Packet 5.差出不明

 儚き桃花びらは散りゆきて。過ぎ去らぬ季節は、さりとて青葉の香りと共に巡りゆく。

 季節の風物詩たる桜は、増え始めた雨粒の襲来に羽を捥がれ。室内を照らす光は、気分屋の天候によってその強弱を変化させていた。


「やぁやぁ二人共! 待たせてしまったようですまない。全く顔が広いというのも困りものだね」


 梅雨入り前の早とちりな雨音をかき消す様に、我妻の声が人気の少ない図書室内に響き渡る。静寂を主とするこの空間に場違いこの上ない音量と、注目を一身に受ける両手を広げた格好は、不良高校生というより道化師のそれを思わせる。


「我妻うるさい」


「アッハイ、スミマセン」


 新学期早々に起きた一件で、放課後に図書室を利用する生徒は、とんと減ってしまったが。それでも雨漏りの様に点在する生徒達が不満の表情を見せないのは、やはり彼の人柄故なのだろう。

 踏御の一声で、我妻は降参とばかりに顔の横へ両手を上げる。反省の意を顔に貼り付け、粛々と踏御と布津巳の対面へ着席すると、鞄から次々と色とりどりの紙切れが詰まった透明な袋を取り出した。


「……?」


 訝し気な顔をした観客が疑問の声を投げ掛けるよりも先に、我妻はすっかりやせ細った鞄から、折り目の付いた厚紙を取り出す。鼻歌が聞こえてきそうな軽快さで折り目に沿って組み終えると、三人の前には人の頭ほどの箱が出来上がり。我妻は袋に入った紙切れを中へと流し込んでは、仕舞にと穴の開いた蓋を閉じた。


「えぇと……何なの、これ」


 突然理由も聞かされず目の前に紙切れの入った箱を用意され、布津巳はもっともな意見を述べる。そして待ってましたと我妻の顔からは反省の仮面が剥がれ落ち。表れた自慢げな顔と共に、彼はわざとらしく鼻を鳴らして腕を組んだ。


「よくぞ聞いてくれましたセ・ン・パ・イ♪ これはですねぇ、あの雨を降らせる雲の様に、皆の心を曇らせている――」


「目安箱か?」


「フミフミ嫌いッ! 我妻ちゃんのこといっつもいじめるもん!」


 駄々っ子を宥める布津巳を尻目に、踏御は箱の上に空いた穴に手を差し込んで、適当に取り出した紙切れの一つを開いて確認する。

 おおよそ彼の思惑通り。中には女性らしい丸い筆跡で、悩み事の類が書いてあったのだが。その内容は、わざわざ目安箱に投書すべきほどの事ではないものだった。


「今週水曜の掃除当番代わって下さい――って、なんだこれ」


 気になって箱から幾つか開いてみるが、その多くがお使い程度のお願いで、面倒な手順を踏んでまで頼む代物では到底なく。今時の目安箱にしては珍しく、そのどれにもクラスや氏名が明記されていた。


「なあ我妻。これって何の目安箱なんだ?」


「僕はしりませーん。意地悪なお兄ちゃんにはおしえたげませーん」


「あのなぁ……」


 机に突っ伏して完全にへそを曲げてしまった我妻に、踏御は呆れた声で音を上げる。二人のやり取りが膠着状態に入り、それを傍観していた布津巳は話が進まないのと判断したのか、乱雑に取り出された投書の一つを手に取り確認した。


「あ、でも先生からのもあるよ。本当に顔が広いね我妻君は」


「でっしょ~。まぁそのおかげでここに来るの遅れちゃったんですけどね」


「今日私達を呼んだのはこれのお手伝い? ならちゃんと説明してくれないと分からないかな」


 布津巳の子を諭す物言いに、うなりを上げる駄々っ子は一呼吸置いて立ち上がると、もう一度腕を大きく広げ演目を開始した。


「学び舎に集う若く瑞々しい青葉達。彼らの成長は森を彩る花の様に、健やかで煌びやたるものの筈! しかし悲しきかな彼らも人の子。歩み行く道の先には、あの雨雲の様に道を陰らす、幾多の悩みがあるのです」


 興に乗り出した我妻は最早演目を続ける事しか頭に無いのか、室内全員の注目を浴びている事など気にも留めず。机上の上に置いていた目安箱を、まるで一筋の光明だと言わんばかりに高らかに持ち上げて劇を進める。


「そこで! そんな彼らの陰りを僅かでも払う為、この箱に日々のしこりを吐き出し。憂い無く育つそんな彼らの姿を、我ら三人で見守ろうではありませんか!」


 ようやく満足し終えたのか、我妻は満面の笑みで席に着く。だが二度目にして開かれた演目は、観衆の気に召さなかったのか。さしもの我妻をもってしても、非難の眼差しを抑える事は出来ず。満足げな当人と打って変わり。踏御と布津巳は、針の筵と化した最前列で、喝采のかわりにそそぐ針を耐える他無かった。


「えぇっとつまり、校内皆の悩み事を目安箱を使って集めて。私達三人でそれのお手伝いをしようって事で、良いのかな?」


 人の視線に晒される事が慣れていない布津巳は極度の緊張からか、上擦った声で歯切れ悪く我妻の弁を要約する。それを聞いた我妻は、正にその通りと頭を大きく縦に振り、同士を得たテロリスト宜しく、彼女と固い握手を交わした。


「呼ばれた理由はわかったけど、なんでこんな面倒なやり方。何時ものやり方じゃダメなのか?」


「あーっと違う違う。何時もフミフミに手伝って貰ってるやつとは別で、こっちはもっと軽いの。てかあっちの方が元々稀だし、あんなの何件もやってたら俺が死ぬ」


 我妻曰く。今回の目安箱はクラス単位で集め、内容も一目で誰からか分かるように明記して貰う事で、意図的に込み入ったを排除しているとの事だった。


「まぁ概要は分かったとして、なんで俺だけじゃなく受験生の先輩まで……」


「その辺りは大丈夫じゃない? 聞けば布津巳先輩成績優秀みたいだし。ですよね先輩」


「あはは……うんまぁ……帰っても、一人でする事あんまり無いし……一人じゃね、うん」


 布津巳にとってその話題は所謂地雷だったのか、自嘲気味に出る笑いは乾ききっていて。生気の消えた眼からは、一切の喜怒哀楽が感じられはしなかった。


「そ、それにほら、二人とも付き合ってるんでしょ? なら一緒が良いですじゃん?」


「「――え?」」


 取り繕おうとする我妻からの予期せぬ発言に、二人は顔を見合わせたまま硬直する。本来ならどちらかが否定しなければならないタイミングの筈だったのだが、お互いがお互いに気を遣ったのか、それとも並々ならぬ思いがそれを妨げたのか。時間にしては数秒の間ではあったが、二人の顔を赤く染めるには十分だった。


「なんでお前そんな事……」


「え、だって二人で行ったんでしょ? 喫茶『龍神』しかもカップル席に」


「――あっ! いやその、あれはね? 私があそこのケーキ食べたかったからで、その……」


「そなの? でも姐さんから聞いた話じゃ結構良い雰囲気だったって――」


「この話はここまでにして、ちょと休憩行こうぜ我妻、な? ふ、布津巳先輩も、一旦休憩にしましょう」


 薄れ始めた針の視線と、おさまらぬ鼓動に収集がつかなくなりそうだった踏御は、強引に我妻を連れて席を立ち、布津巳もまた後を追う。騒ぎの種が消えた室内には、再び雨音が奏でる平穏が音連れ。渦中の三人は一人を除き、心の平穏を取り戻す為に一度別れる事となった。


 校舎から伸びた屋根を傘にして、踏御が顔を冷やしていると。出て早々に運動部から絡まれていた我妻が、二人分の飲み物を手にして到着する。


「それで、何で今更こんな事始めたんだ?」


 差し出された缶を受けとるだけ受けとると、いの一番に気になっていた本音を、踏御は我妻へと投げ掛ける。

 それは彼が今更こんな手段で問題を集めずとも、彼の下には相談や願い事を頼む人が多く存在し。また彼も日々些細な願いに応えていたのを知っていたからだった。


「んー、まぁちょっとした気分転換かな。手広くし過ぎて数がとんでもないけど――スミマセン、タスケテクダサイ」


「それは気にしてない――で、本音は?」


 我妻は言い辛そうに、缶を口につけては頭を掻いたり目を閉じ悩む。

 彼がそういった態度をする時は、決まって面倒な相手が絡む事が多いのだが、布津巳が絡んでいる以上。察する踏御も引く様子は無い。

 我妻もその態度を見て諦めたのか、大きなため息と共に肺の中身を入れ替えると、手に持つ缶を弄りながら語り始めた。


「人間ってさ、いい思い出も悪い思い出も関係なく、ただ刺激の強いものを鮮明に覚えちゃうのよね。時間が解決してくれるなんて言うけどさ、ただ喉元を過ぎただけで、心も体もしっかり覚えてる」


 異常から日常へと戻り。日々平穏を過ごす中で、そんな記憶を洗い流せるほどの出来事など、一体どれほどあるのだろうかと彼は言う。

 どうにかしようと刺激を求めようにも、それは異常へと舞い戻る行為であり。もう一度そこへと至る事に、足を竦める者もいるのだと。


「だからさ、要は毎日皆で変わった事やって、楽しい思い出たくさん作りましょって話」


 それでもきっと消し去る事など出来ないけれどと苦笑する我妻に、踏御は多くを返すことは出来ず、両手で大きく顔を覆った。


 我妻にとって今回の行為は、先の事件で被害者となった布津巳に対するケアであり。日常に戻った彼女の傷は、未だ癒えているはずが無いのだと、彼はこの瞬間思い知らされた。

 そしてそれを咎めることも無く。友を気遣い遠巻きに教えてくれた彼の言葉に、踏御はただただ自分を恥じ入ることしか出来なかった。


「悪い。変に勘繰っちまって」


「ほらもー、絶対気にするから言いたくなかったんだよぉ。患者増やしてどーすんのさ!」


「それはその……ごめん」


 すっかり意気消沈した友人の姿に、我妻は苛立ちを誤魔化しながらに立ち上がり。踏御の前に立つと、右手で指差し言い放った。


「いいか? こっちは前の依頼で関わった娘達のケアもやってんの! 謝るくらいなら先輩のケアはお前が率先してやってみろ! オーケー?」


 珍しく怒気を帯びた我妻の声。しかし踏御は臆すること無く。友を瞳を見つめ返すと、二つ返事でその激励に答えてみせた。


「まあ? それを先輩攻略の機会に使って頂いたところで? 私奴は一向に構わないのですよ?」


「だから違うって」


「えー、つり橋効果から始まる恋ってのも素敵ですやん?」


「お前はもう……余計が多いよ。まったく」





 にわか雨は過ぎ去って、雲の合間から差す夕日は、図書室の窓をレンズに強い刺激となって部屋を照らす。

 書物にうるさい人物ならば、それだけで発狂しそうな光景だが、利用者の減った図書室のピークタイムは既に過ぎており。残されたのは、唸る無視が3匹。


「えーと、食堂のメニューにデザートを増やして欲しい――これなんかどうかな?」


「それは俺達が言うより、生徒会を通して正規の手続きが良いですね。明日渡しに行きましょう」


「他にはぁ、次の中間テストで、ヤマを教えて下さい――知るか先生に聞け! そして補習をくらって学力アップしろ!」


 校内の人口比率が、帰宅部よりも部員が大半を占める様になった頃。休憩から戻った三人は、目安箱と言う魔物に苦戦していた。


 我妻の知名度によって集められた投書の数は凄まじく。彼の本意が別にあることを除いても、誰かしらの手が必要になることは明白だった。

 そのうえ多くの投書は狙い通り軽いお願いばかり。実行においてはそれこそ我妻一人で処理できる内容が七割で、残りは遊び半分で寄せられた内容が殆どだった。


「我妻、お前宛だ。今週末遊べるかだってさ」


「貸せ――二組の川瀬だな。よーし良いだろう! 午前零時から二十四時間きっちりみっちり相手してやる。覚悟しろよぉぉぉ!!」


 狂声と共に破り捨てられた紙片は宙を舞い、燃えかすとなって床へと落ちる。

 我妻が下手な陸上部員よりも体力があるのを理解した上で、踏御は二十四時間耐久レースが決定した川瀬という生徒の冥福を、燃えかす達へと十字を切って祈りを捧げる。誰に聞くまでもなく、その生徒が行き着く末路は正に紙切れが如くなのだろう。


「そろそろ図書室も閉めないといけないし、残りはまた明日にしない?」


「うーい。じゃあ次で最後ですよ~っと」


 我妻が今日最後に引いた紙は、奇妙な形に折られており。一見すると悪戯の類いに入れられたものかと思えるが、今時の学生には珍しく和紙が使われていた。


「最後にハズレかよぉ~」


「でもこんな紙使うのって年配の人じゃない? 案外先生からの投書かも」


 布津巳の発言により和紙の投書は一命をとりとめ。奇妙な折り紙は、疲れはてた我妻の手によりほどかれて、一枚の紙へと戻る。

 そうしてようやく中を確認できる状態となると、三人の顔は自然と寄り添い――内容を確認した三人は、一様に首をかしげることとなる。


「きつねのやしろを」


「なおして」


「ください?」


 差出不明の小さな依頼は、平仮名だけの汚い文字でそう書かれていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る