Packet 13.Nice to see you again. ~人仏行路~
市内では一番の規模を誇る中央病院。その数百メートル離れた小さな空間、小さな空地。捨て置かれた小さな公園にて、幼子が口を大きく欠伸一つ。
成す事を成し、守るべきを守り、待ち人の行く末さえも見届けた。
彼の者からの願いを叶え、我が心を授けようとも。行くべきあても、かえる場所すらままならぬ。
「ひぃ~まじゃのぉ」
おかっぱ頭の童女姿で、古くは天岩戸。そして今は天戸として役目を終えた彼女が、錆びたベンチを足で揺らす。
誰も使わぬ遊具を見つめ、鉄馬の声が木霊する空を見上げ、長椅子に出来た新たな傷をなぞっても、己が伴侶は床の上。窮屈な身の上となった彼女は、津々浦々の旅路を思い返しては自嘲した。
「あら? お久しぶりね、お嬢ちゃん」
背もたれに腕をのせ、体を捻っていた天戸の背後から声がかかる。
暇をもて余すため、わざわざ人気の無い場所を選び耽っていた体はぴくりと跳ねて、存外気を散らせ過ぎた自分自身への驚きと共に正面を向く。
短い足の先には荷物入れと座椅子が兼用となった、シルバーカーを押す笑顔の老婆が彼女を見つめていた。
「おぉ、これはこれはばば様。その節は世話になり申した」
「相変わらず古風なお嬢ちゃんね。和紙なんかで良ければ幾らでもどうぞ」
掛け声一つ隣へ座る老婆へ、天戸は姿勢を正して向き直る。老婆は以前。急変した街に右往左往していた天戸を助け、彼女の悩みを聞いていた。
結果として老婆に問題の解決までは出来なかったが、案内と称する情報提供は、後の指針となり。先の騒動では、幼く未熟。しかして強い子らと出会えた。
「今日もまた市長探し?」
「いやいや、今は見舞い帰りでの、すぐそこの大きな病院におった」
「あら、それは大変ね。誰か御家族の方がご病気?」
「そんなところかの、まぁじきにようなる。ばば様こそ、こんな所に何用じゃ?」
「そうねぇ、今日は天気が良かったから、ついつい散歩したくなっちゃったの」
「そうか」
彼女は嘘だと理解した上で、相槌を返し追及をしなかった。もとより老婆から話さぬ限り聞く気も無かった。
聞き返したのは恩人への最後の配慮。吐き出すだけで気が少しでも晴れるなら、いくらでも聞く覚悟はあったのだが、そうならない事は聞き返した本人が一番理解していた。
それほどまでに、老婆の姿は別人で憔悴を色濃く残していた。
「ここは静かで良い所ねぇ」
「左様か? うちには祭りの喧騒なり止まぬ街といった感じじゃが」
「ふふ、そうね。この辺りはここ数年で随分様変わりしたものねぇ」
濃い影に紅が染まる。いかに黒く深くとも、過ぎ去りしは残影。今を表す事は出来ず、老婆もまたその先へと立っている。
だがそれが必ずしも強くあるかは、永く彼らを見てきた天戸だからこそ違うのだと理解していた。
「ちょっと、お嬢ちゃん!」
他愛ない言葉のお手玉を続けていると、ふと公園の外からお呼びがかかる。人気の感じなかった公園を裂く様にして投げつけられた声の主は、年齢の上下はあるものの、彼女の隣に座る老婆と同じく、セピア色の集団だった。
天戸は老婆へ一瞥を送ると、出会った時と同じ笑顔で送り出され、彼女もまたそれに応え席を立つ。
険の消えぬ集団に囲まれて数分。天戸は幼さを装う笑顔で一行が視界から完全に見えなくなるのを確認してから老婆の下へと踵を返す。
「さてと、それじゃあそろそろお暇するわね」
天戸が戻るよりも早く、口を開くよりも先に、老婆はその場を離れようとする。一方的に別れを告げる行為は、恐らく彼女が何を聞かされたのか予想出来ているからなのだろう。逃避というよりは、これ以上火の手が広がらぬよう、老婆は低く低く姿勢を下にして、隠れる様に荷車を押し進めた。
「ばば様よ。そういえば紙の礼がまだじゃった。大層な事など出来はせぬが、少し占わせては貰えぬか?」
「占い?」
ベンチを覆う木漏れ日の中から抜け出た老婆を呼び止めると、天戸は低い視線をようやく上げた影人の肩を持ち、日のよく当たる公園の中央に向かってその背を押した。
遮るものもなく降り注ぐ陽光に、二人の影はくっきり浮かび、幼い手はその上を這う。土の上をなぞり彼女の手の平が土に塗れる頃には、影の周りには奇妙な陣が敷かれていた。
「さてばば様よ、何を占のうて欲しい?」
「そうねぇ、これといって占って欲しい事は無いのだけれど……」
「何でも良い。御身以外の事でも何でも――孫子の事でも構わん」
瞳孔が開き、すっと息を飲む音が聞こえる。老婆にとって唯一残された心残り。己が如何様に迫害されようとも、死して逃れるのではなく甘んじてそれを受け入れ晩節を全うする。
そうする事で、若くして道を踏み外した孫にも強く生きて欲しいとただ願う。老婆にとって己が生は最早幕を閉じていてた。
「そうね。それじゃあ、孫の将来を占って貰おうかしら」
「相分かった」
二つ返事で陣に触れる。斑模様に囲まれた老婆の影は、主に反して踊りくねる。術者は驚きよろめく者の手を取って、一陣の風が吹き去る頃には、影は各々導かれるままに、陣の中で散っていった。
「七難八苦に轗軻不遇。いかな地に赴こうとて、己が性には抗えん。ふむふむ何とも無様で人らしい」
「人様に迷惑をかけたのだもの、何処へ行こうと当然罰は受けるべきね」
孫の悪事が知れた後、この地を発った家族の末をあざ笑う。
老婆は置いて行かれた訳ではなく、苦労の絶えぬこの先で、老体を連れ行くのは重荷だろうと手を下した。
逃げる孫子を健気に送り仲違わぬ事に安堵するも、心のどこかでは間違っていると嘯く声が鳴り止まず。己が境遇に恨みを募らせ生き抜いて、逃げた者達にその生き様を見せつけてやりたかった。
罪は消せず贖いもせず、他所の地で傷を忘れて惨めに暮らす哀れな子達。
「だがなばば様、この子は生きるぞ。しぶとく図太く、きっとばば様よりも長生きするぞ」
それを聞いた老婆は、短くそうとだけ呟いて――呟いて呟いて――晴れた大地に雫が落ちた。
「それじゃあお嬢ちゃん。そろそろ本当に家へ帰るわね」
赤く腫らした瞼をこさえ、ひとしきり落ち着いた老婆は別れの合図を投げ掛ける。先程とは違い返事を待つ皺だらけの顔は、心なしか影が薄くなっている。
「ではまたなばば様。その節は本当に世話になった」
「どういたしまして、でももう会わない方が良いと思うの」
奇怪な術で嫌われてしまったか、はたまた心の杭を刺し抜いた事が原因か、思う節は多々あれど、聞き返す事はせず。されど眉をかしげる天戸に対し、老婆は胡桃で出来た鈴を転がす様に声を奏でる。
「だって今日はとても良い日だったのだもの。次に会えばきっと罰が当たってしまうわ。そうでしょう?」
意表を突かれた天戸は、確かにそうだと頷いた。奮起する訳でも無く、嗚咽を漏らす訳でも無く、ただ生きるだけのどうしようもなく軽い命は、この一時で大きく息を吹き返した。もとより先は短くとも、己が生に活力があるのなら、きっと往生できるだろう。
図太く意地汚い。これこそが人なのだろうと彼女は改めて思う。
「ではさらばじゃ、図々しいばば様よ」
「さようなら、不思議で素敵なお嬢ちゃん」
不敵な笑みで互いに別れ、明日の敵へと目を向ける。針山臆せず邁進する老婆を先見の明を持ってして見届けると、彼女は重い重い溜息をついた。
「さて坊よ、ここは寺でも社でも無い。ましてやおぬしに助言を授ける神様なんぞおりゃせんと言ったはずだがの」
天戸の背後から草木をかき分ける音が鳴り、人影が広場へ姿を現す。振り返らずとも負い目を肌で感じるほどに、肥大した被害妄想は彼女の神経を逆撫でした。
「なぁ坊よ、おぬしの悩みを晴らす場所は此処では無かろう?」
「…………」
聞く耳持たず勝手に埋もれ勝手に死ぬその様は、古き主を思い出させ。年甲斐にもなく、その幼い体で地団駄を踏みそうになるのを抑え震える。
「若きうちはよく悩めと言うが、立ち止まれという意味ではない。おぬしは無力と嘆いているが、嘆くということは何かを成そうとしたという事じゃ。偶然であれ、おぬしらがあの時放った一矢が、皆を救った事は違いない」
山での決戦で我妻と共に打ち込んだ楔は、確かに勝敗を分けたことに違いはない。だがそれよりも先に彼が同じ思いつきによってとった行動が、彼女らに無茶を強いる結果となったことが彼には怖くて仕方が無かった。
偶然による産物ならばそれで良し。しかし彼の場合そうとは限らない。
もし仮に、どちらも能力によって盗った末の行動だとするのなら――彼はあのとき間違いなく、自身の安全だけを求め選択したという事にもなりえたからだ。
学徒よりも、友よりも、先輩も何もかもを零にして、保身にのみ走ったとするのなら。自身を犠牲にしてまで皆を守ろうとした先輩や、傷つく生徒に涙する担任や、他を囮にしてでも二人を守ろうとした友とも、恐らく彼は誰の隣も歩けはしない。最後の最後で裏切るのなら、彼は誰も救えはしない。
そんな思いが彼の胸を締め付けて、絞め殺し、息が切れて溺れそうになった時。彼の足は何時もここで止まっていた。
「俺は……ひとりじゃ何も出来ません。我妻が居るから出来るように見えるだけです。あの時だって俺が居なくて我妻だけで動けていたなら、もっと安全に事が進んだだろうし、今回だって――」
昨夜別れた姉妹二人を思い返し息を詰まらせる。助けを求めて来たその手を、友の助力が得られないというだけで、彼は引き止める事さえ出来なかった。同じ特殊能力を持ちながら、自分よりも悪辣な環境に身を投じていながら、自分で切り開こうとしたその両の手を、同じ立場であるはずの自分が掴み上げる事すら出来なかった。
自責の念がいよいよもって彼の体を崩しにかかり、完全に静止してしまった木偶の棒を見て、天戸は最早ため息すらついてはいなかった。
「なら良い、一人で余生を過ごせ。だがあの子が負った傷は、あの子が望んで生きた証じゃ。その傷一片たりとも、ぬしの傷であるなどと宣う事は断じて許さぬ」
広場に消えた影が、再び集まり蠢き合う。一人残された彼を中心に纏わり増殖する見えぬ闇は、天戸の主がむかし懺悔と自責の末に、己が身の内に篭った時と同じものだった。
全てを照らす神であるはずの彼女は、弟君への憎悪の芽生えを受け入れられず、結果地上を後にした。
「主様も踏御も、もっと人であって良かったのだ」
過去の傷を舐めるように、嘆きの言葉は誰にも届かず。遠く天に昇る主様には、未だ混ざる事の無い黒点が彼女の瞳には良く見えていた。
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