通う多くの生徒が優等生の仮面を被って形の違う箱庭へと逃げ出してくる。
同じ籠の中だと知っていても、一時の自由を求めてここへ入ってくるのだと彼は語り瞳を閉じる。二人が寄り添う姿からは何処か諦めのようなものを感じられ、自然と踏御の表情にも陰りがさそうとしていた。
「それで、君はどうして僕の後をつけて来たんだい?」
今宵の劇が閉幕を迎えた後。そう問われた踏御は自身の目的を思い出し、悟られるよりも速く陰りを消し去る。
「取り引きをしに」
馴染みない表情筋を総動員して最大限に悪い笑顔を携えると、彼は歪んだ口でそう答えた。
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