Packet 7.芯なき信

 後の彼による談によると、彼女に対する猜疑点は幾つかあったらしい。


 一.初対面からの挨拶キック――F〇ck。

 二.年齢相応の口調ではない――家庭の影響か、子供に見られたくない一心?

 三.山奥に一人だけ。本来の依頼先――不自然。複数文は出せるのに、直談判は無い様子。

 四.御神体に対する接し方――信者なら叩けない。直して欲しい。縁の者?

 五.彼女の家――反対方向に住居無し。数キロ先まで森だけ。


「大体あの子が着てた制服って、俺の母親世代が着てた制服だぜ? 親のお下がりにしたって、わざわざ山奥に来てくる必要性がねぇ」


 翌日の放課後。初めて差出不明の投書を開いた同じ場所で、踏御達三人は今後の対策を練るために集まっていた。先週の様な奇行演目を開く輩は、今もって存在しない。


「家がそんなに裕福じゃない、とかは?」


「お言葉ですが先輩。着る物にも困る家庭が、マイナー信仰復興なんて頼みませんよ。頼むならもっと直接的で身になる援助を求めます」


「それが分かってたから、あんな態度で接してたのか?」


「いや、あれは単に私情と私怨。我妻ちゃん初めてのキスは大歓迎だけど、初めてのキックはちょっとなぁ。キリストじゃあるまいし」


 勘違いで蹴り飛ばされてはたまったものではない。首をかしげて椅子に体を預けた我妻はそう言うと、昨日の痛みを思い起こしたのか、蹴られた腹部を右手でさする。いかに人付き合いの得意な彼でも、理不尽なコミュニケーションには納得できなかったらしい。

 その様を見ていた踏御と布津巳は、苦い笑いを返しながら依頼の取り消しをするのかと尋ねたが、我妻からの返答は、問いに対する非を意図するものだった。


「そりゃまぁ乗り気じゃない半面も、あるっちゃあるんですけどね。昨日あの子の前でやる気を見せた以上。下手に手を引くと後が怖い」


「怖いって、あんな子がまた蹴りにでもやってくるのか?」


「物理的ならまだいいんだけどな……昨日の行燈あっただろ? あれ最後中身すっからかんよ。山中じゃ流石に怖くて確認出来なかったけど、火皿すら無かったもん」


 オカルトじみた告白に、我妻の言う普通じゃないの意味が、自分達のそれとは違う事にようやく気付き。嘘や冗談では無い事を察すると、体と表情を硬直させる二人。

 どうやら我妻は、天戸との出会いも思慮に入れ。彼女のテリトリーが山中までと想定し警戒をしていた為に、下山中終始警戒を怠らなかったらしい。

 結果として無事に帰れたので、彼女の所有物である行燈を森へと返し事なきを得たが、もし彼女が本当にそういった能力を持っていたとして、返すつもりが無かったのならと、話を聞いていた二人の背中に冷たい汗が伝い落ちた。


「とまぁ脅した矢先にあれだけど、会話が成り立って、情動的に動いたのは最初の飛び蹴りだけ。結果的には帰してくれたし、こっちが危害を加えなければ大丈夫でしょ」


「確かに悪い感じはしなかったけど、社を直せなかった時は怒るんじゃない?」


「仰る通り。そこが一番の懸念ではあるんですが……ほら、そのあれだ。仮に超能力者や神様なら、恩を売っておくのも、悪くないんじゃないかなーと」


「「…………」」


 そして再び五日間。二人は彼のコネクション作りの為に、街を駆け回る事となった。





 狐泉市の建築事業は、他都市に比べ盛んと言える。未だ発展は続いており、生い立ちを考えれば当然だろう。今まで見向きもされなかった地方の歴史も、人口の増加と共にその価値を高め、探求と保護が求められるようになった。

 だからこそ、今回の一件は市から見れば保護する価値のあるもので、正しい手続きとそれを支える人が集まれば、天戸という少女の願い通りに事は運ぶのだが、ここで先日の惨状が致命的となる。

 山奥の開けた空間に何の変哲も無い御岩が一つ。辺りにそれらしい要所は無く、土地の管理者も居ない。唯一その地を知るであろう少女に案内され見つけられる痕跡は、今にも塞がってしまいそうな穴ぼこだけ。


 三人に当時の情景を思い描かせたその地は、確かに特別と言える地であるにしろ。社会のシステム上、そこには保護すべきものなど何も残ってはおらず。そこが当時そうであったと証明するものも、真偽の分からぬ声しかない。

 しかれば市というシステムは動かず、動力を失った事業もまた回転しない。辛うじて手足である企業団体は動かせたとしても、その動力は子供や一般市民が賄える量では決してない。

 知名度の無い信仰では人も金もままならず。同じ垣根と方々神社に願い出ても、話を聞いて貰えるだけで、別の神への信仰が受け入れられる筈もなかった。


「あっという間に土曜日。結局打つ手無かったわね」


「ですね。我妻は役所方面で動いてたみたいなんで、そっちに賭けましょう」


 天戸と初めて出会った場所を通り過ぎ。踏御と布津巳は、先に到着している我妻の後を追って社跡地へと向かっていた。

 事前連絡では動きやすい服装でという事だったので、二人は学校指定の体操着を着込んでおり、人が見れば学校行事の一環と思われただろう。

 前回よりも環境に適した服装は、彼らが思うより効果があったのか。気付けば山登りの余韻を楽しむ間もなく目的地へと辿り着き。目の前に広がる開けた空間は、一度目に感じた神秘性のかわりに、人の活気に満ち溢れていた。


「これって、学校の皆。だよね?」


「えぇ、その筈ですけど。でもなんで……」


 広場には赤青黄色の三色が混じり合い。体格の良い上級生が木材を運ぶ先で、踏御と同じ色の生徒がペンキを使って色を塗る。岩のあった中央付近で、生徒が群がり作業しているその脇では、女生徒が集まって食材を切って調理を行っていた。

 呆気にとられていた二人に対し、作業中の男子生徒が気付いたのか。作業の手を止め、おもむろにある生徒の名前を呼ぶと、駆け寄って来た男子生徒は案の定。二人をここへ呼んだ張本人だった。


「よぉ、やっと来たなお二人さん」


「我妻。これって一体どういう……素人じゃどうしようも無かったんじゃないのか?」


「あぁいやまぁ。それは正しくその通りなんだが、こっちの成果もよろしくなくてな。妥協案としてフミフミの案を採用した。なんと引率として近藤先生のおまけ付きだ」


 我妻が指差した方向には、先程の体格の良い上級生が柱となる木材を抑えており。数名の生徒が彼の指示の下、一斉に作業に取り掛かっている。

 彼が指摘しなければ分からなかったが、よく見るとそれは赤色のジャージに身を包んだ近藤先生その人であり。体躯に負けぬ力仕事を軽々とこなしては、生徒たちを先導していた。


「それにしても、随分人が集まったね」


「まぁこういう時の為に人脈築いてるってところも、無い訳ではないですからね……あと保険も兼ねてます」


「保険?」


 役所へ取り合っていた我妻によれば、住民票には天戸という苗字や名前は、彼の予想通り見当たらなかった。依頼人への不審点が、いよいよ明確になった時点で、彼は事前に妥協案を天戸へ伝え、了解を得た上で皆を集めたという。

 労働力としての純粋な増員も兼ねてだが、有事の際――対抗しうる戦力として。


「おい我妻お前ッ!」


「わかってる。そんなこと絶対起こさせないし、やらせやしない。先生には猪が出るかもって警戒してもらってるし、社が直るまでは安全と踏んで、手伝いは今日まで。外装は後日業者が執り行うって話になってる」


 踏御の表情は未だ険しく、それでもと表情を曇らせる布津巳。我妻は長い無言の後、大きなため息一つで頭を下げた。


「本音を言うと今回の件。受けた事にもだが、二人を巻き込んだことを後悔してる。ああいう未知の手合いは初めてで、想定は出来ても対策が分からなかった。祟られるのが俺一人だったらもうちょっと気が楽だったんだけどな」


「我妻君……」


「あの子が社に固執する以上。今日まではなにも起こらない筈だ。明日は俺があの子にこれで納得して貰える様に交渉する。接した感じそこまで悪い相手でも無いと思うし、まぁなんとかなるでしょ」


 半ば強引に笑顔をつくり、これ以上心配させまいとする我妻であったが、稀に聞く彼の弱音は、周囲の明るい声にかき消されながらも二人の耳に確り届く。

 心配の色を濃くする布津巳の一方で、しかし踏御は一体何がおかしかったのか、突然息を噴き出した。


「ちょ、ちょっと踏御君⁉」


「す、すみません先輩。こいつの弱音なんて久し振りに聞いたもんだからつい……お前って案外繊細なのな。オカルトなんて怖がらないと思ってた」


「ひっでぇ。怖くはねぇけど対処法がわからんだけですー。後ちょっと負い目感じて慎重になってるだけですー」


 付き合いの浅い布津巳を置いて、からかい気味に罵り合う二人の間には笑い声が飛び交い。我妻が偽り作っていた笑顔も、気付けば自然なものへと変わっていた。


「それでも安心した。そういう事なら何処に居ても変わんないだろ? 最後まで付き合うよ」


「わ、私もそう言う事なら、大丈夫よ。ほら一応、先輩だから」


「……聞こうか迷ってたんですが、先輩って時折語尾が変わりますよね。もしかして先輩の威厳的なあれを保とうとか、そういうの頑張ってたりします?」


「~~~ッ‼ そう思うなら聞かないで!」


 三人が一頻り笑い終えた後。調理が終わったのか、女性グループから声が上がり、近藤が全員に休憩の号令をかける。誰かが用意したキャンプ用の簡易テーブルと椅子を広げ、紙製の容器入ったカレーと飲み物が並ぶ頃には、吹き抜けの頭上に太陽が真っ直ぐ差し込み、腹の虫が昼飯時だと鳴いていた。


「それで、俺達がやるのはどの辺りまでなんだ?」


「素人じゃ精々ご神体を囲う位だな。屋根までは付けるけど、それ以上は資材的にも限界だ」


 ここまで資材を運ぶには、道なき道を人の手で持って来る他なく。我妻が言うには、素人では資金面よりもそっちに負担があるとの事だった。

 本来ならば資材搬入は阿蓮兄妹の助力もあり、もう少し余裕があった筈なのだが、依頼主である天戸が頑なに二人の助力を拒否した為に、規模を縮小せざるを得なかったとスプーンを加えながら愚痴を零した。


「あの二人に来られるとなんか不味いのか?」


「なんでも異なる神に仕える者が手を出すのは宜しくないんだと。だもんで、用意の難しい注連縄だけ用意して貰った」


「それで注連縄だけあんなに立派なんだね」


 朝早くから作業をしていたのだろう小さな社は、最低限度の雨風を凌ぐ役目は果たせそうなものの。その造りは誰が見てもおざなりで、ちょっとした災害で崩れ去ってしまいそうだった。

 出来損ないの祠と言われても申し分ない観音開きのその奥に、丁寧に編まれた注連縄だけが、場違いな神格性を持っていた。


「あの注連縄だってどれだけ愚図られた事か……こっちだって苦肉の策なんだから、もうちょっと譲歩して欲しいもんだよ」


「――お互いの領分を侵す事になるからの。あの者達の為にもならん」


「――ッ‼」


 何時からそこに居たのか、気付けば天戸が布津巳の横からひょっこりと顔を出し、空いた皿に布津巳のカレーをへずっては、美味しそうに口へと運んでいた。


「天戸ちゃんは、何時から、そこに?」


「ついさっきじゃて、皆うちにカレーを分けてくれるでの。こうして皆の周りを回っとった――して、今度はどんな悪巧みをしとるんじゃ?」


 ぎりぎりで耐えていた踏御と布津巳の体は跳ね。流石の我妻も面を喰らい、体が強張っているのが見てわかるほどに、三人にとって衝撃的な一言だった。

 息を詰まらせているのも束の間。未だ必死にばれまいとする二人を尻目に、我妻は何とか口を開き応対する。

 だがそれが既に無駄なやり取りである事は、他でもない彼自身がよくよく理解していた。


「怖がらんでもええよ。と言うても、怖がらせとるうちが言うても栓無き事か」


「――で、どうされます?」


「どうもせんよ。何時からとは聞かんのじゃな」


「聞いて忘れてくれるならいくらでも」


「賢しい子じゃ。しかしそうも終始息んでおっては、隠せるものも隠せんぞ」


 二人のやり取りは一見穏やかだが、事情を知る側にとって緊張の糸が張りっぱなしの攻防が続く。彼女の対応を我妻へ任せ、如何にしてここに居る全員を逃がすべきかを踏御が考え始めた頃。唐突に少女の口先は布津巳方へと向けられた。


「ところで娘っ子よ。うちと何処かで会うた事は無いか?」


「え? えぇと、先週の日曜に――」


「違うもっと前じゃ」


「無いはず、だけど……」


「さようか? その割りにはおぬし――臭いがきついの」


 そこから布津巳の行動は正に疾風迅雷と呼べるものだった。ガタンと音をたてて立ち上がったかと思うと、既に彼女は走り出しており。その姿は瞬く間に森の木陰へと消えてしまう。

 その様にを見てかんらかんらと笑う天戸に、我妻は毒気を抜かれたのか、険のあった顔つきは、僅かにだが和らいでいた。


「それで、要件があるんでしょう?」


「如何にも如何にも。皆が帰ってからで良いでの、うちと少し話をせんか」


「どうしても?」


「おぬしが皆を無事に帰したいと思うなら、聞いて損は無いと思うがの」


「でしたら是非」


「ええ子じゃ」


 それだけ聞くと満足したのか、天戸は再び生徒の群れへと消えてゆく。口調はどうであれ童女の姿は事情を知らぬ生徒達に人気なのか、随分と可愛がられていた。

 布津巳は未だ木の陰から出てきそうには無かったが、踏御と我妻はいち早く作業を終わらせてしまう為。残りのカレーを口の中へと叩き込んだ。





 数の力か、はたまた近藤の指示が的確だったのか。午前中にほぼほぼ出来上がっていた社は、勇んで作業に参加した踏御の意気込み虚しく。二時間ほどの肉体労働をもって解散となる。

 最後に集まった全員で二礼二拍手一礼を行い。我妻が心配する近藤を言いくるめた後。残された三人が、社の見上げる天戸と対峙する形となっていた。


「――やはり駄目か」


「あまり遅いと先生が戻って来る。話をするなら手短に頼む」


「せわしない奴じゃのお。まぁよいよい、礼と忠告をしたいだけじゃからの」


「忠告?」


「左様。しばしこの森には何人も近づけるでない。少々荒れてしまうからの」


 それだけ伝えると、次に天戸は三人に対して深々と頭を下げ始め。彼女から発せられていた見えない圧は、頭が下がりきる頃に三人の知覚から外れていた。


「それと礼を、風のいたずらかは知らぬが、おぬしたちとの巡り合わせは良き思い出じゃて。幼き身であれほどの人手を集めるのは苦労したじゃろうに、立派な社をこさえてもろうた。あの者達にもよう礼を言うとくれ」


 その言葉の節々から汲み取れる感情に悪意や憎悪は決してなく。ようやくなのか、今更なのか、三人の中にあった疑念は霧散して、我妻は彼女と同じく立ったまま叩頭しそうなほどに頭を下げて、今までの非礼に対し陳謝した。

 彼の有り様に満足したのか、天戸は手を払う様にして三人に下山を促していたが、彼らの足が山の外へと向かおうとしたその時に、山の底が僅かながらに揺れ始めた。


「な、なにこれ地震⁉ 早く下りないと」


「規模が分からんですよ。下手に下りるより、拓けたここでやり過ごした方が良さそうだが……」


「これがさっき言ってた荒れるって事なのか?」


「思うたより早い……やはり芯なき信では意味は無いか。おぬしら早う山を下り――」


 天戸が忠告し終えるよりも早く素早く。広い森は蓋を閉じ、白い霧は山を覆った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る