Packet 18.来訪者
狐泉市に負けず劣らぬ田舎町、などと親睦を深めていたのは過去の話。急速な発展を遂げた狐泉市に置いて行かれる様に、もしくは過去を映す鏡の様にその町は来訪者を迎え入れる。
木陰で冷やされた涼風が、のっけから立ち往生する踏御の心を凪いでいた。
「ここで合ってる、よな?」
視界の数十センチ先には木製の古びた扉。錆びた鉄骨階段は頼りなく踏御の体を支えては、変色した幕板をカタカタ揺らす。申し訳程度に伸びた屋根は今にも崩れてきそうで、ネームプレートに名前が無ければ人が住んでいるなどとは思えない。
「絵に描いた様なボロアパート。苗字はこれで合ってるはずだけど……」
「そんなボロアパートに君みたいな若人が何用かな?」
鳴り止まぬ廃楽器たちの演奏に足音などはかき消されていたのか、開いた瞳孔の先にはくたびれたスーツ姿の男が一人。身構えるよりも先に男はずかずかと踏御の前に割って入りポケットから味気ない鍵を取り出した。
「貴方が
「あぁそうだが、今日はこれから来客があってね。ファンサービスがご希望なら、すまないが日を改めてくれないか」
「いえ、あの……阿蓮さんからの依頼で来た者ですが」
御仁の名前に反応したのか、扉を開く手が止まる。先程の仕返しと言わんばかりに瞳孔を開いた値踏みの後に、藤崎と呼ばれた男はどちらの意味ともとれる感嘆の息を漏らした。
「こいつは驚いた。まさか君みたいな少年が阿蓮さんの使いとは……」
「先に連絡は届いていると窺ったのですが」
「あぁ確かに受けてはいたが、まさか比喩ではなく本当に子どもが来るとは思っていなくてね──君一体何をやらかしたんだい?」
日常という常識の範疇において、彼のような少年がスジモノと直接関係を持つなど考え難い。男は持ち前の探求心で仕事道具を胸ポケットから取り出すが、それに首を突っ込む事が御仁の機嫌を損ねないとも限らない。そう思い直すと、慌てたように手を引っ込めた。
「すまない、野暮な詮索だったね。ここで棒立ちもなんだ、一先ず中でゆっくりしてくれ」
案内されるままに立て付けの悪くなった扉を潜り主張の弱い玄関で靴を脱ぐと、一昔前のドラマシーンが出迎える。擦り切れた畳の上に雑多な家財が転がり、足の踏み場もない床を藤崎は器用に奥へと進んでは、足で払い除けて踏御を招き入れた。
「物置としてしか用途のなかった部屋でね。散らかってて悪いが一応寝具はあるし町の調査を行う拠点としては使える筈だ。足りない物があれば何時でも僕の携帯に連絡してくれて構わない。あとは一階の共同トイレと近所の銭湯案内と──」
「ちょっちょっと待って下さい!」
矢継ぎ早に事が進もうとする中で待ったをかけた踏御は話の流れに異を唱える。道中、協力者が藤崎だという説明は受けてはいたものの、今後どういった形で滞在するのかは聞けず仕舞いだった為だ。
男の言から察するにこの部屋を利用する可能性があることは理解できたが、劇的に悪化するであろう自身の生活水準に踏御の頬は引き攣りを隠せない。
藤崎は付いて行けぬ事情を聞くにつれて、相変わらずの御仁の大味さに目を塞ぎ。緊張で物言えなかった少年の青さに呆れを吐いた。
「言っては何だが状況を理解しているのかい、君は? あの人の使いで来たという事は何かしらの取引があったのだろうが、対価を払えなければ大なり小なり碌な事にはなりはしないぞ」
「すみません。こういう経験って今まで無くて」
そうそうあっては世も末だと言葉を飲み込んで、藤崎は足で作ったスペースにどかりと座って聞いた限りの内容を補足していく。調査の為に訪れた踏御を生活・情報共にサポートするのが自分の役目だと説明し終えると、ようやく思い出したのか買って来たボトル飲料とコンビニ弁当を振る舞った。
「君がこちらの学校に通う事も聞いている。まぁ最初は教師か何かだと思っていたが……少し離れた場所にあるから、そこへは明日尋ねると良い。あちらには僕の方から連絡しておくよ」
「すみません。何から何まで」
「そんなに謝る必要は無いよ、僕も相応の額は貰ってる。サポートする為の費用でもあるんだが、君が一か月ずっと高級料理店にでも通い詰めなければ僕の財布が痩せ細った姿に戻る事はないさ」
遅い昼食を済ませると二人は早速町へと繰り出した。藤崎を先導として巡る町並みはどこもかしこも田舎風景から遠く離れず。穏やかなこの町が今も謎の失踪に怯えているようにはとても思えはしない。
されど視界の端々に入る警官の数は誰の目からも異常で、今も町の周囲に広がる森林地帯は立ち入り禁止となっており、穏やかさの反面が不安になのだと理解できた。
「やっぱり警官の数が随分多いですね」
「これでも町中のパトロールはずいぶん減った方でね。最近じゃ山中の捜索が殆どで、落ち着いたと思ったらまた失踪者が出て増員される。そんな事の繰り返しさ」
事件が公になったのは一年ほど前。不定期に町の住人が姿を消してはその足取りは何時も何処かで途切れてしまう。山の麓に人気の無い場所、屋内の個室から店のトイレに至るまで、何処かを境にする訳でもなく一定の場所で起きたでもなく、唐突に足取りが消えて居なくなる。
怪しい人物の影すら見えず、よそ者が目立つ田舎町では今も疑心暗鬼が跋扈しているという。
「主要な場所は案内し終えたな。日が落ちれば厄介だ、今日はこの辺にして引き上げよう」
「まだ日が落ちるのに時間があると思いますけど、そんなに警備が厳重なんですか?」
「いや、怖いのは警官じゃなくて町の人さ。疑心暗鬼が膨れ上がったこの町じゃ来訪者なんて格好の的でね。少しでも不審な素振りを見せれば、たちまち魔女裁判にかけられる」
「それは、時代錯誤というかなんというか」
「酷いもんだが村社会なんてそんなものさ。僕も仕事でこの町へやって来た口だが、こうも動きにくいと成果の一つも上げられなくてね。君の一件が片付けば次の案件へ向かおうと思ってる」
日が傾いたといっても夕日になる前の姿に怪訝な顔を浮かべつつ、彼らはゆっくりと帰路につく。案内の為とはいえ田舎特有の広い土地は、移動手段無しでとなるとなるほど日が暮れてしまうものだが、人間観察という点では向いていた。
行きかう人は皆よそよそしく、向こうからの接触は絶対にない。一定の距離を保たれたまま、視線だけが此方を射抜き警戒されている事がありありと感じ取れる。閉店時間が明記されたコンビニですらそうなのだから、突然家に赴こうものなら、ありもせぬ罪状で取り押さえられる事すら考えられた。
こんな風当たりの中で事件の調査をしなければならない事に辟易していると、聞き覚えのある演奏が鼓膜を震わす。錆だらけの階段一段上る毎に廃楽器たちは体を震わせ、住人である二人の事を迎え入れる。
踏御は町の人よりもよほど感情的な彼らの事を愛おしく思い、塗装の剥げた手すりをそっと撫でた。
「先方には連絡が取れたから、明日君を学校へと送っていく。それ以降もし僕に用があるならさっき教えた携帯の方に掛けてくれ」
「町中でもあんな有り様なのに、学校なんてよくやってますね」
「あの学校は少し変わっているからね」
「変わってるって、教師や学長が偏屈だったり?」
「あぁそれは何と言うか、明日直接見てもらった方が早いかな」
夕食までの間、二人で物置部屋を片付けつつ他愛ない話に花を咲かせる。聞けば藤崎も過去に阿蓮と取引を行ったらしく、今は生業を活かして彼の耳も兼任していた。
今もこうして話しているという事は、彼は無事取引を終えたのだろうと若人は先人の姿に安堵を覚える。
そうこうしているうちに二人分の憩いの場が用意され、藤崎はインスタントと生鮮食品の合わせ技で調理を始める。強制連行からの町巡り。体力的には問題なくとも今日初めての安らぎに肩の荷を下ろし、踏御は何気なしに手元の雑誌を開いてくつろいだ。
「なんだい、君もそういうのに興味がある口かい?」
知らぬ間に読み耽っていたのだろう。気付けば湯気立つ料理が折り畳みのテーブルに並べられ、藤崎が嬉しそうに雑誌を読む踏御の顔を覗き込んでいた。
「その雑誌、実はうちの出版社が出していてね。僕はそこの記者なんだ」
「あぁいえ、その──」
「あぁ違ったら違ったで構わないんだ。胡散臭いってのは関係者である僕が一番よく知っているからね」
咄嗟の反応に世事も出せず、踏御は閉じたオカルト雑誌を一瞥する。ここ数か月で日常では得難い経験をしていても、日常に住む過半数として。それらはやはり眉唾物としか認識できない。
藤崎もその事が良く理解できるのだろう。踏御の反応に憤るでもなく掛け声と共に卓を囲んだ。
「未確認生物なんて存在しない、幽霊なんているかどうかも分からない。現に編集長はデマでもなんでもそれっぽく書いておけと野次を飛ばしてくる始末さ。酷いもんだろ?」
「は、はぁ」
「でもね、僕はそこでなら真実を書ける。本当の事を伝えられる」
「本当の事?」
「ニュースや新聞は見ているかい?」
同じ題材でも多種多様の伝え方をしているのだと、藤崎はリモコンのボタンを押す手振りを見せながら子供の様に目を輝かせて架空のテレビを眺めている。初めて出会った印象はそのくたびれたスーツと同じだと思っていた踏御は、突然の豹変ぶりに少しばかり驚いていた。
彼自身。過ぎた話を他人に聞かせる趣味は無かったが、似た境遇の同士に心を開いたのか、酒も入っていないのに寂しさを紛らわす様に饒舌になっていく。
「でもね、そう広まる情報には国や政治・個人や社会の思惑に振り回されて、伝えたい言葉を捻じ曲げたり知らせたい情報に口を閉ざすものもあるのさ。おかしな話だろう? 本来世界の情報を集める専門家達が、誰かの描いた脚本を喜々として読み上げているんだ」
「でも、全部がそうとは限らないんですよね?」
「そうだね、例えば広めてしまう事でかえって大事になるものだってある──だけど僕はそれが我慢ならなかった。だから弱小だと罵られる地の底で、自分が取材し調査した生の情報を伝えている」
おかげで万年平社員だと自嘲する藤崎は、どこか楽しそうに食事を済ませる。小休止を挟んだところで二人は最寄りの銭湯へと足を運び、年配客から煙たがられながらも湯浴みを終えて夜道を歩く。その間、藤崎の口は閉じる事が無かった。
「町の人たち、別の場所に移り住んだり逃げたりしないんでしょうか?」
「そりゃ引っ越した人だっているさ。なんせ一年も謎の失踪事件が続いてるんだ、それでも残る人ってのはそれなりの理由があるんだろう」
「理由?」
「郷土愛や身体的問題もあるだろうけど、行く当てが無かったり金銭的な問題でままならないってのも当然あるだろうね。警察は避難や警護はしてくれてもそういった問題を解決する集団じゃない」
「一時的な避難とかでも駄目なんでしょうか?」
「そうにしたって場所も無い金も無い。田舎で規模は小さいとはいえ住む人の数は失踪者の何百倍だ? その人数を賄う金を誰が出す?」
「でも──」
「気になるかい、解決したいと思うかい? なら五感全てを使って自分で情報を集め真実を知る他ない。奇しくも今の君はそういう立場にあるじゃないか」
普段ため込んでいた感情を吐露したことですっきりしたのか、何がおかしいのかも分からぬままに夜空を背景に小躍りする。他の利用客たちから怪訝な目を向けられながらも止まらない藤崎のそんな姿に、踏御は恥ずかしさを感じながら笑うほかなかった。
アパートに戻り上機嫌のまま眠りにつく藤崎を見守った頃には、廃楽器たちの演奏は終幕をむかえ、時期尚早の鈴の音が少年を眠りへと誘った。
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