Packet 6‐2.狐泉冒険譚

「桜が散るまで待たせおって、ほれはよう直せ!」


 夕日の光を担ぎ現れた少女は、馬乗り体制のまま。古風な言葉遣いで催促しては、肉座布団の上で体を揺らす。

 対する我妻は、辛うじて受け身はとれていたものの。虚を突かれた飛び蹴りの威力は凄まじく、空を仰ぎ見る余裕すら無い様子だった。

 突然の出来事にしばし呆然としていた二人は、謎の少女を何とか宥め引き剥がす。踏御は我妻の看病を布津巳に任せ、少女へと問いを投げ掛けた。


「その、君が社の依頼主?」


「如何にも。ぬしが社を直してくれるのか?」


「あぁいや、今日は下見に来ただけで――」


「なんぞまだ待たせると言うのか! 一向に返事が来ぬから何通も文を送ったと言うに!」


「何通も?」


 少女によると、今回の件はずっと以前から依頼しており。それにも関わらず、桜が散り季節が変わろうとしても、返事の一つも無かった事に憤慨していたと言う。

 持ってきた投書が当人のものであるという確認はできたが、少女が証言する、ほか何通もの便りは三人の下に届いておらず。同時に学校には送っていないと疑問の声まであげていた。


「そもうちは其処なしちょうとやらに頼んだのだ。学舎なんぞに用はない」


「いや、我妻は市長の息子ではあるけど、市長じゃないよ?」


「なんと、倅であったか。それはすまんことをした――して、しちょうは何処ぞ?」


「オッ、ケー。とりあえず、事情はあらかた、見えてきたわ」


 這う這うの体だった我妻が、土草を撒き散らして起き上がる。

 不安げな顔を向ける布津巳を右手で制し。痛みに歪む顔を呼吸と共に正すと、少女の前に彼は事務的な態度をもって相対した。


「申し訳無いですが市長は日々多忙でしてね。差出人も分からない信書を何通送ったところで、周囲の役人が処分して届きませんよ」


「し、しかしのう……ぬしはしちょうの倅じゃろう? 口利きしてはもらえぬか」


「残念ですが役所仕事として願い出るなら、正しい手続きでお願いします。息子であってもそれは変わりありません」


 少女に対し、らしからぬ対応をする我妻。当然外野の二人は困惑し、踏御に至っては彼の言動を嗜めようと声を発したが、当の少女はそんな事を気に止める様子もなく。ただ受け入れ難い結論だけに苦虫を潰し、二の句を継ぐ事が出来なかった。


「とは言え、それは役所に依頼するのならの話。今ここに居るうちらにって事なら、とりあえず話くらいは聞けますよ」


「……そうさな。しちょうに目通り叶わぬなら、有り様だけでも見てもろうた方が良かろうて。ぬしらを社まで案内しよう」


 しばしの沈黙の後。我妻から出された打開策に、落胆半分といった感じで言葉を零すと、少女は残り少ない日を引き連れて、森の奥へと歩み出す。

 終始傍観していた二人は、年相応とは思えぬ様を先行する背中に感じながら、その後を追う我妻へと詰め寄ったが、答え合わせはまた後でとあしらわれてしまう。


「着いたぞ」


 刻々と迫る夜から逃げる様に導かれた三人は、気付けば森中にしては不自然に開けた空間で足を止めていた。

 切り倒された木々や切り株すら無く、建物などの痕跡すらも見当たらぬ。山崩れや火事などの災害の爪痕は確認できず。時のいたずらで空いた場所ともまた違う。

 一見すると人の手跡など毛ほども残ってはいないのに、三人はただ漠然と、以前ここに今とは違う情景が描かれていたのだと理解した。


 感嘆の吐息すら洩らせず、一時を完全に場の雰囲気に飲み込まれていた三人だったが、静寂を打ち消す硬い音に飛んでいた意識が戻された。


「ほれほれ、何を惚けておる。社の有り様を見てくれるのだろう?」


「って言われても、何処に社なんて……」


「何を言うておる。さっきから叩いとるでわないか」


 少女は同じ背丈程の岩をぺしぺしと叩いていた。何の変哲もない、この空間における唯一の突起物である岩。

 確かにそれは見立てによれば特別なものとなり得るかもしれなかったが、かといって装飾や加工が添加されていたり、特殊な仕掛けが施されている様子は無い。

 仮に地面に転がる小さな石たちから見上げれば、さぞ偉大な出で立ちに見えただろうが、踏御達三人よりも小さい岩からは、神々しさや雄大さは感じられず、ましてやそれが一般的に認識されている社では無い事は、誰の目にも明らかだった。


「…………やし、ろって、いろんなかたち……形式? があるのね」


「自分の知識に自信を持って下さい先輩。たぶんこれは社という所謂あれとは違うはずです。多分……だよな?」


「君たちねぇ……まぁ確かに社跡地には見えんよね。多分ご神体かなんかじゃないか?」


「如何にも。今はもう注連縄すら残っとらんがな」


 当時は立派な社にて祭られていたというご神体も、今は社同様見る影も無く。少女の指示によって辛うじて見つかった社の痕跡は、今も山を覆う自然物と何ら変わりの無い物と成り果てていた。

 とはいえ、その痕跡が繋ぐ線は踏御の予想よりも長く広く。全体像が見え始める頃には途方に暮れてしまいそうだったが、痕跡を見つける度に物悲し気な横顔を見せる少女の姿に何も言えず、吹き抜けの空から光が消えた辺りで、確認作業は区切りを迎えた。


「ここまで跡形も無いと俺達だけじゃ無理だな。それに直すより新しく建てた方が早い」


「じゃあどうする。クラスの奴に声でもかけるか?」


「ずぶの素人でどうするよ? それにプロ集めたところで金がかかる。依頼主様が払ってくれるなら別だけどな」


「ぜ、ぜぜこか? ぜぜこはのお、流石にのお……」


 みつぎがどうの食い物がどうのと、後半尻すぼみして三人には聞き取る事は出来なかったが、黒髪のおかっぱ頭を前後に揺らし、制服の端を弄って狼狽する少女の姿は年相応で可愛らしくもあった。


 現状では埒が明かない事に変わりはなく、日も落ちきってしまった為。一時の憩いを得たところで、一同は来た道を戻る準備を始める。来週末までに各自解決策を考える方向で話が決まると、我妻は冬治から予め渡されていた懐中電灯のスイッチを入れようとしたが、電池が切れてしまっていたのか透明のガラス球はうんともすんとも応えない。

 仕方なく各自の携帯を手に持って、三人はか細い明かりで戻ろうとする。布津巳は少女と共に降りようと声を掛けようとしたが、気付けば少女の手には明かりの広がる行燈が握られていた。


「灯りならこれを持って行くと良い。森を出るまでは照らしてくれるだろうて」


「あ、ありがとう。えぇっと、そういえばまだ名前聞いてない、よね?」


「おぉ、そういえば名乗っておらなんだ。ん~む……」


 まるで今自分の名前を考えているような仕草に、布津巳は若干の不信感を抱きつつも、行燈を先頭であろう我妻へと渡す内に天戸あまとと名前を告げられて、それ以上の追及は彼女の性格上出来なかった。

 彼女はそのまま天戸と手を繋ぎ下山しようと自分の右手を差し出したが、彼女の体はそこから一向に動く気配は無く。広げた手の平にまだ少し肌寒い夜風が通る。


「天戸ちゃん?」


「うちの家はおぬしらとは真逆でな。すぐ近くじゃからここでお別れじゃ」


「本当に一人で大丈夫かい? 近くなら送ってから帰ってもいいけど……」


「大丈夫じゃて、心配せんでええ。おぬしらこそ灯りが消えてしまう前に、はよう町へと戻らんと。夜中の森は危ないでな」


 手を振って見送る少女を山へ置いて、三人は言われた通りに山を下りる。天戸を心配して話し合う二人を他所に、先導する我妻は夜道を警戒しているのか喋る様子も無く。そんな彼のおかげなのか、来た時よりも幾分早く森を抜けて麓の公道へと到着した。

 行燈は無事に役目を終えて満足したのか、和紙の囲いに守られた火は弱々しく最後を終え。それを確認するや否や、我妻は行燈を森の麓へそっと置いて、怪訝な顔を向ける二人へと向き直った。


「とりあえず、我妻ちゃん居ない時はこの森入るの暫く禁止。オーケー?」


「えっ、なんで?」


「なんでって、さっきの子が居るからだよ」


「天戸ちゃんが居ると、どうして駄目なの?」


「……あのねぇ君達。あの子が普通の子なわけないでしょうに」


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