Packet 4‐2.隣人は衣の威を借り夢を見るか?

 結局。誘拐犯の背後には巨大な悪の組織が――などという事は無く。経営難に陥った小野崎の会社を、闇金紛いのチンピラ集団が舌先三寸で、従業員諸共を駒としていただけだった。

 機動隊まで出動した今回の一件はとんだ肩透かしをくらった警察側だったが、誘拐された被害者の中には、既にチンピラ達の慰み者にされていた人も多く、傷跡だけは色濃く残る。罪の意識に苛まれていた小野崎達が実行犯だったからこそ早期に事件は解決したが、街に還元された彼女達はきっと、誰一人として同情したりなどはしないだろう。

 事件解決のニュースが流れ、平穏を取り戻した街は、さりとて昨日と同じ日常を写し出す。異常が日常を変化させる為には、常に関係者でなければならない。


『はい。どなたですか?』


「朝早くからすみません。狐泉高校二年生の踏御と言います」


 津賀からの連絡を受けた後。支度もろくにせず警察署へ乗り込んだ踏御は、津賀の言が間違いや見落としで無い事を痛感する。

 精気をごっそり持っていかれた踏御に対し、津賀は捜索の続行と不用意な行動に対する釘を刺してきたが、一連の誘拐事件とは無関係な以上。零からの調査になるそれを、大人しく待てるはずもなかった。

 依頼が終わり。昨日の件での少女二人に、サービス継続中の我妻にも援護を頼んだ後。早朝にも関わらず踏御が訪れたのは、布津巳の実家だった。


「引っ込み思案なあの子が、部活の勧誘活動なんてしてたのねぇ」


 踏御を迎え入れた布津巳の母親は、初対面であるにも関わらず、憔悴しているのが誰の目でもわかる程に弱り切っていた。

 自己紹介がてら事情や彼女との関係を伝え、出された茶に二人が口を付けると、まるで思い出話をするかのように、母親はぽつりと言葉を洩らした。辺りを見渡すと、部屋の中には生活感はあれど精気は無く。日光を取り込むはずの大きな窓は、部屋の影を色濃くするだけで、彼女の目の隈を隠しきる事は出来ていない。


「その、一介の学生がこんな事聞くのもおかしな話だと思いますけど。先輩――娘さんの件で何か心当たりは?」


「無いわ。警察にも聞かれた事だけど、あの子と揉めた事なんて無かったし。あの子自身、誰かと揉めたなんて事を聞いたことが無いから」


 彼女は踏御の問い対して事務的に言葉を紡ぐ。機械的に出てくる回答は、一般的な仲睦まじい家庭の内情と、事件性のかけらも感じられない日常だった。


「そもそもあの子が人目に付く事が稀なの。さっきも言った通り引っ込み思案な性格だし、良くも悪くも人付き合いから縁遠い子だと心配していたから」


「えぇと、それは友達が少ないとかそういう事ですか?」


「それもだけれど、それ以前にあの子、極端に影が薄いの。親の私が心配するほどにね。小さい頃なんて、人混みを連れて歩くのが怖くて怖くて――」


 そんな子がと最後に付け加え、彼女は再び影を落とす。布津巳の性格や影の薄さは、ここ数日の彼女を通して薄々感じていた踏御だが。そんな彼女が自分に見せた積極性に疑問を抱きつつ、同時にもう一方の性質に対して、母親である彼女が指摘している事に踏御は驚きを見せた。


「失礼ですけど、あの人ってそんなに影が薄いんですか?」


「そうね。親の私が言うのもなんだけど、意識してないとすぐ見失うくらいには影が薄いんじゃないかしら。決して根の暗い子ではないのだけれど」


 そこまで聞いて踏御はとある可能性に気付く。だが彼はあえてそれには触れず、差し障りの無い会話を挟んだ後、布津巳の交友関係を尋ねてみると席を立った。


「あの子の事を心配してくれて有り難うね。でも警察の人にお願いしてるから、無茶しちゃ駄目よ?」


「はい。でももし何か分かったら、すぐに連絡します」


 我が子と年の近い子とまともな会話が出来たからなのか、僅かに気が晴れた布津巳の母親はそう忠告して踏御を見送る。ご両親が心配するからと付け加える彼女の顔には、藁にも縋る思いが隠しきれてはいなかった。





「手掛かりなしか……」


 布津巳家を出た後。踏御は未だ電話向こうの我妻に頼み、布津巳と親しくしていた人物を確認してもらったが、懇意にしていた人物はおろか、交友関係と思しき人物はこの街にはおらず。また、彼女に交際を申し込んだ男子生徒なども居なかった。

 連続誘拐などの無作為な対象ではなく、布津巳個人を標的にした誘拐ならば、彼女の性質上、親しい間柄の人物が関わっているのではと気付いた踏御だったが。予想に反して彼女の繋がりは薄く、空回った思考に苛立ち頭を掻く。決して的を射ていない推理ではなかったが、親しい人物が上がらない以上。彼女を知っている人物全員を調べるとなれば途方もない。


「せめてもう少し先輩の事を知っていれば、相手を絞れると思うんだけど……」


 図書館で出会い。居心地の良い一時を噛みしめながら、さりとて彼女の誘いに二の足を踏んでしまったこと。

 街中で偶然出会った彼女に誘われて、その場の流れでデート紛いの一時を過ごしたこと。

 自問する様に呟いて、踏御は数少ない彼女との出会いを思い返す。今思い返せば、事ある毎に彼女が普段と違う積極性を踏御に見せたのは、きっと部員としての良い返事を貰いたい一心だったのだろう。


「――そうか、一人だけなら俺も知ってる!」


 手掛かりの無さに愕然としていた踏御は、駄目で元々といった様子で、やけくそ気味に携帯を取り出す。本日三度目となる我妻への呼び出し音に祈りながら、頭の片隅からも消えようとしていた一度きりの顔合わせを引っ張り出し、男子生徒の名前を掘り起こす。

 ようやく出た我妻の声に、急く気持ちを抑えながら深井の住所を調べてもらうと、考えも纏まらぬ中に踏御の足は頭の中の地図を辿り走り出していた。


 気が付けば深井と表札が掛かった古い木造住宅の前に到着し、踏御は荒い息のままインターホンへと手を伸ばす――が、そこまで来てようやく我に返る。

 行き詰りの末に得た可能性に飛びついては来たものの、現時点では深井が犯人だと思われる一切の要因が存在しておらず。同時に踏御から攻め入る題材も何もあったものではなく、餌を撒いて釣上げる事も、罠にかけて墓穴に落とす事も不可能だった。


「あら、家に何か用かしら?」


 ふくよかな女性が買い物袋をぶら下げて、踏御に向かって声をかける。先の言葉と落ち着きのある服装が、如何にも主婦だと物語っており。犯行現場を目撃された犯人の様な心境で、踏御の心臓は活動過多を引き起こした。


「――あぇっと、深井君。深井 景彦君って居ますか?」


 息も絶え絶え咽ながら、辛うじて口に出せた言葉に何の意図もなく。明らかに言動が不審な踏御の姿に、しかし深井の母親と思しき人物は、にこやかに答えた。


「あら折角尋ねて来てくれたのにごめんなさいねぇ。あの子学校が休みだからって、朝早くから出掛けちゃったみたいで」


「そう、でしたか……」


 手掛かりだと思っていた人物が此処にはおらず、踏御は失意と同時に安堵を得る。仮に深井がここに居た場合。踏御側に尋ねる理由が布津巳絡みの件しか存在せず。犯人であるのなら、否応なしに警戒されてしまうからだった。

 幸いにも目の前にいる女性の言動を見る限り、深井が家族を巻き込んで何かしらを行っている様子は無い。

 落ち着きを取り戻した踏御は、女性と軽く会話を交わした後。家へと消える彼女を見送って家の塀に背中を預けた。


「駄目だ落ち着け。時間はまだある筈だ。考えろ――」


 布津巳が行方不明になってから、日時は過ぎ去っているものの。彼女を対象とした誘拐であるのならば、身代金目的などで無い以上、彼女の生命に危険が及ぶ可能性は低い。

 あの夜。踏御が感じた視線の主が犯人であるのなら、布津巳をずっとつけ狙い、あの人混みをかいくぐって彼女を誘拐した事になり。そんな芸当を騒ぎも起こさずあの場でやってのけるなど、布津巳自身がどれだけ存在希薄でも難しい。

 だからこそ踏御は、布津巳をよく知る者だと思考し行動し、深井の家を訪ねたのだが――そこが大きな誤りであると彼は気付いた。


 本来ならばそういった地道な捜査が事件を解決へ導く鍵となり、事実。先の連続誘拐事件は、少なからずそういった要因が、被害者の証言や、容疑者への嫌疑となって事件解決へと辿り着いた。


 だが、踏御に限ってはこの限りではない。

 どのような人物が、どのような理由で犯行に及び。どのような手段で彼女を誘拐したのかというのは、刑事でもない踏御にとって重要視すべき点ではない。

 津賀のように刑事としての権限も無く、我妻のような情報収集能力や運動神経も無い踏御は、彼らと同じ土俵に立つ事は出来ない。

 だからこそ彼は自身に合った方法で、自身の望む答えだけを思考する必要がある。何故彼女を、どうやって捕まえたという前段階の情報ではなく――――


「考えろ、考えろ考えろ。頼む、今だけで良いから」


 思考するほどに、落ち着き始めた心拍数は数を増やし。同時に描かれる邪なる情景は、踏御の全身から嫌な汗を吹き出させ、不快感をあらわにする。

 何時の頃からか知らず知らずに、三年ほど前からは考える事すら避けていたそれを、生れて初めて強く願う。

 喫茶店の時などとは比べ物にならない明確な意思で、彼はそれを呼び起こす。自らの禁忌を犯す嫌悪感にも似た脳への負荷は、彼が最近読んだ小説の台詞を祝詞の様に紡がせた。


「盗めよ盗人よ。奪えよ咎人よ――なんて、そんな大層な犯罪者じゃないが、俺なら何処に彼女を隠す?」


 時間にしては数秒か、数分か。祈る様に瞳を閉じて呟いていた踏御は、瞳を開けて空を見上げる。昼前の住宅街には人通りが無く、何処までも突き抜けた青い空は、今ここにいる意味を忘却させる。


「人目のつかない場所。安全な――自分の敷地。いや駄目だ違う、家族が邪魔だ。山、は嫌ほどあるけど……そうか山か!」


 確証の無い思考・妄想。推理と言うにも安直すぎる確信をもって、彼は深井家のインターホンを押下した。





 狐泉市は今の発展を見せる前。地元民の所有地が多く存在し、その大部分を地主と相談の下。市が買い取ったり、条件付きで譲り受けたりなどして、今の土台を手にしている。既に多くの土地は公共地へと変わり、数多の物件が立ち並んでいるが、当然手放されなかった土地も幾つか存在し、それらはまだ狐泉市の昔を抱え鎮座している。

 踏御が踏み入れた土地もその一つであり、深井家が所有する小さな山だった。


「あった。あれだな」


 深井の母親から聞いた話通り。山の入り口からものの数分で、今は使われなくなった旧家へと辿りく。開けた空間はここ数年手入れがされていないのか、道中と同じく雑草が生い茂り。中央にぽつんと建てられた古びた建物は、大きく損壊していないものの、周囲の雰囲気から廃墟を思わせる。

 踏御はそろりと近付いて、屋外から人の気配を感じないと判断すると、そっと玄関の引き戸に手をかけて、鍵が掛かっていない事を確認する。警戒しつつ中へと入ると、カビ臭さが鼻につくが、空気が停滞した部屋特有の籠った感じは無く、最近誰かが出入りした事が推測出来た。


「えぇっと。間違っていないなら、きっと地下のはず、だよな?」


 自問するように呟いた言葉は、先に盗った記憶への確認作業。自ら望んで思考した結果。得られた盗品は、所有地・山・人目のつかない場所というものだった。

 人目につかない場所は、所有地の山ならばどこも条件には当てはまる。だが人を長時間管理するならば、相応の設備が必要だろうと彼は考え。それは母親の言によって、彼の思考が深井の思考からズレてはいないのだという事が裏付けられていた。


「高校生にもなって空き家で遊ぶからなんて、今更ながらに恥ずかしくなるな」


 深井の父が幼少の頃に遊び場として用意された地下室。本来存在しなかった地下を広げ、彼の祖父が子供の為に用意した秘密基地は、まだ家に人が住んでいた当時に、受け継いだ深井自身もよく遊んでいたと彼の母親は思い出を語っていた。


 部屋は何処にでもあるような台所の床下収納から下へ横へと広げられ、電力が途絶えた地下への入り口は薄暗い闇がぽっかりと口を開け、申し訳程度に備え付けられた階段は、まるで舌の様に闇へと誘う。

 昼間とはいえ灯りの無い地下に彼は息を吞み、躊躇いは闇への恐怖を増長させ、本能的に光を求める体はその場を一時離れようとする。

 だが踏御は布津巳を助ける為。そして自分の思考が正しく盗んだものかを確認する為に、闇の舌上へと凝固した足を這わせていく。


 階段を下りた先には、ワインセラーが立ち並ぶ立派な地下室が広がっていた訳ではなく。壁はむき出しの土で、床は明らかに素人が並べただけの板や簀の子が、縦横無尽に並べられていた。

 部屋の各所にはガラクタやボロボロの玩具が散乱し、部屋の中央には大きなシートが天幕の様に垂れ下がる。聞いていた通り、子供の秘密基地を彷彿とさせる光景だったが、鼻につく異臭がシートの隙間から光と共に漏れ出していた。


「…………」


 踏御は息を潜め、恐る恐るシートへ近づき中の様子を窺う。中の様子もやはり外と同じく、幾つものガラクタ達が散見し。主要となる手製の家具が、ここが本丸だと告げている。

 机と思しき台の上には、この部屋唯一の光源であるランタン型のライトが置かれ。必死に照らそうとする先には、大きな蠢く布がぐぐもった声で泣いていた。

 踏御はそれが人である事を理解すると、周囲に誰も居ないことを確認し、低くしていた体制から起き上がるながら部屋へ入り、蠢く袋を取り払う。

 そこにはおおよそ彼の予想通り。下着姿のまま椅子に拘束され涙を流す、布津巳のあられもない姿があった。


「布津巳先輩! よかった。いま解きますから待ってて下さい」


 踏御がビニル製の紐で縛られた手足に手をかけようとするが、ギャグボールを咥えさせられた布津巳は、赤く腫れた目で必死に彼に訴える。様子がおかしい事に気付いた踏御は、先に布津巳の口を解放してやると、彼女は途端。大声で叫んだ。


「踏御君後ろ!!」


 声と同時にバチンと乾いた音が響くと、踏御の背中に強烈な痛みが走る。全身へと伝播する衝撃が、状況を理解しようとする機能を阻害し。再び足へと痛みが走ると、痛みの中で彼が視界に捉えた先には、縛られたままの布津巳が、悲愴な面持ちで此方を見下ろしていた。


「いやぁ~。まさか念のために設置してた脱走通知用の罠が、侵入者を教えてくれるとは思わなかったよ」


「お、まえッ!」


 歪んだ顔のまま踏御が声する方へ顔を向けると、片手にスタンガンを持った深井が痛快な顔をして踏御の事を見下ろしていた。

 彼は楽しそうに踏御の体に座り込み。手に持ったスタンガンを、蹲る踏御の体へ押し当てるとスイッチを入れる。乾いた音と共に絶叫が部屋を覆い、うねり声と咽び泣く二つの声が、深井の表情を狂喜へと変える。


「あっはっは!! いいねぇ、君のその顔。最高だよ! どうやって此処を知ったか知らないけど、ぽっと出の君が、僕の妃奈子に色目なんて使うからこうなるんだよ!!」


「もう……もうやめて……」


「初めは僕達の居場所を守る為に、仕方無く見逃してやったけど。それを良いことに、僕の妃奈子にすり寄りやがってぇ――ッ!!」


 思い返したかの様に深井の顔は憤怒へ変わり、二度三度。踏御の顔面を殴り付けた後、三度目になるスイッチ入れる。電気によって硬直した筋肉が、踏御の体を動けなくさせたのを確認すると、彼はようやく本来の目的を思い出したのか、踏御の四肢を拘束し始めた。


「本当はずっと二人だけで居られれば良かったんだ。あぁ僕の妃奈子。誰も知らない、僕だけが知ってる美しい妃奈子ぉ」


 再三いたぶられた踏御の体は、小柄とはいえ同年代の男子生徒に抵抗など出来るはずもなく、ものの数十秒で作業は終わる。

 意気揚々と立ち上がり、俯く布津巳にゆっくりと近付く深井の後ろ姿を、消え入りそうな視界の中に納め。踏御は自分の体質に、ある致命的な欠陥について失念していた事を、今更ながらに思い出していた。


 それは制御できない能力であることをではなく、盗るもの全てが未完成であり、完成品に及ばない粗悪品であるということ。

 盗み考え出したと思うものは、その全てが盗み出した元が世に出すよりも劣っており、常に一歩も二歩も及ばない。

 彼が自らに嫌疑をかけ、楔を打ち込んだあの時も。彼の周りにいた役者達は、彼の予想よりも素晴らしく、彼よりも輝いていた。


 数年前のあの日。自分の体質から目を背け、直向きに逃げていた彼は、今まさにこの瞬間。嫌っていたはずの体質を過信するあまり、犯人が罠を張っているかもしれないという、考えうる可能性を、無意識の内に排除していた。


「本当は今すぐにでも殺してやりたいんだけど、折角だし最後に見ていってよ。僕と妃奈子がどれだけ愛し合っているかをさ」


「――い、いや。もういや! これ以上汚さないでっ!!」


「やめッろぉ‼」


 震えた声で深井を拒絶する青ざめた布津巳の顔を、深井は愛しそうに眺めながら、残された最後の下着へ手をかける。彼女自身も気付かぬうちに外されたブラのホックは、無惨にもたわわに実った二つの恥部を外気に晒す。

 悲鳴と共に深井の顔が歪に歪もうとした瞬間――部屋中に間の抜けた大声が轟いた。


「ごっめ~ん! 深井君待った~?」


 驚いた深井が振り返るよりも速く。声の主は深井の首根っこを掴むと、布津巳から力任せに引き剥がし、そのままの勢いで出来損ないの家具目掛けて投げ飛ばす。深井は潰れた蛙の様な声をあげ。代わりに踏御の視界に現れたのは、くせ毛天パの不良少年だった。


「フミフミ生きてるかぁ?」


「なん……とかッ!」


「深井の母親から、待ち合わせに遅れた男の子が訪ねてきたって聞いた時はもしやと思ったが、いやはや間に合って良かったぜ」


 三度目の電話後に踏御との連絡が取れなくなった我妻は、最後の会話内容から深井の家を訪ね、母親から踏御の嘘を聞き取ると。急ぎ彼の後を追い、地下から漏れ出す悲鳴を聞きつけ辿り着いたのだ。

 我妻は未だ動けない踏御に肩を貸し、布津巳が拘束される椅子に体を預けさせると、二人に人懐っこい笑顔を見せて安心させる。


「ありがとう我妻。正直やばかった」


「気にすんな。それじゃあ警察と救急車呼ぶかね……あ、それともその立派なメロンちゃんを隠す服屋さん先に呼んだ方が良~い?」


「えっ――やぁっ!」


 騒動によって忘れられていた事実を指摘され、踏御の目は頭上にある二つの半球に釘付けになり。未だ縛られたままの布津巳は、両手で胸を隠す事すら出来ず、ただただ黄色い悲鳴をあげて赤面する。

 我妻はそんな二人を見て破顔していると、壊れた家具の残骸から這い出た深井が血走った目で我妻の姿を睨め付けていた。


「どいっつも、こいっつも! 僕達二人の邪魔ばかりしやがってぇ――死ねぇぇぇぇぇぇ‼」


 怨嗟の咆哮と共に、深井は壊れた家具の破片を両手で突き出し突進する。木製とはいえ尖ったこぶし大の杭は、人を殺すには十分すぎるほどの凶器となりえた。

 対する我妻は臆する事も構える事もせず。ため息を一つつくと、深井が手放したスタンガンを拾い上げ。流れる動作で上体を起こしながら、右手で突進する深井の手元を掴み上げ。左手に持つスタンガンを相手の脇腹へと押し当てると、すかさずスイッチを入れ、止めと言わんばかりの膝蹴りを叩きこんだ。


「がッ――ぐぅッ‼」


「護身用具ってのはこう使うもんなんですよ深井チャン。オーケー?」


 悶え苦しみ地面に伏する哀れで愚かな子供の姿を最後に、奇しくも連続誘拐を隠れ蓑にした、薄暗い秘密基地での爛れた夢は終わりを告げた。





 地下救出劇から二週間後。家族・学校・警察を織り交ぜた、阿鼻叫喚の事後処理は終わりを告げる。

 布津巳がゆっくりと鍵を閉める姿を見届けた踏御は、気遣う様に声をかけた。


「忘れ物。無いですか?」


「うん」


 事件の後。深井の身柄は警察に預けられ。我妻と踏御は、津賀刑事からたっぷりとお灸をすえられた。

 布津巳の両親は娘の姿にむせび泣いていたが、深井の両親がどのような心境なのかは窺い知れない。

 今後の処理は未だ残れど、一段落した後にやってくる日常は、さりとて僅かばかりの変化をもたらした。


「ごめんね。折角声かけたのに廃部になっちゃって」


「こっちこそ。返事、返せなくてすみません」


 廃部寸前の部活に所属していた生徒が問題を起こしたとなれば、当然活動など続けられる筈も無く。布津巳部長は復帰初日にて、即刻廃部を学校側から命じられた。

 事件の噂は二人にとって良い方向に働いたのか、放課後の図書室には人気は無く。夕日の赤い光だけが、図書準備室の入り口前で立ち尽くす二人間に割って入る。


「本当はね、知ってたの」


「えっ?」


「深井君――彼が私を見る目。時折普通じゃなかったから……小物もよく盗られてたし」


 ぽつぽつと布津巳から語られる真実は、いずれ今回の事件が起きる事を示唆するような内容で、ともすれば彼女は甘んじてその境遇を受け入れていたと思わせるものだったが、でもと踏御へ向き直る布津巳の瞳からは赤く煌く涙が浮かび、唇は声を荒げない様に必死に堪えて震えていた。


「それでも、初めて出来た居場所だったから……自分は此処に居るよって、胸を張って言える場所だったからッ!」


 布津巳はその性格もさることながら、親でさえ見失う事があるほどに影が薄い。

 今まで生きてきた中で、注目される事はおろか、大勢の仲間達と共にいる事も、親しい誰かと一緒に居る事さえ数える程しかなかった。

 そんな彼女が高校に入り。精一杯の勇気をもって入った文芸部は、数少ない居場所であり。部員不足の成り行きとはいえ、居場所を預かる身となった彼女にとって、起こりうる厄災よりも大事だった。

 踏御は答える言葉が見当たらず。ただただ両手が中空を彷徨う事を、必死で抑えそんな彼女の無念を受け続ける。


「――さ、そろそろ帰りましょうか。あんまり遅いとまた心配かけちゃうからね」


 感情を吐露し、一頻り喋り終えた後。未だ涙を堪える彼女は、大きく息を吐いた後、精一杯の笑顔でそう言った。

 踏御はそんな彼女を見かねてか、それとも感化されたのか。その場を去ろうとする彼女の左手を掴み引き止めると、感情に任せ口を開いた。


「あ、あのっ! 俺と付き合ってくれませんか⁉」


「えっ!」


 途端、彼女の顔に赤みが増す。感情任せに開いた言葉は、彼の体質と同じく一言足らず、その事を理解し終えた彼は、彼女以上に真っ赤な顔で慌てふためいた。


「い、いや! そういう意味ではなくてですねっ⁉ 友人として、友達としてって意味ででして――」


 今回の事件によって、踏御はある事に気付いた。

 それは自分が必死で逃げていた体質は、結局のところ抑制する事など出来てはおらず。常日頃から自分の思考を蝕んでいるのだという事に。

 そしてそれは、今回の布津巳との出会いに多大な影響を与え。知らず知らずのうちに深井の思考を読み取っては、彼女の印象を大きく変質させていた。


「――そっかぁ、踏御君は私が彼女じゃいやなのかぁ」


「えっ⁉ いやそういう訳じゃ――ってもう! 先輩またからかいましたね⁉」


 だからこそ、今からまたやり直そうと彼は思う。

 今度こそ自分だけの意志で、自分だけに見える彼女と歩むために。


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