Packet 6-1.狐泉冒険譚
奇妙で稚拙な依頼が届いて一週間。我妻は他七割の依頼に追われ。踏御と布津巳はそれぞれの方法で、狐泉の歴史を追っていた。
「二人共おっつかれさん。その様子だと、昼まで粘っても駄目だったみたいね」
「我妻もオールナイトお疲れ。結局人数増えたんだって?」
「あぁそりゃもう大変だったぜ? ボックス内で力尽きたあいつらを介抱して、タクシー呼んで帰らせるのにはな」
何かを担ぐゼスチャーと共に、疲れ果てた顔をする彼の姿が、踏御と布津巳にその光景を思い浮かばせ、小気味良い笑みで相槌を返す。
そんな日曜の昼過ぎ。朝から調べものを継続していた二人に続き。一眠りすませた我妻合わせ三名は、喧騒響く軽食店にて合流していた。
「私は図書館中心だったけど全然だめ。やっぱり狐のきの字も見つからなかったわ」
「俺も爺さん婆さんまであたってみたけど、先輩と同じく進展無し。出てくる神話は龍神様の話だけだったよ」
狐の社を直して欲しい――崩れた字ではあったが、一週間前に届いた差出不明の依頼には、確かにそう書かれていた。
普通ならば子供や誰かの悪戯だと、吐き捨てる様な内容ではあるのだが。限定された施設内で、一際目を引く形状をした投書に、三人は好奇心を擽られ。この一週間、自らの住む市の歴史を辿ってはいたのだが、何一つ手掛かりらしきものは見つけることは出来なかった。
それもそのはず。現代まで名を残す氏神は、今も多くの市民に知られる龍神様だけであり。龍神の伝承よりも古いとなると、もとが地方の寒村だったこの市では、記録と呼べるものが残ってはいない。
そして此方もまた同じ理由からなのか、市名に狐の文字を冠していながら、その由来には謎が多く。数多の説が存在しながら、そのどれもが確証まで至らず。目的である神話との繋がりや、社の場所への手掛かりとはならなかった。
「だろうなぁ。他所ならともかく、俺もこの市で狐の話題は聞いたことねぇもん。ましてや社となると相応に人目につく筈だし、届け出だってされてなきゃおかしい」
「嘘かどうかは別として、社であれば管理する人が居るはずよね」
「居ないから直して欲しい。なんて依頼が来た可能性はありませんか?」
「となるとだフミフミ。手紙の主はよっぽどお狐様に信仰心が強い信者か、新手のカルト集団って事になる。前者なら俺等なんかに依頼はしないし、後者なら試練を乗り越え辿り着いたが最後。晴れて信者の仲間入りだ」
催促や依頼主の来訪も無く。いよいよもって狐に化かされたと言えなくもない状況に、調査を進めていた二人が難色を示す。我妻と合流するまでの一週間が、悪戯の一言で無に帰すのだから当然とも言えた。
陰る沈黙が滞留する中。遅めの昼食を終えた我妻は机に手を打つと、少し席を外すにしては、気前の良すぎる音をたてて立ち上がる。上着を羽織りカウンターへ向かう彼を、踏御と布津巳は一転して忙しく後を追いかけた。
「そいじゃま、そろそろ行きますか」
「行くって何処へ?」
「餅は餅屋。専門家に近しい人に訪ねに行くのよん」
我妻はそう言うと、会計を済ませた店員に手を振り。二人のお供をタクシーに乗せ、運転手に行き先を告げると、とある場所へと向かわせた。
「観光区? ってことは相手は観光客か何かか?」
踏御の言う『観光区』とは、狐泉市を五つに分けた際に呼ばれる俗称の一つで、『工業区』・『商業区』・『居住区』・『中央区』と他四つ存在する中。今回の観光区は、木々の支配する山中に、今なお旅館が立ち並ぶ温泉街の事を指していた。
だが訪れる人を歓迎する旅館の殆どは、家族代々続く老舗ばかりで、決して栄えている地域とは言い難く。それは狐泉市が観光地として発展した訳ではなく、そこに重きを置いた都市運営では無い事を如実に体現した姿でもあった。
狐泉市が発展するより以前。様々なやり取りの末に纏め上げた土地を、いかに利用するかにあたって。最も優先されたのは、産業と居住地だった。
地方都市を栄えさせる際に、とられる手段の多くは興行への投資や宣伝だが、狐泉市はそれを良しとせず。長期的かつ恒久的に人口と経済を回す為に、地元民だけならず、数多くの企業と連携をとった上で土地の利用を開始した。
手始めに市を賄う発電設備を用意し、血管となる道路などのインフラを整え。次に各企業の工場や研究施設を建設し、住民となる従業員を招き入れる――しかしこれだけでは、企業が市の立て直しなどという事業に参入するに値しない。
故に市は、参入企業に土地と電力の無償提供を報奨として確約し、従業員の移住費用も受け持つなどの追加特典を用意した。
企業からは社員が働く為に市へと送られ、生活や商売を円滑に行う為に店は出来る。品を世に出す為のインフラは、作る売るが本業の企業間で連携し、最低限の設備と多くの働き口が、あれよあれよと展開される。
こうして急速に発展へと向かったのが今の狐泉市であり。そこまでの手はずを整え実行したのが、現市長であり我妻の父親でもある我妻
「あ、おっちゃん。もうちょい先まで進んで」
年配の運転手に別れを告げ。三人が車を降りたのは、観光区の入り口となる林道よりも中央からは少し先。紅き御柱で此方と彼方を仕切る、社へ続く鳥居の前だった。
「
「あぁ成程。ここの神主に話を聞く訳か、確かに専門家には違いないな」
「なんでもすぐネタバレしちゃうフミフミ嫌いよ~? 話はつけてあるから、とりあえず奥に進みましょ」
我妻に促され、二人は彼の後について鳥居を潜り傾斜の緩い石畳の坂を登ってゆく。緑香る参道は祭事において人や物、音や匂いでごった返すが、今はただ鳥が鳴き声と共に風を運び葉を鳴らし。澄んだ空間はある種の神聖さを思わせ、本来の姿はこういうものなのだと理解できた。
そう疲れない距離を歩くと、対となる鳥居が出迎え。踏御達は開けた境内を眺望すると、手水舎の端で野良猫に餌をやる巫女装束の女性を見つけた。
「いたいた。姐さーん!」
「おぉ? おぉ! きー坊じゃないですか~♪」
投げ掛けられた声に、紅白姿の女は嬉しそうに返事をすると、草履ではたはたと駆け寄って、我妻と一緒に陽気な声をあげながら、元気いっぱいのハイタッチで挨拶を交わした。
茶色いショートポニーを揺らしながら、我妻と陽気にダンスを踊る姿は、巫女装束よりパンクルックの方が似合いそうではあるが。彼女が先程まで居た手水舎の近くには、竹箒と共に落ち葉が小山を作り。伊達や酔狂だけでその衣装に袖を通してはいないのだと、掃かれた葉達が進言していた。
「ところで姐さん。
「冬治兄ぃですか? 確か奥の蔵を片付けてたと思いますけど……ところできー坊。此方に御座すボーイミーツガールはだれじゃらほい?」
「あれ、姐さん知ってるんじゃないの? 二人の話題、姐さんから聞いたんだけど……」
疑問符を浮かべる女に、我妻は二人が一緒に喫茶店へ赴いた時の話を仄めかす。初対面の相手に何て話をと二人は慌て彼を非難したが、女の方はしばし二人の顔を凝視した後。浮かぶ疑問符を感嘆符へと置き換えて、笑顔の花火に火が付いた。
「おぉ、おぉぉぉ‼ なんと、なんとなんと! あの時の嬉恥ずかしカップルでしたか。覚えてます? 私ですよわーたーし。ウェイトレスのお・ね・い・さ・ん♪」
両手で二人の手を取って、腕が取れそうな勢いで振り回す巫女。ようやく彼女が黄色い給仕服で歓迎してくれたあの人物だと二人は思い出せたが、花をも燃やす陽気に気圧されて、挨拶する事すらままならなかった。
「なんですかなんですかぁ~? 今日はこんな所に二人でデートにでも来たんですか? そういう事ならお姉さん一杯サービスしちゃいますよ!」
「あぁその、今日はちょっと……別件で」
「あいやそれは残念無念。さすればまた喫茶店に寄って下さいな。君達カップルなら何時でもウェルカム大歓迎。サービスセットで今度こそぶちゅっと一発お願いしますよ♪」
「ええと、それは……」
火花を散らす陽気な笑顔に、布津巳はとうとういたたまれなくなったのか、なんとか開いた口先を使い、事の顛末を女へ伝え謝罪する。それを聞いた彼女は二人が恋仲では無いと知ると、怒りこそはしなかったが残念そうに肩を落とし、溌剌としていた体は鳴りを潜めて落ち着きを取り戻した。
真実を伝えた布津巳は軽い罪悪感を感じずにはいられなかったが、しばしの硬直後。巫女は何かに思い至ったのか、息を吹き返す様に顔を上げた。
「んや? 何があったかまでは分かりませんが、あのカップル来店後になんだかんだで親しい仲にはなった訳ですよね。そこはお間違い無しでオケです?」
「えぇ、まぁ」
「んでんで。今はきー坊のお手伝いとして、二人仲良くこうしてここにやって来たと」
「我妻も居ますが……概ねそうなります」
そこまで確認するやいなや、彼女は離していた手をもう一度掴むと、そのまま拝む様に両手を合わせ、二人の手を密着させて包み込む。消えていたはずの火は瞬く間に火力を取り戻し、感涙でも流しそうな瞳で二人の顔を見つめなおす。
「良い。実に良いですよ最高ですよ! 偶然にも街で出会う二人。彼をからかい気味に一時の恋仲を演じるも、それをきっかけに二人は互いを意識し合う。何時しか二人は奥底に眠る淡い感情に気付かされ……あぁ、尊きかな青春。ビバカップル」
どことなく図書室での我妻を彷彿とさせる演技。踊り出した彼女の瞳は既に焦点が定まっておらず、此処とは別の世界線が見えているのか、誰にも止める事が出来そうもない。
知り合いである我妻も匙を投げる状況に、三人は境内の入り口で立ち往生していると、拝殿の裏から人影が姿を現した。
差袴姿の男は誰かを探している様子で、踊り狂う彼女の姿を視線に捉えると、真っ直ぐにこちらに歩き出し、呆れ声と共に巫女の脳天めがけて拳の制裁が降り下りた。
「出迎えが遅れてすまない。きー坊も息災そうでなによりだ」
「冬治さんもお変わりない様で。それらしいのは見つかりました?」
「残念ながらだな。しかし折角来て手ぶらではなんだ、少し母屋で話そう。君達も少し休んで行くと良い」
神社の関係者と思わしき服装をした強面の男は、頭を抑えて蹲る女の首根っこを掴み客人を案内する為に先行する。その姿に既視感を覚える踏御だったが、答えに辿り着くより先に母屋へと通されて、五人は畳の匂いに和を感じる居間で、大きくは無いちゃぶ台を囲むこととなった。
「さて、妹とは面識があるようだが、そちらの二人には自己紹介からさせて貰おう。神主の
「妹の阿蓮
先の騒動とは打って変わり。落ち着いた場所での挨拶も済ませ、踏御達は訪ねてきた目的を改めて冬治へ伝える。当然冬治も我妻からは頼まれていた為、朝から蔵を浚っていたらしいのだが、目ぼしいものは見つからず仕舞いとなっていた。
冬治はその厳つい顔とは裏腹に、落ち着いた声で若い三人へ謝辞を述べる。だが強面もさることながら、その顔に似合った体躯で頭を下げられては、彼をよく知らない二人はただただ恐縮する他無かった。
「ところで冬治さん。ここってなんで狐泉市なんて名前なの? 龍に関する文字が付くならわかるけど、ここらへんは俺もよく知らないんですけど」
「む、そうだな。諸説ある――というより、未だ説しか無く痕跡が無いのは調べていた君達なら知っているかと思うが――」
一説によればここを拓いた人物が狐の字を持つ姓だったから。
また一説によれば妖狐を封じた土地だからと、今もなお多くの説が生まれ語られ消えてゆくが、その全てに共通して『痕』となる物は存在しない。
故に説は説として一生を終え。だからこそここを訪ねてきたのだが、冬治には思う節があったらしく。持論になるがと前置きをして、踏御達に語り始めた。
「恐らく、だが。それらに関する事柄は、意図的に伝える事を禁じたのか、伝承として残さなかったのではないかと私は思う。でなければ元寒村とはいえ、龍神様以外の伝承や、土地名の由来が何も残っていないというのは不可思議だからな」
「意図的に……じゃあ調べるのはやっぱり無理ですか?」
「いや、もし仮にそうだとするなら、必ずどこかに残っているはずだ。土地の名前にしっかり残しているからな。癖のある伝え方をしているのか、はたまた伝えるべき人が限られているのか……」
どちらにせよ調べるのには骨が折れるだろうと締め括り、冬治は空になった茶碗に急須を傾け茶を注ぎ、蔵の後片付けに席を立つ。
冬治の説が正しいのであれば、可能性は決して零では無いのだが、調べる範囲は更に広がり。三人はこれ以上の当ても無い現状で、調査を再び再開するか否かを議論する。目減りする茶請けだけが、穏やかに時間が浪費されている事を告げていた。
「これからどうしよっか。資料なんかに残って無いなら人づてになるから、私はちょっと……」
「その人づても怪しいところですね。癖のある伝え方って事は、こっちもどう訪ねていいか分からないですし」
「そうなると資料も分からんけどねぇ――ってさっきから何やってんの姐さん」
「いやぁ~、なんていうかこう……なに? なんか出そうな、出せそうな――いや下の話じゃねーですよ?」
振り出しに戻ろうとする議論の最中。話の外で奇怪な踊りを披露していた蛍が、ようやくひり出す事に成功したのか、晴れやかな顔で手を叩き、冬治の下へ駆けて行く。
呆気にとられた三人を置いて、居間の時間は時を止めると、しばらく後に冬治を連れて戻って来た蛍の手には、茶色に変色した古い地図が握られていた。
「君達喜べ。一つだけだがそれらしいものが見つかったぞ」
夕暮れ前の時間とはいえ、頂点より傾き始めた日の光は、遮蔽物の多い場所を明け透けに照らすには至らず。影の量が増える森の中を三人の男女は覚めやまぬ熱を携え進む。
先頭を歩く我妻の手には真新しい地図と方位磁石が握られており、道なき道を目的地に向かって邁進していた。
「まさか地元民もほっとんど知らねぇ数え歌の一節とはねぇ」
蛍が思い出したのは、彼等兄弟が幼い頃。まだ発展もままならない狐泉市の町で、自分達を可愛がってくれた老人がよくよく聴かせてくれた唄だった。
数え歌自体はごくごく一般的な民謡で、狐のフレーズも一節だけにしか入っていなかったが、ちょうど蔵から掘り出された昔の地図と照らし合わせると、唄は幾つかの地域を指しており。そこから狐の一節に倣い数字を里、向きを方角として線を引くと、ある場所を交点として交わった。
「とりあえず今日は確認だけな。はずれならこれで仕舞いだ」
「だな。流石に暗くなると危ないし……先輩大丈夫ですか? やっぱりその服装で無理はしない方が……」
「ううん大丈夫。それに乗り掛かった舟だもの、最後まで一緒に手伝わせて」
山登りは想定外だったのか、布津巳は枝木に引っ掛かりそうになるスカートを必死で抑えて二人の後を追っている。
だが彼女にとって誰かとこういった行動をとる事は、それだけで新鮮な刺激となるのだろう。どう見ても歩くのさえ一苦労なその状況に、しかし布津巳の表情からは楽し気な気持ちが見て取れた。
「んー、距離で言えばこの辺りのはずなんだが……なんもねぇな」
目的地であるはずの場所に立って辺りを見回すも、周囲には影を濃くする木々ばかり。他に見えるのは草木を飛び交う虫ばかりで、目的の社や依頼主であろう人の気配は微塵も無かった。
一時の沈黙。そして三人を襲う倦怠感は、山登りによる疲労だけのものではなく、やっと見つけた手掛かりが、肩透かしの結果だった精神的疲労である事は言うまでも無く。だれからか諦めと踏ん切りの一言と共に、三人の足は暮れ始めた道を再び戻ろうと首を回す。
「あーーーーーーッ‼」
唐突な大声に木々が慄き、肩を震わせた踏御達は一斉に声の発生源へ振り返る。すると行きと違い最後尾となった我妻の体はくの字に曲がると、黒い物体と共に森の地面へ倒れ伏した。
傾き色を変えた夕日は最後の仕事と森を染め上げ、本日最後の光を差し込むと、我妻に伸し掛かった物体は輪郭を取り戻し。活動を再開した彼等の脳は、その物体が人型である事を認識する。
「遅いッ!遅すぎるわ阿呆め!」
我妻を気遣う暇も無く、怒涛の如く罵倒の言葉を浴びせかける声の主は、黒い髪を紅に染め、見慣れぬ学生服に身を包んだおかっぱ頭の少女だった。
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