Packet 10.お役御免

 都心部から外郭に向かい数分。バスは錆びた看板の目立つバス停へと到着する。数年前までは町の生命線だった停留所は、今では一居住区の連絡線へとその役目を変えている。

 まだ初々しさを残すバスが機械音と共に扉を開くと、ステップから細い足が軽快に段差を飛び越して、年季の入ったアスファルト踏みしめた。

 長身にも負けぬ細く長い金糸を舞い上げて、田舎風景へと飛び込んできた女性は、きっと異性であれば誰もが振り返る程に美しく――そして残念の一言に尽きていた。


「おや、数日ぶりじゃの」


「お久しぶりです天戸様。その、相変わらず目立ちますね」


「そうか? 今時はこの髪も目立たぬと思うたが」


「あぁいえそっちではなく服装が……特に上着」


 彼女が着用する衣類はジーンズにTシャツとシンプルなもの。聞くだけでは性別に関わらず無難な出で立ちにはなる筈なのだが、その上着の絵柄。豊満な胸で引き伸ばされたアニメ調の龍だけが、あらゆる意味で見る者の理想を叶え挫いていた。


「その上着以外は無いんですか?」


「他にも化けれん事は無いが、これは街の土産品じゃろう? 立派だと思うんだがのお、何より愛を感じるぞ」


 自慢げに胸を張る天戸によって、更に龍の表情は間延びする。その爪に掴まれるように描かれた愛を表すローマ字は確かに、多くの男性からの歪んだ『愛』が集まる二つの立派な突起物が、文字を囲い主張していた。

 彼女にとって人としての羞恥心という感情は、化かすうちには入っていないのだろう。


「とりあえず先輩が退院したら、新しい服を用意してもらって下さい」


「似合うとらんか?」


「似合――うかどうとかではなく、色々馬鹿っぽいです」


 葛藤の末。そっけなく答えた彼に、天戸は残念だと上着を摘まむ。落胆する彼女を背に、彼が乗車するはずだったバスは、扉を閉じて都心へと折り返した。

 バスの車体が作る風に天戸の持つ買い物袋が揺らされて、蒸し暑さを感じる梅雨の空気は、二人の体に張り付いた。


「えーっと、天戸様は先輩の怪我が治った後どうするんですか。やっぱり、ちゃんと岩戸を祀る社に皆で参拝とか?」


「なんじゃおぬし、まるで行ってこいと言わんばかりの口ぶりだのう」


「いやいや!そんな事は無いですよ!」


「まぁ残念じゃが分からんよ。うち自身、未だどうなるかは父君母君次第だしの」


「そう、ですよね……」


 祟り神が消えたあの日、最も彼らを悩ませたのは事後処理だった。

 関係者であり部外者だった近藤含む他数十の生徒には、天戸自身の申し出により、事実を一部脚色し姿を変えてその場を収める事に相まった。

 暫くは生徒達の間でお狐様の話題が幅を利かせる事になるのだろうが、軽症二名に重症一名。そんな彼らが大勢の前にして事態の悪化を避ける為には、超常現象ありきで語る他なかった。


 そして最後に残った怪我人への処置。森を走り獣に追われ、最後には霧に倒れた二人は、体力の消耗こそあれど目立った外傷は少なく、駆け込んだ先の病院でついでの治療を受けて事なきを得る。

 しかし重症であった布津巳に至ってはそうはゆかず。飛び込みで入った患者は、順番を待たずして集中治療室へと運び込まれた。


 車をとばした近藤から布津巳の両親へと報は届き、着の身着のまま到着した両人は、説明を受けるほどにその顔を蒼白へと染めてゆく。

 口を抑え崩れん体をやっとのことで支える母、そして近藤の度を越した叩頭を無言のまま受けていた寡黙な父。責を負わんと女人へ化けた天戸の頬には、何時しか大きな手の平が打ち付けられていた。


「もとよりそれらの社へ出向いたところで、既にうちの居場所などはありはせぬよ。名への真偽は別として、そこに集う信は神を生む。生まれた神に紛い偽るものは無く、真なる神がおるだけじゃ」


 当時。天戸が下りる事で体機能の稼働限界を保っていた体は、彼女が抜ける事で徐々に神から人へと戻り、病院へ着いた頃には残り香ほども体温は残っておらず、呼吸すらままならない状況だった。

 振り回された下肢の骨は折れ、四肢を繋いでいた靭帯はとうに千切れ跳んでいる。この世ならざる声を発した喉は潰れ、酷い炎症で腫れあがった気管では、呼吸を行う体力すら残っていない。

 たとえ現代医学において致命傷となる症状ではないにしろ、うら若き学生が陥る事などそうは無い。加えて彼女の魂は、今にも消え入らんと燻ぶっていた。


 器は人の手で救えても、生の活力たる魂が消えゆけば何れ体も朽ちゆく定め。人ならざる天戸がとった手段は、自身の魂を布津巳へと譲り渡す事だった。

 神の器だけを外へ残し、己である魂だけを付木として燃やし受け継ぐ火継の儀。そうする事で彼女の魂はその身に生を灯し、活力を得た体は命を繋ぐ。


 魂は器無しでは儚く散りゆき、器は魂魄によって縛られる。

 彼女はそうして、残りの余生を一人の少女に委ね添い遂げた。


「主様から離れ幾月年。一度は離れたが腰を据えたのはこの土地じゃて、最後の最後に大捕り物となってしまったが、あれでお役御免なれば悔いはない」


「でも!」


「踏御よ、おぬしの心に人の心配を被せるでない。おぬしが今本当に悩み苦しんでおるのは、うちの事ではないじゃろう?」


 胸を突かれ、欺瞞を見透かされた彼は息を忘れ口を紡ぐ。生殺与奪を人へ委ね、宣告を待つ身の上でありながらも、目の前で迷う少年の道を示す事が出来たのならと、彼女は満面の笑みで今は低い彼の頭を優しく撫でた。


「ではの童。うちはこのお神酒を自分の社へ供えねばならん。人に説法聞かせる者が、自分の世話も出来ぬとあっては、神の名折れだからの」


「俺もまた近いうちに伺います」


「なんじゃ、媚びなど売りに来ても、今のおまえさんに聞かせる神託なぞありゃせんぞ?」


「いえそういう意味ではなくて……」


 ばつの悪そうな顔で答える踏御を見て、かんらかんらと笑う天戸。まとわりつく様な蒸し暑さはなおも変わってはいないが、夏を予見させる晴れ間の光は、彼女の笑顔を祝福していた。


「行くか行かぬか。それだけじゃよ童。父君も母君も、誰もおぬしを責めてはおらぬよ」





 鳥居の前で天戸は先を仰ぎ見る。だがその身形は数刻前とは違い、華やかな振袖姿で顔は和紙の日傘で口元までしか窺えない。

 春を祝うにしては遅すぎて、浴衣代わりとしては幾分早く派手な彼女は、進むでも戻るでもなく、日の当たる神社の境でじっとしていた。


「なんじゃい、折角一張羅で来てやったと言うに無愛想な髭面じゃのお。そんなに派手なのは嫌いか、のお蛍よ」


 突然の名指しに、離れた木陰から活発なショートポニーが顔をのぞかせる。何処かからの帰りだったのか、ショートパンツに無地の半袖という性格ぴったりの服装で、脇には自転車が停まっていた。

 日傘からは死角であるはずの場所から彼女はおずおず天戸の下へと近づくと、日傘を覗く様に首を傾げた。


「そのぉ、失礼ですがどちら様で?」


「おぉそうかそうか、この姿では会うておらなんだの。天戸じゃよ天戸。先日の申し出、無下に扱い失礼した」


「天戸……あまとアマト……あぁ! あの時のお嬢ちゃん――の、お母様?」


「なんじゃおぬし、我妻の倅からは何も聞いとらんのか」


 怪訝な顔をする蛍に天戸が軽く身の上話を聞かせると、蛍の顔は表情を忘れた能面の様に目を丸くする。

 天戸は彼女の表情がよほど気に入ったのか、手のひらを顔の高さまで持ち上げると、小さな狐火を出して見せた。


「マジック――とかじゃ無いですね。おぉ、なんというかこれは……お姉さんブルッて催してきましたよ? 耳……いや尻尾! 九尾的なあれな尻尾は!?」


「耳と尻尾か? 元々あったのは気が付いたら無くなっとったでのお、幻で良ければ生やすが?」


「わぉ空狐様でしたかって天岩戸ご本人――いやご本体? なら当然ですよね~」


 人によれば梅雨の空気よりも煩わしいだろうが、久方ぶりに持て囃される天戸にとっては嬉しくもあり懐かしくも感じられた。

 はしゃいでは騒ぐ蛍は、多少の無茶を承知で出した願いを、本物の手品の様に彼女へと披露する。そんな天戸に対し、蛍は冗談めかして感謝の柏手を返そうとするが、天戸はそんな彼女の手をそっと掴んで窘めた。


「しかしまぁ、そんな天戸様が何故うちに?」


「この地を治める者へ顔見せにな。後は唄の続きを聞きに来た」


「うた?」


「聞けばうちの居場所を探る際、数え唄を頼りにやって来たと言うとったからの。数え唄ならば、十まであろう?」


 天戸の社があった場所。彼女と踏御達が出会った最初の場所を示す歌は、五つまでの数え歌。出し渋りや後半の必要性などの問題ではなく、阿蓮兄妹もそこまでしか覚えてない。

 余分な情報が無かったからこそ辿り着けた正解ではあるのだが、一般的な数え歌としては些か物足りないのは聞いた全員が気にしており、記憶を引っ張り出した蛍自身が一番引っ掛かりを感じていた。


「あの子達に教えた後も気になって何度も思い返したんですけど、やっぱり私達も聞いたのは五つまでなんですよ。やっぱり続きあったんですね」


「いや、うちもしらん。だがそうか、永い月日で途切れてしもうたのかもしれぬな」


「あぁでもでもですよ、地図とにらめっこしててちょっと調べた物ならありますよ?」


 蛍は話の流れで天戸を母屋へ招こうとするが、彼女は入れぬとだけ蛍へ返す。それではと蛍は地図と幾つかの紙束を母屋から持ち出して彼女の前で広げてみせる。


「あの数え歌って狐の社を示すにしては、歌の歌詞に脈略が無いんですよね。しかも五つまでで社の場所が分かっちゃう。ならもういっそ他の節は考えないで、狐の一節だけを調べようとそこの資料を探ってたんですけど、出てきたのは古い碑文の写しだけでした」


 そう言って彼女は資料からコピーしたであろう碑文の写しを彼女へ手渡す。受け取った天戸は慣れない文字を読もうとするが、元が既に良くなかったのか、多くの文字は崩れて読めず。彼女がそこから得られたのは、ほんの一握りの言葉だけだった。


「開拓前にあった古い石碑みたいなんですけど、見つかった時にはもうボロボロだったみたいですね。ご要望であればもうちょっと調べてみますけど」


「――いや、これで良い。これだけで、うちは満足じゃて」


 彼女が思い馳せるは古い古い過去の約束。気まぐれで助けた男とのちょっとした戯れ。

 夢を語り、大きくなって帰ってくると勇む男は、ついぞ帰って来る事は無く。気付けば世が変わり果て、彼女がこの地を追われ去った後。彼女の約束もまた、そこで一度は途絶え朽ちてしまった。


「そうか。おぬしの願いは、ちゃんと帰って来ておったのだな」


 神となって崇められ、厄神と追われ世が変わる。

 人が消えて神を封じ、そしてまた人と出会い、文はようやく彼女へ届く。

 ――ゆめはついえず。

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