Packet 11.Nice to see you ~彼の休日~

 何処にでもあるデッドスペース。家具と部屋の埋まらない隙間。建造物同士の用途が見出せない狭い空間。利用できるはずの伸びしろであり、何故か埋まらず持て余してしまう。確かに必要ではあるはずなのに、有効活用されなかった死腔。

 休日を持て余していた踏御は、街の隙間を埋める様にして設置された公園で、取り込めなかった酸素を空へと吐き出していた。


「うーう! あうー」


 足の錆びたベンチに座る彼の腰には、鳴き声をあげる巾着が一つ。繰り返し聞こえる空気の振動には、決まった法則などは無く。巾着から漏れる不規則な声は、明確な感情をもってして、ただの笑い袋では無い事を示唆していた。


「困ったなぁ。こんな事なら携帯を家に置いてくるんじゃなかった」


 眼下には麻の長糸に覆われた頭頂部が声に揺れ、彼の膝上に伝わる柔らかなぬくもりは、花柄のワンピースが発する錯覚ではない。

 取るものも取り敢えず家を出たはずにもかかわらず、街の一角。とある病院付近で、いま彼はこうして会う約束などした覚えのない少女に磔にされていた。


「あのさ、そろそろ立ってもいいかな? ほら、ジュースとか欲しくない?」


「うっ!」


 会話は出来ずとも意図は通じたのだろう。寝そべる彼女は褐色の手を真っ直ぐと伸ばし、長く荒れた麻くずを揺らす。幼く見える言動をしているが、体躯は踏御の年代と同じ程度には成長しており、単純に言語が分からないという理由ではない事が窺えた。

 肘で支えられていた上半身は、踏御の太腿を淡く押し潰し、計五回を超える同じやり取りに、彼は一層難色を深めることしか出来ない。

 そんなやり取りが続く中、再び少女は手にクレヨンを握る。彼と出会ってからずっと、彼女は持参の道具で絵を描き続けていた。


「病院の患者かなぁ……」


 麻のひざ掛けの体温だけを感じつつ、彼は大きく空を仰ぐ。造園によって植えられた木々の隙間から、見慣れた青がちらついている。

 都市化が進む一方で自然を多く残すこの地において、ただ場所をを埋める為だけに造られた憩いの場など、街を転がる塵より人目につかなければ、届かぬ手紙よりも意味も無い。

 それは朝から無為に街を練り歩き、異国の少女と出会うまで、錆びたベンチを愛でていた彼自身も同じ様に見えた。


「うーう、うーう!」


「え、なにどうしたの?」


 薄手になった上着を引かれ、放心していた彼は少女の呼びかけに答えると、少女は何時の間にか踏御の膝の上に跨り、満面の笑みで描き終えた絵を彼に見せつけていた。

 掲げられた紙の上には、白の余白が隅へ押しやられ。深い深い青で塗りつぶされた空間に、無数の黄色が点在する。

 星空と見紛う如き小さな世界の中心に、人型の配役が五人。どれも小さな紙の世界では手の平程の大きさも無かったが、登場人物は幼い少女が描いたクレヨンの世界とは思えない程に、精巧で的確に特徴を捉えていた。


「凄い。これ、もしかして俺?」


「うっ!」


 笑顔で頷く彼女が自分を模した少女も指差す。絵の少女が繋いだ手の先には対となる様にして金糸の少女と、男の子がもう一人。彼女の保護者か知り合いであろう二人を合わせて、四人は大きく手を振っている。

 そして最後の一人。色の無い彼女は、四人を見守る様に遠く離れた場所にひとり佇んでいた。


 何時の間にか絵を少女から借り受け手に持っていた踏御は眉をひそめる。誰が見ても、確かにそれは色の描かれた女性であるはずなのに、彼は彼女を見る上で、それ以外の認識が出来なかった。


 蟠りが気管を詰まらせ、呼吸を忘れた体は四肢の感覚を鈍らせる。漏電を起こし火花を散らす脳では、立ち位置さえあやふやになり、どんな姿勢をとっているのかさえ分からない。

 白昼夢をみているような彼の意識は、空気の抜ける間抜けな音によって現実へと引き戻された。

 焦点を取り戻した視界の先には、未だ向かい合ったままの少女が、持参のナップサックから、子供用の水筒を取り出して喉を潤していた。


「あぁそうだ、ねぇちょっとそのカバンの中。見てもいいかな?」


「あう?」


 意識を取り戻した踏御は、そこに来てようやく思い至ったのか、先程までの自分をはぐらかす様に、彼女の荷物から身元を探ろうと試みる。

 彼女もそれに不信感は抱かなかったのか、サックの中からお菓子を一つだけ取り出すと、快くナイロン製の袋を彼へと差し出した。


「スケッチブックにハンドタオル。傷薬にお菓子と着替えに下着――あぁごめん! 見るつもりじゃ無かったんだ!」


「うー?」


 家族とは違う異性の下着にたじろぐ彼だったが、気持ちを抑えて袋の中身を外へと吐き出す。

 だが彼が望んだ連絡手段や連絡先。身分証明などは一切見つからず、出てくるのは子供の遠足装備一式。唯一毛色の違う持ち物は、袋の奥底に眠っていた小さなメモ書きと、一枚のカードだけだった。


「病院から逃げ出した子なら、身分証明か連絡手段位あると思ったんだけど……英語かこれ? やばい、読めない」


 学生とはいえ慣れない筆記体に頭を抱え、携帯を持ってこなかった事を悔やむ踏御。成績優秀な友ならまだしも、平社員ならぬ平学生な彼に穏便な策は思い浮かばない。

 しばし有名な像の真似事をした後。彼は意を決して、少女の細い腰に手をかけると、強行手段でこの子の体を引き剥がした。


「うーう、うーう!」


「ごめんね、でも警察の人か誰か呼んだらすぐ戻って来るから」


「うい!?」


「Go fuck yourself motherfucker!!」


 泥の様な雲を抱えて食い潰していた彼の休日は、突如降り注ぐ罵声と共に、鈍い痛みと金銀糸舞う空によって終わりを告げた。





 夕日が沈み、街の輪郭が薄れては星の粒が増え始めた頃。一軒の古い家から華やかな声が暖色の電光と共に外へ漏れる。【踏御】と銘打たれた表札を掲げる彼の家は、彼の父が狐泉市へ転勤となった際に、市と会社から譲渡されたもので、きちんと改修はされているものの、住み始めた年月と比べ、年季の入った田舎の家という印象は拭えない。


「ごめんなさい奥様。こんな時間に突然お伺いしてしまって」


「あらやだ奥様なんて仰々しい。やっぱり華があると違うわねぇ」


 踏御の母・千鶴ちずるが嬉しそうに夕食の準備を進めている。年季の入った古い木造の床は、重くはない彼女の足取りでも、床をぎしぎしと踏み鳴らす。

 台の上には普段よりも幾分豪華な料理が並び。三人分の食器に加え、来客用の食器と椅子が華の二人へあてがわれていた。


「我妻市長のお知り合いなら、うちとしても断る理由はない。あまり豪勢なもてなしは出来ないが、ゆっくりしていきなさい」


「有り難う御座います。叔父様」


「うー」


 長い金糸が垂れ下がり、真似る様に銀糸がその後に続く。四角いテーブルを挟んで会話を交わす金糸の少女に、準備の終わった千鶴が夫である雅樹まさきの隣へと腰を下ろした。


「アイラちゃんの食事は手伝った方が良いかしら? 必要なら席を移すけど」


「心配には及びませんわ奥様。障害があるとはいえ、姉もスプーンがあれば一人で食べれますので」


「うっ!」


 アイラと呼ばれた褐色少女は証明するようにスプーンを高らかと突き上げると、握り拳で器用に持ったまま、並べられた料理を口へ運ぶ。千鶴はそんな彼女の姿に微笑ましい感情が芽生え、母性のままに頭を撫でてしまう。

 我に返った千鶴は急いで手を引っ込めて謝罪するが、妹である金糸の君からは嬉しそうな声が零れた。


「カルエちゃんも遠慮しないでどんどん食べて。お口に合うかは分からないけど」


「有り難う御座います。見てるだけで美味しそうな料理ですもの。口に合わない筈がありませんわ」


 カルエと呼ばれた金糸の君は綺麗な髪を後ろへ払うと、慣れた手つきで箸を扱う。綺麗につままれた料理の数々は人形の様に整った彼女の口へと運ばれて、その一挙一動が気品に溢れている。

 ありふれた例えでは西洋人形の様に透き通った美しさを持つ彼女に対して、千鶴はただただ羨ましそうに息を洩らす。


「どうした史、浮かない顔して。食べないのか?」


「あぁいや食べるよ。うん」


「きっとこの子。同年代の女の子を家に泊めるから、一丁前に緊張してるんだわ。ごめんなさいね?」


「同じ年代の子にはよくある事ですもの。気にしてませんわ」


 華飛び交う女性陣と裏腹に、一人終始浮かない顔のまま楽しい楽しい食事は終わり。一階でくつろぎを得る大人たちからの申し入れを差し置いて、明日の相談があるからと、子供三人は二階へ上がる。

 怖さと暖かさを感じる急な階段をぎしぎし鳴らし、上がってすぐの立て付けの悪くなった扉を強く押し込むと、その先には学生の踏御が持つにしては幾分広い、土壁に囲われた和室が広がっていた。

 来客を想定しない彼の部屋には、客人を座らせる準備などされておらず。彼は仕方なく二人分の座布団を用意しようとするが、カルエを備え付けの勉強机へ足を進め。アイラは制止の声が届かぬうちに、部屋の趣には合わないベッドの上へ飛び込んでしまう。

 踏御は夕食中溜めていた息を大きく吐き出すと、アイラの遊ぶベッドを背もたれにして、畳の上に腰を下ろした。


「素敵な家に素敵な家族ね。羨ましいわ」


「そりゃどうも」


「貴方この街の市長にコネがあるのね。だったら明日は――」


「あのさ、その前に色々説明とかなんか言う事ない?」


 鬱屈した気持ちを表すような顔のまま、踏御はカルエに見せつける様に後頭部をさする。そこには大きなコブがあり。触れた先から鈍い痛みが首筋まで伝い、昼間経験した悶絶の記憶を鮮明に思い浮かばせた。


「あら正当な報酬じゃない? あの子の下着を物色して、あんなに体を触ったんですもの。当然よ」


「だからあれは誤解だって。あの子のせいで動けなかったんだから仕方ないだろ」


「なら私のも誤解で仕方ないわね」


 屁理屈と分かっていても、ぐうの音も出ない正論に、彼は言葉を詰まらせる。被害を被ったのは事実だったが、アイラの説得が通じたのか、誤解が解けた後は介抱を受けていた。

 なにより半ば脅迫じみていたとはいえ、自分も巻き込まれてしまうなどと言われれば、青少年としての彼は、か弱い女性を助けるヒーローにならざるを得なかった仕立て上げられた


「それで、初対面の俺が巻き込まれるってどういう事なんだ? 追われてるなんて言うから渋々匿ったけど……」


「そうね。貴方人より少し変わった事が出来たり、変わった経験はしたことはない?」


「は?」


 唐突な物言いに彼の口は開いたまま動かない。事情を説明しろと問うたのに、自身の経験談を問われる事になるなど夢にも思わなかったからだ。

 なにより質問の内容も突拍子が無く。怪しすぎて騙す気すらないその文句に、宗教染みた恐怖すら感じられて、彼は眉をひそめてしまう。


「その可哀そうな人を見る様な目を向けるのはやめてくれる? 殺すわよ。真面目に聞いてるの、大事な事だから答えて」


「まぁ確かに、最近変わった経験なら……」


 青い瞳から伝わる真摯な態度に気圧されて、踏御は先日起きた森での一件を思い出しては影を落とす。解決したはずの一件ではあるのだが、その被害は未だ甚大で、彼の心の中では何一つ解決などはしていない。

 二度にわたる彼女への爪痕は、確実に彼の念を増幅させて蝕んでいた。


「経験はあるのね――アイラ。叔母様と叔父様はどんな感じ?」


 聞くが早いか、アイラは自前の絵描き道具を使って白い世界に色を落とす。対するカルエは瞳を閉じて、上着であるジャケットを抱えたまま、椅子の上で動かなくなってしまう。

 デニム生地の短いタイトスカートに赤いキャミソールという服装は、西洋人形と例えるにはかけ離れていたが、息遣いも聞こえない彼の距離からでは、ゼンマイの切れた人形の様で美しかった。


「うっ!」


 目的の絵が描けたのか、アイラが昼にそうしていた様に、二人に描いた絵を掲げて見せる。そこには昼に見た絵ほどの精度は無かったが、踏御の父と母の姿が描かれており、テレビを観る父の上には小さな女の子。タオルを持った母の上には、湯気のたつ浴槽が描かれていた。


「アイラちゃん、カルエちゃん。お風呂の準備が出来たわよー」


「はーい。今行きます」


 何時の間にか瞳を開いていたカルエが、二人分の返事を返し立ち上がる。


「バスルームって、階段降りて後ろの左手にある通路の突き当たりよね」


「あ、ああ。でもなんで知って――」


 家に入って間もない彼女。知るはずのない間取りを、さも当然の様に言い当てられ。戸惑いを隠せぬ彼の言葉を遮って、カルエは少しぎこちない動きで、踏御が背を預けているベッドの下へ手を差し込んだ。

 探るような手つきの後。引っ張り出されてきたのは、年齢制限のマークが印刷された成人誌で、女性の恥部がありありと表紙を飾られている。


「そういうのは、もう少し雑多な物に混ぜなさい。不自然な場所に本が一冊なんて、見つけたら見てくださいって言ってる様なものよ」


 異性から最もされたくない助言を受けた踏御は、驚きと恥辱で脈拍と体温が上昇し続ける中。カルエは足の痺れを堪えるような動きのまま、アイラを連れて彼の部屋の扉を開いた。


「逃げた私達を探してるのは、そういう人間をモルモットにするのが好きな連中。今回私達がこの国のこの街に来た目的も、貴方を連れ去る為よ」


 閉じられた部屋に一人残された思春期の青年は、恥辱にまみれた体を掛け布団で覆うべきか、衝撃の事実に驚くべきかわからず。蛍光灯の明かりが反射して、裸体が隠れる秘蔵の一品をただ眺める事で、辛うじて心の平穏を保つしかなかった。


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