Packet 19.体験入学

 慣れない床から起き上がり、最低限の身だしなみを炊事場兼洗面所で整え、踏御は支給された制服へと袖を通す。案の定サイズは絶妙にズレており、着心地の悪さは良質な服の生地によって緩和されていた。


「──だから分かってるって言ってるでしょう‼」


 怒声一つ、早朝のボロアパートを揺らす。藤崎の電話が終わるのを待つだけだった踏御は、驚きに目を見開いた。狭い部屋では自身の声は想像以上に響いたのか、荒げた語尾に恥じ入る様に話を切り上げると、隠す様に携帯をポケットの中へ仕舞い込んだ。


「すまない、朝からみっともないところを見せてしまったね」


「何かあったんですか?」


「上司が成果が上がらないならさっさと戻ってこいだとさ。言われずとも君の件が片付けば引き上げるつもりだったんだ、少しばかりカチンときてね」


「すみません、俺のせいで……」


「君のせいじゃないさ。これでも僕の記事は信憑性の高さから一定数のファンが居てね。あまり穴を空けると彼らのおかげで御免状を貰ってる身として申し訳が立たない」


 支持者に対し嬉しそうに語り、朗らかに笑うその様は昨晩の彼と相違ない。されど豹変ぶりに面喰った踏御は抜けていく話に相槌を返す他なく。準備を終えた藤崎が万年筆の頭で薄い壁を小突き始めるまで、彼は玄関を塞いでいた事に気付かなかった。


「その万年筆、随分と年季が入ってますね」


「ボロボロだろう? まぁお守りみたいな物でね、別れた妻からの贈り物なんだ」


 車までの道すがら彼は愛おしそうに理解者だった妻の似顔絵を、その万年筆で虚空に描く。語られる思い出の数々は彼女の人となりを浮き彫りにして、エンジンがかかった後も終わる事はない。

 目的地前でシートベルトが食い込む頃になってようやく、自分は彼女の理解者では無かったと藤崎は話を締めくくった。


「さぁ着いたぞ、ここが今日から君が通う私立 薊学園だ」


 車を降りた先には広大な敷地。そしてどこまでも続く高い塀は部外者の侵入を頑なに拒む。登校時間には少し早いとはいえ通行人は見当たらず、門前には警備員が二名踏御達に睨みをきかせていた。

 藤崎が門衛に話をつけるとすぐさま確認がとられ、入構手続きの後に彼は踏御と別れを告げ、案内役がくたびれたスーツ姿から制服へと変わる。邸宅の様な景観美溢れる遊歩道、下駄箱の並ばない昇降口。目まぐるしく書き換わる学校という施設の常識に、彼は上京人よろしく在学生の日常を取り入れようと必死だった。


「ようこそ我が校へ」


 理事長室に通されて早々、そう呼びかけたのは白髪の女性。老眼鏡の先にある視線は入学生である彼には向けられておらず、手元にある書類の文字を目まぐるしく追っている。歓迎である言葉も事務的なもので、物言わぬ表情からは皺一つ一つを探っても心の機微を感じ取る事は出来ないだろう。

 案内のままに革張りのソファーへ腰かけると、部屋の構造が似ている為か奇しくも阿蓮翁との面会と同じ構図になっていた。


「話は阿蓮より聴いています。期日までの間、貴方は知人の孫として学園生活を送って下さい。自室への案内は後程、休日の外出許可は私の方から話を通しておきます」


「自室? それに外出許可って一体」


「彼から何も聞いていないのですか? うちは全寮制。貴方にも当然、我が校の制度はきっちり守って頂きます」


「そんな! それじゃあ調査の方はどうすれば……阿蓮さんに言われるまま伺いましたが、入学なんて何かの建前だとばかり」


 まさか本当に学園生活を満喫しろなどとは言うまいと高を括っていた踏御は、老婦人に弁明を求めるべく立ち上がる。婦人は彼の態度に皺一つ動かすこともなく、ただ手元の作業を止めると目尻をほぐしながら深く息を吐き出した。


「警察が一年、阿蓮には三ヶ月ほど前から依頼しています。それでもなお手掛かり一つ掴めていないというのに、貴方が何を調査すると言うのです」


「じゃあ最後の学園生活を楽しめって事ですか。最初からそのつもりなら、せめて身近な人の下で最期を迎えたかったです」


 当然の意見、真っ当な論。圧力に屈したとはいえ彼自身もそう思っていたのだ。言い返せる筈もなく、諦念の言葉と共に腰を折る。

 そんな踏御の姿に見かねたのか、話を進めるべく婦人は机から一つの書類を取り出して彼の対面へと席を移した。


「保護者の意向で表には出ていませんが、うちの生徒も一人被害にあっています。直接的な口外は禁じますが、校内生活の指針にすると良いでしょう」


「そんな事を教えて貰っても、結局子供一人じゃどうしようもないじゃないですか」


「その通りですね。貴方がどんな理由で厄介事を任されたのかは知る由もありませんし知りたいとも思いません。子供の貴方が真っ当に調査したところで成果が出せるとも思っていません」


 きっとろくでもない理由に違いないといった呆れ顔を初めて晒す。沈みきった少年の顔色を窺うでもなく婦人はゆっくり背中を預けると、老眼鏡を外して懐かしむ様にレンズを拭き始めた。


「ですがあれは程度はあれど無駄な事はしません。それが貴方を調査員兼学生として遣わせたのです、阿蓮は恐らく子供の視点でしか見えない・辿り着けないものに賭けたのでしょう」


「子供の視点?」


「学業は学生の本分。貴方はただ子供として出来る事を成せばよいだけの事。確証の無い言葉はあまり好きではありませんが、運にも縁にも恵まれれば望む結果が得られるかもしれません」


 眼鏡を拭き終えた婦人は行方不明者の名簿を置き去りにして執務机へと席を戻す。話はこれで終わりだと視線を再び書類へ走らせ、新入生に次の行き先を告げる。


「くれぐれも我が校の生徒にいらぬ火の粉が降りかからぬように」


 立ち去る彼に婦人はそれだけを忠告して、部外者の入学初日は幕を開ける。





「午前の部、お疲れ様。体験入学初日の感想はどうだい?」


 気遣う学級委員長の言葉に生返事を一つ。配慮された最後尾の席で踏御は打ちひしがれる。それもその筈。朝の挨拶からこの昼休みの一時まで、彼はただ座っているだけだったからだ。

 明らかに違う校内の形式、生徒の悪戯による傷が無い校舎。騒々しさの無い穏やかに流れる朝の風景。およそ内申に響くであろう行為が見当たらない雰囲気で進学校であるとまでは察せた彼だったが、授業内容は群を抜いていた。


 本来勉強とは積み重ねである。大小や難易はあれど一定の段階まで重ねなければその次へは進めない。だからこそ勉学があまり得意ではない彼は、恐らくこの学園の授業は理解出来ないものだとは覚悟していた。

 だが実際は理解出来ないなどという生易しいものではなく、確実に段階が一・二段抜けている内容だった。

 前提とするものが無い状態での授業。所謂日本語に聞こえない授業であればまだ良かったのかもしれないが、なまじある学力と解説上手な教員のおかげで基盤が抜けているという事だけがありありと伝わり、彼の精神を摩耗させるに至った。


「ここの授業って、結構難しいんだね」


「そうかな、基礎的な内容ばかりだと思うけど……それより昼休み、少し時間を貰えないかな?」


 追い打ちに心砕かれ、初日にして早々本分をかなぐり捨てようかと考えを巡らせる踏御に対し、委員長は温厚そうな表情を崩さないまま彼を校内の案内へと誘う。昼食がてらテラス付きの小綺麗な食堂で話題を探る会話を楽しみ。授業で扱う特別教室から、災害時の避難経路に設備の整った保健室までを腹ごなしに散歩する。

 中庭に差し掛かり懐かしい騒ぎ声が聞こえ始めた頃。丁度運動場を挟んだ反対側に見慣れない建物と制服姿が垣間見えた。


「あっちの校舎は何?」


「あっちは旧校舎。奥には礼拝堂もあるけど僕らには関係ないよ。あっちは女学院だからね」


「女学院って、今はもう共学になったんじゃないの?」


「じゃなきゃここに僕らは居ないだろう? あっちは現三年であり最後の女学生が生活してる、共学の女生徒とは違う寮で起きて僕らとは違う教室で学んでね」


「そうかあっちが三年の校舎か……」


「間違っても覗きに行こうなんて思わないでくれよ? 旧校舎とはいっても本来あちらが本営だからね。セキュリティには此方の数倍金がかかってるし、生徒の中には著名人の御息女も多く暮らしてる。問題が起これば退学だけじゃすまないよ」


 声を荒立てないまでもきつく言い渡される警告に気圧されながらも、踏御は行方不明者の情報を頭の中で洗い出す。

 情報を得る機会がすぐそこにあるのだと確信すると委員長からの説明を切り上げて、彼は急ぎ理事長室へと足を運んだ。


「あの、折り入って相談が!」


「駄目です」


「まだ何も言ってないんですけど」


「大方校舎の説明を受けて此方に飛んできたのでしょう? 三年生は男子禁制の女学院。規則として貴方を連れて行くことも引き合わせる事も出来ません」


「さっき校内生活の指針にすると良いでしょうって言ったじゃないですか」


 あからさまなため息を踏御に届け、婦人は既に手掛けていた午後の作業をいったん中止する。朝よりも表情の機微が読み取れるのは呆れからくるものかは分からないが、彼女は机に置かれた紅茶を一口含むと緩慢な動きで立ち上がる。


ひいらぎ 青葉あおば、当時十六歳。栗色の髪をもった小柄で大人しい生徒です。行方知れずとなったのは休日の外出時。共に同伴していた仲の良い上級生は少し目を離した隙に居なくなったと涙ながらに語っています。残念ながら交友関係は狭く彼女の私情を知るものは多くありません」


「それじゃあ尚の事、俺がここに入学する必要なんてなかったんじゃ」


「朝も説明したでしょう、貴方には通常の調査は望まれていないと。貴方が今やろうとしている事は警察や阿蓮の後追いに他なりません。そうと分かっても調査したいのであれば、休日の町で思う存分おやりなさい」


 校外までは口出ししないとお墨付きを貰ったところで予鈴が鳴り響き、踏御は室外へと追い出されてしまう。聞き込みも禁止され、現地調査も立ち入り禁止で行えない。基本的な調査が出来ないのならば一体なにをもって頑張れば良いのかと、今はただ不満を露にする事しか出来ない。

 学生の本能か足は勝手に教室へと帰巣するが、続く授業で味わうであろう苦痛に思いを馳せて、彼は廊下の壁に頭をぶつけた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る