Packet 3.その目だれの目かごめの目

 人の住む地域で事件が発生した場合。都市の規模と犯罪の規模が重要となる。

 都市の規模が小さく犯罪の規模が大きい場合。都市機能は破綻し、住民の日常生活が立ち行かず。事件が解決するか他都市の援助が無い場合、都市から灯りが消えるのは時間の問題となるだろう。

 都市の規模と犯罪の規模が等しい場合。機能は遅延し生活の節々にも制限がかかるが、都市の持久力と事件解決までの時間差勝負となる。

 では都市の規模が大きく犯罪の規模が小さい場合はどうか?

 当然都市機能にさした影響は無く。住民の日常生活においての影響など些細なものでしかないが。それは同時に、当事者以外にとって食卓の話題にしかならないという危険性も孕んでいる。


「例の誘拐事件について? 知ってる知ってる。確か友達の友達が車に連れ込まれる現場目撃したんだって」


「えー? あれって実は家出しただけで、親が勝手に捜索願い出しただけじゃなかったっけ」


 学校での昼休み。女性を狙った犯罪だからと、踏御は話し慣れない女生徒を相手に声をかけ始めてはみたものの、返ってくるのは危機感の無い声ばかり。担当範囲だった同級生への聞き込みを終える頃には、結果として無稽な言で無為に過ぎてしまった時間に、踏御の心は音を上げそうになっていた。


「おー、首尾はどうだった?」


 自分の席で項垂れる踏御の下へ、何食わぬ顔で現れる我妻。彼の担当は下級生と上級生だったが、流石の社交性と言ったところ。踏御が手間取っているうちに、倍の量を聞き終えたらしい。


「こっちは当たり無し。そっちは?」


「こっちもだなぁ。みんな尾ひれの付いた話ばっかだわ。まぁ元から期待してなかったから後回しにしてたんだけど」


「お前。俺がどれだけ苦労したと……」


「いやまぁ、地道な捜査が当たりを引くのですよ。ワトスン君」


 踏御は茶化す我妻を憎らしげに睨みつけるも、差し出された缶飲料を素直に受け取り飲み干した。作業が終わった後になってから意味の薄い行為だと告げられるのは腹立たしい限りだが、それでも本気で憎めないのは、やはり我妻の人となりによるものなのだろう。


「んー、あんまり頼りたくなかったけど仕方ないか……フミフミは放課後商店街で時間潰しててくんない?」


「なんだよ。誰かに情報聞きに行くなら付き合うぞ」


「いやぁ……多分一人であった方が良いと思うからさ」


 珍しく我妻が歯切れの悪そうな断りを入れる。彼が何かを断わる時は、往々にして相手に理由を伝えた上でが常なのだが、踏御はそんな様子だけで合点がいったのか、追及する事無く立ち上がると、机から空になった缶を拾い上げた。


「何か分かったらすぐに連絡入れる。動けそうならそのまま動いてくれ」


 それだけ言い捨てると、我妻は次の授業も近いのに教室の外へと出て行ってしまう。おそらく早引けしてその人物と会うのだろう。本来なら身内の不幸などが無ければ健康な生徒が早退するなど認められる事は無いのだが。案の定、次の授業を担任する教師が我妻の早退を伝えにやって来た。





 放課後の繁華街。まだ日は陰りを見せず、踏御の頭上にあるアーチ状の屋根から差し込む光が商店街を照らし出す。都心部まわりの商店は、全てこのアーケードに集中しており。蜘蛛の糸の様に張り巡らされた天窓は、血管の様に人と物を循環させている。


「さて、どうしたものか」


 午後一で動いた我妻からの情報提供は、放課後を迎えて一時間しても未だ無い。それもその筈。今我妻は、親絡みの相手か厄介な大人を相手にしているからだ。

 彼が歯切れの悪い返事を返す時は決まってそうで、誰かをそこへ連れて行くという行為は、彼にとっても相当覚悟のいる事なのだろう。

 だからこそそれを知っていた踏御は、規模の大きい書店を選んで入店したのだが、結果として発掘作業が先に終わり。実益も兼ねた時間潰しは、成果を得られぬ事無く踏御を店の外へと追いやった。

 待機を命じられた訳でも無いのだから、踏御が独断で情報収集に励む事は可能だが、刑事や探偵でも無いただの一般市民が無作為に声をかける行為など、十中八九悪質な勧誘か軟派ナンパと思われるのが関の山。

 手持ち無沙汰に苛立ちを覚え、煙草を吸う様な所作で携帯を取り出し時刻を眺めるが、現在時刻を示すデジタル表記の数字は一向に進む気配を見せず。辺りの喧騒も虚しく、踏御だけが止まった時間の中で立ち尽くす。


「――踏御君?」


 重い溜息を吐き出すと同時。背後から名前を呼ばれ、突然引き戻された現実に体を強張らせていると、視界の外から現れた布津巳の顔が、踏御の硬直した瞳を覗き込む。


「布津巳先輩。まだ部活の時間じゃ――あぁそうか」


「えぇ、休部中だから本屋を散策してたところ。踏御君も?」


「えぇまぁ。ただ読みたい本が見つからなくて、冷やかししてたら店員の眼力で追い出されちゃいましたけど」


 冗談めかして交わす言葉にころころ笑う布津巳。休部中という事もあって、学校帰りですと言わんばかりの通行人が多い中、彼女が踏御と出会ったのは偶然では無く。手に持った書店の袋が先程まで彼と同じ場所に居た事を、その身を擦って喧伝していた。


「そういえばさっき時間を気にしてたみたいだけど、もしかして誰かと待ち合わせ?」


「いや、友達の連絡を待ってるところなんですが、なかなか掛かって来なくて」


「じゃあ折角だから、連絡来るまで一緒に付き合わない? 二人で入ると割引きしてくれる喫茶店があるの」


 答えを返す暇もなく、布津巳は踏御の腕を絡めとると横に並んで案内を始める。咄嗟の出来事に何の反応も許されない踏御は、あれよあれよという間に布津巳に予定を埋められる。

 落ち着きを取り戻し体の主導権が戻る頃には、木材の艶に味のある小洒落た店の前に到着していた。


「いらっしゃいませ~。本日は二名様でのお越しですか?」


「はい。と二人でお願いします」


「受け賜りました~。それではカップル席へご案内します。若い男女のごらいて~ん」


 黄色い給仕服に身を包んだ陽気な店員の高らかな宣言に、踏御はやっと状況を理解し目を見開き、みるみるうちに血行の良くなり心音が耳に届く。案内された一角は、恋人専用として区切られた空間で、辺り一面から漏れ出る淡い熱気は、適温だった室内をこれでもかと熱くさせている。

 硬くなった体でようやく席に着き、居心地の悪さに目を泳がせていると、そんな様子がよほど面白かったのか、店員にカップル専用メニューを頼んだ犯人は、含んだ笑いを堪える様に唇の前で人差し指を一本立てた。


「ちょっと先輩。あんまりじゃないですか」


「あら? 私とじゃ駄目だった?」


「いや、その、駄目とかそういう訳じゃなくて……学生服でこういう所は、その……」


「それなら大丈夫じゃない? だってほら」


 促されるままに踏御はもう一度辺りを良く見渡す。スーツや私服、ペアルックや着ぐるみに混じり、確かに同じ学生服の男女が数組。誰に邪魔されるでも無く二人だけの世界に没入していた。

 春は恋の季節とはよく言うが、連続誘拐が起きているこの街でここまで呑気に青春を謳歌出来るのは、偏に春の陽気によるものか、はたまた愛の力故か――自分が何の為にここで時間を潰しているのか忘れそうになるのを、踏御は頭を振って集まる熱気と共に払い捨てた。


「ここの専用メニューに出る苺のシャルロットにさくらんぼのクラフティ。一度で良いから食べてみたかったの。男女で別だから、後で食べさせっこしましょ」


「食べ――もう、あんまりからかわないで下さいよ先輩。そんなに食べたいなら全部あげますよ」


「おぉ~? ひそひそ喋ってぇ、二人で早速愛の語らいですか⁉」


 知らぬ前に割って入って来たさっきの店員は、意地悪げな顔で二人を見た後。トレーからサイズの大きいグラスを置いて、ポットに入った黄色い液体をなみなみ注ぐ。続けて二本のストローを取り出したかと思うと、両手で器用に回転させ華麗にグラスへぶっ刺した。


「えっと……すみません。こんなのメニューに無かったんですけど」


「こちら若いカップルへの特別サービス、お姉さんからの奢りでございま~す。いえいえお嬢さん、礼なんてそんなそんな」


「……これ、二人で一緒に飲めと?」


「イエス! イエスイエスッ! お兄さんまさにそのと~り! ささ、もうこうぐぐい~っと。ぶちゅーっと‼」


 飲む様をあからさまに視姦するであろう陽気な店員は、まさに春一番の勢いで現れて――そしてあっという間に強面店員に首根っこを掴まれ消えていった。





 一頻りメニューを制覇して、カップル達の甘い洗礼を受けきり、布津巳が席を立った今。ようやく踏御は憔悴した顔で椅子に体を預け、羽を伸ばすことに成功していた。時間潰しと言うには存外時間が経ち過ぎてはいるが、依然待ち人からの連絡は無い。

 外の陽光は流石に色を薄め、技術の光が商店街を照らし出す。もう半刻もしないうちに、光の支配者は人へと変わり、闇が世界の主導権を握る。咎人達は産声を上げ、偽りの支配者たちを眺めては、今か今かと涎を垂らす。


「…………」


 彼は耽る。自分はどちら側なのだろうと。

 自分が今追っている誘拐犯と違うのは、法で裁かれるか裁かれないかだけであって、本当は自分も同じ立場ではないのかと。

 ならば、誘拐犯の心理も理解できるのではないか――盗むことが出来るのではないか――と。


 誘拐犯が車での誘拐に拘るのは何故か。手を変え場所を変え神出鬼没。神隠しだと思われるように、隠れて行う方が良いのではないか。

 目撃者は全て捉え、知る者は全て拘束し監禁する。犯行に及ぶ前から逃げられない様に細心の注意を払い、自由も選択手段も奪いつくす。例えるならば、今ここで布津巳の飲み物に睡眠薬でも混ぜて飲ませ。適当な場所で時間を潰してしまえば、彼女の体は労せず手に入り。人目の付かない場所さえ用意出来れば、彼女の全ては自分の物になるだろう……。


 踏御は思考に没頭し過ぎて荒んだ欲望を、叩いて外へ追い出すと、まるで時間が動き出すのを待っていたかと思えるタイミングで、ポケットから着信音が鳴り響く。霧がかかった思考に対し、ようやく理性が怖気を感じ始めた辺りで、彼は着信を告げる音に応えた。


『おー良かった。待ちぼうけて帰って寝ちまったんじゃないかと思ってた』


「本当にそうしてやろうか?」


『いや待って待ってごめんごめん。情報聞き出す下準備にえらく手間取っちまって――すまん』


「……そんな事だろうとは思ってたからいいよ。んで、情報は?」


 我妻から出される情報は、犯罪を犯す者なら当然だと思えるナンバープレート等の隠蔽工作から始まり。犯行現場や犯人の人数、被害者からの証言など一介の学生が得る事の難しい情報まで多岐にわたる。踏御が聞く限りでもおかしな点は幾つがあったが、何より彼が不思議に感じたのは、警戒されている街中で犯行車両が見つからないという事だった。


『同じ車両は複数かかってるそうなんだが、犯行に使われた形跡は無いらしい』


「じゃあ今から街で、それらしい車の場所をチェックしていけば良いか?」


『いや、今日はもう遅いから明日一緒に動こう。俺もちょっと今日は動けねぇ』


「わかった。じゃあ明日また学校でな」


 会話が終わると丁度。席を外していた布津巳が店の奥から戻って来る。踏御はそれを確認すると、先の電話の内容も、薄ら暗い劣情も思考の隅へと追いやり喫茶店を後にした。


「今日はごめんね。結局こんな時間まで付き合わせちゃって。お友達は大丈夫?」


「えぇ、さっき連絡があって明日からって事になりましたから」


「そう。なら良かった、間女にならなくて」


 ウィンドウ越しに見ていた景色は僅かな時間で一変し、気付けば交流によって生まれた灯は夜の街を跋扈して、天窓から覗く空はすっかり夜の帳が下りていた。店に居た恋人達は続々と学生へと戻り、大人達は眠らぬ街に次なる夢を見るだろう。


「俺はそろそろ帰りますけど、先輩はどうしますか?」


「ごめん。私はちょっと頼まれ物があるから買い物してからかな」


「じゃあまた明日。学校で」


「――あ、あのね踏御君! 例の件、なんだけど……」


 布津巳はそこまで口に出した後。今言うべきかを逡巡し、胸元で宙を彷徨っていた手を握り締めると、祈る様に口を開く。


「部活動、休部中だから。ゆっくり考えて。答え、聞かせて……」


「……わかりました。それじゃあまた――」


 彼の中で既に答えは出ていても、すぐに答えを返せない自分にばつの悪さを覚え。別れの言葉を吐き捨てると、踏御は逃げる様にして背を向けた。

 ――瞬間。ぞわりと、背筋の凍る音がした。


「先輩!」


 もう一度振り返ると、既に彼女の姿はその場には無く。踏御は始めて人の視線を意識した事に焦りながらも周囲を探すが、不夜城に群がる人の波に紛れた彼女は、もはや追う事は許してはくれなかった。




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