Packet 12.I don't want to see you. ~友の日常~

 まだ人の熱を中へとくべて、そう間も経たないマンションの一室。薄暗い寝台のもとに、小気味良い油の弾ける音が届く。昨夜の汗が染み込んだシーツが音を払う様に蠢いて、柔肌を外気に晒した同衾者は、熱を求めて昨夜の続きを催促する。

 男は慣れた手つきで乱れた女の髪をとかしてやると、ルージュの唇を啄んで、熟れた体へ手を這わす。

 熱のこもった吐息が漏れ始め。延長戦が始まろうとした頃に、ぱたぱたと音を引き連れて、情の間の扉は開かれた。


「ちょっと! もう朝よ。あれだけヤっといて元気なものね」


 スーツを着こなす朝の権化は、半覚醒の獣二人を嗜めて、フリルの付いたやや短いエプロンを外して投げつける。丸められた淡いピンクの塊は、シーツの弾力に弾かれて、ベッド横へと広がった。

 快楽に溺れる眠り姫は、男の愛撫を受け入れたまま。投げつけられたエプロンを空いた手でつまみ上げ、ぼやけた視界で立ち尽くす女と照らし合わせた。


「なぁにぃ? プレイ用の小道具なんて持ち出して。リビングでヤるのぉ?」


「違うわよお馬鹿! あんたたちの朝食も作ったんだから、さっさとシャワーでも浴びて、目覚ましてきなさい」


 スーツ姿の女に急かされて、男は最後にキスを一つ。のそのそと浴室へと裸体を向ける。体を火照らせた女は、そんな彼をベッドの上から見送っていると、何かを閃いたのか、口元をいやらしく歪ませて濡れた下腹部をシーツの外へと放り出した。


「ちょっと待ちなさい。あんたは後」


「なぁんでよぉ! あんたがシャワー浴びてこいって言ったんでしょ~? それとも汗でべたべたのまま食べろってのぉ?」


「あんた絶対風呂場で始めるつもりでしょうが! 彼が上がるまで、そこで下の涎でも拭いてなさい!」


 盛大なブーイングで抗議するも、裸子の女は髪を掴まれ。ベッドの上へと搬送される。同年代の女性であるはずなのに、そのやり取りは母娘の様で、男は再び母役から朝の準備を急かされるまで、部屋の入り口でそっと頬を緩ませていた。


 風呂から上がり身なりを整え。出掛ける準備を終えた男が、バスローブを纏った女と共に、朝の匂い漂うリビングへの扉を潜る。

 遮光された寝室では味わえなかった朝の光が、寝坊助二人の視界を一瞬だけ白く染めあげ。瞳が色を取り入れる頃には、テーブルの上には暖かな食事が、湯気たつ二人を出迎えた。

 二人を一瞥した女は、母親役はここまでだと言わんばかりに、トーストの端へと齧りつく。


「それで、今日はどうするの?」


「アタシは今日オフだからぁ――」


「あんたに聞いてないわよ」


「ひどぉい!!」


 バスローブの女は、間延びした声をあげて大袈裟に嘆く。彼女自身。本当に嘆きの声をあげている訳では無いのだが。それでも構って貰えないというのは、彼女なりに不服があるだろう。

 見兼ねたスーツの女は、自分の皿からウィンナーを一本フォークに突き刺し。女の口に突き入れては黙らせた。


「私はいつもと変わらないし。特に何も無いなら、晩御飯作って待ってるわよ?」


 微笑ましい光景に見惚れるまま、男は今日の予定を彼女へ伝える。平日の変わらぬ予定を咀嚼しながら復唱してゆくうちに、昨日飛び込みで入った予定を思い出して、彼の口がしばし止まる。

 伸びた母音の出しきった後。彼は申し訳なさそうに申し入れを断った。


「あらそう。じゃあ今日は自分のマンションに戻るわ。衣替えも近いし、もうそろそろ準備しとかないと」


 気にした素振りも見せぬ女だったが、男は彼女気遣いに感謝と謝罪の言葉を伝える。彼の必死な態度がお気に召したのか、女は思わず吹き出した。


「貴方のたまに見せる年相応なところ、好きよ。大方お父さん絡みでしょ? 気にしなくていいわ」


「ねー、アタシはぁ?」


 朗らかな雰囲気をぶち壊す様に、のけ者にされた子供が拗ねる。相反する不相応で大きな幼子は、与えられていた餌を食べ終えたのか。フォークの先をうらめしそうに咥え込んでいた。


「じゃあさぁ、今日はあんたんちに泊めてよぉ」


「はぁ? なんであんたが付いてくんのよ。ここに泊まればいいじゃない」


「ひーとーりーじゃ、さーみーしーいー! それに例のオッサン、絶対まだ諦めてないもん」


 日曜の夜。ピロートークとして話題にあがったトラブルは、言うなれば客の犯罪行為。職業柄、彼女に限った話ではなく、そういった客も後を絶たないのだが、事ある毎に公安からの介入を許すことは、あらゆる意味で憚られた。

 だからこそ、そういった仕事の裏には創意工夫や自警団が設けられる。


「今日中には冬治さんに解決して貰うから、ね? だからおねが~い」


「家に厄介ごと持ち込まないで。私だって仕事で夕方まで帰れないし、何よりこっちの方がセキュリティ確りしてるじゃない」


「そうだけど……じゃあ今日休んでよ」


「はぁ⁉ 本当に何言ってるのよあんた。股の開き過ぎで頭おかしくなったの?」


 創意工夫。いわゆる従業者間での自衛手段や、経営システムでのトラブル回避によるところが多く。彼女の店もトラブル解決までは、極力一人にならない様に徹底されている。

 とはいえ、あくまで自衛としてであり。安全が確保できているのなら、一人であっても良いのだが。彼女にとって、外を出歩くというリスクを加味しても、誰かと一緒に居る事の方が大事だった。


「お願ぁい! 休んでくれたら絶倫顔負けのテク教えるからぁ!」


「公務員にそんなもんいらんわ! どうせなら嫌な上司のあしらい方教えなさいよ」


「客のあしらい方なら私だって知りたいわよぉ」


 どんな職種でどんな職場であるにしろ。下で働く者の悩みは、斯くも似通うものなのかと男は思う。何れ彼もそんな悩みを解決する側に回るのかと思うと、些かの倦怠感と、挑戦意欲が浮足立つ。

 時間に追われそろそろバスの出発時刻も近づき始めた頃。親子喧嘩の域を越え始めた二人の間を取り持って、彼はバスローブの女に他の娘を寄越す事を約束した。


「それじゃあ行ってらっしゃい公務員に学生さん。私はぁ、新しい子達と仲良くしてるわねぇ」


「まったく現金なんだから……いい? あの子達も学生なんだから、変なテクとか教えるんじゃないわよ」


「…………」


「おい!」


 了承の意を聞けぬまま、時間と女に押され家を出る。バス停まではそう遠くはないのだが、学生服とスーツの女性が並んで歩く姿は、年の離れた姉弟の様で睦ましい。


「まったく、いい歳した大人とは思えないわ。君もあんなふうにだけはなっちゃ駄目よ?」


 彼に対してそんな必要は無用だと分かっていても、お互いの関係がどうであれ、年長者としての助言を話の肴として会話を繋ぐ。

 到着したバス停には、既に停車していたバスが人の行列により足止めされており、バスに乗る女と徒歩の男は互いに労いの言葉を交わす。


「それじゃあ学校頑張ってね――私は嫌いじゃないけど、貴方はまだ子供なんだから、年相応にお父さんに頼りなさい。子供に頼られて嬉しくない親なんていないんだから」


 優しい言葉を投げ掛けて、彼女は同族達とバス中へと消えてゆく。見送った彼は、捨て置かれた言葉の意味を何度も何度も考えて、自分の親がそうではないのだと、口にする前に飲み込んだ。


 彼が反抗期という訳でない。嫌っている訳では無く、父に尊敬の念すら抱いているが、世間一般で言う親子の関係というものを、彼らは随分昔に無くしてしまっている。

 立派な父を持ち、誇らしく思う反面。親としての愛情を十分に享受できなかった彼は、歪であれ父との関係を保つために、父の威を借る事を良しとしない。

 だからこそ、彼は彼を通して父を見据え交渉する輩を好きにはなれないし、彼を通して父を頼る友の願いにも、苦言を述べそうになってしまう。


「本当。俺ってめんどくせぇ」


 情事を重ねた体よりも心は更に重く重く。市長の息子である我妻 友樹ともきは、友に会うべく学校へと足を進めた。





 都心部の高級マンション。各種警備システムに地下駐車場を完備し、一階にはテナントショップが建ち並ぶ。

 日常生活を送るだけならば外に出る必要すらない養殖場の一室で、あまりにも場違いな学生達だけの密談が行われていた。


「ふむふむほうほう。おけーおけー、大体事情は読み込めた」


 送迎車を使い連れてきた友と依頼主からの説明を聞き終える。依頼や会話をする為だけに使われるこの部屋には、飲食類等の腐りやすいものは常備されておらず、一階で買ったものをその日の内に消化する。

 広いリビングで部屋の主である我妻は、生返事ともとれる軽い口調を返しながら、全員分のお茶と茶請けを用意していた。


「なんというか、えらくあっさりしてるな」


「ほや? だって別段難しい話でも無いでしょうに。そりゃフミフミがそんな能力持ってたのには驚いたけど。要は特殊能力を持ってる君達が目の前に居て、君達みたいな子達を、非合法で研究開発する組織が居るって話でしょ?」


「いやまぁ、そうなんだけど……」


「大体天戸様の件だってあるんだし、それに比べれば今更じゃね? 今の私めは超常現象どんとこいよ?」


 前回の一件で未だ気負う友をおいて、我妻は残り二人の依頼者へ目を向ける。金と銀の髪を携える二人組は、一見するだけで外国からの来訪者だと判別可能で、二人の在り方は、姉妹というよりも凸凹コンビのそれに近い。

 血の繋がりなどまるで感じない上に、口もまともに聞けない相方を甲斐甲斐しく世話をしてまでお人よしを探し当てたのだから、その時点で訳ありである事は疑いようもないのだろう。

 ましてや先程からアイラと呼ばれた銀の君は、初対面である我妻に対して警戒の色を一切薄めていない。これには人見知りすら解く事が出来る我妻も初めての経験で、彼に対して言葉の信憑性を持たせるには十分だった。


「呑み込みが早くて助かるわ。なら単刀直入にお願いするのだけれど、私達を匿って貰えないかしら? 彼らが一度諦めて帰国するまでで構わないの」


 金の君であるカルエが我妻に対し願い出る。先の説明で友人である踏御にまで危険が及ぶことも伝えた彼女は、悪くない返事が貰えるものだと確信していた。

 だが、我妻からでた返答は彼女の期待を大きく裏切り、その首は縦には振られなかった。


「申し訳ないが、それは出来ない」


「なッ! どうして⁉ 暫くのあいだ身を隠せる場所を貸して貰えるだけで構わないの。別にこんな立派な場所でなくても――」


「そうじゃないよお嬢さん。聞けば相手は荒事専用の雇われ部隊。今でこそ部隊だけで動いてるだろうけど、本格的に探し始めれば、現地の人間を引き入れたり脅し始めるかもしれない。そうなれば時間の問題だ」


 あくまで機械的に、子供を諭すような口調でありながら、感情の籠らない言葉で説き伏せようとする。予定を大きく狂わされ、焦る彼女らがくだらない冗談を口にする前に、我妻は代案を差し伸べた。


「見ず知らずの来訪者より、市民の方が大事な俺としては、公安に助けを乞うか、大使館まで逃げ切る事をお勧めするよ」


「無理よ。私達は正規の手続きであの忌々しい所長の養子になってるもの。パスも持って無い今の私達が騒いだところで、あいつらが迎えに来るのを待つだけよ」


「ならお手上げだ。精々お嬢さんの無事を祈るしか出来ないね」


 もとより今回の件に乗り気でなかった我妻は、両手をあげて話を打ち切ろうとする。こういった手合いの願い事は、続ければ続けるだけ、いらぬ抗弁を生んで恨みが募るからだ。

 それを知っていた彼は、そうなってしまう前に早急に話を切り上げたかったのだろが、そんな気遣いは虚しく。彼女はその可愛らしい口で口火を切ってしまった。


「私達が捕まれば、あいつらは本来の目的を遂行する。私達も自分の命は惜しいもの、きっと貴方のお友達は私達の仲間入りよ」


「それは困る。そうだな、じゃあ君達を事故死に見せかけて、彼らの下に死体で返すとしよう」


「我妻お前――ッ!」


 踏御が絶句し、一瞬場が凍り付く。椅子から立ち上がろうとする友を片手で制し、彼は視線を彼女から一切外さない。

 売り言葉に買い言葉。そんな言葉で片付けられる冗談や喩えでは無いことは、その態度から誰もが容易に感じ取れた。


「子供にそんな事が出来ないとお思いかな? そういった荒事は何も俺個人がやる必要は無いし、外国だけの専売特許って訳でも無いんだぜ?」


「そんな事をしたって、ここに目標が住んでるのはもうばれてるのよ?」


「確かにそうだろうな。でも見つける手段は無くなる。元々そっちのお姉ちゃんが君らを連れてきたんだろう? ならこいつを知ってる君もろとも喋れなくなれば、相手が殺人狂のウォーモンガーでもない限り、この都市に被害は及ばない」


 実際のところ、件の研究施設が踏御個人のポテンシャルを重視しているのであれば、多少のリスクを背負っても次の使者が送られてくる可能性はあるのだが、何らかの装置を使っての不特定多数を誘拐・囲う手口は、個人を重視したものでは無いであろうと我妻はそう判断した。

 なにより、これで彼女が引き下がってくれるのであれば御の字で、事実カルエから二の句が出る事は無く、彼女は小さく下唇を噛んで耐え忍んだ。


「……ならせめて貴方のお父様。市長と交渉する場を設けて」


「交渉? お金も何も持って無い君がどうやって交渉するんだい?」


「私達の能力買ってもらうわ。貴方と違って相手は市長ですもの。利用する価値はある筈よ」


「リアルタイムカーナビと感知器ね。まぁ確かに利用価値はあるだろうけど、逃げた先でも飼われたいなんて、君らも相当物好きね」


「――ッ! モルモットにされるよりマシよ!」


 金の君。カルエの能力はマッピングで、彼女を中心とした任意範囲の通路や建物の構造が把握可能であるというもの。

 銀の君。アイラの能力は人の思考を読み取ったり、敵意や悪意を感じ取るという踏御に似た能力だが、彼女自身が能力開発の施術により知的障害を患った為、正確な能力詳細までは誰も把握できてはいない。


 カルエ自身も副作用を体に刻まれ、能力の為に脳を弄られ体を弄られ。ようやく訪れた異例の外出。これから続いていたかもしれない施術の数々を考えると、待遇や尊厳はどうであれ、外界の人間に飼われた方がましだと判断したのだろう。

 だがそんな彼女が出した苦汁の選択も意に関せず。我妻は少しだけ憂いを帯びた声で彼女の申し入れに答えた。


「親父は俺よりもっとシビアだよ。お嬢さんなら気付いてるだろうけど、各国から人を囲って実験動物に使うのがまかり通ってるなんてのは、治安の差異はあっても何かしら大きな後ろ盾が必要だ。あんたらを匿うって事は、下手するとそのバックともかちあう。親父ならそんなリスクを抱える前に、三人揃って突き出されるよ」


 最初の説明を聞いた時点で一番の懸念材料だった点。我妻もそこに感づいていたからこそ、自身の感情抜きにして彼女らの申し入れを断った。

 海の向こうの知らぬ集団。そう聞き流して彼女らを匿う事は容易だが、仮にもし、後ろ盾が国や軍隊。それこそ殺人狂のテロ組織で、彼らの作戦上に彼女達が居た研究施設の成果があったのなら……明確な敵対行為は彼女達が生きている限り、街に逃れようのないを呼び込む。

 同時に本当に彼が私情を一切抜きにするのなら、踏御も同じく切り捨てるべきなのだが、その点を今も追い込む彼女達の良心に賭けてしまっているところは、父親の影響を受けてなお、年相応に残った甘さなのかもしれない。


 機密性を重視する為、高級マンションの一室でありながら窓の一切無い部屋を軽く見まわして、カルエは震えた息を大きく吐き出す。取り付く島もない現状を受け止めた彼女にとって、外の景色が見えない屋内は、ただただ施設を思い出して息苦しさしか感じない。


「外の人間に希望を持ち過ぎた私が馬鹿だったわ。そうね、何処にいても人は人よね」


 先程までとは打って変わり、落ち着いた様子で玄関へ向かうカルエ。終始青い顔で全員の顔色を窺っていたアイラは、怯えながらも後を追う。

 玄関のノブに彼女の手がかかる頃。部屋の主は礼も無い無法者に、思い出したかの様に一言だけ声をかけた。


「Welcome to this city. Stranger.」


「Thank you. Vulture.」


 防音の室内に大きく残る音をたてて、扉は強く閉められる。置いて行かれた踏御は立ち尽くし、事が終わった我妻は疲れたと言わんばかりにテレビの前に置かれたソファーへ座り込んだ。


「悪いな。意地の悪い事して」


「いや、こっちこそ、その……悪かった」


 それだけ言い残し、友は異邦人の後を追う。残された我妻は扉の方を見向きもせず、何も映らないテレビの画面をただただ見つめて時間を止めた。

 どうしようもないやるせなさに、本当にこのまま時間が止まれば良いとさえ思い始めた頃、彼は発作的にポケットから携帯を取り出し電話帳を漁る。


「年相応、年相応……俺もまだまだ甘いね、どうも」


 液晶に映し出される電話帳は、商店街の分類で止まり。そのトップへの通話を開始する。血の繋がりは無くとも、息子の様に可愛がってくれる彼らに対しての交渉はこなれたもので、その後に続くであろう父親への交渉へ思いを馳せると、彼の胃は小さく痛みの悲鳴をあげた。



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